●リプレイ本文
●西から来る敵影
GDAB(ゴビ砂漠航空基地)――滑走路や管制塔など必要最小限の施設を除き、KV格納庫や作戦指揮所、兵員宿泊所など大部分を地下に埋設したUPC軍の半地下式航空基地。それはちょうど大型空母を1隻まるごと砂漠に埋め込んだような構造となっている。
その地下ハンガーで、正規軍と共にスクランブル態勢に入ろうとしていた傭兵達のKV部隊に松本・権座(gz0088)少佐から別命が下った。
「西の迎撃? 鯨の方に向かわなくて良いのか?」
雷電のコクピットから、ブレイズ・カーディナル(
ga1851)は思わず無線に聞き返した。
『しょうがねぇだろ? 基地司令直々の命令だ』
「‥‥まあ、そういう命令だって言うなら」
やむを得ず、ブレイズは雷電のエンジンをアイドリングさせたまま待機モードに入った。
そうこうしている間にも、BFを迎撃する正規軍の主力KV部隊はエレベーターで次々と地上の滑走路へ上がっていく。西から接近して来る敵の「陽動部隊」を担当する傭兵達の出撃は後回しというわけだ。
「しかし‥‥どうにも引っかかるなあの敵。嫌な予感とでも言うのか‥‥」
囮部隊にしても、鹵獲KV1機に小型HW8機という編制は何やら中途半端だ。
「少佐。敵の鹵獲KVについて、もっと詳しい情報は判りませんこと?」
オープン回線を通し、ふいに月神陽子(
ga5549)の通信が割り込んだ。
『ちょっと待て‥‥ああ、いま地上カメラからの望遠映像が入った。‥‥この形はバイパーだな。何だこりゃ? 派手に赤くカラーリングしてやがる。まるで――』
松本少佐の言葉は途中で止まった。
通信を聞いていた他の傭兵達も息を呑む。
朱塗りのバイパー改。つい先日、バイカル湖北方の戦闘において奪い去られた陽子の愛機「夜叉姫」。
「何だって? ‥‥あの一機だけいるKVは陽子の? それじゃ、まさか!」
ブレイズが慌てて同じハンガー内に駐機する「夜叉姫」の方に振り向くと、風防越しにも陽子が唇を噛みしめ、青ざめた顔で震えているのが判る。
「はっ、とことん人のもので戦うのが好きな連中だ」
鋼 蒼志(
ga0165)が吐き捨てるようにいう。同じ依頼に居合わせたため「夜叉姫」が鹵獲された経緯は知っている。そして奪った者の正体も。
「鹵獲バイパー‥‥あぁ、そう言えば前にもこんな事があったか‥‥」
御影・朔夜(
ga0240)は長い髪をかき上げ、独り言のように呟く。
(「――さて、此度は誰に囚われたのだったか」)
例によって彼を憂鬱にさせる度し難い既知感。だが今回は単なるデジャ・ビュではなく、紛れもない現実である。そして厄介なことに、再び囚われの身となった「夜叉姫」は、以前に鹵獲された時に比べ「別機体」といって良いほど強化されているはずだ。
「‥‥警戒だけは、怠らぬ様にせねばな」
朔夜はそれまで乗っていたシュテルンを降り、予備機として待機させていたワイバーンの方へ向かった。ゾディアック「乙女座」に墜とされコレクションに加えられた事から封印していた、かつての愛機である。
「‥‥余り使いたくはなかったが、そうも言っていられない相手か。――行くぞ、ワイバーン」
「奪われた『夜叉姫』がいるなら奴が‥‥あの名を持たぬ奴がいるはず‥‥ならば我がすべきことは‥‥」
漆黒の雷電「闇天雷」の操縦席で、漸 王零(
ga2930)は腕組みして瞑目した。
「あのバイパーは『蟹座』が鹵獲したもの。おおかた、また奴が絡んでいるのでしょうね」
「あれが報告書にあった例の鹵獲機か‥‥その可能性はあるな」
同様の危惧を覚えた蒼志と八神零(
ga7992)も互いに通信を交わす。
ゾディアック「蟹座」――かつてハワード・ギルマン(gz0118)の肉体を器とし、今はその娘エリーゼ・ギルマン(gz0229)をヨリシロとするバグア軍エース。
ハワードの撃墜とエリーゼによる「夜叉姫」鹵獲。奇しくも2つの依頼に参加していた明星 那由他(
ga4081)はじっと考え込んだ。
「ガリーニン護衛のときの‥‥自身を囮にしたやり方からして、HWかFRかは分からないけど‥‥伏兵はいそう」
「奴の事だ‥‥恐らくファームライドで姿を消して潜んでいる筈」
風間・夕姫(
ga8525)が推測する。アグリッパ破壊作戦の際に大破した「蟹座」FRも、時期的にみてそろそろ修復が完了している頃だ。
那由他は松本少佐と連絡を取り、FR襲来の可能性と、その対策として長距離バルカンにペイント弾の換装を要請した。
『判った、許可しよう。基地司令の方へは後で俺が話をつけとくから、今のうちその辺の整備兵を捕まえて装填しちまえ』
他の者も那由他に習い、基地整備兵を無線で呼ぶとバルカン砲などの副兵装にペイント弾の換装を急がせた。
「鹵獲夜叉姫? 言い難いですな――そうだ、色々ネタを含めて『妲己』と呼ぶ事にするぜ?」
それまで黙って通信を聞いていた鈴葉・シロウ(
ga4772)が唐突に提案した。
「‥‥何ですの? そのネタというのは」
「妲己‥‥、たしか‥‥、驕って人と神を混同する詩書いた王が‥‥女神の怒りをかって、その王国を滅ぼすために‥‥女神が放った妖狐、ですよね」
那由他がフォローを入れた。
「そうそう。だから陽子さんと『妖狐』をひっかけて『妲己』。イケてるでしょ?」
「なかなか‥‥素敵なネーミングセンスですわね。シロウさん」
口許にややひきつった微笑を浮かべ、陽子が返信した。
「あなたが今、わたくしの鬼蛍が届く間合いにいらっしゃらなくて、本当によかったと思いますわ」
とはいえ、一見軽口とも思えるシロウの言葉に幾分救われたのも事実だ。
西から迫るあのバイパー改と己の「夜叉姫」とはあくまで別の存在――そう考えることで、陽子は激情に捕われかけた自らの平常心を辛うじて取り戻せたのだから。
(「優先されるべきは、わたくし個人の感情よりもまず基地の防衛‥‥危うく『蟹座』の挑発に乗せられる所でしたわ」)
「しかし、奴の目的はいったい何だ? ガリーニン襲撃の時とは状況が違う。元通りFRに乗った『蟹座』が、わざわざ囮役に甘んじるとも思えないけどな」
「ゴビ基地は半地下型の頑丈な基地だ。なのに、この別動部隊の動き。これは推測だが、BFは囮。本命はこちらだろう」
ブレイズの疑問に答えたのは緑川 安則(
ga0157)だった。
「おそらくは爆装、それも対地下施設攻撃用にバンカーバスターぐらいは積んでいる可能性がある。HWは確実に仕留めたほうがいい」
再び傭兵達の間に緊張が走る。安則の予想が事実なら、既にGDABのUPC軍はエリーゼの策に嵌められた事になる。かといって、まずFRの存在を実証しないことには基地司令に進言しても「そんなもの仮定に過ぎん!」と却下されるのがオチだろう。
そのときようやく正規軍部隊の出撃が完了し、傭兵達も自らのKVを順次エレベーターに向けて移動させた。
●ゴビ砂漠上空
滑走路から飛び立ち、正規軍部隊と分かれて西の方向を目指す傭兵KV部隊の前に、間もなくデルタ編隊を組み接近する9機の敵影が現れた。
左右両翼に4機ずつ小型HWを従え、悠然と飛ぶバイパー改。それは紛れもなく、鹵獲時と同じ朱に塗られた「夜叉姫」そのものだ。唯一鹵獲時と異なるのは、その機体にくっきりと「蟹座」のエンブレムが描かれている事だった。
あたかも、元の「主」に見せつけるように。
「然しよもや『人類の守護者』を敵として見る事になるとはな。全く、笑えないにも程がある」
朔夜を始め、傭兵達は翼を並べる陽子を案じるように味方の「夜叉姫」を見やった。
「‥‥全機に通達。敵鹵獲KVをこれより『妲己』と呼称する」
そんな彼らの無線機に、押し殺したような陽子の声が届く。
「わたくしの事は気にする必要はありません。あれは‥‥あの機体は、もはや人類の敵です!!」
既に彼女も腹を括ったようだ。
「‥‥とは言え、此方には本物がいる。なる様にはなる、か」
ふっと笑うと、朔夜は間もなく交戦距離に入るバグア編隊に視線を戻す。
岩龍改でジャミング中和と情報管制を担当していた那由他は、レーダースクリーンの乱れに気づいた。
鹵獲バイパー、いや「妲己」とHW編隊の後方に、陽光を反射しキラキラと輝くサイコロ型飛行物体の群れ。
「――CW!」
計9機に及ぶCWからの電子ジャミングにより、そこから先はレーダー波が攪乱され探知不能。逆に言えば、その「電子の壁」の向こうに何かがいる――そう直感した那由他はすぐさま僚機に警告を発した。
おそらくは光学迷彩で身を隠しているであろうFRの存在も不気味だが、まずは目前の脅威への対処が先決だ。
既に小型HWからは先制のプロトン砲が撃ち込まれ始めている。
「やれやれ、高性能鹵獲機は厄介だよなあ。だが、敵となれば別だ」
安則が苦笑し、雷電の機体得能を使用。
「超伝導アクチュエータ発動! オールロックオン! 目標補足! 一斉射!!」
「妲己」を含むバグア機5機にマルチロックオン。K−01小型ミサイル250発が嵐の如く雷電の機体から放たれた。
他のKVもほぼ同時にミサイル、ロケット弾など遠距離兵器による一斉攻撃を浴びせる。
が。小型HWは上下左右にぶれるような慣性制御でこれを回避。そして「妲己」は――避けすらしない。小型ミサイル50発を全身に浴びながら、その機体は微かに表面が黒く焦げた程度だった。
「何て防御力だ‥‥それにHWの方も相当強化されているぞ。CWのジャミングもあろうが」
呆れたようにぼやく安則。
CWが広く散開しながら前進し、能力者達を怪音波の頭痛で痛めつけ始めた。
とりあえず「妲己」への対応は後回しとし、KV部隊はそれぞれCW、HWの撃墜を狙い二手に分かれた。
CW目がけ陣中突破を仕掛けた蒼志は、強化型HDミサイルの射程に収めるや電子ワームの排除にかかった。
「ある意味いつも通りではあるがな‥‥そして、いつも通りの戦術だからこそ――この手を読むのだろう?」
まだ姿を見せぬ真の「敵」に聞かせるようにいう蒼志。警戒すべきは、CWに気を取られた瞬間をFRに奇襲される事だ。
朔夜は外周からCWを攻撃しつつ、ワイバーンのIRSTでFRの存在を警戒した。ただし過信はしない。IRSTは本来攻撃の命中率を上げるための機能。従ってその索敵効果はKV前方のごく限られた範囲となる。
ブレイズの雷電もCWを最優先目標に、射程内に入った目標からUK−10AAMで攻撃。ダメージを与えたところでさらに距離を詰めスラスターライフルで撃破していった。
この空の何処かに潜んでいるはずのFR、そして搭乗者のエリーゼ。ヨリシロにされる前の「彼女」の人柄を知っているだけに、余計やり場のない怒りがこみ上げてくる。
「だとしても‥‥まずこいつら(CW)を何とかしないことには話にならない! 怒りの矛先を向けるのは――必要なことを為してからだ!」
「CWの数が多い‥‥まずはそちらから片付ける」
漆黒のボディに翼を赤くカラーリングした零のディアブロ「フェンリル」の機体から高性能バルカンの火箭が迸る。すれ違い様にソードウィングで斬りつける度、また1機CWが爆散し空の藻屑と化した。
むろんCW攻撃中も「妲己」、そしていつ現れるやも知れぬFRへの警戒は怠らない。
だが同時に、味方のCWが墜とされるのもお構いなしに一路GDAB目指して飛び続けるHW編隊の動きにも底知れぬ不気味さがあった。
「怪しいな‥‥やはり奴らの狙いは、安則がいった通り基地への爆撃か?」
●夜叉姫vs妲己
そのHW編隊にも、CW対応班と並行し4機のKVが向かっていた。
「とにかくHWを止めるぞ。戦略、戦術的価値のあるゴビ基地の機能が奪われたら中国、ロシアに対する橋頭堡がなくなってしまう」
安則はK−01ミサイルを再度マルチロックオン、立て続けに全弾発射。
被弾したHWは時折慣性制御で機首を回頭し反撃のプロトン砲を浴びせてくるが、基本的には編隊を崩すことなく「妲己」と共にGDABを目指す。
安則の疑惑はいよいよ確信へと変り、雷電の4連バーニアを吹かして追いすがるとロケット弾による近接攻撃に切替えた。
「至近距離なら回避できまい! 落ちろ!」
ダメージは与えているはずだが、追加装甲で強化しているらしい小型HWもなかなかしぶとい。
その間、シロウの雷電はHW編隊の前方に回り込み専ら「妲己」の足止めにかかっていた。
これにはHW攻撃にあたる僚機の援護と共に、おそらく有人機であろう「妲己」の癖を探る意図もある。
「パイロットがヨリシロにせよ強化人間にせよ、機械でなく生き物ならば自ずと動きには『選びたがる傾向』が出るでしょうからね」
まずは距離を置いてロックオン、様子見にUK−10AAMを発射してみる。
やはり「妲己」は避けない。赤光が閃き、FFを貫いたはずのミサイルはバイパー改に傷ひとつ付けることなく、僅かに機体を揺さぶるのみ。
「さすがは元『夜叉姫』‥‥FFなんか要らないくらいじゃない?」
最も頼りになるはずの友軍KVが「敵」と化した厄介な事態に、改めて気が重くなるシロウ。とはいえ、相手が避けてくれない事には動きの癖も探りようがない。
「妲己」の機体からおもむろに白煙を引き、AAMが発射された。
とっさに超伝導アクチュエータを起動させ回避を図るシロウだが、高出力ブースター装備に加え機体得能で運動性を上げた雷電に、なおバグア式ミサイルは容赦なく突き刺さり、一撃で機体生命の3割近くを奪った。
その命中精度。攻撃力――いずれもかつての「夜叉姫」そのもの、あるいはそれ以上。
だがシロウを驚愕させたのは、ほんの一瞬とはいえ敵パイロットの見せた技量が人類側の正規軍や傭兵で「エース」と呼ばれる者達と殆ど遜色のないことだった。
「‥‥単なる腰巾着と侮ると、痛い目に遭いそうですな」
そのとき、ちょうど最後のCWを撃墜した「夜叉姫」が駆けつけてきた。僚機の戦闘を援護するためあえてCW殲滅を優先していた陽子だが、もう遠慮する必要はない。
「お待たせしました、シロウさん!」
「かれこれで2度目の戦いです。そして陽子さんと組むのもね。さて、キバっていきます」
「妲己」の方も「夜叉姫」の接近に気づいたか。HW編隊はそのまま基地方向へ進ませ、単機進路を変えると陽子達の方へ向かってきた。
「返してもらいます‥‥それは、人類を守り、人々の希望となるために産まれた機体。今や敵となった、貴方の乗って良い物ではありません!!」
『何を寝ぼけたことを言っている?』
陽子にとっては初めて聞く男の声が応答した。
『兵器の使い途など所詮は扱う者次第。そしてこれは、自分がギルマン隊長よりお預かりした機体だ』
「盗人猛々しいですわね。ならば、墜ちなさい!」
元々は己の愛機である。その鉄壁の防御から他の兵装は殆ど効果がないとみた陽子は、迷わず吶喊しソードウィングによる斬撃をかけた。
「妲己」の側も同様にバグア式ソードウィングで迎え撃つ。見た目には全く同じ2機の赤いバイパーが、突撃・反転を繰り返しつつ空中で激しく切り結び始めた。
機体性能だけみればほぼ互角といって良い。だが「妲己」の方が慣性制御により小回りの利く分、蓄積するダメージはどうしても「夜叉姫」の方が大きくなる。
やや距離をとって陽子を支援するシロウは、先刻一瞬だけ垣間見た「妲己」の動きを参考に、敵機の回避ポイントを先読みしつつミサイルを撃ち込んだ。
突然、陽子は敵の剣翼とは異質な衝撃を感じた。
一見何もない虚空から淡紅色の光線が放たれ「夜叉姫」を打ち据えたのだ。
「‥‥FR! そこにいます!」
那由他が僚機に警告を発し、プロトン砲が撃たれたと思しき空域へ照明弾を発射。
光の中に一瞬だけ浮かんだ機影に向けて、数機のKVからペイント弾入りのバルカン砲が殺到する。
間もなく「蟹座」FRはゴビ砂漠上空にその姿を現わした。
「ロシア戦線で慎重になりすぎ貴様を墜とせず、エリーゼ嬢をヨリシロにさせてしまったのは一生の不覚だ。ギルマン!!」
HWをSライフルで狙いつつ、安則はほくそ笑む。
その直後――GDAB寄りの方角に直径百mにも及ぶ巨大な火球が華開いた。
夕姫のシュテルンがUK−10AAMでHWの1機にとどめを刺したのだ。
「‥‥何時もより爆発がでかい‥‥大火力の爆弾か何か積んでる!?」
「あの派手な爆発‥‥どうやら、こいつらが当たり(本命)のようだ」
CW殲滅後、同じくHW攻撃にあたっていた零も呟く。
「風間機よりHQ(軍司令部)及び各機へ、HWは大火力の爆弾か何かを装備してると思われる、これにより敵の目的は恐らく基地への爆撃‥‥BFの方こそが囮だ!!」
通信を受けたGDABでは大騒ぎになっているだろう。しかし囮のBF部隊により北方へ誘き出された正規軍主力を呼び戻すには、もはや時間が足りなかった。
●蟹座の女
「まさか‥‥エリーゼ。FRと妲己すらも囮だというのですか!?」
陽子は出現したFRに向けて叫んだ。
FRは応えない。「後は任せる」とでもいうように、「妲己」から離れ基地方向へ進路を取った。あくまで爆撃部隊の侵攻を援護するつもりだろう。
「駄目です、あのHWを基地に行かせては!!」
陽子も瞬時に決断を下した。
「ごめんなさい、シロウさん。少しの間だけここを任せて構いませんか?」
「Yes.人類最高の女性の背だ。最高のおもてなしで預からせてもらいますよ」
すかさずシロウはドッグファイトを続ける2機のバイパーに向け煙幕装置を使用。
「おねがいです‥‥死なないで下さいね」
濛々と立ちこめる白煙の中、「夜叉姫」は機首を翻しHW部隊へとブーストをかける。
FRから距離をとろうとした那由他が機体に激しい衝撃を覚えた。
バグア式スナイパーライフル。人類側同種兵器の射程外にも拘わらず、正確無比の狙撃だ。
「‥‥狙われてる‥‥?」
遙かに離れたFRから蛇の様な視線を感じ、那由他の背筋に冷たい汗が流れる。
咄嗟に墜落を装い岩龍改を急降下させ、砂塵に紛れる形で基地方向へと後退。僚機を電子支援できるギリギリの圏内で再び旋回した。
「岩龍は生きてなんぼ‥‥だよね?」
幸いCWが全滅したため、ここからでも敵機の位置情報を友軍機に伝える事はできる。
(「妲己‥‥人間の王国を滅ぼすため、女神が放った狐‥‥」)
出撃前にシロウ達と交わした会話を、改めて思い返した。
「‥‥バグア側から考えると、いいネーミング過ぎるかも‥‥」
HW編隊を迎撃するKV部隊へ襲いかかろうとしたFRの前に3機の雷電が立ちはだかった。
「あれは蟹座のFR‥‥。やはり‥‥エリーゼ、なのか?」
当惑を隠せぬブレイズの目に、ほんの一瞬であるがFRの風防から覗くパイロット――見覚えのある金髪の若い女性が映った。
「くっ‥‥もう駄目なのか? 本当にもう、どうしようも‥‥」
計器板を拳で叩き、
「‥‥なら、倒すことが彼女を救う唯一の方法だって言うのなら‥‥俺は戦う! これ以上お前に、その姿で好き勝手させてたまるかぁ!」
「蟹座」の紋章を掲げた忌まわしい敵機を足止めすべく、スラスターライフル、C−020ミサイルポッドの凄まじい弾幕を展開。
「――二代目がいるとは聞いていたが、娘の姿か」
後方からは朔夜のワイバーンがSライフルD−03で援護射撃を加える。
「食らうがいい――我が暴風を!」
蒼志はI−01「パンテオン」をロックオン。一斉に打ち出された小型ミサイル百発が文字通り暴風のごとくFRの機体を包み込んだ。
だが、並みの小型HWなら既に消し飛んでいるほどの攻撃を受けながらも、FRは赤い火花を散らし足を止めることなく突破を図る。
雷電に対してはプロトン砲を。ワイバーンに対してはSライフルによる長距離狙撃を――明らかにKVの機体特性に合わせ兵装を使い分け反撃してきた。
「お前達は‥‥いつもそうだ。人の力を奪い、それをあたかも自分の力のように振舞う」
『何が悪い? おまえたち人類もやってきたことだろう』
蒼志の言葉に、初めてエリーゼの通信が答えた。
『弱肉強食。弱き先住民を駆逐し、その土地と資源を奪って新大陸だのフロンティアなどと呼んで憚らない――そんな風に幾つの古代文明が滅んできた? 今度は、おまえたちにその順番が回ってきただけのことだ』
「ふざけるな‥‥! 貴様らが、人の力を‥‥人の思いを使っていい道理はない!」
だが雷電の重装甲を貫く凶暴な知覚攻撃が、内部の回路や蒼志自身の肉体までを灼き、機体生命を見る間に削り取っていく。
「蟹座‥‥貴様らに名がないのは解った」
側面からK−01エネルギー集積砲を放ちつつ、王零が問いかけた。
「ならば汝がこの星のに来る前から汝を表す呼称を教えてもらえんか?」
『またその話か? 面白いことに拘るな、おまえたちは』
「何なら個体ナンバーでも何でも構わん。貴様らとて、仲間同士で識別できねば何かと不都合だろう?」
『まあ認識番号くらいはあるが‥‥それではどうも味気ないな』
ふいに「闇天雷」の無線がオープンから個別回線に切り替わった。つまりここから先の会話は王零1人に対する言葉ということだ。
「‥‥?」
『カルキノス』
艶めかしい女の声が、1つの名を伝えた。
『――私が最初に使ったヨリシロの名だ。もうどれだけ昔の事かも忘れてしまったがな』
「それとて、借り物の――」
『かもしれん。だがバグアとして生を受け、初めて自らが得た名前だ。少なくとも私にとっては特別な名だよ?』
声をひそめ、あたかも恋人に秘密を打ち明けるかのようなエリーゼの口調に、王零は一瞬戦闘中であることも忘れて妙な気分になった。
だがその間にもFRからは容赦なくプロトン砲の光条が降り注ぐ。
『この名を地球人に名乗ったのは初めてだ‥‥これで最後だろうが』
王零も覚悟を決め、超伝導アクチュエータを起動。機体をローリングさせながらの翼刃突撃――。
「穿て‥‥DarkNessBullet」
眼前のFRが一際強い赤光を放った。
本星型HWの強化FFにも似た特殊能力により、「闇天雷」最大威力の攻撃が相殺される。
空中変形したFRが片手の機斧を振り上げ、立て続けの斬撃が浴びせられた。
「闇天雷」の機体が制御を失い、回転を続けたまま砂漠へと墜ちる。
「まだ‥‥足りんか‥‥我の力‥‥我が業では‥‥」
FRが再び飛行形態に戻る一瞬の隙を突き、今度は蒼志がブーストオンでソードウィングによる吶喊をかけた。
「この世界の異物がァ――!!」
刃と化した雷電の主翼が赤い装甲の一部を切り裂いた。
だが次の瞬間、慣性制御で回頭したFRのプロトン砲を浴び、蒼志機もまた爆炎に包まれる。
再び基地方向へ機首を戻したエリーゼは残るブレイズ機、朔夜機にもプロトン砲とSライフルの猛射を浴びせつつ突破。
KV部隊の中では脅威的な回避を誇る朔夜のワイバーンでさえ被弾を免れず、機体損傷が7割を超えた。
「‥‥潮時、か。――撤退する」
残る練力でブースト&マイクロブースト起動、急速離脱に移る。
辛うじて撃墜を免れたブレイズも機体損傷が著しく、やむなく後に続いた。
「俺は‥‥初めてだ。こんなに誰かを許せないって思ったのは。お前も‥‥それを止められなかった自分も!」
離脱する雷電のコクピットで、ブレイズは呻くように叫んだ。
●砂塵の彼方に‥‥
『まさか元の持ち主から先に離脱するとはな』
「まあそういわずに。自分がお相手しますから」
陽子と入れ替わるようにして「妲己」の前に立ちふさがったシロウはつかず離れず、ミサイルで牽制しつつ隙を見ては機体得能併用のソードウィングで斬撃を加えた。
敵の防御は「夜叉姫」と同じかそれ以上。攻撃が効かない事は百も承知だが、少しでも時間稼ぎと敵のデータを収集しておきたかったのだ。
しかし何度目かの接近の際、「妲己」からのバグア式チェーンガン、さらに「ファランクス・アテナイ」を改造したと思しき自動バルカンの攻撃を浴び、ついにシロウの雷電も力尽き撃墜された。
「目標、空域内全HW。K−02ターゲットロック。――意思無き傀儡達よ。真紅の鬼の一撃を受け、沈みなさい!!」
「夜叉姫」から放たれたマルチロックオン・ミサイルが炎の流星群の如く小型HWへ殺到し、一度に3機を撃墜。砂漠の上空に巨大な火球と化して消え去った。
「HWは残り2機か‥‥ガーランドの方にもう少し釣られると思ったが、連中もそこまでバカではなかったな」
FRのコクピットでエリーゼは舌打ちした。
「まあいい。せめて置き土産に滑走路だけでも潰しておくか」
急遽計画を変更。残存HWには囮となるべく「夜叉姫」の足止めを命じ、FRは単機GDABを目指す。完全破壊は無理でも、地上の施設を残らず叩いておけばしばらく基地の機能は停止するはずだ。
それまでHW攻撃にあたっていたKV部隊にもプロトン砲とSライフルの狙撃を浴びせつつ、FRは赤い暴風となって砂漠の空を駆け抜ける。
回避にかけては朔夜のワイバーンすら凌ぐ零の「フェンリル」もSライフルの砲弾に主翼を撃ち抜かれた。
「‥‥バケモノか?」
そんなFRに、ブーストを全開にした夕姫のシュテルンが立ち向かった。
「BFを囮に妲己率いるHW部隊の基地爆撃が本命‥‥と思わせて真の本命はFRによる直接攻撃‥‥二重の囮とはやってくれる」
『その声は風間か。山西省のあの村以来だな』
夕姫の名を知っているのはエリーゼの記憶からだろう。
「いやなに、働き者のお前がこのまま引き下がるとは考え難かったんでね」
『ふふっ。黙って退いていれば見逃してやったものを』
Sライフルの一撃がシュテルンを直撃した。
いったんは失速しかけ大きく高度を下げる夕姫だが、まだ生きているカナートとスラスターをフル稼働させ体勢を立て直すや、再びエリーゼに追いすがる。
傷ついたシュテルンの機体、そして己の肉体の限界に挑戦する勢いで空戦機動を行いつつ、夕姫はFRの背後からスラスターライフルの弾雨を浴びせかけた。
「しぶとい奴だ‥‥」
夕姫の攪乱に苛立ち、再び機首を回頭させシュテルンを撃墜しようとしたエリーゼの視線が、計器板の一角に留まった。
――練力が既に残り3割を切っている。
「ちっ。雷電相手に手間取りすぎたか!」
ちょうどその時、最後のHWが「夜叉姫」に撃墜されたが、そちらの方には見向きもせず、そのままブーストをかけGDABとは反対方向へ離脱した。
「聞こえるか、ガーランド? 撤退だ。おまえは殿を務めろ!」
BFを主力としたバグア軍部隊は何もしないままウランバートル方面へ撤退し、正規軍の主力もGDABへと引き返してきた。
辛くもゴビ基地は守られたのだ。
撃墜された王零、蒼志、シロウを救出するため護衛のKVと共に滑走路から飛び立つ救難ヘリ部隊を、帰還した傭兵達は無言のまま見送る。
やがてボロボロになった愛機と共にエレベーターで地下ハンガーに降りた夕姫は、基地の整備兵に修理を頼み、体に付いた煤と砂埃を落とすべく陽子と共にシャワー室へと向かった。
「‥‥この借りは必ず熨斗つけて返してやる」
その隣で、俯き加減の陽子もぎゅっと拳を握り締める。
「いつか、必ず貴方は解放します。いつか、必ず‥‥」
「しかし『妲己』か‥‥連中もうまいことをいうな。フフフ‥‥」
GDABから遠く西へ離れた砂漠の上空を飛ぶFRの機内で、エリーゼは愉快そうに思い出し笑いを浮かべた。
「いったい何です? 彼らの通信に頻繁に出ていましたが‥‥このヨリシロの記憶に該当する単語が見あたりません」
訝しげに通信で尋ねるガーランド。
「おまえは中国の古典を知らんのか? まあいい、後で教えてやる。とにかく『妲己』――それが今日からそのバイパーの名前だ」
やがて2機の赤い戦闘機は北東へと進路を変え、バグア・ウランバートル基地を目指して飛び去っていった。
<了>