●リプレイ本文
●ごじゆうに
常と違う、喧騒とかけ離れた食堂。
やって来た橘川 海(
gb4179)は『どうぞのお茶』に行き当たった事に気が付いた。講義を終えたばかりで、制服姿に学園指定のバッグ、カエルのマスコットと『先手必勝』と書かれたお守りが陽気に揺れている。
行き合わせた偶然にラッキーと微笑して、海は給湯器に近付いた。給湯器の側には食器と――ほら、やはり籠が置いてある。
職員がいない不定期の無人空間。できるのは喫茶のみ――誰が始めたか置き土産。偶然に発生するそれに狙って遭遇するのは難しい。学園生の海ですら、時折出逢う程度だ。
「‥‥今日は何にしようかなっ、と」
どうぞのお茶――無人食堂に置いてある、茶葉が入った籠。誰が始めたかは誰も知らない、利用者の善意で続けられている習慣。
講義で酷使してきた頭をすっきりさせようと、海は籠の中からミントベースのハーブティーのティーバッグを摘み上げた。カップを取り湯を注して振り返る。隅っこに陣取っていたソニアと目が合った。
(後輩のコかな?)
制服の少女は海よりも幼く見えたから、海は何となくそう思って、にっこり微笑み会釈する。本から顔を上げていた少女も柔らかく笑みを返してきた。
その場に居るも何かの縁。過剰に干渉はしないが無視もしない。
互いに不快な思いをしない事。それが『どうぞのお茶』ただひとつの不文律だ。
本から目を離し海に目礼したソニアは、横からすっと差し出されたケーキ皿に驚いて首を傾けた。
「お裾分け。良かったらどうぞ」
涼やかに甘味を差し入れた主はユーリ・ヴェルトライゼン(
ga8751)。お手製のロールケーキの生地はしっとりふわふわ、甘酸っぱい柚子蜂蜜ジャムを巻き込んで更にミルククリームで包み込んである。散らした柚子ピールが彩りを添えていて見目にも美しい。
厚意を有り難く受け取って、ソニアはケーキを口に運んだ。見た目よりもさっぱりとしていて、お茶と喧嘩しない優しい味わいだ。
「‥‥美味しい、です♪」
ソニアの反応に穏やかに目を細め、ユーリは他のテーブルへ移動する。大人数用に少し長めに作ったロールケーキは皆のお茶受け用。希望者には多少のサイズ変更にも対応しつつ配ってゆく。
(そろそろ食欲魔人が来る頃かな‥‥)
少し大きめに切り分けたケーキを皿に盛っていると、予想通り、小さな大食漢のお出ましだ。
食堂の入口に姿を現した最上 憐(
gb0002)は両腕いっぱいに購買の袋を抱えていた。スパイシーな香りが漂うそれは――
「‥‥ん。カレーパン。大人買い。買い占めに。成功。大量。大量」
10歳だけど大人買いとはこれ如何に。
その日購買に入荷したカレーパンを全て買い占めた憐は、腕を開けるべくパンをテーブルに山盛りすると、給湯器に近付き珈琲を入れた。牛乳を加えてカフェオレか――と思いきや、更にチョコレートを投下してゆく。その割合、珈琲1に対して牛乳5とチョコが4。既に珈琲とは呼べそうにないチョコドリンクを手にテーブルに着いた憐、黙々と戦利品を胃に収め始めた。
瞬く間に購買入荷1日分のカレーパンが消費される様は、いつもながら見事としか言い様がない。周囲も慣れたもので、幼女が一人フードファイトしていようと気にする様子もない。
それぞれが思い思いに過ごす事。それが『どうぞのお茶』の時間なのだから。
●クッキーでポーカーを
偶々居合わせた者達がトランプに興じている。
「待たせたかな?」
UNKNOWN(
ga4276)が持っている盆の上には茶器のほかにもお手製クッキーが沢山載っている。本当は厨房を借りて焼きたてを提供したかったのだけど、今日の厨房は管理責任者が居ないから出がけに焼いてきたのだ。
「味は色々、フォーチュンクッキーだよ。コイン代わりにどう、かな」
穏やかに言い添えてロイヤルブラックのコートを脱ぐと、可愛らしいひよこ柄のエプロンを身につけた。
「UNKNOWN、その平たい塊は何?」
食堂にいる傭兵達にお茶請けのお裾分けをし終えたユーリが合流して、鞄から愛用のマイカップ――おそらくは世界一有名であろう悪戯ウサギの絵柄が入ったマグカップ――を取り出しつつ、盆上の茶黒い塊を示し尋ねた。
「ん? これかね? 陳年磚茶と言ってね、25年物のプーアル茶だ」
そう言って、UNKNOWNは「バグア来襲前に仕込まれた茶葉だよ」と微笑んだ。
ポットの中には既に削った茶葉を入れてある。カップに注げば後発酵茶特有の香りが立った。独特の黒い水色にも深みが感じられる。
「熟成された円やかさと芳醇な香り、刻が育てた味わいだよ」
過去を語らぬ大人の男は、優しい微笑を浮かべて言った。
クッキーをコイン代わりに、傭兵達は戯れのポーカーゲーム。
「役の一覧を用意するからそれに合わせればいいさぁ。なに、すぐに覚えられるから大丈夫、と」
レインウォーカー(
gc2524)の気遣いで、ゲーム自体はルールを知らない者にも優しい仕様だが、その実彼は相手に表情を読ませない。常に皮肉気な笑みを浮かべて相手を遣り過ごす。ゲームとは言え、如何に相手を欺くかの駆け引きを要するポーカーは、運と経験が勝負にも影響するのだ。
「‥‥僕の目は誤魔化せませんよ」
にっこりと。目が語っていた「イカサマ許すまじ」と。
冷ややかに口だけで笑みを浮かべたソウマ(
gc0505)の目が怖い。イカサマなど考えもしなかったが、柿原 錬(
gb1931)は勝負前から気魄負けしていた。
「ハァ‥‥結局一枚も無しか‥‥」
本心だだ漏れで壁際をちらちら見ている錬は全くもって集中力に欠けていた。
錬の思考は自分中心で完結していた。誘い受けだけでは人は動かせぬ。彼自身が愛情と思い込んでいるものは相手の意思を無視した手前勝手の思想でしかなく、美化したつもりのそれは第三者が見れば劣情と表現されるものかもしれなかった。
(ソニアとは‥‥不釣合いかもしれないいいや、そうに決まってる。僕なんかが汚しちゃいけないんだ‥‥)
カードを持つ手が血濡れに見えて錬は自分自身の存在を否定した。そのくせ彼は否定した側からソニアに話しかける言葉を探し、頭の中でシミュレートしても近寄る事すらできず、堂々巡りを繰り返す。彼の心は四方八方に乱れ切っており、到底ポーカーなどできる状況ではなかったのだ。
錬の挙動に察する所のあった沖田 護(
gc0208)は負けが込んでいる錬を心配気に見つめていた――が。
(2のワンペア‥‥!)
「生憎と、ボクの勝ちみたいだねぇ」
レインウォーカーは勝ちを確信、護もまた、運は悪い方らしかった。
「勝負は真剣に、だから楽しいんですよ」
クールかつ飄々と、なのにソウマの目がいつもより鋭いのは、実は勝負事には熱くなってしまう質だから。覚醒状態が目立たないのを良い事に、こっそりGooDLuckを使っているのは内緒だ。
常より表情変化が少ないユーリはポーカー有利かもしれぬ――が。
(‥‥フルハウス行けるかな)
ついつい大きな役を狙って玉砕してしまうのだけど、揃った時の高揚感は賭けたクッキー以上に耽溺してしまう甘い罠で。
「ん? 私も入っていいのかね?」
そんな面々を微笑ましげに眺めていたUNKNOWN、誘われて参戦するも、皆にクッキーが行き渡るよう、実はこっそり手加減して負けていたりする。
知ってか知らずかスキル様々か。
「『不落のツキ』と呼ばれる僕に、敗北なんてありませんよ」
クッキーを総取りした甘党ソウマは、にこにことご機嫌で高笑いだ。
テーブルの中央に次のクッキーを出しながら、ベルナールは無邪気に問う。
「どうしたら俺もUNKNOWNさんみたいな渋くてカッコイイ大人になれるかな」
「――そうだね、私の場合は生まれ育ちと経験、だろう」
UNKNOWNは余裕を漂わせて少し間を置くと、言葉を選びつつ少しだけ過去を明かしてみせた。
研究に明け暮れた学生時代、人を寄せ付けぬ危険な雰囲気と視線の上に笑いもしないUNKNOWNを、彼の恩師は『人間としては完璧、人としては失格』と称した。
「だけどね、いい悪友のおかげで助かった、よ。彼のおかげで馬鹿もできるようになった」
それに――彼が教えてくれた。笑う事を。
今のUNKNOWNを形作っているのは、紛れも無くこれまでの人生。
だから彼はこう結ぶ。
「ま、色々経験してみるといい。それが自身の糧となる」
配られたカードを一瞥、顔色には出さずレインウォーカーはカップを手に取った。護の物問いたげな視線に続きを促し、カップに口を付ける。
「フムン、やっぱり少し苦いなぁ。けど、悪くない」
砂糖少な目にしたミルク多めのちょっぴり苦い珈琲は、護との話の内容には相応しい。
護が聞きたかったのは、あるバグアの末路。
「そうですか。あのバグアは‥‥」
本部に届いた報告では討伐されたと聞いてはいたが、最期に居合わせた者から話を聞くとまた違った感慨も湧くものだ。
「‥‥できれば、ボク自身も決着をつけたかったです」
「全部終わった、とは思えないんだよねぇ。ま、根拠はないけど」
口惜しさを滲ませ呟く護に、レインウォーカーは皮肉気に首を傾げる。やがて斜に構えた笑みを浮かべ、彼は言った。
「いずれにせよ、終わってないなら終わらせるだけさぁ。この手で、ね」
そうですね、と、護は真面目に頷いた。
●おすそわけ
カップを手にテーブルに着くと、メールを確認する――残念、今日は会えないみたい。
海は友人の不在にがっかりしたものの、ポーカーに興じている面子の中に見知った顔を見つけて手を振った。
「あ、沖田君やっほー」
予期せぬ遭遇に驚きつつも、護は友人として海に手を振り返す。
いつも頂き物をしているお礼だと笑って、海はラストホープで美味しいと評判の洋菓子店のクッキーをお裾分け。
何気ない遭遇、他愛ない会話が交わされる。講義の後立ち寄った所『どうぞのお茶』の日に行き当たった事、この後整備場に行く予定など――
「たまには整備してあげないと、AUKVが可哀想だよっ? 依頼の前だけでもいいから、会いにおいでよー? 私もいるからねっ?」
罪のない――本当に裏心などない海の言葉は、護にはどのように届いたのだろう。
曖昧に微笑み頷く護に、海は「じゃ、私はそろそろ行くねっ」朗らかに別れを告げて、作業服に着替えるべく更衣室へと去って行った。
抜き足、差し足、忍び足。壁際にこっそり近付く小さな影――憐、だが。
ソニアに気付かれた。
「‥‥あ、師匠こんにちは。ホットチョコですか?」
「‥‥ん。かつては。珈琲と。呼ばれていた、チョコドリンク」
1割程度は珈琲なのだが、どう見てもホットチョコだ。
買い占めた購買のカレーパンを完食し、あちこち食べ物のある場所に湧いて出ては無言の圧力を掛けてお裾分けを貰う小さな大食漢である。
生憎、既にソニアはロールケーキを食べてしまった後だったのだけど、憐はユーリに大きめに切り分けてもらったロールケーキの皿を手にやって来て、そのまま読書を再開したソニアの隣で食べ始めた。
「‥‥ん。ソニアを。更に。カレー好きにする為の。華麗な。罠を。設置」
一瞬で食べてしまうと、徐に分厚い書籍を取り出した。そのタイトルや『世界のカレー大図鑑』さすがカレー好き。こそそと読書中の傭兵の横に滑らせる。
再び視線を向けたソニアに、憐は無垢な視線を返した。
「‥‥ん。読書家の。ソニアが。図鑑を。読んで。カレーに。魅了されれば。完璧」
「‥‥色々なカレーが載っていますけれど‥‥これ全部飲めるんですか?」
カレーは飲み物と憐に教えられたソニアの妙な質問。
当然。これ美味しそう、などと珍しいカレーに魅入るソニアに満足気に憐は頷いた。
「‥‥ん。美味しそうだね。‥‥食べきれる? 食べきれる?」
憐の洗脳――もとい教育はまだまだ続くかと思われたが、そこに割り込むはやはり食べ物で。
「‥‥ん。何か。あっちから。食べ物の。気配が」
空になったカップを手に、ソニアを連れて移動した先では、独りお茶会が開かれていた。
午後の陽射しが暖かく差し込む窓際の席で、ソーニャ(
gb5824)がティーポットを傾けている。ポットもカップも持ち込みで、デンマーク産のシンプルながら愛らしさが目を惹いた。
ちょうど今から愉しむのだろう、側にはユーリのロールケーキがまだ手付かずで置いてある。他にもお茶菓子を用意してある辺り、飛び入りのお客様も歓迎してくれそうだ。
「こんにちは。お邪魔しても構いませんか?」
テーブルに引っ付いて、じーっと無言の圧力を掛ける憐の代わりにソニアが挨拶した。ソーニャに拒む理由はなく、空いた席に座る。
「素敵なお茶会ですね」
まるで物語のような――外国の童話に出てきそうなお茶会のテーブルに、ソニアは穏やかに目を細めた。どうぞと差し出されたカップからは蘭の花を思わせる香り。淹れられた紅茶は、かつて王太子が作らせたブレンドティー、祁門を主体に合わせたすっきりした逸品だ。
ベラベッカを頬張る憐の横でスコーンにクロテッドクリームを塗りながら、ソニアは随分と本式なお茶だと思った。少し離れた場所では黒木 敬介(
gc5024)が緑茶を淹れているのだが、これもまた丁寧な淹れ方に見える。
尤も、ソニアが思うほど敬介は手間隙かけて淹れている自覚はなかった。身についた所作は手馴れており、彼には苦でもない。
敬介にとって唯ひとつ手元に残した実家の味だった。実家を飛び出した良家の子息がこれだけは拒まなかった、実家からの仕送りがこの玉露である。
(‥‥へえ‥‥こういうところなんだ)
初めて出くわした食堂の一面、各々が思い思いの時間を過ごすひととき。どうぞのお茶。
確か、次の利用者へ置き土産をしてくんだっけ。
敬介は自分の分を淹れ終えると、残った茶葉はきちんと封をして籠に入れた。籠の中に入っているのがティーバッグばかりなので微かに首を傾げて――ソーニャのお呼ばれ中のソニアに気がついた。
「邪魔してごめんね。静かな所が良くてね、ここを借りるよ」
適当に理由を付けて近くに座る。
何となく気になったのは、実家に残してきた妹に歳が近いからだろうか。それ以上干渉する事もなく、静かに読書を始めた。
初対面で共通の話題など限られている。きな臭い話を除けば学園の事、そしてこの状況の事くらいだろうか。
「噂には聞いていたんですけど‥‥実は初めてここに居合わせたんです」
もうどきどきして、慌てて図書館に行って本を借りてきて――そう言ってソニアは苦笑した。
クラスメイトから噂に聞いていた、参加者の善意で続く習慣。
――お茶を飲みたい人、どうぞお使いください――
誰が始めたか。誰が続けているか。きっとみんなで続けている習慣には、誰にも不快な思いをさせないという、相手を思い遣るが故のルールがあって。
そして、何故だか――籠や小箱に置き土産するのはティーバッグやドリップタイプの珈琲ばかり。
「噂通り、インスタントコーヒーは置いてないんですね」
ソニアの言葉に、ソーニャは「馬鹿げてるわ」と肩をすくめた。
それは元々『誰が何時使うか判らないから、保存性の高い個包装のものを置きましょう』という話だったに違いない。だが、いつしか噂は一人歩きして、尾ひれが付いていた。
すなわち『インスタントコーヒーが置かれない理由は、利用者が邪道だと嫌う為』と。
「ねえ貴女、戦場へ出た事はある? 傭兵にインスタントコーヒーをバカにする人はいないよ」
殺伐とした戦場で、あの一杯にどれだけ救われた傭兵がいたか。あの温もりに勇気付けられた者達がいたか。
「それに日本には素晴らしい文化があるのでしょう? インスタントグリーンティーをおもてなしの心で芸術まで昇華させた、茶道って」
戦いを知る者の目は、まっすぐソニアを射抜いた。
「‥‥あ」
大切なのは、相手を認め思い遣る心だとソーニャは言って、まだ見ぬ世界の一端に目を見張るだけの学生の頭を優しく撫でた。
「そう、いいこね」
殺伐を知るからこそ束の間の安らぎが愛しい。
さあ、この贅沢な時間の使い方を、暖かな陽射しを享受しよう。
それぞれが思い思いの時を過ごして――食堂から一人、また一人と立ち去ってゆく。
帰り際、ユーリは次に遭遇する誰かの為にミントティーを箱に入れた。
(あの時の怪我はもう大丈夫そうだな、良かった)
少し心配だったUNKNOWNにも会えたしと一安心。ソーニャに群れている食欲魔人達を一瞥して、ユーリも食堂を離れた。
最初の席に本を置きっ放しにしていたソニアは、取りに戻って何か置いてある事に気が付いた。
(クッキー‥‥?)
添えられたカードの差出人の名に目を細める。
本と一緒にポーカーのチップを持って、ソニアは部屋へ戻って行った。「縁があったら、また」と呟いて。