●リプレイ本文
●薄闇の邂逅
戦闘音が遠くから響き、時折小さな振動が管制塔の壁を揺らす。
予想以上に薄暗い建物内は、どこからか漂ってくる血の匂いと相まって不気味だった。
「‥‥歩く分には問題なさそうですが」
呟いて、赤村 咲(
ga1042)がランタンに火を灯す。
灯りが足元を照らし、八人はゆっくりと歩き出す。
「この管制塔、俺たちを釣る『餌』‥‥か。ふざけた真似をしてくれる」
咲と共に先頭を行く煉条トヲイ(
ga0236)が、ここを抑える強化人間――アルゲディの考えを読んで舌打ちをする。
焦れるような感覚に形の良い眉をひそめながら、鳴神 伊織(
ga0421)も小さく懸念を漏らす。
「手早く済ませたいものですが‥‥そう簡単には、いきませんか」
「敵はアイツか‥‥。それでも、必ず空港は手に入れよう」
以前アルゲディと交戦した遠石 一千風(
ga3970)は、雪辱を果たす機会に高揚する自分がいることを薄っすらと感じていた。
「強化人間、か‥‥」
藤村 瑠亥(
ga3862)は、初めて相対するだろう敵を考え、小太刀を握った手に知らず知らず力を込める。
「それにしても」
ふと、鴉(
gb0616)が苦笑した。
「先遣隊は派手にやられたものですね」
「バグア相手に油断とは‥‥軍も迂闊ですねぇ」
進むにつれ強くなる死の香りは、犠牲者の多さを物語る。
そんな事態を招いた軍の慢心に、ヨネモトタケシ(
gb0843)は少しだけ怒りを見せた。
「それを無駄にはさせない。なんとしてでも成功させてみせる」
サルファ(
ga9419)の言葉に七人は頷き、再び薄闇の奥を見据える。
(「くそっ、何だこの嫌な予感は。‥‥一筋縄ではいきそうにないな‥‥」)
生温い何かが這い出してきそうな粘着質な空気が澱む中、咲は湧き出る違和感を抑えようと必死だった。
やはり、罠は張ってあった。
といっても、先行した部隊もまるっきりの無能というわけでは無いようで、殆どは解除されている。
四階に辿り着いたとき、能力者たちは思わず顔をしかめ、何人かは鼻を覆った。
「‥‥ここで、果てたか」
トヲイの言葉通り、視線の先には赤黒く濡れた廊下が広がっていた。
ぼんやりと浮かび上がる、多くの人間だったもの。
それらを避けながら、能力者たちは進んでいく。
固まりかけた血を踏む嫌な音が、八人の神経を逆撫でする。
(「この兵士たちも、先行する程度には自信があったはず。そんな彼らが‥‥」)
考えている途中、不意に無念に見開かれた目がサルファの視界に飛び込む。
思わず目を逸らし、目の端に映った違和感に彼は視線を戻した。
「何だ‥‥?」
暗がりでよくは見えないが、何かがおかしい。
「サルファ、どうした?」
後ろから瑠亥が声をかける。
少しだけ逡巡した後、サルファは何でもないと首を振り、歩き出す。
(「耳から、血‥‥?」)
兵士の亡骸は、確かに耳から出血していたように見えた。
返り血が耳に入ったのだろうか。
もう少し調べれば何か分かったかもしれないが、今の彼に結論を出すことはできなかった。
そこから先は、解除されていない罠との戦いが待ち受けていた。
殆どが嫌がらせのような代物だったが、それでも神経と時間をすり減らすには十分なものだった。
そして八階。
階段を上がった能力者の前から、足音が響いてきた。
小さな窓からの明かりに照らされたその姿は、アルゲディ。
「思ったより、時間がかかったな」
目を閉じながら肩を竦める青年に、八人は素早く武器を向ける。
「‥‥キメラがいない?」
「そのようですなぁ」
鴉が訝しげに呟き、タケシがそれに応じた。
「一人で十分、とでも言いたいのでしょうか」
「だとすれば、舐められたものだ」
伊織の身体から禍々しいまでの光があふれ出し、トヲイの右目が金色の輝きを増す。
一般人ならばなりふり構わず逃げ出すほどの殺気を浴びて尚、アルゲディは愉快そうな笑みを浮かべ――細剣を抜き放った。
●管制室の悪意
「アルゲディ! 前のようにはいかないわ。ここで必ず倒してみせる」
一千風が声をあげ、瞬く間に飛び込んで鎌切を叩きつけた。
それを細剣のナックルガードで受け、アルゲディは動きを止める。
間を置かず、瑠亥が二刀小太刀をもって斬り込んだ。
「今のうちに行け」
男の言葉に、咲とサルファが全力で走り出す。
鎌切を弾いたアルゲディは、その勢いのままに二刀を受け流すと、脇を通り抜ける二人をちらりと見やってから一千風へと飛び掛った。
寸でのところで回避するが、その切っ先は彼女の滑らかな肌に傷をつける。
「一千風さん、下がって!」
更に追い討ちをかけんとしたアルゲディと彼女の間に、鴉が瞬天速で割り込む。
蝉時雨と細剣が涼やかな音を立てて噛みあい、起こった火花が一瞬二人の顔を照らした。
咲が居なくなったことで、辺りは一層暗くなっている。
続けて鴉は砂錐の爪で蹴りを繰り出し、鋭い爪がアルゲディの脇腹を襲うも、それは青年の膝でガードされた。
ふと真紅の瞳が細められ、アルゲディがにたりと笑う。
「そうか、お前たちはあの時の能力者か! あっははははははは! 強くなったな! あははあひははあははは!」
「‥‥覚えていただけて光栄、とでも言っておきましょう」
たがが外れたように笑った青年は、力任せに鴉を蹴り剥がす。
狭い廊下に笑い声が反響し、能力者たちの耳を不快に打つ。
「‥‥リリアの親衛隊か」
トヲイが呟き、狂気の青年の主へと思いを馳せる。
その声が聞えたか、ぴたりと笑いを止めてアルゲディが不愉快な視線を彼へと向けた。
「覚えているぞ、お前は。それに、くくく‥‥イオリ‥‥イオリぃぃぃぃ!」
感極まったように叫び、アルゲディは再び哄笑する。
「素晴らしい! 何という日だ! あひははははは!」
「‥‥相変わらず、虫唾の走る男ですね」
吐き捨てるような伊織の言葉に気にも留めず、青年は笑い続ける。
「これが、強化人間‥‥!」
余りの異様さに、瑠亥が気圧されるように唾を飲み込んだ。
「狂った道化め。お望み通り、暫くの間遊んでやる。――煉条トヲイ、推して参る‥‥!」
「トヲイ、か。覚えたぞ‥‥!」
シュナイザーと細剣が正面からぶつかり合い、耳障りな激突音が木霊した。
後ろから聞える笑い声と金属音とに後ろ髪を引かれつつ、咲とサルファは駆ける。
幸い、今までの探索からある程度罠の配置パターンは読めている。
それらを掻い潜り、時には強引に突破しながら最上階へと二人は急いだ。
最後の階段を駆け上がったところで、サルファは反射的に咲の前に回りこんで盾を掲げた。
その表面が削れる音がして、悔しげな唸り声が響く。
「文字通りの番犬、ということですか」
咲が機械剣を握りなおし、その唸り声の主、灰色の巨大な狼を見つめる。
「アルゲディの飼い犬、か」
ライオンハートを構え、サルファは狼へと切りかかる。
艶やかな毛皮を血で汚しながらも、キメラは反撃の牙を繰り出した。
鈍い衝撃がプロテクトシールドを揺らし、捌ききれなかった爪がサルファの腕を抉る。
「流石に、ただのキメラでは‥‥!」
素早い動きに、咲が舌を巻く。
「時間をかけるわけにはいかないんだ。‥‥本気でいかせてもらう!」
サルファの気合に応じるように、狼は勢い良く弾けた。真っ赤な口腔と白い牙とが男に迫る。
怖じることなくそれを見つめながら、サルファは僅かに身体を傾けて回避しつつ強烈な一撃を狼の側面に叩きつけた。
鮮血の花が咲き、苦悶の絶叫が迸る。
「今回は銃を使えないんでね‥‥コレでも喰らえ!」
その隙を見逃さず、咲が狼に密着して機械剣を発動させる。
ゼロ距離からの超圧縮レーザーが、キメラの左前足の付け根を貫通した。
それでも三本の足で器用に着地すると、狼は脇目も振らずに窓へと飛ぶ。
格子ごとガラスを破り、狼は外へと消えていった。
「‥‥引き際を心得るキメラ、か」
鮮やかなまでの逃げっぷりに、咲が苦笑する。
サルファも呆れたように窓の外を見つめ、呟いた。
「ここ、十階だぞ‥‥?」
そんなやや弛緩した空気は、すぐに凍りつくことになる。
管制室へと入った二人の目に飛び込んだのは、機材や壁の至る所に貼り付けられたモノ。
「‥‥くそ!」
一瞬で咲はその意図を理解する。
ここにあるもの、恐らくは爆弾だが、それは殆どがダミーだろう。しかし、そのどれか一つが破裂しただけでも自分たちの目標は達成できないのだ。
仕掛けを見逃すことはできず、かといって、全てを調べるのに二人では時間が掛かりすぎる。それでも、やるしかないのだ。
「アルゲディ‥‥!」
血が滲む程に奥歯に力を込め、咲とサルファは手近な装置から解除を始めた。
●青年は笑う
細剣とシュナイザーが薄闇の中で踊る。
的確に自らの急所へ迫る爪を前に、アルゲディは心底楽しげだった。
六対一という不利も、青年にとっては甘美なスパイスに過ぎないように見える。
「やはり、正攻法では辛いですか」
ぽつりと呟いた鴉が、青年の脇から地面を縫うように迫る。
その動きを察した一千風もまた、逆側から音も無く間合いを詰める。
砂錐の爪と鎌切が、殆ど同時にアルゲディの下半身を襲った。
踊るようなステップで鴉の蹴りを避け、シュナイザーに弾かれた勢いで細剣がくるりと回されて鎌切を叩き落す。
そこへ、トヲイの蹴りがアルゲディの顎へと唸りを上げて飛んだ。
上体を反らして避ける青年だが、トヲイはそのまま宙返りをして間合いを取る。
その下を潜るように、瑠亥が突っ込んできた。
二刀が閃き、アルゲディの脇腹を切り裂く。同時にマントがはためき、瑠亥の視界を覆った。
振り解こうとした瞬間、男の肩に鋭い痛みが走る。
「ぐあ‥‥!」
殊更ゆっくりと引き抜かれた剣が、神経を引き千切るような激痛を瑠亥にもたらした。
「藤村さん!」
叫んで、タケシが青年へと刃を叩きつける。
細剣のナックルガードでそれは受け流されたが、タケシは間髪入れずに斬撃と脚甲による蹴りを同時に放った。
その攻撃を易々と受け流し、青年は気分の悪い笑みを浮かべる。
「面白い技だな」
「以前に温いといわれたこと、忘れてはおりませんよぉ!」
「くく‥‥。まるで大道芸だ」
「なっ!」
侮辱の言葉に、タケシの顔がさっと赤くなる。
だが、斬撃は踏み込みが重要な技である以上、蹴りと同時に斬る、という技は実用性に乏しいと言わざるを得ない。双方が双方の威力をスポイルしてしまうのだ。
「怒るなよ‥‥死ぬぞ?」
ぶつり、と音がして、細剣がタケシの脇腹に突き刺さった。
装甲の隙間を縫ったそれは致命傷ではないが、じわりと染み出す血の量が傷の深さを物語っている。
「灼雷――閃」
小さな呟きと、ぞわりとするほどの殺気がアルゲディを打つ。
咄嗟に細剣を抜いて掲げたそこへ、落雷の如き一刀が落ちた。
それは容易く細剣を断ち切ると、青年の胴体を一文字に切り裂く。
「戦闘中に戯言をほざく余裕など、見せないことです」
「‥‥くくく‥‥イオリ、やはりお前は素晴らしい‥‥!」
僅かに後退していたらしく、皮一枚で致命傷を避けていたアルゲディは狂喜の表情を見せ、さっと懐に手を入れると、何かの欠片のようなものを投げつけた。
それを避けた瞬間、青年が一気に伊織へと踏み込む。
半壊した細剣で、殆ど殴りつけるように叩き付けられたそれを盾扇で凌ぎ、返す刀で鬼蛍を一気に突き出す。
身を捻って回避したアルゲディへと、鴉が迫った。
「リベンジなんて柄じゃありませんが、ね!」
蝉時雨が閃き、青年の太腿を切り裂く。
反撃で強かに蹴り飛ばされた鴉は壁に叩きつけられ、呼吸が一瞬止まる。
「斬られた脚でよくも‥‥!」
トヲイが舌打ちをしながら、再びシュナイザーで攻撃を仕掛けた。
目まぐるしく打ち鳴らされる細剣と爪の激突音の間隙を突き、トヲイはその爪の軌道を一気に逸らした。
壊れた細剣では流石に対応しきれず、アルゲディはその脚を再び抉られる。
しかし、ただでは終わらず、細剣がトヲイの肩の肉を削ぎとった。
「させないっ!」
その刃が首へと向けられたとき、一千風が鎌切で細剣をかち上げた。
続けざまに閃いた爪が、アルゲディの胸を切り裂く。
血と共にマントが舞い、一千風の頭へと巻きついた。ほぼ同時に、拳が彼女の鳩尾へとめり込む。
「――っかは!」
「やはり、お前はいい声で鳴くな」
アルゲディは嘔吐いた一千風の頬を愛でるように撫でる。
その背後から瑠亥が壁を蹴って跳び、二刀を振るった。
迎撃に突き出された細剣を敢えて急所をずらして受け止めると、瑠亥はその腕をがっちりと固める。
「ここまでやって‥‥やっと捉えたぞ!」
口の端から血を流しながら、男はにやりと笑う。
瑠亥によって無防備な姿を晒した青年に、五人がトドメを刺さんとした時だ。
「‥‥三十秒だ」
ぼそりと呟き、青年が何かを懐から取り出す。
「――っ! あのピン!」
伊織が気付いた時は既に遅い。
アルゲディの掌の上で閃光手榴弾が炸裂し、強烈な音と閃光が能力者たちを襲う。
危ういところで目を細めた伊織だが、音までは如何ともし難い。
光を追い出すように溢れる涙で滲む視界の中で、伊織は悠々と歩くアルゲディの姿を見た。
手榴弾を破裂させた手をだらりと下げ、片耳からも血を流す青年は、瑠亥と一千風に細剣を突き刺す。
音の無い世界で味方が崩れ落ちる様子は、酷く現実離れしていた。
「それ以上は‥‥!」
ふらつく脚を叱咤して、伊織は駆ける。
くるりと振り返った青年をすれ違い様に斬り付け、彼女は肩を押さえて膝を突く。
アルゲディもまた、胴体の傷を更に抉られていた。
黒で目立たないが、そのスーツは夥しい血で濡れているだろう。
「‥‥楽しい時間だった。余力があるなら、管制室の手伝いにいってやることだ」
満足気に呟いた青年の前に、トヲイが立ち塞がる。
「タダで帰すと思うか?」
「くく‥‥焦るなよ。苦しんで死ね、と言ったろう?」
それには答えず、トヲイは踏み込む。
だが、閃光手榴弾の影響がその足と手元をぶれさせた。
カウンターの細剣が、深々とトヲイの右胸に突き立つ。そのまま手を放すと、青年は振り返りもせずに去っていく。
トヲイもまた、その背中へ振り返らずに言葉をかけた。
「還って‥‥リリアに伝えろ‥‥。あの時の約束は、いつか必ず果たしに行く‥‥と」
言い終えたところでトヲイは崩れ落ち、気を失った。
レーダーは、その後無事に復旧した。
音を立てて着陸していくKV隊を眺めながら、鴉が小さく呟く。
「‥‥見事に、術中に嵌っていたわけですか」
「ですが、ある程度追い詰めたことも事実です」
伊織の返答に、鴉は肩を竦める。
「今は、空港を取り戻したことを喜びましょう。先は長いんです」
咲の言葉に、ようやく小さな笑みが能力者たちに戻った。