●リプレイ本文
霧雨の降るロンドン。
映画に出て来る様なロケーションの多いこの街の裏通り。
それこそ狙ったかの様にぽつんと店を構えるこじんまりとしたパブ。
さて、今夜はどんな人間模様が見られるのか‥‥
●ミルクに香るブランデー
カウンターでは一組の男女により静かに会話がされている。
その横ではバーテンに話しかける子供‥‥ではなく、れっきとした28歳エティシャ・ズィーゲン(
gc3727)がバーテンに話しかけていた。
彼女は既に出来上がった様子でカウンターに肘をつき、子供っぽい外見とは裏腹に艶のある仕草を見せる。
「何だかんだ言って、マスターとの付き合いも‥‥丸四年? 長いねぇ。一目で歳を見抜いたから、叩きつける予定だった証明書を落としちゃったんだよねぇ」
「はは。いつも有難う御座います。少しでも羽を休められる場所が提供できるなら。光栄ですよ、レディ」
さも昔馴染みと昔話をしている様だが、ここで注意してもらいたい。
バーテンはエティシャとは初対面である。
「ただ一つ気に入らないのは、歳を見抜いた癖に、最初の一杯は絶対『ミルク』を出す事だよ。飲むけどさ」
軽く不機嫌そうな視線をバーテンに向け、手元にあるグラスを口に運ぶ。
「ふふ。それはブランデーのミルク割り、ですよ。飲みすぎにはお気をつけて‥‥」
もう一度言うが、バーテンとエティシャは初対面である。
恐るべし客商売の鏡。
●様々な来訪者
ギシリと入り口の扉が音を立て、黒尽くめの男が来店する。UNKNOWN(
ga4276)。
くぐもった靴音を響かせ、バーテンにコートと帽子を預けると、塗れた前髪をかき上げてロングの煙草に火を点ける。
「一杯目は世界一周を頼む、よ」
「アラウンド・ザ・ワールド、ですね」
深く吐き出した紫煙は細く、長く。スピーカーから流れる甘い音にかき消されていった。
一番奥のカウンター。煙草の煙が届かない一角では、静かにカウボーイのグラスを傾ける女性が一人。遠石 一千風(
ga3970)だ。
ULTの依頼でロンドンを訪問していた彼女は聞き込みでこの店を訪ねたのだが、今は小休止という事で腰を落ち着けている。
目の前には追う男の写真。写りも悪く顔も判らない代物だ。
「まったく‥‥」
彼女の言葉は後に続かず、店の空気へと溶ける。
再び軋む音を立てて扉が開かれる。今度は二人だ。
二人は互いに連れ添った様子でもなく、別々の歩みで店内に向かう。
「まったくせっかくの月見夜に雨とは‥‥どうするかな‥‥」
アオザイ姿で現れたのはおそらくこの店には始めて来店するタイプであろう漸 王零(
ga2930)。
「‥‥ご注文は?」
バーテンは変わった容貌の男に眉一つ動かす事無く応対する。
「そうだな‥‥では手始めにセブンス・ヘブンを一つ頂こう」
「承知しました」
手早く作り、差し出されたグラスを手に、漸は店内の声に耳を傾ける──
アオザイ姿の漸には眉一つ動かさなかったバーテンも、この男には流石に表情が変わる。
天井のシーリングファンに首を刈られるのではないかと心配するほどの大男。ムーグ・リード(
gc0402)である。
ムーグはカウンタースツールに腰かけ、バーテンに注文を投げる。
「‥‥何でモ、良い、DEATH」
‥‥既に注文ではなかった。
バーテンは少し考えた後に一つのカクテルを作りだす。
思っていたより人が多い、が──店の空気はやはり、どこか戦場の匂いがする。
「大きな兄さん。雨のロンドンへ何をしに?」
ガーネットと一通り話し終えたジャックが、一際目立つムーグへと声をかける。
「‥‥恩人、ノ、墓参リ、ニ、キマシタ。‥‥ブルース、ガ、好き、ナ、人、デシタ‥‥」
「ふむ?」
意外な返答にジャックは続きを促す。
「‥‥死んダ、誰かノ、タメニ、出切る、事、ハ、無い。‥‥ソウ、教えテ、くれタ、人、デス」
カクテルがムーグの前に差し出された。
「ケープタウン。あなたの故郷‥‥と言っても、広いですけれど。アフリカをイメージしたカクテルです」
──ムーグはグラスを手に取り、一口で飲み干してしまう。
「‥‥モウ、一杯‥‥お願イ、シマス」
「OK。大きなカクテルを用意しますよ」
バーテンは苦笑しながら新しくカクテルを作り出した──
バーテンがカウンターに戻るその時、カウンターから声をかけられた。
「スコッチのダブルをロックで」
ぶっきらぼうに言いはなったサギーマン(
gc3231)のグラスを引き上げ、入れ替わりにスコッチのダブルが出て来る所は職人の技か。
目の前の揺れるグラスの液体を眺め、唇を湿らせて氷の音を聞く。
戦争の事は暫し忘れ、日常から切り離されたこの空間で、休息と安息を。
かすかに耳に届く音楽と、男女の話す声。そしてグラスより香る酒の匂い。
注文されたのは独特のピート臭のする万人受けしない酒ではあるが、彼にとってはあまり気にならないようだった。
ジャックと名乗った男が数人と会話した後、「仕事が入った」と店を後にする。
それと擦れ違いに、守 鹿苑(
gc1937)が来店した。
傘を傘立てへ無造作に刺し入れ店内を見回すと、見知った黒尽くめが目に留まる。
特に話しかける事もなくゴツゴツと靴音を響かせ、カウンターの一番奥に腰掛けるとバーテンを呼んだ。
「──スコッチ。ダブルをロックで」
ポケットをまさぐり取り出した煙草に火を点け、ゆらゆらと立ち上る紫煙に彼は何を思うのか。
「スコッチのダブル。お待たせしました」
そっと目の前に滑らされたコースターの上に、良く冷えたグラスが乗せられる。
守は「ありがとう」の一言をバーテンに投げ、スコッチで口を湿らせると微笑を浮かべた──
●甘い音色と言葉遊び
いつもは場末のパブよろしく二・三人の客しかいないこの店は、今日に限って居酒屋の様相である。
昔、開いて直ぐの頃の店は、こんなに客の居る店だったか。
そんな事を考えながら、UNKNOWNの注文していく世界各地の名を持ったカクテルを順に作っていく。
ジャックの帰った後、UNKNOWNがガーネットに目をやり、カクテルを送るように言う。
「マスター。彼女にトム・コリンズを」
カウンターから離れ、店の奥。一段高くなった所へ歩みを進めると荷物からサックスを取り出して懐かしい一曲を。
ガーネットに送ったカクテルと似た名前の歌手の代表曲を演奏していく。
甘く響く艶のある音色には彼の心を思わせる、黄昏を思わせる寂寥感が現れていた。
「────さて、久しぶりと言うべきかね? それとも、初めましてとやり直すべきか」
「くすくす。カリブの暑い夜は忘れられないわ」
演奏が終わり、初対面のガーネットに、さも知り合いの様に声をかけるUNKNOWNへ、ガーネットからの軽いジャブ。軽い言葉遊び。
「コンバンハ‥‥病み、アガリ、ニ、酒、デス、カ‥‥?」
二人に大きな影がかぶさったかと思うと、ハイライフの大きなグラスを手に、ムーグがUNKNOWN達の会話に割って入る。
「‥‥あんのん、サン、ニ、悪さ、サレテ、マセン、カ‥‥? 大丈夫、デス、カ‥‥?」
「あら。くすくす‥‥そうね。今からされそうになっちゃうかも?」
「ムーグ。酒と心は、時間をかけるもの、だよ」
「──初め、マシテ‥‥ミス‥‥?」
ムーグはガーネットの指輪で判断しようとするが、それに気付いたガーネットは意地悪な微笑を浮かべ、指を隠してしまう。
「くすくす。どっちだと思う?」
「‥‥でハ、ミズ・ガーネット、で‥‥」
「あら、意外と可愛くないのね」
静かに笑いながら、静かに三人の会話は弾む。
●店での出会いと酒の味
UNKNOWNの演奏をバックにエティシャがスコッチのグラスを持って、サギーマンの方へと歩み寄る。
「やぁお兄さん? 見ない顔だね。一人酒もいいけど、こんな雨の日じゃ、逆に湿っぽくなるよ? どう? 一杯一緒に飲まないかぃ?」
「ん? あぁ‥‥」
サギーマンは進んで迎えるでもなく、拒否するでもなく。エティシャがスツールに腰かけるのを目で追うのみ。
何も知らない傍から見れば、相当危険な組み合わせの二人なのだが。
「お兄さんはどうしてここに? いや、何となくね」
陽気に語りかけるエティシャの言葉にぼんやりと答えながらサギーマンはグラスを傾ける。
『しかし子供が堂々と酒や煙草を‥‥。これが荒んだ世の中を映す鏡なのだろうか』
おそらくエティシャの素性を知らない者が思う事を、やはりサギーマンも胸に思う。
それを見透かしたかの様に少しむくれたエティシャが言う。
「警察呼ぶなよ。これでも三十路前だ。もう成長期なんざ終わったよ。ほっとけ」
──そしてスコッチを口に含む。しかし、サギーマンには奇妙な光景にしか見えなかった。
しかし、確かに一人で飲む酒とは味が違う。そこはエティシャに感謝するべきか──
●酒と煙草の香りに見える物
──店の外にはまた一人、ふらりと裏通りに迷い込んだ男が。
雨に塗れ、昔に思いを馳せながら酒と煙草で冷えた体と心を暖めに来る。
「まだ‥‥こんな店も残っていたのだな‥‥‥‥良い面構えだ‥‥少し引っ掛けていくとするか」
パブの軋む扉を押し開き、ゴツゴツと湿った床を踏みながらカウンターの隅へ。
外より幾分かの暖と嗅ぎ慣れた煙草と酒の匂いにふぅと息を吐き、國盛(
gc4513)はバーテンに合図を送る。
「意外と盛況なのだな‥‥マスター‥‥何か、強いのを頼む」
「おかげさまで。今日は特に人が多いですね。何があったのやら」
國盛は煙草を取り出して火を点ける。
紫煙を燻らせ眺めていると、不意にコースターが差し出され、カクテルグラスが乗せられた。
「どうぞ。エクストラドライマティーニです。ごゆっくりお楽しみ下さい」
一口味わうように含み、飲み干し、國盛の喉をスピリタスが焼く感覚が下りていく。
「‥‥いい酒だ。こんな日に合う。マスター、アンタなかなかの腕だな」
「まさか。生涯勉強ですよ。長年やって身に着けたのは、客を見る目、だけです。酒はレシピがあれば、誰でも作れますから。では、御用があればまたお呼び下さい。良い夜を。ジェントルマン」
國盛の賛辞に目を細めて返し、他の客の対応にまた向かうバーテンの後姿を見送り、國盛はまた自分の手元から上がる紫煙を眺めて思いに耽る──
●バーテンの拘り
ガーネットとムーグ、UNKNOWNの三人が談笑している中、漸がUNKNOWNへ声をかける。
「やぁ、UNKNOWN‥‥汝も重体明けだろう‥‥酒を飲んで大丈夫なのか?」
「酒というのは心の水、だよ。身体の為にも飲む方がいい」
「汝の場合は命の源じゃないのか‥‥くっくっく」
酔った勢いか、それとも彼の元々の性格か。
二人で軽口をたたき終えた後、漸はおもむろにマスターへ声をかける。
「‥‥雨も上がりそうだな。マスター‥‥ここはオリジナルは可能かな? できればこの中身で闇天に煌めく星をイメージした物を2つ用意してほしい。グラスごと買い取ろう」
マスターは眉をひそめ、店の外を指差して言う。
「ソーダなら表通りのドラッグストアに売ってますよ。うちには売る「酒」はあっても売る「グラス」は無いものでね」
どうやら触れてはいけない所に触れてしまったらしい。
「む。そうか、それは悪かった」
相手が能力者であろうが、バーテンにも拘りがある。
たとえ金を詰まれ、客ありきの店だったとしても、やはり不文律は存在するのだ。
「ほら、二つという事は、待ってる人が居るんじゃない? こんな所で飲んでて良いのかしら?」
ガーネットが空気を読んで漸へと問いかける。
「そうだな‥‥マスター、代金はここへ。ご馳走様」
表に出た漸は夜空を見上げる。
雨は幾分か小降りになり、雲の切れ間からはうっすらと月が顔を覗かせていた。
「こういった雨夜の狭間から見える月も悪くないよな」
小降りの雨の中、漸はその中へ歩みを進めていった。
●ため息と、探し人
遠石は何杯目かのグラスを傾け、手元の写真に目を落として溜息をつく。
「はぁ‥‥」
「少し、飲みすぎましたか? チェイサーです。どうぞ」
そっと前に差し出されたグラスの水に、マスターの気遣いを感じて思わず頬を緩める。
整った顔立ちで雰囲気の硬い遠石が、暖かく柔らかく笑みを浮かべるのもまた、酒の力かもしれない。
同じ奥のカウンターに腰かけていた守が、遠石の手元の写真に目をやり、語りかけた。
「何か探しものかい? カウガール。幸いにもあそこの伊達男は世界中を回ってる。何か君の知りたい事を知っているかもしれないよ?」
守の目線を追うと、その先には大男と女性と‥‥伊達男。なんとも的確な表現を使う男だと遠石はくすりと笑う。
「ありがとうございます。そうですね、もう一杯いただいてから、彼に話を聞いてみるのもいいかもしれませんね。お付き合いしてくださいます?」
普段は殆ど酒も飲まないし、煙草に至っては一切しないのだが。
きっと、マスターの造るお酒のせい。遠石はそう理由付けて守に問いかける。
「もちろん喜んでお付き合いしますよ、レディ」
大袈裟にお辞儀をしながら答える守に、遠石はくすくすと笑いながら、取り留めのない話をしていく。
追っている人物の事。これまでの事。マスターの事。自分の事──
そんなやり取りを遠くに聞きながら、國盛は紫煙を見つめ続ける。スピーカーからはあいも変わらず小さな音量でブルースが流れ続け、時間が止まっているかの様な錯覚に襲われる。
無茶ばかりしていたムエタイ選手だった若い頃。
死線を潜り抜け必死で戦った軍人時代。
そして、更なる強さを求めて傭兵となった。
己の進むべき道と、するべき事。迷いの中で、國盛はバーテンにぼそりと呟く。
「本当の強さってのは、何だろうな‥‥」
バーテンも答えを求められているのではないと解っており、あえて聞こえてない様子で國盛の前に二つのグラスを差し出した。
「テキーラとチェイサーです。塩とライムもお付けしましょうか?」
「──このままでいいよ。ありがとう」
國盛の手元からは紫煙が揺らめき、その冷えた体はテキーラで温まる──
酒の注文を一通りこなし、バーテンはカウンターの隅で煙草に火を点ける。
マッチの熱と香りに眉を寄せ、そっと深く煙を吸い込み、そして優しく吐き出した。
手元のグラスには、ジンライム。
それを小さく掲げ、バーテンは心で呟く。
冷たい雨が降っても、渡り鳥が暖まれるこの店に。
小さくても、また先へ続く出会いに。
そして、酒と煙草に。
Cheers