タイトル:【Gem】Garden of Edenマスター:佐伯ますみ

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 6 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/08/30 23:50

●オープニング本文


 歳をとる‥‥僕だけが、ひとり‥‥。

「僕、いくつになったんだっけ?」
 鏡に問いかける。
「僕達、いくつになったんだっけ?」
 もう一度。
 時を止めた心。時が止まったままの鏡。
 それでも誕生日は容赦なく訪れる。今年の誕生日からもう半年が過ぎた。今年は何をして過ごしていたっけ?
 わかることは、ひとつ。
 僕だけが、歳を取ってしまったということ。
 鏡の中の「ぼく」。
「あの日」のまま、時を止めたぼく。
 ねえ、僕は今‥‥一体、いくつなの?
 快調、全快というわけではないけれど、「あの日」より、遥かに体は軽い。「あの日」、この体だったならば、僕はぼくを喪わずに済んだのだろうか。
 喪う?
 誰を?
 ぼくは、そこにいる。
 今も、そこにいる。
 たとえ、僕にしかぼくが見えなくても。
 ずっと――いっしょにいる。
 いっしょにかえるんだ。
 僕たちの、ふたりだけの時間に。
 そして、僕たちだけの家をもらって、ずっと、ずっと、笑って、生きて。
 そこはきっと、僕たちだけの楽園になる。
 ――ほかにはなにもいらない。
 ほかには、だれもいらない。
 そう、だれも――。



 ――恐らく、ジェミニに関する資料を送りつけてきたのは、彼等の「父親」であるヴィリオ・ユーティライネンだろう。
 アフリカから戻ったジェフは、バイクで一本道を走りながらつらつらと考える。しかし、だとすればなぜ匿名で送りつけてきたのか。少し考えればわかるようなことだというのに、名を伏せる理由。
「‥‥まあ、俺には関係ないことか」
 考えても仕方がない。もうすぐ、修道院だ。
 アフリカに行っている間、シスター・ヘレナから何度も留守電が入っていた。「イーノスのことでお話があります」と、メッセージはただそれだけ。恐らくは、ヘレナのところにも何らかの連絡が入っているのだろう。
 アフリカでは、イーノスにこそ会えなかったが、貴重な話を聞くことはできた。ジェミニと全く関与のなかった自分が、まずは一歩を踏み出すことができたと言っても過言ではない。
 やがて、修道院が見えてきた。
 その修道院は街の喧噪から離れた緩やかな丘の上、森への入口を守るかのように佇んでいる。
 正確な築年数は知らないがかなり古さを感じる建物で、隣には孤児院が併設され、森や丘を庭代わりにして子供達が駆け回る姿が目に入る。
 いつ来ても変わらない光景、変わらない空気。
 そこに少しの安堵を覚え、ジェフはバイクを停めた。
 ノックすらせずに裏口を開ける。今日ここに来るという連絡はしておいたから、すぐに他のシスターによって扉が開けられた。
「ヘレナは?」
「奥に。‥‥先日、軍の人が来たの。話を聞いたけど、イーノスが現れたなんて有り得ないわ。だって彼は」
「‥‥しっ、ヘレナに聞こえる」
 ジェフが制すると、シスターは慌てて口を噤んだ。
 そして奥の扉をゆるりと開けると、中には盲目の女性がゆったりとソファに腰掛けて待っていた。
「ヘレナ、久しぶり」
「お待ちしておりました、ジェフリート様。実は」
 ヘレナは挨拶もそこそこに杖をついて立ち上がると、声と気配を頼りにジェフに駆け寄っていく。ジェフはそれをそっと受け止め、穏やかな声をヘレナに聞かせた。
「言わなくてもわかる。イーノスが現れたと‥‥聞かされたんだろう?」
「はい」
 ジェフの言葉にヘレナは声を震わせる。
 彼女が聞かされているのはイーノスがジェミニと共にいるということと、ジェフがそれを追うことになったことだけらしい。それ以外のことは聞かされていないようだ。
「ジェミニって‥‥一体、何なのですか‥‥?」
 ジェミニはおろか、ゾディアックさえ知らない、普通の女性。そんなヘレナにジェミニのことを話すわけにはいかない。
 ジェフは「バグアらしい」とだけ答えた。
「‥‥あなたが追うのですね」
 それだけがせめてもの救いだと言わんばかりの、彼女の表情。しかしその表情はすぐに曇ってしまう。
「あの、実は‥‥もうひとつ、イーノスのことでお話が」
「‥‥え? なにか、あったのか‥‥?」
 ジェフが怪訝そうに問うと、ヘレナはひとつ深呼吸をして、話し始めた。
 それは、以前ジェフが関わった事件についてだ。
 一年近く前のことになるが、近隣の孤児院の子供達が第三者である誰かの手によって行方不明になる事件があった。ジェフと傭兵達によって解決し、子供達も救出されているが、イーノスが関わっていた可能性が濃厚な事件だった。
 今になって、その子供達の周辺で再び不穏な動きがあるのだという。
「ぼくは、どこ‥‥って、金髪の少年が窓から部屋を覗いていくのだそうです。それは決まって深夜のことで‥‥。特に被害はないのですが、毎晩一部屋ずつ覗いていき‥‥もうすぐ、かつて連れ去られた三人の部屋に到達するそうなのです」
「金髪の、少年」
 ジェフは息を呑む。
 写真でしか知らない。資料でしか知らない。その存在が、近くにいる――。
「院では、正式にULTへと調査依頼を出すと言っていました。‥‥どうか、どうかその依頼をあなたが受けてくださいませんか。他の誰かが受ける前に、あなたが‥‥」
 ヘレナは必死に懇願する。恐らくは、金髪の少年がジェミニだと直感で悟っているのだろう。ジェフは「もちろんだ」と頷き、ヘレナを宥める。
 もし、本当にジェミニなら。そしてイーノスが関わっているなら。
 かつてイーノスは、なぜ子供達を連れ去ったのか。その理由がわかるかもしれない。そしてそれは、ほぼ確実にジェミニに関することなのだろう。
 自分が知らなかっただけで、既にあのときから――ジェミニの気配は自分の側にあったのか。
 連れ去られた三人の子供達。
 彼等が連れ去られなければならなかった理由、原因、共通点――そういったものも、あるのかもしれない。
 そこから、何かが見えて来るのではないか。
 イーノスの狙い。ジェミニの願望‥‥それとも、切望。
 そして、それらを調べた上で、子供達とジェミニを接触させないようにしなければ。
 孤児院周辺で戦闘をするわけにはいかない。相手はゾディアック――確かあの孤児院は住宅街にあり、あそこで戦闘をすれば被害は拡大する。
 決して子供達と接触させず、もし自分達が接触したならば戦闘にならないように追い返すしかないだろう。
 ――ジェミニが誰かと戦う意思はないだろう。まだ、今は。
 そうでなければ、もっと別の手段で子供達と接触を図るはず。
 戦闘に向かない状況をセッティングしているとしか思えない。
 そして、セッティングをしているのは――イーノス。彼に、違いない。
「ジェミニだけか、イーノスだけか、それとも双方か」
 どちらかに会えることだけは、間違いなさそうだった。

●参加者一覧

新居・やすかず(ga1891
19歳・♂・JG
UNKNOWN(ga4276
35歳・♂・ER
鐘依 透(ga6282
22歳・♂・PN
九条院つばめ(ga6530
16歳・♀・AA
ユウ・ターナー(gc2715
12歳・♀・JG
黒羽 拓海(gc7335
20歳・♂・PN

●リプレイ本文

 一同が通されたのは、孤児院のレクリエーションルーム。
 ここで職員や子供達を待つ。その間に皆は警護準備を進めていた。
 この孤児院はイーノスが育った孤児院とは姉妹園だ。距離も離れていないから、頻繁に行き来がある。ジェフリート・レスターによれば、イーノスもよくここに来ていたらしい。
「アフリカに続いて、か。今回の件で、また何か見えて来ることを願おう」
 そう言うのは、皆より遅れて部屋に来た黒羽 拓海(gc7335)。彼は先に孤児院の中を見て回っていたのだ。その様子を皆に告げるべく、孤児院の見取り図を広げる。
「過去、子供達は自分で窓から出ていったとしか思えないらしい」
 見取り図には子供達の部屋と、子供達を匿う職員の部屋、そして侵入経路となりそうなポイントに印がつけられている。
「該当の少年達のいる部屋はここ、ユカが覗くとすれば‥‥今日」
 拓海が居室に丸をつける。
「じゃあ、今日は次の日に覗く部屋の子供と入れ替えてもらって‥‥明日、職員の部屋に移ってもらえばいいですね」
 新居・やすかず(ga1891)が頷く。
 どのように警戒をし、子供達を守るか。皆は見取り図の隅々まで確認する。
「孤児院だからかなぁ、みんなが動きやすい造りになってるみたい。何かあった時に逃げやすいっていうか」
 ユウ・ターナー(gc2715)が「ほら」と指さしたのは、全室に繋がるベランダ。
「ユカが逃げるのも容易そうですね」
 鐘依 透(ga6282)が印をつける。
「孤児院や周辺に被害が出る事態だけは、絶対に回避しましょう。先走った行動も取らないように‥‥」
 九条院つばめ(ga6530)が言う。皆は頷き、無線からは外で待機しているUNKNOWN(ga4276)の『了解』という声。
 その時、院長が職員や子供達を連れて部屋に来た。その中に対象となる三人もいる。
 そして皆はそれぞれに名乗り、子供達との交流や職員への聞き込みを始めた。
 名前や血縁、人種、双子の可能性や、兄弟の有無。性格などの客観的な評価や、入所の経緯、境遇、親との関係――そして、エミタ適性。
「色々訊いてしまって‥‥申し訳ありません」
 透が頭を下げる。職員は笑顔で首を振った。
「必要な情報はいくらでも提供いたします。子供達のためですから」
 そして、雑談混じりに情報を提供していく。
 まず三人の名を聞き、誰もが頷いた。容易に出身国が予想できてしまう。そう――明らかに、フィンランド。
 職員の話によれば、子供達の両親はフィンランド国籍だという。この孤児院の院長自身がフィンランドの出身で、故国の孤児を引き取ることがあるらしい。
「‥‥それから、彼等には双子の兄弟がいました」
 いました――過去形。
 何らかの理由で、両親と兄弟を失った子供達。彼等は片割れを失ったことで、激しい情緒不安定に陥っていたという。フィンランドから引き取っている子供は、皆そういう境遇だ。
「私自身が‥‥バグアの襲撃で双子の弟を亡くしました。その時の喪失感は筆舌に尽くしがたい。ですから、同じような環境の子供をケアしたいと考えたのです」
 院長は静かに語る。
「イーノスのいた修道院の孤児院も‥‥同じような境遇の子を引き取っていました。もっとも、この国の子供が主でしたが。確かイーノスも双子でした」
「‥‥え?」
 思わず声を上げるジェフ。初耳だと呟く。
「子供達は誰もが優しくて思いやりのある子です。ここに来た時は絶望に落ちていましたが‥‥ゆっくりと、立ち直りました。傭兵になりたいと言っている子もいます。自分が助けてもらったことが大きかったのでしょう」
「それは、つまり」
 職員の言葉に、誰もが息を呑む。
「彼等には、エミタ適性が認められています」
 ただ、双子揃ってなのかどうかは、片割れが死亡しているためわからないが――。
 双子――ジェミニ。
 室内を覗いて回る、ユカ。
 そしてイーノスとの関わりのある孤児院で以前攫われた子供たち。
「彼等の目的は一体‥‥?」
 つばめが思わず言葉を漏らす。
「‥‥イーノスは、双子座の欠けた部分を他のもので補おうと、ミカの代わりをあてがおうとしているのでしょうか?」
 そう言うのは、やすかず。
「ミカの死を乗り越えさせるため、ミカとユカは違う人間であると言うことを認識させるため、とも考えられなくはありませんが」
 果たして、前者か後者か――。

 大人達の話が一段落するのを見計らい、子供達が駆け寄ってきた。
「明後日までいるんでしょ? ご飯とか一緒に食べよう。傭兵のお仕事のこと聞かせてほしいな」
 少年のひとりが皆に笑いかける。
「ね、その髪、どれくらい時間かけて伸ばしたの?」
 別の少年がつばめとユウに問う。この孤児院にここまで長い髪の女の子はいないらしい。
 子供達は皆を兄姉のように慕って話しかける。どうやら窮屈な思いはしていなさそうだ。少しの触れ合いの後、自然と彼等への聞き取りに入ることができた。
 彼等は兄弟のことを覚えている。職員達から聞かされた話とほぼ同じことを、子供なりの言葉で語ってくれた。だが、連れ去られた時のことはやはり覚えていないという。
 金髪の子供がひとりいるだけで、容姿や体格、仕草などには目立つ共通点はない。だが、一緒に遊んでいた透が言う。
「相手に合わせるのが、上手ですね」
 子供達は、相手にうまく合わせて行動する。相手を不快にさせないような気遣いとは違う。相手を、無意識のうちに真似るのだ。
「‥‥あ‥‥」
 恋人の言葉に、ハッとするつばめ。相手と合わせるという行動で思い出すのは、かつて対峙したイーノスの行動――。
 その時、少年がつばめの袖を引っ張った。ちょうど、家族の話――それも、双子の弟の――を聞かされていたところだったのだ。
「お話、続けていいかな? 僕、弟が死んじゃった時‥‥捜したんだよ。毎日‥‥毎日。‥‥『ぼくは、どこ』‥‥って。捜したんだ」
 その言葉に誰もが悟る。
 この子達は、紛れもなく「双子」なのだと――。

「ねぇ、ジェフおにーちゃん」
「ん?」
 双眼鏡で孤児院周辺のチェックを始めたユウは、ジェフに問う。
「ジェフおにーちゃんのことや、ヘレナさんのこと、孤児院のこと‥‥イーノスは覚えているのかな」
 イーノスは既に記憶のない強化人間であったり、ヨリシロであったりする可能性もある。ジェフはふわりと笑む。
「‥‥俺のことなら、わかるだろうな。イーノスと名乗っているなら」
 ユウはジェフの返答に一瞬だけ違和感を抱き、首を傾げた。しかしジェフは笑みを浮かべたまま、ユウの双眼鏡を借りて周囲を見渡した。

「さて、何が出てくるのかな? 見させて貰おう、か」
 UNKNOWNは薄闇の中、行動を開始する。無線で皆に「外から注意する」と告げ、隠密潜行と探査の眼を発動する。
 子供達を連れ去った時の痕跡はないか。経路になりそうな点はないか。施設周囲を散策しながら、視線を走らせる。
「何も、なさそうだね」
 では、建屋はどうか――監視できる点はないだろうか。
 周囲の建築物は背の低い住宅ばかりで、監視に向くものはない。
「では‥‥どこ、から」
 煙草に火を点ける。イーノスは、どこから子供達を見ていた。ユカはどこから現れる。立ち上る紫煙の行き先を、目で追った。
「‥‥ふむ」
 だとしたら、誰の目にも留まらないだろう。それにしては大胆な――そして、方法は。
 煙草を携帯灰皿に押しつけ、UNKNOWNは施設の隅にある樹木に登った。ここからなら周囲がよく見渡せる。
 光反射に気をつけながら、双眼鏡で一同が集まっている部屋と子供達を確認する。
「――そういえば、ジェミニが攫われたのはいくつの時だったか?」
 あの子供達よりは、上だったと思うが――なぜ、あの年頃の子供達を狙うのか。

 夜の帳が下り、消灯の時間を迎えた。子供達は既に眠りにつき施設は静かだ。
 誰もが息を呑み、時間が過ぎるのを待つ。
 問題の時刻――ひたひたと、ベランダを誰かが歩く音。
 足音が止まるのは、順番通りの部屋。
 そして。

 ――ぼくは、どこ‥‥?

 その少年は、紛れもなくユカ・ユーティライネンだった。


 ユカは静かに現れ、そして静かに消えていった。消えたあと、UNKNOWNが無線で告げる。
『突然、ベランダに現れたよ。そして‥‥消えた』
 外から見ていた彼の言葉に、誰もが眉を寄せる。
「見間違いということはない、ですね?」
 ジェフが問うと、UNKNOWNは即答。
『ない、ね。夜とは言え視界も良好。ただ、今日は新月の前日で少し暗いがね』
 その報告に、皆がハッとする。
「新月‥‥、空――!」
 もし、空から来るのであれば、それはどのような手段なのだろう。
 ファームライドの光学迷彩か、巨大な鳥形キメラか、それとも全く別の方法か――。


 翌日、今度は子供達に職員の部屋へと移ってもらった。
 該当の部屋、ベッドには囮のユウ。少しだけ、頭を出して寝たふりをする。透とつばめは武器を部屋の中に隠して、窓辺から見えない位置で待機。
 少年達が眠る部屋で待機するのは拓海とやすかず、そしてジェフ。
「後催眠をかけられていないといいが」
 拓海が声を潜める。子供達が何らかのきっかけ――それこそユカの声で――後催眠が発動して暴れたりしないとも言い切れない。
「その時は、傷つけないように取り押さえましょう」
 やすかずが言う。
 時間が、過ぎていく。
 誰もが全神経を集中させ、少しの物音も聞き逃すまいとする。
 ひたひたと、ベランダを歩く音。
『子供の部屋だ』
 ごく小さな音量で、UNKNOWN。
 そして――足音が、止まった。

 ――ぼくは、どこ‥‥?

 囁くような声、そして派手に割られるガラス。割れたガラスを靴で踏みつけ、ユカが部屋の中に侵入する。
 そんな彼の前に、つばめが歩み出た。
「‥‥ユカ。ここに『ぼく』はいませんよ。いえ、ここだけではなく、世界のどこにも。
 仮に『ぼく』そっくりの子を見つけたとしても‥‥貴方は、失ったものの大きさを改めて実感するだけです。それでも‥‥まだ『ぼく』を、探すのですか?」
 静かに語るつばめに、ユカは首を傾げる。
「そこに‥‥ぼくが、いるよ?」
 しかし、ゆるりと起き上がるのは、ユウ。
「ユカ‥‥此処にはもう一人のユカは居ないんだよ‥‥ごめんね」
「でも、イーノスが」
 ユカがそう言った瞬間、空からグラウンドに何者かが降り立った。駆ける、UNKNOWN。
「子供は、巻き込むな」
 立ち塞がり、相手――イーノスを見据える。
 じり、と足を地に這わせるイーノス、静かに移動を開始するUNKNOWN。
 右へと見せかけ、ふわりと左へ。繊細にフェイントをかけてイーノスの出方を窺う。
 イーノスは、無言で同じ動きをする。
 探り合いの、気配だけの「戦闘」はしかし、数十秒で終わりを告げた。
「イーノスっ! このうそつきっ!」
 響き渡るのは、ベランダに出たユカの声。その直後、イーノスは何かを掴んで空に舞い上がり、ユカのいるベランダへと飛び移った。
 ユカを追ってベランダに出た透とつばめが、遭遇したイーノスに言う。
「手出しはやめてお帰り願えませんか? 子供が寝ていますし‥‥。子供を巻き込むやり方、それはイーノス・ラムゼイの本心ですか?」
「それに、ここで派手にやりあえばこの孤児院も、ただではすまないのですよ?」
 しかしイーノスは「俺には関係のないことだ」と一蹴。
「別の部屋を探そう」
 そしてユカを抱きかかえて手すりから身を乗り出し、二階へ。
「こちらに来ている?」
 職員の部屋、拓海が眉を寄せた。すぐにやすかずとジェフが子供達を別の部屋に移動させる。
 その直後、イーノスとユカが窓の外に現れた。拓海が出る。
「ここにお前の求めるモノはない。他を当たるんだな。それに、ここで戦えば少年達にも危険が及ぶ。態々探しているのに‥‥いいのか?」
「‥‥ちっ」
 思わず舌打ちするイーノス。
 やすかずとジェフは、移動した部屋で子供達の様子を観察する。
「‥‥ぼくは、ここだよ」
 突如として、ひとりの子供が呟いた。そして残りの二人も。駆けつけた職員が慌てて口を塞ぐ。
「‥‥やはり」
 ジェフが頬を引き攣らせた。
 離れた部屋での出来事に、イーノスは気づかない。忌々しげに顔を歪めたまま、ユカに何やら説明し――。
「‥‥今回は、諦める」
 そう言って再びユカを抱えると、やはり何かを掴んで空に舞い上がり始めた。
「お前は‥‥何を求めている?」
 見上げ、拓海が問う。
「――楽園」
 イーノスとユカが同時に答え、そして彼等は空へと消えていく。
「‥‥また、会おうね」
 三階のベランダから、ユウがぽつりと呟いた。

 翌朝、皆は子供達が起きる前にと、割れたガラスを片付けていた。
「イーノスは相当の手練れのようだね。私の動きを真似されたよ」
 UNKNOWNがジェフに言うと、ジェフは神妙な面持ちで静かに頷いた。
「やはり後催眠をかけられていたようですし‥‥まだ今後も子供達は狙われる可能性がありそうですね」
 やすかずは子供達の様子を思い出す。後催眠の発動は一度限りだといいのだが――。
「楽園、か」
 拓海が彼等の言葉を反芻し、意味を考える。そこに何を求めているのか――謎が、深くなっていく。
 ユウは回想していた。それは、フィンランドでのユカの姿。
「ユカ‥‥まだあの寂しい目をしているのかなぁ‥‥」
 昨夜のユカの目は、暗くてよく見えなかった。もしまだ同じ目をしているのなら――。
「そうだよね‥‥ユウだって同じ立場なら哀しくて哀しくて堪らない。ユカ。きっとキミも哀しいんだよね。哀しくて‥‥寂しい‥‥」
 記憶の中のユカは静かに雪の街へと消えていく。あの悲しげな目で。
「そんな目をしないで‥‥ユカ‥‥」
 震える声を漏らすユウ。その背を、つばめが「大丈夫ですか‥‥?」と優しく撫でた。
 ユウが何を思い出しているのか、つばめには容易に想像がつく。ひとりの、ジェミニ。その姿は全てのものを刺し貫くように痛々しい。
 ユウを宥める恋人の姿を見て、透は目を細める。
 イーノスは、随分と聞いた話から変わってしまったように思う。本当にそれが本人であればの話だが。
 そして――。
(ジェミニの夢‥‥血を流すような犠牲が必要だとは思えなかった‥‥)
 過去、彼等に関する報告書にあった記述。
 二人だけの家で、二人だけで――。
 その夢のためには、本当にこれまでの犠牲が必要だったのだろうか。
(大人が締め付けたから‥‥二人がその脅威を脱する為にバグアになったなら‥‥そして利用され、恨まれ、片割れを失い‥‥永遠に叶わなくなったなら‥‥)
 だとすれば――。
「ユカは何を恨み‥‥何を望めば良いんだろう‥‥」
 自分はユカとどう接したい? どうしたい?
 ――恨める相手では‥‥ない。

 そして片付けが終わり、何事もなかったように孤児院はいつもの「朝」を迎える。
 起床の鐘が、涼やかに鳴り響いた。