●リプレイ本文
今日の夕日の色は嫌に赤い。
不吉な事が起きる前兆の様だ。
噎せ返る程の血の臭いが充満している。
あの血の様に赤い太陽の所為なのだろうか?
濃い紫色の空を見上げ、そして椅子から立ち上がる。
「後は、逃げるだけか‥‥」
秘書や幹部も逃がした。
SPは必要最低限の人数をドアの外に待機させてある。
ビルの図面は頭の中に完璧に叩き込んで有る。
何処からか、ヘリの近付いて来る音がする。
能力者だろう。
未だ油断の出来ない状況ではあるけれども、それでも安心してしまう。
二度、助けられた事が有る。
それに何より、能力者と言うと彼女を思い出す。
フィオナ・コールという存在、フィオナ・コールではなくなってしまった存在。
彼女とかわした約束は、内容はどうあれ、僕の生きる理由になっている。
その約束の行き着く先が死であろうとも、それが死ねない理由になっているのだ。
そう考えると僕は、エーリッヒ・オーウェンは、単純な男だと思う。
たった一つの約束の為にこんなに今は生きたいと思っている。
強い、そして赤い光が部屋の中に差し込んでくる。
昼と夜の間。
黄昏がやって来た。
織那 夢(
gb4073)は二振りの月詠を持ち、エントランスホールの様子を窺う。
静寂しか其処には存在しない。
異質な存在を目視出来なければ、本当に何事も無い様だった。
「――居ますね」
エントランスホールとは対照的に何かの駆動音が響く。
フィルト=リンク(
gb5706)はAU−KVを身に纏い、顎に手を当てる。
赤黒く、全身を覆うフード付きのコートの影。
袖からは異常なまでの大きな爪が伸びている。
「避難は完了してるんだろうか?」
眼鏡を掛け直し、目を細める真山 亮(
gb7624)。
人型のキメラ以外に人影が見当たらない。
声すら聞えない。
避難が完了しているのか、もしくは何処かで待機しているのか、もしくは――
殺されてしまったのだろうか?
「どの道、キメラは排除しなければなりませんし」
フィルトの藍色に染まった瞳は鎧の中で、その色と同じ様な冷たさを宿している。
「ですね、キメラを倒さなければ入り口から避難は出来そうにもないですし」
漆黒の羽を散らしながら夢は深く集中する。
そんな彼女達の後姿を見て、亮は片目を閉じ、無線に手を掛ける。
「そういう訳で突入しようと思う、何か有ったら連絡してくれ」
その場所から、ずっと上。
ビルの屋上に居る仲間へと連絡を入れる。
乾いた残響音。
そして、一呼吸置いて木霊する断末魔。
五月蝿い奴だ。
大した抵抗も出来ずに死んでいく。
「悲しいな、人間‥‥」
両断した死体を踏みつける。
「私も‥‥いや、私は人間じゃないか」
私は強化人間。
呼称だけで、中身は既に人間じゃない。
死体を跨いで、廊下を進む。
もう少しで社長室か。
窓から外の景色を眺める。
今度こそ、今度こそ消す。
別に仕事には関係無かったはずの人間にこんなに執着するとは。
仕事のおまけとは言え、消し損ねた事が自尊心に障ったのだろうか?
自分でも良く分からなくなってきた。
あの男を消せば分かるのだろうか?
「了解、こちらもビル内に突入する」
風で乱れる髪を押さえ、ホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)は亮に答える。
時間は待ってはくれない。
ホアキンは社長室に至る最短経路を頭の中で思い出しながら、辿る。
ビルは全38階。
(「社長室は37階だったかな」)
38階は展望室なので、特に用事は無いためそのまま真っ直ぐ37階に向かえば問題無い。
ビル内部に入る為のドアの鍵を無理矢理こじ開ける、冴城 アスカ(
gb4188)。
「これで中に入れるよ」
ドアを開け、中の様子を確認する。
何も変わった所は無い。
今の所、何かが潜んでいるという可能性は無い様だった。
しかし、レールズ(
ga5293)は自身の得物である白い槍を握り締める。
何処から敵が狙ってくるか分かったものではないからだ。
エーリッヒの報告には無かったが、影キメラという存在を考えたら当然の事だった。
ビルの監視カメラに写らずに、もしくは擬態して移動する事は可能なのだから。
地味に高所恐怖症だというヴァイオン(
ga4174)が初めにドアを潜る。
そして気付く。
「血の臭い?」
微かだが、血の臭いがする。
近くで誰かが、殺されたか?
それとも、ディゼルが近くまで来ているのか?
その手がナイフに添えられる。
行きますか、と一つ呟いて階段を降り始める。
一段、一段、確かめる様に。
結城悠璃(
gb6689)は最後尾としてビルの中に入った。
そして、振り返りながらヘリがもう一度上空へと高度を上げていくのを確認する。
襲われない様に、とは言え少し不安になる。
悠璃はその不安を振り払う様に覚醒した。
蒼い瞳は下へ続く階段の先を見つめる。
悠璃が非常灯の光が弱々しく感じたのは、これから遭遇する敵の事を考えてしまうからだろう。
夢達は何事も無いかの様に自動ドアを潜る。
複雑な罠を張る程の知能はキメラには無いはずだ。
その行動は本能の赴くまま、全ては人間の殺戮の為。
濃い血の臭いと焦げた臭いに沈んだエントランスホール。
遠くからでは確認できなかったが柱の影などには犠牲者が倒れている。
中央に立つキメラはゆっくりと振り返った。
凹凸の無い白い仮面には血飛沫。
乾いてしまって、瘡蓋の様になっている。
「人の気配はしますね」
夢がキメラから視線を外さずに呟く。
妙な話だった。
何故、その気配の主達を殺さないのか?
鈍く光る爪はその為に有るのではないのか?
「私達を待っていたのでしょうか?」
機槍を構え、フィルトはキメラの出方を窺う様にじりじりと前進する。
待ち伏せというより、命令。
ディゼルがエーリッヒを殺す為に必要な時間を稼ぐ為。
エントランスホールから離れない様に命令されていたのだった。
そして――
「目的は逃げる人達の殺戮じゃなくて‥‥」
後に来るであろう、能力者を足止めし、更には殺す事が目的なのだ。
亮は少し背筋が冷える気がした。
あの爪は、人間ではなく能力者を殺す為に光っているのだ。
「‥‥何はともあれ、やるしかないか‥‥」
ディゼルが撤退したから、キメラも撤退するとは限らない。
そうなった場合、キメラがどう動くか分からない。
此処で倒さなければならないのだ。
何処かに隠れている人達の為にも。
「では」
フィルトが短く言うと、キメラが咆哮する。
刹那、フィルトはキメラに向かって跳ぶ様に接近する。
空気を裂き、爪がフィルトを襲うが機槍「おもいやり」がそれを阻む。
キンッと甲高い音が響き、辺りの緊張は一気に高まる。
能力者とキメラの戦いが始まったのだから、無理も無いだろう。
体勢を立て直したフィルトは左半身を前に突っ込ませながら、機槍で相手の動きを制限する。
人型とは言え、動物的に動くキメラも流石に窮屈そうに、それをかわす。
黒い翼を広げ、威嚇する様に刀を振り上げた夢が其処には居た。
右手の月詠が一つの斬線を描き、キメラの腕に食い込む。
低く唸り、夢を蹴り上げる。
夢は何とかその蹴り上げを回避し、鼻先を掠めた程度で済んだ。
キメラは後ろへ跳ぶ。
「しっかり支援するんで、安心して戦ってくれ」
亮がそう言うと、夢とフィルトは頷き、もう一度キメラとの間合いを詰める。
フィルトは動きを出来るだけコンパクトにして、隙の無い様に突く。
キメラも本能的にその一撃一撃をかわし、そして爪で攻撃を加える。
しかし、この戦いは一対一ではない。
着実に夢の刀がキメラの赤黒いコートを切り裂いていく。
更にはキメラが与えたダメージは亮の治療により回復していってしまう。
明らかにキメラは不利な状況に立っていた。
キメラは右手を引き、大きく横に薙ぐ。
夢は後ろに跳んでかわし、フィルトは機槍で上手くそれを防ぎながら後退する。
三人は一瞬、辺りが暗くなった様な感覚に陥った。
もう少しで日が完全に沈む所だったが、急過ぎる。
「‥‥焦げたってレベルじゃ済まないんじゃないのか、アレ」
亮は呆れた様に笑う。
キメラの前方に小さな光球が現れ、それが少しずつ膨れ上がる。
ハンドボール位の大きさになった所で、それはゆっくりと前に進みだす。
轟音と強烈な光、それと灼熱の炎が辺りを支配したのは、次の瞬間だった。
「結構派手にやってるわね」
アスカがその微妙な振動を感じ取る。
エントランスホールで光球が弾けた直後だった。
目的の社長室はすぐ其処だった。
何か考え事をする様に、ヴァイオンは顎に手を当てる。
過去の報告書からすれば彼女は同業者の様なものだ。
しかし、理解できない部分の方が多い。
「‥‥何が楽しいのだろうか?」
独り言の様に呟き、此処には居ない彼女に問い掛ける。
無駄だと分かっていても。
廊下の角を曲がり、社長室を逸早く見つけたのは悠璃だった。
部屋に近付こうとすると、隠れていた四人のSPが姿を現す。
「ULTです。 救援に来ました。 上でヘリが待機しています」
レールズがそう言うと、若干安心したのかSPは大きく息を吐く。
しかし、未だ油断が出来ないのは分かっているのだろう、すぐに元の状態に戻る。
部屋の中から声がする。
「到着したのかい?」
眉目秀麗な青年が顔を覗かせる。
「エーリッヒ、無事だったかい?」
悠璃がその青年に問うと、青年は笑ってその場でくるりと回る。
「見ての通りだよ」
時間もそんなに残っていないだろう。
エーリッヒを守る様にして能力者が隊列を組む。
SPはいつの間にか先行しながら、屋上へのルートの安全を確認していた。
階段の近くまで来て、アスカはふとエレベーターを見る。
「‥‥動いてる‥‥!」
見逃せない事だった。
ディゼルがバカ正直に乗って来るなんて事は考えられない。
しかし、何かが乗っている可能性は否定出来ない。
「どっちにしろ、急がないと」
ヴァイオンの手足の先がみるみる内に黒ずんでいく。
覚醒。
此処からは常に覚醒していないと、いつエーリッヒを殺られるか分からないのだ。
階段の方へと駆け寄った面々は足を止める。
流れる銀髪の悪鬼が其処に佇んでいた。
気配などまるで無かった。
そう思う暇も与えない様にディゼルは床を蹴る。
そして、素早く、力強く、拳を四人のSPの腹に叩き込む。
吐き出される赤。
ホアキンは顔を顰める。
気分が悪くなったからではない。
気配がまるで無い事に違和感を感じたのだった。
確かに、ディゼルが一流の仕事をする存在だとしたら、それは簡単な事なのだろう。
ならば、どうして、気付かれる前にエーリッヒを消さなかったのか?
何か自分達を待っていた様な、そんな気がする。
エレベーターが到着して、扉が開く音がする。
「‥‥抹消者のお出ましだ」
無線に連絡を入れる。
そして、レールズに向かって左手を挙げ、そして――
下げる。
尋常じゃない殺気を含んだ空気がエレベーター内から溢れ出した直後だった。
ホアキンとレールズは振り返りざまに得物を振るい、衝撃波を生み出す。
エーリッヒとアスカ、悠璃、ヴァイオンの両脇を二つの衝撃波が駆け抜ける。
凄まじいスピードでエレベーターの箱の中から飛び出した、ディゼルは真っ向からそれを受ける。
噴煙が巻き上がり、ディゼルの視界はほぼゼロになる。
その間に、もう一人のディゼルがエーリッヒを消そうと接近してくる。
手刀を振り下ろすが、それはエーリッヒに届く事は無い。
アスカの蛇剋が胸に深々と突き刺さっていたからだった。
ディゼルは一瞬だけ痙攣した様に体を跳ねさせると、砂の様に崩れ去ってしまった。
「さぁ、もう此処には用は無いわ」
アスカはそう言うと、階段に向かおうとする。
それに合わせて、ホアキンとレールズはもう一度、衝撃波を噴煙の中のディゼルに向かって放つ。
ガラスは飛び散り、中には溶けてしまった物も有る。
衣服の端を焦がしながらも夢はキメラに斬りかかる。
焦げた痕が有る、という前情報から推測される能力よりも遥かに威力が上。
なのだが、夢達にとっては然程問題の無い範囲だった。
推測はあくまでも推測なのだから。
焦ってはいけない、そういう点では夢、フィルト、亮の三人は十分冷静だった。
キメラは高く跳び上がる。
そして、今度は地面に叩き付ける様に光球を発生させる。
フィルトは重いAU−KVを身に付けながらも跳び、機槍を伸ばし、キメラに攻撃を加える。
空中で受身の取れないキメラは仕方なくそれを爪で受け、その部分を軸にして体を捻る様にして動く。
その動いた先には、夢。
キメラは光球ではなく、炎で壁を作り、夢を叩き落す。
今の一連の行動はキメラの勝利に終わった様に見えた。
が、キメラの膝は着地と同時に折れてしまう。
フィルトと夢に気を取られている隙に亮がオルゴール状の超機械で狙っていたのだ。
攻、守、支援と上手くバランスが取れた戦い方はキメラを明らかに追い詰めていく。
キメラが如何に強くても、それは個の力。
三対一では勝てる訳がなかった。
しかし、キメラは引く事などしない。
このキメラにとって最も果たさなければならない事は一つ。
能力者の足止め、もしくは排除なのだから。
熱で赤く輝き始めるキメラの爪は、更に凶悪さを増していく。
だからどうした。
そんな勢いで、フィルトの機槍はキメラを襲う。
当てる、と言うよりも誘導する様に攻撃を繰り返す。
熱された爪を受け、傷付いても怯まない。
傷は亮が回復してくれる。
下段薙ぎ払いから、鳩尾へ柄の先を叩き込む。
勿論、キメラは動かされる様にかわす。
エントランスホールの中央。
完全に開けた空間に。
キメラが気付く前に亮はキメラの足に攻撃を仕掛ける。
それと同時にフィルトが突撃する。
動きを封じられたキメラは焦り、目の前の敵を片付け様と光球を目の前に発生させる。
そして、それが炸裂した時。
キメラの視界はぐるぐると縦や横に回転する。
既に見えていないだろう。
赤黒いフード諸共、夢の月詠がキメラの首を刎ねていたのだった。
厚い衝撃波の壁と渦巻く煙の中からディゼルは姿を現す。
余計な事は彼女の思考から排除されていた。
目的は唯一つ、標的ではなかったにしろ消し損ねたエーリッヒを消す事。
それだけだ。
他の存在は邪魔なだけだ。
彼女の髪を纏めていた黒い簪が壊れ、床に落ちる。
(「集中しろ‥‥」)
緋色の瞳は既に標的以外は見えていない。
乱れた銀髪を掻き揚げ、二つの片手斧をホルダーから抜く。
ゆっくりと、そして力強く一歩踏み出す。
そのディゼルの目の前に、左目を金色に染めたヴァイオンが立ちはだかる。
ヴァイオンはナイフをディゼルの胸目掛けて、振り下ろす。
ディゼルはその奇襲に対し、斧を振り上げただけだった。
乾いた金属音が響き渡ると同時にヴァイオンは空中へと弾き飛ばされる。
その手の中のナイフには血がこびり付いている。
ディゼルの振り上げられた左腕には切り裂かれた痕。
それを気にする様子も無く、ディゼルは進む。
「邪魔だ、退け!!」
悠璃は二刀を抜き放ち、それを交差させて斧の一撃を受け止める。
「守り切ってみせますよ‥‥その為の力です!」
集中したディゼルに、悠璃の叫びが届いたのかどうか分からない。
しかし、斧に込められる力は更に強くなる。
二刀を弾き、悠璃の体に肩を入れた体当たりを喰らわせる。
ディゼルはそのまま膝を衝く。
太股には二刀で斬られた痕が有る。
好機は逃せない。
レールズが一気に突っ込んでくる。
神速の突きはディゼルの頬を掠める。
「何でこんな事してるんですか?」
更に一撃。
ディゼルは立ち上がりながら体を捻り、それをかわす。
「折角、ルックスが良いのに‥‥勿体無いですよ!!」
「なら、邪魔はするな‥‥デートなら後で幾らでもしてやる!!」
槍を両手の斧で捌ききり、レールズに蹴りを入れる。
そのディゼルの顔面に、アスカの蹴りが入る。
ディゼルはアスカに対し、舌打ちをし、口の中の血を吐き出す。
アスカは上段、下段のコンビネーションで揺さぶり、強烈な中段蹴りをディゼルの胴体に打ち込む。
ディゼルの顔は苦痛に歪む。
「オォォォォォォッ!!」
雄叫びを上げ、アスカを斧で斬り伏せる。
傷は浅いが、血が派手に床に飛ぶ。
「くっ、油断したわ‥‥」
左肩に違和感を感じ、振り返るとヴァイオンがナイフを深く突き立てていた。
「っ!?」
その左手を思い切り振り抜き、裏拳でヴァイオンを壁に叩きつける。
接近して来た悠璃を視界の端に捉え、空中へ軽く跳び、体を捻りながら斧を振るう。
「ぐ‥‥」
悠璃は後退りする様にそれを受ける。
更にディゼルの足元から影キメラが現れた。
そのキメラが、能力者の戦いに圧倒され、立ち尽くすエーリッヒに襲い掛かる。
ホアキンが鉄鞭型の超機械を振るう。
一方向に伸びた電磁波が影キメラを消し飛ばす。
その間にディゼルは一気に肉薄してくる。
「消させるものかよ!」
そうはさせない。
ホアキンがエーリッヒの目の前に立ち、ディゼルに向かって今度は剣を振り抜く。
金属音と共にディゼルは後方へと跳び下がった。
ヴァイオンがその着地した足元に足払いを仕掛ける。
ディゼルの体勢が崩れた所に悠璃が二刀で追撃を加えた。
見事、その二刀は左手を斬り裂く。
斧を落とし、血飛沫を上げる。
アスカが傷口に手を当てながらも、鳩尾に全力の後ろ回し蹴りを決める。
そして、エレベーターの閉じたドアへと叩きつけると。
ダメ押しでレールズが衝撃波を放ち、磔にする。
その様子を見ていたホアキンがパチンと指を鳴らす。
そして、手に持っていた閃光手榴弾を床に転がした。
ディゼルは咄嗟に体勢を立て直し、顔を上げる。
「さぁ、入り口からどんどん逃げてくれよ!」
亮が隠れていた社員を誘導しながら逃がす。
最後の一人が逃げた後で、亮は無線に目をやる。
連絡が来ない。
「駄目でした」
フィルトが首を振りながら何処からか戻ってくる。
亮と夢は肩を竦め、溜息をつく。
フィルトは少し疲れた様な感じで惨状を思い出す。
ボロ雑巾の用にズタズタに斬り裂かれ何の反応も示さない。
叩いても、試しに呼びかけても。
監視カメラやモニターはうんともすんとも言わなかった。
「行ってみましょう」
夢はエレベーターを指差す。
向かうべき場所は最後に連絡があった、社長室の有る37階。
ヴァイオンの投げたアーミーナイフはディゼルのコートを突き破り、その左目に突き刺さる。
そのナイフによってヴァイオンの位置を一瞬で把握するディゼル。
ほんの僅かな時間。
刹那と言える時間。
ディゼルはヴァイオンとの間に有る距離を一気に詰める。
そして、左目を失い、右目を光に奪われたまま右手の斧でヴァイオンを斬り裂く。
横一閃に斧を振りぬいた後、ディゼルの極限までに高まった集中力はそれを可能にした。
複数の足音の中の一つ。
訓練された能力者とは明らかに違う足音。
もう一度、ディゼルは駆け抜ける。
光の奔流が引き、背景が戻って来る。
そんな中、悠璃はディゼルの動きを捉える。
「先に行って! こんな所でやらせる訳にはいかない!」
二刀小太刀「陽炎」を構える。
「だけど、悠璃君‥‥君は?」
エーリッヒは戸惑う様に立ち止まる。
「行こう」
ホアキンがエーリッヒの腕を引く。
アスカとレールズが先行して階段を登る。
それに続いてホアキンとエーリッヒが行く。
気配のみ、それだけを頼りにディゼルは悠璃に接近する。
邪魔者は消す。
それだけだった。
悠璃の細かな動きなど把握出来ないディゼルは二刀の斬撃をまともに受けてしまう。
しかし、それでも倒れない。
悠璃の頭をダメージの蓄積で殆ど利かなくなった左手を使い、掴み。
そしてそのまま全力で壁に押し込む。
悠璃は短く息を吐くと、次の瞬間、視界が暗転する。
左肩から右脇腹に掛けて斜めに斧が振り抜かれた。
そしてディゼルは左目に刺さったヴァイオンのアーミーナイフを抜き、右目の視界が回復していくのを確かめる。
赤光の中、エーリッヒはヘリに乗り込む。
ヴァイオンと悠璃の姿が未だに見えない。
アスカは傷口を撫で、座席に座り目を閉じたままだ。
血を流し過ぎただけらしい。
「行こう」
ホアキンが最後に乗り込み、ヘリの操縦士に声を掛ける。
無情にもヘリはヘリポートから離れていく。
ホアキンがドアを閉めようとした時だった。
大きく機体が揺れる。
「何処へ行く気だ?」
肩で息をしながら、ディゼルが飛び乗って来たのだ。
斧を振りかぶった所でホアキンがその斧を剣で弾き飛ばす。
そしてレールズが槍の柄を使い、ディゼルをヘリから落とす。
器用に着地するとディゼルは斧をヘリのプロペラに投げる。
斧は綺麗な軌道を描き、プロペラを斬り裂く。
失速したヘリはそのままヘリポートに落ち、黒煙を上げる。
この手で消すなら、今しかない。
そのディゼルの集中力と執着心が仇となった。
煙草の煙が揺らめく。
亮の吸っている銘柄の匂いだ。
ディゼルは予想外からの攻撃に上手く反応出来ない。
振り返るのがやっとだった。
夢はディゼルが振り向くや否や、潰れた左目、死角の部分から接近し刀を振り上げる。
既に動かなくなっていた左手は斬り飛ばされ宙を舞う。
血溜りがディゼルの足元に広がり、その身体がぐらりと揺れる。
そしてフィルトは止めを刺すべく機槍ではなくバットを握る。
前の戦いで消耗しているAU−KVにスパークが走る。
ディゼルはボタボタと血を撒き散らし、屋上から鐘楼の空に投げ出される。
黒いコートは血で染まり、沈みかけた太陽の光に照らされ、形容出来ない色になっていた。
正に日が沈む瞬間の空の色。
赤と紫と黒と藍が混ざった何とも言えない、黄昏の色。
その衣を纏ってディゼルは落ちていく。
不幸中の幸い、とでも言うべきだろうか。
エーリッヒには殆ど怪我は無かった。
今すぐにでも仕事に復帰出来る位だ。
ヴァイオンと悠璃は亮の応急処置的な練成治療で何とか重傷で済んだ。
アスカは貧血を起こしていたらしいが、傷自体に然程問題は無かった様だ。
最後に、ディゼルの死体は何処にも無く、結局生死は分からずじまいだった。
ホアキンと亮は何処かの喫煙所で報告書を読む。
紫煙を燻らせながら。
そして、その隣で悠璃は紙にペンを走らせていた。