●リプレイ本文
「さ、寒いですよ〜!」
己の両肩をひしと抱き、アイリス(
ga3942)が叫んだ。
現在、彼女が立っているのは空母「サラスワティ」のウェル・ドック(艦尾格納庫)。
水中用KVの緊急発進に備えてシャッターを開放しているため、殆ど吹きさらし状態である。しかも気温は氷点下を遙かに下回り、気分は冷凍庫の中にいるのも同然だ。
一応、防寒対策としてピーコートやニット帽など着込んできたものの、いかに能力者といえどもそんな冬服程度で耐えられる寒さではなかった。
「そりゃ寒いでしょう。5月とはいえ、北極圏はまだ冬季ですから」
フード付きの分厚い防寒服をアイリスに手渡しながら、空母の整備員が苦笑いした。
現在、「サラスワティ」はベーリング海峡を通過して3日目。大型砕氷船「極光」の水先案内を受け、ユーラシア大陸北岸に沿ったいわゆる「北極海航路」を大西洋目指して航行中である。
イタリア半島を中心に、目下地中海沿岸で繰り広げられている大規模戦闘に参戦するための最短コースであるが、そこには海氷で覆われ、平均気温−30度前後という極寒の海が待ち受けていた。
「すっごく寒いですけど、北極海での船団護衛、がんばるですよ。水中戦も今回が初めてですから、気を引き締めないと‥‥でも寒いですよ〜!」
「サラスワティ」の後方には軍需物資を満載した輸送船3隻が続き、また前を行く「極光」じたいも砕氷輸送船として数千tに及ぶ物資を積載している。
つまりこれは「サラスワティ」の大西洋回航と同時に、欧州のUPC軍を支援するための船団護衛任務でもあった。
「白、白、白‥‥。気温だけじゃなく、風景だけで魂が凍りつきそうな場所ですね」
同じ頃、空母の飛行甲板上では「サラスワティ」初搭乗となる新条 拓那(
ga1294)が、艦橋内から外の様子を見に現れたラクスミ・ファラーム(gz0031)に微笑しつつ話しかけていた。
「御疲れ様です、王女殿下。これだけ長丁場の仕事も珍しいですね。俺らも頑張りますから、王女も無理はなさらないで下さい。お肌も荒れますし」
「うむ‥‥わらわも、よもや冬の北極海を横断するはめになるとは思わなかったぞ」
非覚醒でも常人離れした体力を有する能力者だからこそ防寒服を着る程度で済むが、一般人であるラクスミやその他のデッキクルー達は、外に出るとき必ず凍傷防止のためエベレスト登山隊員のごとく分厚いマスクにゴーグルで顔を保護している。
「お久しぶりです。長旅となりますが、また貴艦でお世話になります」
リヒト・グラオベン(
ga2826)もまた王女に挨拶した。
SES機関搭載の新鋭艦「極光」の驚異的な砕氷能力により従来の2倍以上の速度で氷海を押し渡っているといえ、それでも北極海を抜け大西洋へ到達するまであと1週間はかかるだろう。
「ラスト・ホープの高速移動艇ならひとっ飛びであろうに‥‥こんな時、空を飛べぬ軍艦は不便じゃのう」
「まあ仕方ありませんよ‥‥疲れには甘い物が良いと聞きます。よろしければ如何です?」
そういうと、リヒトは持参した紅白饅頭を差し出した。
「さっき李君達にもお菓子をあげましたが、殿下とシンハ中佐には特に縁起が良いとされるこのお饅頭を、と思いまして」
「これはすまぬの‥‥シンハにも渡しておこう」
礼をいいながら紅白饅頭の包みを受け取ると、ラクスミはデッキ上の作業を見回るためその場を離れた。
途中、エレベータで格納庫から昇ってきた鷹見 仁(
ga0232)とすれ違うと、なぜか気まずそうに顔をそらしてそそくさと通り過ぎる。
「‥‥?」
拓那とリヒトから「今のが王女だ」と聞かされ、仁はちょっと残念そうに振り返った。
「何だ‥‥戦闘依頼でこの艦に乗るのは初めてだし、今度こそ王女に会えると楽しみにしてたんだがな‥‥」
「はぁ〜この変な船に乗るのも3度目か‥‥ま、報酬はええねんけどな」
デッキ上の別の一角では、空母とも巡洋戦艦ともつかぬ「サラスワティ」の武骨な艦橋を見上げつつ、時雨・奏(
ga4779)が呟いていた。
「とはいえ‥‥ポイントはヨーロッパ攻防戦が相手にどれだけ伝わってるか、やな。場合によっては、かなり割に合わん仕事になるかもしれん」
ふと人の気配に振り返ると、そこに銀髪碧眼の華奢な少女が、人形のような無表情で佇んでいた。
「どや? マリアも元気してるか〜バイトは頑張ってるか〜?」
「うん。‥‥今はお休みしてるけど」
某国の違法計画により強制的にエミタを移植された少女。紆余曲折を経て現在はラスト・ホープで花屋のバイト店員と傭兵の掛け持ち生活を送っているが、その時店探しを手伝った傭兵達の1人が奏だった。
マリア本人は、せっかく仕事を覚えかけた所で大規模作戦が始まったため、店を長期休暇しなければならないのが残念そうな口ぶりだったが、元々傭兵業の元手を稼ぐためのバイトなのだから、こればかりは仕方がない。
「うんうん、がんばっとる子にはわしからプレゼントをやろう」
奏は持っていた鞄からセーラー服とコサージュを取り出し、マリアに贈った。
空母=水兵=セーラー服、という繋がりだったのだが‥‥。
「ありがとう‥‥でも、それもう持ってる‥‥」
防寒服の襟元を開くと、彼女は既に同じセーラー服をしっかり着込んでいた。
「他の傭兵の人にもらった‥‥流行ってるの? 女の子に、この制服贈るの」
「‥‥うん、正直すまんかった‥‥この船に華が無かったもんでつい‥‥」
まあ、マリアに女の子としておしゃれの楽しみを覚えて欲しいという、兄心でもあったのだが。
何やら引っ込みがつかなくなった奏は「洗い替え」ということでセーラー服を渡し、
「しゃあないのう、とっておきのアーム・リングもやろう」
と、能力者専用の指輪も渡してやるのだった。
奏から贈られたセーラー服とアクセサリーをパイロット用控え室に置くため艦内に戻ったマリアの肩を、赤いツインテールを長く伸ばした少女がポンと叩いた。
「お久しぶりなんだねっ」
「あ、かなめ‥‥」
かつてカメル共和国では敵味方として戦い、ラスト・ホープに保護されてから初めて心を開いた八重樫 かなめ(
ga3045)の顔を目にして、マリアがぎこちなく微笑む。
「うんとね、ある傭兵さんからきみに伝言なんだよ。『自分に自信を持ち、無理はしないように。君は自由を勝ち取れたのだから』だってさ」
「自由を‥‥」
マリアは少しはにかんだように、防寒服の上からそっと自分の胸に手を押し当てた。
その下のセーラー服に飾られた自由解放軍章――伝言主は、おそらくこれをくれた同じ傭兵だろう。
「――じゃ、頑張って船を護衛しよっか?」
北極圏横断にあたっての障害は、むろん寒気や海氷だけではない。
UPC軍からの情報によれば、この海域で少なくとも2種類の水中型ワームの活動が確認されているという。
厚い氷が海を覆っているため空母のアスロックは使えず、また砕氷船が切り開いた一本道を前進することしかできない船団がここで奇襲を受けてはひとたまりもない。
そのため、傭兵達は自らの搭乗機に加え空母搭載の岩龍、W−01、それに哨戒ヘリまで動員し、空と水中を24時間に渡って警戒するローテーションを組んでいた。
「しかしメガロドンか‥‥ワームなのを幸いと見るか、はたまたワームゆえに最悪と見るか‥‥?」
KF−14を操縦し船団周辺の海中を哨戒しつつ、九条・命(
ga0148)は独りごちた。
出現が予想される2種類の一方がメガロ・ワーム。鮫をそのまま巨大化させたような外観のワームだという。名前の由来は、いうまでもなく最大体長15mにも及んだという古代生物の巨大鮫であろう。水中キメラで似たような鮫型タイプも報告されているが、ワームというからには全く別物と考えてかかる必要がある。
「生と機械、どちらが出て来ても迷惑な事には変わりないが‥‥」
命は昔見た某パニック映画シリーズの3作目や某小説を思い出し、生身で相手をしなくて良い分、個人的にはワームの方がマシだな、と思った。
「空母に戻ったら‥‥あのビデオと小説、休憩時にでもまた見直すか」
「よぉし! 頑張って守るんだねっ」
空母搭載のW−01を借り、命とペアを組む形で水中哨戒にあたるかなめは張り切って操縦桿を握った。
ラスト・ホープを出発した当初から、暇を見て水中用KVの操縦訓練に余念がない。また北極海の海流や海底地形に関しては事前に研究所に申請してデータを貰い、KVの戦術コンピュータにダウンロードしてある。
もう一つ重要なのは気象情報。従来の気象衛星・観測衛星の類がバグア軍に全て破壊されてしまったため、北極圏のように測候所の少ない地域ではまともな天気予報も出せないのが実情だ。
ただし「極光」乗組員の中には、過去何らかの形で北極圏の観測に携わっていた者が少なくない。彼らの長年に渡る経験と勘が頼りになると判断したかなめは、折りをみて「極光」と通信を取り合い、出来る限り正確な天候情報を把握できるよう努めていた。
同じ水中用KVといえ、KF−14とW−01では機体性能に若干の差がある。具体的には機動力に優れたKF−14、防御重視のW−01ということになるか。
そのため通常の哨戒任務中は両機ともなるべく足並みを揃え、過度には離れないよう心がけ行動していた。
また海中の異状に対しては、肉眼とセンサーに勘と直感を併せて警戒。水中用KVの索敵範囲は5〜7kmと母艦ソナーより広いので、哨戒というより偵察に近い形の調査という意味合いもあった。
優先すべき護衛対象は、何といっても先頭を行く「極光」である。肝心の砕氷船を沈められては、船団全体が氷に阻まれ立ち往生という最悪の状態になってしまうだろう。
コクピットの強化ガラスの向こうに広がる極北の海中はただ暗く冷たく、今の所センサーに映る敵影はない――。
(「北極海は初めてです。この時期はどうなっているのでしょうか?」)
上空警戒にあたる櫻小路・なでしこ(
ga3607)は、小首を傾げながらS−01の操縦席から眼下に広がる氷の海を見渡した。
北極圏は6月頃から夏期に入るのでそろそろ氷も溶け出す時期なのだが、素人目にはただ氷山と海氷の広がる白い世界、としか映らない。
『そちらは、大丈夫ですか?』
『あいあーい。異状なしアルよ!』
通信機の向こうから、ペアを組む岩龍の李・海花(リー・ハイファ)の声がノイズ混じりに返ってくる。特殊電子波長装置を作動させているにもかかわらず通信状態が悪いのは、バグア軍のジャミングではなく北極圏特有の磁気嵐の影響であろうか。
哨戒ヘリや母艦のレーダー、ソナーを含め、今の所データリンクを介して入ってくる情報にも怪しい機影はない。
だが、なでしこにはどうしても気がかりな事があった。
件数は多くないものの、ここ北極海においてもUPC軍の偵察機や潜水艦が相次いで消息を絶っているという。
(「情報部は「敵水中ワームの攻撃」と考えているようですけれど‥‥」)
現在欧州で猛威を振っているファームライドや地中ワームの件を思い合わせると、どうしても胸騒ぎがしてならないのだ。
だが幸い周辺空域に異状は見つからず、6時間に及ぶ長い哨戒飛行も交替時間が近づいてきた。
『では、そろそろ戻りましょうか? ‥‥もし今回の大規模作戦が落ち着いたら、王女や海狼君、それにマリアさん達ともお茶会がしたいですね』
能力者とはいえまだ幼い海花を労るように通信を送ると、なでしこは翼を翻し空母へと帰投していった。
初めて「敵影」を捉えたのは、KF−14で水中哨戒にあたっていた如月・由梨(
ga1805)だった。
距離5千m、3時の方角より急速接近する水中物体が4つ。
まだ目視確認はできないが、KVのセンサーが捉えたその影は、ちょうど小型ヘルメットワームと同等の大きさだ。
(「あれが水中ワーム‥‥!」)
覚醒で赤く染まった由梨の瞳に、緊張が走る。
もう幾度か水中戦をこなしだいぶ慣れてきたといえ、相手は今までの水中型キメラとはわけが違う。
母艦に敵機発見の報せを送ると共に、ちょうどペアを組んでいたW−01のマリアにも連絡。2機のKVは牽制のため熱源感知ホーミングミサイルを発射後、空母から発進してくる仲間達と合流するため後退に入った。
数百m先で連続して水中爆発が発生し、衝撃波がKVの機体をも激しく揺さぶる。
激しく泡立つ水中の彼方から、淡紅色の光の矢が4条、由梨達を狙って放たれてきた。
(「――プロトン砲!」)
人類側のレーザーとも粒子加速砲とも違う。水中であっても一切減衰しない、未知なるエネルギー兵器。
「くっ‥‥!」
ブーストをかけ辛うじて回避。
だが機動性の低いマリアの機体が逃げ遅れ、2条の光線を浴びてしまった。
『マリアさん!?』
『‥‥大丈夫』
無線を通して、いつも通り抑揚のない声が返ってくる。
無改造では非物理攻撃に脆いW−01だが、「サラスワティ」専用機としてそれなりに抵抗力も強化してあるのが幸いしたようだ。
安堵した由梨の目に、海底から急速に距離を詰めてくるワームの機影が映った。
マンタ・ワーム――その名のごとく、通常のヘルメットワームに比べるとやや扁平で、エイを思わせる外観のバグア機は、水中用KVを上回るスピードで由梨とマリアを素早く包囲し退路を塞いだ。
やむなく由梨はKF−14を人型変形させ、水中用ディフェンダーを盾代わりに構えつつ、先刻の熱感知ミサイルで損傷したワームを狙いガウスガンを発射する。
マリアもまた人型に変形したW−01の両腕からレーザークローを伸ばし、二人は互いの背後を守る形でワームの包囲網に対峙した。
2機を取り囲んだマンタ・ワームたちが至近距離から収束フェザー砲を放とうとしたとき、上方から白い泡の航跡を曳いて走ってきた重魚雷が命中し、平たい機体が水中で木の葉のように回転した。
空母から発進したアイリス、かなめのW−01、そして命、奏、緋霧 絢(
ga3668)のKF−14が救援に駆けつけたのだ。
数で逆転した傭兵たちは逆襲に転じた。
「大鮫退治のつもりだったが‥‥別にエイでも構わんか」
「サメはもちろん、マンタも臭みはあるが旨いそうやで!」
水中用KV7機の集中攻撃を受けたマンタのうち、間もなく2機が爆発。
残りの2機は一目散に海面へ向けて逃走した。
氷の天井を突き破り、そのまま空中へと飛翔する。
だが、そこには予め上空待機中のKV部隊が待ち受けていた。
「空に上がれば手薄だと思ったかな? ざーんねん、こちらもそれは織り込み済みさ」
拓那、リヒト、仁のディアブロ。そしてなでしこのS−01。
由梨から第一報を受けた時点で、敵ワームの空中逃亡に備え「サラスワティ」から発艦していたのだ。
マンタ・ワームもプロトン砲を放って抵抗するも、その動きはHワームに比べて格段に鈍い。なまじ水中戦機能を持たせた分、空戦性能を犠牲にせざるをえなかったのだろう。
最新鋭のディアブロ3機と強化されたS−01の集中砲火を浴び、わずか数分の後には残り2機のワームも爆散し、黒い破片を極北の氷原にぶちまけた。
早ければ1日程度で終わる通常の戦闘依頼に比べ、船団護衛は長期に渡る地味で過酷な任務だ。
マンタ・ワームによる最初の襲撃を無事撃退した後も、傭兵達は海と空を2機ずつが6時間の哨戒、交代後は練力回復のため18時間休憩、というローテーションを繰り返した。
休憩中の過ごし方は、傭兵により様々である。
傭兵アイドルユニット『IMP』に所属する絢の場合、パイロット用の個室や艦内の空きスペースで歌とダンスのレッスンを熱心に行っていた。
その日も戦闘機格納庫の片隅を借り1人で踊っていると、プリネア海軍の水兵達が数名、おずおずと近寄ってきた。
「あのう‥‥『IMP』の緋霧さんですよね?」
「はい。そうですけど‥‥?」
ダンスを止め、タオルで汗を拭きながら答える絢。
「やっぱり! いやあ、以前のシーサーペント狩りのとき、CDとプロモーションDVDを貰ったじゃないですか? あれ以来のファンなんです、俺たち」
そういうなり、空母のクルー達は手に手に色紙とサインペンを差し出してきた。
アイドルというにはどこか硬質の、まるで人形かアンドロイドの様な印象を与える絢だが、「そこがまたいい」というファンは少なくない。
彼女が慣れた手つきで次々サインしてやると、
「実は、いま食堂の方で北極点通過記念のパーティーをやってるんです。できたら、緋霧さんに何か歌って頂ければ嬉しいんですけど‥‥」
厳密にいえば「サラスワティ」は北極点の真上を通過するわけではない。
分厚い永久氷を避けながら現在はカラ海を航行中だが、今回の航路では一番極点に近い位置なので、気分だけでも――ということらしい。
「それでは、あまり上手ではないかもしれませんが披露させていただきます」
絢は快く引き受け、そのままクルー達と兵士食堂へと向かった。
食堂のテーブルには北極圏の地図をデコレーションした大きなケーキが置かれ、その回りで水兵や海兵隊員達がビールを飲んで騒いでいる。
パーティー会場に絢が現れるなり、兵士達は一斉に床を踏み鳴らし、拍手と口笛で出迎えた。
食堂に運び込まれたカラオケのマイクを渡され、絢は以前に自らクルー達に送ったCDをBGMに、『IMP』のレパートリーを歌った。
同じ食堂の一角では由梨が持参したポットセットで仲間の傭兵達に温かい飲み物を振る舞い、かなめは整備担当のクルー達とKV談義に興じている。
その頃、リヒトは1人コーヒーを片手にデッキ上に昇り、骨身まで染みる氷点下の寒風に身をさらしつつ、じっとユーラシア大陸の方角を見つめていた。
彼はドイツ人と日本人のハーフだが、実際に幼年期を過ごしたのはこの海の先にあるロシアであり、その意味では第2の故郷といっていい。
(「今はバグアの侵略で東西に引き裂かれてしまいましたが‥‥いつかまた、人類の手に取り戻せる日がくるのでしょうか‥‥?」)
そしてこれから向かう欧州の戦場にも思いを馳せる若者の頭上では、オーロラの光が音もなく揺れていた。
「どうした? おまえはパーティーに参加せんのか?」
艦内通路のベンチに座り、ぼんやり壁を見つめていた仁に、話しかける者がいた。
振り向くと、そこにプリネア海軍の女性士官服に身を包んだ少女が立っていた。
「彼女」だ。この空母に乗るたびに出会うものの、まだ名前さえ聞いたことがない。
「いや‥‥俺たちの任務は輸送船を守ること。そしてサラスワティと共に戦場である欧州まで送り届けることだ。それを思えば、気を抜くわけにいかないしな」
「ふふ‥‥それは頼もしいな。じゃが、休める時はしっかり休んでおけ。まだ先は長いしの」
少女は緑色の瞳を細めて笑うと、すぐ傍らの自販機でホットの缶コーヒーを買い、ポンと仁の方へ投げ渡した。
「わら‥‥いやわたしからの奢りじゃ。その代わり、船団護衛の方はしっかり頼むぞ」
それから数日――散発的にマンタ・ワームの襲来はあったものの、傭兵達のKVがスクランブルをかけると分が悪いと見たのか、すぐ逃げ去っていった。
船団が大西洋への玄関口ともいうべきバレンツ海に差しかかったその日、にわかに天候が崩れ、怖れていたブリザードが吹き荒れ始めた。
とりあえずヘリと飛行KVによる空中哨戒は取りやめ、かなめ、命、そしてW−01に乗り換えたなでしこが3機体制で水中哨戒にあたっていた。
水中用KVの深度限界に近いで水深70mあたりまで潜ると、海上で吹き荒れる嵐が嘘のような静けさだ。
「極光」の先を行く形で前方警戒を担当していたなでしこ機のセンサーに、ふいに見慣れぬ影が反応した。
「この大きさは‥‥鯨? でも、形が‥‥」
センサーの捕らえたその影は、鯨にしては細長く寸胴だ。むしろ大海蛇といったほうが近い。一瞬キメラのシーサーペントかと疑ったが、それにしては大きすぎる。
「全長20m以上‥‥まさか!?」
なでしこの胸を、いま欧州で暴れ回っているという地中ワーム、アースクエイクの情報が過ぎった。
今の所アースクエイクは「地中ワーム」として認識されているが、奴が「水中で行動できない」という保証があるわけでもない。
急いで空母のデータリンクを介して後方左右に展開する僚機にも事態を知らせ、さらに詳細な情報を調べようとしたが、その前にアースクエイクらしき影はセンサーの探知圏外へと泳ぎ去ってしまった。
代わって、こちらへ向かってくる別の影が2つ。
KVとほぼ同じ大きさを持つそれは、まるで鮫を巨大化させたような――。
「メガロ・ワーム!?」
なでしこは再びデータリンクに情報を送り、母艦で待機中の水中用KV全機のスクランブルを依頼した。
空母からの返信は驚くべきもので、この悪天候をついて接近するマンタ・ワーム4機の編隊をレーダーが捉えたという。
やはり、バグアに船団を無事に通すつもりなどなかったのだ。
とりあえず拓那、リヒト、仁のディアブロ3機が迎撃に上がって岩龍は甲板上から電子支援、そして絢、アイリス、由梨、奏、マリアが各自水中用KVに乗って応援に駆けつける、とのことだった。
水中戦専用に特化しているだけあり、メガロ・ワームの動きはマンタ・ワームなど比べものにならぬほど素早かった。
傭兵達が一斉に発射した重魚雷や熱感知ミサイルを軽々とかわして一気に距離を詰めるや、フォースフィールドを張って強烈な体当たりをかけてくる。
プロトン砲のような飛び道具はないようだが、この体当たりを喰らっただけで輸送船などはひとたまりもないだろう。
砕氷船を庇う位置からガウスガンを撃つかなめ機を狙い、巨大な魚雷のごとく突進していくメガロ。その鼻先にマリアのW−01が飛び込み、全身でワームの体当たりを食い止めた。
W−01の分厚い装甲がギシっと軋む音が、海水を通してかなめの耳にも届く。
『マリアちゃん!?』
『前は、かなめがこうやって守ってくれた‥‥だから、今度は、私が‥‥』
一瞬動きを止めた巨大鮫めがけ絢がブーストで急接近、水中用太刀「氷雨」の斬撃を叩き込む。
暗い海中に血ともオイルともつかぬ液体をまき散らし、もんどりうって苦しむワームの土手っ腹をかなめのキングフィッシャーが貫いた。
残り1機となっても執拗に砕氷船を狙うメガロ・ワームに、アイリスが残弾の重魚雷を立て続けに連射。これは全てかわされたが、魚雷の航跡に隠れる形で奏がブーストで肉迫した。
「外れてくれるなよ‥‥大枚はたいて用意したんやからな」
近接距離からツインドリルの水中版、ツインジャイロを叩き込む。
そこに命のKF−14がガウスガンを撃ちまくりながら突入。
強化ガラス越しに大きく広がる敵の顔は――。
「(‥‥やっぱりな。奴らに表情なんて有って無いようなものだ)」
「Smile you son of a bitch!」
頭部を狙ってレーザークローの爪を突き立てると、生体機械の巨大鮫は2、3度ビクビク痙攣した後――動きを止め、ゆっくり海底へと沈んでいった。
拓那機の発したG放電の雷がマンタ・ワームの機体をとらえ、左右にぐらつかせる。
「その名の如く‥‥穿て!」
アグレッシブ・フォースを発動させ、リヒトが試作型レールガン「ブリューナク」を叩き込んだ後、すかさずブーストで突入し高分子レーザーでとどめをさした。
3対3の同数に持ち込んだ所でさらに攻勢をかけようとしたとき、何を考えたかワーム達が突然慣性制御で方向を変え、遙かグリーンランド方面へと逃れていった。
「何だ? 奴ら、やけに諦めがいいな‥‥」
訝しげにレーダースクリーンを覗き込んだ拓那の目に、十数個の光点と友軍機である事を示すIFF信号が映った。
『こちらUPC欧州海軍、グラーフ大尉。アジアから来た友人達を歓迎する』
このブリザードの中、欧州軍が空母部隊を派遣して一足先に出迎えに来てくれたのだ。
「北海のバカンスも終わり‥‥といったところですね」
水中班のKVからメガロ・ワーム殲滅の報告を受け、リヒトが軽くため息をつく。
「サラスワティ」と輸送船団は、ようやく欧州の玄関口までたどり着いた。
しかしさらにその遙か先、イタリア半島と地中海沿岸においては、既にUPC・バグア両軍の総力を挙げた大規模戦闘が開始されていたのである。
<了>