●リプレイ本文
●蕎麦の香りに誘われて
「ここで出雲蕎麦が食べられるなんて、気が利いてるじゃない。この催しを提案した人を誉めてあげたいくらいね。まあ、ここの定番メニューも良いけれど、新風を吹き込むために試食会なんて、それは是非とも参加しないとね」
出雲蕎麦を食べに百地・悠季(
ga8270)は食堂に一番乗りしたはず‥‥だったが、既に多くの生徒や聴講生達が訪れていた。
「あら〜悠季ちゃんも来てくれたのね〜。ゆっくりしていってね〜」
忙しそうに配膳しながらも、悠季に気づいた 稗田・盟子(gz0150)は挨拶をした。
(「あの人が提案者なのね。たしか、衣装披露会主催者のヒエダ夫人の従姉妹だったかしら?」)
10月に行われた運動会衣装披露会で、借り物として特別参加したので見覚えのある顔だったので印象深い。
「このご時勢に蕎麦が食えるってだけでも有り難えのに、大盤振舞いたぁ豪勢だねえ。ひとつ御馳になりますか」
もともと蕎麦が好きで、東京に住んでいた頃は妻子を連れて近所の蕎麦屋に行っていた風山 幸信(
ga8534)は、知り合いからこの話を聞いて聴講生として参加。
「美味しそうですね、たくさん食べましょう」
幸信の隣に座っているマリア(
ga9180)は、割り箸を手に腹一杯食べようと決めた。
(「カンパネラ学園の生徒、旭と数名だけだ。他の生徒は興味ないのかしら?」)
食堂を見回した高坂 旭(
gb1941)は、カンパネラ学園生徒の少なさにちょっとがっかり。
「さて、ひと運動してきましょうか」
食堂を後にすると、旭は試食前にDN−01「リンドヴルム」を装着し、グラウンドで無動力のAU−KVを着込んでの歩行訓練を行った。
「疲れるけど‥‥自身の鍛錬と、お蕎麦も美味しく食べれて一石二鳥〜!」
何もそこまでしなくても‥‥と突っ込みたいが、頑張っているのでそのようなことは言えない。疲れない程度に頑張ってほしい。
●厨房は湯気内の戦場だ!
予想以上の人数の生徒、聴講生が試食会に参加しているので、食堂のおばちゃん達はてんてこまい。
作っている蕎麦は三種類。
ひとつは『三色蕎麦』。山芋をすりおろしたもの、卵黄をのせたもの、旬の山菜を盛りつけた蕎麦の三種類。
ふたつめは『釜揚げ蕎麦』。通常は茹でたての麺を水洗いするのだが、釜揚げはそれをせず、直接釜や鍋から出したものを器に盛っている。
最後の一種類は『割子蕎麦』。ざる蕎麦とかわりないが、違う点は三段の丸い漆器に蕎麦を盛っていることだ。
これらを食堂のおばちゃん総動員で汗だくになりながら調理しているので、湯気の中での格闘といえる。
自宅から持ってきた割烹着を着用し、配膳協力者として櫻杜・眞耶(
ga8467)も湯気の中で奮闘している一人である。
「さて、今日は皆はんに出雲蕎麦を楽しんで帰ってもらいましょうか」
眞耶は蕎麦よりもうどんの方が主食になっている関西出身だが、蕎麦を茹でたり、盛り付ける等の調理はできるので、盛り付け担当として大いに役立っている。盛り付けが終わると、食堂に出雲蕎麦を配膳という行動を繰り返している。
「眞耶ちゃん、悪いわね〜。本来ならお蕎麦を堪能してもらう側なのに〜。手伝ってくれて大助かりだわ〜」
盟子は洗い物をしながら、忙しなく盛り付けをする眞耶に礼を言った。
「いえ、私が自分から希望したんですから気にしないでください。盟子はん達も大変でしょうが、生徒はん達のために頑張ってください」
「もちろん、そのつもりよ〜。皆〜頑張りましょうね〜♪」
返事をする暇がないので盟子の言葉に無反応だったが、食堂のおばちゃん達全員の思いはひとつ! 美味しい出雲蕎麦を皆に堪能してもらうことだった。
眞耶は器を用意しては蕎麦を茹でている食堂のおばちゃんのところへ持っていき、薬味葱を作ったり、山芋をすりおろしたりと、足りなくなりそうなものを用意している。
「足りなくなりなものを用意しておきましたので、こちらに置いておきますね」
「そこに置いといて〜」
食べる皆の美味しそうな笑顔のため頑張れ! 食堂のおばちゃん達と眞耶!
●割子蕎麦を召し上がれ
歩行訓練を終えた旭は、着替えた後、再び食堂へ。
「幸信さん、お蕎麦を食べるために聴講生になったって聞きましたけど本当ですか?」
「ああ。こうでもしなきゃ、蕎麦が食えねえからな」
「まぁ、私もちょっとお蕎麦に引かれてたから、人のこと言えないですけど。そこのあなたは初めましてですね、宜しくお願いします」
宜しく、と挨拶するマリア。
注文を聞きに来た食堂のおばちゃんに「割子蕎麦を」と注文する旭。
「相席、いいかしら?」
幸信、旭に声をかけたのは悠季だった。
「ええ、いいわよ。大勢で食べるほうが美味しいもの」
「そうね。おばさん、あたしも割子蕎麦をお願い」
通りがかった食堂のおばちゃんに、旭同様、割子蕎麦を注文した悠季。
マリアはというと‥‥挨拶をし終えると同時に黙々と三色蕎麦を堪能中。現在、最後の一種類を食している最中である。美味しそうに食べているので、見ている相席者達は
頼んでみようか、と思ったりしている。
「三色蕎麦も美味しそうね」
悠季の言葉にピクリと反応するものの、黙々と蕎麦を食すマリアだった。食べ終わったかと思うと、通りがかった食堂のおばちゃんに釜揚げ蕎麦を頼んだ。
「最近あんま食ってなかったので、たくさん食べさせていただきます」
ろくに食事をしていなかったのか、大食漢ゆえ物足りないのかという意味深な発言をするマリアは次の蕎麦を心待ちにしていた。
「割子蕎麦、お待たせ〜♪」
配膳した盟子に「ありがとう」と礼を言いながら割り箸を割って食べる準備に取り掛かっている。
「いただきます」
紅葉おろし、葱等の薬味、七味等の調味料はあらかじめお盆に乗せられている。
悠季は紅葉おろし(大根に唐辛子を差し込んでおろしたもの)と薬味葱を沿え、辛味がツーンと利いた蕎麦を堪能ようと思ったが‥‥出雲蕎麦の蕎麦つゆは甘めに作られているので、少し追加して再度食した。
「ん〜、このツーンとした食感がいいわね。消化を助ける大根おろしの効果もあって、いくらでも美味しく食べられるわ」
適度に早く口に入れて味わうが、割子蕎麦は五杯で打ち止め。
旭は、知り合いである眞耶から教わった通りに蕎麦をつゆにじっくり浸けこんでからよく噛んで食べた。
「結構美味しいですね」
「そうでしょう?」
旭の感想に、ニッコリ笑いながら話しかける悠季。
幸信も悠季同様、割子蕎麦を頼んだ。
「いい香りだ。久方ぶりだねえ‥‥そんじゃ、いただきますかい」
つるっと飲み込む食感の江戸っ子蕎麦しか知らない彼にとって、出雲蕎麦の色黒さは驚いた。誰かが薀蓄を言ってくれるかと思いきや、皆、無口で舌鼓を打っている。
「本格的な田舎蕎麦って奴だねえ、こりゃ。流石に噛まねえと胃を壊すかね?」
出雲蕎麦の歯ごたえと香りを楽しみつつ、食べ終わったら蕎麦茶を取りに行こうとしたが、それに気づいた配膳中の眞耶が「どうぞ」と蕎麦茶を差し出した。
「おっ、ありがとう。おまえさん、頑張っているな。無理するなよ」
「おおきに」
礼を言いつつ軽く会釈した眞耶に、旭は弟が眞耶の補給隊で世話になっている礼と、愚弟とその姉ですが宜しくお願いしますと挨拶をした。
「こちらこそ宜しくお願いします。では、私はこれで‥‥」
挨拶を終えると、眞耶は再び薬味を追加したり、蕎麦茶を差し入れたり、蕎麦つゆを注ぎ足したりとを臨機応変に働いていた。
配膳協力者の行動は状況に応じて盟子が指示しているが、さすがに食堂内のことまでは気が回らない。厨房の指示で精一杯だからだ。
その分、眞耶が一人でサポートするかたちで頑張っている。
●釜揚げ蕎麦を召し上がれ
「次に取り掛かるのは釜揚げ蕎麦ね。薬味は山芋を摩り下ろしと生卵っ‥‥と」
付け合せに季節の茸、特になめこ辺りが有れば良いかなと思っていた悠季は、希望通りの山菜類が盛り付けられていたので大満足。
「いただきます」
山芋つきの麺を口に含むと、ぬめぬめとした感覚が口一杯に広がった。
「ん〜この食感が滋養強壮じみてて意外と好みなのよね。色々溶け出したそば湯ごと平らげよう」
黙々と食べ終えた後は、感謝の心を込めてご馳走様。
「悠季ちゃん、おかわりいかが〜?」
マリアが注文した釜揚げを持ってきた盟子が訊ねるが、流石にお代わりはもう無理と悠季は肩を竦めて断った。
割子蕎麦三段と釜揚げ蕎麦を平らげれば、腹は十分満たされたことだろう。食感も盛り付けも自分好みとあり、大満足の悠季だった。
「あー、美味かった。やっぱり蕎麦は良いねえ。手打ちの釜揚げ蕎麦ってのいくか。こっちも割子同様、美味そうだ」
釜揚げ蕎麦をあっというまに平らげた幸信は、食堂のおばちゃんに三色蕎麦を注文した。
蕎麦茶をゆっくりと含んで味わいながら、食堂を見渡して生徒や教師達が蕎麦を食べてる様子を眺めながら「皆、こういうの好きよね。まあ、あたしも人のことは事は言えないけど。それにしてもあなた、良く食べるわね」と幸信に話しかけた。
「そうかい? へへ、食べ過ぎかね。ま、三人前ってことで‥‥」
眞耶が配膳した三色蕎麦を食べながら、苦笑する幸信の側にはテーブルに置かれたバグア襲来前に撮った家族写真があった。
その写真を眺めつつ、幸信は蕎麦を食していた。
(「今日は皆さんのおかげで、父ちゃんは久し振りに蕎麦が食えたよ。これからも頑張るからな‥‥」)
彼が三人前を食したのは、今は亡き妻子にも蕎麦を食べさせてあげたかったのだろうか。その真意は、本人にしか知らないことだろう。
●試食会終了後の一コマ
研究生の申 永一は久しぶりに留学先の味が堪能できると食堂にやって来たが、試食会は既に終了していて、食堂には後片付けをしている食堂のおばちゃんと眞耶、自主的に後片付けを手伝っている生徒と聴講生がいるだけだった。
「お、遅かったか‥‥」
がっくりと項垂れる永一。
そんな彼にいち早く気づいたのは、盟子と彼を心配している眞耶の二人だった。
「ヨン君、ごめんね〜。試食会はもう終わっちゃったの〜」
両手を合わせて謝る盟子。
「き、気にしないでください。タイミングを逃した俺にも非がありますから‥‥」
冷静を装っていても、留学先の味に未練タラタラの永一に救いの手が差し伸べられた。
「皆はん、お疲れ様です。一休みしませんか?」
そう言って眞耶が差し入れとして作ったのは、残った出雲蕎麦と食堂の厨房にある食材を使用した『蕎麦寿司』だった。
海苔の上に酢飯の変わりに蕎麦を置き、具を乗せて巻き寿司のように作るもので、精進料理としても出されている。
「これですが、新メニューになるかどうかわかりませんが召し上がってくださいませんか?」
ああ、留学先の味‥‥! と感涙する永一は、両手を合わせると早速ひとつ摘んだ。
「う、美味い‥‥。懐かしい味だ‥‥。ありがとう、眞耶君!」
眞耶の手を取り、感謝感激! と言わんばかりに彼女の手をブンブン振る永一。
「あらあら〜。ヨン君、よほど嬉しかったのね〜」
お熱いわね〜、とのほほんと様子を見る盟子と生徒、聴講生達。
「食器の後片付け、終わったわよ。あら? それ、新メニュー?」
「はい、私が作ったんです。悠季はんもいかがですか?」
「もちろん、いただくわ」
パクっと一口食べた悠季は「美味しい♪」と笑顔で感想を述べた。
「蕎麦のお寿司は初めて食べましたが、結構美味しいですね」
旭も笑顔になった。
「シエダさん、今日はご馳走さん。蕎麦、美味かったよ。申君‥‥だっけ? 美味い蕎麦が食えたのはおまえさんのおかげだ。給仕してくれた食堂のおばちゃんたちにお礼を言いな」
幸信が「ヒエダ」を「シエダ」と言うのは、江戸っ子が「ひ」を「し」と発音することがあるのと同じようなものと解釈してほしい。
「そうですね。食堂のおばさん方、留学先の味、美味しかったです。蕎麦寿司しか食べられませんでしたが、俺は満足しています」
「蕎麦がメニューに入ったら、俺、毎日来ますよ。聴講生にもなったしねえ」
豪快に笑いながら、蕎麦を堪能できて楽しかったと感謝する幸信。
「これが今後も食べれるなら、私、食堂の常連客になります」
旭は蕎麦を気に入ったご様子。
「僕もです! 美味しい蕎麦をたくさん食いたいです!」
マリアは、まだ食べたりないかたもっと食べたい! と要望。
「配膳をしていて、食堂にいる皆はんにや永一兄はんに楽しんで貰えて嬉しかったです。稗田さん、食堂のおばさん方、ご苦労様でした」
その場にいる全員に感謝する眞耶。
「食堂のおばちゃんを代表して〜私が挨拶するわね〜。皆〜試食会に参加してくれてどうもありがとう〜。出雲蕎麦をメニューに加えるかどうかは〜、食堂のおばちゃん達と先生方で話し合って決めるから楽しみにしててね〜」
ちょっぴり感涙しながら、後片付けを手伝ってくれた全員にそう伝える盟子だった。
●食堂の新メニュー登場
数日後。
食堂のおばちゃん達と教師陣、学園長との話し合いの結果『割子蕎麦』と『釜揚げ蕎麦』の二種類がメニューとして採用されることが決定した。
ひとつ揉め事があったとすれば、蕎麦を山陰UPC軍経由で入手しなければならないことだろう。
「お蕎麦を手に入れるのは苦労しそうだけど〜、皆が喜んでくれればそれでいいわ〜」
盟子は、そう開き直ったとか。
出雲蕎麦二種類がメニューデビューした当日、蕎麦はあっという間になくなり、品切れ御免のプレートが出されるのが早かった。
今後も、生徒、教師、聴講生に美味しく食べてもらえるメニューでありますように。
出雲蕎麦を調理している食堂のおばちゃん達は、皆、そう願った。
永一はというと、毎日食堂に来ては留学先の味を堪能しており、時折、眞耶から蕎麦寿司を差し入れしてもらっているようだ。
一番美味しい思いをしたのは、申 永一なのかもしれない。