●リプレイ本文
●到着
午前4時。東の空は僅かに色を帯び始めている。日の出はもうすぐだ。
眼下に広がる森は闇を湛え一寸先の中の様子さえも窺い知る事は出来ない。
一行を乗せたヘリは地表から一定の高さを保ちながら超低空を飛行している。ローター音は低く抑えられ、潜入のために秘匿性が高められている。
「あまり無理なことはできないな。確実に情報を持ち帰る事に重点を置いて行った方がいいな」
漸 王零(
ga2930)の言葉は尤もだ。
旭川市は周囲を山に囲まれた盆地を中心に発展した都市で。市街には石狩川を初め多数の川が流れている。
「できるだけ安全な退路を確保できればいいんだけど‥‥」
地図を確認していたフィオナ・フレーバー(
gb0176)と煉条トヲイ(
ga0236)がヘリの着陸地点を選定する。退却を考慮するなら市の南西方向だ。そして山の尾根の外側ならば盆地側からは見えないはずだ。
よし、と言う表情を見せたトヲイは偵察の計画を纏めて皆の意思統一を図る。
プランは3日にも及ぶものだった。初日は様子見、2日目に主活動、日付が変わる3日目には撤退と言う概要。
「本当にそれでいいのか?」
あらゆる方向に敵の目があるかもしれない。そんな思いを抱いていた周防 誠(
ga7131)がドロナワの問に一瞬、不安な表情を見せる。しかし作戦に異を唱える者を居らず。誰もが覚悟を決めて頷く。
「いつ迎えに来れば良いんだい?」
一行の覚悟には応えるべきだ。そう思ったドロナワはそれ以上言わない。運に全てを委ねる事が必要な事もある。
森の何処にキメラが潜んでいるか分からなかった。そして、伏撃に対しては何一つ対抗手段が用意されていない。
「3日目の早朝2時に頼む」
トヲイが言葉を返す。
「弓道の本質は、自らと向き合い、自然の中の理を見出すこと‥‥。理に逆らい、偽りに偽りを重ねた命‥‥。そんなの許せない‥‥」
伊佐美 希明(
ga0214)は呟く。生命を弄ぶ非道は糾弾されるべきだ。しかし、彼女の言葉は同時に自らの肉体を兵器に変えてしまった人類科学陣に対する戒めでもある。
星明かりだけが照らす谷間の沢、河原の石が淡く反射していた。ドロナワはローターの回転を変化させて揚力を調整すると充分なスペースある中洲を選んで機体を降下させる。
「急げ!」
王零は今回が初陣である神山 翔紅(
gb2366)に声を掛けると、荷物を抱えて機体から飛びおりる。
「2日後の午前2時までだ! Good Luck!」
「全員揃ったな! ゆくぞ!」
背後からの言葉を受けてトヲイが呼びかける。見上げると夜明けのグラデーションの色彩を帯び始めた空をバックにヘリは上昇しゆっくりと移動をしはじめている。
瞬間、誠が周囲の異変に感づく。
「分かるか?」
「‥‥確かに」
フィオナ、希明が頷くと、そっと地面に荷物を置く。異変を察知したのは3人。
「え? なんなのですか?」
朧 幸乃(
ga3078)が緊迫する空気に戸惑いの表情を見せる。
「敵襲!」
素早い動きで荷物を地面に投げ置く。王零が叫ぶと敵の接近に気づいて居なかった者も武器に手を伸ばす。
瞬間、暗闇の中から飛び出してくる3つの人影。伸びたような長い腕を真っ直ぐに希明に向かってくる。紙一重の距離で其れを交わすとナイフを水平に走らせる。赤い光の壁が現れるも伸ばされた腕は切断され宙を回転するように舞う。人ではない。キメラだ。
「いきなりですね」
ようやく状況を飲み込めた風代 律子(
ga7966)が口を開く。
敵は3体。王零の持つ月詠の刃が明け始めた陽光を浴びて輝く。反射する光を受けた刹那、キメラが怯む。直後、胴体を切り裂かれ2つの肉塊と果てて息絶えるキメラ。
昇り始めた陽光は急速に風景を色づかせてゆく。逃走を図ろうとする最後の1体に律子は高められた脚力で追いつくと目にもとまらぬ早さで敵を切り裂く。
たちまち動かぬ骸と化したキメラは奇怪なことにボロボロにではあるが衣服を纏っていた。
「どうしますか?」
侵入が露呈した場合は撤退すべきと思っていたフィオナが一行に方針を問う。
「まいったね。まだ街の様子すらも見てないのに」
髪に手を当てながら誠が言う。キメラは全部倒していたが、判断が難しい。
「そうだな、敵に気づかれた可能性もあるしな‥‥」
トヲイも懸念を口にする。露見後即撤退をの方針を立てていたのは、トヲイ、フィオナ、王零と翔紅。幸い出現したキメラは全ての撃破には成功しており、露見したとは言えないかも知れない。
別の敵が現れる兆候は今のところは無い。グレーゾーンの判断だが偵察は続行される事となる。
ドロナワは2日後までは戻ってこない。通じない無線や徒歩以外に撤退手段は無い事も決定を後押した。
●廃墟の病院
幸乃は地図から読み取れるコースを頼り地形を確認しながら進む。最初の戦闘を除けばここまでは平穏な道のりだったが、帰りが平穏である保証はない。地形を頭に叩き込み退路を決めておくことも大事かも知れない。
「もうすぐ山の峰だな」
王零の思考も幸乃と同様引き際を意識していた。
「気づかぬうちに自分たちが見つかっているかもしれませんから‥‥」
木々の隙間から覗く青空。幸乃が目線を向ける先ではハーピーがゆっくりと飛んでいた。
「単なる哨戒のようですね」
誠がハーピーの動き見切ったように言う。早朝の戦闘による潜入は露見は杞憂だろう、ハーピーの動きは侵入者を捜す念入りな動きではなかった。
ハーピーが通り過ぎると、注意深く一行は歩き始めた。
程なくして一行は尾根に到達する。そこからは旭川の市街が一望できた。空気は澄んでいて遠くまでよく見える。街には行き交う車両も見あたらず静まりかえっている。平和な街であれば通勤で混雑する時間帯なのに‥‥。
希明は慎重に双眼鏡を取り出すと大まかに市街を確認する。例の白いドームの周辺には飛行キメラの数が多い。 律子もまた双眼鏡でドーム方向を見る。定期的なリズムでハーピーが上空を飛んでいて、何かに襲いかかる気配も無い。ドームの周囲は何もない更地になっており、接近は難しそうだ。恐らく周囲の建物は全て取り壊されたのだろう。
「人? 子ども??」
希明が見つけたのは学校へと向かう子どもの列。子供たちの進行方向に視線を移すと戦災を免れた校舎があった。どのような教育が行われているのかは謎だ。
一日目の計画は街に入らずに様子を窺う事だ。
早々にキメラに襲われた事からも街の外側にキメラが放たれている事は確実で、不用意な野営を行えばたちまち発見・襲撃されてしまうだろう。暗視スコープを持つのはトヲイ一人であり夜間の活動は不安が大きい。
野営が可能な場所を見付ける必要がある。
尾根から街に至る途中の丘に半壊した建物がぽつりと建っている。そこは病院跡だった。頑丈な鉄筋コンクリートの遺構は身を隠すには都合がよい。
市街を遠巻きに眺めながら、退路と偵察目標の選定が行われた。また、廃墟の探索で偶然にも取り残されていた採血器具などを見つける事ができた。
●市街へ
廃墟での一夜は緊張感に溢れたものだった。日が沈み夜が更けると、時折、廃墟の周囲を走り回るキメラの気配と奇声が聞こえたからだ。息を潜める一行が見つかることはなかったが、この地での夜間が極めて危険であることを実感するのだった。
空に太陽が戻ってくるとキメラの気配は消え、何事も無かったような静かさが戻る。いよいよ潜入開始だ。
街に無数にある水路からの潜入を目指したのはフィオナと幸乃。
「水はとても綺麗ですね」
2人が水辺を歩くと虹鱒が水の流れに沿うように泳いで逃げる。河原には釣り糸を垂れる人の姿が見られ、また洗濯をする人の様子が見られる。
彼女たちの衣類は山越えの際に適度に汚れており誰も不審に思わなかった。河川は生活に必要な活動の場となっており、川辺を歩くことは特異な行動では無かった。
そして、慎重に道路下へと繋がる水路へを歩みを進めた刹那、荒い呼吸音と心臓が鼓動するような音が聞こえた。
場所を変えて地下にゆこうとするも、間もなく2人は光の届かない水路の全てがキメラの気配で満ちてる事に気づいた。地下からの潜入は不可能だった。
王零と翔紅は住民との接触を試みようとしている。かつての鉄道の駅前が住民にとってのマーケットとなっておりその日の糧を手に入れるために人が多く集まっていた。
店舗の殆どが閉鎖されており、僅かに店を開けている飲食店は混雑している。
「今日は人の出入りが多いようですが‥‥なにか有るんでしょうかねぇ?」
路面に野菜を並べていた婦人が『あれだよ』と首をふって言う。婦人の指差す先には、人型の何かが3つ。歩道橋の橋桁の下にぶら下がっている。
「!」
瞬間、翔紅は我が目を疑った。
ジベットと呼ばれる人型吊籠だ。中に入れられている3人は恐らく家族。
「脱走者だよ‥‥かわいそうにね」
形容できない恐ろしい光景に翔紅の表情が色を失ってゆく。
「良い靴を履いておられるのですね」
初老の婦人は珍しいといった表情で翔紅の立派な靴を指差して言う。
「さ、帰るぞ!」
王零が空気の変化を察して翔紅を促す、足早に其処を立ち去る。
2人が駅前から立ち去ろうとすると、側面に窓のないバスがやってきた。バスは3つのジベットを回収するとゆっくりと走り去った。
警戒が厳重なのは例のドームとその近隣にある旧旭川空港であった。周囲の建築物は取り払われている。
トヲイと律子がドームを目指し、希明と誠の2人は空港を目指した。
希明と誠の鋭い直感はバグアの手先となった守衛の気配をことごとく見ぬき難なく監視の目を潜る。慎重に合図を交わしながら進む慎重さに加え隠密先行のスキルが有効に働いたことで、本来であれば接近すら難しいと思われた施設の直近にまで到達することが出来た。
まだ先に進むことは可能かと思われたが、施設への潜入はさらに危険である。2人は合図を送り合うと手早く土を集め、カメラのシャッターを切る。
撤退しようとした時、窓の無いバスが施設の中の方から出てきた。2人が注意深くそれを観察していると小さな何かが転げ落ちた。希明は匍匐で近づいてそれを拾い上げた。血が染み込みどす黒く変色した男児用靴だった。
「未だ新しい‥‥」
不安を胸に2人はその場を後にするのだった。
トヲイと律子はドームを目指していた。
ドームの周囲は遮る物が無く見渡しよく整備されている。バグアの手先となった守衛が2人1組で巡回しており、上空にはハーピーが円を描くコースで飛び回っている。
2人には接近するために有効な手だてが無かった。
(「命あってのものだねだな」)
(「全くね」)
そう思ったときに1台のバスがドームの方に向かってゆく。ゲートが僅かに開いた。
二人は車両が建物に入るタイミングで素早くシャッターを切ると、足早に其処を立ち去った。
●撤退
無線のスイッチを入れる。
しかしそこから聞こえるのは雑音ばかり。
「使えそうもないですね」
フィオナがため息をつく。希明と誠を除く6人は予定よりも早く撤収をしていた。
夏の終わり、18時が近づくと夜の気配を感じる。街は息を潜めるように静かになり、市内の一部の施設を除いて灯りは見えない。やがて残る2人が戻ってきて全員が無事に合流を果たす。
闇に沈んでゆく街を後に一行はドロナワとの合流地点を目指す。ヘリでの撤退までは数時間を残している。
日が暮れれば、例の夜行性キメラが一斉に活動を開始し始めるだろう。フィオナと幸乃が下水で目にしたキメラは氷山の一角に過ぎない。街の近くは危険だ。
「右側、人型キメラ2!」
希明が警告を飛ばす。同時に誠が蒼く冷たい氷のような刀身を振るうと、飛びかかって来たキメラはそのまま動かなくなって倒れる。
早く峠を越えよう。どれだけの夜行キメラが出現するかは想像もつかない。
無数のキメラに襲われ続け嬲り殺されるか、捕まって拷問の末の死ぬかの2択など御免だ。翔紅と王零の脳裏に非業の死を迎えた一家の映像が蘇る。2人は何も語らずに脚を早める。
キメラの一体一体は極めて脆弱なものであったが、それでもフォースフィールドを備え、まるで体操選手のような身のこなしで襲いかかってくる。一行はキメラの群れに捕捉されていた。
戦闘の度に消費される練力は体力と共に次第に磨り減り、入れ替わるようにして身体への疲労が蓄積してゆく。
ようやく合流地点の河原に着いたころには翔紅の練力は底を尽き、覚醒する事は叶わない。
「そろそろドロナワとのランデブーの時間だ‥‥頑張れ!!」
トヲイはそう言うとキメラの腕を切り裂く。
迎えを待つ一行の周囲では貪欲なまでの殺気が膨れ上がりつつあった。
「いつまで、もつかしら?」
幸乃が浅緑の美しい刀身を振るうとキメラの頭部が胴体から離れて転げ飛ぶ。
「反対側にも正面にも‥‥囲まれましたね」
「ああ」
ドロナワのヘリが到着したとき、一行の待つ中洲は血臭で充たされていた。
「はよ‥‥かえらんとな」
「そう‥‥ですわね」
翔紅がつぶやき、一行は疲れ切った身体に引き摺るようにヘリに乗り込んだ。
トヲイが持ち帰れなかった動物のサンプル代わりにとキメラの腕を持ち帰る。
こうして一定量のサンプルと現地の情報という成果を得て、偵察作戦は終了した。
土壌や画像から特別な新事実が解明されることは無かった。
しかし、トヲイの持ち帰ったキメラの腕‥‥新たに発見された夜行キメラのDNAが人間のDNAとほぼ一致することが発見される。情報は非公開とされたが、ナイトメアと名付けられたそのキメラの人体から作られている疑惑が浮上した。
旭川市への空爆作戦の上申が提出されたのはそれから間もなくのことだった。