●リプレイ本文
女が口ずさんでいたのは古い古い音楽だった。
それは子守唄。
ゆっくりと、何かに言い聞かせるように、優しく。
しかし、隣には‥‥誰もいない。
扉を開けると、ゆったりとしたブルースが流れ聞こえてくる。
乾いた来客の鈴の音がマスターを振り向かせた。
何も言わず、ただ片手を挙げると、マスターもグラス拭きの手を止めたりはしない。
そっと視線だけで来客の目的地を告げ、後は何食わぬ顔でいてくれる。
それが、ここの決まりだった。
視線の示した先は薄らとカーテンがかかった個室の卓である。ここに来ると、つくづくこの仕事が嫌になるものだ。全てが、闇の色に飲まれている気がする。
通された席にいたのは六人。何のことは無い、今回依頼を託す連中だ。一体来てから何時間待たされていたのだろうか、灰皿には山となった煙草の残骸が入っている。
早朝に呼び出したせいなのか、銀色の少女は肘ついた手にのり舟を漕いでいた。
「待たせた」
そう告げそっとカーテンに手をかけると12の瞳がこちらを見つめてきた。
◆
まず目をつけたのは軍人からの依頼だということだった。錦織・長郎(
ga8268)は元来こういう調査に身を置いていた事があり、何となく同じ匂いを感じ取った。依頼人の話を聞くと、とある人物の肉親が、どうやらここ最近この付近にて目撃されている人物と似ているとの話だということだった。それは、現在重要参考人として軍が保護している人物である。近辺調査を兼ねて調べているものの、どうやら有る時期を境に姿を消し、跡を追うことがかなわなかったとのことだ。
「すまないが、私は軍人といっても特殊な能力を持ち合わせていない。もし、その人物が‥‥そういうことを考慮し、君達に依頼を出したんだ」
そういって差し出されたのは、現時点で彼女がよく訪れるというBARの住所だった。先にマスターに話を通しているからと、開店前から訪れる事が平気だと告げる。それを十分に利用させてもらおうと、みなは考えた。
情報をあらかた手に入れると、錦織はまずはここ最近のこの街の情報を調べるため、図書館へと向った。調べるのは、町の新聞である。そして、同時にこの町に根付いている組織へも調査を入れることとしていた。女の風貌からして、音楽関係を‥‥そして、ジプシーコミュニケーション、後出入りしていた酒場の関係から裏の世界の情報を手に入れるために動く事を念頭に置いた。風間・夕姫(
ga8525)もそんな錦織と協力をし、時には同伴で、時には分かれて迅速に調べを行っていく。
「‥‥言っとくが恋人関係になる気は無いぞ、お前とは良い友人で居たいとは思うがな」
欠かさない連絡は、全員へのものへと。
そんな調査の中で気になったのは、とある記事だった。
闇で蠢いていた組織が、ここ最近襲われているという記事。それは一つのシンジケート。その一派がここの所襲われ、その度に謎のクロスが描かれたカードが置いてあるというのだ。そのクロスは、間違いなく軍人が描いたクロス、そのものであった。
そんな記事を見つけ、錦織はにやりと、眼鏡の奥の眼を光らせていた。
◆
クラウディア・マリウス(
ga6559)は店内へと入ると、キョロキョロと周りを見渡した。どうやら、意中の人物はまだ来ていないらしい。既にマスターには伝えてある。
ぽつんと、離れたカウンター席に着くと、そっと手元にある飲み物を口に含んだ。
自分は、この店では大層浮いて見えるであろう。しかし、それがまた相手の隙に付け込むチャンスが生まれるかもしれないと、彼女は考えていた。
カラン。
軽やかな鈴の音が、来店を告げる。
マスターの反応が、微かに変わった。
彼女が、来たのだ。
視線を扉へと向けると、長い黒髪をまといし女が、静かに歩いてくる。
思わず、目を留めるほどの容姿だ。目鼻立ちがはっきりしており、顔を覆っているミラーシェイドすら、違和感無く納まっている。
ふっと、シェード越しに女と目があった気がした。相手の唇が、微かに笑むのが見てとれた。
――掴みはOKですね――
そう判断したクラウはふんわりとした笑みを浮かべ、席へと着いた彼女に接近を図る。
「こんばんはっ、お話いいですか?」
無邪気な笑みは人を疑わせないとばかりに、クラウは近づいていった。
「‥‥どうぞ?」
漏れた言葉はとても綺麗な音を奏で、すとんと耳へと落ちてくる。何故だろう、この声だけで幸せな気持ちになれそうだ。
思わず魅了されそうになり、慌ててそんな思考を振り払うかのように立て続けに言葉を発した。
「あ、私、クラウディアって言いますっ。お名前教えてもらってもいいですか?」
その言葉に、暫し悩むように黙ると、彼女はそっと囁いた。
「駄目よ? 見ず知らずの人に不用意に名前教えちゃ。言霊を紡がれたら、それで終わってしまうわ」
そんな謎の言葉をかけられて。
きょとりとした様子に苦笑を漏らしながら、彼女は続けた。
「ごめんなさいね。私には教える名前がないから‥‥」
その言葉が哀しげで、クラウは思わずうるっと来てしまった。何故だろうか、彼女の言葉はあまりにも心に響きすぎるのだ。
マスターによって届けられたグラスには、ワンショット分のウィスキーが、キツイ香りを放っていた。その香りに負けずに漂ってくるのは‥‥
「良い匂いですね。何処の香水ですか?」
グラスを持つ手を見つめつつ、クラウはその匂いを辿る。
「花の‥‥香りよ。これは、特別‥‥なの」
そう言って爪で弾くようにグラスを撫でる。
「お姉さんは、何の仕事をしているのですか?」
「ふふ、何の仕事でしょうね」
そう、微かに笑って、どうも質問をかわされているようで‥‥少し不貞腐れ気味にクラウは飲み物を口にした。
「そうだ!」
思い立ったように手を打ち合わせると、キラキラと輝くような笑みを浮かべ、彼女へとおねだりしだした。
「それ、あたしも掛けてみたいです!」
突如の申し出に、手が止まる。そして少し笑うと、
「ごめんね。これ、貸せないの」
そう言って、クラウの髪を撫で上げた。
少し、骨ばった手に硬いものを感じる。くしゃり、そう撫でたとき‥‥
「‥‥こら、いい加減にしろ」
困惑の原因クラウに拳骨が落ちる。
「むぅ〜! いたいですよ? お兄ちゃん」
「だまれ、この不良娘。さっさと戻れ」
「ううーっ」
そう言ってクラウディアは膨れたまま他の席へと移っていく。そんな様子を見ながら、大泰司 慈海(
ga0173)は近くにいた一人だけらしい男に声をかけていた。
「あの娘、すごいそそるよね。どんな子か知ってる?」
「あぁ? 鈴の女か」
「鈴?」
どうやら話に乗ってきたのを確認すると、慈海はニコニコとした笑顔で、鋭い眼光を隠しつつ、酒のグラスを男と交わした。
「あぁ、声が鈴のようだからってそうここらで呼ばれてる」
どうやら男もここの常連であるらしい。風貌からいって、そこまで悪い奴でもなさそうだと判断し、慈海は何食わぬ顔で詳しく聞きだす。
「マスターに聞いたら、何だか結構常連なんだって?」
「だなぁ。ここ2ヶ月はずっと来てるんじゃないか?」
「へぇ」
「まぁ、いつもふらりと現れては、時に男が迎えに来て去るって感じだ」
「男?」
そういえば、依頼主も彼女を男が迎えに来た、そう言っていたのを思い出す。いつも同一人物なのだろうか、疑問が浮かぶ。
「あぁ。深く帽子を被った、白い手袋の男。ありゃ、一般のモンじゃないな」
「それじゃ‥‥」
言葉を続けようとした時、男は慌てて否定を始めた。
「鈴の女に関してはわかんないぜ? あの子に声をかけて振られたやつは数知れずだ」
どうやら、この男も声をかけ、振られたケースなのだろう。だからこそ、ここまで興味深く観察していたのだと思われる。
「あははっ! そしたら僕もダメかなぁ」
「おっさん、自分の年考えろや」
そんな調子でバンバンと背中をたたきあいながら、視界の隅に慈海は女を捕らえ続けていた。
クラウが無事に離れたのを確認すると、アンドレアス・ラーセン(
ga6523)は誤りながら女の様子を窺っていた。
「悪いね、世間知らずの妹でな。お詫びに一杯奢るぜ」
そういって隣の席へと座ったアンドレアス。長い髪を掻き上げながら、マスターに注文を入れる。
「同じ物で‥‥いいか?」
「ふふ、別に構わないのだけれど」
「いや、そういうわけには、いかない」
茶目っ気に片目を瞑り――同じ物を2つ――と、告げた。
ふと視線を手に走らせると、右手の指の変質が見られる。足元にはギターケース。
「ふぅん。同業か? 俺もギター弾きだ。今はプロじゃないが」
「あら、私もプロじゃないわ」
そう言って女は咽を指差す。
「私は声。ギターはたまに、よ」
「へぇ、何歌ってるんだ? 聴かせてくれよ」
「ふふ、客の前でしか、私は歌わない」
「お、んじゃ俺が客になってやろう。なんなら、ピアノだって弾いてやるぜ?」
そんなアンドレアスに、女はくすりと笑い、ショットグラスを飲み干した。
「悪いけど、ここには『客』は、いない」
急速に温度が低くなった声が、何故か耳に付いた。
◆
風間は女が店を出た後、何食わぬ顔で外へ出る。先程まで普通の客を装って遠くから様子を窺っていたのだ。外で待機していた周防 誠(
ga7131)は、既に後をつけ始めているだろう。月明かりが、自らを照らし出す。そんな中、自分はこの闇に紛れ影となって動こうと。月明かりさえも影に纏うように。
そんな様子を錦織はそっと窺っている。もし、考え通りで有るのなら逆に尾行がつく可能性があるのを、考慮してのことである。風間から眼を離さぬよう、そして周囲へと気を配りながら‥‥。どんな眼が開かれているのだろうか、その先にと思いながら‥‥
アンドレアスは店を出ると路地に止めていた車へと乗り込む。クラウディアも一緒だ。他のもの達が去ってからかなり時間の経った跡に、そっとエンジンをかけ、スタートさせる。目的地は分らない。しかし、時折周防がくれるモールスによって居場所を判断することが出来る。それを頼りに、隣に乗ったクラウディアはアンドレアスへと方向を指示していた。
◆
曲がり角を回ると、恐らく‥‥周防はこの先に少し危険を感じる。これは最初からある程度予測されたことだと、己自身に言い聞かせながら、より練力を高める。サポートは付いているのだ、大丈夫、と。
自らに施した隠密潜行で素早く動くも、
「STOP!」
首筋に冷たい感触が‥‥
「っ! ばれて‥‥いましたか」
「甘く見られちゃ、困る」
それは後を追っていた女の声。しかし、先程よりも低く、冷たく感じる。
ツーっと剣先で首筋をなぞられる。視界の隅には、大きな刃渡り。恐らく大剣であろう。
「で、貴様は何の用なんだ?」
口調が、明らかに先程までと異なっていた。――能力者――そんな言葉が周防の中で浮かぶ。先に調べていた事柄の中で、彼女と見られる人物は確かに数ヶ月前までは記録に存在していた。しかし‥‥
「能力者に、なられたのですか?」
すっと眼を細め、様子を窺う。下手に動けば、この剣は恐らく‥‥
「貴様には関係ない。目障りだ、とっとと失せろ」
振り払われたのは、一房の髪だ。はらりと舞い落ち、そして剣が離れた。
「そういうわけにはいきません」
「‥‥わらわには用がない」
剣を携え立つ後ろ姿は、まるでしなやかな黒豹のようで‥‥全身が鋭く獲物を狙っているように見えた。
「お姉さんよぉ‥‥わりぃが俺もちょっくら用があるんだわ」
金色の髪を地面まで届くほどに伸ばしたアンドレアスが、痺れを切らしたようにその場に出てくる。他の者達も、ぞろぞろと出てきた。その様子に気付いた女は、深い溜息と共に、剣を薙ぎ払った。
「貴様ら、地獄を見たいのか?」
「そうはいかないな。あたしは知りたいだけなんだよ‥‥知り合いがな‥‥お前が友人の姉にそっくりだと言っていてね」
「‥‥そっくりだと?」
「カノン‥‥と言っていたな‥‥その友人の名前」
女の動きが、止まった。
その様子に風間はふーっと息を漏らす。
「お前‥‥やはり‥‥」
アンドレアスの声に、熱が入る。慈海はそっとそんなアンドレアスの腕を押さえた。振り払おうとするも、静かに首を横に振る。
「君は、誰なのかなぁ」
おっとりと、しかし核心めいて訊く慈海の言葉に、彼女は、低く笑いを零しながら剣に両手をついた。
「‥‥エスティ、エスティラードだ」
不意に外されたミラーシェードは、金色に光る目を映し出す。そして、同じくシェードに隠されていた額には、コースターに描かれていた不思議な十字架のマークが。
「わらわは、一人だ。カノンなど、知らぬわ!」
そう叫ぶと、突然に現れたバイクに飛び乗り走り去っていった。どうやら、仲間が迎えに来たのだろう。
クラウはそっと、落ちたミラーシェードを拾う。月明かりを浴び、それは悲しく光っていた。
◆
「恐らく、意中の人物だと思うね」
調べ上げた調査資料を纏めたものを目の前に置いた。
そこには、ここ最近の事件についてと、一人の消えた歌い手の情報ばかり。
「消えた、歌い手‥‥」
写っていたのは一人の少女の歌い手。エティとの愛称で呼ばれた、儚い少女の写真であった。
「やはり‥‥」
アンドレアスは悔しそうに拳を握り締める。慈海は少し考えるように首を傾げると、
「それで、何故君は彼女を調べてたんだろう」
そんな問いかけを依頼人へと投げかけていた。
その言葉に、12の瞳が、一点へと集中する。
「‥‥特殊任務への、召還命令書を‥‥」
ふぅと息を静かに吐くと、その依頼人は一枚のカードを見せた。そこに捺されていたのは、あの、不思議なクロスのマークだった。