タイトル:【KM】空蝉の墓マスター:対馬正治
シナリオ形態: イベント |
難易度: 普通 |
参加人数: 17 人 |
サポート人数: 0 人 |
リプレイ完成日時: 2009/12/20 14:44 |
●オープニング本文
●インドネシア領内〜UPC軍機密施設
厳重に設けられた検問のゲートをEAIS(東アジア軍情報部)のIDカードと指紋チェックでパスし、高瀬・誠(gz0021)は施設の最奥にある「病室」の前までたどり着いた。
UPC軍兵士2名が歩哨を務めるドアを通り入室すると、ベッド上にパジャマ姿で横たわる幼い少女の姿が目に入る。
バグア強化人間。そしてゾディアック「射手座」シモン(gz0121)直属の部下でもあった結麻・メイ(gz0120)。
ただし大規模作戦のカメル戦線で捕虜となり、現在はUPC軍の拘束下にある。
人の気配を感じ取ったか、じっと目を閉じていたメイは、瞼を開き紅い瞳で誠を見やった。
「や、やあ‥‥久しぶり」
「‥‥何の用?」
それだけいうと、ぷいっとそっぽを向いて寝返りを打つ。
「さぞいい気味だと思ってるでしょ? あの九州の分校で‥‥あんたを騙していたあたしが、こんな惨めな姿を晒してるのを見て」
「まあ、あの時は‥‥僕もUPCの調査員として潜入してたんだし‥‥お互い様だよ」
どういう態度で彼女に接していいかも判らぬまま、とりあえず誠は枕元の椅子に腰掛けた。
「具合はどう? 何か、欲しい物とかはある?」
「ないわよ、そんなの。‥‥ああ、医者に会ったら『病院食が不味くて食えたもんじゃない』って伝えといて」
「‥‥」
撃墜された本星型HWから救出された際は「瀕死の重傷」と聞いていたが、見たところメイの体に大きなケガらしきものは見あたらない。おそらく強化人間の再生能力で自己治癒させてしまったのろう。
だが、彼女の頭に例の赤い大きなリボンは付いてなかった。
メイとてプロの工作員である。HWからの脱出時、リボンナイフやプロトン銃など、後々人類側の解析対象になりそうなアイテムは全て機内に放棄し一緒に自爆させたのだろう。
誠は思い出したように、手元の紙袋を取り出した。
「そうそう。これ‥‥」
それは、出がけにL・Hのショップで買ってきた蝶型の赤いリボンだった。
「ただのリボンで悪いけど‥‥似合うと思って」
「‥‥変な所に気を利かすのね、あんたって」
上半身を起こしたメイは、ちょっと呆れた顔つきで誠の見舞い品を手に取った。
「ま、いーわ。貰ってやるわよ。髪をまとめるモノがなくて困ってたところだから」
慣れた手つきでリボンを頭に結うと、再び枕に頭を落す。
「疲れてるの‥‥他に用がないなら、もう帰ってくれない?」
●同施設内〜医務室
「これをご覧ください。昨日撮影したあの子‥‥結麻・メイのレントゲン写真です」
UPC軍医の説明を聞きながら壁際のシャウカステンに並べられたX線画像を見て、誠は眉をひそめた。
専門の医師でない彼にも、メイの体内で起こっている「異変」はひと目で判る。
「大きな外傷は見られないものの、各所内臓の細胞劣化が急速に進行しています。体の内側から細胞が死滅していくとでもいえばいいのか‥‥私も長年医師を勤めていますが、こんな症例は初めてですよ」
大規模作戦中、メイ搭乗のHWが過去のデータに比べ桁外れの運動性を示した事実から、何らかの手段で肉体の再強化が施され、その「副作用」の可能性が高い――というのがUPC側の推測である。
ただそれが「何か」は不明だが。
「あの‥‥何とか治療はできないんですか?」
「治療? 無理ですね。あの子の体力は常人以下に衰えているものの、まだFFだけは残っています。つまり手術や点滴を打とうにも、メスや注射針を一切受付けないのですから。それに時間がありません。保ってあと数日‥‥というところでしょう」
「数日‥‥それじゃ、あの子はこの先どうなるんです?」
「それは――」
軍医からの返答を聞き、誠は耳を疑った。
●L・H〜EAISオフィス
「‥‥そうか、状況は判った。その様子では軍による尋問も不可能だな‥‥メイは引き続き現地で拘束。まあバグアによる口封じの刺客が送られる可能性はある。後ほど警護の傭兵をそちらに派遣しよう。君はそのまま待機していてくれ」
誠からの報告を受けたEAIS部長、ロナルド・エメリッヒ中佐は、そう指示を下すと電話の受話器を置いた。
「でも、何だか可哀想ですね。彼女もカメルであんな事件にさえ巻き込まれなければ、もしかして今頃は能力者として我々の側で‥‥」
「歴史に『if』はありえんよ。どんな事情があろうと、彼女が犯した罪の免罪符にはならん」
気の毒そうにいう女性士官の言葉を遮り、エメリッヒ中佐は煙草に火を点けた。
「しかし‥‥工作員(スパイ)とは孤独なものだな。いかに大きな戦功を挙げようが、それがエースの様にもてはやされることもない。地中の虫のように常に息を潜めて戦い、その役目が終われば鳴き疲れた蝉のように消えていく‥‥」
目の前で揺らめく紫煙を眺めつつ、中佐は誰にいうともなく呟いた。
「同情するつもりはないが‥‥同じ諜報任務に携わる者としては、やはり敬意を表さざるを得ないだろうな。結麻・メイ‥‥あんな年端もいかぬ娘が、1年半に渡って我がUPCを振り回してきたのだから」
●リプレイ本文
●1st day〜morning
インドネシア領内某所の小さな無人島。その海岸沿いに建つ一見民間の療養所と思しき白塗りの建物――実はUPC軍の秘密医療施設である――のカフェテラスで、EAISの高瀬・誠軍曹は、来島した傭兵達を前に任務の概要を説明していた。
依頼内容はこの島に捕虜として収容された結麻・メイの警護、及び監視役。
「‥‥そうか、自ら望んだ道とは言え、あの嬢ちゃんは、ここで終わっちまうのか」
ゲック・W・カーンは腕組みし、深々とため息をついた。九州やカメルで幾度か刃を交えた相手とはいえ、彼の心中は複雑である。
「ああ、誠。中佐に頼んでおいたものは持ってきてくれたかい?」
「それなんですが‥‥」
今回の依頼を受けるにあたり、ゲックは誠を通してエメリッヒ中佐に「撃墜されたシモンの遺品を分けてもらえないか?」と申請していた。
「中佐に確認を取ったんですけど、今の所遺品は存在しないそうです。シモン自身が、ステアーと一緒に水没してしまったので‥‥」
「何もないのか?」
「遺品といえるかどうかは判りませんが、代りにこれを預かって来ました」
そういって誠が差し出したのは、セルベルク空爆の直後、カメル共和国政府と共にUPC加盟国に宣戦布告したシモンの姿を第1面に大きく報じたカメル国内の新聞。
むろん人類側勢力圏では「敵性文書」として販売されることはないが、EAISは特殊なルートを通しその何部かを入手していたという。
「でも、こんなの何に使うんです?」
「いや、あの嬢ちゃんに渡してやろうと思ってね」
シモン自身の思惑がどうだったにせよ、彼がメイにとって死んだ親代わりを務めていたことは事実だ。ならば彼ゆかりの物を渡しておけば、最期の瞬間まで精神が安定するのでは――というのがゲックの考えだった。
「あのメイちゃんがねえ。カメルからの救出戦では結構苦労させられたが‥‥おかげで勲章なんてもらえたが、シモンのために命を捨てた女の子か」
リボルバータイプのハンドガンを手入れしつつ、半ば関心したような口調でいうのは緑川 安則。
「‥‥結麻・メイ。山の分校で初めて彼女と遭遇してから1年半の間、何度も戦って来た強敵であり、シモンの腹心だった強化人間の少女‥‥」
先の大規模作戦では奇しくもシモンのステアーZCに最後のとどめを刺す役を務めた煉条トヲイは、改めて彼らとの戦いの数々を振り返っていた。
メイのやって来た事は許される事では無いし、許すつもりも無い。
だが、常に強敵として自分達の前に立ち塞がり続けた彼女に対し、トヲイは1人の戦士として敬意を表したいと考えていた。
「お話しを伺った時はショックでした‥‥本当は助けたいと思っていましたので」
櫻小路・なでしこがぽつりと呟いた。
ゲックやトヲイ同様、メイとは何度も戦ってきた。その一方、幾つかの依頼で出会った時は戦闘抜きの個人的な会話を交わしたことも度々ある。
そのためか、なでしこはどうしてもメイという少女を「敵」として割り切ることができなかったのだ。
「‥‥それだけに、最後までしっかりと看取る覚悟です」
「折角墜落から助けられたのに、こんな結末になってしまうなんて‥‥」
御坂 美緒の落胆ぶりはさらに大きかった。
何しろ彼女はカメル脱出戦の際、ジャングルに墜落した本星型HWから瀕死のメイを救出した当事者なのだから。
「私達は所属的に敵同士ですけど、私自身は恋する乙女の味方なのです♪ なので恋する乙女として、せめてメイさんを最後まで楽しい気分にしてあげなくては!」
ぐっ、と拳を握り締める。
「彼女の身の上は同情すべきかもしれませんが、彼女と戦って死んだ人にも、皆さんがそれを知らないだけで‥‥それぞれの物語があるのですよ?」
メイに対し同情的な空気が強い中、あえてレールズが異論を唱えた。
「遺された人々にも同じ悲しみがあるんです。だから俺は‥‥彼女に対し同情できませんね」
(「どんなになろうと人の命など儚いものだな‥‥しかし‥‥メイには謝ればいいのか‥‥怒ればいいのか‥‥感謝すればいいのか‥‥悩みどころだな」)
漸 王零は改めて己の胸の裡に問いかけていた。
(「‥‥僕は、彼女たちが、分校でやっていたことを‥‥許すつもりは、ない‥‥」)
リオン=ヴァルツァーもまた、口には出さないもののレールズの言葉に共感する部分はあった。
(「それでも、僕が彼女自身を心の底から憎めないのは‥‥彼女と直接刃を交えたことがないことと‥‥この前の、お墓参りのことがあるから‥‥なんだろう、な」)
メイと会って、何を話せばいいのかまだ判らない。
ただ、会わなければ必ず後悔することになるだろうと思った。
「彼女が人類に対して、様々な不幸をもたらした事は消えない事実です。しかし、それもお互いが抱える信念が相容れなかった結果‥‥」
リヒト・グラオベンが口を開き、穏やかな口調で窘めた。
「もはや彼女に未来がない以上、それを問うても仕方のないことでしょう」
「皆さん、それぞれにお考えがあるのは判ります。けど、これも任務ですから‥‥」
誠がおずおずと口を挟み、それを切っ掛けに、傭兵達の会話もより実務的な内容、すなわちメイの病室を中心とした警護体制やそのローテーションといった打ち合わせに移っていった。
「監視と警護」といっても、その内容はかなり大雑把だ。
メイ存命の間、少なくとも1人以上の傭兵が交替で彼女の病室に付き添うこと。メイ自身が希望すれば外出も可。後は数名が施設周辺の警戒に当り、残りの者は休憩も兼ねて自由行動。非常時の際は無線で連絡を取り合い全員が集合。
自分の担当時間が決まると、水雲 紫はおもむろに席を立ち、無言のまま部屋の出入り口へ向かった。
「意に介さずですか? 意外と冷たいんですね?」
苦笑を浮かべたレールズが、ややからかうように問う。
「覆水盆に返らず。そしてあの子の命もあと僅か‥‥ならば、このまま流れに身を任せるのも一つの選択でしょう?」
特に怒る様子もなく、いつも通り飄々とした口調で答えると、そのまま部屋を出て行った。
相変わらず狐面で隠された彼女の顔からその真意はうかがい知れない。
(「‥‥」)
国谷 真彼はそんな紫の後ろ姿を目で追った。
彼自身はメイとは面識も、これといった因縁もない。にも拘わらず今回の依頼に参加したのは、あのカメルでの戦いで負傷した紫に肩を貸しつつUK弐番艦へ乗船した際、やはり美緒に背負われ乗り組んできた意識不明のメイを目にしたときの、紫の言葉が忘れられなかったからだ。
『知り合いかい?』
『‥‥友達、です』
水雲 紫の行動を見届けること。彼女の面の下の表情、その心を見届けたい。
――それが、真彼がこの島に来た一番の目的だったのかもしれない。
「俺は夕方から非番ですが‥‥その間、高速艇を借りて島の外へ出ても構わないでしょうか?」
リヒトが誠に尋ねた。
「それは構いませんが‥‥どんな用件でしょう?」
リヒトが申請した2件のうち、初めの1件については誠が電話でエメリッヒ中佐に問い合わせ、その場で了承を得た。
しかし2件目――現在極秘施設に入院中の萩原・真弓の件に話題が及ぶと、少年の顔から目に見えて血の気が引いた。
「申し訳ありません。それだけは‥‥絶対に許可できません」
「なぜです? もしかしたら、メイから聞き出せるかもしれないではないですか? 強化人間の延命法を」
「バグアにとって強化人間の寝返りは‥‥僕らが考えている以上に重大な罪なんです。マドリードでは元『蠍座』抹殺のためステアーZCやFRが投入されました。真弓だって例外じゃありません。次はシェイドかユダ、最悪の場合ギガワームクラスの機体が使用される怖れもあります。そうなればもう真弓1人の問題じゃない‥‥何千、何万という人たちが巻き添えになるでしょう」
「‥‥判りました。真弓のことは、メイには伏せておきましょう」
リヒトはため息をついた。UPC情報部に所属し、そして誰より真弓の延命を願っているはずの誠がそこまで断言する以上、それが「現実」と受け入れるしかない。
部屋を出た足で屋上に向かった紫は、フェンスの前で佇み、景色を見るでもなく、ただそこに居た。
(「来るべき日が‥‥来てしまいましたね」)
最初にメイの病室へ足を運んだのは終夜・無月だった。
直前の依頼で受けた負傷はまだ完全に癒えてないが、包帯などを着衣で隠し、外からは見えないようにしてある。
ドアの前で立哨する正規軍兵士に挨拶し中へ入ると、メイはベッドの上で食事用デスクに置かれた朝食をとっている最中だった。
「はじめまして‥‥」
「誰よ、あんた?」
「ULTの傭兵です。暫く貴女の護衛にあたります」
「ふうん‥‥。それより、この不味い食事何とかならない? こないだも高瀬に言ったんだけど」
無月はベッド脇に歩み寄り、トレイに乗った野菜スープを一口味見してみた。
「結構‥‥美味いと思うけどな‥‥」
「味気ないのよ。薄すぎてただのお湯みたい」
いわれてみれば、普通の食事に比べ塩分や糖分を控えめにしてあるようだ。まあ病人食だから当然だろうが。
(「でも、彼女の場合はもう‥‥」)
僅かに思案した無月は施設の厨房に赴き、料理の腕を駆使して消化の良い山芋を使ったお好み焼きを作り持って帰った。
「あら。これ美味しいじゃない♪」
箸を口に運んだメイは、年相応の子供の様に喜んだ。
「リクエストがあれば‥‥其れ‥‥作って来るけど?」
「‥‥ううん、いいわ。あまり食欲ないから」
お好み焼きを半分ほど平らげたメイは、訝しげに無月の顔を見やった。
「あんたも怪我人でしょ? 隠したって判るわよ、動きを見りゃ」
「ばれましたか」
「何でそこまで親切にするの? あたしは敵なのに」
「生憎‥‥本当の意味で俺に敵と呼べる存在はいませんので‥‥」
穏やかに微笑み、無月は答える。
「ただ俺は単に‥‥自分のすべき事‥‥自分の心の感じるままの事をしているだけですよ‥‥」
「‥‥」
暫くデスクに目を落していたメイだが、やや言い辛そうに尋ねてきた。
「看護師や兵隊が噂してたけど‥‥ホントなの? シモン様が‥‥」
「ええ、気の毒ですが‥‥ステアーと共に、海へ‥‥」
「‥‥そう。なら、これで終りね‥‥あたしの役目も」
その場で泣き出すかと思ったが、少女の赤い瞳はただ虚ろに窓の方を見やっただけだった。
「道具でもよかった‥‥ただあのお方の傍だけが、この世界であたしに許された、たった一つの居場所だった‥‥」
「もう‥‥いい‥‥充分貴女は走った‥‥だから‥‥休みなさい‥‥」
担当の時間を終え、病室を出ようとした無月の背後からメイの言葉が聞こえた。
「ごちそうさま。お好み焼き、美味しかったわよ」
廊下に出た無月は正規軍兵に頼み、パイプ椅子を借りるとそこに座った。
負傷のためあまり動き回れない彼は、そこでメイを看取るまで警護にあたるつもりだった。
廊下の向こうから、次の担当である真彼が歩いてくる。
サイエンティストである真彼は、本来の任務の他、メイの体を診察し、現在彼女が置かれた状況をより正確に把握したいという目的もあった。
病室に入り、初対面となるメイに診察の許可を求めた。
「えー、またぁ? しょーがないわね」
既にこの施設に収容されてから散々体を調べ尽くされ、本人も慣れっこになってしまったらしく、ベッドから身を起こしたメイは無造作にパジャマを脱ぐ。
そして、真彼は見てしまった。
少女の胸や腹、そして背中の数カ所に残された、刃物による痛々しい傷痕を。まだ一般人だった頃、カメルで強盗団に襲われた時の古傷であろう。
だが心ほどに、表情は動かない。落ち着いた大人の表情を崩さぬまま、軍医から借りた聴診器で診察を始めた。
(「‥‥ひどいな。想像以上だ」)
簡単な聴診と触診だけですぐに判った。メイの内臓器官は既にボロボロだ。
なぜこの状態で普通に動いたり話したり出来るのか。そちらの方が不思議なくらいだが、これも強化人間の生命力と、唯一残されたFFがギプスの役割を果たしているからだろう。
「残念だけど‥‥君に残された時間は長くない」
自分でも驚くほど素直に現状を伝えた。
「保ってあと2日‥‥という所だよ」
「やっぱりぃ? あーあ。無茶するもんじゃないわよね」
既に覚悟を決めているのだろう。まるで他人事のようにいいながら、メイは手早く衣服を身につけ始めた。
「生きたいですか?」
パジャマのボタンを止めかけた少女の指が、一瞬止まる。
「あたしが泣き喚いて命乞いでもすれば‥‥ご満足かしら? ULTの傭兵としては」
「ただ生きたいと思う人間を、僕が哂うとでも?」
真彼の記憶には、常に『ただ生きたい』と逃げた自分がいる。
今も人の心は醜い過去から逃げ続け、彼の身体は届かぬ過去に挑み続ける。
着替えを終えたメイは、ベッドに腰掛けた。
「死にたくはないわね。正直いって」
どんなに醜くても、それが真実だと真彼は知っていた。
彼女のその真実まで、バグアに塗り替えられたと思いたくない。
「僕は君のしてきたことを肯定も否定もしない。それは君の心が既に裁定を下しているでしょう」
「報告書は見たんでしょ? あたしがこれまでやってきたことも」
「他の意見など、君は聞く必要も、知る必要もないと思う‥‥でも、ただ君に知って欲しいことがひとつだけあります」
「?」
「そんな君を友達だといった、人間がいることです」
やがて交替の時間になり、真彼が椅子から立ち上がったとき、メイに呼び止められた。
「‥‥さっきの話に出た人間って、誰?」
真彼は「彼女」の名を告げ、病室を立ち去った。
(「何故あたしは会おうなどと思ったのだろう?」)
葵 宙華は胸の裡で自問しつつ、真彼と替わって病室に入った。
「あんたとは初対面だっけ?」
「九州の方で2度会ってるわ。もっとも、その時あんたは黒いHWに乗ってたけど」
「ああ‥‥そんなことも‥‥あったわね」
それだけいうと、メイは気怠げにベッドの上に横たわり、瞼を閉じた。
普通に眠っていれば愛らしい少女の寝顔を、宙華は何をするでもなく、枕元に腰掛けじっと見つめていた。
メイに対して憤慨も、その他諸々の感情も抱いてはいない。
それでも、一度は会っておきたかった。
(「ただ、彼女の終結を見届ける為に来たのかも知れない――」)
そんなことを漠然と考えながら。
「そういえば、メイさんとは何度かお会いした事があるですけど、ちゃんとお話した事って、ほとんど無いですよね」
小首を傾げながらアイリスが入室すると、目を覚ましたメイが体を起こした。
「あら懐かしい。顔見知りの傭兵も来てたのね」
「アイリスなのですよ」
改めて名乗ってから、枕元のパイプ椅子に座りメイの監視を始める。が、こうして2人きりで向かい合っても間が持たず、何とも気まずい。
「うぅ、いざとなると、何をお話して良いのか分からないですよ」
「別に悩むことでもないでしょ?『ざまーみろ』とか『いい気味♪』とか‥‥どうせ最後なんだし」
「アイリスには、難しい事は分からないですけど‥‥」
それでも、やがてポツポツと話し始めた。
「人が戦うのは『大切なものの為』なのですよ。それが、アイリスたちと、メイさんは違っただけなのです」
「でも、あんた達から見ればあたしは『敵』。結果的には同じだわ」
「メイさんがした事で、悲しい思いとか、辛い思いをした人もたくさんいるです。でも、アイリスたちも、誰かにそういう思いをさせてるかもしれないのですよ」
「あまり深く考えない方がいいんじゃない? 戦場でそんな風に悩んでたら、命がいくつあっても足りないわよ」
「あぅ、自分で言っていて、良く分からなくなってきたですよ」
うまく考えがまとまらず、頭を抱えているうちに時間が来た。
「ちょっと、見回りに行って来るですよ」
「看護師から聞いた話じゃ、ここ無人島だけど、森とかあって結構迷いやすいそうよ?」
「こんな小さな島で迷子になるほど鈍くないですっ!」
●1st day〜afternoon
アイリスが周辺警備に出かけた所で、時刻は丁度昼過ぎとなった。
なでしこの発案により、ランチタイムは施設のカフェテリアを借り切ってのささやかなホームパーティーとなった。
味気ない病人食を嘆くメイのため、なでしこは厨房を借り、和風をベースにした家庭風料理を作った。
「パーティね? いいことだねえ。あると分かっていれば食材を持ってきたんだが‥‥すまないね」
安則を始め、何名かの傭兵たちも賛同した。もっとも、中にはあえて出席を辞退した者もいたが。
「この前のお弁当も美味しかったけど、なでしこってホント料理上手よねえ」
顔なじみの傭兵が多いためか、ややリラックスしたメイは楽しげにおかずを頬張る。
「御機嫌ようメイさん。誰だか分かります?」
「その声、確か――」
「水雲 紫です。素顔でお会いするのはこれが初めてですね」
「何だ‥‥結構、美人じゃない? もったいないわよ、お面で隠すなんて」
「怪我は昔ちょっとありましてね。別に、怪我を隠す為だけに面を着けてた訳じゃないですよ?」
「へえー。何かワケありなの?」
「ふふ‥‥ヒミツです」
扇子で口許を隠して笑う紫。
「ズルいのね。前は『自分のことを知って欲しい』っていってたのに」
「それは、また後ほど‥‥」
美緒はカメル脱出戦の際、墜落したHWからメイを救出した時の状況を詳しく話して聞かせた。
「そーなんだ‥‥気づいたらあの母艦に乗せられてて、何が何だかよくわかんなかったけど」
美緒が持参したシュークリームを頬張りながら、合点がいったように頷くメイ。
「それではメイさんを可愛らしく着飾らせるのです♪」
「‥‥はぁ?」
「まずはサイズを確認しますね」
驚くメイの背後に回りふにふにふに‥‥。
「ちょちょ――」
「むむ、この反応といい弾力といい‥‥さすがメイさんです♪」
「‥‥メジャーがなくてもわかるワケ?」
美緒の持参物はスイーツだけではない。メイを気晴しさせようと、各種コスチュームまで持ち込んでいたのだ。
「ではでは、お着替えタイムです♪」
部屋の隅に衝立で作った即席のドレッシングルームにメイを連れ込み、早速着せ替えを始める。
まずはスタンダートに紺のスク水。名札にはきちんと「めい」と書かれている。
「とってもお似合いなのです♪」
「これで海水浴でもできたらよかったのにね」
次はナース服。
「可愛らしい白衣の天使ですね♪ ふむふむ‥‥普段とのギャップが魅力的なのです♪」
「あたしが患者なんだけど‥‥」
さらにマニアックな黒猫耳尻尾のキャットスーツ。オプションに肉球グローブ付きである。
「これ、結構イケてるじゃない?」
「これを付けたら、語尾に『にゃ』と付けないと駄目なのです♪」
「や、やっぱり遠慮しとくわ」
とりあえず写真撮影だけ済ませると、メイは恥ずかしそうに衝立の裏に戻り、元のパジャマ姿に着替えて戻ってきた。
そんなメイを、王零が「2人きりで話がしたい」と部屋の一角に呼び出した。
UK参番艦を襲ったバイオステアーのことを話し、
「シモンを化け物にしてしまった‥‥すまない」
想像を絶する主の醜い死に際を聞かされ、さすがに絶句するメイの頬を、王零の大きな掌が軽く撫でた。
「だが‥‥彼女の‥‥エリーゼの‥‥女としての幸せを壊した汝を許せはしないだろう。本来なら張り倒したい所だが、捕虜に手を上げるわけにもいかん」
「言い訳はしないわ。でも、あの時は‥‥ギルマンが娘をヨリシロにするとまでは聞かされてなかった‥‥」
気まずそうに俯くメイに、王零は白薔薇とアマゾンリリーのキャスケードブーケ、そして彼女の為に作った1対の指輪【OR】【紅と蒼】〜常世を去りし汝らに捧ぐ〜を渡した。
同時に、ブーケを作った「友人」からのメッセージも。
「シモンは、あなたにとって『心からの尊敬』を齎す上司いや情愛の対象でしたでしょう。その『想い』に殉じている気持ちを察し、この花束を贈ります。眺めていれば、もしかしたら花嫁修行をした気分になるかもしれないわよ」
「‥‥シモン様‥‥」
花束と2個の指輪を胸に抱き締め、そのとき初めて少女は声を上げて泣いた。
パーティーが終り、片付けも済んだあと、なでしこは警護も兼ねてメイを病室まで送っていった。
途中、廊下で正規軍兵に手を引かれて泣くアイリスとすれ違う。
「うぇ〜ん。あの森、まるで迷路だったですよ〜‥‥」
「私の妹にって思っていました。妹や従妹とは仲良くできると思いましたのに」
病室に落ち着いた後、なでしこはメイに向かって告げた。
にっこり笑い、
「‥‥今からでもどうですか?」
「え? な、何よ、突然‥‥」
頬を赤らめ、慌てて視線を逸らすメイ。
「あたしは今だってバグアの兵士なのよ? ‥‥でも、まあ‥‥あんたがそう思いたいっていうなら‥‥それはそれで、あたしは構わないけど」
「ありがとうございます、メイ様」
「い、妹なんでしょ? 水くさいじゃない、『様』だなんて」
「あら、そうですね。ふふふ」
照れくさそうにいうメイの手をとり、なでしこは微笑んだ。
「よろしければ、今日の思い出に‥‥何か差し支えない物を頂きたいのですが」
さすがに「形見分け」とはいえない。
「っていわれても、バグアの携帯品は全部HWに置いてきちゃったし‥‥」
小首を傾げたメイは、やがて頭の赤いリボンをスルリと解いた。
「見舞い品だけど、これくらいしか‥‥ついでで悪いけど、これ適当に切り分けて、美緒と紫にも渡しといてくれない? カメルで撃墜された後、あの2人にも世話になったようだし」
●1st day〜evening
夕刻。警護担当となったUNKNOWNは手に林檎をもって病室を訪れた。
「彼とは、思い出があってね‥‥どちらかと言うと、私の相棒の方が印象深いが」
器用に兎型にカットした林檎を勧めつつ、当時の思い出を語る。
「シモンとは、まだオーストラリアに行く以前にカメルで逢っただけなのだけど、ね。相棒が超機械を忘れて、ね」
「それは確かに迂闊よねえ」
「それと、シモンとの『殺しあおう』という約束を果たせなかった、な。あれからの奴はどうだったのかね?
「よく知らない。あたしを迎えにいらした時は、もうヨリシロだったし‥‥」
林檎を囓りつつ、メイが答える。
「でも、気にならないの? あたしはそのシモン様の部下なのよ?」
「ん? 私はバグアだなんだ、など興味はあまりない。技術的な興味はあるがね」
残りの林檎を切り分けつつ、黒服の男はいった。
「私が動くのは市井のため。その普通の生活を護る為、だけだから、な――今は、君も市井だ。私の目から見たら、ね」
「ふうん‥‥そんなものかしら?」
「‥‥どこか、行きたい所はあるかね?」
「そうねえ。日本‥‥は遠すぎるし。カメルじゃ近づいただけで撃墜されちゃいそうだし」
暫く思案の末、メイは答えた。
「この島の上でいいから、飛行機で飛んでみたいわ。最後までこの病室の中なんて、考えただけで息が詰まりそう」
「よろしい」
そのままメイを病室から連れ出し、まるで散歩でもするような気軽さで入り江の方へと向かう。そこには正規軍が上空哨戒用に配備したレシプロ水上機「旋龍」が停泊していた。
無線で誠に確認をとった所、「島の上空に限ってなら‥‥」という条件付きで承認が降りた。
見るからにレトロな機首プロペラが回転し、フロートが波を蹴立てて旋龍が舞い上がる。
夕陽に染め上げられた広大な海を見渡し、サブシートに座ったメイが歓声を上げた。
「――地球の夕日はいつ見ても綺麗、だな」
「そうね。こんな気持ちで夕焼けを見るなんて‥‥何年ぶりかしら?」
「今、生きている事。だからこそ出来る事がある。もう明日はないとしても、だ‥‥忘れる、な」
「憶えとくわ。あと何日‥‥いえ何時間か知らないけど」
旋龍を降り、UNKNOWNと共に病室へ引き返したメイを、ゲックが待ちわびていた。
「どこに行ってたんだ?」
「なに、ちょっとした散歩だよ」
黒服の傭兵が外に出た後、ゲックはカメルの新聞をメイに手渡した。
一面を飾る写真には、奇しくもシモンの傍に控えるメイ自身も写っている。
「お前が逝くのが天国か地獄かは知らんが‥‥そいつがあれば、少しは寂しくなかろう」
それだけいうと、ゲックはさっさと病室を出た。
「シモン様‥‥」
新聞を見つめ涙ぐむメイがふと顔を上げると、そこにリボルバー拳銃を携えた安則が立っていた。
「夜分遅くレディの部屋へやってきたのだから薔薇の花束ぐらい持ってこいとか言われそうだねえ」
そんなことを言いながら拳銃にサプレッサーを取り付け、リボルバーから弾薬を全て抜き、1発だけ貫通弾を装填する。
「メイちゃん。これから君に神の審判を与えるよ。いわゆるロシアンルーレットだ。今から5回引き金を引く。発射されれば君は死ぬ。シモンの右腕、優秀なるメイちゃんとして。だが、発射されなければ君はこれからドンドン衰弱していき、自らの無力さを悟って死ぬ。ただの女のメイちゃんとしてね。これは‥‥シモンの策略で散って行った者たちへの餞だ」
「ま、最後の座興としちゃ面白いわね」
一瞬バグア工作員の顔に戻ったメイは、不敵に笑ってベッドに座り直した。
「ところでロシアンルーレットなんでしょ? ならあたしに撃たせてよ」
眉をひそめる安則に向かって片手を差し出す。
「心配ないわよ? 1発しか弾のない拳銃で、ここから脱走できるなんて思うほどバカじゃないから」
「もっともだ」
軽く肩を竦め、銃身を持ってメイに手渡す安則。
自ら銃口を頭に当てたメイは、無造作にトリガーを引き始めた。
乾いた金属音がきっちり5回、夜の病室に響き渡る。
「神様は君に普通の女の子として死んで欲しいようだ。じゃあ‥‥」
返された拳銃を手に、安則は病室を出た。
「何かあったのですか?」
「いや、ちょっとメイちゃんに意地悪をね」
廊下にいた無月に聞かれ、安則は苦笑しつつ弾倉を振り出した。
装填された貫通弾は最初から火薬を抜いた模擬弾。つまり絶対に弾は出ない仕組みになっていたのだ。
「‥‥ようやく来たのね」
その日最後の警護役となる紫が面を外した素顔で現れたのを見て、メイは少し意味ありげに笑った。
「でも、残念だわ‥‥こうしてお互いゆっくり話せるようになったと思ったら、もう時間切れなんて、ね」
「今更いっても詮無いこと‥‥これも巡り合わせでしょう」
落ち着いた物腰で枕元の椅子に腰掛け、紫も寂しげに微笑む。
暫くの間、何をするでもなくじっとメイを見守る。
「あぁ、寝る前におやすみのキスでもします?」
「ば、バカいわないでよっ。子供じゃあるまいし――」
何故か赤面し、寝返りをうつメイ。
「そうそう。私からもプレゼントがありますよ」
「?」
訝しげに振り向いた少女に、紫は【OR】割れた狐面【右狐】を手渡した。
「これ、前に被ってたお面よね‥‥でも何で半分なの?」
「それが、きっと貴女の逢いたい人の所まで案内してくれる筈です‥‥きっと」
無言で【右狐】を見つめていたメイだが、お面を置いて体を起こし、
「なら、あたしからもお礼をしなきゃね‥‥」
ふいに抱きつくようにして、口づけしてきた。
紫も抵抗はしない。
傭兵の女と少女は唇を重ねたまま互いに抱き合っていたが、やがてメイが顔を離し、ふぅっとため息をもらした。
「これで良かったのかもね‥‥下手にあんたのこと知ってたら、あたし‥‥シモン様と同じくらい好きになっちゃったかもしれない」
もはや言葉は要らなかった。
紫は再びメイの華奢な体を抱き締め、そのまま2人はベッドの上へ倒れ込んだ。
●2nd day〜morning
翌朝から、真彼が診断した通りメイの容態は悪化した。朝食は喉を通らず、体力も1人で立ち上がれない程衰弱していった。
「俺は、お前を助けたかった」
青ざめた顔で横たわるメイの枕元に座り、鷹見 仁は語りかけた。
「お前が敵だって事は承知してるよ。お前がしてきたことが自分自身の意志でしたことだってのもな」
「それが判って‥‥まだ助けたかったの?」
「ああ。別にお前を助けたいと思ったことを感謝しろなんて言うつもりはないさ。これは俺が助けたいと思ったから‥‥俺自身のために、それをしようとしてたんだから」
「‥‥何で?」
「そうだな…知って欲しかったんだ。お前のこと助けたいって思っていたヤツがいたことを。どうすれば助けられるのか、そもそも何から助ければいいのか、それすらも見つけ出すことの出来なかったマヌケだけどな」
「人間の力じゃどうしようもないことってあるわよ‥‥あたしも、シモン様を助けられなかった‥‥」
「忘れても構わないよ。憶えていて貰えるようなたいしたことをした憶えもないからな。だけど、俺は忘れないよ。結麻・メイっていう、自分の信じることのために一生懸命に生きた女の子がいたって事をな」
「憶えとくわよ。こんなあたしでも‥‥精一杯救おうと思ってくれてたヤツがいたこと」
「きっと、忘れない‥‥俺もな」
「‥‥人類や家族のために戦って殺された英雄は名すら知られず、その元凶であるあなたはこうして皆に看取られる。皮肉だと思いませんか?」
「別に、こっちが頼んだ覚えはないわよ?」
レールズの皮肉に対し、メイもまた弱々しく笑いながら答えた。
「それにそう思うなら、何であんたはこの任務に志願したのさ?」
「理屈じゃない。世界がどうとか関係ない。ただ、あなたの事を知りすぎて、死んでしまうのが悲しいから、かもしれませんね」
「それって非合理じゃない?」
「かもしれない‥‥けど、これが俺達とバグアの決定的な違い。例え敵だろうと大切な誰かのために悲しめる。‥‥だから人類は捨てたもんじゃない」
そういって、レールズは少し悲しげに微笑んだ。
「俺が言うのもなんですが‥‥もし、最後に後悔したのなら、あなたの知っている事を教えていただきたい。どんな小さな情報でもいずれ多くの同胞を救う鍵になるでしょう」
「別に後悔はしてないけど‥‥ハリ・アジフに気を付けることね。奴は犯罪者の研究にのめり込むあまり、人間の暗黒面に魅入られた男‥‥それでも人間だった頃は良心や理性とかで抑えてたみたいだけど、今は違う‥‥そのうちNDF計画でとんでもない怪物を生み出すかもしれないわよ?」
「‥‥キムのお墓参りの時に‥‥君に会わなければよかったかもしれない。あの時のことがなければ‥‥僕は、君をずっと敵として認識したままだったはず、だから」
訥々とした口調で、リオンはメイにいった。
「‥‥でも、あの時、みんなで食べたお弁当はおいしかったし、楽しかった。君が、バグア側の人間でなければ‥‥いまさらだけど、最近はこんな風に思ったりするんだ‥‥」
何かいいかけたメイに、一通の封書を渡す。
彼は出発前、L・HでSIVA傭兵となった中島・茜に会い、メイへの伝言を言付かっていた。
『正直、おまえのこと一発ぶん殴ってやりてえよ。でもその前に体を治せよな? 相手が病人じゃ殴れねーだろ』
メッセージに添えられた、健康祈願の御守。
「茜らしいわ‥‥」
くすっ、とメイの口許から笑みがこぼれる。
「あの時撮った写真‥‥大切にする。僕は、君のこと‥‥ぜったいに、忘れない。そして‥‥君のような子を、増やさないためにも‥‥僕は、これからも、戦う‥‥」
「分校の子達のこと‥‥よろしくね。あたしがいえた義理じゃないけど」
ふとメイは真顔になり、リオンの目を見つめた。
「あたしがカメルに残したデータを見つけたら‥‥アジフは必ず興味を持つ。‥‥守ってあげて」
「シモンに止めを刺した者として、彼の最後の姿を――俺の知っている限り伝える‥‥」
恨みを買うのを承知のうえで、トヲイは真実を告げた。
シモンは数百機のKVを相手に鬼神の如く戦い抜き、そして、撃墜されたこと。
命を捨て去る覚悟で挑まなければ、一撃を与える事すら出来無い程の強敵であったことを。
「敵を敵として認識し、無駄な遊びをしない彼に、俺は最大級の敬意を払う。シモンは敵ながら天晴れな男だった」
「もういいわ‥‥」
瞳一杯に涙を浮かべ、メイは枕の上でかぶりを振った。
「あんたみたいな男に討たれたのなら‥‥シモン様も本望よ、きっと」
●2nd day〜afternoon
メイは昼食にも全く口をつけず、逆に大量の血を吐いた。
一般人なら既に面会謝絶の状態だが、それでも傭兵としての監視任務は続けなければならない。
島外から戻ったリヒトが病室警護の当番についたとき、ふいにメイが「外に出たい」と言い出した。
軍医や誠と相談した末、リヒトは彼女を車椅子に乗せ、病院の中庭に出た。
「ここに、貴女の友人達からの伝言があります。これをどうするかは‥‥メイにお任せします」
リヒトもまた、里親に預けられたりL・Hの一般人向け学園に転校した元「分校」生徒達の元を巡り、メイへのメッセージを集めていたのだ。
色紙への寄せ書きという形で書かれたその中には、
『アイちゃん、早く元気になってね』
『また、みんなでおべんとう食べよう』
『今度L・Hにも遊びに来てください』
バグア工作員という正体を知った今でも、彼らにとってメイは優しい姉や可愛い妹代りだった「結城・アイ」なのだろう。
暫くじっと色紙を見つめていたメイが、顔を上げ車椅子を押すリヒトに訊いた。
「ごめんなさい。これ‥‥何が書いてあるの?」
「え?」
「読めないのよ。目が‥‥見えない」
「‥‥!」
リヒトは直ちに無線を取り、誠を含め、島にいる全ての仲間達を呼び集めた。
●2nd day〜evening
メイ自身の希望により、最期の場所は両親が眠るカメル方向の海岸に決められた。
リヒトが押す車椅子に座ったメイの全身が、燃え尽きる寸前の蝋燭のごとく赤い光に包まれた。FFの最後の輝きの中、少女の体が徐々に崩れ始めていく。
「あんたが塵になっても、あんたに立ち向かった記憶は消えやしないのね。少し腹立たしいわ!」
周囲で見守る傭兵達の中で、宙華が突然叫んだ。
「‥‥彼(シモン)の記憶に残れたかどうかは怪しいのにね。‥‥。せいぜいあたしの脳髄の中で朽ちるといいわ。おいでませ、でもってじゃあね!」
誰も責める者はいない。
一見毒舌ともとれるその言葉が、もう立ち上がれないメイと、何も出来ない宙華自身に対するやるせなさだと判っているから。
朽ちていくメイを見やりつつ、ヨリシロ前のダム・ダルや「バグアのサムライ」を名乗ったあの戦士の姿も重ねて宙華は黙祷する。彼らとの別れは曖昧だっただけに、何処かで折り合いをつけたかったのかもしれない。
「汝が今から逝く場所にはきっとシモンがいるだろう‥‥奴によろしくと伝えてくれ」
「旅の終着点でシモンに逢ったら伝えてくれ。いつの日か俺が鬼籍に入った時、地獄で心ゆくまで語りあかそう‥‥と」
消えゆく少女に向かい、王零が、トヲイが手向けの言葉を贈る。
間もなくFFの赤光も薄れ、メイの体が塵の如く崩れ去った時――。
『ゴメンナサイ』
傭兵達の耳には、確かにそう聞こえた。
誰に対して、何を詫びたのか――それは永遠に判らない事だが。
「‥‥さよなら。そして、おやすみ‥‥」
誰に言うともなく、リオンが呟く。
「如何に進化しようと死ありき故に抗い足掻き争うか」
「彼ら」にも死が同等に訪れることを改めて確認し、宙華は天を仰いだ。
既に任務は終了したが、傭兵達の多くは夜になってもその場を去らなかった。
紫は「遺品」となって手元に還ってきた【右狐】を浜辺で燃やした。
「‥‥今、そっちに逝った子の事お願いね。寂しくないように」
木製の面の片割れが、橙色の炎の中でたちまち炭化し崩れていく。
「これで‥‥また、未練が消えてしまったわ。どうすればいいのかしらね? 本当に‥‥ほんっ、とうに‥‥っ!」
両手で顔を覆い、紫は砂浜にくずおれる。
「何時まで‥‥? 何時まで私は『ココ』に居ればいいの? こんな色も音も無い世界で、何時まで生きていればいいのっ!? どうして生きなくちゃいけなかったの! あなたの居ない世界に、意味なんて何もなかったのに! どうしてよっ‥‥どうしてっ――」
美緒は前日のパーティーで撮ったメイの写真を海に流した。
「悲恋は苦手です‥‥けれど彼と彼女にとっては、これも幸せな結末なのでしょうか?」
メイの遺体は文字通り一片の骨さえ残らなかった。
それでもゲックは海岸に穴を掘り、シモンとメイが並んで写った新聞、そしてなでしこから切り分けてもらったリボンの切れ端を添えて埋葬した。
「‥‥もう戦う必要は無いんだ。あの世じや、ちゃんと歳相応のガキでいろよ」
王零もその傍らに穴を掘ると、「射手座」とその部下としてではなく、シモンという男と結麻・メイという女の子の為に隣り合わせの墓を作り、その両方に【紅と蒼】の指輪を埋め込んだ。
「二人ともあの世では幸せにな」
南洋の名も無き小島。
その浜辺に寄り添うように建てられた2つの墓標。
それは、ひと夏の蝉のごとく儚い人生を生きた少女の――。
<了>