●リプレイ本文
その日。加奈の病室を訪れたのは、6人の能力者だった。真っ白なベッドの上に横たわった彼女に、ぺこり、ノゾミ・フリージア(
gc7722)は頭を下げる。
「初めまして。私、ノゾミ・フリージアって言います」
「とりあえず、まずは詳しく話を聞かせてもらいたい」
須佐 武流(
ga1461)もまた、加奈の細い腕に刺さった点滴チューブをちらりと見ながら、そう告げる。概要はもちろん、聞いてはいたけれども。
旅に出てしまった彼女の恋人。それは戦場で行方不明だった彼女が、無事に発見・保護される直前の事。
つまり。
「その、アンタの恋人の――舘島――は、アンタが死んでいると思い込んでる可能性が高いわけだな?」
そう、確かめた武流に加奈は、多分、と頷く。そうか、とわずかに目を細めた。
行方不明から3ヶ月、しかも戦場での事となれば、諦めもつく頃かもしれない。そしてようやく色々と、整理を始める頃だろうか。
だからこの時期に旅に出たと言うのは恐らくは――そういう事、なのだろう。そう、思って武流はさらに、足取りに心当たりはないか尋ねる。
加奈もずっと、それを考えていたのだろう。ぽつり、ぽつりと語る彼女の点滴に繋がれた手を握り、シーヴ・王(
ga5638)は強い眼差しで言った。
「他にも、悠矢がどんな人物か、教えてくれやがるですか。愚痴るなり惚気るなりするが良し」
「ぇ‥‥?」
「その気持ち、悠矢に全部届けやがるですから」
その言葉、その想い。その表情も仕草も雰囲気も、何もかも脳裏に刻み込んで、1つ残らず彼の元へ。
加奈の眼差しが大きく揺れ、シーヴの瞳を見上げた。そうしてぽつり、最初に口をついて出たのは、彼が詩歌いだと言うこと。
彼がどんな性格なのか。どんな外見なのか。どんな事を思い、どんな言葉を紡ぎ、どんな風に世界を見て。そんな彼を、どう思っていたのか。どう、想っているのか。
時々は辛辣で、けれども想いに溢れた言葉。そのすべてをシーヴは見つめ、声の甘い響きまでをも記憶する。ぎゅっと、握った手に力を込めた。
「入れ違いだとかそそっかしい恋人、無事に連れて帰りやがるですから、安心して治療に専念しやがるが良し、です」
「くっくっく、ご安心を。必ず見つけますから」
カイネ・グレイ(
gc7652)もそんな加奈に断言する。お願いと、加奈が消え入りそうな声で呟くのに、任せてよと肩をすくめた。
誰かを励ましたりするのは、あまり自分のガラではない。けれども彼女の様子を見れば、彼女にとって悠矢がどんなに大切な存在なのかは、良く判る。
だから。
「大切な人を探したいっていうのはすごくわかるよ」
彼女にしっかりと、カイネはそう頷いた。加奈の語る悠矢を、頭の中に思い浮かべる。
とはいえさすがに、顔を知らない相手を捜すのは難しい。加奈から借りた数枚の写真には、少し頼りない風情の、幸せそうな男性が写っていた。
1人で写っているもの、加奈と2人、幸せそうに寄り添っているもの。ノゾミは悠矢の歌のデータも借りられないかと頼む。聞き込みの際の、何かの手がかりになるかも知れない。
真っ白な病室の外に広がる青空。この空の下のどこかで、悠矢は今日も歌っているのだろう。
◆
「ここがフィニステール、大地の終わり。フランスの西の果て、ですか」
吹き抜ける風を感じながら、立花 零次(
gc6227)は辺りを見回した。ここが加奈が戦った場所――そして悠矢が向かったと思われる、場所。
西へと向かっていることはULTから提示された情報でも確認したし、加奈がここで消息不明となったことを悠矢は知っているはずだから。
けれど――
「傭兵とミュージシャン‥‥『死』が間近にある戦場へ、彼はどんな気持ちで彼女を送り出していたのでしょうね‥‥」
「‥‥‥」
「何を思いながら彼女の帰りを待ち、何を想いながら歌っていたのでしょうか‥‥」
零次の、独り言のような呟きを聞きながら、セシリア・D・篠畑(
ga0475)は無言で手の中の写真を見下ろした。悠矢と加奈の、幸せそうに寄り添う姿。その一瞬を焼き付けた写真。
彼は一体何を思い、彼女を戦場へ送り出し、1人待っていたのだろう――待っていられたのだろう。
「恋人が消息不明になりやがって、居ても立ってもいられねぇ気持ちは分からなくもねぇですが‥‥何故三ヶ月も経った『今』でありやがるのか、シーヴ的にゃ、ソコんとこがイマイチ納得出来ねぇですね」
軽く唇を尖らせて、シーヴは悠矢への不満を口にした。消息不明を知ってすぐに探しに出たのなら解る。けれども悠矢はそうではなかった。
武流の言う通り、彼女は死んだものと諦めて、気持ちの整理をつけるためにフランスまで来たのか。それとも何か別の理由が、或いは別の事情があったのか。
シーヴはどうしても、その理由を聞いてみたいと思った。そして彼が、どんな詩を歌うのかも。
加奈からノゾミが借り受けた音源は高速艇の中で耳にしたが、残念ながらあまり音質が良いとは言えなかった。きちんとした機材を使って録音したものではないのだろう。
嗜み程度とはいえピアノを弾くシーヴであるから、同じ音楽に携わるものとして、彼のクリアな音を聴いてみたかった――音を聴けば、そこに込められた『人』が解るような、気がして。
けれどもその悠矢は果たして、どこにいるのか――セシリアは辺りを見回し、そうしてまた物思いに沈む。
(‥‥例えば私が、戦闘で消息不明になった時‥‥あの人は私を探すだろうか‥‥彼が戦闘で消息不明になった時‥‥私は‥‥?)
セシリアの夫は軍人で、彼女自身は傭兵で。だからこの依頼は、いつ自分達の身の上に降りかかってもおかしくない出来事だ。
それでなくても忙しい夫に、セシリアはもう半年以上も会っておらず、声も聞いていない。そんな夫が実は消息を絶っていたとしても、何もおかしくはない。
それを、思う。ただ一度だけ貰った簡単な手紙の言葉を思い出し、それがこのフランスで彼が過ごした短い休暇での事だったと瞳を伏せる。あの時、セシリアは仕事で夫に会いに行くことが出来なかった。
Loin tu es toujours dans mon coeur.
遠くにいても、あなたはいつも私の心の中にいる。
「ひとまず、写真を使って聞き込みしやがりましょう」
「‥‥はい‥‥」
「手分けをすれば早いでしょう――この辺りではケルト十字を良く見かけますね。被害を免れた聖堂や教会も残っているようですし、依頼でなければのんびりして行きたいところなのですが」
不意に響いたシーヴの言葉に小さく頷いたのと、零次が頷いて動き始めたのは、同時。ここからカンペールへ、そしてパリへと向かえば入れ違う事はないだろう。
からからと、風見鶏が音を立てて回る。まるで羽ばたこうとするような風見鶏が、空の青に映えるのを、零次は目を細めて見上げた。
抜けるような空はどこまでも青く、遥かな高みはただ透明で。どこまでも飛んで行きたくなるような、空。
「彼もこの青い空を見上げているのでしょうか‥‥。彼女の無事を信じながら? それとも‥‥」
呟く零次の言葉に、それとも、とセシリアは胸の中で呟いた。手の中の写真がまるで、自分と夫のように思える――自分はこんな風に微笑むことは出来ないけれど。
(私が消えたら、あの人は、何を想うだろう)
仲間達と一緒に居るのに、此処に立つセシリアは、どうしようもなく独りぼっちだった。
◆
「あの、すみません‥‥この人のこと、何か知りませんか?」
ノゾミは一生懸命に、たくさんの人に悠矢のことを尋ねて回った。我ながら地味な作業だとは思うけれども、それ以外にどうすればいいのか思い浮かばなかったのだ。
彼女にとっての初めての任務で、初めて誰かの役に立てるかもしれないこと。だからただ、ひたすらに。この町は悠矢が目撃された場所だから、他にも目撃者が居れば何か、解るかもしれない。
町はそれほど広くはなくて、ぐるりと回ればすぐにめぼしい通行人も尽きた。街角で情報交換をするカイネの表情が面白そうに揺れる。
加奈の大事な人を探したい、という行動と願いに賛成できたから、実は結構全力でここまでやって来た。けれども、恋人探しというのは彼の中で少し、変わったというか、面白い依頼の部類に入る。
そんなカイネの揺れる笑顔を武流は見つめ、それからふと呟く。
「果たしてアイツ、何を追って行っているんだろうな?」
死んだと思い込んでいるだろう恋人の足跡か。或いは他の何かか。フランスへ来てから、ここに至るまでの道程で、或いはこの先の道程で――何かが、あったのか。
(‥‥でも、そこには何もないぜ?)
胸の中で、写真でしか知らない男に語りかける。彼が追いかけていく先で見出したいと思っているだろうもの。加奈はすでにLHに戻って、彼の無事を願い、帰りを待っている。
とまれまずは一つずつ、一つずつ、確実にその足取りを掴む事だ。それが分れば或いは、彼が何を思ってフランスへやって来て、詩を歌いながら西へ向かうのか、見えてくるかもしれない。
だから次の町へと向かいながら、ノゾミはふと空を見上げた。借りた音源で歌われていた詩は、暖かな幸せを歌った愛の詩
(そういえば、しばらく恋してない、な)
もともと異性に人気があるわけじゃないし、ノゾミ自身が人見知りをしてしまうから、あまり縁がある方じゃない。けれども、だから恋なんて要らないとは思わないし、むしろ恋人が欲しいと、思う。
そう、思う自分に苦笑した。彼らに影響されたのか、それとも。
(戦場に立つことが決まったから、人恋しくなったのかな?)
誰かを大切に想って、誰かに大切に想われて、そうして寄り添い歩く事。その温もり。振り返れば一番大切な人が居て、その眼差しの中に自分だけが映っている瞬間の幸せ。
恋愛の良さは知っている。だからこそ、加奈達の物語はハッピーエンドにしたかった。自分自身の恋だって素敵なことだけれど、誰かの恋はもっと素敵なことだから。
次に辿り着いた町では、かつて訪れた悠矢らしき詩歌いを懐かしむ老婆がいた。けれども何度音源を繰り返し聞かせても、これだけではよく解らない、と首を振る。
カイネはククク、と笑って立ち上がった。
「いい加減その詩も覚えたから、歌ってみましょうか。何か思い出したら教えてくれれば良いですよ」
「私も! 私も一緒に、歌います!」
声を上げたノゾミに眉だけ動かして了承し、カイネは悠矢の詩をアカペラで歌い上げた。それに必死でついていくノゾミ。
そこから少し離れたところで、武流は2人の歌声に足を止めた人に声をかけ、悠矢の写真を見せて回る。コイツは今、何を想い、どこで歌っているんだろう。
◆
彼は、西を目指していた。恋人が居なくなった場所。だから彼は、西を目指した。詩を歌いながら。
この景色を彼女は見ただろうか。この地の人々に、彼女は触れただろうか。この青い空を――彼女は、飛んでいったのか。あの風見鶏のように。
「今、どんな気分でありやがるですか?」
だから。シーヴがそう声をかけた時、彼は空を見上げていた。しばらくそうして空を見上げて、透き通る声で歌っていた。否――透き通っていたのは、彼の心か。
最後の一音を紡ぎ終わり、ゆっくりと振り返った彼を見ながら、シーヴはそう感じた。写真の中の彼、そのままの面影の。浮かべた笑顔はけれども、幸せそうに寄り添い笑っていたそれとは、どこかが違う。
なぜ3ヶ月も経った今なのか、胸の中でシーヴは呟いた。けれども――その答えは、聞かなくても今の悠矢の歌で、判ったような気がした。だって、大切な人を想う気持ちは彼女だって、同じなのだから。
ぽつり、悠矢が言った。
「――どうすれば、あの空の高みに行けるのかな、って」
「そうしてお前は、ここに来るまでで、何かを見つけることができたか?」
「たくさんの人を、景色を、想いを。きっと彼女が最期に見た、たくさんの優しいもの」
武流の言葉に、ふいに悠矢の表情が柔らかくなる。まるで目の前にそれがあるように、手の中にそれが溢れているように。
そうか、と武流は呟いた。お前は、何かを見つけられたのか。
「じゃあ、お前にはこれから俺達についてきてもらうぜ? そして‥‥聞かせてやれよ。その道程でお前が見てきたこと、聞いてきたこと、触れてきたものを‥‥な? お前さんの想いってやつを乗せてな?」
「――どこへ?」
「村木さんが心配されていますよ」
不意に告げられた言葉に、不思議そうに目を瞬かせた悠矢に、零次が穏やかな笑顔で告げる。そうして、彼がその意味を理解するのを、じっと待つ。
しばらくの時間がかかった。それはそうだろう、と武流は思う。どんな人間だって、絶対に驚くこと間違いなしだ。
やがて驚愕と、歓喜が同時に、彼の顔に浮かび上がるのをカイネは見た。町の老婆の話を思い出す――幸せな歌を、寂しそうな瞳で歌う人だったよ。笑顔なのにね。
訥々とセシリアが、加奈の無事と、彼女がLHで待っていることを告げた。シーヴが強い眼差しで、悠矢に言う。
「待つなら待つであと少しが足りねぇ中途半端、ですね」
「そう、かな」
「今度は加奈が待ってやがるです」
点滴に繋がれた手の温かさを思い出す。あの温もりがひたむきに待っているのは、ただ、目の前の彼だけなのだ。
あぁ、と悠矢がため息のように呟いた。涙に湿った声色に、もしも、とセシリアは思う。
もしも自分が消えても、夫は想ってくれるだろうか。今も、想ってくれているのだろうか。自分は夫の事を、今、どう想っているのだろう?
左手の指輪に視線を落とした。夫がくれた確かな証。そのはずなのに、今はこれ以外にもう繋がりがないかのようで。信じ切れていないのだと、感じる。
そっと瞳を閉じて指輪の向こうの夫を想った彼女の耳にも、シーヴの言葉は大きく響いた。
「空は繋がってやがるですが、生憎こっからじゃ詩は届かねぇです。だから早く届けに行くが良し」
幾ら空を仰いで胸が張り裂けるほどに想っても、届かなければ伝わらない。
◆
「先に帰るぜ」
そう言って、武流は病院に背を向けた。どうにもこう言うのは苦手だ、前からも思っていたその感情を強くする。
自分には、見えないところで誰にも知られずに、誰にも感謝されることすら無く、誰かを助けるほうが向いているようだ。そんな事を、誰かに言う気はないけれど。
武流の背中を見送って、零次は加奈の病室の窓へと眼差しを上げた。
「いつか私にも、彼の気持ちが分かる時が来るのでしょうかね‥‥」
「‥‥二人が、幸せになれれば良い、な」
零次の言葉に、ノゾミの祈りが重なる。病室まで送り届け、遠慮して出てきたから、交わされている会話を推し量るしか出来ない。
それでも、どうか。この物語が、ハッピーエンドを迎えますように。
――それは、全員の願いだった。
(代筆 : 蓮華水無月)