●リプレイ本文
よく晴れた日には、意味もなく散歩をしたくなる。フェイス(
gb2501)がその遊園地にやってきたのは、そんな、気まぐれな散歩の末のことだった。
散歩、というには些か遠すぎる選択だが――心の中で苦笑しながら、ジャケットの中に手を伸ばす。そこにホルスターで吊った無骨な固まりを確かめて、けれどもフェイスが取り出したのは煙草。
1本取り出して、くわえ。火を付けかけて、ふと気付く。
と同時に、あちらもフェイスの姿に気付き、よう、と声をかけてきた。
「珍しい所で会うな?」
「お互いに」
そう返したフェイスに、返されたアンドレアス・ラーセン(
ga6523)は確かに、と肩をすくめる。LHならばいざ知らず、気まぐれに歩いていたら偶然会うような場所ではない。
チケットを買ってきたロジー・ビィ(
ga1031)がフェイスに気付き、まあ、と嬉しそうな声をあげた。
「フェイスもいらしてましたの? なら一緒にまわりません?」
「構いませんよ」
「でしたらもう1枚、買ってまいりますわね!」
両手をぽむと合わせ、嬉しそうに再びチケット売場へと走っていくロジーである。遊園地というのは、何故だろう、知らず知らずのうちに心が躍り出してはしゃぎたくなる、不思議な場所だ。
日常の何もかもを今だけは忘れて、どこかに置き去りに出来るような。そう、アスとの微妙な関係さえも――
そんな、楽しそうなロジーの背中を見やり、悪いな、と肩を竦めるアスに、フェイスは微笑んだ。そうして煙草の箱を差し出す。
息抜きの為の、息抜き。そんな気分で、礼を言って受け取った。きつり、紫煙を吸い込む。
(フェイスには微妙な立ち位置を強いるかもな‥‥)
勿論、叶う限り普通に振る舞うつもりだけれども、限界はある。先日の、花見の宴。その折、ロジーに向けられた言葉がまだ、彼の中で消化し切れてない。
だから。フェイスの存在はありがたいと、素直に思う。
チケットをひらひらさせて帰ってきた、ロジーがちらり、アスを見た。わずかに複雑な笑みを浮かべて、それから華やかに笑う。
「さ、行きますわよっ!」
「ちょ、そんな引っ張るなって」
「楽しみですね」
そうしてぐいぐい、アスとフェイスの袖を引いて歩きだしたロジーの後から、男2人もそんな事を言いながら、大人しく歩き始めた。ゲートの向こうからは、早くも楽しげな音楽と歓声が聞こえている。
●
ビスクドールを抱きしめて、少女は半泣きで係員に訴えた。
「うぅ‥‥ステファニーちゃんがないと、怖くて入れないです‥‥!」
「でも、邪魔にならないかい?」
そんなレオーネ・ジュニパー(
gc7368)に、困った笑顔で首を傾げる係員である。今回、幅広い年齢がモニター対象になっているが、大きな人形や鞄を抱えて入ろうとする客への対応マニュアルはない。
このミラーハウスは、迷宮としても楽しめ、同時にシューティングゲームとしてスコアを競うアトラクションである。だのに大荷物を抱えていては、レーザー銃を構えられないのではないか?
だが鞄や人形なら、設備が壊される事はないだろう。そう考え直し、レーザー銃を人形に握らせて、係員はレオーネをハウスの中と入れた。それに、ほっと息を吐くレオーネだ。
何しろ怖がりな彼女である。ビスクドールは、超機械とはいえ愛らしい。一緒に入れるのなら、こんなに心強いことはなかった。
「鞄の中に居てくださいね」
大きな鞄に人形をそっと寝かせ、係員が握らせたレーザー銃を取って、恐る恐る辺りを見回す。鏡の迷宮の中から何人ものレオーネが、怯えた眼差しでこちらを見ていた。
ぶる、と大きく震えてゆっくり、歩き出す。いつでも入り口まで逃げられるよう、出来るだけ歩いてきた道は覚えておこう。
そんな怯える少女が送り出されたのとは、また別の列に並んでいた神撫(
gb0167)は要請に従って、グラジオラスを預けながらきょろ、と面白そうに辺りを見回した。モニターの数自体はあまり多くないようだが、入場は1人ずつ、というのが少し、不安だ。
(なにかトラブル起きた時どうするんだろう?)
ついそう考えてしまうが、よく考えれば1人でやって来る客も居るだろう。取りとめもなく考えながら、玩具のレーザー銃を手の中で弄んでいたら、時計を見ていた係員が「入って下さい」と促した。ちらり、預けたグラジオラスを見て「大事に扱ってくれよ?」と笑うと、勿論、と頷きが返る。
拳銃等を預けながら、セレスタ・レネンティア(
gb1731)はふと興味を引かれて質問した。
「武装解除とは厳重な気がしますが‥‥?」
「このアトラクションは、シューティングゲームなので」
係員はひょい、と肩を竦める。なまじ武器を使い慣れていると、いつもの習慣で本物の武器を使用しかねない、という話らしい。
「それに、馴染みのないお客様も居ますしね」と預かり札を渡しながら笑った係員に、そうですね、とセレスタも頷く。幾ら戦争中とは言え、こんな場所に物々しい武装は確かに合わない。
(とはいえ、どこか嫌な予感がしますね‥‥)
合図を受け、奇妙なほど軽く感じられるレーザー銃の玩具を手に鏡の迷宮へと踏み入れながら、セレスタは思う。それはこの、殊更に現実からかけ離れた空間のせい、なのかもしれない。
無意識に、懐のコンバットナイフの重みに、意識を集中した。何かあればこれだけが頼りだ。
けれども、幾らほど歩いた頃だろうか。すでに入り口からどれほど離れたのかも、よく解らなくなってきた頃に遠倉 雨音(
gb0338)はふと、その音に気付いた。
立ち止まり、じっと耳を澄ませる。騒音――否、人の声? けれども、アトラクションの中まで聞こえてくるような、一体どんな騒ぎが外で起こっているというのか――
(いえ、むしろこの中‥‥?)
しばし考えて、雨音は不意にそう気付いた。きゅっと、唇を引き締めて雨音は来た方を振り返る。
せっかく、恋人と時間が取れたからデートも兼ねて、一緒にやって来たけれど。今は何より、外で待っている彼の存在が心強い。
(でも、デートはお預けですね)
ほんの少し、それが心残りだったけれども。かつて共に回った思い出を辿り、新たな思い出を重ねるのは、この騒ぎを収拾してからでも遅くない。
懐には小銃。ポケットには小型超機械。どちらも護身用がせいぜいで、心許ないのは事実だ。まして音の反響するハウス内では、何が起こっているのか把握するのも難しい。
だからまずは恋人と合流するのが、今思いつける最上策だった。
●
時間は少し、遡る。
ミラーハウスの外に幾つかあるベンチの1つで、藤村 瑠亥(
ga3862)は雨音が出てくるのを待っていた。2人の思い出の遊園地で、偶然モニターに選ばれた彼女に誘われたのだ。
だから日向ぼっこのごとく、のんびりと。立ち入り禁止のロープの向こうを行き交う人々を眺めて――不意に、知り合いに気付き。
フェイスもまたベンチに座る瑠亥に、おや、と声を上げた。手にはソフトクリーム。
「偶然ですね。ここはミラーハウス‥‥ですか。懐かしい」
「ああ。1人か?」
「いえ、ロジーさんとアンドレアスさんと一緒に。――ですが、楽しんでいる人々を眺めている方が、楽しくて」
アトラクションには参加していないのだと、告げると「そうか」と頷きが返る。そうなんですと微笑んで、甘いソフトクリームを一口、齧った。
たまにはこうして、かつて自分が居た、守りたかった当たり前の風景を見ておかないと、心が疲れてしまう気が、する。非日常に身を置いて久しいのに――或いはだからこそ。
フェイスは、正義の味方でもなんでもない。胸の中に湧き上がる義憤の為に戦うのではないから――自分が何の為に戦っているのか、確めなければ時々、何の為に引鉄を引くのか解らなくなる。
(少しは、この稼業に就いた意味もありましたかね)
楽しそうな人々の笑顔に、思う。守れなかったものもあるけれど、後悔もしたけれど、それでも守りたかったものを僅かなりと、彼は守れているのだろうか。
思い、またソフトクリームを齧る。のどかな、日常の象徴。
どこかから入れれば良いのにと、残念に思いながらミラーハウスの周りを歩いていたら、ジェットコースターに乗っていたロジーとアスが、追いついてきてフェイスとミラーハウスを見比べた。
「これは、ミラーハウス? 面白そうですの!」
「残念ながら、立ち入り禁止のようで」
「そうなのか‥‥お? あれは、舞香嬢?」
「マリアさんも一緒のようですね」
話しながら足を進めるうちに、また別のベンチに座る女性2人にアスが気づいた。おや、とフェイスが目を見張り、ロジーがきょとんと首をかしげる。
幾度か顔を合わせた舞香と、会ったのは1度だけだが友人のアニーに似ているマリアを、見間違える筈もない。だがそれにしては、拭い切れない違和感がある。
その違和感を、ロジーが口にした。
「御機嫌よう、マリア。そちらは‥‥舞香だけど舞香じゃないですわよ、ね?」
「‥‥舞香の知り合いですか?」
その言葉に、舞香に良く似た誰かは不審そうに目を細め、マリアと能力者達を見比べた。そうすると途端、舞香と印象が変わる。
ええ、とロジーが微笑み、マリアが「アニーの友人の皆さんよ」と付け加えた。笑みの形に吊り上げた唇は、まるで皮肉っているようで、アスは軽く目を眇める。
アニーとよく似た、けれども彼女とはまた違う、堅気ではない空気を纏う女。考えすぎかもしれないが――何だか、彼女のあの、時折見せる挑発するような表情が、気になるのだ。
そんなアスの眼差しの前で、そうですか、と女性は呟き、舞香の双子の妹だと名乗った。雪島涼香。それが、彼女の名前だと言う。
聞けば、彼女達はミラーハウスのモニターテストに参加している、アニーとユーリを待っていると言う事だった。同じくモニターテスト終了待ちの瑠亥が、軽く眉を上げて、そうして何も言わない。
フェイスが小さく微笑んだ。
「モニターテストですか。惜しい事をしました」
「俺達も待つか。アニーに挨拶しないのもナンだしな」
それにユーリはクリスマスツリーを褒めてくれた良いヤツだと、言うとロジーがころころ笑う。その、久しぶりに見るような気もする無邪気な笑顔に、ほっとアスは息を吐いた。
あの、桜の日。アスの旅に同行したいといった彼女の心を、未だにアスは計りかねていて。彼の旅は遊びに行く訳じゃないと、彼女も解っているだろうのに――なぜ?
その意味が解らなくて、どうしたら良いか解らなくて、困っている。だからこんな瞬間、ほっとする。
フェイスが、そういえばと口を開いた。
「マリアさん、彼はお元気ですか?」
「彼? ――サバーカの事?」
僅かに瞳を瞬かせたマリアが、あれから会ってないわ、と微笑んだ。
「貴方達に見つけて貰って、話をして、それきりよ。今日は彼との事を心配してくれた友人が、モニターテストに誘ってくれたんだけど」
「『気分が悪くて』休んでたんですよね」
「えぇ」
妙に棘のある口調で涼香が補足し、マリアの相槌を聞くとそっぽを向いた。はぁ、と吐いたため息はわざとらしい。
あまり、気が合っているようには見えなかった。ならば何故一緒にいるのかと、当たり前の疑問をアスが向けると、うんざりした口調で「舞香に頼まれたんで」と涼香が唇を尖らせる。
仕事はどうしているのかと、聞けば翻訳業なんてどこでも出来るわ、と笑った女はやはり、どこか挑発的で。友人に心配されるほど、サバーカとの事に傷ついているようには見えない。
ひょいと、マリアが肩を竦めた。
「能力者はみんな、質問がお好き?」
「や、失礼。お仕事が終わってしまうとその先を聞く機会も中々無いので――どうされているかな、と思っても、ね」
「どう? ふふ、聞いて楽しい暮らしなんてしてないわ。必要なら名刺を差し上げるわよ?」
はい、と細い指がバッグの中から取り出した、名刺を受け取る。名前と連絡先、メールアドレスだけが書かれた、ちっぽけな四角い紙。
同じものをアスと、ロジーも受け取った。自身のバッグに仕舞いながら、それにしても、とロジーが気にしたのは別の事だ。
(ミラーハウスには1人ずつしか入れない‥‥って事は、アニーも今1人、って事ですわよね)
妙な胸騒ぎが、した。アニーは今まだ、何者かに狙われているのではなかったか?
ミラーハウスを振り返る。ただの取り越し苦労かも知れないけれども、後悔するより、あとで『心配性なんだから』と笑われた方が、良い。
だからロジーは何気ない仕草を装い立ち上がり、にっこり微笑んだ。
「ちょっと失礼。パウダールームを探してきますわね」
そうしてそう言い残し、ミラーハウスの周りを歩き始める。ブーツの中に仕込んだ菖蒲を意識した。
ロジーの背中を見送りながら、尚もドイツの気候がとか、他愛のない世間話を続けるフェイスとマリアの話を聞きつつ、アスは考えた。考え、好意的とは言い難い眼差しでマリアを見る、涼香を見た。
彼女の双子の姉・舞香は不自然なほど、マリアに強く肩入れしていた。それは一体、何故だろう。ドイツで、舞香が語った以上の何かがあったというのか――それが、舞香とマリアを結び付けているのか?
ドイツ、と呟く。その呟きに、気付いた涼香が軽く眉を上げた。
「能力者さんも、ご存知ですか。舞香がドイツに拘る理由」
「‥‥いや。涼香嬢は何か、知ってるのか?」
「ええ。すごく、くだらない理由です。――舞香は、忘れようとしてたのに。忘れかけてたのに」
この人が現れるまでは――そう言わんばかりの眼差しで、涼香がキッとマリアを睨む。それに、気付いたマリアが艶やかに微笑む。
何があったのだろうと、アスはもう一度、胸の中で呟いた。必死で、頭を巡らせる。あの日の、泣きそうな顔でマリアの言葉を遮った舞香を、それから桜の下で儚く笑った彼女を思い出す。
いったい、何が――けれどもその思索は、すぐに断ち切られる。
「いやぁッ!」
「助けて‥‥ッ」
「何か、あったようだな」
幾つもの悲鳴。叫びながら、中には泣きながらミラーハウスから飛び出してくる、モニター参加と思しき人々。
黙ってベンチで雨音を待っていた瑠亥が、起き上がりながら険しい眼差しになる。雨音は――? そう思った途端、瑠亥の携帯が音を立て始めた。
●
じっと耳を澄ませた。
あちらこちらで、人が騒ぐ気配がする。それと、確かに追って来る『誰か』の気配。
「‥‥ッ」
行く手に人の気配を感じて、別の道を探す。誰か判らない相手を巻き込めない。戦場ならいざ知らず、ここに居るのは一般人だ。
だから必死に逃げる――襲撃者から。そして見知らぬ、守るべき人々から。
●
この混乱の中で、携帯が使えたのは不幸中の幸いだ。通話を終え、雨音はしみじみそう思った。
何度も無事を確認する瑠亥に、ひとまず外に向かうから合流しましょうと告げると、ほんの少しの沈黙の後に「解った」と返ってきた。すでにハウスの外には、難を逃れた人々が飛び出していると言う。
それを、想う。そうして方向感覚を総動員して、入り口と思われる方へ歩き出す。
それとは逆に、騒ぎに気付いた瞬間、奥へ奥へと進み始めたのが神撫である。元より迷路の鉄則よろしく、左手を壁につけて迷わないようにしていた彼は、今は右手に隠していた鉄扇を持ち、さらに慎重な足取りで進んでいた。
神撫の前にも、入っていった参加者は居る。そんな人々が訳の解らないまま、混乱に任せて闇雲に動き回っていたりしたら大変だ。
そういった者の救助を兼ねて、と思いながらも神撫自身、何が起こっているか把握はしていなかったのだが。
「‥‥なるほど、ね」
鏡に映った自分を見ながら、角を曲がった所で足を止め、苦笑した。ミラーに映し出されるモンスターの代わりに、生身のキメラがそこに居る。
キメラの向こうには怯えた表情の女性が居て、すっかり動けなくなっているようだった。だがすぐに神撫に気付き、必死の表情で叫ぶ。
「助けて‥‥ッ」
「逃げて下さい。こっち側の壁に沿って行けば、入り口に出られるんで」
キメラを牽制するように鉄扇を鳴らしながら、だから彼女にそう言った。ぐるる、と喉の奥で唸り声を上げるキメラの、獲物を狙う眼差しが女性から神撫へと移る。
油断ない眼差しでキメラを見る神撫の横を必死ですり抜け、走り去っていく女性の足音が小さくなるのを聞きながら、次の動きを考える。そんな神撫と同様に、セレスタもまた玩具のレーザー銃をポケットに仕舞って、他の参加者の捜索に乗り出していた。
手にはコンバットナイフ。こういうのも、虫の知らせというのだろうか。
(多少なりと安心ですね‥‥おや?)
辺りの気配を探りつつ、息を潜めて進むセレスタはふと、先の方からやってくる気配に気付いて足を止めた。乱れた足音――だが敵とは、どこか違うような。
油断はしないまま、いつでも相手を倒せるように体勢を整えた。そうしてじっと待っていた彼女は、ひょこ、と現れた少女に軽く、目を見張る。
手に拳銃を構えた少女の後ろには青年が居て、怯えた様子でせわしなく辺りを見回していた。これでは、どちらが大人で子供だか、わかったものではない。
セレスタは、落ち着いた様子の少女へと声をかけた。
「貴方は、民間人ですか? 一体、何が‥‥」
「うちは能力者のレオーネです。ハウス内にキメラが現れて――」
「だから! さっさとあいつら何とかしてアニーを助けろよ!」
「大丈夫ですよ、アニーさんも能力者ですしッ」
答えかけた言葉に被せるようにわめき散らす青年に、レオーネが宥めるように言い聞かせる。セレスタはその、会話の中に出てきた名前に軽く目を見張った。
聞き覚えがある、なんてものじゃない名前。珍しくはない名前だけれども、特定の心当たりがありすぎる。
「アニーさんとは、もしかしてアニー・シリングさん?」
「あれ? お知り合いですか?」
「セレスタです。彼女の友人、ですね」
言いながら、セレスタは軽く息を吐いた。彼女もまた、この迷宮のどこかに居るのか。
ユリウス・マクレーンと名乗るその一般人の青年は、アニーの従弟という事だった。キメラに追われて逃げ惑っているところを保護し、入り口まで連れて行く途中なのだと言う。
そう言って、レオーネはふとした瞬間に走り出そうとするユーリの服をぎゅっと掴みながら、セレスタを見上げた。
「うちもユーリさんを送ったら戻ってきます。トランシーバーがあれば連絡出来るんですけど」
「すみません」
軽く首を振られ、そうですか、と肩を落とす。だが、他にも能力者が居るかもしれない。その中の誰かと、連絡が取れれば。
何度かそうしたように、ぐるりとチャンネルを回し、ノイズに耳を澄ませながら、レオーネはセレスタに言った。
「気をつけて下さいね」
「そちらも。他にも参加者は居るでしょうし、何としても保護しなければ――勿論、アニーさんも」
彼女が何者かに狙われていた、記憶はセレスタにもある。こんな所でキメラが出たとなると、どうしても、偶然より必然を疑ってしまいがちだ。
それに彼女とて、入り口で武器を預けているのは同じだろうから、助けが必要なはずだった。
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思ったより、人の気配は少なかった。それに僅かにほっとして、彼女は荒い息を整える。
誰も居ない場所。自身がどこに居るかも解らない迷宮で、それを探すのは酷く難しい。
(‥‥無事かな)
一緒に来た従弟を思い、別々に入った事に安堵した。そうして胸元のネックレスを想い、その先の面影を想った。
うん、と頷く。まだ走れる。何とか逃げて、反撃のチャンスを狙わなくちゃ。
その手段も思いつかないまま、彼女は再び走り出した。
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ガチャ、とノブの回る音に、ロジーは眼差しを険しくした。そっと押し開くと、中には無機質な廊下が奥へと続いている。
関係者入り口らしきその鉄製のドアが、施錠されていないのは奇妙に感じられた。細く開けた扉の隙間にじっと耳を澄ませ、何か音は聞こえてこないか確かめる。
何か、人の騒ぐ声がするのは感じられた。後は――あれは、発砲音?
「‥‥ッ」
何かは解らないが、少なくともただならぬ事態になっていることは確かだろう。そう確信し、ブーツの中から菖蒲を抜き出しながら、ロジーはアスとフェイスにコンタクトを繋ぐ。
「アンドレアス? あたしはこれから、ミラーハウスの中に入りますわ。フェイスにも‥‥」
『あぁ、解った。無理すんなよ』
事情を語るまでもなく、繋がった携帯の向こうでアスは真剣な声色でそう言った。解りましたわ、と頷きロジーは携帯を切る。
その、ツーッ、ツーッ、という切話音を聞きながらアスは、ここに至ってもまだ余裕を崩さないマリアをそっと、探るように見る。
(マリアは、意図的に中へ入らなかったのか?)
普通なら驚くなり、偶然で難を逃れた幸運を喜んでも良いはずだ。雨音が無事に出てくるまで、そわそわと落ち着きのなかった瑠亥のように。
けれども、マリアにはそれがない。ならばこの騒ぎに、彼女は関わっているのか――だがそれにしては、取り繕わなさすぎる。
(それに、動機がない)
アスの視線に気付いたマリアが、艶やかに微笑む。それは、解るかしらと挑発されているようにも、見えた。
このタイミングで騒ぎが起こった、それが偶然でないなら狙いはアニーだろう。この辺りはまだキメラが出る事もあるそうだが、偶然を信じるには状況が整いすぎている。
だが、動機は? ‥‥本当に動機はないのか?
堅気ではない雰囲気を纏う女。彼女が能力者に語った事情の、どこまでが本当なのだろう。どこまでを、信じていいのだろう。
サバーカとの関係は? 舞香と似た過去を持つというのは? その舞香はなぜ、サバーカの仕事請負元を聞いた時に必死に庇ったのだろう――涼香の言葉を借りるなら、何が舞香を変えたのだ?
もしすべてが嘘ならば、なぜマリアは偽りを語ったのか――考えるアスにちらりと眼差しを向け、雨音は係員から聞いたモニターテストの参加者数を復唱した。雨音を含めて、午後からのテスト参加者は20人で、まだ出てきていないのが9人。
そのうちの2人は間違いなく、アニーとユーリだろう。フェイスが係員に傭兵である事を告げ、ミラーハウスへ突入する事を告げると、宜しくお願いします、と頭を下げられる。
「一部の壁の中にはスタッフ専用通路もあります。必要があれば使ってください」
「ありがとうございます。‥‥それにしても、こんな場所で傍迷惑な。私は正面から行きましょうか」
「では私達は出口から‥‥瑠亥」
「あぁ」
頷き合って、出口へと駆けて行く雨音と瑠亥を見送り、さて自分もと入り口に向かいかけたフェイスはピタリ、足を止めた。中から、出てくる人が居る。
誰かに話しかける少女の声が、聞こえたと思った次の瞬間に入り口から姿を現した、それはレオーネだった。その手がしっかり握る服の持ち主は、ユーリだ。
おや、と軽く目を見張る。
「レオーネさんも参加者でしたか」
「はい。セレスタさんにも会いました。アニーさんを探しに行くと言って、うちはユーリさんを」
なるほど、とフェイスは頷いた。これで中に居るのは7人。うち2人がセレスタとアニーで、一般人の可能性があるのは5人。
それを頭に叩き込み、踏み込んだフェイスとは反対側の出口に、雨音と瑠亥は辿り着いた。それぞれの武器を手に鏡の迷宮へ足を踏み入れる。
何か、異変はないか。キメラの痕跡、襲われた人の痕跡など、残っては居ないか。
目を光らせる雨音に捜索を任せ、瑠亥は自動小銃のグリップを握り締める。デート予定だった以上、決して万全の装備ではないが、それでも最低限の対処は出来るはずだ。
全面に張られた鏡に惑わされぬよう、映る己の像との距離を測って。アトラクションはすでに停止しているから、異形が現れたならそれはキメラ以外にない。
少し進んだ所で、奥から来る人に気付いた。現れたキメラを退治しながら、無事に出口まで辿り着いた神撫だ。
保護したらしき男性は怯えた様子で、神撫の後ろを歩いていた。だが、出口にようやく辿り着いた事を知ると、謝意を述べながら全速力で、外の光の中へと飛び出していく。
それを見送り、神撫へと視線を戻した。
「神撫さん。ご無事でしたか」
「アニーは一緒じゃなかったのか?」
「え‥‥アニーも居るのか!?」
そうして言った雨音と瑠亥の言葉に、ぎょっと神撫は目を見開いた。ここまで、誰かに会えばと歩いてきたけれども、一度として恋人の姿は見ていない。
慌てた様子で再び迷宮の中へと戻る、神撫の背中を追いかけて、恋人達も走り出した。そうしながら、残された参加者を探して鏡の向こうに目を光らせる。
残る要救助者は3人。それを通信で聞いて、レオーネはほっと息を吐く。幸いまだ、大きな怪我人は出ていない。このまま、何としても誰一人怪我をさせることなく、助けなければ。
(頑張らないとッ)
拳銃を手に再び鏡の迷宮に挑む、今は目の前の使命に燃えていて恐怖はない。一度覚えた道のりを思い出し、迷わぬように気をつけながら、奥へ、奥へと足を進める。
その中で、セレスタは不意に異音を聞いた気がして、足を止めた。ビシリ、という破壊音。キメラが鏡に突進したのかと思ったが、何か、様子が違う。
新手かと、よりいっそう足音と気配を忍ばせ、歩み寄った。相手には気付かれないようにそっと角から覗き込むと、そこに居たのはアニー。
ビシリ、また床が鳴った。サイレンサーを使っているのだろう、音無き弾丸に追い立てられるように、銀のおさげが奥へ、奥へと逃げていく。
そっと辺りを見回すと、すぐ、天井近くにあいた通気口のような穴が目に入った。そこから覗いた銃口が、アニーを狙っているのが見える。
あそこか、と思った。だがどうすれば辿り着けるのだろう。
考え、視線を巡らせるセレスタの気配に、どうやらアニーが気付いたようだった。けれども何故か慌てた様子で距離を取るように走り出す――否、確かに距離を取ろうとしている。
ぱたり、壁が閉まった。こちらに気付かれただろうか。それとも、別の狙撃ポイントに移ったのだろうか。
とまれ今のうちに彼女を保護しなければ――そう考え、声をかけたセレスタと同時に、関係者入り口から迷宮に入り込むことに成功した、ロジーもまた大声で彼女の名を呼んだ。
「アニーさん」
「アニー! ご無事でして!?」
「セレスタさん!? ロジーさんも‥‥」
その声に、驚いた表情で振り返ったアニーが、次の瞬間ぺたり、崩れ落ちた。ずっと迷宮の中を走り回っていたのだろう、大きく肩を揺らして荒い息を吐いている。
ぎゅっと胸元の辺りを握り締め、良かった、と呟いた。そうしてはっと気付き、眼差しを上げた彼女にユーリは無事だと告げると、さらに大きな安堵の息を吐く。
襲撃者は、戻って来なかった。
●
「どういう事だ」
険しい口調で、瑠亥はユーリに問いかけた。詰問した、と言っても間違いではない。
一体どうしてこうも、アニーの周りで被害が出るのだ、と疑問を覚えるのは当然の反応だった。それに加えて、この騒ぎにユーリが一役買っていた事が判ったのだ。
彼が誘ったモニターテストは、実は知人から頼まれたものだったのだと、ユーリは言った。アニーに内密に話がしたいと――だがろくに会った事もない相手では警戒されるから、彼女にも秘密にしておいて欲しいと。
相手は、マリアの元恋人だという。だが「サバーカか?」と確かめると、ユーリは首を振り「名前は知らないんだ。ハウンド、って呼んでるけど」と確かめるようにマリアを見て。
彼女はただ、幾つもコードネームがあってもおかしくないでしょ? と肩を竦める。
「本当にそれだけか?」
「それだけだよ! そりゃ、せっかくのお姉ちゃんとのデートをあんた達に邪魔されたくないのもあったけど!」
「ユーリ! 失礼でしょ!」
従弟の言葉に、思わず声をかけたアニー。ぎゅっと首を竦め「ごめんなさい」と呟く様子は、しおらしいけれど。
なぜだ、と瑠亥は胸の中で考える。ユーリ自身の幼い嫉妬の感情を、利用するように傭兵に連絡させなかったのはどうしてだ。
そもそも、キメラはどうやってハウスの中に侵入した? この辺りはまだたまにキメラが出てくるとはいえ、誰にも気付かれずに営業中のハウスの中に何匹も入り込むなど、普通、ありえないのではないか?
誰かが、手引きをしたのか。それとも、それすら偶然なのか。
鍵を、明らかにマリアは握っているはずだった。だが彼女は微笑んで、ひょい、とベンチから立ち上がる。
「私はもう、いいわよね」
微笑んだ女は、能力者達に背を向けた。そうして立ち去ろうとする。
考えろ、アスは己に言い聞かせた。必死で、限界まで。その向こうに至るまで、全力で脳細胞を回転させろ。
そうでなければ自分は空っぽで――ここに立つ意味がない。
だから咄嗟に、問いかけた。
「アニーと! ‥‥似てるのは何か、理由があるのか? 親戚とか」
或いは、整形して意図的にアニーに似せたのか――もし、マリアがアニーを狙う何者かの一味であるのなら、何らかの理由でそうしたとも考えられる。だが、ならばそこまでしてアニーを狙う理由は、なんだ?
それに、マリアは足を止めて、アスを振り返り。――笑う。
「偶然よ。――ただの、偶然」
「本当か?」
「嘘なら良かったわ。――Давайте встретимся еще раз.」
ひらりと手を振って、そう言った女は今度こそ背を向け、歩き出す。残された人々の感情を、置き去りにして。