タイトル:無謀という名の勇気マスター:とびと

シナリオ形態: ショート
難易度: 普通
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2011/06/28 15:18

●オープニング本文


●熱帯雨林の逃避行
 吸い込んだ空気は呼気と同じくらい熱く、湿っている。熱帯地方の風が少女の首筋に絡みついた。
「はっ‥‥はっ、はっ‥‥」
 熱帯雨林の中を走るのは少女一人ではない。老人からこどもまで、手に荷物を持った多くの人間が、一斉に同じ方向に走っている。
 彼らの共通点は、少女と同じ村の出身ということ。
 有り体に言えば――避難だ。
 熱帯雨林を流れる大河のほとりに位置するその村は、焼畑農業を生活の基盤とした小さな集落だった。バグア軍との競合地域から少し外れていたため、UPC軍の出入りはあったが、村人たちは平穏な生活を送っていた。
 ‥‥今日までは。
 第一報は、近くの別の集落がキメラによって壊滅させられた、という報告。それからは速かった。UPC軍は、村を防衛できるだけの戦力がないため、村人たちを避難させることを決定し、少女たちはそれに従っている。
「ロッカ、大丈夫だよ」
 重い鞄を背負い直し、すぐ後ろを走っているであろう弟――ロッカにそう声をかける。
(父さんも母さんも居ないんだから。私がしっかりしなくちゃ)
 少女とロッカの両親はUPC軍に一般志願兵として参加し、戦場で命を落としている。
 狭い家の中で身を寄せ合っていた二人に伝えられたのは、『所属部隊の壊滅』という一言だけだった。遺品もない。村一番の力持ちと呼ばれた父も、村一番の美人と呼ばれた母も、あっけなく、あまりにあっけなく、この世から去った。
 網膜に焼き付いた両親の笑顔を強引に振り払い、少女は明るい声を出す。
「ほら、避難先の基地って、この前ピクニックとか言って遊びに行ったあそこだよ。大した距離じゃないよね。去年の畑なんてすごく遠かったから、あれに比べたら本当にピクニック‥‥って」
 聞いてる?
 少女は頬を膨らませながら振り返った。体が大きくなったとはいえ、少々難しい年頃だとはいえ、姉の言葉を無視し続けるのはいかがなものか。
 ――視界にあったのは、走ってきた一本の道だけだった。
「ロッカ?」
 立ち尽くすうちに、村人たちは少女を追い越していく。それでも、弟は彼女の前に現れなかった。
 凍りついた思考回路が、最悪の可能性に直結する。
(やりかねない。いや、やらないはずがない‥‥!)
 何が姉だ。弟の心を理解してない自分に腹が立つ。
「軍人さん!」

●無謀という名の勇気
 ロッカは肩にかけた対装甲用無反動砲のグリップを強く握りしめた。民家の陰から村の通りの様子を窺うが、キメラの姿はない。
(‥‥馬鹿なこと?)
 足の速さは勝負にならないだろうから、倒せなければ殺される。死ぬのがどういうことかなんて、分からない。暗闇みたいなもの? それも感じられない?
 今、一つだけはっきりと分かるのは、心臓の鼓動だけ。
「僕だって――」
 続く言葉をロッカは呑み込んだ。巨大な質量が地面を踏みしめる音が聞こえたのだ。
 首だけ回して、村の通りを見る。
(いた)
 ライオンをベースに、鋭角なフォルムの翼とサソリのような尾が組み合わさった、異形のバケモノ。
 キメラだ。
 ――ぽつり。
 地面に黒い染みが広がった。
 何をすべきかは分かっている。銃を放り出して、逃げる。力尽きるまで、だ。
 だが、ロッカはグリップを握る手に一層の力をこめた。
 ――ぽつり、ぽつり。
 黒い染みがさらに広がっていく。
 逃げなさい、と言う姉の声が聞こえた気がした。
 ――ざあ、ざあ。
 熱帯地方の雨は、間をおかずに、刺すようなスコールに変わった。
 ロッカは民家の陰から飛び出し、無反動砲を構える。
 筒に取り付けられた簡単な照準器。黒い十字に、キメラの巨躯が重なって――
「――――――ッ!!」
 少年の絶叫は、スコールにかき消された。

●参加者一覧

綿貫 衛司(ga0056
30歳・♂・AA
Letia Bar(ga6313
25歳・♀・JG
クラリア・レスタント(gb4258
19歳・♀・PN
赤槻 空也(gc2336
18歳・♂・AA
レインウォーカー(gc2524
24歳・♂・PN
國盛(gc4513
46歳・♂・GP
蕾霧(gc7044
24歳・♀・HG
紅苑(gc7057
25歳・♀・CA

●リプレイ本文

●救助班
 高速艇から降下した能力者たちは、バケツをひっくり返したようなスコールにさらされた。熱帯雨林を抜け、集落に到達したことはかろうじて判別できるが、五感をことごとく奪われたような感覚が消えることはない。
 前髪から無数の水滴を滴らせる赤槻 空也(gc2336)の奥歯が、ぎり、と悲鳴を上げた。
「‥‥気持ちぁ分かる。俺も同じ事をしたがよ‥‥だから分かる‥‥ただの犬死にだろうが‥‥!」
 もどかしさ故の。それは苛立ち。
「――捜索を始めるぞ」
 空也の言葉を聞いてか、蕾霧(gc7044)が冷静に言った。
「蕾霧は下からお願いします」
 応える紅苑(gc7057)は、次いで、人差し指を村の屋根に向けた。「私は上から捜しますから。‥‥赤槻さんは?」
「‥‥俺も登るッス」
 迅速な意思疎通の後、僅かな逡巡も見せず、能力者たちは散開した。
 蕾霧は足元に注意を払いつつ、民家の間の細い通りを次々に覗き込んでいく。サブマシンガン『ターミネーター』の銃口を左右にポイントしながら進む様子に、実戦の気配がにじみ出ていた。
 簡素な木組みの家の屋上で、紅苑は目元を覆う『タクティカルゴーグル』に手を当てた。『絶対に曇らない』が売りの軍用ゴーグルは、5倍の望遠機能も併せ持っている。だが、5倍広がった世界は、塗りつぶされた灰色を増していただけだった。
「ダメッスか?」
 ゴーグルを使う紅苑を護衛する形で同じ民家の屋根に居た空也が問う。
「ダメですね」
 そう言って、望遠機能を解除する紅苑。「――この雨では、足跡も消えているでしょう。耳も頼りになりませんし‥‥」
「‥‥動くしか、ないッスね」
 隣の民家の屋根へ飛び移り、空也は裸眼を凝らす。村の中で、大まかな民家の配置は把握できるが、キメラが動いていても判別できるか怪しい。それほどにスコールは強かった。
 続けて、紅苑が別の屋根に飛び移ろうとした――そのときだった。
 ずん、と突き上げるような爆発音が、灰色のベールを裂いて、能力者たちのもとへ届く。
「今のは!?」
 蕾霧が声を張り上げる。
 空也の無線がけたたましく鳴り、紅苑は村の中央で上がる黒煙を見た。

●討伐班B
「それにしても、凄い雨だねぇ‥‥」
 高速艇の降下地点から熱帯雨林を抜け、スコールに打たれる民家を見たLetia Bar(ga6313)が、思わず、といった様子で呟いた。
「空も泣いている‥‥か」
 國盛(gc4513)は雨の感触を確かめるように一度目を閉じると、その視線を綿貫 衛司(ga0056)に向けた。
「少年が熱帯雨林に隠れている可能性はないか?」
 ヘルムをどうどうと水が伝い落ちる、その時間。飲み込むように沈黙した後、衛司はゆっくりと切り出した。
「隠密行動を行うなら周りの熱帯雨林の方が適してはいますが、『そういった事』に疎いであろう一般人であれば家屋を使って隠れるのではないでしょうか?」
「――マスター、私もそう思う」
 Leitaだった。「それに、分かるよ。その子は戦おうとしているんだって」
 だから、隠れるはずがない。
 言い切ったLetiaの瞳に宿った光は、確信と決意のそれだった。
「しかし、こうもスコールがひどくては探索が難しいですね」
 Letiaは俯くようにして考えると、言った。
「私は屋根に登るよ。村を見渡せると思うし、キメラに見つかればむしろ――」
「――レティア、後ろだ!」
 叫んだのは『探査の眼』で周囲を警戒していた國盛だった。弾かれるようにして地面に伏せたLetiaの背をかすめて、猛獣型のキメラが『滑空』する。
 猛獣型キメラ――ライオンを二回りほど大きくした、というのが第一の印象だ。その背中からは不気味な光沢を放つ翼が天を貫くように反り立ち、尾はサソリの尾。
「全く、バグアの趣味は理解できませんね!」
 衛司の『ショットガン20』が火を吹き、翼に無数の穴を穿つ。入れ替わるように前に出た國盛が、超機械『シャドウオーブ』のエネルギー弾をキメラの鼻面に叩き込んだ。
 ひるむキメラ。体勢を立て直したレティアの援護射撃がさらに追い打ちをかけ、衛司がほぼ至近距離で放つ散弾が、キメラの命を刈り取る。
 ――そのときだった。
 ずん、と突き上げるような爆発音。
 能力者たちは一斉に音の発生源――村の中央へ向けて走りだした。

●討伐班A
「手遅れにならなければよいのですが‥‥参りましょう」
「‥‥‥‥」
 クラリア・レスタント(gb4258)の言葉に応える声はない。
 レインウォーカー(gc2524)はいつものように気だるげに、スコールに打たれていた。叩きつけるような熱帯の雨は、楽しむ余裕も、味わう静けさもないが、普段は飄々としているレインウォーカーの言葉を奪うほどに不躾なものではない。
(‥‥まあ、分からないでもないですが)
 クラリアは内心に独りごちると、意識を正面に戻した。
 村の正門、というには小じんまりとしたアーチをくぐり、二人はあたりに油断のない視線を走らせる。キメラの姿はない。村のメインストリートが伸びているが、その先はスコールに霞んでいる。
 高速艇からの降下を三班に分けたのだ。少年が本当に村の中に居るのであれば、そろそろいずれかの班から報告があるはず。無意識のうちにトランシーバーへと指を伸ばす自分を認識したクラリアは――凍りついた。
 雨に先が霞むメインストリートの脇、一つの民家から、人影が飛び出すのが、確かに見えた。
「レインさん!」
 返事を待たず、クラリアは飛び出していた。
 ばふ、と間の抜けたような音。無反動砲かその類の重火器‥‥! その発射音か――その思考に至った瞬間、正面のメインストリートから爆発音が響いた。次いで、黒い煙が上がる。その着弾点にはキメラが居るはずだ。
 クラリアよりは恐らく背丈の高い少年が、慣れない手つきで無反動砲に次弾を装填している。
「こちら討伐A班! 保護対象の少年を村の中央で確認!」
 トランシーバーに要件だけ告げる。いや、要件しか告げられなかったというべきか。
 次弾の装填にもたつく少年に向かって、怒りを顕にしたキメラが突進してきたのだ。クラリアは少年を突き飛ばしながら、一緒になってぬかるんだ地面に倒れ込む。
「下がっていなさい!」
 爪先をかすめるようにキメラが通り過ぎるのを確認したクラリアは、すぐに起き上がると、細身の剣――『ハミングバード』を抜き放った。
「‥‥!」
 状況を認識した少年は、クラリアの命令を無視して無反動砲を担ぎ上げる。
 ――甲高い金属音が響いた。
 ずるり、と。そう形容するしかない動きで、無反動砲の砲口部分が落ちていく。切断面は斜め。いつの間にか少年の隣に立ったレインウォーカーが『夜刀神』で切り落としたのだ。
 レインウォーカーの瞳はぞっとするような冷たさを湛えていた。少年が思わず、一歩を引いてしまうほどに。肩から力が抜け‥‥覚醒が解けると同時に、レインウォーカーは拳を固めた。
「拳を振り上げる相手‥‥‥間違えてませんか?」
『ハミングバード』が、殴りかかろうとしたレインウォーカーと少年の間に差し込まれる。
 切っ先を見たレインウォーカーは、動揺を微塵も見せない様子だった。
「‥‥これでも自重してる方なんだけどねぇ。本当は首を斬りおとしてやりたいぐらいだぁ」
 そのまま、クラリアの刃を右手で掴む。鮮血が、つ、とレインウォーカーの手首を伝った。クラリアは眉をしかめるも、剣を動かすことはしない。代わりに、視線を走らせる。
「分かってますよ‥‥嫌という程分かってます。ですが‥‥今の貴方も。その感情に影響を受けていませんか? 受けていないと‥‥言い切れますか?」
「こいつ一人が死ぬなら別にいい。一人で勝手に好きなように死ねばいい」
 レインウォーカーの手が、クラリアの剣を解放した。どくり、どくり、とレインウォーカーの手のひらから溢れ出す赤い血は、スコールに滲んで流れ去っていく。
 その様に釘付けになった少年に、レインウォーカーは再度冷たい視線を飛ばした。
「――けどねぇ、戦場で感情に任せて自分勝手に動けば他人を巻き込み、命を奪う。それを許容できるのか、お前はぁ?」
 クラリアの剣が、下りた。その切っ先は、少年をかばうようにあったのだ。
「血を流し、死ぬのは戦場の常だ。けど全力で戦い敵に殺されるのと、味方の勝手な行動に振り回されて死ぬ。それにどれだけの違いがあるか分かるかぁ?」
 答えは、求めず。
 まるで示し合わせたかのように、二人の能力者はキメラに向き直った。クラリアは血のついた切っ先を振り払い、レインウォーカーは『夜刀神』を再度、抜き放つ。
 少年は、ただ呆然と立ち尽くしていた。

●合流
 先に合流したのは救助班の三人だった。
「少年の護衛を引き受けます! 討伐班は戦闘の継続を!」
「恩に着るよぉ」
 紅苑の言葉に、心底、といった様子で答えると、レインウォーカーはクラリアとタイミングを合わせてキメラに突進した。
「なんで逃げねぇ! ちょっとでも何か出来ると思ったら間違いだ!」
 空也が少年とキメラの間に位置取りしながら叫ぶ。蕾霧は少年を拘束しながら、言った。
「無茶も無謀もたいがいにしておけ。姉の事も考えろ!」
 姉。その言語が、少年の表情に僅かな変化を生んだ。
「‥‥怪我をしているな」
 右の太腿部から、血が滲んでいた。恐らく、キメラとの接触があったのだろう。
「屋根があるところまで下がりましょう。――赤槻さん」
「任せてくれッス」
 空也と紅苑が周囲を警戒しながら、少年を抱え込んだ蕾霧をかばうように後退する。
 民家の屋根下にたどり着くと、蕾霧は救急セットを取り出し、少年の脚の治療を始めようとした。
 つまり、出来なかった。
「放せよ!」
 瞳を充血させた少年が、半ば狂乱の体で叫ぶ。
「何だよ!? 何なんだよ!? 何で僕を助けるんだよ!? その包帯は何だよ!? ――わけ分かんなんよ!?」
「――理由が欲しいのですか?」
 鋭利なナイフのような声の主は、紅苑だった。「違うでしょう? あなたが叫ぶ意味は、もう無いのですよ」
 少年の表情が凍りついた。空也はその表情を見ることなく――つまり、振り返らず、言った。
「現実はこうだ。テメェは今戦えも‥‥死にも出来ねぇ」
「‥‥‥‥僕は‥‥」
 蕾霧は手際よく包帯を巻いている。
「いいか? よく見ておけ。キメラと戦うと云うのがどういうものなのかを――」
「‥‥そして、貴方の世界と現実の違いを」
 少年の視線は、再び戦場へ戻った。
 討伐班Bが合流するのと同時に、戦場はにわかに慌ただしくなっている。無反動砲の爆発音を聞きつけたキメラが集まって来たのだ。少年を守るように立つ救助班を後衛とするなら、右手の前衛が討伐班A、左手の前衛が討伐班Bという格好だった。
 厚紙に無数の小石を叩きつけたような音を響かせながら、衛司の『ショットガン20』から放たれた散弾がキメラの翼をズタズタに引き裂く。キメラがひるんだ隙に、Letiaの援護射撃を受けつつ突撃したのは國盛だった。
 爪の一撃を脚甲『インカローズ』で受け流し、超機械によるカウンター。『インカローズ』でキメラを顎を跳ね上げる。さらに、キメラの胸元に蹴りを見舞いつつ、空中で一回転するように飛び下がるサマーソルトキックへと続いた一連のアクションは、ほぼ一瞬で行われた。
 血を吐き出しながらも脚力を利用して距離をとろうとしたキメラを、衛司が叩き落とし。
「これで‥‥どうだ‥‥」
 瞬く間に距離を詰めた國盛が、ムエタイ特有のしなるような蹴りを立て続けに二つ放つ。民家の壁に叩きつけられたキメラは、ずるり、と崩れ落ちて動かなくなった。
「‥‥ッ」
 レインウォーカーとクラリアのもとに別のキメラが滑空して突進する。淡い燐光が身体を包むと同時に、レインウォーカーは加速した。直線的に進むことしか出来ないキメラの脇へ、回りこむ。
 ざ、と。
 瞬きのうちに『夜刀神』が振り下ろされている。
 一拍遅れて、キメラの脇腹から鮮血が吹き出した。
「さようなら。あるべきは、あるべきに‥‥還れ!」
 体勢を崩したキメラに、クラリアが迫る。素早い動きで繰り出された二連の切断が、キメラの命を刈り取った。
 ‥‥能力者たちは周囲を警戒し、確信する。スコールに打たれる村は、静寂を取り戻しつつあった。

●雨、止んで
「ロッカ君、といったかな?」
 キメラの骸を撤去する作業の傍ら、ただ、民家の軒下で俯いて立ち尽くすことしか出来ない少年――ロッカに、衛司が声をかけた。
「厳しいことを言うようだが‥‥私は、君のような子供が戦場に出るべきでない、と常々思っている」
 ロッカの肩がびくり、と震えた。ようやく自分のしたことが、現実味を伴って多感な心に染みこんできているときだった。
「君が少年である今しか出来ないことをするんだ。こんな世界だけど、世界をよく見て、仲間と馬鹿をやって、恋もして‥‥その上で、君が戦いたいと望むのなら――」
 ロッカは驚いた表情をして、充血した瞳を起こした。衛司は応えるように小さく笑う。
「――UPC軍の募集部に、元同僚が居る」
 笑みだけを残して、衛司は作業に戻って行った。

「ロッカ!」
 聴きなれた声に身を硬くする。姉の瞳を直視出来るはずもなく、ただ、振り上げられた手の平を見たロッカは、強く眼を閉じた。
 ――身構えていた衝撃は、来なかった。
「よかった‥‥」
 鼻腔に広がる甘い香り。
 え、と呟きが漏れ、首に絡められた温もりをロッカは知覚する。
 状況の認識には、しばらく時間を要した。
 そして、その認識が腑に落ちたとき、ロッカの心を支えていた最後の堰が決壊した。
「‥‥姉、さん‥‥」
 膝が折れる。姉の腕の温もりだけ感じながら、ずるずると体が崩れた。
 それでも、姉は首に回した腕を離さなかった。

「たった二人の家族なんだ‥‥離れちゃダメだよ」
 再開を見守り、高速艇の方へ足を返したLetiaが呟いた。その震える肩を國盛が抱き寄せる。
「レティア‥‥きっと、絶対に‥‥大丈夫だ」
 空也は他の能力者たちに続こうとして、足を止めた。
 しばし逡巡したあと、姉の前で目元を拭うロッカに歩み寄る。
「‥‥厳しくしてごめんな。今後ぁどうすんだ?」
「僕は‥‥それでも、戦いたいです」
 空也は怒るでも失望するでもなく、そっか、と呟いた。
「それが大事な事ならやりゃあいい。ただ‥‥戦い方は選べよ?」
「‥‥はい」
 空也は一つ頷いて。「次は仲間として会えるって事‥‥期待してンぜ」
 雲が割れたのは、そのときだった。
 熱帯の太陽が顔を出す。焼き尽くすような光を、能力者たちは目を細めて見た。
「‥‥止んだねぇ」
 ポツリと、だが、気だるげに、レインウォーカーが言った。