●リプレイ本文
●滑走路の少女
微かな嗚咽が聞こえる。
秋雨の中で、相澤 真夜(
gb8203)が泣いていた。
その肩を優しく抱く遠石 一千風(
ga3970)の頬にも、雨だれとは別の雫が伝っている。
誰も彼もが言葉を見つけられないような、そんな沈黙を雨音だけが包んでいた。
耳障りな羽音が聞こえる。
その音源を確認し、ヨネモトタケシ(
gb0843)は少しだけ顔をしかめた。幾度か相対したことのあるキメラだ。
「厄介なのかい?」
ノーン・エリオン(
gb6445)の声に、タケシは軽く頷いた。
そりゃ怖い、とノーンは肩を竦める。
敵は既に臨戦態勢のようだ。虫は徐々に散開を始めていて、その中央から黒ずくめの男がゆっくりと近づいてきている。
「んー、ゲディちゃん?」
「いや、違うな。影武者‥‥恐らくはジョゼフという男だろう」
目を細めた火絵 楓(
gb0095)の推量に、煉条トヲイ(
ga0236)が首を振った。
あれがアルゲディ(gz0224)だとすれば、余りにも雰囲気が違いすぎるのだ。
楓にしてもそれは感じていたようで、偽者、という情報に至極納得したようである。
「さて、アルドラはどこかしらね?」
周囲に視線を走らせつつ、鬼非鬼 ふー(
gb3760)が呟く。
いるとすれば、今回もキメラの後方だろう。そんな予想を立てる少女に、柊 沙雪(
gb4452)が応えた。
「‥‥狼の後ろに、少しだけ何かが見えます。服の、裾?」
その言葉に、ふーは僅かに笑みを零す。同時に、少女の気配が酷く希薄になった。
虫の羽音が一層強くなる。
それに紛れて、一千風の鎌切が涼やかに音を立てた。彼女の目には、未だにアルドラの姿は見えない。
喉元にまで出掛かった言葉を飲み込み、一千風は首を振った。湿り気を帯びた空気が、滑らかな髪に纏わりつく。
そんな彼女の隣で、真夜は小銃S−01を念入りにチェックしなおしている。
「こんな本格的な戦闘は、はじめてです‥‥」
口の中が粘ついて気持ち悪い、と彼女は思った。
緊張で体の芯が冷え切っているのに、皮膚のすぐ内側は熱を帯びているような、奇妙な感覚。戦場の感覚。
思わず身震いした直後、甲虫の背負った火砲が咆哮した。
五連の砲弾は誰もいない地面を食い破る。
闇夜だ。照準など、あの距離では不可能に等しい。
「抑えます。援護を」
「わかりました!」
真夜のS−01が火を吹く。能力者の視力をもってしても、正確な照準は難しい。
だが、今は当てる必要は無い。切り込む一千風の援護さえ出来れば十分だ。
一番怖いのは誤射と、甲虫の背負った火砲、その流れ弾だ。
陸戦用としては馬鹿げたサイズの口径は、砲弾が飛び出すごとに周囲の景色を浮かび上がらせる程には派手な威力である。
それゆえか、以前の虫ほどの素早さは無いらしいのが救いだろうか。
掠めるだけで思い切り殴られたような衝撃を受ける砲撃を掻い潜りながら、一千風は虫たちの懐へと飛び込む。
巨砲は近距離で撃つものではない。自爆の危険がある。
ゆえに、接近された虫にできることは、距離を取ろうともがくことだけだった。
その異物を排除しようと、黒い影が迫る。
「近づかせませんよぉ!」
「貴様に――これ以上はさせん‥‥!」
タケシとトヲイがその眼前に立ちはだかった。
黒ずくめの男はニヤリとその口角を吊り上げると、両腕を大きく広げる。
その腕には、槍のような武器と幅広の大型ナイフのような武器がそれぞれに握られている。
それらが交互に閃くのを、トヲイのシュナイザーとタケシの蛍火とが打ち落とす。
「この力‥‥やはり人間ではない、か」
「悲しいですが、討つしかないようですなぁ」
腕に残る尋常でない痺れは、かつてジョゼフと呼ばれた人間は既に存在しないことを物語った。
同情をしないわけではない。だが、今はそんなことを言える状況ではない。
何の技量も無く、ただ力のみで押し込まれる刃を巧みにいなしながら、二人は影武者キメラを虫の群れから徐々に引き離していく。
●幻影
一挙に混沌と化した滑走路で、楓、沙雪、ノーンの三人は甲虫の脇をすり抜け、狼へと近づいていた。
低く唸りを上げる狼は、何かを守っているようにも見える。
(「‥‥忠犬、といった感じですか」)
背後のアルドラを守っているのだ、と直感した沙雪は心中でそう評する。
と、楓が身に纏った羽を広げた。
「さあ! わんわんあたしにモフモフされるのだ!! 遠慮はイラナイじぇ?」
高らかに歌い上げたその声は、羽音と戦闘音に紛れて散る。
狼の様子に変化は無い。
むー、と頬を膨らませると、楓は沙雪とノーンへと顔を向けた。
「も〜柊ちんにノーンちんも両手を広げて! わんわんを迎え入れるのだ!!」
それが本心なのか、それとも狼を挑発しようとする策なのか。
計りかねた二人は互いに少しだけ視線を交わし、小さくため息をついた。
それにしても、とノーンは思う。
(「せめて、何かに紛れて攻めてきてくれれば見逃しようもあるんだけど、ねぇ」)
SMGを構える男に、狼は一層姿勢を低くする。
その灰色の毛並みの向こうに、白く縁取られた黒いリボンが見えた気がした。
「流石に、数が多い‥‥っ!」
何とか押し込んだ勢いを保ちつつも、一千風は冷や汗が止まらなかった。
この甲虫は、何となればその体ごと能力者を拘束しにかかってくる。単独でそれを外すのは困難であると、以前の苦い記憶が告げていた。
だからこそ彼女は迂闊に踏み込むという愚こそ踏まないが、周囲を囲まれているというプレッシャーは増大していた。
「遠石さん! このっ!」
少しずつ、少しずつ包囲を縮められていく一千風を援護すべく、真夜は必死に小銃を撃ち放つ。
機械化の故か、防御力は聞いていたほど高くないようだ。それでも、弾丸は小さな傷を付けるに過ぎない。
「っと、弾切れしちゃいましたね‥‥!」
リロードの手間すら惜しみ、彼女は壱式を構えなおして手近な虫へと一息に飛び込んだ。
狙うは火砲がすえつけられた背中の、機械と生物の隙間。
剣先は僅かにずれたが、それでも怯ませるには十分だったようだ。
生じた隙を見逃さずに一千風が追撃し、包囲網は再び解かれた。
だが、それで形振りを構わなくなったのか、虫たちは近距離にも関わらず火砲を発射し始める。
「狙いは甘い! 落ち着いて、ここからが正念場だから!」
「は、はい!」
砲撃と着弾の音に負けじと声を張り上げ、二人は再び過酷な足止めという状況へと向き合う。
途端に騒がしくなった戦場で、トヲイとタケシは比較的優勢に事を運んでいた。
「我流‥‥剛双刃!」
声と共に繰り出された蛍火と血桜は、槍とナイフを掻い潜って影武者の肩口を食い破る。
如何なキメラとはいえ、それは致命打となっておかしくない一撃だ。
それでも、影武者は苦痛の色も見せず、むしろ勢いを増して二種の武器を振るう。
「こいつ‥‥!」
素早い動きで上体に攻撃を集中しつつ、トヲイが何かを堪えるような声音で歯を食いしばる。
人間の、いや生物の限界すら超えて無理矢理に動かされているのだと、直感的に悟ってしまったのだ。
その時、彼の視界の隅で何かが光った。
「煉条さん!」
タケシの叫びと、その衝撃はほぼ同時だった。
(「――流れ弾!?」)
右肺を押し潰されるような感覚と共に理解する。戦場における悪運の餌食となってしまったのだ。誰に責任があるわけでもない。
一瞬のうちに肺の中の酸素を押し出され、本能的に体が空気を求めた。上手く呼吸ができない。視界が明滅し、激しく咽た。
膝をついて必死に胸を押さえ、全神経を集中して息を吐き、吸う。その間に、黒い影が迫っていた。
「くっ!」
受け切れない。そう判断し、せめてもの抵抗にシュナイザーをかざす。だが、予想された攻撃は無かった。
「無事ですかなぁ?」
トヲイとキメラの間に、タケシが強引に割り込んでいたのだ。
片腕のメタルガントレットが槍の穂先を押し留め、もう片腕‥‥ルシッドガントレットから鮮血を迸らせ、ナイフを受け止めている。
それでも不快に笑うキメラを振りほどき、タケシはトヲイを立ち上がらせる。
「すまない、助かった」
「なんのなんの‥‥。さて、そろそろ終わらせましょう」
再び突っ込んでくるキメラを、今度はトヲイが難なく受け止める。
即座に顔面へ繰り出されたシュナイザーは槍で叩き落されるも、それは彼にとって予定通りだった。
がら空きとなっていた脚に、落とされた勢いも加えて鋭利な爪が突き立てられる。
がくりと姿勢を崩したところへ、更にその胴体を抉るような一撃が見舞われた。
「我流‥‥剛速刃!」
駄目押しのように、超濃縮レーザーの軌跡が闇夜を裂く。
胴体を焼き切られたキメラはそのまま動かなくなり、それを見届けた二人は一千風と真夜の元へと走った。
楓の誘惑や挑発にも乗らず、狼は低く唸ったまま動こうとしない。
「本当に‥‥羨ましいくらいですね」
「生物兵器の忠誠心、かい? 小説にでもしたら売れそうだねぇ」
沙雪の呟きに応じたノーンは低く笑い、そうも言っていられないか、と首を振った。
いずれにせよ、このままでは埒があかないのは事実だ。
強引にこちらから近づくべきか、と三人が思い始めたとき、小さく声が聞こえた。
「何よ‥‥使えない。ミルザム」
それに反応し、狼が一気に飛び込んできた。
「うも〜なんてこったい! あたしの魅力ビームで、ついにわんわんもメロメロだよ♪」
いっそ清々しいポジティブ思考で体当たりを受け止めた楓の後ろで、ノーンは何が起きたのかと周囲に視線を走らせる。
ふと、トヲイとタケシが虫の群れへと突入していくのが見えた。
「どうやら、影武者が倒されて焦れたのかな?」
「‥‥相変わらず、短絡的ですね。アルドラ」
呆れたように呟き、沙雪は二刀を構えて音も無く踏み込む。
その視界の端に捉えた少女は、イライラしたように足踏みをしていた。
●乙女と吼えるもの
影武者キメラが倒れたことで、戦況は一気に能力者側へと傾いていた。
その事実が、アルドラを苛立たせる。
「何よ、何よ何よ! あんたたちなんか」
「死んじゃえばいい、かしら?」
不意に背後からかけられた声に、ばっと少女は振り向く。
そこには、いつの間にかふーが近づいていた。
「あんた‥‥!」
「はぁい、そこの貴女。良い夜ね。私と一緒にお茶でもどう?」
湯気をあげる水筒のカップを手に、ふーが笑いかける。
だが、突然のことにアルドラは思考停止をしていた。少女は少しだけ肩を竦め、紅茶を一口すする。
熱めのお茶をもう一口含んだところで、ようやく彼女は再起動した。
「ば、馬鹿じゃないの!? あんたと私は敵なのよ!」
「‥‥そうね」
そう言いながらも、アルドラは腰に下げた銃器のようなものを手に取ろうともしない。
ふーには、その様子がむしろ悲しく思えた。
「ここには何も無いわ。無機質な滑走路、殺風景な廃墟、冷たい風。捨て猫がここで死んでいても、何の違和感も無い。誰にも知られず、弔われず、悲しまれない」
「な、何よ突然‥‥」
語りかけるような言葉に、アルドラは少しだけ後退る。
「貴女は捨て猫? そうでないなら、飼い主の下へ帰りなさい」
「‥‥私が捨て猫、ですって!?」
少女が激昂した瞬間、激しいスパークの音と断末魔の悲鳴が重なった。
そして、何かが倒れこむような鈍い音が続く。
壊れかけた人形のようにぎこちなく振り返った少女の目に、力なく倒れ伏した狼――ミルザムの姿が映った。
思わず走り出したアルドラは、声にならない絶叫を上げて銃器を抜き、撃ち放つ。
レーザーのような光が走り、狼の一番近くにいた楓の腕を焼いた。
「いったぁ!?」
「どけ! どけよこの馬鹿ぁ!」
不意打ちの直後、駆け込んできた少女を止めるだけの余裕は無く、楓は慌てて飛びのく。
狼の傍にへたり込んだアルドラは、恐る恐るその顔を撫でると、鬼気迫る表情で周りの三人に視線を走らせた。その目が、沙雪に止まる。
「あんたぁ‥‥!」
「久しぶりですね、アルドラ」
瞳を憎悪に燃やし、少女は銃器を沙雪に突きつける。だが、それは難なく沙雪の二刀で弾き飛ばされた。
それが飛んだ先から、虫を殲滅した四人が近づいてきていた。
その中でトヲイとタケシはいち早くアルドラを認めると、歩をゆっくりと止める。
「強化人間‥‥はじめて見ました‥‥」
二人の背後から前を伺った真夜が、緊張に身を強張らせる。
湿った風が九人の間を抜け、おもむろにタケシが口を開いた。
「‥‥アルドラさん、彼の人は貴女の恩人ではあるのでしょうが、近くにいるのならば分かるでしょう? 決して、情で動くような人ではない、と」
「そうよ。だから信頼できる。あんたらと違ってね」
返答は、酷く冷たいものだった。
アルドラは人間に絶望しきっている。その心に。二の句を継げず、タケシは唇を噛んだ。
「もう、もう止めよう‥‥」
一千風が声を震わせる。
少女のその絶望すら、あの男にとっては利用するものに過ぎない。それが無性に悲しくて、許せなかった。
「あんたらが死滅したら、止めてあげる。嫌なら、殺しなさい」
「‥‥あくまで戦うというなら、その意思があるならば――立て」
トヲイの言葉に、アルドラは立ち上がる。
そして静かにシュナイザーを構える彼に、ふーが歩み寄った。
「待って、その役は私が引き受けるわ」
「‥‥良いのか?」
「けじめは、つけたいでしょう?」
気遣うようなトヲイの視線に笑みで返し、行きがけにふーは沙雪の肩をぽんと叩く。
お好きに、というように瞑目して一歩下がる彼女を尻目に、少女はアルドラと相対した。
小銃『DISARRAY』を突きつけられても、アルドラは顔色一つ変えなかった。
「言い残すことはあるかしら」
「死んじゃえ、ばーか」
「‥‥Good night」
乾いた破裂音が響いた。
「へた‥‥ねぇ‥‥」
か細い声に、八人は驚いたような視線を向ける。
狼の上に倒れたアルドラの目に、僅かながら光が戻っていた。
「アルドラさん‥‥!」
咄嗟に駆け寄った真夜はその手を取り‥‥涙を溢れさせる。氷のような冷たさだった。
その脇にノーンがかがみ、穏やかに声をかける。
「アルゲディだけどね、こないだ君の事を微妙に褒めてたよ」
「‥‥うそも‥‥へた」
笑うように少女の口元が動き、その手が何かを掴むように宙を彷徨う。
「ああ‥‥ミルザム、わたしね、こんどこそアルゲディさまに‥‥ありがとうって‥‥」
最後の方は言葉にならず、宙を泳ぐ腕は再び糸が切れたように落下し――動かなくなった。
その腕にすがりつく真夜を一千風が引き剥がした直後、アルドラの体が閃光を発する。
瞬時に燃え上がった炎は少女と狼を包み、程なく白い灰だけを残して収まった。
そして、その灰を洗い流すように細かい雨が降り始めた。
「同情は、しませんよ」
沙雪の小さな呟きが雨音に混じり、消えた。