●リプレイ本文
●色添える
十二月二十四日、クリスマス・イヴ。
未だ夕方の空からはちらりちらりと白い結晶が見え始めてはいるけれど、積もりそうなほどの量ではない。
(「まぁ、晴れようと雪が降ろうと聖夜は聖夜だけどね」)
百地・悠季(
ga8270)はそんなことを考え、ついで自らの手に視線を落とした。
その指には、彼女にとって特別な人がくれた指輪が嵌められている。
――見ているうちに、
「あっ」
いつの間にかにやけてしまっていた自分に気づき、我に返ると急いで足を動かしだす。
もうそろそろイベントが始まる時間ではないか。
特別な人は、先に行って待っているはず。
ここで遅れては女が廃る――そう考えながら、悠季は小走りに道を駆けていった。
「コンサート?」
「そ。パーティでミニコンサートをするつもりなんだ。演奏できるみんなを誘ってさ。
出来れば放送で使えないかな? 面白いと思うんだ」
イベントが始まって間もなく。
クリスマスレイディオとの中継の準備を行っていた自分のもとへやってきたアダム・シンクレア(
gb4344)の提案に対し、うーんと、と呟いてアスナはログハウスの外を見る。
会場となる広場の一角、ログハウスから見るとすぐ右側に、小さなステージが準備されていた。
例年は見ないものだが、今年は急遽使うことになったとか。つまり――、
「あれってそういうことだったのね‥‥」
ああ、とアダムは肯く。
それを見、アスナも肯き返して答えた。
「分かったわ。その時間を狙って中継を入れられるようにしてみる」
ちなみにイベントの実行委員会への事前申請はアルヴァイム(
ga5051)が行ったものだったりする。
そのアルヴァイムはコンサートの開催申請以外にもイベント全体に関わる準備をいくつか施し、今はダブルのスーツの上にインバネスコートとマフラーを纏って待ち人をしていた。
彼にとって、今という時間は少なくとも一年前には想像もつかなかったものである。
(「運命とか言う、よく解らないもののせいだろうか――皮肉なものだな」)
尤も、皮肉ではあってもそう悪いものではない。
そんなことを考えていると、
「お待たせ」
待ち人――悠季が姿を現した。赤い髪はシニョン・スタイルにまとめ、長袖の黒いドレスの上に茶色のビーコートを羽織っている。少し急いできたのか、頬が少し上気していた。
その頃になると、緩やかな一般人の波に能力者たちも広場に姿を見せ始めた。
●素直になれずに
アスナとて、ずっとログハウスの中に籠っているわけではない。
電話による中継が行われるまでの間は地元のボランティアに混ざって、屋台を切り盛りしている。曰く、
「傭兵は私が招待したようなものなんだから、私が責任もたないとね」
ということらしい。まぁ、責任に関わるほどのことなど起こりはしないだろうけれど。
そんなアスナの前にも、数人の能力者が姿を見せた。それぞれに挨拶と御礼の言葉を携えて。
その中でも特に気合いが入っていたのは
「此処がアスナの故郷か――何時ぞやの約束、果たせるかもしれん‥‥」
ばっちりタキシードで決めた夜十字・信人(
ga8235)である。
彼の場合恋人であるアスナに挨拶というのは今更。挨拶の対象は――アスナの両親だったりするわけで。
「え、まさかそのために?」
「当たり前じゃないか。お土産の日本酒もしっかりあるぞ」
一通り能力者たちとの挨拶が終わった後のアスナに問われ、一升瓶が中に入っていると思われる袋を軽く叩く信人。
まさかこのタイミングで。多少面喰ったアスナだったけれど、確かにそういう約束は以前してある。
彼だっていつでもここに来ることができるわけではない。なら――。
「ちょっとこっち、来て」
信人を引っ張って屋台から抜け出し、「んーと」と周囲の屋台をきょろきょろ見回すアスナ。
やがてある方向に目的の人物の姿を見つけたらしく、やはり信人を引っ張ったまま小走り。
――そして。
「父さん、母さん、あのね――」
「お初にお目にかかります。自分は夜十字信人。アスナさんには本当にお世話に――」
屋台の裏で、やや緊張気味の信人はアスナの両親との対面を果たしたのだった。
その対面の場所から、少し離れたベンチ。
「ん、ここよさそうだな」
「そうですね」
アダムと戸隠 いづな(
gb4131)は空席を見つけると、そこに腰かける。
二人の手には五平餅と、温かいお茶。ともに屋台で貰ってきたものだ。
――ちなみにその時に写真を撮られたのは元からそういうサービスなわけではないのだけれど、それは後で触れるとして。
手にとって食べようとする二人。けれど、
「手が悴んで、上手く食べられませんね‥‥」
いづなはそんなことを言い出した。
「なので‥‥そのー‥‥食べさせて‥‥」
少し顔を赤らめるいづな。
「――分かったよ」
半ば予想していたのだろうか。アダムは苦笑し、言われるがままにいづなが持っていた五平餅を受け取る。
そして――あーん。
いづなのお願いはこれだけにはとどまらなかった。
食事が終わるや否や、防寒具を脱ぎながらアダムに身体を寄せ――彼のダウンジャケットに潜り込む。
「ほら、こうした方がお互い暖かいですし――た、他意は無いですからね!」
言葉とは裏腹、虚空を泳いでいる視線にはありありと他意が見えるのだけど。
(「誘った時は『行ってあげても良い』だったのにな――やれやれ」)
いづなに気づかれないように、アダムは小さく苦笑した。
それから更に少しだけの時間が経つと、巨木の下にいくつかの脚立が用意され――人々が、各々に枝に袋をかけ始めた。
「‥‥あれ、行くか」
「そうですね」
アダムといづなは立ち上がると――巨木の下へと向かう。
するとまた、いづなはアダムに告げた。
「肩車してもらっていいですか?」
脚立を使って枝にかけようとする人の列は長く――それに、他にも肩車で枝にかけようとする人の姿もちらほら見える。
「ついでに俺の分もかけておいてくれよ」
と言いながらアダムは肯き、枝の下まで来てしゃがむ。
いづなは彼の肩に乗り、呟く。
「こうすると、ちょっと恋人みたいでいいですね‥‥」
「ん? 何か言ったか?」
「い、いえっ、何でもっ」
思わず口を突いて出た言葉は周囲の賑わいに紛れてアダムの耳には届かなかったようだ。
(「あくまで『みたい』ですけどね)
今度は心中で、呟く。
――声が届かなかったことが幸いかどうかは、彼女的にはとても微妙なようだった。
それはともあれ、
「いくぞ」
アダムの短い言葉とともに、いづなの身体が持ち上げられる。
脚立を使えば簡単に届くということは、やや長身のアダムに肩車をしても決して届かないことはないということ。
いづなは手にした二つの――自分とアダムの袋を、並べて枝にかける。
二人の願いは、ある意味では共通していた。
素直でないいづな。
その願い事――素直になることが叶いますように、と。
●来年も皆で楽しく過ごせますように――人類皆無病息災
「珍しいよね、そっちから誘うなんて」
不知火真琴(
ga7201)は隣の叢雲(
ga2494)に向かって言う。
「偶にはこちらから誘って、というのもいいと思って」
いつもは真琴さんの方からですからね、と叢雲は付け加えた。
「それにしたって、どうしてまた」
「いやー‥‥それが、やることがないせいかどうにも落ち着かなくて。そんな時に折角見かけたお誘いなので」
苦笑する叢雲。
「あ、うちもうちも」
真琴も同意した。
「‥‥お互い寒い青春送ってましたもんネ」
「貴重な学生時代を――ね」
と叢雲も応え、揃って笑う。
ラスト・ホープに来る前はお互いクリスマス=稼ぎ時だった。こんなゆっくりしている暇があるわけがない。
話していると――不意に、少し今までよりも強い寒風が広場を吹きぬけた。
その冷たさに、思わず真琴が身を震わせる。
冬の張りつめた空気。
降り注ぐ雪の冷たさ。
それらがない世界――温かいだけの世界ばかりにいると、真琴は時折自分の足元が分からなくなることがある。その冷たさが、彼女に『居場所』を教えてくれる。
だからこそ彼女はそれらが好きなのだけれど――冷え性である彼女の手は『冷たい』を通り越して痛くなり始めている。
「ちょっと寒くなってきたね」
「まぁ、これから夜になりますしもっと冷えそうですけどね」
そんなやり取りの後――真琴は、叢雲の手を握る。
じわり――叢雲の手の温もりが冷え切った手に体温を取り戻させていく。
「男ってそれだけで体温が高くてずるいよね」
むぅ、と唸る真琴を見、叢雲は苦笑する。真琴が寒くなってそういった行動を取ったことを見抜いたようだ。
「何ならこっちもどうぞ」
彼はおもむろに自分が着ていたコートを脱ぎ、真琴に差し出す。
真琴はそのコートに袖を通したものの――体格差故、ぶかぶか。
手が袖口から出てこないのを見て、叢雲は思わず吹き出しかけ――真琴はその表情を見てまた唸った。
その時、
「こんにちは」
背後から声をかけられ、二人は振り返る。そこには、ケイ・リヒャルト(
ga0598)と柚井 ソラ(
ga0187)の姿があった。
少し歓談を行った後――脚立の行列がちょうど短くなってきたので、四人はそれぞれ列に並んだ。
●愛する人
ケイは仮設の屋根のもっとも内側まで来ると、巨木とその上にある空を見上げた。
(「――まるで奇跡のようね」)
少し昔のことから、思い出す。
野良猫のような生活を送り、感情が希薄であった自分のこと。
そんな自分が、今こうして笑顔を浮かべていられるようになったのは――ラスト・ホープを訪れ、友人となった皆に出会えたから。
これを奇跡と呼ばず何と呼ぶのだろう。
それだけではない。
愛し愛される事で心は満たされ、満たされた心から希望が生まれる。
その愛を自分にくれる――その人のことを想いながら、ケイは袋を木にかけた。
■
――袋を巨木にかけ終わり、パーティーに参加するべく四人はまた合流する。
直後、その前を通り過ぎる見知った姿が二つ見えた。巨木の方へ小走りに駆けるクラウディア・マリウス(
ga6559)と、それを後ろから歩いて追いかけるアンドレアス・ラーセン(
ga6523)である。
「こんにちは、マリウスさん」
ソラが声をかけると、クラウディアとアンドレアスも四人が固まって話していることに気がついた。
「こんにちはっ」
笑顔で挨拶を返すクラウディア。
アンドレアスと二人で四人の方へと向かってきたので、今度は六人で会話を交わす。ただアンドレアスは、真琴に話しかけようとしてはその隣――叢雲を見、そして口を噤む、ということもあってやや口数は少なかったけれど。
「じゃ、また後でな」
少し経った後アンドレアスがそう言い、クラウディアと連れ立って四人に別れを告げる。彼らはまだ袋を巨木に掛けていないのだった。後でな、というのは主にケイに向けての言葉だろう。
「‥‥大丈夫、ですよね?」
二人の姿を見送りながら、ソラがぽつりと漏らす。
「多分大丈夫だと思いますけど‥‥保護者さんもいることですしね」
真琴が、そう答えた。
●前に前に
しばらくケイや真琴、叢雲と話してから――ソラは一人、ベンチに座った。
すぐ上には屋根が付いているから降ってこないけれど――少し視線を後ろへ投じれば、相変わらずちらりちらりと降り続ける雪が見える。
「雪‥‥かぁ」
去年のクリスマスは雪などない地にいたし、そもそも出身地である大阪もあまり雪が降らない。
だからソラにとっては雪は珍しいものであり、目を輝かせるには十分だった。
夢中で雪を眺めて暫く。
手の冷たさに気づいて我に返り、視線を前に向ける。
手袋でもしてくればよかった、と思いながら手に息を吹きかけ――巨木を見上げた。
「人間だから――か」
呟く。
崩落する運命にあったグラナダ要塞に突入し、天秤座と対峙して。
天秤座が平気で人を傷つけることが出来る理由を尋ねた時――そうソラに告げたのは、天秤座自身ではなくソラの大切な友人だった。
改めて考えてみると、人間であることが怖いとすら思えた。
天秤座も、ソラも、同じ『にんげん』。
正確に言えばゾディアックである天秤座が普通の人間とは思えないが――少なくとも元は人間であったはずで、今もその性質を色濃く残している。
そんな彼が人を傷つけるように、ソラもまた誰かを傷つけている。
彼のように、大勢の人を苦しめているのかもしれない――そんな思いが、脳裏をよぎる。
けれど。
人を傷つけたくないと思うのも。苦しめたくないと思うのも。
笑顔を見ていたいと思うのも――『にんげん』だから。
ツリーに溢れる希望が存在するのも『にんげん』だから、と。
巨木を見つめながら、ソラは思う。
それを見失わないように――言い聞かせるように、彼は自分の腕をさすり。
そこに嵌めている――大切な友達がくれた腕輪に触れた。
だから。
強くなりたい。心も体も、強くならなければいけない。
泣かないように、苦しい想いも減らせるように。
今は少しでも、前へ――。
「‥‥少し、冷えちゃったかな」
暫く巨木を見つめていたソラはそう一人ごちて、ログハウスへと足を向けた。
温かいココアを飲もうとログハウスの扉を開けると、横にアスナと信人がいるのが見えた。
●君を守れる俺でありたい
時間は少し遡って。
巨木に袋をかけ終えた信人は、少し離れた場所から巨木を見上げながら囁くように歌う。
「何の曲を歌っているんですか?」
芝樋ノ爪 水夏(
gb2060)に訊ねられ、信人ははっとして歌うのを止めた。
「おや、聞かれてしまったか‥‥」
照れたように笑う。
歌っていたのは――かつて彼が外人部隊にいた頃、戦友とともに歌った曲だ。
彼が歌っているのはドイツ語だけれど、日本でもよく知られている聖夜の賛美歌でもあった。
それからパーティー会場の方に移動した信人は、飲食を楽しむ訳でもなく、むしろボランティアの手伝いに回っていた。
曰く、
「恋人の故郷の方々を差し置いて、飲み食いは出来ません」
とのことで、爽やかさぶり全開で働いている。
ただたまたまその光景を見かけた水夏からすれば、その爽やかぶりは演技にしか見えなかった。
■
「少し、歩かないか?」
クリスマスレイディオの様子を聞きにログハウスに来ていたアスナに、信人は訊ねる。
まだアダムが言っていたライブまでには時間もある。アスナは小さく肯いた。
広場から続く八本の道の一本、歩くのに心地よい程度に雪が降る中を、二人は並んで往く。
巨木ほどの数ではないけれど、木々の一本一本に電飾が飾りつけられている。だから日もだいぶ暮れかかっている今でも、光の下だけは暗くなかった。
ある程度歩いてきたところで、不意に信人は立ち止まった。
「信人さん?」
「‥‥まぁ、そろそろいいか」
信人は一度周囲を見、誰もいないことを確かめると――懐から、透明なケースを取り出した。
ケースの中には、天使の羽を模した飾りのついているネックレスがある。
「あまり柄では無いが――メリークリスマス、だな?」
視線を逸らし顔を赤らめながら、信人はケースをアスナに渡す。
「――ありがとう」
もちろんアスナは、はにかんでそれを受け取った。
●来年は一緒に来られますように
「仲良くしてるのを見ると、やっぱり羨ましいですね」
信人とアスナが道に姿を消していく姿を、水夏はこっそり見送っていた。
彼らが二人でここに来ているのが羨ましいわけではない、とは思っていたのだけれど――御誘いをかけられなかった自分に少しだけ後悔をしていたら、ついそんな言葉が口をついて出た。
「あのお二人の場合、隠れていちゃいちゃしていそうですけどね」
横から同意の声が聞こえた。
見ると、如月・由梨(
ga1805)が水夏と同じように信人とアスナが歩いていった道を見つめていた。その背後には彼女の婚約者である終夜・無月(
ga3084)の姿もある。
(「‥‥やっぱり、羨ましいです」)
他愛もない話をしてから二人の背中を見送った水夏は、改めてそう思うのだった。
信人たちの観察をいったん止めた水夏は、トラブルなどが起きていないことを一通り確認した後――巨木の脚立へと向かった。
列の混雑のピークは過ぎたらしく、割とすんなり水夏の番はやってきた。
袋をかけて脚立から降り、巨木から離れるとぼんやり空を見上げる。
「雪、綺麗ですね」
――少しずつ結晶の粒が大きくなり始めている雪を見て、水夏はそう呟いた。
●ずっと一緒に――幸多からん事を願う
「こういうのんびりとしたデートも久しぶりですね」
「そうだね‥‥」
由梨と無月は歩きながら、そう言って笑い合う。
二人もまた、脚立を待つ人の列に並ぶ。
彼等はまだ、メッセージを書いた紙を袋に入れていなかった。
『世界に少しでも多くの人々の笑顔が増える事、そして何より我が最愛の人如月・由梨に幸多からん事を願う』
『無月さんとずっと一緒にいられますように』
――互いのメッセージを、それぞれ本人は少し恥ずかしながらも見せ合う。
「世界の事も大事だけど‥‥由梨の事の方が大事だから‥‥」
無月がそんなことを言うと、由梨は余計に恥ずかしくなった。
脚立の列は、まだ長い。
二人は手をつなぐことで互いの温もりを感じながら、その時間を待っていた。
●笑顔と希望を、明日へ
脚立の行列が空くまでの間、アルヴァイムと悠季はベンチに座って待っていた。
(「この状況が広まれば良いな」)
夜空を見上げ、悠季は思う。
その時、不意に小さくくしゃみをしてしまう。手元のポタージュからは温かな湯気が立ち上っていたけれど、それでも少し肌寒い。
すると――アルヴァイムは、何も言わずにマフラーを悠季にかけた。
「――ありがと」
くすり、と微笑んで悠季は礼を述べた。
脚立の列に並び、そして二人の番が回ってくる。
アルヴァイムに支えられた脚立に登って、悠季は二つの袋を巨木に提げた。
『貴方が好きだという気持ちは、前向きに進む為の活力源となっていて。
あたしは貴方に対してずっと正直でありたい。
その行動を肯定し貴方だけの味方で有り続けて、戻るべき処を確保し気持ちの上で着いていく。
そうやって進んでいくのが未来に繋がると信じて、貴方を愛する事で希望を掲げたいわね』
――他の人々よりもひときわ長い悠季の希望の内容を、アルヴァイムは当然知らないけれど。
ある意味、だからこそ書けることだともいえるかもしれない。
袋をかけ終わり、まだ少し次の予定までは時間がある。
少し人の少ない所へ移動し――。
アルヴァイムが悠季を抱きよせて一拍置いてから、二人は口付けを交わした。
●それでも走り続けるために
「綺麗。宇宙人と戦争中なんて嘘みたい」
袋を巨木にかけ終えた後。
クラウディアが、無数の光が煌めく巨木を見て呟く。
自分に背中を向けたまま呟かれた、やけに静かなその声に――アンドレアスは、一抹の不安を覚える。
否――不安というよりも、予感だろうか。
「こないだは、だいぶ酷くやられてたみたいだけど‥‥大丈夫か?」
投げかけた問いに対し、クラウディアは一度小さく肩を震わせた。
「大丈夫ですよ?」
声音は、いつもの調子。
けれど――。
アンドレアスはふかしていた煙草を捨て、溜息をつく。
「んなわけねーだろが。バレバレだぞ」
「大丈夫ですっ!」
分かっていても少し驚くほどに――クラウディアの二度目の『大丈夫』は早く、そして口調の激しいものだった。
それからクラウディアは、アンドレアスがいる背後を振り返る。
「私は、大丈夫ですよ? 見ていただけですから」
「‥‥」
笑ってはいるけれど、今にも感情によって崩れてしまいそうな危うい表情。
周囲の賑わいの中に掻き消えてしまいそうなほどのか細い声。
それらで、アンドレアスは確信する――自分が抱いた予感に、間違いはなかったのだと。
その直後、
「見ている事しか、出来ませんでしたから」
もう一言付け足したクラウディアの両頬に、眦から一筋の雫の道が造り上げられる。
本人も気づいた。コートの袖口で雫を拭い、
「あれ? 可笑しいな、泣かないって決めたのに」
肩を小刻みに震わせて――懸命に堪えようとするけれど、雫の道はまたすぐに造り上げられ、とめどなく流れ続けていく。
その姿を見――アンドレアスはもう一度、溜息をついた。
「‥‥寄っかかったって、俺は折れたりしねぇよ」
■
兄のように慕う彼が放ったその言葉に――クラウディアの感情は、耐えきれなかった。
滲む視界。けれど瞼の裏には『あの時』――イネース・サイフェルと彼女に率いられた軍勢に対峙した時の記憶が映像として鮮明に蘇っていた。
アンドレアスに抱きつき、涙を流しながら感情を吐き出す。
「怖かったですっ怖いですっ! 大好きな人達が居なくなっちゃうかもしれない――」
コートの布を、両手でそれぞれ握り締め、
「――また、失うかもしれない。なのに、なのに。私は何も出来なかったっ!」
一度、自ずと力が緩む。
「出来なかった。あの日みたいに、泣き震える事しか――」
そこまで言って――。
もし。もしも、だ。
あの時ともに戦った仲間が、友達が――誰か一人でも、その場で欠けてしまっていたら。
そんな悪い想像がクラウディアの脳裏を掠め。
それよりずっと前、父を失った時の記憶と瞬時に繋がり。
そして、重なる。
ぎゅ、と。
緩められていた握力は、湧き上がる衝動により緩む前よりも強くなって――
「もう、嫌です! 大好きな人を失うのは、もう嫌なんですっ!」
その衝動のまま、クラウディアは叫んだ。
そのままアンドレアスのコートに顔を埋め、泣き始める。
声を殺して、肩を震わせて。
自分を包み込む体温と、髪をそっと撫でる手――それらの温もりを感じながら。
■
それから少し時間が経って、
「私、強くなりたいです‥‥」
ぽつりと呟いてから、ようやくクラウディアはコートから顔を離した。
目の下は当然赤くなっていたけれど、それでも彼女は照れたような笑みを浮かべる。
「えへへ、もう、大丈夫です」
「‥‥そうか」
アンドレアスは一つ息をついてから、おもむろにポケットから出した手をクラウディアの頭に乗せ――その銀髪に、鈴の髪飾りを留める。
「やるよ。俺が持ってたってしょーがない」
肩を竦めながら言うアンドレアスに対し、自らに宛てたプレゼントの存在に気づいたクラウディアは――目を細め、笑った。
「ありがとうございましたっ、アスお兄ちゃん」
●どうか彼方の光は消えないで
「お、来た来た」
今年だけ設置されたステージの裏。
クラウディアと別れやってきたアンドレアスを見、アダムが言う。
その場には他に、ケイといづながいる。
アダムはベースを、いづなはタンバリンを、そしてアンドレアスはギターを――それぞれ準備した。
■
『こちらは日本のとある街で行われているイベントの会場です』
窓を通してログハウスの中から外へと電話の線を出し、アスナはログハウス前で実況中継を始める。
その直後、乾いた弦の掻き鳴らされた音が耳朶に届いて。
そして、華は開かれる。
一曲目は、アメリカの有名歌手が歌ったポピュラーソング。
アンプラグド――生のアコースティックギターの穏やかな音色とベースの低音が、会場を包む冬の夜空に緩やかに溶け、時折タンバリンの小気味よい音がそれに更に色を添える。
ポップな曲調に合わせて、二つの女声が軽やかに乗る――。
――ケイとアンドレアスはユニットを組んでいるけれど、アダムやいづなと今日初めてセッションを行っているということを人々は知らない。
また知ったとしても疑いを持つであろうほどに、一曲目にして会場を染め上げていく。
弦を鳴らす腕が下ろされ、余韻を残しつつ一曲目が終わると――会場中から、拍手が鳴り響いた。
続いて、二曲目が始まる。
『‥‥あ』
最初のうちは聞きながらもイベントの模様を伝えていたアスナだったけれど、数曲経った頃には彼女も聞き入っていた。やや慌てながらも、何とか実況中継を締める。
アスナだけではない。ボランティアの人々も、よほど手を離せない状況にある者以外は完全に作業の手を止めている。
可愛らしかったり、幻想的だったり。
音の上に乗る二つの女声が紡ぎ出す色は、曲ごとに変化していく。
目まぐるしく、心地よい――その変化を、会場中の人々が楽しんでいた。
「皆、素敵なクリスマスを!」
全ての曲が終わり、ケイがそう声を上げて締める。
――それまでよりひと際大きな拍手と歓声が会場を包み込んだのは言うまでもなく。
「Buon Natale――」
会場の端の方で聞いていたクラウディアは、ペンダントに触れつつ夜空を見上げ呟く。
この楽しげな音は、父の許へと届いているだろうか――そんなことを思いながら。
ちらりちらりと降り続けていた雪も、長い時間続けば積もるもの。
気がつけば会場の周りはうっすらと白に染め上げられ――そして、宴は終わる。
●夜の向こう側へ
パーティが終わっても、無月と由梨は光の木の下にいた。
「綺麗だね‥‥」
木を、空を見上げながら無月は静かに呟き――それから、コサージュを取り出した。グラナダ戦役中に由梨に渡されたものだ。
「ありがとう‥‥」
微笑みながら、由梨に手渡す。
「戦いの中で――此れに‥‥由梨に‥‥護って貰えていた気分だったよ‥‥」
「無月さん‥‥」
思わず無月の顔を見た由梨を見つめ返して、無月は苦笑する。
「そうで無いなら‥‥身体に大怪我を負って出撃した上で――あの紅い悪魔に攻撃されて‥‥生きては居ないだろうからね‥‥」
――それから少しの間だけ、沈黙が二人を包んで。
「由梨には――本当に心配を掛けてばかりで‥‥ごめん‥‥」
口を開いた無月の表情は苦笑のそれのままだったけれど、僅かに翳がさしていた。
ただし、それも一瞬のこと。
「ん‥‥でも‥‥この先――」
すぐに真剣な表情になり、そして、
「例え何があろうと‥‥由梨の側に必ず帰る事は約束出来るから‥‥」
穏やかな、優しい笑みを浮かべた。
それから更に時間が少し経って。
「一緒に食べよ‥‥」
無月は作っておいたフォンダンショコラを差し出した。
生地はここに来る前に作ったものだけれど、焼いたのはパーティーが終わる直前のログハウスでのことなのでまだ出来たてである。
冷えた身体には、とろけるチョコレートの温かさはよく染み入る。
寒空の下だったけれど、二人にとってはそれは些細なことだった。
■
「いづな」
帰り道を歩いていた時、アダムは不意に足を止めていづなを呼びとめた。
振り返ったいづなの頭に、ねこみみふーどを被せる。
「わ」
「メリークリスマス。寒いからな、暖かくしろよ」
そう言ってから、今度は自分が首にかけているヘッドフォンをいづなのフードの上に更に被せた。
――ヘッドフォンをつけたいづなの耳に流れるのは、想いを伝える静かなバラード。
それに暫く聞き入っていたいづなは――周囲に誰もいないことを確認すると、
アダムの頬に、そっと口づけた。
「そ、その、モテないアダムにプレゼントです!
誘っていただいたお礼も込めてのキ、キスですから‥‥!」
顔を真っ赤にしながらそんなことを言ういづなに、アダムは少しの間呆然としてから――苦笑を浮かべた。
「ま、そーいうことでいいよ」
■
パーティーの途中、クリスマスレイディオに向け送られたFAXの文面には、
『人の可能性を信じてこそ希望への未来が開けるわね』
悠季が伝えたその言葉が書かれていた。
明日へ。来年へ。その先の未来へ――。
聖なる夜に降り注ぐ白は、巨木にかけられた全ての希望へと祝福を注いでいた。