タイトル:マリアの依頼。〜Annieマスター:蓮華・水無月

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2012/08/15 13:12

●オープニング本文


 『彼女』を見た瞬間の衝撃を、今でも昨日の事の様に覚えている。まるで自分に生き写しの様な『彼女』――『彼女』を見つめる『彼』の眼差し。
 あぁそうか、と思った。自分の元から去った『彼』が、自分に瓜二つの『彼女』を見つめてる理由。否――自分が『彼女』に瓜二つだったのだ、と。
 知らず、乾いた笑いが零れて、涙と吐き気が同時に込み上げた。自分の中にこれほど激しい感情が眠っていたのかと、我ながら呆れ返る程に、その感情はあっという間に昂ぶり、胸の内から思考というものを奪い去った。

(だから。貴女の気持ちが解るのは、ある意味で、本当)

 儚く笑う『彼女』の友人を思い出し、薄く笑う。必ず戻ってくると約束してドイツに旅立った恋人に、あちらで出会った女性と結婚するからもう会えないと捨てられた、可哀想な、可哀想な舞香。
 その気持ちが、一方的に奪われた虚無が解るから、舞香をどう利用すれば、どう囁けば都合良く動いてくれるのかも、解る。その程度に自分は残酷だ。『彼』に思い知らせてやる為なら、後で舞香が傷付いたとしても、自分自身が傷付いたってどうでも良いのだ。
 だって――最初から、『本当』なんて一つも貰ったことが、ない。





 マリア・アナスタシアからの連絡を、待ち焦がれている自分が居ることを、雪島舞香(ゆきしま・まいか)は自覚していた。それは同情で――それからきっと、同情する自分に浸りたい、醜い感情。
 携帯が、着信音を鳴らす。慌てて相手を確認し、LH観光という名目で泊まりに来ている妹の涼香(りょうか)から隠れるように取ると、背中に冷たい眼差しが突き刺さるのが解った。
 だって涼香には解らないんだもの、心の中で呟く。自分が、自分とマリアがどんなに苦しんだか、苦しんでいるか、涼香は解らないからあんなに無慈悲に『いい加減に忘れなよ!』なんて言えるのだ。
 こんばんわ、と聞こえてきた声にほっとする。元気そうだ。

「こんばんわ。新しい家はどうでした?」
『まぁまぁね。シャワーが浴びれて、眠れれば上等だわ』

 そうでしょ? と笑う彼女の顔が想像出来て、くすりと笑った。LHに来る為にドイツの自宅を引き払ってきたという彼女は先日、ドイツに戻って新たな家を借りたのだ。
 彼女は強いと、思う。自分はあれからしばらくの間、もしかしたら今も、彼にまつわるものすべてに蓋をせずにはいられなかったのに。それで居て、そんな自分に自己嫌悪でどうしようもなくて――それなのにまだ向き合える、彼女の強さが素直に眩しい。
 それに比べて私は、と――そっと息を吐いた舞香の耳に、滑り込む言葉。『それにどこに居たって、彼が居るわけじゃないし、ね』と寂しそうな声色――それに、はっと息を呑む。

「マリアさん‥‥LHを離れて、本当に良かったんですか?」
『ふふ。良いのよ。それに何かあったら、舞香が教えてくれるんでしょう?』
「ええ。約束、ですから」

 しっかりと、強い声で頷いた。約束。彼を忘れるために離れた彼女が、それでもやっぱり気になるから、彼に何かあれば内緒で教えて欲しいと告げて差し出した小指に、小指を絡めたのだから。
 必ずと、呟いた舞香に『ありがと』と笑う声。そうして、後でメールするわね、と告げた彼女に頷き、通話を切る。
 涼香の眼差しが痛かった。自分でもきっと、馬鹿な事をしているのかもしれない、とは思ってる。それでも――彼女を見捨てられないのが自分の弱さで、そうして彼女に同情して自分の傷を癒したいだけなのだという事、も。
 マリアからのメールには、3枚ほどの写真が添付されていた。マリアの新居と、それから懐かしい、泣きたいほど懐かしい、彼の笑顔。
 彼女が、彼と翻訳の仕事で関わりがあるなんて――彼がそんな方面に興味があったなんて知らなかったけれども――何て偶然なんだろうと、写真を保存しながら、思った。





 今良い? と舞香から声をかけられて、アニー・シリングは鍛錬の手を止め、はい? と振り返った。

「毎日、熱心ね。大変じゃない?」
「そんな事ないですよ。身体を動かすのは気持ち良いです」

 額から零れる汗を拭いながら、アニーは笑ってそう答える。だが理由の一つには先日、銃で追い立てられて逃げ惑った、強制鬼ごっこを味わったせいもあったのだけれども。
 LHに来てから鍛錬を怠っていたつもりも、警戒を怠っていたつもりもない。それでもあの時は、良いように走らされた、という印象が強くて――次は同じ目には合わないようにと、いう気持ちもある。
 アニーが汗を拭きながら首をかしげて促すと、あのね、と舞香が少し言い難そうに眼差しを揺らした。

「次の休み、付き合ってくれない? 探したい本があるの」
「本‥‥?」
「えぇ。マリアさんがね、間違って古書店に売ってしまったんですって」

 そうして舞香が語ったことには、マリアが先日LHからドイツに帰るに当たり、滞在中に読み終えた本を古書店に売り払ったらしいのだが、その中にどうやら元恋人のサバーカから貰った本が入っていたようなのだ、という。ドイツに帰ってからそれに気付き、売った古書店に問い合わせたところ、すでに転売で別の古書店に回ってしまったのだとか。
 はぁ、とアニーは我ながら間の抜けた返事をした。LHの古書店を虱潰し? それはなかなか大変そうだ。
 そう言うと、ああ、と舞香は笑った。

「それは大丈夫なの。お店は解ってるわ。でも店主さんも、その本をどこに置いたか覚えてないらしくて、一緒に探して欲しいの――マリアさんも、アニーになら知られても良いって」
「‥‥ぇ?」
「あまり、知られたくないみたいなの。ほら、やっぱり事情が事情でしょう?」

 だから一緒に来てくれない? と笑う舞香に、はぁ、とまた曖昧な返事をする。どこか、違和感があった。けれどもどこに違和感を感じるのか、よく解らないのは勘が鈍っているのだろうか。
 解らないまま、アニーは次の休みにと約束する。それからふと、思い出して「舞香さん」と問いかけた。

「この間、うちの近所に居ませんでした?」
「――いいえ、行ってないわ」
「じゃあ、涼香さんと見間違えたのかな」
「え? 涼香が‥‥?」
「‥‥あの、涼香さんが今、泊まりに来てるって‥‥」
「‥‥! えぇ、そう、そうね。もしかしたら、涼香だったかもしれないわ‥‥」

 そう舞香は呟き、じゃあ次の休みに、と去っていった。それにまた違和感を覚え、首を捻りながらアニーは訓練を再開する。
 ――そういえば、舞香にうちの宿舎を教えた事、あったっけ?





『これが最後のチャンスだと思って』

 女から来た、そんな言葉から始まるメールに舌打ちした。自分がもう幾度もしくじってる自覚はある。
 だからメールを何度も読んで、ポイントを叩き込んだ。幸い、問題の古書店は見通しが良い。狙撃ポイントはすぐ探せそうだ。
 最後に腰の軍用ナイフの重みを確かめ、男は仮の我が家を後にした。

●参加者一覧

ロジー・ビィ(ga1031
24歳・♀・AA
東野 灯吾(ga4411
25歳・♂・PN
アンドレアス・ラーセン(ga6523
28歳・♂・ER
神撫(gb0167
27歳・♂・AA
遠倉 雨音(gb0338
24歳・♀・JG
セレスタ・レネンティア(gb1731
23歳・♀・AA
フェイス(gb2501
35歳・♂・SN
レオーネ・ジュニパー(gc7368
12歳・♀・ST

●リプレイ本文

 さて、と神撫(gb0167)は考え込んだ。次の休みに買い物でも、と誘った恋人に、先約がと言われたからではない。
 問題はその『先約』。どうも、彼女が自分の意思で動いていない時は、いつも襲撃を受けているような気がする。

(それに、買い戻すほど大事な本を間違って売っちゃうかな?)

 艶やかなマリアと、儚げな舞香を思い出す。店が解ってるなら、見つけたら連絡するよう頼めば良いだけではないかと言うと、アニーも訝しげに頷いていた。
 もしまたアニーが襲撃されれば、舞香も疑わねばなるまい。そう感じたのは遠倉 雨音(gb0338)も同じだった。

「お時間を頂いてすみません」
「大丈夫」

 喫茶店に現れた涼香に礼を言うと、彼女は笑って首を振った。アニーから話を聞いた雨音は、涼香と話してみたいと思ったのだ。
 舞香とは先に、話をした。詳しく聞きたいと言うと快く承知し、経緯やお店、本のタイトルを丁寧に教えてくれた――心から、何とか見つけてやりたいと願っているようだ。
 だが気にかかるのは相手がマリア、と言う点。そして――

「涼香さんはよく出かけるんですか?」
「舞香が仕事中は。それ以外は舞香と居るわ」

 雨音の言葉に、涼香が溜息を吐く。今の舞香は失恋した直後の、世界に絶望していた頃と同じに見えて。

「放っとくと何するか解らないから」
「そうですか‥‥じゃあ遠出などは」
「しないわ」

 せいぜい近所で買い物くらい、と言う涼香に、嘘を吐いている様子は見られない。差し支えなければと舞香の家の住所を確め、礼を言った。
 舞香の家は、アニーの宿舎とは本部を挟んで反対側だ。





「Hi、アニー! お待たせしまして?」

 ロジー・ビィ(ga1031)は手を挙げた。手を振り返すアニーや神撫、雨音、ぺこりと頭を下げた舞香に駆け寄る。
 古書店での探し物に、一緒にどうかと誘われ喜んでやって来た。が、気になるのはアニーが近所で姿を見たという、舞香か涼香の事だ――何故か、妙な胸騒ぎがする。
 その意味を考えながら少し待つと、アンドレアス・ラーセン(ga6523)が「わりぃ、遅れたか?」とやってきた。舞香が首を振ったのに、ほっと息をついたアスは、ぐるりとメンバーを見回し。
 小骨が引っかかってる感じがするんだよなァ、小さく呟いた。
 状況が見えないまま事態だけが動いている、不愉快な感覚。マリアの現住所を、詳しくは知らないと首を振ったのは真実だろうか。そも、彼女は本当にドイツに帰ったのか。
 考えていたら、東野 灯吾(ga4411)が小走りにやってきた。お久し振りっす、と頭を下げた彼に会釈して、件の古書店へと向かう。
 遊園地での1件は、灯吾も噂では聞いた。アニーに瓜二つのマリア、アニーを睨んでいたサバーカ、なぜかマリアが絡むと必死になる舞香――これで何もない、というのは嘘だろう。だが、三角関係のような感じでも、ない。
 古書店への道すがら、灯吾は積極的に、舞香へと話しかけてみた。

「ジョイランドの迷路にキメラが出た件、ULTでも対処してるんすかね?」

 反応を探りながら問いかけると、舞香は軽く目を伏せる。鏡の迷宮に本物のキメラが紛れ込んでいたのを、アトラクション側は偶然、と結論を出した。
 だが思えば以前、工事中のビルに猿キメラが出た時も、何者かが糸を引いて居た様にも思え。まさかLHに親バグアが潜入して密かに活動してるのでは、とすら思えてしまう。
 それに頷き、友人が幾度も危険に曝されているのは心配だ、と呟く舞香の表情をじっと観察しながら灯吾は明るく、何かまた依頼が出た時には宜しく、と言った。

「それにしても、舞香さんは優しいつーか‥‥マリアさんと仲良いんすね。アニーさんもマリアさんと親しいすか?」
「私はあまり‥‥」
「私達、似た者同士なんです」

 遮る様に言った舞香に、ちょっと釈然としない顔のアニーの頭をぽふりと撫でた、神撫がふと知り合いに気づく。小さな両腕に紙袋とトランクを抱えて歩くレオーネ・ジュニパー(gc7368)だ。
 同時に、彼女がこちらに気付き。

「アニーお姉さん達! ‥‥わわッ!?」
「ぁー‥‥ぶちまけたな」
「大丈夫でして?」

 駆け寄ってきた少女が、直後に盛大に転んだのを見て、アスとロジーが散らばった品を拾いながら声をかけた。が、ふと止まった2人に挟まれ、レオーネがきょとんとする。
 とまれ礼を言ってから、これは何の集まりだろうと首を傾げた。だが話を聞いて大きく頷く。

「ならうちも暇だし、手伝いますよ!」
「助かります」

 舞香が微笑み、そう言った。目的の古書店はもう、すぐそこだ。





 おや、と見知った姿に足を止めた。

「フェイスさん、こんにちは。こんな所で何を?」
「まぁ、色々と。こんなご時世ですから」

 セレスタ・レネンティア(gb1731)の言葉にフェイス(gb2501)は肩を竦める。逆に「そちらは?」と聞かれ、アニーの古書探しを手伝いに、と告げた。
 だが1度売った本を買い戻す、というのは何か、釈然としない。そうですね、と同意したフェイスは、自分はサバーカとマリアを調べるつもりなのだと、言った。全てを偶然で片付けるには、余りにも出来過ぎている。
 少し考え、セレスタは同行を申し出た。それはセレスタも気になっていた事であり――さらには先日疑問を感じた、襲撃者の行動もある。
 そう言うと、ウッディに聞いたんですが、とフェイスが言った。

「狙撃出来なくなった、『猟犬』という名の元スナイパーがいるそうですよ」
「――それは」

 思わず無言になるセレスタだ。それは『猟犬』がある時期から、狙撃ではなくナイフで仕事をする様になったが故の噂、なのだという。
 ならばまず、『猟犬』が彼女達の知る男と同一人物なのか、確かめて。そうして彼と繋がりを持つマリアや、マリアに共鳴する舞香が不審な動きをしていないか、調べて――
 フェイスの携帯にはサバーカと、アニーと舞香の写真があった。それを見せながら聞き回るのだ――マリアの足取りは、アニーの写真で代用し、説明する予定。
 解りました、とセレスタは頷き、まずはLHの出入りを探るべく動き出した。





 幸い古書店はあまり大きくなく、本棚もジャンル分けされていた。探す本は来るまでに、舞香に解る限り聞いている。
 だが。

「うっかり別の場所に入れたらしい、ですか」
「虱潰しですね‥‥!」

 雨音の言葉に、ぐっとレオーネが拳を握る。その一方でアスは、聞いたタイトルを検索しても、書籍以外の情報ばかりがヒットするのにげんなりして。
 とまれ古書店の中を手分けして、能力者達は一段一段、書架を見始めた。だが警戒は怠らず、これが杞憂であれば良いと願いながらレオーネもアニーに意識を払う。
 難しい事は解らないけれども、少なくともアニーの周りではおかしな事が起きているし、何より彼女の手助けをしたかった。だが同時に舞香の事も心配で、マリアはよく解らない。
 むぅ、と難しく眉を寄せて見上げた書棚に、手の中のメモと似たタイトルの背表紙を見つけた。辺りを見回したが、脚立や台はない。
 となれば。

「むむ‥‥ッ」
「これ?」

 何とか届かないか、爪先立ったり、息を止めたりしてぷるぷる格闘していたら、苦笑した神撫が取ってくれた。メモの文字と見比べ、また元に戻す――ドイツ語のタイトルは、見慣れなければ記号の様だ。
 少しして、雨音が用事があると店を出た。続けてロジーが、あたしもちょっとと声を上げ、アスと一緒に離脱する。
 出て行く背中を見届け、なおさら警戒が必要だとアニーの傍から離れない神撫に、舞香が眩しそうに目を細めた。やっと見つけた梯子によじ登る、レオーネをはらはら見上げていた灯吾がそれに、気付く。
 舞香さん、と声をかけた。

「ふられた恋人の思い出、とか。俺だったら、持ってても辛いし、どっかやっちゃう方が良いかもとか思うすよ」
「――私もそう、思います」

 それに舞香は綺麗な笑顔を浮かべ。あちらを探してきますねと踵を返した。





 神撫からの電話を切って、フェイスは携帯を懐に仕舞った。スナイパーならばどう狙いをつけるか、傾向などあればと聞かれたのだ。
 自分ならばどうするか――そう考えるフェイスの隣で、一緒に思いつくポイントを挙げていたセレスタが、役に立てば良いのですが、と呟く。果たして相手が今回も狙撃という手段を取るかが、掴めない。
 噂は本当なのか、同一人物なのか、そも何故アニーを狙うのか。

「気がかりですね」
「ええ。状況が揃い過ぎています」

 セレスタの言葉に、フェイスも頷く。聞き込みで、ここ直近の3人の足取りは僅かながら掴めていた。
 舞香は、涼香かも知れないが、半月ほど前に入島したのを目撃されている。サバーカは遊園地襲撃の前後、出入りしている所を見られている。マリアも同時期に出入りしていて、以降、出て行った所は誰も見ていない。
 ならばなぜ、マリアはドイツに帰ったと偽ったのか。舞香はその事実を知っているのか。

「古書店に向かった方が良さそうですね」

 胸騒ぎに、セレスタは知らず、街の方を振り返る。そうして2人が件の古書店へと動き始めた頃、ロジーとアスはアニーの宿舎の辺りで、ロジーのデジカメの画像を元に聞き込んでいた。
 最近の趣味で被写体を探していてと頼んだら、快く応じてくれた舞香の画像を見せると、いつもこの辺りを散歩しているという老人が「たまに来ているよ」と頷く。

「どんな様子でして?」
「誰かを訪ねとるみたいじゃったが。いつも軍の制服でな」

 いつも同じマンションで、様子を伺っては帰って行くのだとか。そうして、事件かね、と興味深そうな老人に礼を言い、アスと頷き合った。

「きっと舞香ですわね」
「だな。けど舞香嬢は何で嘘を吐いたんだ?」

 そう返してから、はたと気付いてお互い、少し目を逸らす。気まずいというか、困ったというか。
 これは調査だと、アスは己に言い聞かせる。だから浮ついた気持ちは控えるべきで――勿論、返事を先延ばしにして逃げている訳じゃなく。
 ぶん、と大きく頭を振って思考を切り替え、何故、と考える。アスも、ロジーもまた。
 何もないのなら偶然とか、友人の家が近くでとか言えば良い筈だ。そうしないのは、訪ねている相手か、もしくは訪問そのものをアニーには知られたくなかったのか。そも、教えた覚えのないアニーの家を、舞香が知っていたというのも疑問だ。
 老人の言っていたマンションのメールボックスは、殆ど無記名だった。舞香はここを確認し、どこかを見上げて帰るらしい。
 もう少し聞き回ろうかと歩き出しかけたロジーがふと、問いかけた。古書店を出る直前、アスはこっそりと店主と話していたが。

「何を聞いてましたの?」
「ああいう探し物って良くあるのか、ってな」

 舞香に聞かれないよう、尋ねた店主は年若い様だった。ひょいと肩を竦めて「ないよ。でも金さえ貰えれば構わないし」と笑っていて。
 少し考え、古書店へ戻ろうと告げた。何となく、あの店主はもうちょっと、締め上げた方が良い気がする。





 店中を見尽くしても、目的の本は見つからなかった。その様子を、実は店の外からこっそりと見守っていた雨音は、そっと辺りを見回す。
 来た時にも思ったが、やろうと思えばどこからでも狙撃出来る、そんな場所だ。対して古書店の店構えは酷く、見通しが良い。
 だが少なくとも店内に怪しい影が居ないだけマシだと、話す舞香とアニーを見ながら、灯吾は細く息を吐く。どうやら舞香は1人ででも、見つかるまで探したいらしい。
 出直した方が良いんじゃないかなと、思いながら背表紙に目を走らせる神撫の視界の隅に、ショーウィンドウを横切る影が見えた。警戒の眼差しを向けた、その瞬間。
 ――ガシャー‥‥ンッ!
 ガラスが、外側から砕け散る。店内から悲鳴が上がり、輝く破片が降り注いだ。続けざま、2発、3発と銃声が響く。

「アニーッ!」

 咄嗟に、破片から守るように神撫が抱き込む。同時に灯吾も、舞香の手を引き物陰へと引き込んだ。
 同時に雨音が武器を手に、割れたショーウィンドウから飛び込む。彼女の眼差しは、今まさに店内に入り込んだ男を見据えていた。
 黒い髪、グレーの瞳。長身で筋肉質の、頬に傷持つ男――手には軍用ナイフを持っている。

「サバーカ‥‥ッ!」
「‥‥ッ!」

 男は雨音の銃口を見、本棚の影に転がり込んだ。まだ銃声は続いている。
 こっちですッ、とレオーネが神撫と灯吾を呼ぶ。外から死角で、男からも十分に距離のある場所だ。ちらりと確め、各々腕の中の相手にそちらへ逃げる様に指示し、2人は男の転がり込んだ本棚へと慎重に近付いた。
 襲撃を警戒しながら覗き込むと、そこにはすでに誰も居ない。狙いをつけていた雨音が店内に視線を走らせた。
 本棚を伝って移動出来る距離は、けれども限られている。狙いがアニーならそちらに向かうはずだ。アニーと舞香を守る、レオーネの手に力が篭る。
 ジャリ、ガラスを踏む音がした。反射的にそちらを振り返れば、影だけが走るのが見える――銃撃は止んでいる。

「く‥‥ッ」
「行かせないっす‥‥!」

 神撫と灯吾が同時に動く。アニーが護身用の拳銃の安全装置を解除し、舞香が邪魔にならないよう身を低くする。
 じわり、緊張が高まった。店内で確かに動く気配に、神撫と灯吾、雨音は照準を合わせる。





 同じ頃、少し離れたビルの屋上に辿り着いたフェイスとセレスタは、投げ出されたスナイパーライフルと手袋を発見した。警戒しながら辺りを見回すと、隣のビルの屋上に佇む人影が見える。
 注視する2人に、気付いた人影が振り返り、微笑んだ。

「マリアさん‥‥」
「やはりLHに居ましたか‥‥」

 親しげにひらりと手を振り、背を向けた彼女の足取りは落ち着いていた。この状況で、彼女が『偶然』隣のビルに居た筈はない。だが彼女が射手だった証拠も、なく。
 携帯が鳴る。電話口の向こうで神撫が、サバーカを捕らえたと些か息の上がった口調で、告げた。





 謝礼は弾むから預かった本を適当な所で渡すよう頼まれたのだと、店主は言った。それは背表紙と装丁以外まったくの白紙で、最初から全てが茶番だったのだと証明している。
 舞香が呆然と、どうして、と呟いた。ちらりと見たサバーカが、だがすぐ眼差しを逸らす。
 彼は頑として口を開こうとしなかったが、ただ一言、何が目的かと尋ねたのには、こう応えた。

「牙の折れた犬はただの駄犬だ」

 とまれ男を駆けつけた官憲に引渡し、荒れた古書店を出て、アスは『友人』へと電話をかけた。

「よう。鼠捕りの話、訊きてぇんだけど」
「チーズが足りないかね」

 案外手こずる、と低い笑い声。1匹捕らえたと返すと、ほぅ、と面白そうな声が返った。

「功を焦ったか」
「寒い国の女の事、教えてやろうか」
「日本の、蛇に変じた姫の話を知っているかね?」

 そう、笑って男は通話を切った。実に面倒くさい男であった。