タイトル:【BR】三叉路マスター:瀬良はひふ

シナリオ形態: シリーズ
難易度: 難しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 1 人
リプレイ完成日時:
2012/03/13 06:45

●オープニング本文


「ご存知だったので?」
 けらけらと笑うアルフレッド=マイヤーに、ブリジット=イーデンは氷点下の声で問うた。
「まさか!」
 男はさも愉快そうに答え、でも、と続けた。
「予想はできたけどね」



 軍病院の一室で、一人の青年が呆然と窓の外を眺めていた。
 名を、チャールズ・グロブナーという。
「‥‥俺は、チャールズ‥‥?」
 彼が目覚めた時、周囲は騒然としていた。
 何でも、2ヶ月近く昏睡状態であったのが、突然覚醒したのだという。
 加えて、青年の記憶が失われていた事が、騒ぎを大きくしていた。
 父親だと名乗る男性。仲間だと名乗る人々。どの顔にも、覚えはなかった。
「俺は‥‥」
 心配されていることを理解し、思わず謝った。
 だが‥‥形ばかりの謝罪に、面会に訪れた人たちは一様に表情を曇らせていた。
 不意に青年は立ち上がる。
 不思議な事に、長い間寝たきりだったにも関わらず、彼の身体は問題なく動いた。
 窓枠に手をかけ、開放する。まだ冷たい空気が、青年の頬を撫でる。
「俺は、何だ‥‥?」
 力のない呟きが、冬の外気に溶けた。

『チャールズは、まぁ、元気ないみたいだけど、とりあえず大人しいよ』
「‥‥分かった。引き続き頼む、ケラエノ」
 ラウディ=ジョージ(gz0099)は、部下からの無線にそう答えると、珍しくため息をつく。
 無理もない、と秘書のクラウディアは瞑目した。
 実のところ、ラウディに親しい身内というのは少ない。
 特に実の両親や兄弟との折り合いは最悪に等しく、男が故郷を離れ、アメリカで事業を起こしているのはそれが一因である。
 そんな彼にとって、唯一信頼できる親族がチャールズの父、アルバートであった。
「隊長」
 と、一人の少女が部屋に入ってきた。
 ショートの金髪が、扉の開け閉めで小さく揺れる。
「アルキオネか。どうした」
「彼は、どうなるの?」
 淡々と、少女は問うた。
 その問いに、ラウディは無感情に答える。
「主治医の話では、しばらくはリハビリ、らしい。記憶については、著しい消耗による一過性のもの、だそうだ。脳に損傷はない、とのことだからな」
「私が聞きたいのは、それじゃない」
 アルキオネは、やや強い口調で返した。
 珍しい、とクラウディアは小首を傾げる。
 男はもう一度嘆息すると、僅かに苦渋を滲ませる声で告げる。
「――記憶がない以上、尋問する意味はない。同様に、現時点ではエミタ治療も認められない。本人の意志確認ができないからだ」
「‥‥そう」
 少女は平板な声で答えると、そのまま踵を返した。
「‥‥同情、でしょうか」
 アルキオネが部屋を出た後で、クラウディアはふと呟いた。
 あの少女も、家族をバグアによって殺害されている。
 ラウディに拾われなければ、エミタ適性がなければ、あるいは、チャールズの姿は彼女自身のものであったかもしれない。
「ふん、さあな」
 ぶっきらぼうに答えると、男はデスクに向かう。
 やるべき仕事は、まだまだ多い。



 ブリジットは、呆れを通り越して疲れた表情を浮かべている。
 マイヤーは言った。
 人間の身体が、タキオンを用いた処理に耐えきれるはずがない。だから、生体金属を『共生』させたのだ、と。
「ならば、何故記憶が?」
「何故って? 脳はそのままだろう?」
 当然じゃないか、と至極不思議そうに男は答えた。
 人間の脳の持つスペックは、想像以上に大きいものだ。だが、それでも限界はある。
 つまり、チャールズの記憶喪失は、タキオンの使用過多による一種のオーバーフローなのだ。
「‥‥リープが原因、ということですね」
 ブリジットは、長いため息をつく。
 リープ。ブラック・ライダーことジャン・バルドーとの戦いで、チャールズが最後に見せた『切り札』。
 極限まで圧縮したタキオンを一気に弾けさせる事で、使用者は数秒間、時間のくびきから解放される。
「いやぁ、怖いねぇ。‥‥何も教えてないのに、切り札を使っちゃうんだから」
 くつくつとマイヤーは笑う。
 その表情には、全く悪びれる様子はない。
「まぁ、記憶はそのうち戻るよ。身体の調整も、もうしばらくは大丈夫‥‥のはずさ。多分、きっと、おそらく」
 腹立たしいほどに軽薄な男に、助手の女は頭痛をこらえるように額を押さえた。
「‥‥一つ、お聞かせください」
 気力だけで、ブリジットは声を出す。
「何故、脳も耐えられるように改造しなかったのです?」
「何故って‥‥」
 マイヤーはきょとんとする。
「脳の改造はされないのが、基本だろう?」
 当然じゃないか、と至極不思議そうに男は答えた。



 チャールズのリハビリは淡々と続けられていた。
 そもそも、身体機能の低下はほとんど見られていない。目的としては、その刺激によって多少なりとも記憶が回復しないか、という色が強い。
 そのカリキュラムには、院外に出向いての散歩まで存在している。
 もっとも、その結果は芳しくないようで、護衛の手間を増やしているだけ、と言われれば否定のできない状況だ。
 チャールズの素性を考えればバグアの襲撃を警戒するのは当然であり、病院の外に出ればその危険性は跳ね上がる。
 だが、それでも外出をせねばならない、というのが実情なのだろう。
 身体的に問題がない以上、病院内に無理にチャールズを留め置くことは軟禁に等しく、それは記憶の回復に、少なくとも良い影響を与えないことは明白だからだ。
 しかし、この外出は護衛の存在を大前提としている。

「だから、ちょっと細工をしておいたよ」
 どこかで、マイヤーがのたまう。
 どうやら、どこかにキメラの大群を差し向けたらしい。
 そこはラウディの経営する企業と関係が深い地であり、救援を要請されればプレアデスは動かざるを得なかった。
「‥‥」
 助手のブリジットは、何も言わずにため息をつく。
 この要領を、何故いつも発揮してくれないのだろうか。
「デ?」
 獣のような笑みを浮かべて、ジャン・バルドーが問う。
「ま、ラストホープの連中が付いてるだろうから‥‥暴れておいで」
「はン、ようやくカ。長かったゼ」
 意味深なマイヤーの台詞に、ジャンは跳ねるように立ち上がり、そのまま振り返りもせず去っていった。

「‥‥何?」
 ラウディは、クラウディアの報告に僅かに驚いたようだった。
 彼の経営する企業の影響が強いある街が、俄に湧いたキメラの大群に襲われているのだという。
 そこは前線から遠くないものの戦禍の影は薄く、自警団程度の防衛力しか有していない。
 つまり全滅は時間の問題であり、プレアデスは早急にそこへ向かう必要があった。
「――最後の希望に連絡を取れ。チャールズの護衛を任せる、とな」 
「しかし‥‥」
「ああ、怪しすぎる。だが、動かんわけにはいかん。‥‥チッ」
 珍しくあからさまな舌打ちをして、男は苛立たしげに部屋を後にした。

●参加者一覧

ケイ・リヒャルト(ga0598
20歳・♀・JG
赤村 咲(ga1042
30歳・♂・JG
漸 王零(ga2930
20歳・♂・AA
北柴 航三郎(ga4410
33歳・♂・ER
鐘依 透(ga6282
22歳・♂・PN
九条院つばめ(ga6530
16歳・♀・AA
白銀 楓(gb1539
17歳・♀・HD
湊 獅子鷹(gc0233
17歳・♂・AA

●リプレイ本文

●退廃の揺り籠
 午後に入り、散歩の時間が近づいてきた。
 天気は、悪くない。
 護衛の傭兵らが三々五々にエントランスに集まってくる中、メイプル・プラティナム(gb1539)はふとチャールズ・グロブナーに問うた。
「あの、チャールズさんは‥‥辛い事が待ってるってわかってても、記憶が戻って欲しいと思いますか? ‥‥逃げたいって、思ったりしませんか?」
「そう‥‥だな」
 少しだけ、青年は考える。
「正直なところ‥‥よく、わからない。ただ、目が覚めてから、ずっと感じている事がある」
「それは、何ですか?」
「‥‥このままでは、俺が俺でなくなるような、身体が、少しずつ冷えていくような‥‥」
 記憶がないからだろうか、と呟き、チャールズは口を噤んだ。
 視線を自らの手に落とし、何かを確かめるように開閉させる。
「――時々、無性に走り出したくなる。ここじゃないどこかへ、行きたくなる。でも‥‥」
「でも?」
 メイプルが促すも、青年は、いや、と首を振って言葉を飲み込んだ。
 その表情は悲しげに笑っているように見えて、少女は僅かに息を詰まらせる。
 今、チャールズから見えた色は、諦めではなかったか。
(‥‥守られている、から?)
 現在の青年の立場と、周囲の人々による保護とが、彼を縛っている。
 そう直感したメイプルは、複雑な表情で俯く。
「記憶が戻っても、戻らなくても‥‥」
 2人の会話が聞こえていたのか、九条院つばめ(ga6530)は呟きながら観葉植物の葉を撫でた。
「どちらにしても、茨の道‥‥なら」
「せめて、後悔はして欲しくない‥‥ね」
 傍らの鐘依 透(ga6282)が、言葉を継ぐ。
 そのために、自分たちはどうするべきなのだろう。
 簡単に答えの出せる問いではない。そもそも、どうすることがチャールズにとっての『最善』であるのだろうか。
(‥‥でも)
 悩ましい思考の合間に、つばめはふと思う。
(一番苦しいのは、チャールズさん‥‥)
 ならば、自分にできるのは、ひたすらに手を伸ばし続ける、それだけだ。

 やはり、覇気がない。
 漸 王零(ga2930)は、チャールズの姿を見て、そう感じた。
 以前の青年は、危うい影を感じはしたものの、鋭い気を纏っていたはずだ。
「記憶、無くしちまったか‥‥ヒーロー」
 王零の隣で、湊 獅子鷹(gc0233)が呟く。
 どう話しかけたものか、戸惑っているようにも聞こえる。実際に、少年は未だチャールズに声をかけられずにいた。
 機会は、あった。
 それでもなお、何かが獅子鷹の足を止めている。あるいは、記憶喪失に対する罪悪感だろうか。
 そんな少年の視線の先で、北柴 航三郎(ga4410)がチャールズにもう幾度目かの注意を伝えていた。
「――何があっても、アーマーシステムは使わないでください。命を捨てたりしないでください。‥‥どうか、お願いします」
「‥‥ああ」
 青年のその返答も、何度目だろう。
 航三郎は、どこか薄いその反応に悲しげに表情を曇らせる。
 だが、チャールズの心情は無理のないものだ。
 何よりも、実感がないのである。
 自身の境遇は元より、バグア、強化人間、アーマーシステム。それらは、本当に自分と関係のあることなのだろうか。
 周りの人々の配慮や気遣いを見れば、恐らくは本当なのだろう。
(‥‥だとしても)
 チャールズは、密かに嘆息する。
(俺は、そのアーマーとやらの使い方さえ、知らない)
 正確には、覚えていない、だが、同じ事だ。
 そして、それが生死に関わるのだと言われれば‥‥例えようのない焦燥感のみが、青年の内に沈殿していく。
 確かめたいと思わなかったわけではない。だが、変身に必要だとされるベルトは没収されている。
(――ベルト無しでも、その‥‥『変身』は可能なのか?)
 分からない。
 仮にそれが可能だとして、実行して良いのか?
 分からない。
 ‥‥分からないことだらけだった。
 赤村 咲(ga1042)は、そんなチャールズの苦悩を察し、僅かに奥歯に力を込めた。
(自分が何者で、どうしてこうなったのか‥‥その実感がないのは、辛い)
 仮に、それが己に降りかかったならば。
 咲は想像し、頭を振る。
 それはまるで、見も知らぬ街の人ごみに取り残された子供のような、言い尽くせぬ不安の只中なのだろう。
 結局のところ、ここは青年にとっては過保護にすぎた。
 その保護を振り払うには、彼は優しすぎる。
 花に水をやりすぎれば根腐れを起こすように、それは彼の精神を蝕みかけていた。
 チャールズにとって幸運があるとすれば、あくまで自然体で彼と接するように努める、透とつばめの2人がいた事だろう。
 たとえ短時間にせよ、2人との交流は彼の清涼剤足り得た。
 もう一つの幸運は、メイプルと明神坂 アリスの存在であろう。
 青年自身にも理由はわからなかったが、少女達は間違いなく彼の心の支えであった。
 記憶を失っていても、意識の奥底で妹の面影を2人に重ねているのだろうか。
 いずれにせよ、療養が長期間に及べば及ぶほど、チャールズの奥底に灯る種火は弱くなっていくに違いない。
「とは言え、何ができる‥‥?」
 咲は苦々しく呟き、サングラスを押し上げる。
「――そろそろ、行きましょうか」
 ケイ・リヒャルト(ga0598)の涼やかな声が響いた。
 外出の時間だ。
 徐に歩き出したチャールズに、僅かに逡巡したアリスが声をかけた。
「チャールズ! あの‥‥行ってらっしゃい!」
「‥‥ああ、行ってきます」
 青年は微笑み、軽く手を振る。
 結果だけを言えば、チャールズはこの病院には二度と戻らなかった。
 薄っすらと、少女にはそんな予感があったのかもしれない。



 どこかで、アルフレッド=マイヤーが笑っている。
「ラストホープの連中は、怒ってるかもね」
「はぁ」
 ブリジット=イーデンが気のない返事をした。
 それに構わず、男は続ける。
「プレアデスの時は襲われなかった。ラストホープの時は襲われる。つまり、舐められてるわけじゃないか」
「そう、ですね」
 ブリジットは小首を傾げる。
 確かに、そう取られるかもしれない。
 だが、それが何の関係があるのだろう。
「うんうん。彼らは怒っていいと思うよ。そうなった場合は、怒っていいのさ」
「‥‥何が仰りたいのです?」
 よく分からない物言いのマイヤーに、ブリジットは眉をひそめた。
 こういう時、この白衣の男が彼女にとって望ましい事をした例はなかった。
「いやぁ、だからさ、そういうのにしっぺ返しをするために、是非とも万全の対策をしておいて欲しいってね?」
「‥‥つまり、私たちも出る、という事ですか」
 わざと迂遠な言い方をするマイヤーの思考を先読みし、ブリジットは疲れたように言う。
 男は聡明な助手にけらけらと笑うと、机の上に散らかった何かを手当たり次第にポケットへと詰め込み始めた。
 発明品の類なのだろうが、どれが役に立ち、どれが役立たずなのかは判然としない。
「しかし、そうでなかったらどうするのですか?」
 ふと、ブリジットが問う。
「ああ、油断してたらってこと?」
 何でもないというように、男は答える。
「その時は、まぁ、勝手に後悔するだけでしょ。僕には関係ないねぇ」
「‥‥その通りですが」
「あはは、煮え切らないね。チャーリーが心配かい?」
 マイヤーの指摘に、ブリジットは黙りこむ。
 くつくつと男は笑うと、安心しなよ、と続けた。
「僕ぁ、むしろチャーリーを助けに行くのさ」
「‥‥」
 女は無言でため息をつくと、諦めたように首を振った。
 今更、どの口が言うのか、などとは思わない。
 ジャンをチャールズに差し向けるのも、『助ける』というのも、発想は共通だからだ。
「その方が、楽しそうだからね」
 マイヤーは愉快そうに指をくるくると回しながら、重そうな白衣を纏って歩き出した。

●『死』という救済
 病院を出発して、もう少しで一時間が経つ。
 そろそろ引き返すべきか、といった頃合いで、周囲を警戒していたケイがふと耳をそばだてた。
 エンジン音。バイク、だろうか。
 咲に身振りで伝えると、男はそちらへ双眼鏡を向け、頷く。
「――お出ましね」
 瞳を真紅に染めつつ、彼女は仲間に合図を送った。
 ほぼ同時に、全員の視界に黒いバイクとライダーが入ってくる。
 黒いライダースーツにヘルメットのライダーは、一見してただのツーリング中の若者と見えなくはない。
 この時代に、単身でツーリングを楽しむ若者がいるとすれば、だが。
 皆が一斉に体勢を整える中、バイクは悠々と接近し、ケイのアラスカ454の射程外ギリギリで停止する。
 弓かガトリングに持ち替えるべきか、と彼女が一瞬考えた時、ライダーがヘルメットを取った。
「――よォ、久々だナ、先輩」
 くすんだ灰色の髪をかき上げ、金色の瞳をギラつかせるその男は、どこかネコ科の猛獣を思わせた。
 何より、その特徴的な訛りのある喋り方。
「よう、元気そうだな‥‥ジャン」
「あン? あァ、てめェカ」
 獅子鷹の声に、ジャン・バルドーは興味なさげに応じる。
「そんなツラしてやがったか。覚えたぜ?」
「悪ィガ、てめェには話してねェ。デ? シスコンのチャールズ先輩は女の影ってかァ?」
 下卑た笑い方をするジャンに、チャールズは眉をひそめるも何も言わない。
 その反応に、男は一転して黙ると舌打ちをする。
「んだヨ、記憶がねェからってつまんねェ反応だゼ。やっぱ殺すカ」
「ほう、飼い主からそういうお使いを頼まれたか?」
 揶揄するような王零の言に、ジャンはゲラゲラと笑った。
「そうサ! ワンワン! 僕は哀れなペットですゥ! 見逃してくださァイ!」
「‥‥ゲスな男ね」
 呆れたようにケイが吐き捨てる。
 ジャンは笑い声を更に高くすると、堪え切れないというように腹を抱えた。
「ひはハ! そのゲスにハメられるてめェらは何モンだって話だゼ!」
「何ですって?」
「だからよォ‥‥こういう事サ」
 ジャンが指を鳴らす。
 途端に、周囲の地面のあちこちが盛り上がり、何かが次々に顔を出した。
「キメラ‥‥! 地面に伏せていたのか!?」
 やられた、と航三郎が唇を噛む。
 恐らくは、この一帯に事前からキメラは伏せられていたのだ。地中を音もなく、静かに潜行させておけば、滅多なことでは気づかれない。
 そうすれば、後は合図を待って現出させれば良い。
 ただのキメラならば、長時間地中に潜伏させることはできないが、機械化キメラならば話は別だ。
「くっ、地中もあり得るとは思っていたが‥‥」
 咲は心中で舌打ちする。
 確かに、警戒はしていた。だが、彼は双眼鏡で周囲の警戒も行なっていた。となれば、自然、目に見えない方向への注意は散漫となってしまう。
 あるいは、地中にだけ警戒の網を張っていれば、多少の違和感には気づけたかもしれない。
 とはいえ、今は後悔の時ではない。
 男は、以前の記憶を辿る。確か、廃工場の時もこの甲虫はいたはずだ。
 野良キメラに混じって数体が存在していたが、キメラとしては異常な防御力を持っていた。
 数が少なければ、どうとでもあしらえる相手ではある。
 だが、ここに現れた数は‥‥。
「さァテ‥‥精々足掻けヨ、てめェラ。――変身!」
 加えて、ジャン・バルドー‥‥ブラック・ライダーの存在。
 状況は贔屓目に見ても、良いとは言えなかった。

 能力者達の対応は、必ずしも万全だったとは言い難かった。
 キメラの存在を予期していた者は多かったが、その多寡までは気にかけていない。
「数が‥‥!」
 透は焦ったように魔剣で甲虫を切り払う。
 個々の戦闘力は、防御力を除いて大したことはない。
 ――その防御力が、厄介なのだ。
 一体一体の殲滅に要する時間が、予想よりも長い。
 それはつまり、キメラ殲滅を優先した傭兵を足止めする事と同義であり、ジャンにとっては各個撃破の機会を提供するに等しかった。
 無論、時間さえかければ、キメラを倒しきることは可能だ。
 その時間が、現状では最も惜しまれるべき資産でさえなければ、誰もがそうしただろう。
「せめて敵の足を‥‥!」
 そして、ジャンの機動力を奪う目的でバイクの破壊を考えていた者も、バイクの耐久力を考慮に入れていた節はない。
 航三郎はヘスペリデスを目標に向け、起動させる。
 発生した強力な電磁波に包まれたバイクは、しかし、多少装甲を焦がしたのみで姿を現した。
「それならタイヤを」
「撃つ」
 ケイと咲の銃から放たれた弾丸が、ほぼ同時に前輪に着弾する。
 甲高い音。
「‥‥弾かれた?」
 怪訝そうに目を細め、ケイが小さく舌打ちした。
 ジャンの下卑た笑いが響く。
「っはァ! ただのバイクだとでも思ってたのかヨ? おめでてェ奴らだゼ‥‥ニーズホッグ!」
 男の呼びかけに答えるように、黒いバイクがエンジンを吹かし、戦場の周囲を走り始めた。
「ワームの一種、か‥‥? いい趣味をしている!」
 王零がニヤリと笑った。
 強化人間に与えられるHWやゴーレム、タロスの代わりなのだろうか。
 代替物としての性能はお世辞にも匹敵しているとは言い難いだろうが、仮にも能力者からの攻撃を凌いだあたり、耐久力は並以上なのだろう。
 確かに、いい趣味だ。
「搦め手は効果が薄いとなれば‥‥行くぞ、湊。レールガン、合わせられるな」
「任せろ」
 王零が電磁加速抜剣盾鞘「レールガン・天衝」を構えれば、獅子鷹も電磁加速鞘壱型「レールガン・断罪」を掲げる。
「はン、前の玩具カ。‥‥いいゼ、来いヨ」
「そう? じゃ、遠慮なく」
 それに応じたのは、ケイだった。
 一瞬でクロネリアに4本の弾頭矢を番えた彼女は、息もつかせず投射する。
 山なりの射線を描いた矢を、バイザー越しに凄絶な笑みを浮かべたジャンが見つめ‥‥着弾。
 その爆発と同時に、王零の姿が掻き消える。
 迅雷。
 その後を追うように、獅子鷹も駆けた。
 電磁力によって加速した魔剣が鞘から放たれ、放電をまき散らしながらジャンに襲いかかる。
 爆炎を切り裂く高速抜剣と、ライダーの脚甲が跳ね上がって噛み合った。その激突音が鳴り響くのと同時に、獅子鷹がジャンの側面に踏み込む。
 深く沈んだ体から電磁加速鞘が覗いたと見えた瞬間、大太刀が音もなく閃く。
 さながら、十字砲火の如く走った二刃目の斬撃だったが、ジャンは腕甲を駆使してこちらも迎撃してみせた。
 遅れて、耳障りな金属音が鳴る。
「凌ぐか! まぁ、これで終わっては困るがな」
「ひヒ、言ってロ」
 軽口を返すジャンに王零は口の端を歪め、チラリと目で獅子鷹に合図する。
 直後、2人は刃を払って距離を取った。
 その隙を補うように、ケイからの銃撃が飛ぶ。
 至近距離での超接近戦では、僅かに相手に分がある。先手を取った以上、得物のリーチを活かして主導権を握り続ける必要があった。
 幸い、王零と獅子鷹による前衛、ケイによる援護射撃、という布陣は最善ではないにしろ、有効だ。
(後は)
 獅子鷹は一瞬だけ周囲に視線を走らせる。
(他の奴が、いつこっちに来られるか‥‥か)
 キメラを相手取る仲間は、予想外の苦戦を強いられているようだ。
 厳しい戦いになる、と直感し、少年は口の端を歪めた。

「このっ!」
 ワルキューレが、突進してくる甲虫を切り払った。
 少女らを囲むキメラは、飽きもせずにまとわりついてくる。
 そんな中で、チャールズを自身のAU−KVに乗せる余裕はなかった。
 ならばここは、少なくとももう少しキメラの数が落ち着くまで、耐えるしかないだろう。
 幸い、守る事に徹すれば、このキメラは決して怖い相手ではない。
(よし!)
 少女は気合を入れ直し、聖剣を振りかぶる。
 同じ頃、つばめもまたキメラに槍を振るっていた。
「甲殻は硬くても‥‥っ!」
 隼風の穂先が、するりと甲虫の関節部に吸い込まれる。
 ただ硬いだけならば、無視する事も選択肢として上がっただろう。
 だが、機械化によって最低限の攻撃力を有することとなった甲虫キメラを放っておけば、強敵との戦闘中に致命的な隙を生みかねない。
 あるいは、数に任せてチャールズに群がられれば、到底守り切れるものではない。
「‥‥冷静に、落ち着いて」
 声に出し、つばめは逸る心を抑える。
 キメラだけが敵ではない。ジャンという本命がいる。
 何よりも冷静である必要があるのだ。
 きゅっと唇を結び、少女は走った。

 期せずして、と言うべきか。
 航三郎はキメラと戦わざるを得なくなっていた。
 先程はバイクに向けることができた射線が、今は飛び交う甲虫キメラによってふさがっている。
 例え彼自身がジャンと戦うつもりであっても、まずはキメラを排除しなければならなかった。
 そんな中で、航三郎は自らの迂闊さに歯噛みしていた。
(スキルのセットを忘れるなんて‥‥!)
 本来であれば、対ジャンの切り札の一環として、虚実空間を用意しておくはずだった。
 それが、ない。
 その事実は、彼の動きから精細を欠かせるには十分だ。
 甲虫の動きに気づくのが、僅かに遅れる。
 そして、甲虫の背負う砲塔が火を吹く――寸前で、横合いから銃弾の嵐がキメラを弾き飛ばした。
 咲のSMGだ。
「た、助かりました」
 礼を言う航三郎に、咲は手で軽く応じ、次のキメラへと目標を定める。
 航三郎は咄嗟にヘスペリデスを甲虫へと指し向けた。
 発生した電磁波で身を焦がされ、動きの鈍ったキメラを、続く弾丸が蜂の巣にする。
(とにかく、数を減らすんだ!)
 こみ上げる自責の念を噛み殺し、航三郎は前を向いた。

 これで幾合目か。
 装甲と刃が交差し、火花が散る。その合間を、銃弾とエネルギーガンの瞬きが彩りを添える。
「てめェらもよォ! 残酷だよなァ!」
 ジャンが嘲笑うように叫んだ。
「あのまま死なせた方ガ、先輩は楽だったんじゃねェかァ!?」
「よく吠える犬ね、貴方」
 友人の苦悩を笑われたように思え、ケイが持ち替えたガトリングを掃射する。
 踊るようにそれを掻い潜り、なおもジャンは続けた。
「何がしてェんだかさっぱりヨ! 無駄に苦しませてさァ!」
 耳障りな金属音が響く。
 獅子鷹の如来荒神と、ジャンの腕甲がかち合っていた。
 僅かに、装甲に傷が入り始めている。
「だかラ、俺が助けてやるのサ。ひヒ、殺してやろうってんダ!」
「殺すのが救いだぁ?」
「そうヨ。死ねば何もねェ。全部終わりサ! 最高だろォガ!」
 哄笑。
 獅子鷹は応じるように笑うと、間合いを取った。
「死が救済。それが汝の哲学か」
「はン、気に食わねェってカ?」
「いや? むしろ、好ましい」
 王零が凶暴な笑みを浮かべた。
「綺麗事を並べるよりは、余程な」
「全くだ。‥‥てめぇは昔の俺そっくりだぜ」
 獅子鷹が吐き捨てるように言う。
「だから、『助けて』やるよ」
 駆け、少年は居合のように抜刀する。
 再現映像のようにそれはジャンの装甲に受け止められ‥‥微かな破片が舞った。

●苦悩の未来
 チャールズは考えていた。
 目の前で、能力者達が戦っている。それは、自分を守るためだという。
 何故?
(俺は‥‥そこまでされる価値のある人間、なのか?)
 それは、目覚めてからずっと感じていた疑問でもある。
 何故、自分が心配され、保護されているのか。
 『こんな自分』が、何故。
「‥‥こんな、自分?」
 不意によぎった思考に、ズキリと脳髄が痛む。
 かさぶたが割れたように、意識の奥底から滲み出てくる感情が、この現状を強く否定する。
(今のままでは‥‥ダメだ!)
 訳も分からず守られている、その現実を打破するためには。
 種火が、チリと火の粉を吹き始めている。

 黒銀に輝いていたジャンのアーマーは、いつの間にか無数の傷が浮き上がっている。
 対する3人も、身体のあちこちに熱く蟠る鈍痛を堪えて立っていた。
 ふと、王零は周囲の気配の変化を感じ取る。
 煩わしかったざわめきは、随分と穏やかになっていた。
 男は目で獅子鷹に合図を送ると、魔剣を構え直す。
「てめぇの顔も、そろそろ見飽きたぜ」
 獅子鷹の憎まれ口に、ジャンは肩を揺すった。バイザーの奥では、笑っているのだろう。
 短くない時間を戦い続けているにも関わらず、ブラック・ライダーに疲労の色は見えない。
 対する3人は平静を装ってはいるものの、じわじわと体力を奪われている。
(相変わらずの化物ぶり‥‥)
 関節部から嫌な音を立て始めた義肢に僅かに目を落とし、獅子鷹は深く腰を落とす。
(だが、殺す方法はいくらでもある)
 噛み締めた歯の隙間からシッと鋭く息を吐き、少年は一気に踏み込んだ。
 その背後から、ケイの援護射撃が飛ぶ。
「貴方、踊りが得意でしょう?」
「イラッとするゼ、お高く止まりやがっテ」
 ジャンはその弾雨を敢えて無視すると、迫る獅子鷹にのみ集中する。
 弾丸のいくつかがヘルメットを強かに打ち、バイザーにヒビが入った。
 直後、輝く一刀が大上段から雷の速度で打ち下ろされた。反射的にジャンの両腕が跳ね上がり、刃と噛み合う。
 その時、無防備となった脇腹に、獅子鷹の蹴りが捻り込まれた。メトロニウム製のブーツが、アーマー越しに衝撃を伝える。
「今だ、撃ちこめ!」
 少年の叫びとほぼ同時に、ジャンの上半身へ次々とペイント弾が着弾した。
 一発はバイザーに命中し、ヒビにそって蛍光色に染め上げる。
「‥‥手間はかかったが」
 咲が、プローンポジションからの狙撃を行なっていた。
「ペイバックタイムだ」
「美味しいところを持って行かれたな」
 苦笑しつつ、王零が魔剣を振るう。その剣筋は、先ほどまでとは一転してまとわりつくような、ジャンの動きを抑えこむものとなっている。
「っハ! これからが生本番ってカ! 上等ォ!」
 とらえどころのない剣閃にも、ジャンは獣じみた勘でカウンターを合わせてのけた。
 だが、王零はその更に上を行く。
 カウンターの一撃に逆らわず受け流すと、その勢いを利して身体を捻り、加えて円閃を発動させた。
 コマのように回転した男は、その勢いを掌打に載せてジャンの腹部に叩きこむ。寸勁のような形だ。
 そして、本命はその打撃ではない。
 グローブの先に装着されたシャドウオーブによる、ゼロ距離からの知覚攻撃。
 掌打の衝撃と、シャドウオーブからのダメージに、さしものジャンもたたらを踏んだ。
「彼は、貴方達の玩具じゃない‥‥!」
 そこに、透が疾風の如く駆け込んできていた。
「手を引かないなら倒します‥‥マイヤーも‥‥貴方も‥‥!」
「吠えやがったナ‥‥!」
 迎撃の拳をかい潜り、透は弓を引き絞るように魔剣を水平に構える。
「――飛燕‥‥烈破ッ‥‥!」 
 裂帛の気合と共に、神速の二段突きがバイザーを捉えた。
 何かが破裂するような音が響き、蛍光色の破片が飛び散る。ジャンのヘルメットの左半分が、大きく砕けていた。
 その破片で切れたのか、目元から鮮血を流しつつ、男は氷のような光を金色の瞳に宿す。
「‥‥ダーケイン」
「させないっ!」
 不吉な呟きをかき消すように、航三郎が叫んだ。
 ヘスペリデスが指し示したジャンのベルトが、スパークに包まれる。
 同時に生じた閃光が、一瞬だけジャンの視界を塞いだ。
「撃ち貫く――!」
 その一瞬で、つばめが飛び込んできている。
「『烈翔槍・絶乃飛燕』っ!」
 紋章を宿した隼風が、スパークの余波を纏ってジャンのベルトへと突き立った。
 耳をつんざくような激突音と共に、男の身体が吹き飛ぶ。
 土煙を上げて大地に叩き付けられたブラック・ライダーだったが、程無く、幽鬼のように立ち上がった。
「しつこい男ね‥‥」
 ケイの言葉が聞こえているのかどうか、ジャンは壊れたヘルメットをむしるように剥ぎとる。
「――っはァ! 久々に身体中が痛ェゼ」
 首を慣らし、ゆっくりと歩み寄ってくる男の雰囲気が少し変わったように見え、咲は目を細めた。
 酷く冷たい空気を感じるのだ。
 追いつめられた事で、何かのタガが外れたのかもしれない。
「ダーケイン」
 至極当然のように、ジャンが呟く。
 破損したはずのベルトが、闇を凝縮させていく。
「――なっ!?」
 一瞬で、ジャンが王零との間合いを詰めていた。
 辛うじて目で追えていた王零は、何とか漆黒の一撃を受け止める。
 話に聞いていた『リープ』が脳裏をよぎったが、それならば、目では追えないはずだ。恐らくは、瞬天速に類するスキルであろう。
 という事は。
 王零を弾いたジャンは、そのままチャールズへと突き進んでいく。
「手は出させん!」
 その後を、迅雷で男は追う。
 だが、同等のスキルであれば差は開かず、縮まる事もない。
 絶望的な刹那の間隙に、誰もが臍を噛む‥‥一人を除いて。

 時は少し前に遡る。
 メイプルはチャールズの正面に立ち、聖剣を盾のように構え、静かに前を見つめていた。
 キメラは殆どが片付いたものの、隙を見せられない程度には残っている。
 ならば、と、確信に近い予感があった。
 ジャンは、必ずチャールズに牙をむく。
「‥‥君は、どうして」
 不意に、青年が問うた。
 前を向いたまま、少女は答える。
「私、ずっと弱い自分から目を背けて、逃げてたんです。でも‥‥逃げずに戦うチャールズさんが、向き合う勇気をくれた」
「俺が?」
 こくりとメイプルが頷く。
 その時、ジャンが王零を弾き飛ばし、恐ろしい速度で向かってきた。
「だから、「誰かを守りたい」っていうヒーローの仮面、メイプルの意思じゃなくて――」
 少女の身に、緑に輝く竜の紋章が浮かぶ。
 同時に、黒い旋風が吹き荒れた。
 麗銀の刃が、暗黒の杭とぶつかり合う。
「私自身の、白銀楓の意思で! 勇気をくれた「貴方を」守りたい!」
 圧倒的な暴力に負けじと、メイプルは叫んだ。
 真摯な思いの発露に、チャールズの頭が再び痛む。
 その間にも、少女は懸命に青年を守り‥‥刹那の間隙を補いきった。
 王零が、僅かに遅れて透がジャンの身体を引き剥がす。
 こうなれば、最早二の矢はない。後続の傭兵も含め、ジャンは包囲された。
 そこに、エンジン音と間抜けな声が響く。
 幾人かには、聞き覚えのある声だ。
「――まさか!」
 振り返った咲の目に、真紅のバイクを走らせる白衣の男が映る。
 それはよたよたと能力者達の近くに辿り着くと、止まった。
「はー、慣れない事はするもんじゃないねぇ」
 バイクから降りた男、マイヤーはのほほんと呟くと、笑顔を浮かべて歩み寄ってくる。
「や、水を差しちゃったかな? ごめんねー」
 言葉とは裏腹に、微塵も悪く思っていないのは明らかだ。
 その姿に、能力者はおろか、ジャンでさえ怪訝な表情を浮かべている。
「何ばしに来よったか、マイヤー!」
 堪忍袋の緒が切れたように、航三郎が激発した。
 その声に、マイヤーの姿を知らない面々も気づく。
「アレが‥‥」
 透が呟いた。
 全ての元凶たる、バグアの科学者。
「何って、そりゃあ‥‥お、これだ」
 ゴソゴソと男が白衣から取り出したのは、ボタンの付いた拳大の装置。
 その形に、能力者たちの顔色が変わった。
「まさか‥‥!」
「ん? よく分かんないけど、正解だ! やったね!」
 拍手をするマイヤーに、誰かが、卑怯な、と呻いた。
 これでは、チャールズを人質に取られたに等しい。
「で、本題だけど、チャーリー。これは君のバイクだから。銘はファフニール」
「‥‥俺の?」
 怪訝な顔の青年に、マイヤーはうんうんと頷く。
「荒療治だけど、君は一人になるべきさ。今は、ね」
「何を‥‥っ!」
 勝手な。そう続けようとして、メイプルは思わず絶句してしまう。
 病院でのチャールズの表情を、不意に思い出してしまったのだ。
 そして、その青年はじっと考え込んだまま。
「にしても、君らは本当にアレだね。こんなモノ一つで、身動きもできない。いつも最悪の想定をしておかないと、いざって時に動けないよー?」
 のうのうと説教をぶるマイヤーの隙を幾人かが伺う。
 だが、ジャンがニヤニヤとその動きを牽制していた。
 機を見出せないままに時間が過ぎ‥‥チャールズが、口を開く。
「ありがとう。すまない」
 感謝と、謝罪。
 それが彼の答えだった。
 思わず、メイプルが青年の腕を取る。
「‥‥すまない」
「でも、でも‥‥!」
 もう一度謝るチャールズに、少女は必死で縋り付いた。
「苦しい道、だろう。‥‥それでも、例え死ぬとしても、俺は前を向いていたい」
 ゆっくりと語り、青年はメイプルの頭を撫でる。
 脱力するように少女は俯き、唇を噛んだ。
「決まりだね。それと‥‥これも」
 マイヤーはまたも白衣を漁ると、バイクの傍らに立った青年に何かを手渡す。
 それは、没収されたはずのベルトと同じ形をしていた。
「ま、スペアみたいなもんだよ」
 そう言ってけらけらと笑う男に、チャールズは困ったような顔をしてバイクに乗り、エンジンを吹かした。
 ジャンのものと同じく、ワームの一種なのだろう。見る間に加速し、離れていく。
 それを見届ける間もなく、マイヤーが手を叩いた。
「じゃ、用事は済んだから帰るね」
「あら、大人しく逃すとお思い?」
 ケイが挑発するように言うと、男は徐に手元のスイッチを押す。
「なっ‥‥!?」
 絶句する能力者たちをよそに、マイヤーはその装置を放り投げると目と耳を塞いだ。直後、轟音と閃光が周囲を圧する。
 耳鳴りに混じって、男の笑い声が響いた気がした。
「僕ぁ、それが何かなんて、一言も言ってないよ」
「ふざけ、る‥‥ごほっ!」
 叫ぼうとした航三郎は、不意にむせる。
 何とか開いた目に飛び込んだ光景は、白い闇。閃光煙幕弾、とでも言うのだろうか。
 ‥‥視界がようやく開けた時、そこには既に能力者たちしかいなかった。
「道が分かれた‥‥か」
 ぼそりと王零が呟く。
「ジャンは、チャールズさんを狙うはずです」
 メイプルそう言い、顔を上げた。
「だから、私たちも追いましょう。あの人の邪魔は、させない‥‥!」
 その目に、涙の跡は見えない。
 確かな意思が、宿っていた。