●リプレイ本文
自分の左右で、仲間たちが戦っている。
左では金髪の女性――とただ形容するのも憚られるイキモノを相手取り、右では二足歩行で爪を振るう虎キメラに対し応戦していた。
もっとも、ともに戦いの終焉は近いのだが。
「何でなの?」
その姿を視界の端に映しながらも前を見据え、アメリー・レオナールは問う。閉じられた上に何もない地下の空間の中では、その幼い声は消えかけの戦闘音に負けることなくよく響いた。
「何で、皆をキメラにしたの?」
「‥‥そこまでして貴方が望んだものは何?
何か崇高な目的があったというの? ‥‥それとも、ただ強大な力を得たかっただけ?」
もう一度問うた声に、アメリーの傍に立っていたルーシー・クリムゾン(
gb1439)が続けて訊ねる。
いずれも向けた相手は、空間の一番奥にいる男――ジャコブ・テイラー。
直後、そのジャコブが微かに動いたような気がした。
とは言っても、すぐに何かが起こったわけではない。ジャコブは相変わらず一番奥に立ったままだ。薄暗い空間の中、かつ未だ彼とは距離があったから、ただ肩を竦めただけかもしれないし、そもそも動いたというのが気のせいなのかもしれない。
「――失わせないようにするには、こうするしか方法が考え付かなかったのだよ」
少し間を置いて、ジャコブはそう口を開いた。
●揺らいでいた者、揺るがぬモノ
「‥‥こんな形でまたここに来ることになるとは、な」
ルイス・ウェイン(
ga6973)は目の前に聳え立つビルを見上げて呟く。
『Vie de letoile』本部ビル。
ローマ市街に構えられた施設の前に立つ傭兵たち。それぞれの視界の内には、今も慌ただしく動いている警察の姿が幾つも見当たった。
「――前はひたすら上へ、だったけど。今度は最終的に目指す先は下なのよね」
風代 律子(
ga7966)の言葉を聞いた能力者たちの視線は自ずと斜め下へと向かう。
「目指すだけ、じゃない。
前は逃げられてしまったけど‥‥今度はきっちり決着つけないとね」
そう言ったのは大泰司 慈海(
ga0173)。
「全員で帰りましょう。誰一人として欠ける事なくね?」
「そんでもって奴に引導渡してやる。踊るぜ!」
クラーク・エアハルト(
ga4961)、そしてアンドレアス・ラーセン(
ga6523)の言葉を契機に、彼らは施設内へと走り出した。
■
既に警察が制圧している安全圏である四階まで、全員で移動する。
その最中。
「‥‥アメリー」
それは通路を歩いていた時だった。
不意に、リオン=ヴァルツァー(
ga8388)が隣を往く少女に声をかけた。
それを機に、全員の足が一度止まる。
ちょうど、エレベーターホールの少し手前――この先のエレベーターから予定通り七階に上がってしまえば、そこからは悠長に話している暇はないだろう。
だから、最後の確認。
「‥‥ここに来る前に、僕や、皆が言ってたこと‥‥覚えてるよね?」
リオンに問われ、アメリーは肯く。
話は出発前に遡る。
能力者たちのうち数人は、個別に彼女に声をかけていた。
その中で得られた答え。
アメリーにとっての決着をつけるために――頼って欲しいと、守ると。
決意した人たちが――友達がいるということ。
そしてこの戦いは、彼女にとってだけでなく。
これまで彼女とともに行動してきた者たちにとっての決着でもあるということ――。
だから。
「自分の背中を守ってくれる人がいるって‥‥とっても、心強い。
アメリーも、怖くなったら、後ろを見て。君の背中を守る仲間が、必ずいるから‥‥」
あの時自らが言ったことをも思い出して、口下手なリオンは懸命に言葉を紡いだ。
そんなリオンの頭を、空閑 ハバキ(
ga5172)が優しく撫でる。
彼にとってみれば、リオンもアメリーと同じ意味での『強さ』を持っていた。
それが誇らしくもあったけれど、同時に二人に子供らしく居させてあげられないことが不甲斐なくも思えて。
せめて、精算が叶うように助けたい――そう考えていた。
一方、アメリーの前には秘色(
ga8202)が立って、口を開く。
「皆が既に申しておるで、わしから多くは言わぬ。じゃが、これだけは約束してくれい。
『生きる』――何が何でも生きるのじゃぞ?
其の為に如何すれば良いか、よく考えるのじゃ。ジャコブやコレットの事、全てひっくるめての」
そこまで言って、彼女はアメリーの頭を撫でた。
「わしらはおぬしを信じておる。おぬしもわしらを信じて、頼ってくれい」
「――うん」
「‥‥さて、行きましょうか」
アメリーが一際大きく肯いたのを見て、ハイン・ヴィーグリーズ(
gb3522)が前を向く。
「自身を客観的にみろ、多少は冷静でいられる」
アメリーを追い抜き際に時任 絃也(
ga0983)がそう言えば、クラークがアメリーの掌に小銃を載せる。
「剣では届かない距離の敵と戦う為に貸しておきます。
‥‥あとで、ちゃんと返して下さいね? 約束ですよ?」
小さく肯くアメリーに微笑を返して、クラークも前へと歩き出した。
■
七階には先発と後発の二手に分かれて突入することになっていた。
エレベーターから、先発班が七階へ降り立つ。
途端、全員が通路に充満する異臭に険しい表情を浮かべた。
「これは‥‥血の匂いですか‥‥」
終夜・無月(
ga3084)が呟く。
「おい、アレを見ろ」
その光景に気づいたのは絃也だった。
廊下の角に、倒れている人間の下半身だけが見える。その肢体を中心に、赤い海が広がっていた。
「‥‥一人だけじゃないみたいだぜ」
続いてアンドレアスが、反対側の廊下でも――こちらは身体こそ見えないが、やはり廊下の角で紅が散乱していることに気づいた。
「キメラの仕業か‥‥出来れば戦闘は避けたいところだが」
「――いや、本当にキメラ?」
「どういうことだ?」
問い返す絃也に対し、ハバキが今しがた絃也とアンドレアスが気づいた二つの光景を順に指差し。
「人の状態は酷いもんだけど、その割に壁が綺麗過ぎ」
全員がハッとする。
確かに――壁には血が飛び散っていたりはしていたが、壁そのものにはまったくと言っていいほど傷がついていない。
「少なくとも理性のないキメラがやったとは思えないな」
「となると、地下にいる連中じゃろうか」
「じゃなかったらコレットかもな」
まだ安全圏にいた時に、ハバキの考えによって地上だけでなく地下の水路も警備の手を伸ばしてもらっていた。
それでも金髪の少女を見かけたという情報は得られなかったが――彼女には先日の鷹キメラという逃走手段もある。ビルの高さと人目につかないようにすることを考えれば、殺戮を終えた後に空から脱出することも決して不可能ではない。
推察していると、背後のエレベーターが後発組の到着を告げた。
当然ながら後発組も血の匂いを訝しんだが、とりあえず先に進むことにする。
キメラの現れる気配は、ない。
それどころか所々の角で、明らかに人間のものではない肢体も倒れ伏していた。
やはり、誰かが意図的に人もキメラも――。
そんな疑念が脳裏に沸きながらも、彼らは歩を進める。
以前もこの階層に潜入したことのある律子の記憶と、見取り図を照らしあわせ――。
やがて彼らは、発見した。
●歪んだ愛情の行く末
七階に来た時と同じように――ただし今度は盾を構えたハバキが先頭に立ってはいたが――先発班が地下へと降り立つ。
薄暗い。けれど少し灯りがあれば何とか暗さが戦闘の邪魔にはならなさそうではある。
エレベーターホールには人気はなかった。念のためとばかりに無月が矢を番えていたが、今のところすぐ近くにこちらを襲おうとする気配もないようだ。
アンドレアスがランタンを灯し、その場に置くと――。
薄闇の遥か奥に――暖色の灯りが生まれたことでようやく、ぼんやりと人影が浮かび上がる。
「やはり来たか」
その声音からして、言葉通り予想していたのだろう。ジャコブはいたって冷静だった。
直後、二度目のエレベーター到着。
扉が開くその様子が見えているらしく、ジャコブは「ほう」感嘆するように言葉を紡いだ。
「まさかまたお前が来るとはな」
その言葉がアメリーに向けられたものであることは、その場にいる誰もが分かっていた。
勿論、アメリー本人にも。
「‥‥」
アメリーは唇をきつく引き結んでいる。
衝動のままに突き動かされてしまわぬよう、堪えていた。
と――。
エレベーターホールと左右の部屋を結ぶ扉が、同時に勢いよく破られた。
そして隣の部屋から現れる、女性と、二足歩行の虎。
■
特殊部隊の生存者から得た情報。
それを元にルイスとハインはある予測を立てていた。
「! 貴方たちはあの時の‥‥」
返り血のこびりついたパンツスーツ姿の女性は、二人の姿を見止め一度目を見開き、そして険しく細める。
それが、予測に対する答えだった。
――以前このビルの七階に潜入した時に、二人は女性と遭遇している。
その時の関係は追う者と追われる者。
追われる立場だったルイスとハインは結局、窓を突き破って脱出せざるを得なかった。ハインに関して言えば彼女から銃撃を喰らっており、その意味でも因縁のある相手である。
だが今の立場は、逆。追い詰める者と、追い詰められる者。
「また会ったね、お姉さん‥‥」
「この間撃ってきた礼は、しっかり返させてもらいますよ」
だから二人の行動に躊躇いはなく――戦闘が、始まる。
「仕事のできるお姉さんって、好みだったんだけどな」
ハインとルイスが女性の左右に散開し、ハバキが盾を構えて正面から立ち向かう。
袈裟掛けに振るった蛍火が、硬質な輝きを放つ女性の長髪と激突し甲高い金属音を上げた。反射性質を持っているかどうかは兎も角、それ自身が防御能力を有していることだけは分かる。
今度は女性の反撃――斬撃を弾き返した髪の先端を鋭く尖らせ、ハバキの喉元を一突きしようとする。
ハバキはそれをかわしつつ、数歩バックステップ――狙い通りの一撃とはならなかったが、掠めた頬から一筋の血が流れた。
彼への接近を図ろうとした女性だったが、右からのハインの射撃がその間隙を突く。
髪で防御することも叶わなかったが、彼女は間一髪それを避けた――しかし今度は左に、疾風脚で接近したルイスの姿。急所を突いてきた一撃、直撃こそ防いだものの女性は数歩後退する。ハバキだけでなく、ルイスとハインの姿も捉えられるように。
後ずさりながら、女性は驚くべき能力を見せた――髪が先ほどまでとは比べほどにならないほどに伸び、無数の鋭い先端が斜め上から三人に降り注ぐ!
「――ッ!?」
降り注ぐ軌道は直線だったものの、数があまりにも多かった。三人とも肉を貫通されるのを避けるのがやっと、皮膚には多くの裂傷が生じる。
「どうして自分が実験台になってまで、ジャコブに協力するのかな」
だが、後ろには治癒の電波を飛ばしてくれる慈海がいる。いざとなれば今は全体的に警戒を張り巡らせている親友の援護もある。
だからまだ自身の傷を気にすることなく、治癒を受けながらハバキは問う。
床に刺さった先端を抜き、女性は自身の周りで伸ばしたままの髪を動かしながら答える。
「‥‥昔なら兎も角、『今の』会長の思想は貴方たちには理解出来ませんよ、きっと。
この身を捧げたのは、たとえ歪んだものだとしても――会長がやろうとしていたことを、賛同し、応援したかった。それだけです」
「ジャコブの思想?」
「これ以上は私が語ることでもないでしょう。訊きたければ本人に訊いたらどうですか――もっとも、私を倒せればの話ですが」
ハインの問いには答えない。女性は再び長すぎる髪の無数の先端を三人へ向けた。
そこに、隙があった。
「――このッ!」
女性が一際険しい声を上げる。その肩の上の方が焼き切れていた。
それまで三人の回復に徹していた慈海が、完全に三人に気を取られていた女性の隙を突いてエネルギーガンを放ったのである。
女性の気が慈海に向き、今度は三人にとっての好機が訪れる。
三方向揃って、動きだす。
ルイスとハバキは接近、ハインは狙いすますべく銃を構え。
「しまっ――」
一瞬遅れて女性がその動きに気付いた時には既に二人は肉薄していて、
「――た、とでも、言うと思いましたか?」
刹那、女性の後ろに生えたライオンの尾がハバキの手を絡め取り、振り下ろされかけていた蛍火を一瞬で奪い取る。
そのまま横薙ぎの一閃――とはいかなかった。
響く銃声。
弾丸を強化した上で放たれたハインの銃撃は、女性の尾の先を一撃で撃ち落とした。
当然ながら床に落ちた蛍火をハバキが拾い上げ。
「はっ、うちの獅子のがよっぽど強い――これでっ」
考えたのは、反対側で虎キメラと戦う少年のこと。
ハバキはそのまま女性の胴体を、斜め下から上に向かって斬り上げ、
「どうだっ!」
後ろによろめいた女性の顔面に、ルイスが踵落としを叩き込む――!
■
「大人しくしていればいいものを、面倒な事だ」
「片さねばならぬのはどちらにしても同じことじゃ!」
扉を破って迫り来る虎キメラに対し、絃也は右、秘色は左に散る。
キメラの正面にはリオン一人が残り、
「獅子の名にかけて‥‥虎なんかに、負けない‥‥!」
自らの名の由来――それを誇りに、盾を構えて自ら虎に肉薄する。
途中まで二足で駆けてきていた虎が、本来の生態とも呼ぶべき四本足に切り替える――それに伴う、速度の上昇。その動きに、リオンの眼はすぐには慣れることが出来なかった。勢い任せの突進の衝撃が、盾越しにリオンの身体に突き刺さる。
吹っ飛ばされ、尻もちをつかされて。それでもすぐに立ち上がり、一度足を止めた虎に再度接近すべく駆け出す。
虎が足を止めたのは、左右に迫る気配を感じ取ったからだ。リオンを吹っ飛ばしてから瞬時に二足状態に戻ると、身体全体を使ってラリアットのように爪を振るう――しかし絃也はその軌跡の下を掻い潜り、そして拳を虎の胴体に何度も叩き込んだ。
衝撃に力が緩んだことで蛍火で爪を受けた秘色の身体が自由になり、すかさず至近距離でショットガンを連射する!
キメラの悲鳴が地下を劈き、閉鎖空間故に反響する音に能力者たちは思わず耳を塞ぐ。
――しかしひとしきり啼いた後でも、キメラはまだその生命を保っていた。
それどころか耳を塞いだことで生じた絃也と秘色の隙を突こうと、再度爪を振り回す。今度は避けること叶わず、二人ともに幾らか切り裂かれた。
更に追撃を図った虎だったが――、
「させない‥‥!」
そこに盾を構えたリオンが激突、爪の動きを止める。
身体全体を使った造作は、止められた時に大きな隙が生じる――その隙を見逃す絃也と秘色ではなかった。
蛍火、ショットガン、更にはリオンのヴァジュラも攻勢に加わり、そして――。
「――これで終わりだ」
絃也が叩き込んだ最後の一撃は、髄を粉砕し――倒れたキメラはそれきり動かなかった。
■
「――失わせないようにするには、こうするしか方法が考え付かなかったのだよ」
「‥‥何?」
意外ともいえる返答に、能力者たちは各々訝しげな表情を浮かべる。
「お前たち――エミタを体内に埋め込むことで強靭な肉体を得た者には、そう簡単に分かるものではないだろうよ。
バグアとの戦いで――いや、もっと言えば人類の歴史上における全ての戦争で。
死ぬことなく、ただし満足に生き抜く力を保つことも出来なくなった状態で長い年月を過ごさなければならない人々の思いなど、な」
ジャコブはゆったりとした足取りで、部屋の最奥から能力者たちに向かって歩みだす。
能力者たちは警戒を強め、牽制の準備さえもしたが――未だジャコブには攻撃の意思はないらしく、そんな能力者たちの様を見ても動じずに歩いてくる。
「私には妻がいた。娘もいた。
‥‥ともに死んだ。娘は‥‥そうだな、ちょうどお前くらいの歳だったぞ、アメリー・レオナール」
名を呼ばれたアメリーは一瞬たじろいだが、すぐに後ろでアンドレアスが支えた。
「戦災に遭ったのだ。私自身も、一命は取り留めたものの重傷だった。
――そこをカッシング卿に救われたわけだが、今はそれはおいておこう。
妻は即死だった。娘は何とか命は保ったが――左腕を失くし、残った三本の手足のうちで動かせるのは右腕だけになっていた」
奥の部屋から出てきた辺りで、ジャコブは歩みを止めた。丁度その頃には左右の戦闘も終わり、十四人と一人が対峙する格好になる。
ジャコブは自らの身体を見下ろす。
「私は義手や義足などでなく、柔らかな肉体で以って娘の自由を取り戻させてやりたかった。ただそれだけだった。
それには自分も助けてもらったカッシング卿のキメラに関する技術が必要だったが、娘の傷は到底一匹分で事足りるレベルではなかったし、だからといって複数のキメラを無理やり利用しようものなら私のこの身体のようになる。
――だから私は組織を立ち上げ、研究を始めた」
ジャコブはそこで一度言葉を止めた。
その隙を突いて、アンドレアスが問いを投げかける。
「まさか、アンタが孤児を利用したのは――?」
「‥‥勿論お前たちが思っている通り、未来の能力者を減らすためでもある、が」
鉄仮面に半分隠されたジャコブの唇が、自嘲するかのように歪む。
「私個人の感情で言えば――同じ子供で研究の成果を出せたのなら、娘にもきっと上手にやれる、という縋りたい気持ちがあったのは確かだな」
「でも、その娘さんは死んだ。‥‥一体何故?」
律子が問う。
ジャコブは目を伏せ、
「自殺した」
静かに答えた。
「ただ単純に私が救いきれてやれないほどに苦しかったのかもしれないし、或いは――組織で何をしているかは教えていなかったが、子供心に何かしら気づくものがあったのかもしれん。
自由が利かなくなってから一年後、唯一動く右手でナイフを握り、首筋をかっ切った」
本来なら、彼が組織を立ち上げた目的はその時点で彼にとって最悪の終焉を迎える――はずだった。
「だが、組織を解散させることは出来なかった。
私がバグアの技術を握っていたがために、監視者がついていたからな」
「‥‥コレットのこと?」
アメリーがぽつりと呟くように訊ねた。
ジャコブは肯く。
「より正確に言えば、アレに憑いたバグア、だな。
信じて貰わなくとも構わないが、お前たちが壊滅させた施設のキメラのようにただ純粋に『強化された』キメラを生みだすようになったのは娘が死んだ後の話だ。カッシング卿の技術のこともあったからその後も研究は続けることが出来たが、とうとうこの組織でそれを完成させることは出来なかった。‥‥見捨てられもしたようだし、な」
苦笑。
「見捨てられた、というのは‥‥」
無月の問いに、ジャコブは苦笑を浮かべたまま答える。
「お前たちも薄々気づいているのではないか?
コレットがいないのは、つまりそういうことだ」
「――まさか、七階のも‥‥」
「七階?」
今度はジャコブが訊ねる番だった。
「知らなかったんですか。
‥‥人間もキメラも、もう終わってましたよ」
クラークの言葉に、
「――そうか。恐らく、奴の仕業だろうな」
溜息交じりにそう返しながら、ジャコブは再度一歩前へ踏み出す。
能力者たちは直感で、悟る。
話の終わりは近い――。
「‥‥だが、私はまだ諦めるつもりはない。
娘を救うことは確かに出来なかった。それでもどのみち、ここまで来てしまった以上もう後には引けないのだよ。
引いたところで許されぬ罪ならば、自分の納得がいくケジメをつけるまで続けてみせる」
ジャコブの纏う雰囲気が、変わる。
そして――
「その為に‥‥お前たちを倒して軍や警察に邪魔させないようにする必要がある。
――道を開けてもらうぞ、能力者どもッ!」
●決着
ジャコブは叫んでからすぐに、その両足を変質させる――。
一部の能力者にはその姿に見覚えがあった。フィレンツェで見た、驚異的な跳躍力を誇る馬脚である。
完全に人ならざるモノの形態に変質したジャコブに向け、クラークがSMGで弾幕を張る――その隙に前衛として戦う者たちが左右に散開する。同時、無月には慈海から強化の練力が向けられた。
クラークが張った弾幕には貫通弾が余すことなく用いられていた。
にも拘わらず――最初の銃声の雨が止んだ時、
「‥‥ふん」
ジャコブの身体には傷一つついていなかった。
「――硬い?」
思ったより手応えがないという現実に顔を顰めるクラーク。
「いや‥‥避けてんだ、アレ」
「‥‥勿論‥‥全部ではないはずですが‥‥!」
アンドレアスと無月はその点をよく観察出来ていた。丁度そのタイミングで放たれたルーシーの矢も悉く避けられ、二人の言葉が事実であることが証明される。
次に動いたのは、無月。弓から持ちかえていた真デヴァステイターを構え、瞬時に引き金を引く。
彼自身の能力が練力により強化されているとはいえ、当たらなければ意味がない。そう言わんばかりに、ジャコブはこれもまた――今度は残像を残して回避。
甲高い風切り音が響き。
「――ッ!?」
刹那、カウンターの強烈な衝撃が無月を襲った。直撃の証拠に、吹っ飛ばされて壁に叩きつけられる。
無月だけではない。一瞬にして、同じ方向に散っていた雄人やハバキ、律子にも被害は及んでいた。雄人と律子は床に勢いよく叩きつけられ、ハバキは痛みの走った右腕を思わず押さえる。
その一瞬の間に、ジャコブは無月との距離を半分ほどに詰めていた。
「いったい、何が‥‥!?」
今度は後方で観察していたアンドレアスや慈海にもすぐに事態が飲み込めない。
「鞭だ‥‥!」
雄人は言う。律子もそうだが背中を切り裂かんばかりの勢いで叩かれたらしく、やや前傾姿勢で立ちあがった。
「こいつ、腕伸ばしてぶん回しやがった」
しなやかに動くジャコブの右腕がその正体であると彼は言っているのだ。
距離が詰まったのは、その伸ばした腕の射程の問題か――そう判断した反対側のメンバーが動く。その気配に気づいたジャコブの気もそちらに向かい、その隙に慈海とアンドレアスは回復の手をまわした。射程は兎も角、効果範囲が三百六十度ということはないはずだ。実際問題最初の一撃は反対側に散った者たちと、最初の位置に立ったままのメンバーには当たっていない。
「――なら、これでどうだっ」
瞬天速でルイスがジャコブの側面に肉薄する。
ジャコブの太い左腕が頭上から襲いかかるが、彼はそれを何とか防御。
その隙にがら空きになった背中に、同じく瞬天速で絃也が迫る。そもそも、ルイスがわざわざ声を上げたのは囮のためでもあるのだ。
「これが効かなければ、俺の攻撃は蚊に刺された程度だろうな」
静かに呟きながら繰り出した急所を突く一撃。ジャコブの身体が、確かに揺らいだ。が、
「――小癪なッ!」
ジャコブは逃げる隙を与えない。絃也に背中を向けたまま右腕を振り回した。不意を撃ち返される形となった一撃に、絃也の身体が宙を舞う。
それでも絃也は何とか着地に成功し、今度はまた別方向から迫っていた秘色と連携を取るべく動き出した。
■
戦闘が長引く。
ジャコブに全くダメージを与えていないわけではないのだが、銃撃には過敏に反応するらしく、飛び道具の類ではロクなダメージを与えることが出来なかった。
――だが、ハバキの脳裏には戦闘の最初からちらついている疑問があった。
かつて聞いた、人間キメラに関する話。
(「もしあれがジャコブにも言えるのなら――」)
直後、その考えがあたっていることを彼は知る。
正体こそ見破ったものの伸びる右腕をまともに避けることが出来た者は殆どおらず、それだけ傷と回復に用いられる練力は激しくなる。
当然、慈海やアンドレアスだけでなく援護射撃を行うクラーク、ルーシー、そしてアメリーがいるエレベーター前にもジャコブの攻撃の手は及ぶようになっていた。まだ能力者としては新米なアメリーに当然ながらその攻撃が与える負担は半端でないものだったが、
「この子をやらせるわけにはいかないな」
その度にクラークがフォロー、最悪身を挺して庇ったことでアメリーの傷は浅いままで済んでいた。
それがまた今度も――タイミング的にフォローはしきれない、クラークが咄嗟にアメリーの前に立ちはだかろうとした、その時、
不意にジャコブの右腕が、伸びたままその力を失って地面に垂れ落ちた。
「ぐ‥‥ッ」
ジャコブの口から今までにない苦悶の声が上がる。
「やっぱり!」
ハバキは叫んだ。
――人間キメラは、あまり長い時間の戦闘には耐えられないという話。ジャコブもそうだったのだ。
「思ったより使ってしまったかッ‥‥」
言いながらジャコブは、エレベーターの前に立つ者たちの方に向き直ると駆け出す。どうやら、無理やりにでも突破を図るつもりらしい。
――しかしその速度は、フィレンツェで、そしてつい先刻までこの場で見せていた脚力のものとは程遠い。
目で追える。
だから。
「お前なんかに‥‥僕の友だちや‥‥仲間を‥‥これ以上、傷つけさせやしない‥‥!」
リオンが前に立ちはだかり、
「逃がしません‥‥」
「お前の居場所は、もう上にはないんだよッ!」
その両横から無月と雄人が深い傷を与え、
「‥‥まだ、まだ終わるわけには‥‥ッ!」
「――此処で終わりじゃ」
最後、リオンの前に身を躍らせた秘色が――ジャコブの胴体を深々と切り裂いた。
血飛沫を上げて、ジャコブの身体が床に倒れていく。
彼は何かを言おうとしていたが、口から洩れるのはもう空気ばかりで声にはならない。
――やがて彼の身体が動かなくなると、張りつめた空気が幾分緩んだ。
「‥‥これで終わりか。長かったな」
覚醒を解いたルイスが言う。
「――上に戻ろうか。‥‥これ以上ここにいると、あれだしね」
慈海はそう言って、ジャコブの死体を見て複雑な表情を浮かべているアメリーを見遣った。
まだあまり彼女とは係わりがないから、一歩引いた位置から彼女を見ていることにしていた。
けれど、慈海にしてみればアメリーは自分の娘のような年ごろなのだ。
もし娘がこんな場所にいたらと思うと、こんなにも血生臭い場所に用もなくいるのは憚られるものがあったのだ。
彼の提案に反対する者はいるわけもなく――。
そして、何事もなく任務は終わる。
●明日に声を響かせて
数日後――。
「コーヒー、淹れましたよ」
クラークが言う。
決着がついた後に誘いをかけていたこともあって、能力者たちはクラークの兵舎を訪れていた。もちろん、アメリーもである。
ただし、一人だけ姿がない――が。
クラークがテーブルにトレイを置いたその時、ドアがノックされた。
「悪いな‥‥あの後どうなったのかって話を聞いてたら遅くなっちまった」
最後の来訪者である雄人は適当な方向に目をそらしつつ、テーブルに数枚綴りの紙束を投げ出す。
そのうちの一枚に、新聞の切り抜きが混ざっていた。
「‥‥実質的な自殺、ですか?」
その見出しに目を留めたクラークが尋ねるように口を開く。
そこには、あたかもジャコブが自ら命を絶ったかのように書かれていたのである。
組織の罪を暴かれ、追い詰められたジャコブは地下に潜伏した。そこに残しておいたキメラを開放したが、そのキメラに自らが殺された――記事にはそんな筋書きが描かれていた。同じように側近である女性も死んだと書かれている。
傷痕を見ればどう考えても事実とは異なるのだが、そもそもそこまで考察する気があるなら事実無根なことなど書かないだろう。
「警察の威信の問題だとさ。
ビルを捜索するだけ捜索して、肝心のジャコブは俺たちが処理するのを手を拱いているだけってのも‥‥後々の治安的に問題になりそうだからってな」
そうでなくてもUPC・ULTの功績は世界規模だ。
その一部を譲渡することで一地方の都市の治安が保たれるなら、造り物の手柄でもあった方がいいのかもしれない。
「――コレットは見つかったの?」
アメリーが訊ねる。
その問いに、「相変わらず、だそうだ」雄人は頭を振りながら答えた。
「‥‥そっか」
返答を聞き、若干俯くアメリー。
そんな彼女に、
「――あんまり思い詰めるなよ」
「うん。組織がなくなった以上、あの子がアメリーの前に現れることがあるかどうかももう分からないんだから、さ」
「貴女には貴女の明日がある。そうでしょう?」
雄人とハバキ、律子が続けて言葉をかけた。
「――酷ぇ世界だ。けどなぁ‥‥けど‥‥」
アンドレアスはそれきり言葉を切って、代わりにアメリーの頭に手を置く。
生まれてきてよかったと思える日がいつか来てほしい――。
言葉にならないそんな思いを込めるように。
「‥‥うん。――ありがとう」
アメリーは小さく微笑みつつそう言って、カップに口をつける。
季節は春――夏の訪れも近く。
暖かな日差しと同じ温もりに包まれた日々を彼女が過ごすことが出来るよう、能力者たちは各々に願うのだった。
<完>