タイトル:恐怖の対象マスター:リラ

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/03/15 01:27

●オープニング本文


 その女性はひどく浮世離れしていた。
 出会った人々はそう口にし、そしてもう一つ彼女の特徴を付け加えた。
 スケッチブックと鉛筆を抱えた「画家」であることを。

●苦いもの抱き
 一体何処まで行けば終わりはやってくるのだろうか。いつになれば希望を持つことが出来るのだろうか。
 疑問は生まれ、肥大化し、そして霧散していく。それを考える時間はただ苦痛でしかなく、眠っているときさえも同じだった。うなされて目が覚め、一度起きてしまうと眠るのには苦労する。酷いときなどは頭を壁にぶつけて声にならない発狂を繰り返した。そうして暴れ疲れれば、少しは眠りやすくなる。
 明け方。思いのほか早く目を覚ました彼女は、ゆっくりと上体を起こした。さすがに慣れてきているものの、歩きづめの後はやはり疲労が抜け切れない。
 基本的に町から町までは交通機関を利用するが、そこから彼女の「目的地」までは十中八九、徒歩になる。場所とその状況によっては彼女を案内してくれる者もいるのだが、この退廃的になりがちな世の中、やはりまともな目的を持って同行してくれるわけではなく。そこで死んだ者たちの遺品を漁るならば、まだこちらに実害は及ばない。しかし生活に困窮しているのだろう、中には前払いで謝礼を払わせたうえに到着後、更に金品を要求する者もいた。強盗でしかないその行為に、彼女は為す術もなく従い。受け取ると直ぐに逃げてくれたため、幸いにも怪我を負わずに済んだが、その後しばらくの野宿の日々は思い出しただけで身震いする。眠っている間にまた窃盗にあったら、それともキメラに襲われたら。抵抗のしようもない、大きな不安は眠りの中でさえも彼女につきまとった。
 だが、だからこそ。彼女は一人で歩き、そして各地を渡り行くこともやめない。
 吐き出した息は白く、彼女は膝を抱えて震えを押し殺した。

●それだけの会話
 その日の昼時、露店の主である五十代半ばの男は不思議な雰囲気を放つ女性に出会った。目深に帽子を被り、長い髪を一つにまとめているその女性は常に伏し目がちでけして目を合わせることもなく、かといって何か言葉を口にするわけでもない。冷やかしにしては少々異質に思えて眉間に皺を寄せていると、彼女は持っていたスケッチブックを開き、鉛筆でささっと何かを書き始める。そして直ぐに書き終わると、それをこちらへ向けてきた。
 最近、キメラ討伐のあった場所はありますか?
 と綺麗だが少々癖のある文字が書かれている。それでようやく、もしかして声が出ないのだろうかと店主は思った。このご時世だ、バグアからの攻撃で家族や友人、恋人を亡くした者は極端な話ごまんといる。特にキメラなどは身近な脅威で、それだけに直接惨事を目の当たりにすることもあり、大抵の人間は何かしらの精神的な傷を負うものだ。無論、肉体に大怪我を負う者も多いが、この女性の場合は見たところそういったものがない。本当に声が出ないのなら精神的なものだろう。あるいは、様々な要因でもとより話すのが苦手なのかもしれないが。
 とにもかくにも、そういったことで偏見を持つほど店主も高尚ではない。しばしの洞察も終えると、酒場で友人たちと交わす噂話の類を思い出していく。
「そう言えば‥‥あそこの山の麓にでかい虎みたいなキメラが出るって聞いたな。確か三日くらい前に、能力者が呼ばれて退治しに行ったらしい」
 同じ酒場で祝杯をあげている連中がそうだったのだろう、と記憶を辿って思う。羽目を外し、大声で倒したときのことを実演していたはずだ。能力者と言えばある種人類を超えた存在だ、そんな者でも子供のように騒ぐのかと、腹が立つよりも目を丸くした。
 指で指し示して言う店主に、女性がスケッチブックを畳み、小さく頭を下げる。
「しかし、それを聞いてどうするつもりだい? あんた、能力者ってわけでもないんだろ?」
 問いかけ。去ろうとしていた女性は足を止め、振り返った。肯定とも否定とも取れない様子で再び近付いてくると、置いてあった少々育ちの悪い林檎を手に取り、代わりにコインを手渡してきた。もう一度、今度は深めに頭を下げてまた歩き出す。
 しばし呆然とした後、店主は自分の掌に視線を落として驚き、慌てて身を乗り出した。
「ちょっと! お釣りお釣り!」
 映画か何かほど余分ではないものの、渡された金額は幾らか大きい。しかしぐるりと回って道側に出、周囲を見回してももうその姿は見つからなかった。

 その一日後、知り合いに山の方角へ向かって歩いていく女性を見たと聞いた店主は捜索依頼を出した。何もキメラが全て退治されたとは限らないし、万一彼女が能力者だったとしても一人で対処出来るとは思えない。無論、そのまま違う町に向かったと言う可能性もあるが、それはそれで知りたかった。答えたことへの罪悪感もあるが、それ以上に彼女のことが気になって仕方がなかったのだ。スケッチブックを畳むときにちらっと見えた、何かの死骸のような絵が胸の奥で引っかかっていて。

●参加者一覧

小川 有栖(ga0512
14歳・♀・ST
ネイス・フレアレト(ga3203
26歳・♂・GP
NAMELESS(ga3204
18歳・♂・FT
シェリー・ローズ(ga3501
21歳・♀・HA
坂崎正悟(ga4498
29歳・♂・SN
ラルス・フェルセン(ga5133
30歳・♂・PN

●リプレイ本文

●伸ばすための腕
 地鳴りのように、何かが振動する音が耳をかすめる。そこは、多くの登山者さえも拒むような怜悧さを孕み、どちらかと言えば緑も少ない「涸れた」山だった。キメラの討伐依頼が出たのだ、何らかの理由で通りかかる者もいないわけではないのだろうが。被害者が声高に訴えたのか、あるいは能力者が来て退治していったという話が広がったのか。注意を勧告するような立て札等もなく、その場所は当たり前に在った。
 別段標高が高いわけでもなく、人々に取り沙汰されることもないであろうその山の麓に彼ら‥‥露店主の依頼を受け、画家の女性を探しに来た能力者たちが辿り着いたのは真昼に差し掛かるかなり前のことだった。
「それではー、ここからは二手に分かれましょうか〜」
 と、軽く手を上げて言うのはラルス・フェルセン(ga5133)だ。
 山の麓と一口に言っても、範囲は広く道のりは長い。山頂まで向かうほど心身にかかる負担や準備は大きくないが、下手をすれば上を目指すよりも時間がかかりそうだ。また、女性の保護が目的であることと本部で先日あった討伐の報告書に目を通して、少々広範囲ではあるがキメラの出没しそうなポイントに目をつけていることもある。作戦としては両翼に分かれ、戦闘時のリスクは連携でカバーしながら捜索を優先する形だ。そうしてすれ違ったり見逃してしまう可能性を減らしながら進めば、大幅な時間の短縮にもなる。
「‥‥これで大丈夫だな」
 ざっと装備や発見時、戦闘時の対応について最終確認を終えると、坂崎正悟(ga4498)が言って息を吐き出した。実質的にはここからが本番だ。素早さ、正確さ、痕跡を逃さない確かな目。あるいは運。それらが結びつき合って、最後にようやく結果が実る。
 正悟とラルスは右側へ、他の三人は左側へ。硬い足音が重なりながら離れていく。
 一体、件の彼女が何をその目で見つめて、何を恐れているのか。キメラの死骸を描いて旅をしているらしいとの情報から幾らかの推測はつこう。しかしそれが当たっているかは本人に聞かなければ解らない。そして正悟は真実を「知りたい」と思った。かつて自分が見つめていたものをもしかしたら、彼女も今見つめているかもしれないから。

●暗雲と胸の闇
 左からぐるりと回って目的地へ向かう三人のうち、後方を歩いていた小川 有栖(ga0512)はぴりぴりと針の刺すような雰囲気を感じ、視線を進行方向へ戻した。ある程度緊急性のある依頼には、自然と周囲に生じる緊張感もある。しかしそれだけではない。彼女の視線の先にいるシェリー・ローズ(ga3501)。彼女からも少々異質な様子が感じ取れたのだ。もっとも交友のある有栖だから違和感を感じるもので、他の者にはただ馴れ合いを拒み、寄せ付けない雰囲気を放っているとしか思えないだろう。輪を乱す行動はしないが、高飛車な言動の目立つ彼女だ。むしろ似合ってさえいる。有栖は普段とは何処か違うシェリーに心配そうな目を向けながら、
「『彼女』が無事だといいですね。早く見つけてあげましょう」
 と前を行く二人に話しかけた。ただ純粋に件の女性を救いたいと依頼を引き受けたネイス・フレアレト(ga3203)は笑みを刻んで頷こうとしたが、それよりも早くシェリーが振り返り、呆れ顔を見せた。そのまま歩調を落とし、隣に並ぶ。
「相変わらず甘いねぇ、仔猫ちゃんは」
 溜め息の後に吐き出されるその声にはやはりの呆れと、それとは違う苦いものが含まれていた。
「無茶と無謀は違うんだよ。そんなことも解らない奴が、真っ先に死んじまうのさ」
 まるで重く見えない枷を身体につけられたように、声には疲労さえ滲んでいた。しかしそれは肉体的なものではない。彼女の歩みはしっかりとしていて、むしろ小柄な有栖に合わせているためネイスと共に余裕も充分に見えている。
 隣を歩くシェリーの何処か哀しげな表情に、
(「シェリーさんも、過去に何かあったのでしょうか‥‥」)
 と神妙な面持ちで気にする有栖だが、ふとまた彼女に視線を向けたシェリーはその「らしくない」表情も一転、朱唇を吊り上げたかと思えばいきなり、ふっと吹き出した。
「シェリーさん?」
 小首を傾げ、不思議そうな有栖に彼女は手振りで謝ってみせ。直ぐに息を整えると、こう付け足した。
「ただし、バグアに擦り寄る者は許さないけどね」
 意味ありげな呟き。後に待った幾らかの沈黙を超え、何気なく頭上に目をやったネイスはぽつりと零した。
「‥‥雨が降りそうですねぇ」
 その長い三つ編みを揺らす風が冷たい。少しずつ黒雲が近付き始めていた。

●広がるのは赤と力
 人影を視界に認めたのは合流後、再度別れての捜索を行なっていたときだった。しかし同時にキメラの姿を認め、一気に緊張が走る。
「この姿はあまり、人には見られたくないのですがねぇ‥‥」
 零すと同時、その髪と瞳が真紅に染まった。目配せするその眼は心なし鋭く、息を吸うと真っ直ぐ彼女に向かっていく。出来る限りキメラから遠ざけるために。
 触れたその肩がびくりとはねるのを見て、ネイスは悲しげな微笑を浮かべた。彼が覚醒する瞬間を、遠目にだが彼女は見ていたはず。また彼女を危険から遠ざけるためとはいえ、瞬間移動に等しい速度で接近していったのだ。驚き、戸惑うのも無理のない話だろう。
 しかし戦闘時はわずかな逡巡も命取りになりかねない。今度は安心させるように微笑みを見せ、直ぐさま身を翻した。今は別の方向を探している二人も、戦闘に巻き込まれていなければ直ぐに合流するだろう。
 戦闘態勢に移る三人の背を、彼女は震えながら見つめていた。

●慟哭を超えた想い
 小雨が零れ落ちては地面に広がった薄い海に飲まれ、居場所を分からなくさせる。声も音も消し、閉ざしてしまうものではなかった。しかし少しだけ脳裏に触れ、何とはなしにその存在を意識させる。そんな雨だった。
「山の天気は変わりやすい、か‥‥」
 ぽつりと正悟が呟き、視線を遠く広がる空へと向ける。雲は黒く空を覆い尽くそうとしているが、幸いにも全体的に薄く、降りが激しくなる気配もなかった。合流し戦闘を終えた後の、休憩を兼ねた雨宿り。
 想定していたよりは街に近いものの、やはり移動には時間を要する。帰るだけにしても体力の見劣りが否めない彼女を連れての雨中の移動は、出来る限り避けたいところだ。また、僅かな可能性とはいえキメラに襲われる可能性もある。下手に彼女を庇いながら歩くよりは身を潜めて少しでも好条件になるのを待ったほうが得策だろう。道中は元よりやや湿地となっていて、移動の厄介さではあまり変わらない。
「もしかして私たちが恐いですか?」
 不意に問われ、有栖に渡されたリンゴジュースを持った画家は露骨なまでに震えた。負った傷は既に治療されている。
「この力‥‥キメラとの境はどこでしょうね〜。貴女を護るか襲うか‥‥それだけの違いかもしれません」
 彼女は俯いた。視線を落とせば、帽子のお陰で表情は窺い知れないだろう。暗い視界に大切なものが映る。
「貴女のその絵はー、力に倒された弱者への弔いでしょうか〜?」
 キメラも命には違いないと。付け足した彼を思わず見返す。そしてラルスの指摘に、彼女はしばし考え込むように視線を彷徨わせた。やがてその手は落ちている小さな石に伸び、足下の砂地に押し付けられた。そうして書かれる文字は、鉛筆でスケッチブックに書くものと違って幼い印象を与えてくる。考えずに動く指が、拙い言葉を紡ぎ始めた。
 強者と弱者。力で決め、奪われる命。そこに生じる理不尽と現実への絶望。
 痛み。諦め。恐怖。闇を想起させる言葉ばかりが、何度も綴られては撫でて掻き消されていく。
 ラルスの指摘は正解であり、外れでもある。絵は力によって奪われた命への弔い、という部分で彼の推測は大きく重なる。そして能力者に対する恐怖も否定は出来ない。力を持たない彼女には一矢報いることもできない相手だ、それを目の当たりにすれば本能的に身も心も萎縮するのは当然と言える。しかし少なくない数の直接能力者と接する機会のない一般人が、自分たちに害を為している異星人を倒す特別な存在として半ば偶像的に崇拝していることを考えれば、かなり異質な存在には違いないだろうが。
 しかし彼女自身、誰かを護ることの出来る「強さ」と己のためだけに行使される「強さ」の区別はつけているつもりだ。少し前、親切の仮面を被って金品を要求した男の動機が、誰か大切な者を養うためだったのか、それとも我欲を満たすためだったのか、悟れるだけの経験はしてこなかったし、むしろ極力他人との接触を避け続けてきたが。その胸には確かに強者と化す他人への、異常なまでの恐怖がある。だが今目の前にいる、傷を負ってまで他人を助けられる彼らを理性で拒絶しない。拒絶は形は違えど彼女の嫌う行為であり、最奥に積もったものを吐き出すのは、ずっと心の何処かで求めてきたことでもあったから。
 またシェリーの「親バグア派ではないか」という疑念に対しても微妙なラインではある。作られた存在で人々を傷つけるがキメラは一つの目的を果たそうとする。それは自然界に生きる動物の本能と重なる。脇道に逸れて我欲に溺れる人間を嫌う彼女にとってその姿は羨ましく、人間とは違う意味での犠牲に思えてならない。だが人々を傷つけるバグアはやはり、様々な意味で「悪」だ。
 そう自分の言葉で綴り、彼女は息を吐いた。
「後はそうですねー、貴女を心配していた露店主の善意、とか〜? 見ず知らずの他人のためにー、裕福ではないはずの懐を痛められる彼の存在はー、大切なものだと思いますよ〜」
 再び向けられた微笑に目を丸くし。やがてその男の顔が思い浮かんだのだろう。肩を落として小さく頷いた。
 幻影のような恐怖に囚われたと言える彼女の生き方だが、反面でまだ全てを見失ったわけでもないようだ。それが幸か不幸かは、ラルスにも他の仲間にも判断のつくことではなかったが。
 それでもやはり、露店主のような存在は彼女や誰かの救いになるのだろう。性善説のように極端なものではないが人間も悪いだけではないと、そう思うことが出来る。
(「能力者はいつまでー、そんな『人』でいられるんでしょうね〜」)
 ラルス自身、先程も口にしたことだが。能力者の強さ、多くの場合言動や外見を変化させる覚醒。それらは一般人だけでなく能力者本人にとっても時に「恐怖の対象」へ化ける可能性を潜ませている。力に怯える者、力に溺れる者。何かしらの原因で自己が失われれば「救世主」が「死神」にすり替わることもあるだろう。
「とにかく絵を描き続けるにしてもー、『生きるよう』注意してください〜。生きてこそ見えるものも多いですから〜」
 再度彼女が頷く。ラルスとの話を終えて、次に口を開いたのは正悟だ。
「絵を見せてもらってもいいか?」
 頷くのを確認し、彼は受け取ったスケッチブックをめくり始めた。彼女の眼に映る物、彼女が描く物への純粋な興味もある。目を落とせば、モノトーンのスケッチが並ぶ。隅に書かれた日付を見るともう約一年描き続けているようだ。それは丁度、能力者の存在が知られた少し後の事。
 一つ一つに目を通し、思う。かつて戦場を映していた自分と何処か重なる部分があると。ならば一体何が出来るだろうか。話を聞くこと。話をすること。それに尽きるのかもしれない。いや、それともう一つ。
 正悟はやがて口を開いた。その手に、愛用のカメラを持って。

●いつか晴れるように
 雨宿りの中、話を始めてからおよそ数十分後。その暗い空に目を向けていた彼女に、シェリーが頼みごとを口にした。意表を突くその内容を耳にして戸惑いながら、
『もう何年も人を描いていません。上手く描けるかどうか』
「ああもう、御託はいいよ! アンタから金は受け取らない、礼の代わりにアンタは絵を描く!」
 と、また地面に文章を書いているところでシェリーに遮られ、その顔を見上げる。一瞬照れたように顔を背けたものの、直ぐに彼女は気を取り直して咳払いをした。
「‥‥ただし、アタシを不細工に描いたら許さないからね」
 真剣な眼差しでそう言うと返答も待たずに顔を背け、座っていた場所へ戻っていく。尚も視線を向ければじっと見返され、驚きと不安を隠せないまま描き慣れたスケッチブックに視界の行方を定める。慣れた手触りと見てきた表情、聞いてきた言葉。それらが彼女の思考の中で重なり合い、自然と手が鉛筆へと伸ばされる。
 やがて描かれたのは、何枚もの写実的な絵だった。全体から滲む雰囲気は薄暗く、華やかとは言いがたい。だが繊細でそれぞれの特徴を引き立てるようなタッチが幾重にも重ねられたそれは、確かに心得のある者の絵だ。
 絵を受け取ったシェリーはしばし見つめて、ぽつりと呟いた。
「‥‥感謝するよ」
 見ず知らずの相手と共に過ごす時間はやはり少し息苦しさを感じさせる。しかし思ってみれば礼を言う機会は多いが、逆に礼を言われたのは久しぶりのことだ。あの街へ戻ったらまた、あの心優しき男に礼を言うのだろう。
「‥‥‥‥」
 音もなく、その口許が緩んだ。かすかで注視していなければ分からないそれに、気付いた者はいたか。彼らの想いや境遇など意に介さず、ぱちりぱちりとただ薪の焼ける音が響き。絵を見ている彼らに視線を向け、口許のそれをしまいこんだ。
 いつの間にか降り続いた雨が嘘のように、からりと晴れやかな空が広がっている。

 更に数時間後、無事街まで送り届けられた画家の女性は五人を前に、深々と頭を下げた。疲労もそのままだが、その足で捜索を依頼してきた露店主に会いに行くそうだ。腕に抱えたスケッチブック、その中にある彼らの書いた地図と己の記憶を頼りに、一歩ずつ歩いていく。
「彼女、大丈夫でしょうか‥‥」
「どうでしょうね〜」
 心配そうに背中を見送る有栖に、ラルスも彼女の歩いていくほうを見つめながら呟いた。人混みに行く彼女の姿は、やがて紛れて判らなくなる。余程印象が変わっていない限り顔を合わせれば直ぐに判るだろうが、例えばこんな街中ですれ違ったとき気付けるだろうか。能力者ではあれど神ではない彼らだ、未来のことなど想像は出来ても、決定出来ないのが道理。
 だが、それで今回の出会いが無かったことになりはしない。そして「言葉」を交わしあったことは彼女の行き先を信じられる、ほんのわずかだが確かな事実だ。
「‥‥それでは、帰りましょうか」
 言って皆のほうに振り返るネイスの髪や肌が暮れていく太陽の色に染め上げられる。彼女について話せること、話したいことはまだ誰かの胸にあるかもしれない。しかしまずは帰るところへ。能力者であり傭兵でもある限り、機会はいつでもその場所にあるのだから。
 誰からともなく笑いあって、彼らもまた別の道を歩き出した。