●リプレイ本文
生い茂る緑から漂うは、むせ返るような臭気。
木々の枝は、陽光そのものを呪い、生命を与える太陽をもぎ取らんと空を穿つ無謀なる腕を思わせる。
屋敷の玄関には、当然ながら客を出迎える主の笑顔などはない。玄関そのものがまるで、巨大な頭蓋骨が鎮座しているかのよう。周りに木や草花が生い茂っているというのに、屋敷とその周囲は「生命」とは異なる雰囲気を漂わせていた。
人はもちろん、動物の気配すら全く感じさせない。飛び回っているのは、虫のみ。
屋敷から離れていない場所に、黒い塊があった。それは、動物の死体。腹の部分が食い破られ、そこには黒蝿がびっしりたかっていた。強い腐敗臭から、殺されて数日後、といったところか。
凄惨な場面を直視しながら、赤髪の美少女・アグレアーブル(
ga0095)は微動だにしなかった。死体を見た後、屋敷の扉へ、そして手元の地図へと視線を動かす。緑色の瞳が、事実と真実を看破するかのように鋭く視線を投げかけていた。
「‥‥扉は、食い破られているようね。どうやら、昼間には屋敷に戻り、夜になると個々から出て、周囲を襲う‥‥といったところかしら」
「そのようですね。で、どうします?」
瞳 豹雅(
ga4592)、金色の瞳を持つ忍術使いが問うた。
「作戦通り、このまま玄関から中に入って‥‥ってな事になるだろうけど」
「うむ。軍としては、直ぐにでもミサイルを撃ち込みたい所だろうがな」瞳の言葉に続き口を開いたのは、夜十字・信人(
ga8235)。白い肌に、アグレアーブル同様の赤髪を備えた美少年。
見たところは、扉や窓はみな閉まっている。しかし、ところどころには穴が開いていた。大きさとしては、犬猫がようやく通り過ぎることができる程度。そしてそのどれもが、内側から外へと「何かが食い破ったように」穴が開いていた。
「‥‥間違いは、無いようですね。俺たちが殺す獲物の、出入りしている出入り口だと思いますよ」
穴を指差したリュドレイク(
ga8720)の指摘に、神崎 真奈(
gb2562)は首をふった。
「やーれやれ。まったく、館も災難だな。虫の化け物に入り込まれるとは」
「‥‥それじゃあ、そろそろ行きますか。俺はどうも日光が苦手なんでね、早いところ日陰に入りたいよ」
レヴァン・ギア(
gb2553)の声に促され、一行は屋敷内部へ入り込むべく前進した。
借りた鍵を用いて、玄関から入る。玄関ホールから内部へと進もうとした、その時。
バキッ。
「!!」
「‥‥いや、大事無い」
何事かと、皆は緊張した。が、それはクリム(
gb0187)の仕業だと知り、即座に緊張は解けた。彼女が、腐った床板を踏み抜いてしまったのだ。
「ふう‥‥びっくりしましたよ。気をつけて下さい‥‥ねっ」クリムの手をとり、クリス・フレイシア(
gb2547)は彼女を引っ張り上げた。
幸い、足はくじいてはいない様子。しかし周辺は湿気た空気が漂い、いかにも虫やネズミなどの害獣が喜びそうな環境を作り出している。
顔には出さずとも、クリスはげんなりしていた。この状況と雰囲気だけでも気がめいるのに、相手は虫、またはそれに近い存在。虫の類が嫌いな身としては、その事を予想するだけでベソをかきそうになっていた。
「? ‥‥見てくださいよ、こちらの方。足跡があるのに‥‥」ふと、クリスはある事を見つけた。
周囲に、破損した跡が無い。だが、人のものらしい足跡が二階に向かう階段へと続いている。
転じて、何かの動物‥‥具体的には、巨大な虫のそれらしい足跡が、一階奥へと続く扉へと続いていた。こちらの足跡は、穴が開いた閉まったままの扉に続いている。扉には直径50センチ程度の穴が食い破られるようにして開けられ、足跡の主がそこから更に奥へと向かっているだろう事を予測させた。
「‥‥アグレアーブルさん、私はこっちを調べてみるわ。ひょっとしたら、生存者とは言わなくとも、遺体が残っているかもしれないからね」
「なら、俺も。これが美奈子さんの足跡とは限らないけど、あるいはこちらに何かがあるかもしれません」
「私もこちらに行こう。優先すべきは美奈子殿の遺品回収。彼女がこちらに赴いたのならば、遺体はこちらにあるのかもしれないしな」
瞳、リュドレイク、神崎が名乗り出た。
「了解しました。では、私たちはこちらの足跡を調べてみましょう。皆さん、良いですか?」
アグレアーブルが問う。
僕はできれば、瞳さんたちと同行したいんだけど‥‥というクリスの言葉は却下された。これ以上、戦力を分断したら、逆にこちらが危ない。かくして、二班に分かれた一行は、館の奥へとそれぞれ足を踏み入れ始めた。
館は、改築に継ぐ改築、増築につぐ増築で、まさに迷路のよう。どうも戦後に、成金で豊かになった当時の持ち主が、社屋やなにやらに用いるためにと金をつぎ込んではこの有様になったらしい。そのため、手元に渡された地図も、迷路そのものだった。
隣の建物には、二階からならば室内から行けるが、一階からは一端中庭に出て、再び入りなおさなければならない。不安であった。これから行く先に、何があるのか。一同は不安を隠しきれない。
もっとも、それは館に限らないが。
「‥‥失礼、夜十字さん」
「言ったろう、俺のことは亡霊、もしくはよっちーと呼んでくれ、と。個人的には後者を推奨する」
「では、よっちーさん。ひとつ伺いたいのだが‥‥『探査の目』は、どうやって発動するのだったか?」
どうにか発動はできたものの、先頭がクリムである事に、クリスは若干の不安を否めずにいた。
「‥‥ったく、大丈夫か? こんな事で、虫が大挙して攻めてきたら‥‥」
「ええっと、できればその事は言わない方向で」
レヴァンの言葉を、クリスは無理やりさえぎった。どうせ嫌でも遭遇するのだろうから、できるだけその単語は聞きたくない。
中庭を抜け、再び中に。地図によると、そこから先には曲がりくねった廊下がある場所。それを抜け、いくつもの通路を抜けた先には、吹き抜けの巨大な図書室が。
「‥‥?」
クリスはふと、周囲の異変に気づいた。
「におう」のだ。蟻酸めいた臭い、腐臭めいた臭い、そして、血の臭い。不快な臭気が鼻腔を侵食する感覚を、クリスは味わっていた。
足跡をたどる瞳ら三人は、その先にあるものを予測していた。そして、半ばそれが的中した事を後悔していた。
二階へと上がり、ラウンジに出て、そこから別の棟の建物へと続く渡り廊下を歩くと、再び一階へと降り立った。
そこは、大食堂。そして隣接するは、大き目の台所。
だが、台所へと続く大扉を見て、リュドレイクは「見た」。何かが動くのを、何かがうごめいているのを。
それは、まだ離れているこちらには気づいていない様子。何かを行っているようだったが、おそらくはおぞましい行為に相違あるまい。幸い、足跡は台所を避け、大食堂からまた別のところへと向かっている。
台所に入ることは、自殺行為。そう判断した瞳と神崎、リュドレイクは、足跡を更に追った。
やがて、台所からうごめく「何か」。そこから影より分離するかのように数体が飛び出し、三人を追ってかさこそと廊下を歩き始めた。
「におい」が、強い。そして「におい」の元が、いま目の前に現れた。
吹き抜けになった、巨大な空間。それは、図書室。
自分たちが小さくなって、巨大な蟻塚の内部に入り込んだ‥‥ともすれば、そんな錯覚すら覚えてしまう。
「‥‥いる。ここからでは見えないかもしれないが、この部屋の中に、たくさん潜んでいる‥‥」
入り口から入り込んだ五人だが、クリムの言葉に警戒した。見たところ、まったく気配はないし、何か怪しい存在の姿かたちは無い。
この部屋には、天井からの天窓以外に窓が無い。天窓から差し込む光にしても、薄暗く周囲を見渡せるほどではない。
壁は全てが本棚になっており、小さな体育館くらいの広さがあるだろう。そして図書室の奥には、オブジェが置かれていた。黒い巨人のようなオブジェが。
「‥‥やっぱり!」クリスはつぶやいた。
予想が、どんどん当たる。それも、嫌な予想ばかりが。
オブジェが、動き始めた。まるで、巨人が腕を振り上げたかのように。しかしそれは、巨人ではない。何かが寄せ集まり、巨人に擬態していただけ。
そしてそれは、活動を開始したのだ。‥‥皆が予想していた通りの事が。
「そいつ」が、図書室のそこかしこから湧き出てきた。剃刀のような顎、鋼鉄のような甲殻、邪悪な複眼、せわしく動く触覚。這い出てくるのは、影そのものが実体化したような、黒光りする鎧をまとった貪婪な「虫」。
蟻酸めいた「におい」が、限界に近いくらいに強烈になっている。それを発していた存在が‥‥牙をむいて獲物へと向かってきた。
瞳とリュドレイク、神崎は、ベッドルームへと赴いていた。
「これは‥‥」
見目麗しい美女。依頼人から写真を見せられて、参加した者たちは全員がそういった感想を抱いていた。
それが、今では見る影も無い無残な様相へと変えられていた。それを見た神崎は、ひそかに思った。
‥‥例えあの老人に「娘の遺体はどうだった?」と問われても、この先絶対に答えることは無いだろう。あまりにも‥‥ひどすぎる。
だが、全身の肉をむしりとられ蹂躙されていても、奪われまいとするかのように、片方の腕には何かを握っていた。命を奪われ、心を汚され、陵辱されても、唯一奴らに‥‥この館に棲む化け物に奪われなかったもの。
瞳は、それを取り上げた。
「‥‥任務、完了。戻りましょう」
美奈子から託されたようだと、瞳、リュドレイク、そして神崎は思った。手に握ったロケットが、やたらと重く感じられた。
暗黒から這い出てきたかのような、化け物。それはまさしく「アリ」、バグアが作り出したおぞましき怪物に他ならない。そのどれもが、アリと呼ぶには大きすぎる。30cmから1mくらいの大きさのアリが、部屋を占拠していた。
キメラアントの群れは、総数がどのくらいあるのかが分からなかった。いや、分かりたいとは思いたくない。それは「群れ」ではなく「絨毯」だった。床はもちろん、壁や天井にも、存在するだけでそれは空間を侵食し、陵辱し、汚濁させていた。大量のアリの群れが、得物を得たとばかりに訪問者へと襲い掛かる。
が、訪問者たちは既に、それに対抗する術を有していた。
「行けえっ!」覚醒し、銀髪碧眼となったレヴァンが、ワイズマンクロック‥‥高性能機雷を放った。黒き邪悪な絨毯へと吸い込まれた機雷は、次の瞬間‥‥爆裂し、こしゃくなアリどもへと引導を渡し、皆に逃げられるチャンスを与えた。
苦しげなアリどもの叫びと、爆発でつぶれる音を聞くのがこんなに心地よいものだと思ったのは、みんな始めての事。そしてその音を聞くと同時に、全員が退却した。
そのまま、来た道を引き返す。が、前方からもまた、新たなアリの手勢が襲ってくるのが見えた。後方のアリどもに比べるとそれほど数は無い。が、無傷で済むほどの数でもない。
フォルトゥナ・マヨールー、強力なライフルを構えた夜十字は、目前に出現した黒い絨毯へと狙いを定め、それを放った。
「ほほほほのいほふは、あはへはいはいほ(そこそこの威力だ。当たれば痛いぞ)」
強烈な弾丸は、期待に違わぬ被害をアリの群れへと与えた。
総弾数は二発と、数は少ない。が、既にスペアの弾丸を口にくわえて用意を終えていた彼は、すばやくリロードする。
「‥‥いきます!」
「敵か、ならば‥‥容赦はしない!」
夜十字の攻撃を避けたアリに対しては、クリスとクリムが対抗する。女性らしさを増した体つきになり、クリスは手元のライフルを構え、弾丸を放った。
が、全てのアリが仕留められたわけではない。弾丸の死線を越えて襲い掛かるアリには、クリムの刃‥‥「蛍火」が炸裂した。
「蒼風紫裂流 円型 水面月光!」
修羅がごとき顔と白髪に変化したクリムは、手の刃を振り下ろし、身体ごと回転させた。
周辺が爆裂し、それに巻き込まれたアリは容赦なく破壊に巻き込まれ、地獄へと叩き落されていく。
いくつものアリが切り苛まれ、体液を飛ばし、蟻酸の臭いをきつく漂わせる。それは悪臭だが、同時に奇妙な心地よさをもその場にいた者たちに与えていた。この悪臭が強くなるごとに、アリどもが殺されて数が減っていくのだから。
戦い、後退する。退却しつつ、戦う。
足に装着した「刹那の爪」をアリの体液でぬめらせつつ、アグレアーブルは脱出の道を冷静に見出していた。
「ったく‥‥こんなものが出るとは思わなかったよ」
神埼は、自らが携えている強弓‥‥アルフォルで放った矢をもって、アリを壁へと縫い付けた。さながらそれは、即席の昆虫標本のようだった。
ロケットを見つけた直後、黒い絨毯の一端が三人にも襲い掛かっていた。が、それぞれの得物が、アリを迎撃し、その顎の凶悪な一撃を退けている。
「はあっ! とっとと‥‥切れろっ!」
ミラージュブレイドを、蜃気楼の刃を用いてアリを叩き切る瞳は、期待していた。目的のものは見つけた。ならばとっととここから脱出したい。
「出口は!?」
焦るような瞳の口調に、リュドレイクが促した。
「こっちです!」SMGで牽制しつつ、退路を確保する。リュドレイクが指差したその先は、窓だった。
「どうせ壊される建物です。少しくらい早まっても問題無いでしょう」
二階の窓を蹴破り、三人はそこから飛び出した。地面までの距離はあるものの、幸い大木が生え、枝を茂らせている。その枝のひとつにつかまる事など、百戦錬磨の能力者たちには容易いこと。
日光が降り注ぐ中、数匹のアリも能力者とともに外に飛び出したが、光を浴びるととたんに苦しみ、屋敷へと戻っていった。死にはしないものの、やはり日光は苦手のようだ。
「‥‥そうだ、アグレアーブルさんたちは!」
落ち着いたところで、ようやく瞳は仲間たちがまだ館の中に居る事に気づいた。
が、その答えはすぐに出た。
やはり、二階の外壁にて。内側からフォルトゥナ・マヨールーをぶっ放した夜十字が、脱出口を切り開いたのだ。
「ありがとう。本当に‥‥感謝する」
司令官の手に、ロケットが手渡される。
館を脱出後、能力者たちはすぐに司令官の下へ戻った。その直後、館にミサイル攻撃が加えられた。
「わしも、長くは無いだろう。だが‥‥誓おう。娘と、息子になるはずだった若者の命を奪ったバグアに、罪無き者を死に至らしめた怪物を作ったバグアに、然るべき報いを食らわせる事を。残り少ないこの命をもって、やつらに思い知らせてやるとも」
司令官の前にはスクリーンがあり、そこにはミサイル攻撃で燃えている館、及びその周辺地域の映像が映っていた。
館を燃やすその炎は、憤怒、復讐、そして、哀しみと鎮魂の炎だと、皆はそれぞれの胸中で思っていた。