●リプレイ本文
●ビフォーアフター・ビフォーアフター
「――‥‥こんなに予算かけられるほど人気あるんですか? あの番組‥‥」
能力者たちより一足先にスタジオを訪れていたアスナの問いに、ええ、とプロデューサーは肯く。
アスナが何に驚いたか、と言えば――企画自体が第六回を数えたこともあるのかもしれないが、TV局の敷地の一部を利用した、番組専用のスタジオが出来ていたのである。
「うわぁ‥‥」
プロデューサーが去った後、アスナがなおもスタジオの外観を見上げていると、
「ア〜ちゃん♪」
後ろから声をかけられた。
――振り返ると、ナレイン・フェルド(
ga0506)がそこには立っていた。
「早いわね」
腕時計の時刻とナレインの顔を交互に見遣りながらアスナは言う。能力者たちとの待ち合わせの時間には、まだ少し早い。
久しぶりだからワクワクしちゃって、とナレインが笑い、つられるようにアスナも笑った直後、
「アースナさん! 今回も宜しくね!」
「わっ」
今回は横からか――そう思う間もなく、アスナの頭は長身である椎野 のぞみ(
ga8736)の肩のあたりに落ち着く。抱きつかれたのだ。
――というか、今回は皆早い。
その頃には全員が、スタジオの前に姿を見せていた。
「この番組も一周年かー」
それぞれの控室へ向かう通路を歩く最中、ラウル・カミーユ(
ga7242)は口を開いた。
「えっと、一、二――あら、今回で六回目ですね」
指折り数えたのは加賀 弓(
ga8749)。この二人、初回からの皆勤出場者である。
弓にいたっては所属しているアイドルグループ【IMP】よりも縁が古かったりする。例によって例の如く、いつの間にやら出場することになっていた彼女だけれど――いつもと違って、今回は一人で乗り込んだわけではない。
「弓姉さんがアイドルになってたのも驚きましたが、アイドルになる前からこの番組に出場していると知った時はもっと驚きましたよ」
妹である加賀 円(
gb5429)が、彼女の後ろにぴったりついて歩いていた。弓が番組に出ると知るや否や、その手伝いをすることに決めたのだ。
ちなみに弓は番組のことを家族に教えていなかったらしく、円も当然見たことがない。そのためスタッフにこっそり、これまでの映像をビデオか何かで貰えないかと頼んでいた。
今回は出場者九人のうち、初出場が四人。
「初めての人のパフォーマンスも楽しみだよネ」
ラウルの言葉に、そうね、とアスナは肯いた。
■
専用スタジオを持つことで何が一番変わったかと言えば――ステージが、ひとつではなくなったことだ。
まるで音楽特番よろしく、観客席を取り囲むように三つのステージが設置されている。いつもの大型スクリーンがあるのは一つだけだけれど、それでもこの変化は大きい。背景や大道具等のセットの大幅な変更にも、より柔軟に応じることが出来るからである。
三、二、一、キュー。
収録、開始。
録画の為流れからは省かれているけれど、実際の放送時にはOPテーマとして前回放送時に作られた弓のソロ曲が流されるらしい。
真っ暗だったスタジオに、一筋のスポットライトが灯される。
照らされるのは、これまた初回から司会を続けている女性アナ。アスナが聞いた話では、時折無駄にテンションの高い彼女もまた、この番組がきっかけで地元のちょっとした人気者になっているらしい。
「皆様こんにちは、『能力者改造計画』の時間です」
そんなアナウンサーがやけにもったいぶった口ぶりで切り出したかと思うと、
「企画開始から一周年を迎え、装いも新たにお送りいたします!」
テンション急上昇、ついでにスタジオの照度も一気にマックスへ到達した。
テンションを再度抑えたアナは、『装いも新たに』の意味を説明し始めた。
今回からのルール変更点は、二つ。
ひとつ目はテーマが出場者の選択式になったこと。
二つ目は、テーマをある程度自由にする代わりに、予算と準備時間を設けたこと。
限られた条件の中でどれだけ質の高いパフォーマンスを展開するかというのが、新しい基準なのである。ちなみに、出場決定時に参加者がそれぞれに決めた配分も審査基準として審査員の手元に渡っている。
「もっとも、『ビフォーアフター』の名をとことん追求し、内面までの変化を求めるという方向性は変わっていません。
そこは相変わらず、重要なポイントなのです。
――さて、それではそろそろ時間です」
アナの言葉に合わせ、照明が再び落ちる。
ドラムロールが鳴り響き、ステージ上を何色もの光線が行き交った。
そしてステージ背後の大型スクリーンには、最初のエントリー者の名前が表示される――。
●その病の正体は――。
「うふふ〜。ア〜ちゃん♪ 今回もステキなあなたをみんなに見せましょうね!」
控室にて、ナレインは意気揚々とメイクセットを取り出す。
「ええ。でも、こういうのは初めてね‥‥結構練習してきたけど、それっぽくやれるかしら?」
血色が悪い風に見えるメイクをナレインに施してもらいながら、アスナは台詞の最終確認とばかりに台本に目を落とした。それを見て、やれるわよ、とナレインはウィンクする。
二人の脇のクローゼットには、それほど目立った装飾の施されていない桃色のネグリジェと、医者風の衣装が掛けられていた。
■
青い空の下だというのに、その館が纏う雰囲気は『不気味』の一言に尽きた。
館自体が古びた石造りだというのもあるけれど――その周りの草木には一切手入れがなされておらず、箇所によっては壁の石の間々にも緑を覗かせている。
また、まるで外の光を遮断するかのように――窓という窓のカーテンは、全て閉ざされていた。
街の人々は知っている。
そこが領主の館であることを。
そこに住む領主の娘は病弱な上に皮膚が弱く、太陽の下では生活出来ないということを――。
その領主の娘はといえば、今日も今日とて、憧憬を抱くかのようにカーテン越しの外の世界を見つめていた。
肌は白く、血色は悪い。その病の重さを表すかの如く、唇は紫色に染まっている。
ふと、カーテンを見つめ微動だにしない少女の部屋の木の扉を、軽くノックする音が響いた。
そして中に入ってくるのは、白衣を羽織った青年。やや長い髪は青い髪で一つに括っており、その首には聴診器が掛けられていた。
彼は最近少女の主治医になったばかりだったけれど、それでも思うことがある。
前髪で表情を隠したその姿は、外への憧れとは対照的に、もはや己の生命に諦めを抱いているようにも見える――と。
だから彼はベッドの傍の椅子に腰かけると、まだカーテンを見遣ったままの少女の視線を追って、
「今日は色とりどりの野ばらが咲いていました‥‥。
周りには蝶が飛んでいて、キレイでしたよ」
そう笑顔で口を開いた。
そこでようやく少女の視線がカーテンを離れ、青年の方へと向く。
「そうなのですか?
私も、自分の目でいつか見てみたいです‥‥」
その儚げな笑みを見――青年は口には出さず、誓う。
たとえ彼女自身が諦めきっていようと――彼女の病を治してみせると。
だが――。
それから幾許かの日々が過ぎた、ある日の夜。
外は風雨が荒れ狂い、木々のざわめきが少女の部屋にまで届いてくる。
それでも、部屋の中は静かだった。
少なくとも、青年にとっては。
――ある種の胸騒ぎを覚えていた彼に、外の雑音など気にする余裕はなかったから。
胸騒ぎの原因は、勿論目の前の少女である。
白い肌も、紫の唇も。何一つそれまでも変わってはいない。
諦念を帯びた瞳もまた、同じ。
そのはずなのだけれど――青年は今の少女の瞳に、決定的な違和感を覚えていた。
――その違和感は、行動となって体現されることになる。
「私――もうダメだわ‥‥耐えられない」
そう呟いたかと思うと、少女は身体を乗り出して青年に抱きつく。
そして――
青年の首筋に突き立てられる、少女の歯――鋭い犬歯。
「はぁ〜美味しい血‥‥。
これで元気になるわ、ありがとうお医者様」
血濡れた牙を露わにしながら、少女は愉悦に笑みを蕩かせ――舞台は暗転する。
少女の静かかつ狂った笑い声をBGMにしながら。
●戦姫の演武
「にゃはは、暴れてやるぜ♪」
控室にて。
エミル・アティット(
gb3948)は陽気な笑顔を振りまきながら準備に取り掛かっていた。
壁に掛かっているのは、少なくとも見目安物には見えない中国鎧。
それもそのはず。衣装に特に力を入れることにした彼女の要望もあり――資料館に展示されている本物をモデルにし、技術スタッフが可能な限り忠実に作り上げたものだからだ。
鎧の横には薙刀に似た長い柄の武器が立て掛けられている。こちらも勿論レプリカだけれど、鎧同様精度は高かった。
■
「二番目の登場は――今回が初出場となる、エミル・アティットさんです!」
未だ幕の上がっていない第二のステージの前で、アナはそう声を上げた。
「資料によりますと、子供っぽさが抜けておらず天真爛漫で、恥じらいもあまり抜けていない代わりに初対面の相手でもすぐに仲良くなれる――とのことですが」
毎度性格の説明を行うのはいい加減くどいという感想があり、今回からその説明が行われるのは初出場者だけになったらしい。手元のカンペに目を尾としつつ、アナはそんな文章を読み上げる。
「はてさて、いったいどのように変身されたのでしょうか。それでは――どうぞ!」
■
中国、後漢末期――三国時代へと続く、群雄割拠の時代。
その時代においてはまさに戦争・合戦のためにあると言っても過言ではない野原の上――戦いが、繰り広げられている。
舞台の上で数多の兵が懸命の演技で戟を振るい、紅い飛沫を上げて倒れ逝く。
その戦乱を物ともせず、敵陣へ駆け進む一人の女将軍の姿があった。
「聞いておののけ、見て怯め! 我は梁山が子姫なりぃ〜!!」
長い柄の武器――方天戟を振り回しつつ、エミル――否、子姫は猛る。一振りするたびに敵の兵が吹っ飛び、一人、また一人と傷を深めていった。
「我が立つは常の事! 我が倒れるは無き事!! 腕に覚えあるならその手でねじ伏せてみよぉ!!」
元の本人から遠ざかっているか、というと疑問符がつくところではあるけれど――勇ましげな声を上げる本人が楽しんでいることもおつかれさまです。 OP確認しましたので公開します。しているのだろう、兎に角、迫力はあった。
やがて舞台の上の敵は全て倒れ伏し、子姫が豪快かつ陽気な笑い声を上げる中幕は下りていった――。
●女王の恋
今度は第三のステージの上にアナは立つ。
無論、彼女の背後のカーテンは未だ下りたままだ。ただ準備は出来ているらしく、幕がはためく気配はまったくない。
「三番手は――こちらも初出場、槇島 レイナ(
ga5162)さんです」
これから繰り広げられる舞台の印象に彼女なりに合わせたつもりなのか、先ほどよりも口調はやや大人しい。
「性格・特徴としては――冷静かつ大人しいものの、ぼーっとしていることもしばしばあるとか。
そんな彼女がどのような変身を見せてくれるのか、ご鑑賞あれ――」
■
真っ暗だったステージの上、スポットライトが当たる。
光の下には絨毯が包まった状態で置かれていたが、それを縛っていた紐がゆっくりと解かれ――。
その中から、一人の女性が姿を見せた。
身に纏うは絹のドレス。蛇を象ったカチューシャを頭に着けた女王――クレオパトラ。
弟であるプトレマイオス十三世に追われる立場にあった彼女が、その身の安全を保つ方法。
それは――。
「お目にかかれ光栄です、カエサル様。
本来なら私自ら出向いて行くべきでしょうが――今は戦争の真っ只中、このような方法を取ってしまいました‥‥。
こんな卑しい私をお許しください‥‥」
海の向こう、ローマ帝国からやってきたカエサルを頼ること。
頭を下げる。
スポットライトの光が彼女の肌を輝かせ、細い肢体は妖精のように幻想的に見える。
たとえその光が、恋焦がれる表情が、取り入るための方策だとしても――本人にはそうとは分からない。
歴史上、結果としてこういった形で邂逅したカエサルとクレオパトラは一日にして結ばれたという。
――もっとも、この二人の幸せな時間はそう長くは続かなかったのだが。
スポットライトが一度消え――再度灯された時、彼女の容貌は大きな変化を遂げていた。
誰しも勝つことの出来ない、時の流れの力による変化。今の彼女の肌には、皺が目立つ。
それでも、相手が変わっても――変わることのない気持ちが、ひとつ。
「あぁ‥‥アントニウス、私の嘘が貴方を殺してしまうとは――」
アクティウムの海戦で敗れ、戦線を離脱した際――無事に逃れるためにクレオパトラは自分の死を誤報として流したのだが、当時結ばれていたアントニウスはこれを信じ、後を追うように自殺を図ったのだ。
――そして彼は、彼女の前で命の灯を消した。そのことが彼女の心に深い傷を負わせていた。
「許して下さい――私もすぐに後を追いましょう‥‥」
そう呟いてクレオパトラは、頭のカチューシャを外す。
そして、蛇の頭の先端を自らの胸元に近づけた。
小さく鮮血が舞う。
蛇――コブラの牙に含まれる致死性の毒。
それは瞬時にクレオパトラを蝕み――彼女は一度眼を大きく見開いた後その場に倒れ、そこで今度こそスポットライトは消えた。
●出場者多数につき
毎回収録は全員フルで行われるのだけれど、それが放送時に常にフルで流れるとは限らない。
一周年記念ということで番組の尺は普段より多めにとれたものの、それは変わらなかった。結局一部は収録後、編集してダイジェストで送られることになる。
舞台は大型スクリーンのある第一ステージに戻り、四番目に登場したのは美環 響(
gb2863)。
一休の死ぬ間際――その時まで『ありのまま』だった彼の姿を、響はその通り『ありのまま』に演じてみせた。
■
五番目はイスル・イェーガー(
gb0925)。
「――すぅ‥‥はぁ‥‥すぅ。‥‥ぅー‥‥緊張する‥‥」
――と、舞台袖で静かに緊張を語っていたように普段は物静かな彼が演じたのは、スイスの英雄であるウィリアム・テル。
勿論言葉づかいは――
「‥‥代官! 私はあなたの言葉通り、あの頭に置かれたリンゴを見事射抜いて見せよう!!」
とってもハキハキしている。
囚われの身から自由になる為に、親友の頭の上に乗ったリンゴを弓で射抜く――その技を、イスルはスナイパーとしての感覚も用いて見事にこなして見せ。
「‥‥はふうぅぅ〜‥‥。‥‥おわったぁ‥‥」
演技を終え、舞台袖に戻った途端素に戻った彼は、顔を真っ赤にしてその場にへなへなと座り込んでしまったとさ。
■
「今回はアイドルになって初めてのテレビ‥‥。今回も前回ほどでは無いにしろ、暗い感じだけど‥‥よし!」
そう意気込んでかつらを被るのは、六番目の出場者であるのぞみ。
演じる舞台は、太平洋戦争の最中。
空襲警報が鳴り響く中、防空壕に避難した女性はわが子を抱きながら、呟く。
「何で戦争なんか‥‥この子を守ることすら出来ないの‥‥」
――その不安が伝播したのだろうか、子供が泣き出した。
彼女はそれでも懸命に、気丈に――普段ののぞみにはない――慈愛に満ちた笑みを見せ、それでも泣きやまない子供に対し、北海道でよく歌われているという子守唄を口ずさむ。
――歌い終えた頃には子供もようやく穏やかな寝息を立て始め。
そして母親たる彼女もまた、背中に赤いモノを流しながらゆっくりと倒れていった――。
■
七番目は冴城 アスカ(
gb4188)の出番だった。
偶然か、それとも構成作家が狙ったのか、時代背景を戦争においたものが続く。ただしこちらは第一次大戦の話で、かつ舞台は欧州だったけれど。
「うーん‥‥あの人の雰囲気を出すなら‥‥これとこれかしら‥‥」
ブラウンを基調とした軍用スーツを身に纏い、長い髪は軍帽に全て収納する。口髭をつけ、老いて見えるようにメイクも施した。
ちなみに普段は世話焼きで気さくな彼女だけれど、想定しているイメージは内面も含めてミハイル・ツォイコフ大佐に近かった。呟いた『あの人』も大佐のことかもしれない。
銃撃音が響く中――ただし舞台上にセットはないが――二人の部下に支えられながら『彼』は中央にたどりついた。
その服はすでにボロボロになっており、自らの流した血で汚れきっている――。
ゆっくりと彼を床に横たわらせ、治療を施そうとした部下の手を――彼は、止めた。
逃げろ。
そう短く告げる。
自分の死ぬ場所はここだと分かっているから。
最初は首を振った部下だったけれども――死に瀕してなお厳しい表情を浮かべる彼に気圧され、やがて、敬礼をして走り去って行った。
誰も近くにいなくなると、彼は震える手で胸ポケットから一枚の写真を取りだす。
「‥‥先に逝く私を許してくれるか? ヘレン‥‥」
ゆっくりと呟いて、満足そうな表情を浮かべながら瞳を閉じた彼の手の平から――写真は、ゆっくりと離れ落ちた。
●ドジっ子神父にご用心
「さぁ、残すところあと二組となりました。
次の登場は――前回優勝者、ラウル・カミーユさんです!」
■
照明が灯されたステージの上には最初誰もいなかった。
けれど――すぐにステージ袖から、一人の男がおっとりとした動作で歩み出てきた。
男が身に纏うのは、聖職に就く者のもの。眼鏡はずり落ちており、その手にはくたびれたトランクを提げていた。
「あぁ、やっと着きました。
今日からここぉ――!?」
一人ごちた男の言葉は、内側から木製の扉を開く乾いた音、そしてその瞬後に起きた――鈍い衝突音にかき消される。
ついでに、男の身体がのけぞり倒れ、転がった。――扉に叩きつけられたのだ。
少々痙攣の様を見せた後、男は「あいたた‥‥」と床に叩きつけられた後頭部をさすりながら起きあがる。
体中の土ぼこりをはたき落としながら、扉がある方を見た。
「‥‥あぁ、私ですかぁ?
本日から此方へ参りました神父です。宜しくお願いしますねぇ。
いやぁ、道に迷いまして‥‥」
ははは、と照れくさそうな笑い声をあげたのも一瞬のこと。
すぐに声を上げるのをやめ、相手の言葉を聞くような態度を見せる。
そして、
「え、一本道? ‥‥あれぇ?」
目を丸くした。――どうやら、相当『抜けている』らしい。観客席からも笑い声が漏れた。
それからもう一度話を聞くしぐさを見せ、
「おや、ご案内頂けるのですかぁ? ではお願いしますねぇ」
そう言って小さく肯くと、踵を返す。
ただし、トランクは置き去り。
――流石にこれには気づいたらしく、もうすぐ姿を消す、というところで彼は慌ててトランクを取りに戻ろうとして――。
盛大にずっこけた。
新喜劇ばりのアクロバティックなコケっぷりに――先ほどよりも大きな笑い声が上がる中、一度照明が暗転した。
■
再びステージが明るくなったとき――男は今度は観客席の方を見ていた。
手を組み、穏やかな様子で――口を開く。
「主はおっちゃいま‥‥」
噛んだ。一度こほん、と咳を立てて。
「仰いまちた」
リトライ。
最初噛んだのが恥ずかしかったのか視線は泳ぎ、顔はやや赤くなっていた。しかも結局また噛んでいる。
「と、ともかく祈りましょう。アーメン」
二回連続失敗が効いたのか、今度は流石に噛まなかった。
静かに祈りを捧げた後、
「皆様に主の加護あらんことっ――!?」
深々とお辞儀をしようとして――鈍い衝撃音のBGMの後に、前屈みになっていた男の頭が不自然に上がった。
――と思ったら、すぐにその場に蹲って頭を押さえた。
痛みに震える神父をさておき、幕は笑いを孕みながら降りる――。
●討ち入りの夜
「えっと、その‥‥し、渋いですね?」
弓がチョイスしたテーマを知った時の円の反応である。
ただまぁ、他ならぬ姉のため。
円自身は出演するつもりはなかったけれど、その代り裏方としてやるべきことをやろうと考えていた。
たとえば、弓以外の出演者――スタッフの演技のこととか。
あと、前の企画で利用したセットの再利用の手回しもさせてもらったりして。
そんな妹のサポートを受けつつ、弓は弓でスタッフと台本をもとに念入りに打ち合わせ。
そして――。
■
「いよいよ今回も最後の出場者となりました。
今回のトリを飾るのは――今回からこの番組のOPテーマも担当して頂いている加賀・弓さんです!」
■
元禄十五年、十二月十四日――。
この日の夜、四十七人の浪士がある目的を以って江戸市内に集っていた。
それを取りまとめる男の名は、大石内蔵助――その目的は、吉良上野介の首級をとること。
四十七人は表門と裏門に分かれ、舞台の上には表門の二十三人がいる。
大石内蔵助もそのうちの一人だった。
彼――演じているのは弓だが――は同志達が集い終えたのを確かめ、太鼓を構える。
そして、叫んだ。
「皆の衆、討ち入りである!」
表門傍の塀に梯子がかけられ、大高源五と小野寺幸右衛門(に扮するスタッフ)が真っ先に塀の内側へ。
そのまま玄関へさしかかり、慌てて躍り出てきた番人たちとの戦闘が始まった。上がる、怒号。
先陣切って戦い出したのは源五と幸右衛門だが、もちろん内蔵助とて負けてはいない。自らも先陣に立ち、番人や吉良家の者を斬りおとしていく。
主の無念を背負い刃を振るう忠義の人。その様は鬼神のようで――
やがて、彼の手で本丸の首級を捉え――彼らの仇討は果たされる。
立ち上った火の始末を行った後、それでも半壊した吉良邸を浪士たちが出たところで、凄惨たる痕跡を保ったまま幕は下りていく――。
――急造の演技の割にスタッフも殺陣がしっかりと出来ていたのが、誰の功績によるものかは言うまでもない。
●アフター・アフター・ビフォーアフター
全てのパフォーマンスが終わり、いつものように結果発表が行われた。
三位はレイナで、二位はラウル。
ともに共通して言えるのは、あえてセットの使用は最小限にとどめていたことだろう。
その代わりにレイナはスポットライトの当て方に関して演出の一環として気を遣い。
ラウルは大道具を一切使わず、パントマイムのような動きだけで変わりっぷりを表現したのが評価された。
二人ともに事前調査の割り振りのセットの値は低く、演技はその分高い。そして実際の演出内容もそれにそぐわしいものだったことが高評価の理由の一つだろう。
そして優勝は――。
「前回のラウルさんに続き、こちらも二度目の優勝となります――加賀・弓さんです!」
こちらは弓の選んだテーマ、台本などを利用した綿密な打ち合わせの結実した結果であることも大きいけれど、その結実の一端を担った円の裏方としての手腕も暗に評価された。
この企画史上かつてないほどにスタッフの演技に迫力があり、それにより内蔵助の鬼気迫る様を引き立たせたのは――スタッフの練習を見ていた彼女なのだから。
■
スタジオを揃って出る。
「ふうっ‥‥慣れない事をするのは肩が凝るわね」
肩をこき、と鳴らしながらアスカが言う。
「にゃはは♪ 何かうまくできたかわかんないけど、楽しかったぜ」
実際の評価はともあれ、本人は満足出来たらしいエミルはいたって上機嫌だった。
「次回も絶対出るから、その時は宜しくね! アスナさん!」
のぞみは満面笑顔。ちなみに、いつも弓が行っているIMPの宣伝に加えて今回は放送時にはのぞみが所属するALPの宣伝も行ってもらえることになったらしい。
ちなみに企画リニューアル効果も相俟ってか、この回の視聴率は普段より高かったとか。
(※一応補足しておきますが、演出の都合上一部書籍記述による史実とは異なる描写が存在します)