●オープニング本文

「なっちゃん、今日も綺麗にしてあげる」
　ユナ・カワサキは格納庫で愛機のナイチンゲールを磨き上げていた。
　額に滲む汗も、冷たい水も、まったく気にならない。
　頑張れば頑張るほど大好きななっちゃんが綺麗になっていくこと、ぴかぴかに輝くこと、それがとても嬉しかった。
「整備もしてあげるからね」
　そう言って、左翼を軽く撫でる。
　整備するとは言っても、このなっちゃんで空を飛んだことは一度もない。搭乗すればなぜか誤作動を起こしてしまうからだ。しかしいつか共に飛ぶことを夢見てメンテナンスは欠かさない。そうしているうちに、整備の腕だけが上がっていった。
　ピンク色のジャージには、オイルのシミが沢山ついている。可愛い刺繍が施されていた軍手も、今はもう真っ黒だ。でも、その汚れはなっちゃんと共に過ごした証。なっちゃんを大切にしてきた証。
　汚れれば汚れるほど、嬉しくてたまらなかった。
「私ね、不思議なの。大きな作戦とか‥‥そういうものはね、オペレートが成功するの。‥‥先輩たちがこっそりサポートしてくれてるからなんだろうけれど。でもね」
　なっちゃんを磨く手を止め、寂しそうに笑う。
「普通の依頼、は‥‥やっぱり失敗ばかり。射撃の腕も、上がらない」
　オペレーターとしての仕事と、能力者――スナイパーとしての仕事。どちらもドジばかりだ。
　オペレーターとしては間違った情報を伝えてしまうことが多く、いつも叱られている。
　スナイパーとしては、ちゃんと狙っているはずなのに命中しない。関係のない場所にばかり当たって、何かを壊してしまうこともある。足ばかり引っ張る自分が情けない。
　どうしてうまくいかないんだろう。特に、能力者としての自分。
　エミタを入れているのだから、狙撃もKVの操縦もできるはずなのに。
　どうして――。
「私に、何かいけないところがあるのかな‥‥」
　だが、心当たりがない。能力者になった動機はとても強かった。自分も誰かを助けるのだと、強い想いも抱いている。
　抵抗や恐怖がないと言えば嘘になるが――戦うことに対する覚悟もできている。
　それなのに、それなのに。
「頑張らなきゃ‥‥」
　ユナは大きな溜息を漏らした。

　休暇の日は、空港に出かけて飛行機を眺めるのがユナの楽しみのひとつだった。
　KVに限らず、「空を飛ぶ存在」を見ることが好きなのだ。
　今日は、郊外の小さな空港。個人で経営する航空会社の小型機が数機並んでいた。
　頭上には、先ほど離陸したばかりの可愛らしい飛行機が。
　飛びたい。
　飛ばなきゃ、ならない。
　どうしても――。
「いつになったら、私は飛べるんだろう。いつになったら‥‥『あの人』が果たせなかった約束を、代わりに果たしてあげられるんだろう」
　視界が滲む。空が、揺れる。
　泣いちゃ駄目だ。泣いたら、自分自身に負けてしまう。
　ユナは必死になって、こぼれ落ちそうになる涙を堪える。そのとき、揺れる視界のなかをふわりと飛んでいくものがあった。
「紙飛行機‥‥？」
　真っ白な紙で折られた紙飛行機が、ユナの頭上を越えていく。
　そしてそれを追いかけるのは、小さな男の子。
「紙飛行機飛ばすの、とても上手なんだね」
　ユナが声をかけると、男の子は紙飛行機を拾い上げてにこりと笑った。
「教えてあげようか！」
　男の子はそう言って、紙飛行機をユナに渡す。
「いいの？」
「うん。パパがね、上手な飛ばし方を教えてくれたんだ。とってもよく飛ぶんだよ‥‥！」
　男の子は空を見上げ、小型機を指さした。どうやら、パイロットはこの子の父親らしい。
「パパはね、あの飛行機を全部持ってる偉い人なんだよ。会社はちっちゃいけど、じゅうぎょういんのみんなはパパのこと大好きなんだ！　もちろん、僕もね！」
「そっかぁ‥‥」
　ユナは思わず頬を綻ばせた。パパが大好きだというこの子は、空を駆ける父親を誇りに思っているのだろう。
　そういえば、自分はもうどれくらい両親と会っていないだろう。家を飛び出して能力者になってからはたまに手紙を書くくらいで、帰省したことなど一度もない。
　両親が嫌いなわけじゃないけれど、自分はどうしてもやらなきゃならないことがある。だから、周囲の反対を押し切って能力者になったからには、それを成し遂げなければ帰ることなんてできない。
　そのためには、飛びたい。
　飛ばなきゃ、ならない――。
　ユナは男の子に教えてもらった通りに、紙飛行機を飛ばす。
「うわぁ‥‥！　本当によく飛ぶね‥‥っ！」
　紙飛行機は空に吸い込まれるように上昇すると、小型機と少しだけ並走するように飛ぶ。
「頑張らなきゃ‥‥」
　自分もいつか空を飛ぶために。
　ユナは飛び続ける紙飛行機を追いかけて走り出した。

「この、依頼――！」
　新しく舞い込んだ依頼を整理していたとき、ユナはとある依頼に目を疑った。
　それは、先日の休暇で訪れた空港にキメラが現れたというものだ。
　飛来した飛行型キメラに巻き込まれて小型機が墜落し、パイロットの男性が死亡している。
　その男性は、あの男の子の父親だった。
「‥‥行かなきゃ」
　ユナは呟く。
　行って、キメラを排除しなければ。
　でも自分の狙撃の腕は――。
「それでも、行かなきゃ」
　あの紙飛行機を、もう一度あの空に飛ばすために。
　あの子を、護るために。
　そしてユナは、この依頼を受けることを決意した。

●参加者一覧

●リプレイ本文

「キメラに占拠されちゃった空港かー」
　ラウル・カミーユ（ga7242）はフェンス越しに空港を見た。
　死者も出ている、従業員は避難できていない。このままだと時間と共に被害者も増えそうだ。
　しかし、と――ラウルは視線を移す。そこにいたのは、がちがちに固まっているユナ・カワサキ。その様子を勇姫　凛（ga5063）も気に掛けていた。
「いつも格納庫で、一生懸命KV磨いてたよね、だから凛の印象に残ってた。ところで、何かあったの？　いや、何か考え込んでるみたいに見えたから‥‥」
「‥‥はい」
　問うと、ユナは俯いて皆に事情を話し始めた。
　この空港で出会った男の子のこと、紙飛行機のこと、そして彼の父親のこと。
「一人、犠牲者が出てしまったのね‥‥」
　ユナの話に、天羽　恵（gc6280）が呟く。管制塔には未だ民間人がいるという。彼等が全員無事に帰れるよう、全力を尽くさなければならない。これ以上誰も、死なせたくはない。
「――だから、どうしても私、ここに来たかったんです」
　ユナは小さく頷く。
「そんなことが‥‥」
　凛は微かに眉を寄せる。
「その男の子もいるんダ。んー‥‥頑張りは必要だケド、気合いでガチガチじゃ当たるモノも当たらないヨ。無駄な力は抜く。紙飛行機飛ばす時みたくネ」
「紙飛行機を‥‥」
　ラウルに言われ、ユナは紙飛行機を飛ばすしぐさをしてみる。
「凛もしっかりフォローするから、一緒にその男の子やみんな助けよう」
　危険に曝されている人がいるなら、放っておくことはできない。それに、ユナの強い思い入れに手を貸せればと思う。凛はユナの背を軽く叩く。
「ユナさんと男の子のためにも、キメラは全て排除してあげたいですね」
　紅苑（gc7057）が隣にいる婚約者に言うと、蕾霧（gc7044）も頷いた。
　飛行キメラとは少々厄介だ。万一、管制塔にキメラが向かった時のために停車しておいたジーザリオを使うようなことにならなければいいが。
　その時、空港にいるキメラ達がこちらに気がついた。空にいるものはしきりに鳴き、旋回し始める。
「この空は人類のモノだ。奪われたなら何度でも奪い返す」
　月野　現（gc7488）はキメラの動きを目で追う。その向こうに管制塔が見える。
　男の子が空を恐れたり、嫌ったりしないようにしてやりたい。父親を亡くした上に、空を駆けた父を誇りに想ったことまで失わせはしない。これ以上の損失を出さないためにも、全力を。
　そして管制塔に無線連絡を始めた。
「敵襲を避けるために管制室から塔内部へと避難してくれるかナ。特に、男の子の様子は気に掛けててほしいんだケド」
「窓への不用意な接近などは避け、キメラを刺激しないよう行動に注意してください」
　ラウル、そして紅苑が告げていく。
『パパの空港、まもって‥‥っ』
　無線から聞こえてくる、幼い声。どうやら彼は管制室から動こうとしないらしい。現が通信を引き取る。
「君は親の仇が討たれる所を見たいか？　もし見たいのなら、そこにいるといい。だが、敵がそちらに向かったら安全な場所へ避難してもらう」
『‥‥ううん。お兄ちゃん達がまもってくれるって信じてるから』
　少し考えた後、彼は答えた。本当は見たくてたまらない。だが、幼いなりに精一杯考えて危険性に気づいたのだ。父親のために、今は少しでも協力できることを――そう考え、塔の内部に避難することを選んだ。
　そして皆は、ゲートを開けて空港敷地内へと滑り込んだ。
「乗りなさい、ユナ」
　SE−445Rに跨った神楽 菖蒲（gb8448）がユナを呼ぶ。
「で、でも」
　自分が乗ったら、迷惑をかけて――。ユナは戸惑う。
「乗りなよ。菖蒲姐さんなら大丈夫だから」
　綾河　零音（gb9784）が笑い、ユナの背を押して誘導する。
「は、はいっ」
　零音の勢いに押されるままにユナは菖蒲の後ろに跨った。
「姐さん、あたし、今回も頑張るよ！」
　それを見届け、零音は菖蒲に言いながらリンドヴルムに跨る。後ろには、現。そして凛もローラーブレードの準備を整える。
「焦らず狙い撃てば良い。そのためのサポートは任せろ」
　現がユナに言う。仲間を頼り、与えられた役割を十全に実行してもらいたい。その思いを込めて。
「やることを選び、ひとつずつ確実にこなせばいい」
「はい！」
　ユナは現の言わんとすることを悟り、強く頷く。
「さて、お掃除始めヨーか」
　ラウルが言うと同時に、二台のバイクとローラーブレードがアスファルトの上を滑り始めた。

　零音と菖蒲はバイクをそれぞれ別の方向へと走らせる。
　それとはまた別の方向へと、ローラーブレードの瞬速縮地で管制塔を背にする位置まで一気に駆け抜けるのは凛。
　三方向へと散っていく彼等を追い、キメラ達は散開する。地に降りていた個体も全て飛び立った。
「さぁ、どこからでもかかってこい、人々とユナの思いは凛が守るんだからなっ！」
　ギリギリまで引き付けてから方向転換をする凛。
　躊躇うことなく大鎌「紫苑」を薙げば、降下してきたカラスに刃の星が抉り込む。鳥はそのまま地に落ち、動かなくなった。小型の鳥は、強さもそれほどではないらしい。
　二度、三度、紫苑を薙ぎ払い、墜ちてゆく鳥達。仲間が次々に撃墜されるのを見て、鷲が一旦後退しかけた。
「一匹たりとも逃がしはしないんだぞっ！」
　放つ、真音獣斬。衝撃が鷲を追い、抱き込んだ。
　凛をさらに上空から狙い、急降下を仕掛ける翼竜。駆け、それを射程に入れるのはラウル。
「させないヨ？」
　魔創の弓に矢を番え急所突きと即射を発動、翼へと狙いを定めて射る。左翼の付け根を射貫かれた翼竜はがくりとバランスを崩し、その直後に腹部に抉り込んだ矢尻で落下していく。

「背後は任せてくれ、とは言えないが、精一杯の努力はしよう」
　探査の眼で管制塔に意識を向ける現。キメラ達は管制塔に行く気配はない。
　零音は頷き、身体を左に傾けた。
「荒っぽくなるよ、しっかりつかまっとき！」
　後方からは、翼竜一体と猛禽類が数体。零音は全力でリンドヴルムを走らせ、ターンも交えて逃げる獲物を演出していく。
　キメラ達は、管制塔から遠く引き離され、能力者達へと迫る。
「喰い放題だ。しっかり狙い撃ってくれよ」
　その言葉どおりに、空へと皆の矢尻や銃弾が吸い込まれていく。

「連中の残りをこっちへ引っ張るわよ」
　菖蒲は零音とは反対方向へバイクを走らせる。そのままキメラの群れを引き付け転回、主力へと誘引していく。
　誘引されたキメラへと発砲するのは恵。狙撃は得意ではない、拳銃は敵の気を引くための道具と割り切っている。狙い通り釣られた鳥達が数羽、迫ってきた。
「降りてきたわね‥‥私の距離まで！」
　恵は国士無双を構えた。
「まとめて焼き鳥にしてあげるわ‥‥！」
　そして下段から斬り上げ、鳥達を次々に裂いた。
　ラウルや恵のやや後方で、蕾霧と紅苑は背中合わせで立つ。それぞれにSMG「ターミネーター」とガトリングシールドを構えて。
「それでは派手に行きましょう、蕾霧」
「あぁ、派手にいかせてもらおう、紅苑」
　互いの攻撃のタイミングを合わせ、鳥達の注目を集めるべく空へと弾丸をばらまいていく。五体ほどがこちらを意識し、飛来する。
「蕾霧はこの銃盾にかけて私が守りますから、敵に集中してください」
「――だが、いざとなれば紅苑のことは身を挺してでも守る」
　蕾霧が目を細める。そして、紅苑は背後の守りを発動した。
「蕾霧、今です！」
　その声に反射的に蕾霧が動く。
「纏めて消し飛べ‥‥！」
　そしてブリットストームが、空に放たれた。

　菖蒲はそこから距離を取り、バイクを停車させる。
「降りて。始めるわよ」
「は、はいっ」
「当てなくていい。周りに弾飛ばして、奴らの空を狭くしてやりなさい。‥‥味方側へは向けないように」
　菖蒲の指示にユナは頷き、スコーピオンを構える。
「当たらなきゃ数撃つべし！」
　ラウルの声が離れた場所から響く。ユナは意を決して引き金を引く――が。
　零音のリンドヴルムの脇を抜けた。
「ご、ごめんなさい‥‥っ」
「ダイジョーブダイジョーブ！　ガンガン撃っちゃって、ユナっち！」
　降車し、リンドヴルムを装着した零音が声を張り上げる。
「力入りすぎ。エミタの修正に逆らうな」
「はい！」
　銃弾を目で追っていた菖蒲が指示を出す。それに従い、再度狙撃。今度は標的の右を掠めた。
「惜しい。ビビるな。しっかり握ってれば能力者なら抜けない」
「はいっ！」
　もう一度狙い直し、引き金を引く。
「あた‥‥った‥‥、ありがとうございます！」
　生まれて初めて、まともな狙撃ができた。ユナは菖蒲に笑む。
「さて、こっからが本番よ」
　菖蒲は二挺のラグエルを構え狙撃を開始した。

「群れてるネ」
　ラウルはSMGに持ち替え、空に弾幕を展開し始めた。だが、無駄うちはしない。狙いはきっちりと定めていく。
「それでも、数はかなり減りました」
　恵は拳銃での引きつけと、大きな鳥の翼への一閃を繰り返す。その時、翼竜が恵の背後から迫った。しかし眼前の鳥への対処で手一杯で、恵はダメージを覚悟した。
「守り通します、それが私の役割ですから」
　だが紅苑が滑り込み、立ち塞がる。ボディガードを発動しようとした直前、さらに蕾霧がその眼前に入り込んだ。
「――大丈夫」
　そして強弾撃を乗せて翼竜を撃てば、その後方からは現の貫通弾。前後から狙撃された翼竜はどさりと地に落ちる。
「俺達に誘導されて背後の警戒を忘れていないか？」
　現が言うと、翼竜はもう一度力を振り絞って空に舞う。
　低空でそれは零音に迫り、しかし零音はサイドステップでそれを回避した。
「落ちて、もらうよ‥‥っ！」
　竜の咆哮を乗せた踵が、翼竜の頭部に落ちていく。そのまま地に叩き付けられた翼竜は、二度と動かなかった。
「次行くよっ！」
　今度はインフェルノで敵との間合いを確保しながら立ち回る。現の小銃「ヴァーミリオン」が次々に弾を吐き出し、援護に入っていく。
　そして優位に進めていくうちに小さな鳥は全て落ち、残りは翼竜一体となった。それを管制塔からもう少し引き離すべく、凛がローラーブレードで駆ける。
　駆けながらユナの位置を確認する。そして、菖蒲の位置も。ここからなら近い。凛は足を止めた。
「あっちに飛ばすから、ユナ、よく狙って！」
　そして獣突を発動し、接近してきた翼竜を弾き飛ばしにかかる。
「大丈夫、今まで通りにやればいいわ」
　戸惑うユナに、菖蒲が告げる。ユナは頷き、飛ばされてきた翼竜を狙い――。
「あとは任せて」
　菖蒲はユナを下がらせる。ユナの狙撃で脚部を射貫かれた翼竜は、そのまま迫ってきた。もう瀕死のはずだ。最後の力を振り絞っているのだろう。
「近づけば勝てると思ったか」
　菖蒲は紅とイキシアに持ち替え、翼竜の眉間へと縦に流し斬りを入れる。そのままそこを踏み台にして跳躍すると、イキシアによるソニックブームを幾度となく打ち込んだ。
「残念ながら、無駄なことだ」
　菖蒲が言うより早く、翼竜は地に落ちた。

　全てのキメラが沈黙し、その死体も空港の外へと移動させた。あとは管制塔で待つ人々を救出するだけだ。
　管制塔の扉の前で、皆は立ち止まった。
「私の仕事はキメラの殲滅と空港の確保。ここから先はあなたの仕事よ」
「私の、仕事」
　菖蒲に言われたことを、ユナは繰り返す。管制塔で待っている人達がいる。能力者達がキメラからこの空港を取り戻してくれると信じて、じっと待ち続けていた人達。
「さぁ、行ってあげなよ、もう一度一緒に紙飛行機、飛ばすんだよね」
　凛が笑みを浮かべる。
「‥‥はい」
　こくりと頷き、ユナは管制塔の扉に歩み寄る。
　しかし、緊張する。先ほどの戦闘の余韻が残っていて、上手く前に進めない。
「ついていってあげるヨ。大丈夫、行こう？」
　ラウルが先に歩き出し、ユナを先導。そしてようやく管制塔の扉を開ければ、中では航空会社の従業員が待っていた。その先頭には、男の子。
「あの時のお姉ちゃん、だ」
　男の子はユナの顔を見て何度も瞬きをした。ユナが何を言えばいいのか戸惑っていると、ラウルが「おまたせデス。全部片付けたヨ」と皆に向かって言う。
　それによって誰の顔にも安堵が浮かび、改めてユナも皆を、そして男の子を見て告げることができた。
「お待たせ、しました‥‥！」

「はい、これ」
　男の子は沢山の紙飛行機を抱えていた。待っているあいだ、ずっと折っていたのだという。そのうちのひとつをユナに渡す。
「風も強くないし、よく飛びそうだね」
　凛が空を仰ぐ。早速、最初の紙飛行機を飛ばして見せる男の子。
「また、飛行機が飛ばせるようになったんだね」
　男の子は笑う。凛はローラーブレードで少し紙飛行機を追いかけて、その様子を見守る。
「飛行機も、飛べるね」
　次いで、ユナが飛ばす。
「これ、うちの兄貴が上手いんだよねー。あたし？　神がかったレベルのヘタクソ、って言えばわかるかな」
　くすくすと笑う零音。男の子が「教えてあげる！」と楽しげに指導を始めた。
　父親を失ったばかりだというのに気丈にも明るいのは、きっとこの紙飛行機と空があるからに違いない。彼はずっと父親と一緒なのだろう。
「親と子の愛情か‥‥私には縁のない代物だが、大切なものなのだろうな‥‥」
　蕾霧は紅苑と共に、少し離れたところで眺めていた。親子の愛情というものに関心はない。少しばかり複雑な感覚だ。
「蕾霧は自身の持つ繋がりを大切にすれば良いのですよ」
　紅苑が、きゅ、と婚約者の手を握る。
「私自身の繋がりか‥‥」
　呟き、蕾霧は静かに紅苑の手を握り返した。
　次々と空に放たれていく紙飛行機達は自由に舞い上がる。
「‥‥私達人間は、転ばないように歩く努力をするだけでも精一杯なんだもの‥‥飛ぶにはきっと、まだ早いんです」
　紙飛行機を見つめる恵。青い空と、白い雲と、紙飛行機。
「いつだって人が憧れる、青と白の境界線‥‥なんてね、っとー‥‥せいっ！」
　零音もまた、青と白の境界線へと。力強さを持った紙飛行機は青の中に吸い込まれていく。
「‥‥あ、今の割といい感じに飛んだと思わん？」
　はしゃぐ零音。
「本当。先生の指導がいいのね」
　菖蒲は、得意そうにしている男の子に笑む。
　ラウルはくわえ煙草のまま、空を舞う紙飛行機を見守る。火は点けない。この景色に紫煙は邪魔だ。
　そして、自身も紙飛行機を折る。
「こんな風に自由に飛べるソラ、取り戻そう」
　飛び続ける紙飛行機、それを追うようにラウルも空へと解き放つ。
「いつか君が空を駆ける時を楽しみにしている」
　次の紙飛行機を男の子に渡し、現はその頭を撫でる。
「うん！　いつか、いつか絶対に空を飛ぶよ。みんなが守ってくれたこの空と、世界中の空を！」
　男の子は笑い、次の紙飛行機を手に取る。翼には、たどたどしい文字でこう書かれていた。

　ありがとう、おにーちゃん達、おねーちゃん達。

　――その紙飛行機は長く、そして高く空を飛び続けた。