●リプレイ本文
●
大きな音と派手な波しぶきを立ててソニアはお湯に落ちました。
(「泳げて良かった。服を着たまま温泉で泳ぐなんて考えた事なかったけれど」)
両腕でゆっくりと湯を掻いて、漸くお湯が黄色く濁っている事に気付きました。濁り湯温泉特有の臭いはなくて、寧ろ美味しそうです。スープの中で泳いでいるみたいだと考えたのは間違ってはいなかったようです。答えは、頭上に差した影が教えてくれました。
「おやおや、お嬢さんがスープの海を泳いでいる。これは珍しいモノを見れました」
西洋貴族風の服装にシルクハットを被った紳士が空を飛んでいました。喋ろうとして思い切りスープを飲み込んだ様子を眺めている紳士の表情はソニアからは見えません。声だけが降ってきます。
「愉快で素敵な世界にようこそ、お嬢さん。道に迷っているなら真っ直ぐ進むといいでしょう。きっと愉しい事が待っていますよ」
道化の仮面を被ったレインウォーカー(
gc2524)は、手に持っていたステッキでソニアの右手を指して、どこかへ飛び立ってしまいました。
仕方なく、一人平泳ぎしながら指し示された方角へと視線を巡らせてみると、他にもスープの浮き身が泳いでいます。
狼の群れが海に嵌ってしまったようです。狼達は浮いたり沈んだりして、ちまちま可愛らしく前脚を動かしていましたが、一匹また一匹と沈んでゆきました。
「もう‥‥喰ったさ‥‥ハラァ‥‥いっぱいだ‥‥」
やがて、最後の一匹を残しお腹をぽこんとさせた狼達が沈んでしまうと、ソニアはがっかりしました。すっかり静かになったスープの海を掻いていると、近付く者がいます。金色の毛並み、沈んでしまった狼達に泳ぎを指示していたリーダー狼でした。
「にゃあ、ここから先はとても危険」
「狼なのに猫?」
「‥‥この黄金のチェシャ狼がついていってあげるです!」
猫――いえ、黄金のチェシャ狼のフェリア(
ga9011)は力強く陸の方向を指し示しました。
陸を目指して一人と一匹は泳ぎ始めました。
「ねえ、チェシャ狼さん。陸は‥‥まだ?」
「諦めちゃダメなのです!信じれば陸は見えるです!」
スープを掻く手も重くなって来たソニアが沈みかけた時――救いの手が現れました。
「お嬢さん大変そうだね。良かったらボクの背中に乗って」
「ワイバーン‥‥?」
「早く、沈んでしまわないうちに早く乗って」
フェリアがワイバーンの背によじ登りソニアを引き上げました。一息吐いているとワイバーンが名乗りました。
「ボクの名前はジャバウォック」
「にゃっ、魔獣!」
身構えたフェリアが「変幻自在、正体不明の魔獣なのです!」ソニアに警告を発すると、魔獣と呼ばれた柿原錬(
gb1931)は寂しそうに言いました。
「このままじゃ仲良くしてはくれないのかな‥‥陸に着いたら姿を変えるから、待ってて」
そう言って、錬は陸へ向かってすごい速さで飛んでゆきました。
●
フェリアが毛繕いしている傍で、濡れたままのソニアが微かに震えてくしゃみをしました。
「ソニア殿、これ着るです?」
フェリアが黄金の毛皮の前をちーと開けて、水色のエプロンドレスにタイツとエナメル靴の一式を取り出しました。出されるまま受け取って、二人して無言で錬に視線を移すと、優しい魔獣は背を向けて翼で頭を隠してくれました。
「もう‥‥いいかな」
エプロンドレスはぴったりでした。振り向いた錬は観察するように眺め、次の瞬間にはソニアにそっくりの少女になっていました。
「これならどうかな」
「‥‥鏡を見ているようで‥‥何だか、落ち着かないです」
錬は苦笑して長い黒髪の少女に変わりました。服装は色違いです。二人と一匹は、岸辺の先にある森へと入ってゆきました。
不思議な森でした。木々が生い茂り欝蒼としているようなのに、辺りはとても明るいのです。手触りが良さそうな下草を踏みしめて、みんなは奥へ進んでゆきました。
「にゃあ、お昼寝したいにゃあ」
「昼寝をしたらボクが食べちゃうよ」
他愛ない事を話しながら歩いていると、木々の向こうから「探せ、探せ!」という声がして来ました。
「国中の女性を探せ!‥‥お、未確認女性発見」
獲物を狙う目付きで現れたのは、饅頭頭の兵隊達――人呼んで、弓亜石榴(
ga0468)でした。手をわきわきさせながら近付いてきます。
「『国中の女性のスカートをめくってパンツを確認すべし』という御触れが出たのです!」
「にゃ?ぱんつはいてないです」
フェリアが毛皮を開けて『証明書』を取り出しました。どこから出したのとか、穿いてないらしいのとかは言及しない方がよろしいでしょう。とにかく『証明書』の効果は抜群でした。
「「これは『ぱんつはいてない証明書』!こんな所でお目にかかれるとは!」」
「ち、違うだろ!それは私の願望!女王陛下の御触れは『バストチェック』だ!」
「という訳で、そこな娘。神妙にお縄に付くように」
ははぁと平伏する饅頭兵士達と満足気なフェリア。はっと気付いた一部の饅頭兵士がソニアに迫ってきます。唖然としていた錬はワイバーンに変化すると饅頭兵士の頭に齧り付きました。
「「頭が欠けて力が出ない〜」」
「ソニア、今の内に早く!」
スカートめくりにバストチェックだなんて真っ平!錬に一礼して、ソニアは逃げ出しました。
ただ逃げる事だけを考えたせいで、すっかり迷子になってしまいました。何処かも判らず歩き続けていると――
「おやおやおやおやお嬢さん、そんなに急いでどこへいく?」
今日は声を掛けられる事が多い日だこと。
そう思いつつも落ち着いた声に信頼を感じて樹の上を見上げました。スーツを着た狼が煙草を吹かしています。身軽な動作で降りて来た八葉白雪(
gb2228)から、ふわりとラベンダーの香りが漂いました。
「どこへ‥‥どこへも」
「いやいやいやいやそんなはずはない。時と追いかけっこをなさるのか。追われているのはどちらかね」
狼伯爵は楽しそうに謎掛けをして来ます。ソニアは少しむっとしました。黙って立ち去ったソニアに追いついた狼伯爵の白雪が言葉を重ねてきます。
「ほらほらほらほら追いついた。歩いていたって追いつける。後ろ向きなら追い越せる。追うのを止めたら如何かね」
仕方なく、ソニアは立ち止まりました。
白雪は面白そうにソニアの顔を見つめると、スーツの内ポケットから懐中時計を取り出して言いました。
「それでも追うのを止めぬかね?それならこれを差し上げよう。進めば進む銀時計、戻れば戻る銀時計」
「あ、ありがとうございます‥‥」
銀時計の蓋には綺麗な細工が施されていました。美しさに目を奪われている少女へ、白雪は一言添えて、姿を消しました。
――蓋を開けば助けよう。必要な時に使うといい。
●
狼伯爵から貰った銀時計をエプロンのポケットに仕舞うと、ソニアは再びあてもなく歩き始めました。
(「おなか空いた‥‥」)
食べ損ねたパンプキンタルトを思い出して、ソニアは溜息を吐きました。泳ぐので精一杯でスープは味わっていられませんでしたし、既にお腹はからっぽです。
そんなソニアの脇を二匹の兎が通り過ぎてゆきました。
「いそげ、いそげ!このままだとお茶会に遅れちゃうよ〜!」
『まぁいいじゃないか。それより見てごらん、この花の蜜はゼリーのようでおやつに最適なんだ、摘んでお土産として持って行こうじゃないか』
白い兎のセラ(
gc2672)が尻尾ふりふり駆けてゆくその後ろから、黒い兎のアイリスがのんびり歩いています。アイリスに引き止められたセラが花を覗き込みましたが、ソニアには普通の花に見えました。
(「ゼリーどころか蜜を取るのも大変そう‥‥」)
そこでソニアは兎達を追い越して先へ進んでゆきました。
「ふともも、ふともも〜♪」
やがて、人の気配が消えた森の中から妙な歌声が聞こえてきました。歌の内容を考える余裕もなく、ソニアは歌のする方向へと進んで行きました。
「ふっともっもー♪‥‥お?」
急に開けた草地の上に、巨大南瓜がひとつ。チェシャ狼の群れが周りで遊んでいます。南瓜の上には金髪の少年が乗っかっていました。歌声は黒羽・ベルナール(
gb2862)のものだったのです。
「そこの綺麗なお嬢さん。良かったら美味しいカボチャでもいかが?だ〜いじょうぶ♪ケーキみたいだよ」
ベルナールに誘われたソニアのお腹がきゅうと鳴きました。ほら、と簡単に千切った南瓜は本当にマフィンのようです。ソニアは一口齧ってみました。
すると――
「きゃぁぁあぁぁ!」
慌ててソニアがスカートの裾を押さえたのも無理はありません。だって凄い勢いで背が伸び始めたのですもの!
「おぉ〜いい眺め♪なかなかいい太ももだよ〜」
太もも派のベルナールはご機嫌でソニアを見上げています。恥ずかしさで真っ赤になりながらソニアは涙目で少年を見下ろしました。
「このままだと、元に戻れないかもね〜君の血を吸わせてくれるなら、助けてあげてもいいけど?」
「血、ですか?構いませんけど‥‥」
如何せん大きさが違い過ぎました。手の平サイズになった南瓜の上に乗っているベルナールは虫くらい、ソニアには蚊のように思えてしまったのです。
「へぇ‥‥いいの?意外と肝の据わった子だね〜では、遠慮なく♪」
顔の近くまで近寄ったベルナールはソニアの首筋をかぷりと噛みました。ちぅ、と血をいただいて「この辺りにはない変わった味だね〜」と言いました。
「どこから来たの?俺はベルナール、吸血鬼のベルナールだよ」
ベルナールは正体を明かして南瓜の秘密を教えてくれました。部位によって大きくなったり小さくなったりする南瓜は、交互に食べれば平気です。
元の大きさに戻り、お腹が空いていたソニアは齧りながらベルナールにこれまでの事を話しました。人懐っこく耳を傾けていたベルナールは、更に奥へと進んでいく異世界の娘を見送って独りごちました。
「異世界から来た子か‥‥女王のお気に召すかな?」
報告しておくか。ま、俺は太もも派なんで胸には興味ないけどね。
吸血鬼は女王が待つ城へ飛んでゆきました。後に残ったのはチェシャ狼達は、どこでしょう。
「「「暗いよ狭いよ怖いよー」」」
誰もいなくなった森の中で、巨大南瓜だけが舌なめずりをしていました。
ベルナールと別れたソニアは再びあてなき道を歩いています。やがて賑やかな場所に辿り着きました。
「おやおや、またお会いしましたねお嬢さん」
その声は、その仮面は‥‥スープの海で出逢ったシルクハットの紳士です。
彼がいるのは森の中、立派なテーブルにクロスを掛けて、白磁のティーポットを持った紳士は、このお茶会の主催者のようです。椅子を引いて、レインウォーカーはソニアを誘いました。
「キミもどうですか?美味しい紅茶とパイをご馳走しますよ」
「ありがとうございます‥‥」
この世界に来て、初めてまともに扱って貰ったように思えて、ソニアはほんのり赤らむと勧められた席に座りました。
真新しい食器が出されました。白い丸皿にはカットされたパンプキンパイが黄金の南瓜色を覗かせています。白磁のカップはまだ空で、ソーサーに銀匙と砂糖がふたつ、砂糖は可愛らしいメレンゲ細工でカボチャが描かれていました。
お客様は‥‥おや、やっぱりここにもチェシャ狼の群れがいます。
「君は何のお茶を飲む〜♪」
「「紅茶それとも抹茶ァァ〜♪」」
「え‥‥と‥‥」
チェシャ狼達は妙な合唱をしながらソニアの席に近付くと、答える間もなく紅茶と抹茶を一度にカップへ注ぎ込みました。唖然としていると、気持ちを急かせるような音楽と共にウサギ達が駆け込んできました。
「う〜、おくれてごめんなさい‥‥」
『はははっ!急げば間に合いそうだったのでいっそ堂々と遅刻してみたよ。あ、これは御土産のお菓子と道すがら見つけたその他もろもろさ』
しょんぼりセラに対してアイリスは余裕綽々。その間も二匹は演奏を続けています。
「あ〜また会ったね!あなたもお茶会に招待されてたんだね!」
『そうか、それなら言えば良いものを。さあ土産のお菓子を食べたまえ』
アイリスが出した花の包みは蜜でいっぱい、とろりとしていて確かにゼリーのようです。新しいカップに注いだ紅茶を勧めて、主催の紳士が言いました。
「さあ、うさぎさん達。自慢の曲を聴かせてください。ああ、まだ名乗っていませんでしたね。ボクは“道化”と呼ばれています。キミの名前も教えてくれませんか」
ソニアは名前とこれまでの事を話し、ゆったりとお茶を楽しんだのでした――が。
「「見つけたぞ!饅頭兄さんの仇!!」」
●
モンブランの兵隊達に捕らえられた一同は、女王・諌山美雲(
gb5758)の前に引き出されていました。
「これは‥‥」
『聞きしにまさるヒンニュウだね』
白黒双子の兎達をキッと睨む女王様。黙れと明らかにぺたんな二匹を脇にどけ、ソニアの前に立ちました。
「その胸、肩こりが酷いでしょう。可哀想‥‥」
女王は同情溢れる眼差しでエプロンドレスの上からソニアのスタイルを――主に胸周りを――見ました。
「「出た、女王様の特殊能力センスバスト!」」
兵隊達の解説にぎょっとする一同。申し訳ありませんがと、道化の紳士が女王の前に立ち塞がりました。
「本当に困った女王様だ。彼女はボクの客人です。勝手な真似はさせませんよ」
「女王と戦う前に、俺のお相手宜しく♪」
意外な再会を果たしたベルナールの姿に、ソニアは絶句して立ち尽くすばかりです。道化と吸血鬼の一騎打ちの中、兵隊達がわきわきと近付いて来ます――その時。
「愚かなり大王!例え幾星霜の年月を経ようとも…無理な物は無理!」
「ソニア、助けに来たよ」
「ざけんなです!そんなカッコにならなくても‥‥友達にはなれるのです!」
狼伯爵を背に乗せた魔獣ジャバウォックと、グリフォンを駆った黄金のチェシャ狼がテラスから飛び込んできました。包囲が解かれたソニアはポケットに南瓜が残っていたのを思い出しました。
「そんなに胸が欲しいなら、これをどうぞ!」
「ち、違う私は‥‥肩こり撲滅の為に‥‥ああっ!」
大きいのと小さいの、絶妙にブレンドされた南瓜は女王の胸だけを大きくしたのです。慣れぬ重みに耐え切れず、女王はがっくりと崩折れました。
「ソニア、銀時計を使いなさい」
騒ぎの中、狼伯爵の声が聞こえた気がします。ポケットから銀時計を取り出したソニアは繊細な模様の蓋を開けました――
●
すっかり冷めた紅茶のカップを倒し、タルトに鼻先を突っ込んでいたソニアは慌てて膝に乗っていたナプキンで顔を拭いました。
(「‥‥アリス服?」)
膝にあったのはナプキンではありません。戸惑うソニアの視線の先にジャック・オ・ランタンが揺れていました。
夢だったのでしょうか――聞き覚えのある声が耳を掠めてゆきました。
いかがでしたか、お嬢さん。縁があればまたお会いしましょう。道化との約束ですよ――