●リプレイ本文
●幻影
夏の、抜けるような青空が広がっている。
「――もう三年以上前になるんだね」
ぐっと伸びをしながら、赤崎羽矢子(
gb2140)が誰にともなく呟いた。
彼女が初めてこの空を飛んだ時の記憶は、少しだけ苦い。
「フロリダ半島‥‥か」
その呟きに応じるように、煉条トヲイ(
ga0236)もぽつりと零す。
彼にとってもまた、フロリダは感傷に値する場所だった。
リリア・ベルナール。かつての、北米バグア軍の総司令官。彼女が指令を発していた地こそが、ここだ。
つまるところ、地上におけるバグアの最重要拠点の一つ、であった。
「‥‥地上もほとんどが奪還されたし、あの頃は夢物語に見えたバグアの撃退も、手が届くとこまできた」
何かを確かめるような羽矢子の声に、鳴神 伊織(
ga0421)が頷く。
「戦いも、終わりが近づいていますか」
哨戒、という依頼の持つ意味も変わったな。伊織はそう思う。
少し前までは、その二文字にすら覚悟を決める必要があったというのに。
「だからこそ、油断せずに行こう」
そう言って、遠石 一千風(
ga3970)は微笑んだ。
今回のメンバーとは、共に幾度も死線をくぐってきた。安心して、背中を預けることができる。
そんな心地よい連帯感があるからこそ、程よい緊張も保つことができる。
「ですね。‥‥少し先に、正規軍の部隊もいるみたいです。無線の周波数、合わせておきましょう」
借り受けた地図を示しながら、赤村 咲(
ga1042)は無線を弄った。
テストついでに、挨拶も入れておく。無事につながったところを見ると、メアリー=フィオール(gz0089)の仕事ぶりは悪くないらしい。
「そういえば、あいつと会ったのもあの時だっけ。この光景見たら、どんな顔するかな。‥‥顔見たら、『取り返してやったぞ!』って言ってやるんだけど」
にひ、と笑って羽矢子が言う。
「あいつ‥‥か」
一千風は、微かに遠い目をした。
仮に、羽矢子の言うように顔を見れたとして、自分はどう対応できるだろうか。
あの目を、見据えることができるだろうか。
「アルゲディ――最近、再生バグアの件を耳にするが‥‥まさか、な」
「噂をすれば‥‥とも言いますよ」
トヲイの声に、伊織が珍しくジョークを返す。
縁起でもない、と青年は笑った。
(俺だけじゃ、なかったか)
咲は口にこそ出さなかったが、やはり、思い出していた。
かつての敵。北米バグア軍の幹部、トリプル・イーグルの一人、アルゲディ(gz0224)。
この狂気の強化人間と、この場にいる五人は、ラスベガス、そしてフーバーダムを巡って死闘を繰り広げた。
だが、それは既に二年以上も前の話だ。
なぜ、今になって思い出すのだろう。
――その理由を運命という単語に求めるのは、いささか陳腐にすぎるだろうか。
だから、その人影を最初は見間違いかと思ったのだ。
「こんな所に人が‥‥?」
思わず、咲が声に出した。
軍の兵士かとも考えたが、展開しているはずの場所はまだ遠いし、何より、その容姿は確実に兵士ではない。
「‥‥黒衣に仮面の男と少女の二人組、だと?」
双眼鏡から目を離しながら、トヲイは怪訝そうに言う。
怪しい、を通り越している。
「‥‥うえぇ」
信じられない、とばかりに羽矢子は唸った。
その姿には、見覚えがある。
時代錯誤も甚だしい、気取ったを通り越して道化じみた出で立ち。
アルゲディ。
「本人かもしれませんね」
しれっと伊織が呟くと、一千風は首を振った。
「まさか!」
ありえない、と彼女は続ける。
あの青年自身には、もはや蘇る理由などないはずだ。かつての主であったリリアは、既にいないのだから。
だが、気配、というべきなのだろうか。幾度も刃を交えたからこそわかる『何か』が、アレが本人だと告げていた。
「――アルゲディとアルドラ。それしか考えられない」
トヲイのその声に応ずるように、人影がこちらへと歩き始める。
よく見れば、その青年は少女を左腕で抱きかかえているようだった。
そして、少女はどうも眠っている、らしい。
「報告にあった『再生バグア』、か」
近づくにつれ鮮明になるその姿に、咲が呆れたように呟く。
仮面で隠された顔以外は、過去から抜き出したかのようだった。違和感があるとすれば、あの粘つくような殺気が感じられない、というところか。
「戦う気はなさそうですね。にしても、忙しないことで」
伊織が肩をすくめた。
ヨリシロとして使われ、南米で再び討ち果たされたと思えば、この再生だ。
「‥‥ほう、懐かしい顔が揃っているじゃないか」
指呼の距離にまで達した青年が、僅かに驚いたような声を上げる。
芝居がかった調子は、どうやら変わらないらしい。
「久しいな? アルゲディ――いや。ウィリアム・マクスウェル」
トヲイの呼びかけに、青年はくつくつと笑った。
目の前の『アルゲディ』は、確かに本物のように見える。
だからこそ、一千風は問うた。
「‥‥貴方たち、誰、なの?」
「哲学的な質問だ、イチカ」
その問いに、青年はどこか嬉しそうに応えた。
「――『記憶は命の証』、だそうだ。ならば、俺は覚えている。あの愉悦も、痛みも、死に至る暗闇も」
「なるほど、『本物』みたいね」
羽矢子が肩をすくめた。
噂通り、あのブライトンが「使える」手駒を欲しがっているのならば、恐らくはそうなのだろう。
(まぁ、Kを見た時からなんとなく予感はあったから、驚きはしないけどさ)
彼女の脳裏に、燃え墜ちる巨鯨の姿が蘇った。
驚きはしない。そう、驚きはしないのだが。
「――ブライトンに復活させられた気分はどう?」
自然と、そんな問いが口をついた。
「無粋、と思わなくはない。俺は舞台を去った、はずだったからな」
「‥‥劇を一度退場した役者に、戻る所は無いというのにな」
青年の答えに、咲が皮肉げに付け足した。
いや、あるいはそれは、同情だったのかもしれない。
「思わぬカーテンコール、だな」
トヲイが僅かに笑う。
「ファントム」
ふと、一千風が呟いた。
「私の知るアルゲディは死んだわ。そして、アルドラも。‥‥名乗らないのは、その自覚があるからでしょう?」
●夢の国のアリス
「ああ、そういえば‥‥名乗ってないわね、あんた」
羽矢子が頷く。
わざわざ名乗る必要もない、と言えばそうだが。
「やはり、文才があるな。イチカ」
青年は薄い笑みを浮かべた。
「まぁ、ご老体の気まぐれで蘇ったとはいえ、『俺』は死んだ身だからな」
「‥‥ブライトンは選んで復活させてるわけじゃないの?」
「選んではいるだろうが、まだブレがあるということさ。狙った情報だけを取り出すには、試行が必要だ」
羽矢子は眉をひそめる。
だが、それは事実だろう、という予感はあった。
使える手駒が欲しいならば、青年の傍らの少女が再生される理由などは、無いのだ。
「お前は、ただの実験台だと?」
「恐らくは。リリア様の前に近しいものを、という意図だろうさ。あるいは、アイコやアキラもいるかもしれん」
咲の硬質な声とは裏腹に、青年の声はいつも通りだ。
そして、リリアが既に死んでいる、という事実は知っているらしい。
「あんたは、それで納得してるの?」
「納得しようがしまいが‥‥事実は変わらん。もうしばらく、揺蕩うさ」
その言葉の意味を計りかねて、羽矢子は少しだけ首を傾げた。
気紛れに動く、ということなのだろうか。そうだとすれば、今ここに二人がいる理由も、合点がいかないではない。
だが、そうだとすれば。
「潮流が変われば、戦う‥‥と」
「‥‥理由はどうあれ、命を戻された義理はあるからな、イオリ」
「妙なことを言いますね」
伊織は目を細める。
義理で、戦うという。この青年が。本音とは、思えなかった。
「しかし、お前には戦う気はないのだろう?」
トヲイは腕を組み、暗に嘘を喝破する。
それは単なる予感ではあるが、確信に近い。
そもそも、その気があれば、こうした会話など既に終わっているはずだ。
「まぁ、な。だが‥‥リリア様の直臣が揃って不出来では、という話だ」
誤魔化すように、青年は笑う。
「大した忠犬ぶりだ」
咲が吐き捨てるように呟いた。
リリアの名誉を守る、という口実。あるいは、それは彼なりの贖罪のつもり、なのだろうか。
もし、そうだとするなら。
「‥‥それよりも、その子のために生きてみたらどうだ?」
「良い冗談だ」
「ああ。半分冗談だが、意外と面白いかもしれないぞ」
咲と青年の視線が、昏々と眠り続けるアリスに注がれる。
完全に体重を預けている様は、心から安心している証左だ。そして、少女を片腕で抱きかかえる青年もまた、それを煩う様子を見せていない。
仲の良い兄妹、と二人を知らぬものに説明すれば、するりと信じるに違いない。
その距離感は、温かみさえ感じる。
「貴方は、アルドラを――」
「アリス、だ。その名は、忘れてやれ」
一千風の声を、青年は遮った。
僅かに口をつぐみ、彼女は続ける。
「‥‥アリスを、どうするつもり?」
「何もしない‥‥と言っても、信じまいが」
そこで、青年は苦笑してみせた。
「さしずめ、夢の国のアリス、ってとこ? ‥‥これは、再生の影響なの?」
羽矢子が、少女の顔を覗き込む。
この期に及んでも眠り続ける少女は――あっさりと懐に潜り込まれた青年も含めて――完調ではないだろう。
「地上は、少々遠すぎる」
「‥‥ふぅん」
何からかは、聞かない。
「あたしはさ、復活が悪いとか、判断できない。それを望む人も、いるだろうしね」
あるいは、この子も。
その言葉は飲み込み、羽矢子はアリスの前髪を優しく整えた。
「ただ、それを利用されたり、生前のしがらみが悲劇を生むなら、容赦はしないよ。‥‥ブライトンにそう伝えといてもらえる?」
「承ろう。ご老体が聞くかどうかは、知らんがな」
「期待はしてないよ」
やけに素直だな、と羽矢子は苦笑する。
前に話したときは、もっと――。
(ん?)
いつ、話したのだったか。
彼方に霞む記憶に、彼女は少しだけ首を傾げた。
●道化は
不意に、伊織が口を開く。
「人は、そう変わらないものです。この戦争が終わっても、恐らくは。切欠、にはなるでしょうが」
その目は、青年をじっと見据えている。
「貴方も、変わっていないのでしょう?」
「ふ‥‥いや、変わったさ。舞台は終わり、王は死んだ。主のいない道化など、いないも同然だ」
「‥‥そうやって、配役にこだわる。変わってはいませんよ」
呆れたように彼女は目を閉じ、嘆息した。
「まぁ、そう簡単に変われるなら、苦労はしないのでしょうけど」
「道化‥‥か。リリアの他に、仕えるつもりはないんだな?」
咲の声に、青年は肩をすくめた。
その返答に、さもありなん、と男は首を振る。
「愚問だったな。‥‥だが、また人類に刃を向けるのなら、俺は約束のために戦う」
「そうか」
淡々と、青年は答えた。
王たるリリア。道化たるアルゲディ。その構図は、今でも変わらないのだろうか。
「リリアは、最期まで強大な敵だった」
トヲイが口を開いた。
「‥‥だが、俺にとっては友でもあった。ベルナールの別荘で共に過ごした想い出は‥‥今も胸の中にある」
何かを確かめるように、胸の前で拳を握る。
その拳が、青年へと突き出された。
「そしてウィリアム‥‥お前もな」
「その名で俺を呼ぶのは、お前くらいだ、トヲイ。‥‥くく、物好きもいるものだ」
血で血を洗う闘争を、幾度繰り返したことか。
いつしか、青年の瞳の奥に、トヲイは自身を見ているような錯覚さえあった。
ある種のシンパシー、といえよう。
「貴方は、これから何をするつもりなの?」
一千風が問う。
「さて‥‥。退場した後の舞台に干渉するのは、趣味ではないがな」
「アル‥‥アリスは、まだ人間を恨んでいるの?」
「魂に刻まれた傷は、癒えぬさ。それとも、お前なら癒せるのか? イチカ」
できる、と喉元まで出かかった言葉を、彼女は飲み込んだ。
そうあれかし、と願うことと、可能であることは違う。
それでも。
「救いたい、という気持ちは、本物よ」
「‥‥まぁ、好きにするがいいさ」
ほんの僅か、その声音には温かみがある。
かつてなら、青年は冷笑のみを返したに違いない。
(――やはり、前と同じじゃない)
その理由がどうであれ、一千風には、この変化はチャンスでもある。かつての後悔を断ち切るための。
「貴方がまだ人間に敵対するなら、思い通りにはさせない」
決意を言葉に乗せる。
覚悟は、決まった。
彼女の意志を受け止めた青年は、静かに笑っていた。
眠ったままの少女を抱いたまま、青年は去っていった。
『現世は夢、夜の夢こそまこと‥‥とは良く言ったものだ。――俺達が認識している世界というのは、共同幻想に過ぎないのかも知れない』
『夢と現の境など、それこそ幻だとも。あるいは、俺の命が夢だとしても‥‥いや、だからこそ――』
トヲイは、去り際に交わした会話を反芻する。
「だからこそ――幕引きは、自分でするのだろう?」
呟いた声に、伊織が応えた。
「夢はいつか覚めるものです。その形が、どうあるにせよ」
そして、その夢の記憶がどうなるにせよ。
ふと、羽矢子が唸る。
「‥‥結局、気紛れで地上に来たのか、あいつ」
迷惑な、と零す彼女の目は、青空の遥か彼方を見据えている。
その視界の片隅で、赤い流星が天に昇ったように見えた。
「‥‥あれ?」
「目が覚めたか、アリス」
「兄さん? あれ? ここは?」
「帰りの道中だ。まだ、かかるぞ。‥‥寝ていろ」
本のページを捲る手を休めず、青年はアリスに声をかける。
「‥‥うん」
少女はその声に従い、もう一度目を閉じた。
「ありがとう‥‥兄さん」
程なく、穏やかな寝息が青年の耳に届く。
それを確認すると、彼は本を静かに置いた。
ほぼ同時に、ディスプレイに白衣の男が映る。アルフレッド=マイヤーだった。
『どーも』
「航海は順調だ。ルートに敵機はない‥‥不自然なほど、な」
『ああ、そりゃちょっとゴタゴタが起きたみたいですし?』
「ほう‥‥まぁ、それは帰ってから聞くさ。――そうだ、お前に伝言だ」
『はいはい』
「『追加公演の料金は、そのうち取り立てに行く』、だそうだ。サキからな」
『サキ‥‥赤村? うへぇ』
青年は反応を待たず、通信を切る。
再びの静寂に、ふと声が響いた。
「不器用な女だな‥‥アイコ」
嘲る調子ではない、同情に似た色があった。
「いや‥‥それは俺も、か」
自嘲の笑いが零れる。
ひとしきり笑うと、青年は仮面を外した。
「――まぁ、いいさ。道化は愚者。求められた役割を果たすだけ、だ」
「ん‥‥兄さん‥‥」
アリスが寝返りを打つ。
その髪を柔らかく撫で、青年はキャノピーから外を眺める。
バグアの本星が、赤く輝いている。
「暇つぶしに、な」
青年はそう呟き、口元を歪めた。