●リプレイ本文
●静寂
冬枯れ、という表現がぴったり来るのだろうか。
落ち葉を踏みしめながら、九条院つばめ(
ga6530)はそんなことを考えた。
「‥‥こんなに静かだったでしょうか?」
「冬のせい、というわけでもないでしょうねぇ」
ふぅ、と白い息を吐きながらシヴァー・JS(
gb1398)がその呟きに応じる。
目の前には、おざなりに張られた「立ち入り禁止」のテープ。現場保存の名の下に開け放されたままの道場の扉は、枯葉を迎え入れているのみだった。
(「前に来たときは、掃除も行き届いてたんですけどね」)
平坂 桃香(
ga1831)はヘッドフォンを弄びながら、少しだけ寂しげに辺りを見回す。
「ま、こうしていても始まらんじゃろ。妾たちにできることをやるべきじゃ」
「ですねぇ。‥‥腑に落ちぬことは多いですが、それを無くすために集まったわけですしなぁ」
髪を露草色に染めた九頭龍・聖華(
gb4305)が促せば、ヨネモトタケシ(
gb0843)も首肯する。
「警察からも資料は借りられたことですし、早く解決しておじーちゃんに酷い事をした犯人をお仕置きです!」
身の丈の三倍はあろうかという巨大な刀を二振りも引きずりながら、フェリア(
ga9011)が意気込む。
手元の天照の感触を確かめながら、御沙霧 茉静(
gb4448)も静かに頷いた。
七人がそれぞれにテープをくぐって敷地内に入ろうとしたとき、榊 刑部(
ga7524)はふと何かの気配を感じた気がして後ろを振り返っていた。
目を凝らすが、そこには枯れた木々があるばかり。
「‥‥どうかしましたか?」
茉静が不思議そうに刑部へ問う。
いや、と彼は返答して七人に続いてテープを潜っていった。
警察から借り受けた資料を下に、八人は二人一組で調査を開始する。
つばめと茉静ペアは、かさりと枯葉を踏み分けながら森へと向かう。
フェリアとタケシは、その二人とは別の方向へと踏み入っていった。
一方で、刑部とシヴァーは安曇野昇山が倒れていた場所に屈みこみ、独自の現場検証を開始していた。
「どう思います?」
「‥‥抵抗した様子が見えないのは、いくら何でも不自然と見ますが」
「ですよねぇ」
やれやれ、と肩を竦めるシヴァーに、刑部は従兄から聞いたという昇山の実力を思い出して首を振った。
仮に奇襲であったとしても、真正面から斬りかかられて無抵抗、というのは考えられないことだ。
達人であれば尚のことである。
ならば、自然と犯人像は絞り込まれるのだが‥‥。
そこまで考えて、刑部は意識を別方面へ向ける。決めるには、些か性急に思われたからだ。
「電話は‥‥あそこですか」
立ち上がっていたシヴァーが目を細めて、道場の奥から続く廊下の先を見やる。
『もし、通報が後十分も遅れていたら、安曇野さんは一体どうなっていたでしょうか』
先刻立ち寄った警察での会話を思い出す。
『十分どころか、五分でもどうなってたことか。正直、ギリギリもギリギリだよ』
名医がメスで執刀したみたいに、恐ろしく綺麗な切り口だったからねぇ。
そう語る警官の言葉と、通報の録音とがシヴァーの耳の奥で木霊する。
酷くくぐもった男の声は、何か無機的な印象を感じさせるものだった。
そんなシヴァーの思考を、鋭い風切り音が中断させた。
刑部が蛍火を大上段から振り下ろしたのだ。
「何です?」
「こう斬ったならば、流れた刃先から散った血がこの辺りにも落ちるはずなのです。だが、それが無い」
「‥‥怖い話ですねぇ」
要するに、神速というのも生温い一撃だった、ということなのだろう。
こと剣にかけては多少の自信があった刑部ではあるが、底知れぬ犯人の力量に寒いものを感じずにはいられなかった。
「桃香、こちらに来る意味はあるのか?」
「あーいえ、道場はお二方で十分かなー、なんて」
聖華と桃香は道場を横切り、住居の方へと向かっていた。
争った形跡の見えない道場に、桃香はそれ程重要性を感じなかった。そのため、こちらへ向かったのは単なる気まぐれといって差し支えは無い。
聖華としては森へ向かおうと考えていたのだが、急ぐこともあるまいと彼女に同行していた。
「電話がこれで、右手が台所兼居間、左手が安曇野さんと葦原さんの部屋‥‥と」
「ふむ‥‥床に血の跡がある。犯人が自ら通報した、というのは間違いないようじゃな」
つい、と指を床に滑らせて聖華が言う。
「何で通報したんでしょうね?」
「それが分かれば苦労はせんよ」
確かに、と笑いながら桃香は左に向かう。
状況を考えれば、犯人はキメラでないことは確かだ。何らかの意図を持った人間だろう。しかも、強い。
廊下は短かった。考え事をする間に、二人は廊下を挟んで向かい合う襖の前についていた。
何となく左側の襖を開いた桃香は、畳敷きのこじんまりとした部屋の片隅にある小さな机、その上に無造作に置かれた本に気付いた。
「日記、じゃな。葦原光義‥‥失踪した弟子か。よくも警察に押収されなんだ」
「まぁ失踪自体はかなり前ですし、返却されたのでは?」
言いながら、ぱらりとページを開く。
律儀な性格であったようで、毎日の稽古の様子、雑感などが日付の抜けることなく記されていた。
それが途切れたのは、例の失踪の前日である。
最後の日記内容にも特に不審な点は無いように思えたが、桃香は少しだけ気になることがあった。
以前に、桃香とつばめ、シヴァーの三人をはじめとした八人がこの道場に訪れた日以降、ある単語が日記の中で目立つようになったと思えたのだ。
「『強くならねば』、か」
「何か言ったか?」
何でも、と笑って日記を置くと、桃香は聖華の背中を押して部屋を後にした。
●望まぬ再会
小春日和というのだろうか。
珍しく風の穏やかな冬晴れに恵まれ、森を歩くつばめと茉静は寒さに悩まされることは無かった。
「にしても、歩き辛いですね‥‥」
「整備、されていませんから‥‥」
二人は一旦立ち止まると、借り受けた地図を見て現在地を確認する。
といっても、道場からそこまで離れたわけではない。振り返れば、少々汚れた道場の外壁が木々の隙間から見ることができた。
「ええと、葦原さんが失踪なさったのはこの辺りで、今がこの辺ですね」
つばめが地図を指差しながら呟く。
彼女らから見て、左側に少し進んだ地点が失踪現場とされている。
「しかし、予想以上に足場が悪いですね‥‥。しかも、落ち葉のせいで足跡もすぐに消えてしまう‥‥」
茉静が、少しだけ困ったように言った。
大小の石が転がり、木々の根が地面に見え隠れするその上に、更に今は落ち葉が降り積もっている。
一見すれば平らなのだが、思わぬ場所で躓いたりとこれがどうして歩き辛い。
「安曇野先生が襲われたのは数日前‥‥。森の中には、手がかりはもう残っていないかもしれませんね‥‥」
少しだけ自信無さげに俯くつばめの肩を、茉静がそっと叩いた。
「必ず、道は開ける」
「‥‥はい!」
元気に返事をするつばめに茉静は微笑むと、再び道無き道を二人は歩き始めた。
「ここが、失踪現場ですなぁ」
「おー、木刀はまだ刺さったままなのですね」
タケシとフェリアは、彼女の希望で光義の失踪現場へと赴いていた。
この場所は周囲に比べて開けており、足場もしっかりとしている。
恐らくは、毎日のようにここを鍛錬の場に使っていたのだろう、と思われた。
「‥‥この木刀、柄に血が滲んでいますな」
「といいますか、若干手の形に凹んでませんか? むむむ、何年使い込めばこーなるんでしょう」
フェリアがおもむろに国士無双を片手に構える。
いや、構える、というよりは構えられる、とでも言うのだろうか。少々驚きに満ちた光景である。
しかし、そこは能力者である。多少の重量などものともせず、軽々と巨大な刃を振るう。巻き起こった風が落ち葉を舞わせた。
タケシもまた鍔の無い独特な刀を構えると、鋭い呼気と共に振り下ろす。
「恐らく、この場で何千回、何万回とこの木刀を振るったんでしょうなぁ」
「一日でそのくらいやってたかもですね」
冗談染みて言うフェリアに笑いながらも、タケシは無骨な木刀とそれに染み付いた血から、あながち冗談では無いかもしれないと考えていた。
正確な回数など本人も数えてはいるまいが、この木刀は葦原光義の努力の結晶であったことは間違いあるまい。
それをわざわざ地面に突き立てての失踪とは、あるいは何かの意思の表れにも思えた。
住居を後にした桃香と聖華は、小川に到着していた。
冷たく澄んだ清流が、さらさらと流れている。
髪を青白く光らせながら、桃香が周囲を見渡す。
「‥‥犯人が返り血を浴びたなら、この辺で洗うと思うんですが」
「桃香、こっちじゃ」
やや川に突き出た岩場で、聖華がちょいちょいと手招きをしている。
彼女の後ろから桃香がそこを覗き込めば、掠れてはいたが確かに血の跡が残っていた。
「ま、足取りはこれで追えたわけですか」
「そうじゃな。となれば、後は‥‥」
「面通し、ということだ」
唐突に響いた声に、聖華は弾けるように、桃香はため息をついてから振り返る。
二人の視線の先には、いつの間にか一人の男が立っていた。
「おぬし‥‥」
「そういう性格でしたっけ? 葦原さん」
どこか困ったような、複雑な笑顔を浮かべて桃香が言う。
対する、失踪したはずだった光義は無表情のままで、おもむろに腰の刀を抜き放った。
●彼の意図は
「こちら九頭龍! 犯人を見つけた! 川原じゃ!」
聖華が必死にトランシーバーへと叫ぶ。
その目の前で、桃香の月詠と光義の刀とがぶつかり、金属の擦れる異音と共に火花を散らした。
だが、その鍔迫り合いも長くは続かない。
ギリギリと押し込まれる桃香は素早く体を捻ると、光義の剛剣を受け流す。
そのまま地面に打ち下ろされた刃は、甲高い音と共に地面を抉り、弾けた小石が飛礫となって桃香に襲い掛かった。
「な、なんつー力ですか‥‥」
危うくかわした桃香は、慌てて距離を取る。
「前も大概でしたけど、今回は度が過ぎてますよ?」
「そちらも、随分と身軽になったものだ」
軽口を軽口で返され、桃香は肩を竦めた。
そこへ、他の六人が到着する。
「気をつけろ。あ奴めは、強化人間じゃ」
「葦原、さん‥‥」
「‥‥やれやれ」
聖華の忠告につばめは息を呑み、シヴァーは頭をかいた。
抉られた川原と月詠を構えた桃香の姿に、刑部は一歩前に進み出ながら光義へと問いかけた。
「一つ、お聞きします。安曇野先生を斬ったのは、貴方ですね?」
「そうだ」
「何故ですか!」
淡々と答えた光義に、つばめが叫ぶ。
茉静が腕をつかまなければ、そのまま詰め寄っていたかもしれなかった。
「それはわたくしもお聞きしたい。貴方の目的は何ですか? 少なくとも、安曇野さんの殺害ではないのでしょう?」
そうならば、わざわざ通報するはずが無い。シヴァーはそう言う。
少しだけ沈黙が流れた後、彼は続けて口を開いた。
「‥‥まさか『俺より強い奴に会いに行く』なんて言いはしませんよね?」
「強い奴、か」
その言葉に、光義は微かに笑う。意味を図りかねて、シヴァーは口を噤んだ。
「とりあえず、お話は後ほどゆっくりとうかがいましょう。今は、我々についてきて頂きますよぉ」
タケシが二振りの刹那を構えれば、フェリアも巨大な二刀を構えた。
聖華と茉静も、それぞれにスパイラルレイピアと天照の切っ先を光義へと向ける。
「覚悟せい!」
真っ先に飛び込んだのは聖華だった。
回転する刃が唸りを上げ、正確に男の胸元へと突き出される。
それを刀でいなしつつ、返す刀で光義が繰り出した斬撃を少女はエアストバックラーで受け止める。
が、余りの力に小柄な体が大きく吹き飛んだ。
追撃に跳ばんとした光義を留めたのはタケシだった。
「させません‥‥喰らって頂きますよ!」
一気に男の側面に回りこみ、二刀が十字に振るわれる。
だが、力任せに振るわれた男の刃が甲高い音を立てて衝突し、その軌道を逸らした。
「く、ですがまだまだ!」
タケシもさるもので、そのまま弾かれずに光義の刀を押さえ込むことに成功する。
軽く舌打ちした男の懐に、茉静が踏み込む。
「シィッ!」
裂帛の気合と共に、大上段から打ち下ろされる刃。
咄嗟に光義は片腕を掲げて、致命傷を避けた。手応えの違和感に、茉静が目を見張る。
「小細工を‥‥」
「周到と言ってくれ」
どうやら、彼が身につけている服は金属繊維を編んだものらしい。鎖帷子のようなものだ。
といっても、刃を防ぎ切ることはできなかったようで、袖口から血が滴っていた。
「まぁ、重いがな」
「ならばそれごと叩っ斬ってあげましょう!」
掛け声と共に助走をつけて跳躍したフェリアが、二刀の国士無双を振るわんとする。
三メートルにも及ぶ巨大刀が、空を裂いて光義に迫る。
「借りるぞ」
咄嗟に腕を捻り、男は茉静の天照を掴むと強引に奪う。
掌から血がしぶくのも構わず、間一髪で刃を斬撃の途中に滑り込ませる。
タケシと茉静が後ろに飛び退くと同時に轟音と土煙が舞った。
一陣の風が吹き、視界を開く。
「‥‥しぶとい方ですね」
シヴァーが呆れたように呟いた。
足元をめり込ませながらも、国士無双を受けきった光義の姿がそこにはあった。
もっとも、受け止めた腕は朱に染まっていたのだが。
「少々、お前たちを舐めていたようだ」
フェリアを振り払うと、光義はそう言って天照を投げ返す。
「何がしたいのです?」
それを受け止めながら、刑部が問う。
「‥‥師匠を倒したから、今度は能力者を倒そう、ですか?」
桃香の言葉に、光義は少しだけ動きを止めた。
「強く、なれました?」
「‥‥ふん、興が冷めた。俺は帰る。追いたいなら追うがいい」
唐突に踵を返すと、そのまま光義は森の中へと消えていく。
追おうとしたつばめを、刑部が止めた。
「木がある分、向こうに有利だ。分が悪い」
「ですけど! ‥‥ですけど」
目を潤ませて、つばめは光義が消えた森を見やった。
そんな少女にシヴァーが声をかける。
「遠くないうちに、また会えますよ。望むと望まざるに関わらず、ね」
「何故です?」
刑部が聞き返す。
「わざわざここでわたくし達を待ち伏せたのです。目的は、能力者と見るべきでしょう」
理由までは分かりませんが、とシヴァーは苦笑する。
「決着はいずれ改めて、というわけですなぁ」
タケシの言葉に、つばめはそっと目を閉じる。
(「葦原さんは、悪鬼の道に入ってしまったのですね」)
再び開かれたその瞳に、最早迷いは無かった。
意を決した少女の後ろで、桃香がぼんやりと空を眺めていた。
「虚しい人、ですね‥‥」
彼女の呟きは、人知れず冬の風に舞い、消えた。