タイトル:【初夢】兵どもが夢の跡マスター:瀬良はひふ

シナリオ形態: イベント
難易度: 不明
参加人数: 10 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/01/17 13:58

●オープニング本文


 ※このシナリオは初夢シナリオです。実際のWTRPGの世界観に一切関係はありません

 唐突に、アルゲディ(gz0224)の意識に光が走った。
 瞼にへばりつくような眠気をそぎ落とし、ゆっくりと目を開く。
 ぼんやりと霞んでいた視界が少しずつ定まり、青年はぼんやりとした様子で宙を仰いだ。
「‥‥っ」
 何事かを言おうとして、詰まる。うまく声にできない。
 発声という機能を忘れて久しいのか、のどに呼気が絡まっていた。
(前にも、こういうことがあった)
 記憶の澱から、アルゲディは遠い過去の情景を掬い上げようとする。
(『終末』‥‥だったか? 我ながら、安直だ)
 自身で書き上げた小説のタイトルを思い浮かべ、青年は暗い笑みを浮かべる。
 締め切りから解放された直後の、泥のような眠りから目覚めた朝――形容するならば、今の彼はそういう状態だった。
「――っく」
 思い出したように、アルゲディの口から引きつるような声がこぼれた。
 くぐもった声で低く笑いながら、青年は周囲を見渡す。
 茫洋とした白い空間に、彼は立っていた。
 例えるなら、見渡す限りの大雪原といったところだろうか。もっとも、足元から返ってくる感触は雪というよりは氷であったが。
「魂の彷徨‥‥いや違うな‥‥夢枕、か」
 アルゲディが目の前に掲げた右腕で、カギ爪が鈍く輝く。
 その刃先が、ゆっくりと青年の頬を傷をつけていく。白磁のような肌に、真紅の線が浮かんだ。
 ぴっと空気を切ったカギ爪から、赤い水滴が音を立てて飛び散る。
「よくできた夢だ」
 ふ、と相好を崩した彼は左手でそっと傷跡をなぞった。
 その手が頬から離れたとき、傷はすでに跡形もなくなっていた。

「――やっと、か」
 しばらくその場に佇んでいたアルゲディは、背後の気配に振り返る。
 見れば、霧の中からでも現れるように、徐々に何人かの人の姿が見え始めていた。
(いや、俺が早かったのか?)
 何がおかしいのか、くつくつと笑う青年の前に、いまやはっきりと人――能力者たちの姿があった。

●参加者一覧

/ 煉条トヲイ(ga0236) / 鳴神 伊織(ga0421) / 赤村 咲(ga1042) / 終夜・無月(ga3084) / 遠石 一千風(ga3970) / UNKNOWN(ga4276) / ユーリ・ヴェルトライゼン(ga8751) / 赤崎羽矢子(gb2140) / 綾河 零音(gb9784) / ミリハナク(gc4008

●リプレイ本文

●夢中問答
(ここは‥‥?)
 赤崎羽矢子(gb2140)は、不意にぼんやりとした空間を進んでいることに気づいた。
 周囲を見渡せば、ドライアイスのスモークのような薄い霧を挟んで、幾人かが同じ方向に歩いている。いずれも、見知った顔の能力者たちだった。
「夢‥‥なの?」
 ぽつりと呟いた彼女は、ふと鈍い頭痛を覚えて顔をしかめる。
 直後、乳白色のもやが途切れた。
 そこでは、ある意味では予想外の人物が――アルゲディ(gz0224)が彼女たちを待っていた。
「‥‥なんで、あんたがここにいるのさ?」
 苦虫を噛み潰したようにして、羽矢子が声を上げる。
「もしかして、あたし死んだ? ‥‥わけないか」
「さてな。性質の悪い夢、と思っておけ」
 くつくつと笑いながら、アルゲディは応じる。
 その、夢、という言葉にユーリ・ヴェルトライゼン(ga8751)は一人納得した。
(生者の夢と、死者の魂が邂逅するという夢殿‥‥なのか? ああ、それで『彼』がいるのか)
「‥‥まさか、夢の中でお前と再会する日が来るとはな。アルゲディ――いや、ウィリアム・マクスウェル‥‥!」
 と、煉条トヲイ(ga0236)が、静かな覇気を込めて言葉を投げかけた。
 アルゲディは僅かに相好を崩す。
「相変わらず、その名で俺を呼ぶのか、トヲイ」
 その反応と雰囲気によって遠石 一千風(ga3970)は、この男がかつて自らが死闘を演じた、強化人間としてのアルゲディだと確信した。
 知らずのうちに、彼女は拳に力を込める。
「本当に、まさか‥‥ですね。夢に出てくるとは」
 鳴神 伊織(ga0421)は、どこか呆れたように呟き、小さく息をつく。
「久しぶり‥‥というのも何だか、な」
 赤村 咲(ga1042)もまた、かつての敵との再会に少しだけ気持ちがざわめいていた。
(これは、俺が「そうあってほしい」と願う心の声なのか、それとも‥‥)
 この再会にどんな意味があるのか。それとも、意味などはないのか。
 僅かにそう考え、咲は頭を振る。
 そのとき、終夜・無月(ga3084)が一歩進み出た。
「貴方がここにいることに感謝します‥‥」
 穏やかなその口調とは裏腹に、彼の目には強い意志の光が宿っている。
「たとえ貴方が死に、俺が生き残っても‥‥貴方に敗北した事実に変わりはなく‥‥」
 無月はそこで右の掌に目を落とし、きゅっと握り締める。
「その想いを抱く中で再び現れた『貴方の姿をした者』は‥‥想いを清算するに値しない無能者でした‥‥」
(ボリビアのバグアと彼‥‥そこまで実力が違いましたの?)
 音に聞く実力者の評に、ミリハナク(gc4008)は少しだけ驚く。
 件のバグアにトドメを刺した彼女は、そのヨリシロとなった強化人間については風聞でしか知らなかった。俄然、興味が沸いてくる。
 それは綾河 零音(gb9784)も同様のようだった。
「あんたが噂のトリプル・イーグル‥‥ムチャクチャ強かったとか、狂ってたって噂くらいしか聞いたことないけど、ホントの所はどうなのさ?」
「ふ、俺もずいぶん買いかぶられたものだ」
 アルゲディはさもおかしそうに、左手を口に当てる。
「さて‥‥俺は常に全額をベットしていたにすぎん。案外、ただのまぐれ当たりかもしれんぞ」
「相変わらず、戯言は得意のようですね。安心しましたよ」
 生前と変わらぬ物言いに、伊織が嘆息する。
「悪いが、道化は死んでも直らなかったらしい。いや、この夢の主がそう望んだのか?」
「‥‥夢、ね。その割には賑やかじゃん。それだけあんたに未練がある奴が多いって?」
 大仰にため息をつきながら、羽矢子が疲れたようにいった。
 アルゲディは何もいわず、くつくつとのどの奥で笑う。何かを見透かされたようで、羽矢子は不機嫌そうにそっぽを向いた。
「未練か‥‥俺は謝っておきたかった、のかな」
 宙を仰ぎながら、ユーリがぽつりと呟く。
「ダムできちんと首を落とさなかったせいで、ものすごく残念な奴にアルゲディの体を渡してしまったからね」
 言葉を続けながら、彼はミリハナクをちらと見やる。
「‥‥最後の最後でケチをつける結果になったんだ。すまなかった」
 謝罪と同時に頭を下げるユーリに、アルゲディはどこか嗜虐的な笑みを浮かべた。
「俺の体を使ったバグアは、余程のことをやったらしいな。リリア様の采配では‥‥ない、か?」
「死してなおリリア様、とはな」
 棘のある声で、トヲイがいう。
「お前はバグアに与した直接の切っ掛けはリリアだといい、更に彼女を絶望といったな」
 アルゲディとトヲイの視線が宙で絡み合う。
「今一度問おう。なぜ、全てを捨ててリリアに忠誠を誓った? 切っ掛けは一体何だ?」
 す、とアルゲディの目が細められ、怪しい輝きが走った。
 だがそれも一瞬で消えると、黒衣の青年は微笑を浮かべる。
「聞いてどうする。道化の過去など、酒の肴にもならんぞ」
 静かな拒絶に言葉を飲み込んだトヲイに代わり、咲が問いを引き継ぐ。
「‥‥能力者と強化人間にいかほどの差があろうか、とお前はいった」
 サングラスの下で、咲の瞳が緋色へと変わる。
「護りたいもの、理想とする何かのために力を求めた先が違うだけで、確かにその二つは同類なのかもしれない。‥‥だが、お前の後ろには護りたいものはあったのか?」
 アルゲディは、静かに瞑目している。
「人類の敵に回ってまで成し遂げようとした理想は何だ? もし、お前に能力者の素質があったとして、お前が人類の側に立つことは」
「ない」
 青年は咲の言葉を遮り、そう断定した。
 可能性すらもなかったのだと、歪んだ口元が語っていた。
「以前にも話してやったと思うが、俺が望んだのは人間の絶望だ。一片の許容も慈悲もなく、生ある者全てが平等に見る悪夢‥‥と、文学的に表現すればこうなるか?」
 冗談のつもりだったのか、男はそこで低く笑う。
「それが‥‥アルゲディの本当の望み?」
 ユーリが呟いた。
 確かに、生前もそういっていたことは覚えている。
 本当に人を絶望させることを望み、そのためだけにバグアに与したのだとすれば、それはなんとも‥‥。
(退廃的すぎる‥‥!)
 ぎり、とユーリは奥歯をかみ締めた。
「全ての人が絶望に沈む世界‥‥それが、貴方の理想なの?」
 努めて冷静を装いつつ、一千風が確認する。
 それには直接答えず、アルゲディは回りくどい言い方をした。
「他人は自分とは違う。この認識は人の本質だ。夢や希望においても、同じことがいえる」
「‥‥人の持つ夢は、千差万別」
 呟く一千風の声を聞いているのかどうか、青年は続ける。
「いってみれば、人間の世界とは大樹に極彩色の花々が咲いているようなものだ。一見して美しいが、よく見れば統一感には欠け、毒々しくさえある」
 ぞわり、と一千風の背筋を悪寒が走る。
 この男は、何を言葉にしようとしているのか。
「――ある人間が、それを修正する方法を考えた。そして、思いついた」
「絶望という色で塗り込める、とでもいうのか」
 呻くように、ユーリが声を上げた。
 アルゲディは楽しげに笑い、小さく首を振る。
「少し、違うな。もっと単純で明快な回答だ」
「‥‥大樹の、幹を‥‥」
 ふと脳裏に走った様子を声に出しかけ、一千風は慌てたように口を押さえた。
「正解だ」
 よく出来た、とアルゲディが軽く手を叩く。
 究極の絶望は世界の破滅だと、男はそういっている。
「なぜ‥‥?」
 辛うじて、彼女はそれだけを言葉に出来た。
「単純なことだ。いったろう? 思いついた、と」
 その言葉に、伊織が深くため息をついた。
「‥‥思いついたから、試したくなった。まるで子供ですね」
「くく、否定はしないさ、イオリ」
「うーん‥‥」
 と、それまで難しい顔で会話を聴いていた零音が唸った。
「私もそれほど具体的な話し方するワケじゃないけどさぁ‥‥。あんたも、ソートー抽象的だねぇ‥‥」
 そういって苦笑する少女の瞳には、好奇心の光が宿っている。
「でも、面白いね! そーゆーヒト、あんまりいないからさ」
「物好きもいるものだ」
 やれやれと肩をすくめる男を気にするでもなく、零音は畳み掛けるように続ける。
「私は綾河零音。あんたのこと、もう少し知りたくなったよ」
「レヲン、か。まぁ、好きにすればいい」
「いわれなくたって」
 これまでの会話の内容で引かないどころか、アルゲディに更に食いついていく彼女の純粋な好奇心が、鬱屈としはじめていた場の空気を中和した。
 少々軽くなった雰囲気に合わせるように、伊織は戯れのような質問を投げかける。
「貴方の後釜のバグアは、まぁ不甲斐ないといって差し支えありませんでしたが‥‥不満はありますか」
「特には。俺の死後、抜け殻がどのような辱めにあったところで、文字通り知ったことではないさ」
「その死‥‥ですが、経験してみていかがでした?」
「経験すればわかる。‥‥くく、まぁ、意識がなくなるという一点では、眠る瞬間を自覚するようなものだ。もっとも、その瞬間の喪失感とでもいうのか、それは途方もないものだったが」
 何かを思い出したのか、アルゲディは心地よさげに笑いながら続けた。
「二度とない体験だ。願わくば、もう一度味わいたいものだが」
「‥‥仕方のない人ですね」
 聞き分けのない子供を前にしたような表情で、伊織は小さく首を振る。
 もう一度死にたいなど、度し難いを通り越している考えだ。
 そんな思想を抱くに至った経緯は何だったのか。ふと、彼女はそんなことを思う。
(まぁ‥‥答えは返ってこないでしょうが)
 伊織には妙な確信があった。
 この男は、死してなおその配役を演じているのだ。道化の真意を正すことほど、益の少ない行為もない。
(それでも知りたいと思うのは‥‥かの人の思い通りなのですかね)
「考えてみれば」
 意外にも、沈黙を破ったのはアルゲディだった。
「お前とはこう語らう時間はなかったな、イオリ」
「‥‥たまには、良いでしょう?」
 青年が生きている頃の二人は、刃を交わすことが専らだった。
 合わせた切っ先からは、ある面では会話を重ねる以上にアルゲディの思念を汲み取れていたのかもしれない。
 それでも、と伊織は思う。
「それとも‥‥もっと殺伐とした方がお好みですか?」
 対話でしか得られないものもあるはずだ、と。
「嫌いではないさ。だが、お前とは存分に戦ったと思っている。最初から、最後まで‥‥な」
 懐かしむような声音は、伊織には聞き覚えのないものだった。
 その声につられるように、彼女もまたハリウッドでの邂逅からフーバーダムでの決戦までを想起する。
「くく、男と女の思い出にしては色気がないか」
「そんなもの、こちらから願い下げです」
 青年の冗談を切って捨てると、伊織は少しだけ考えてから口を開いた。
「‥‥貴方にとって、戦いとは、力とは何だったのですか?」
 その質問に、アルゲディは笑みを消す。
「俺にとって戦いとは手段であり、目的であり‥‥存在する理由でもある」
 ちゃり、と右手のカギ爪が鳴った。
「一人の人間にとって世界は広く、人は呆れるほど多い。俺が――」
 そこで青年は少しだけ言葉を切る。
 何かを考えるように視線を巡らし、咲のそれと絡んだところでゆっくりと口を開いた。
「――俺が理想を遂げるには、力が必要だった。桁外れの。問答無用の。冷酷無比の」
「護るためにではなく、破壊するために、か」
 ふぅ、と咲は息をつく。
 この男と自分たちとでは、出発点から向かう方向が正反対であったのだと、改めて思い知る。
「だが、ならばなぜリリアの忠犬になった。破壊が目的ならば、その首枷はむしろ邪魔だったはずだ」
「ああサキ‥‥サキ、それは違う」
 チチチ、と左手の人差し指を振りながら、アルゲディは肩をすくめて見せた。
「秩序のない力などは意味がないのさ。意志もなく、目的もない破壊など一過性の災害にすぎん」
「災害、ねぇ」
 羽矢子が呟く。
「くく、それでは困るのだ」
 くつくつと喉で笑い、青年は唐突に声を張り上げた。
「単なる不運、などと片付けられるのは論外だ。黙示録は、いつ自らに顕現してもおかしくない。それが今日か明日か、来週か来月か来年か。‥‥いつ訪れるかは分からないが、それは『確実にやってくる』、『やってくるはずだ』。――そう思わせるには、な」
「‥‥不安の、種」
「そうだ、ハヤコ。その『可能性』こそが絶望を導く」
 雄弁家もかくやというアルゲディの語り口に、負けじと咲が抗弁する。
「――だが! 不安の種など芽は出さない。今も、そしてこれからも! なぜなら‥‥人間は絶望などしないから、だ」
「希望的観測だな。まぁ、それもいいさ」
 喉の奥で笑う青年に、咲は苦々しげに顔を背けた。
 人間は絶望しない。そう信じていることは確かだ。だが、確固たる未来が存在しない以上、それは願望の範疇でしかない。
「その不安の種を蒔いて、実る前に自ら舞台を降りたのはなぜ?」
 どこか悲しげに、一千風が問う。
 自ら舞台を降りた――その表現の通り、彼女はある疑念を捨て切れなかった。
(自身が死ぬことも、シナリオ通りだったというの?)
 彼女は、彼女たちはアルゲディによって、男を倒す役割を与えられたにすぎないのではないか。
 その不安は、一千風の心に未だ色濃く影を落としている。
「貴方は、結果を見ずとも未来がわかっていたの? 人間の本性は醜く汚いもので、それは遠からず絶望という形で明らかになるのだと?」
「‥‥どうやら、俺の思っていたより脚本は上出来だったようだ」
 やはりというべきなのか、アルゲディは返答にならない返答をする。
「脚本?」
 そこに食いついたのは零音だった。
「つまり、えーと、ラスベガスの戦いはあんたにとって自作の小説みたいなものだったワケ?」
「‥‥この男は、強化人間になる前は大学で文学を専攻していた」
 咲が零音にいう。
 文学、という単語に少女は納得したようにうなずいた。
「なるほどねぇ‥‥道理で物言いが漠然としてるワケだ」
 読者の興味をかきたてるための手法の一つに、敢えて文章を曖昧にするというものがある。
 無論、やりすぎては逆効果になるのだが。
「いや、小説というか演劇なのかな? ああ、だから脚本‥‥!」
 零音がぽんと手を叩く。
 その様子に、アルゲディは多少笑ったように見えた。予想外の反応だったのかもしれない。
 と、トヲイが口を開いた。
「もし‥‥もしバグアが来襲しなければ、お前はシェイクスピアのような悲劇作家になっていたのか?」
「さぁ、な。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。だが、その仮定は無意味だ」
「ああ。お前は死んだ」
「そうだ。死人は蘇らないし、歴史に『もしも』は存在しない」
「しかし、物語ならば想像の余地がある」
「ふ‥‥俺より、余程才能がありそうだな、トヲイ」
 トヲイはその言葉に目を閉じると、ゆっくりと応じる。
「――お前は最後の戦いのとき、俺のことを『リア王』と呼んだ。だが、お前がシェイクスピアを好むと知ったとき、俺が真っ先にお前をなぞらえたのも『リア王』だった」
「‥‥」
「俺たちは――似ていたのかもしれない‥‥」
 狂気と絶望の果てに落命した悲劇の王。
 その姿を、瞼の裏でトヲイはアルゲディと重ね合わせる。それは、あるいは別の道を歩んだ自分の姿だったのかもしれない。そう思いながら。
「『死ぬほどの哀しみも、別の哀しみで治る』。お前は、自らの絶望を克服するために更なる絶望を欲した。‥‥違うか?」
「『十二夜』、だったか。さしずめ、俺はシザーリオ‥‥哀れな怪物とでもいいたいのかね」
 愉快そうにアルゲディは笑う。
 奇妙な三角関係を巡る恋の喜劇。だが、中盤のシザーリオだけを取り上げれば、叶わぬ恋に悲嘆する哀れな人間でしかない。
「なるほど、そう解釈も出来るのか。俺が、リリア様を愛していたのだ、と」
「ええっ!? それホント!?」
 食いついたのは零音である。
 仮に本当ならば衝撃の事実ではあっただろう。
「もちろん、違う。まぁ、アイコはそうだったかもしれんが」
「‥‥小野塚愛子」
 かつて、ヒューストンで猛威を振るったトリプル・イーグルの一人。
 その名前に無月と、そして羽矢子が少しだけ反応した。
 二人が僅かに思いを巡らす間に、アルゲディは独り言のように呟いている。
「俺は、あの方に憧れたのさ」
 そこで言葉を区切り、青年は少しだけ口元を歪める。
「あの方の役者ぶりに、な」
「‥‥貴方は」
 ぽつりと、一千風がこぼした。
「そうやって役にこだわることで、現実から目を背けているのね?」
「‥‥新鮮な評価だ」
「人に対して絶望して、疲れ切って――その現実と未来を見たくないから、ピエロの仮面を被った。だから、途中で舞台も降りるようにした」
「ふ、お前も文才がありそうだな」
 茶化すような物言いに、一千風は鋭い視線を注ぐ。
 その反応に、男はやれやれと息を吐いた。
「どうやら、おしゃべりが過ぎたようだ」
「そんなに本音を隠したいの?」
 ぶっきらぼうに羽矢子がいった。
「俺の過去に価値などない、といっただろう」
「ただの自己満足ってわけ?」
「そうとも」
 しゃりん、とアルゲディの右腕でカギ爪が鳴る。
「道化の筋書きなど、破り捨ててみろ。それが、生きている者の特権だ」
「いわれずとも、お前の望む世界など成就させるつもりはない」
「その意気だ、サキ」
 青年は、まるで教師のようにうなずいてみせる。
「だが、意気込みだけでは‥‥な」
「‥‥力を示せ、と?」
 ざわめき始めた空気に、無月が敏感に反応した。
「その気があるのなら、見せてみろ」
 挑発するように、アルゲディが返す。
 二人はしばらく無言でにらみ合うと、おもむろに無月が明鏡止水を抜き放つ。
「理想を‥‥高みを目指すために」
「雰囲気が変わったな、ムヅキ」
 にたり、と青年は笑う。
「どうやら、お前たちは強くなったらしい」
「そうだ。以前までの俺たちではない」
 トヲイもシュナイザーを装着しながらいった。
 一千風が、ユーリが、そして零音とミリハナクもまた、己の得物を握り締めている。
 計六人をゆっくりと見回し、アルゲディは残った三人へと目を向けた。
「‥‥お前たちは見学か?」
「夢なら、これ以上あんたとやりあう必要もないさ。まあ、頑張って」
 羽矢子はそういって手をひらひらさせると、両腕を頭の後ろで組む。
 その両脇では、伊織と咲の二人が静かに立っている。
「無駄に剣を抜く気はありません。決着は、つけたつもりですから」
「俺も、この期に及んで銃を向けるつもりはない」
「そうか。まぁ、精々観客を飽きさせないように気をつけよう。‥‥出番待ちもいるようだし、な」
 二人の言葉に喉の奥で笑いながら、アルゲディはふと妙なことを呟いて一瞬だけ能力者たちのはるか後方を見やる。
 その視線の意味に気づいたものはいない。
 ――ただ一人、霧のカーテンの奥に悠然と佇んでいたUNKNOWN(ga4276)を除いて。

●夢の浮橋
「さて、お望みは一対一か? 全員同時でも構わんぞ」
 多勢を前に臆する素振りも見せないアルゲディの姿は、余裕に満ちたものだった。
 それが単なるはったりでないことを、この場の多くのものが知っている。
 生身でワームにも伍するという上級クラスという力を得たとはいえ、目の前の強化人間を超えたと断言できるほど、六人は迂闊ではなかった。
「立候補がなければ、俺が指名してやろう。‥‥まずはオードブルだ、女」
 彼らの沈黙を低く笑いながら、アルゲディはミリハナクを指す。
「まぁ‥‥オードブルとはいってくれますわね」
 前菜扱いされたことに、彼女はむしろ楽しげに笑った。
「そのオードブルで満腹になっても、知りませんわよ?」
「満たしてみろ」
 言葉の応酬の間に、ずん、と巨大な斧の柄が地面を叩いた。
 炎斧「インフェルノ」。長身のミリハナクと比しても、更に巨大な怪物だ。
「ヨリシロとは戦ったことがありますが、あのようなニセモノではない本物の戦闘狂と戦いたかったんですの」
 鉄の塊と表現するべき巨斧が、軽々と振りかぶられる。
「楽しく遊んでくださいな」
 にこやかなその台詞と同時に、恐るべき速度で斧が振りぬかれた。
 空気を切り裂いた黒色の刃が真空の断裂を生み出し、その波がアルゲディへと殺到する。
 青年は不可視の刃と切り結ぶように、無造作にカギ爪を振るった。ぎし、と空気が軋む音がして、耳障りな高周波の破裂音が直後に続く。
(迎撃した‥‥!)
 内心で驚くミリハナクの目の前で、アルゲディの身体に幾つもの裂傷が走る。
 破裂した真空の波は、威力を減じつつも男を切り刻んでいた。一つ一つは浅いが、数が多い。
 ソニックブームを放つとともに踏み込んでいたミリハナクは、アルゲディの目がそれでも彼女を捉え続けていたことで、歓喜に身を震わせる。
 黒のドレスが翻って、真横から疾風のように斧が叩き込まれる。
「‥‥ほう」
 金属同士の激突音が響き、感心したような声が上がった。
 インフェルノの刃は、アルゲディの首を両断する手前でカギ爪によって止められていた。鈍く軋りあう音が、その危うい均衡を告げている。
「痺れますわね」
 一歩間違えれば死にかねない受け方に、ミリハナクは熱を帯びた呟きをもらす。
 右腕一本で受けられただけだというのに、分厚い鋼鉄に打ち込んだように両腕が痺れていた、というのもある。
(ミリハの斧を正面から、ねぇ。相変わらず、馬鹿力だ)
 その様子を見て、呆れたように羽矢子が息をつく。
「生きているうちに会えれば、さぞ楽しかったろうな。女」
「ミリハナク、と申しますわ」
 鍔迫り合いのような形のまま、二人が言葉を交わした。
「そして、同感です。どうやらアルゲディ君も、私の同類のようですしね」
「くく、救い難い性分だ」
「ええ、まったく」
 申し合わせたように、そこでお互いが間合いを取る。
 弾かれる際の斧とカギ爪が擦れあい、派手な火花が散った。
「シッ!」
 鋭い呼気がミリハナクの口から漏れ、その身体が跳ねる。
 一息で再び接近した彼女に、今度はアルゲディの方から仕掛けた。
 大上段から振り下ろされるカギ爪を、ミリハナクは斧の柄で受け止める。衝撃が腕から脚へと突き抜け、地面を揺らした。
 思わず腕から力が抜けそうになるのを歯を食いしばって耐え、彼女は柄を捻ってカギ爪を引き剥がす。その勢いのまま、斧の石突をアルゲディの胸板へと抉り込む。
 めり込んだ石突がみしりと音を立て、男を数歩後退させた。
 機を逃さず、ミリハナクが両断剣・絶を発動させる。剣の紋章が斧へと吸収され、黒炎の刃が危険な輝きを放った。
 直後、腰のばねを目一杯に捻った横薙ぎの一撃が、空気を逆巻かせてアルゲディを襲う。
 そのとき、微かに笑い声がしたかと思うと、青年の身体が沈みこんだ。
 地面を舐めるような男の僅かに上を、斧が掠めていく。白銀の髪の毛が数本風に舞った。
 だが、それはミリハナクの想定通りだ。
 振り切られた巨斧の持つ遠心力を殺さぬよう、華麗なダンスを踊るようなステップで彼女は全身を回転させる。
「イーティングワン!」
 ミリハナクはそのままアルゲディの側面に回りこみながら、先ほど以上の竜巻の如き一撃を、身を起こしつつある男に叩き込んだ。
 刃がアルゲディを食い破らんとした刹那、男はその身体を回転の内側へと、つまりミリハナクの側へと捻りこむ。
 肉を裂く感触と、鈍い衝撃が彼女の腕へと伝わった。
 前者は、巨斧の刃がアルゲディの左わき腹に深々と食い込んだ証。後者は、斧の回転が押し止められた証。
 ミリハナクは、ぞくりと背筋を震わせた。
「回転の内側は、確かに威力が多少落ちますわね。でも、だからといって踏み込むものかしら?」
「く、くくく‥‥! 命のやり取りだろう? これくらいは、礼儀というものだ」
 狂気に歪められた青年の表情を目に焼き付けながら、ミリハナクはにっこりと笑ってみせる。
「ええ、まったく」
 どす、とカギ爪が突き立つ鈍い衝撃が胸元に走った。
 遅れてきた灼熱の激痛に呻き声一つ上げずに、彼女は崩れ落ちる。
 けたけたと笑う青年の声を遠くに聞きながら、ミリハナクはふと思った。
(夢でも、痛いものですのね‥‥)
 そこで彼女の意識は途切れた。

 わき腹に受けた深手を気にするでもなく、アルゲディは笑う。
「前菜のつもりだったが‥‥嬉しい誤算じゃあないか」 
 引きつるように笑いながら、青年は傷口に手を当てた。無残に開いていた傷は、それだけで消え去る。
「アリなのか、それは」
 思わずというように、ユーリがぼやく。
「あの女、ミリハナクに加勢しなかった以上、お前たちもあるいはサシの勝負が望みなのだろう? ならば、これも礼儀だ」
「うーん、便利‥‥とか感心してる場合じゃないかな」
 てへ、と零音はおどけつつも前に進み出る。
「次は私が! ‥‥といっても、サシは無謀かもしれないけど」
 彼我の実力差を認めつつも戦いを挑むのは、成長を望む彼女の心ゆえだろうか。
 あるいは、これも純粋な好奇心なのかもしれない。
「なら、俺もだ。サシじゃなくてもいいんだろう?」
「好きにしろ」
 そこで、ユーリが名乗り出る。
 自分の力が、どこまで通じるのかが知りたかった。どこまで守れるのかも。
「‥‥私も行くわ」
 すぅ、と深呼吸をして、一千風も進み出た。
 自らの心にまとわりつく狂気の幻影を、ここで断ち切らねばならない。
「イチカ、か。お前はデザートのつもりだったが‥‥」
 冗談のつもりなのか、男は低く笑う。
 その笑い声を、空を切る音が遮る。一千風の神斬が抜き放たれていた。無言の宣戦に、アルゲディの目が怪しく輝く。
「いいだろう、来い」
 応じた言葉が終わるか終わらないかのうちに、一千風の姿が掻き消える。
 神速の斬撃が光の軌跡を描き、空中で無数の火花が散った。僅かに遅れて、甲高い激突音が連続する。
「ほう‥‥! 見違えたなァ、イチカ!」
「どんな理由があったとしても、多くの命を奪った貴方は許せない」
 狂喜する青年とは裏腹に、彼女の瞳は冷たい光を湛えている。
「独りよがりなシナリオは、ここで終わりよ‥‥!」
 逆袈裟に振りぬかれた刃に続いて、一千風の長い脚が跳ね上がる。
 望天吼を擁した回し蹴りはアルゲディのマントを裂きつつ、驚くべきバランス感覚でもってその軌跡の頂点で停止し、更にそこから横蹴りへと移行した。
 それはガードの上から青年を弾き飛ばす。
 そこへ、無数の弾丸が殺到した。ユーリの真デヴァステイターだ。
 凶暴な笑みを浮かべながら、アルゲディはマントを翻す。弾丸の多くはそれに巻き込まれ、叩き落された。
「当たると思っちゃいない」
 ユーリは不敵に笑う。あくまで、銃撃は牽制だ。
 本命は別にある。
「んじゃ、一方通行で行くとしますか!!」
 弾丸の雨に続いて、零音が踏み込んでいる。
 踏み込んだ勢いをそのままに、凍瀧を抜刀。居合いの要領で白い刃が閃く。
 遅れて赤い液体が飛沫いた。
「やるものだ‥‥」
 腹部に走った居合いの跡をゆっくりとなぞりながら、青年は笑った。
 途端に、零音の首筋に寒気が走る。反射的に刀を掲げた瞬間、激しい衝撃とともに少女は弾き飛ばされた。
 零音は辛うじて受身を取りつつも、耳の奥で一瞬でフル回転し始めた鼓動がやかましく鳴った。
(この速度‥‥あいつと同等、いや瞬間的にはそれ以上!?)
 そんな考えをする間にも、黒衣の殺意が詰め寄ってくる。
(集中しろ! タイミングと力、方向で何とかなる、ハズ!)
 暴風のようなカギ爪を、少女は危ういところで凌いでいく。
 だが、それも長く続かない。程なく刀が弾かれ、無防備な首筋が露になった。
 そのとき、再び弾丸がアルゲディの動きを止める。
「させないさ!」
 今度は自らが踏み込みながら、ユーリが大型拳銃を撃ち込んでいた。
 駆け抜けざま、眩い光が一文字に走り、繊維の焦げる音と臭いが立ち上る。同時に、鮮血も舞った。
「あそこからカウンターとはね‥‥」
 素早く間合いを取りながら、ユーリが苦笑する。
 その左腕は、銃杷から肘にかけてをカギ爪で引き裂かれていた。微かに掌に力を込める。痛みはあるが、動く。
(なら、まだいける)
 素早く照準し、撃つ。衝撃で血が滴り、激痛が走る。
 傷を省みない射撃によって、僅かにアルゲディの意識がユーリへと集中した。その間隙を、一千風が突く。
 上段からの飛び蹴りによって、望天吼の切っ先が青年の肩口に突き立った。
 ぐらりと傾いだ男は、凄絶な笑みを浮かべてカギ爪を繰り出す。空中の一千風に避ける術はないかに見えた。
「終わりよ」
 だが、今の彼女にはその術がある。神斬が空中に突き立ち、そこを支点に一千風は回転してカギ爪を完全に回避した。
 着地と同時に、空中の神斬をアルゲディの心臓へと突き刺す。
 乱れた体勢のまま、それでも男はその切っ先をカギ爪で迎撃するも、それは一撃を凌いだに過ぎない。
 神斬はカギ爪を弾き飛ばした刹那、もう一撃を過たず男の胸板へと穿っていた。光速の連撃、真燕貫突。
「‥‥強くなったな、イチカ」
 引き抜かれた刃の跡から、ごぼりと血が溢れ出す。致命傷だった。
「終わった、の‥‥?」
 脱力したように、一千風は呟いた。
「し、神経がヤバイかも‥‥」
「俺もだ‥‥いてて‥‥」
 零音とユーリの二人も、ドッと疲れが出たのかへたり込む。
 夢だからなのか、妙にあっさりとした結末だったが、心のつかえは多少軽くなった気がした。

 続いて対峙したのは、無月だ。
「貴方を‥‥超えさせていただきます‥‥」
 そういって大刀を構えた姿には、一分の隙もない。
 以前までに多少見られた、敵に対する見通しの甘さも鳴りを潜めたようだった。
「面白い」
 アルゲディはそれを見て取り、嬉しそうに口元を歪めた。
 相応以上の実力者が一対一で向かい合うとき、勝負は概ね一撃で決まる。
 無月が動いた。
 優に二メートルを超す大刀が、恐ろしい速さで振り下ろされる。
 唸りを上げるその刃をカギ爪で逸らすと、アルゲディはそのまま刀身を上からこするようにしてカギ爪を繰り出した。
 無月は慌てずに手首を返し、逆にアルゲディの懐へ肩を潜り込ませる。互いの勢いが加わって、無月の肩が強かにアルゲディの腹へと叩きつけられた。
 たたらを踏む男に、今度は大刀が横薙ぎに振るわれる。
 それを跳んで回避しながら、アルゲディは刀身を蹴りつける。
 ぐわんと揺れた大刀が無月の腕を痺れさせたが、彼は柄を握る手に力を込めて強引に耐え、そのまま刃を返して空中の男へと切りつける。
 ぎゃり、と耳障りな金属音が鳴り、大刀がカギ爪によって受け止められる。が、斬撃そのものの勢いが消えたわけではない。
 派手な火花を撒き散らしながら、アルゲディは大きく吹き飛ばされた。
 優に十メートルは飛んだ男との間合いを、無月は一瞬で詰める。
 喜色を浮かべた強化人間の瞳と、怜悧な光を湛えた無月の瞳が空中で交差した。その刹那、明鏡止水が光の速さで抜き打たれる。
 遅れて、アルゲディの胴体から鮮血が吹き上がった。
「お見事‥‥」
 呟く青年の口の端から、一筋の紅が滴る。
「よもや、こうも打ち込まれるとはな。くく‥‥」
「‥‥貴方の腕が鈍ったのでは?」
「手厳しいな」
 胴体に刻まれた傷はかなり深いようで、男が楽しげにくつくつと体を揺らすたびに血が溢れ出している。
 それでも倒れないのは、腐っても強化人間ということか。
「事実、お前たちは強くなった。――それとも、証が欲しいのか?」
 そういいながら、アルゲディはマントをはためかせた。一瞬傷跡が隠れたかと思うと、跡形もなく消える。
 そのまま無月に背を向ける男に、彼もまた大刀を納める。
(エミタに近づいたという‥‥証‥‥)
 鞘に納め切る寸前の刃に、自身の瞳が映った。

 それらの戦いを見ながら、羽矢子は一人考えていた。
(アルゲディがやりたかったことは、大体わかった‥‥)
 人を絶望させる、破滅への可能性。
 いつもは忘れていたとしても、いざ終末と相対したときにそれは芽を出すのだ。
 ああやっぱり‥‥やっぱり逃れられなかった、と。
 つまり、男の蒔いた種が実を結ぶのは、現実に世界が終焉を迎えるその瞬間。
(そのとき、人はどう思うんだろう。諦める? 憤る? 嘆く?)
「『逆境が人に与えるものこそ美しい』‥‥か」
 ふと、咲が呟いた。
「彼なりに言い換えれば、絶望が人に与えるものこそ美しい、でしょうか」
 伊織がその言葉を引き継ぐ。
 名言の言い換えにしてはな、と咲は苦笑した。
「絶望が人の救いになる、とでも考えたのか。‥‥到底、相容れる信念じゃない」
「異なる信念の激突。闘争の本質です」
 そういって、困った人だと伊織は笑った。
「彼は、どうだったのでしょうね。異なる信念を抱いたから戦い続けたのか、それとも‥‥」
 そんな会話を聞きながら、羽矢子は宙を仰いだ。
(あんたは、何を思ってそんな脚本を書いたの?)
 乳白色に淀む空は、彼女の思考に何の光も与えない。
「‥‥むかつく奴」
 ふん、と羽矢子は腹立たしげに息をついた。

●夢の跡
 ぎぃん、と一際甲高い金属音が響いた。
「――俺は、お前のようにはならない」
 決別するように、トヲイはいう。ほぼ同時に、弾き飛ばされた鈍色のカギ爪が地面に突き立った。
「太陽を見つけたか? くく、翼をもがれるなよ」
 楽しそうに笑いながら、アルゲディは半ばから抉れた右腕を押さえる。
 噴出していた血はそれだけで止まり、白磁のような肌が覗いた。
「差し出す右腕を、俺は刃にはしないさ」
「そうか。‥‥死人のことは忘れろ、トヲイ」
 二人はそのまま背中を向け合い、お互いに振り向くことなく離れる。
 アルゲディは地面に落ちたカギ爪を拾い上げ、愛しむように右腕へと再び取り付けた。
 そのとき。

「――さて、全ての話し合いと殺し合いは‥‥終わったかね?」

 黒衣の男がもう一人、霧の奥からゆっくりと姿を現した。
 UNKNOWNだ。
「待たせたようだな」
 多くの者がその登場に驚く中、ただアルゲディのみが平然としている。
「‥‥名乗る必要はないだろう?」
 間合いをおいたまま、黒衣の男は黒衣の青年に巨大なエネルギーキャノンを向ける。
 照準を受けてなお、青年は微動だにしない。
 呆気ないほどに前触れもなく、莫大な光が銃口から溢れ出した。あまりの光量とエネルギーに、落雷のような衝撃が走る。
 圧倒的な光の奔流が収まると、左半身を消し炭としたアルゲディの姿が浮かび上がった。
 その姿に、黒衣の男は多少意外そうな表情をする。
「少しは抵抗すると思ったが、ね」
「くく‥‥俺は人の脚本に付き合うほど暇ではないし、道化は二人もいらん」
 炭化した自らの半身を面白そうに見下ろしながら、青年は笑った。
「まぁ、お前はそのつもりはないのかもしれんが」
「聞きしに勝る、といったところかな」
 黒衣の男も、穏やかに笑う。
 そのままエネルギーキャノンを担ぎなおすと、男はそのまま踵を返した。
「夢は終わる。悪夢もまた然り、だ。――この夢も、そろそろ覚めるだろう」
 ゆっくりと歩き出すUNKNOWNに応じるように、アルゲディの体が薄れ始める。
「では、次は夢の外で逢おう」
 黒衣の男は霧の中に消える寸前、軽く帽子を抑えて能力者たちに礼をした。
 ――終演が近い。
 それを悟った羽矢子は、おもむろに青年へと歩み寄る。
「あんたのやったことは赦さない。けど、多分‥‥善悪を超えて、やりたいことをやりきったあんたが羨ましい」
「意地は通してこそ、だ。通してみろ、ハヤコ」
 相変わらず上から目線のアルゲディに呆れつつ、彼女は一本のワインを取り出した。
 背後が透けるほどに薄くなった青年に、羽矢子はそれを渡す。
「お供えってんじゃないけど‥‥もう化けて出てくるんじゃないよ」
「‥‥ふ、これはありがたい。そうだ、ハヤコ、一ついっておこう」
 恭しく酒瓶を受け取りながら、青年は穏やかに微笑む。
「俺は、下戸だ」
 その言葉を最後に、アルゲディの姿は光の粒子となって消えた。
「――やな奴!」
 思わず憤りが頬を熱くさせ、そこで彼女の意識も遠くなっていった。



 妙な痛みに、羽矢子は目を覚ました。
 頭の奥に鈍痛がわだかまり、体の節々がみしみしと音を立てている。
「‥‥」
 ぼんやりと体を起こせば、どうやら変な体勢で眠ってしまっていたらしい。
 足元に、空になったワインの瓶が転がっていた。
「‥‥悪酔いしたかな」
 軽く頭を振りつつ、彼女は歩き出す。
 まだ起きるには早い時間だったが、どうにも眠気が失せてしまっている。顔を洗って、水を一杯飲みたい気分だった。
 何かおかしな夢を見た気がしていたが、部屋を出て洗面所に向かう頃には、その記憶も雲散霧消してしまった。

 同じ頃、トヲイもまた目覚めていた。
 やはり妙な夢を見ていたような気がして落ち着かず、まだ暗い中を散歩に出かける。
 ふと見上げた冬の夜空は冷たく澄んでいて、星々が美しく煌いていた。
 だが、普段ならば心を癒すその景色が、今はなぜか物悲しい。
 不意に、トヲイの胸中に有名な俳句が浮かんだ。
「兵どもが、夢の跡‥‥か」
 呟いた声は白い息に混じり、星空へと溶けていった。