●オープニング本文
前回のリプレイを見る「これで、この街ですることは終わりかしら‥‥」
海を眺めつつ、そっと自分の肩を抱きながらエスティラードは呟いた。
海風は、身に染みて。
肌寒く感じるのはどうしてなのだろうか。
それは海風のせいなのか、それとも‥‥
手元にあるのは、血塗られた封書と綺麗な封書。2つだった。
◇
いつものバーに、いつもの席で。
並び座る男女に、マスターがコトリとグラスを目の前に置いた。
ハーフグラスの中に、丸く削られた氷。それを浮かべる、琥珀色の液体。
鼻につく匂いが、深い味わいを生み出す飲み物である事を注げていた。
男がテーブルの上へと投げ出した封筒に、女はそっと手を伸ばし、自分の元へと寄せていた。
封を開けると、中には数枚の写真と共に分厚い資料が入っている。
「これで、一応ここの組織のは全部だ」
カラカラと氷を回しながら、口にしていた長めの煙草の灰を落とす。
思った以上に長くかかってしまった。これ以上の長居は、彼女にとっても、その不在を許している組織としても大きな打撃になることは見えていた。
「そう‥‥だったら急いだ方がよいのかしら」
少し目を細めながら、封筒へと再び入れなおす。
すること、それはもう既に決まっている。
壊滅。
それ以外無いのだから。
「‥‥あの人が、関わっている事は間違いのないのだから。――私が、壊す」
強い意思の宿る赤い瞳で。
握り締めたグラスは、切なそうに声を殺して震えていた。
◆
既に時は満ちていた。
そして、交差した機軸は運命の歯車と化して動き始めている。
最初に紡いだのは糸。
しかし、いつしか糸は大量にあふれ出て織り手を探す。
織り手は自分の手を血染めにしながらひたすらひたすら物語を織り続けた。
そう、織物が血染めのものになろうとひたすら。
滴るほどの血をすっかり吸い取った一箪の布が出来上がっても。
いつしかそれは機織りを求め。
歯車たちは、物語の続きを好き勝手に紡ぎだす。
操縦者がいないまま。
複雑に織り成された糸たちが絡み合い、そして‥‥
◆◇◆
「早くあの女と接触しないと!」
深く被った帽子が男の視線の行方を隠していた。
雨が激しく降る中、男はひたすら海岸沿いを走っている。
手に抱くは一通の封書。
そして‥‥
「こっちだ! こっちに逃げ込んだぞ!」
建物の影から複数の足音と共に男達の声が響いてきた。
「くっ! 見つかったか!」
男はひたすら走る。
雨が、視界を邪魔する。
足に絡みつく水が、革靴へと染みこみ速度を落とす。
もう、時間の問題である事は確かであった。
―― この封筒だけでも、どうにか!
黒いコートの中へと、封書を隠しこみながら走り続けた。
遠く後ろからは、角を曲がって現れただろう者たちの足音が近付いてくるのが感じていた。
せめて、雨でなかったのなら。
そう思っても、天候だけは自由に操る事はできない。
次第に遅くなるのは、雨の所為だけだったのだろうか。
遠く響いた、鈍い音はなんだったのだろうか。
それがわからないまま、男は‥‥赤黒い液体と共に地面へと伏せていた。
●リプレイ本文
「私は諜報担当じゃないわ。あくまでも実行側よ」
ぽつりといった一言が、今までの経験を語っていた。
血塗られた刃が月光に照らされる。
何度、人を殺めたのだろう。
何度、人を騙したのだろう。
何度。
あの子に、近付いてはいけないほど罪を犯したのだろう。
心に出来た傷は、思いのほか深く。
もう、頬には雫が流れ落ちることもない。
それでも心は泣いていた。
そう、あの名前を貰った日から泣き続けていた。
◇
二つの封筒の片方だけが、皆の前で開示された。
それは、今回のターゲットについて調査された内容であり、依頼の本質の部分に関わるものであった。
「だから‥‥」
「お前が囮になるっつーのか」
説明を聞いていたアンドレアス・ラーセン(
ga6523)は眉間に力が入りつつ、吸いかけの煙草を空いたジュースの缶へと押し付けていた。
「まぁまぁ、アンドレ君。エスティちゃんもワザとじゃないんだし、確実性を選んでのことであって」
不穏な空気が取り巻こうとしたところで大泰司 慈海(
ga0173)はすんでで間に入る。
既に2回‥‥いや、3回あっているだろうこの2人の仲はどうも穏やかに進めるという事を知らないのではないかと疑ってしまう。
「エスティさんも、お兄ちゃんも、喧嘩はダメですよ!?」
そう感じているのはきっとクラウディア・マリウス(
ga6559)1人なのだろう。
やや後ろの方では錦織・長郎(
ga8268)と風間・夕姫(
ga8525)が静かに微笑を浮かべて様子を見ていた。
「それでは、詳細について教えてくれませんか? 今回の目的について」
このままだと進むのと同時に、2人のある意味低レベルな争いを見たくはないものですと周防 誠(
ga7131)は苦笑しつつ話を進めることにしたのだった。
「私だ、夕姫だ」
風間がかけた電話はナットー事務所に繋がった。
知り合っていく中でこの事務所のネットワークの広さに感心しつつも、どこまで手を広げているのかは不明な所が多い。だが、今回は頼れそうなところは当たってみるつもりで夕姫は言葉を紡ぎ出す。
「頼みたいことがあるんだ‥‥」
この事件が終ってから、エスティは身の振り方について考えるといっていた。
これからのために、彼女自身の立場はどのようにすればいいのだろうか。
「確かノーラはエレーナ中尉と知り合いだったよな‥‥」
そこで夕姫が閃いたのはノーラ・シャムシエルの友人でもあるエレーナ・シュミッツ中尉を仲介してのカプロイア社でのエージェントとしての身の置き場であったのだが。
『ごめんなさい、風間さん。あたしが出来ることは何一つ無いの‥‥』
電話越しの声は申し訳なさで今にも泣き出しそうな声であった。
「そうか‥‥。何一つ、か?」
『ええ』
エレーナにすら繋げない。用件は伏せていたはずなのに、頼みごとについて所長が把握していたらしい。連絡をつけられるようしようとした所を止められたのだ。
所長が言うにはエスティだから、Phantomだから‥‥そういうのだ。
「Phantom‥‥だから?」
夕姫はその言葉に首を傾げつつ、新たな方法が無いかと考えを廻らせていたのだった。
◇
エスティが囮となった舞台は、港外れにある小さな居酒屋だった。
月と言う自然のライトアップに映し出されたのは少しくたびれた様子が目立った一軒である。
居酒屋と言うものの、海の者達は朝が早い。そして夜も早いのだ。
お天道様が通れないほどのあつあつっぷりで一件くらいは開いてるのかも知れん。
そんな居酒屋でも地域性なのだろうか、小さな催し物が飲んでいる者達の間から始まっていくのだ。
小さく始まった輪は、いつしか大きな輪となり、店中を虜にしていく。
エスティが狙ったのは、その輪の中心になることであったのだ。
爪弾くは一本のギター。心をつくりしはその音に合わせて紡がれる一つの物語。
微かに震える鈴は、小さな波紋を投げかけた。
「こ、この声は!」
客の中からどよめきの声があがる。
どうやら声自体に聞き覚えがあったらしく、あわてて携帯電話をいじりだしたり、中には小型の携帯情報端末で何かを検索しているものまで出始めた。
「はわっ。ど、どうしたんだろう」
周りが騒ぎ出したことに様子を伺っていたクラウは慌て始める。
当のエスティはというと、何食わぬ顔で歌を歌い続けていた。
高く、透き通る声。
そして、抑揚が並々と伝わってくる。
いつも見られないようにかけられていたスクリーングラスが外され、現れた顔はやはり知り合いのカノン・ダンピールに良く似ていた。
少し悲しげな紅の瞳がまた異なるようでいて、重なる。
ふわっとかきあげられた髪で、うなじが現れる。そこに、薄らと見えたのは薔薇と十字架のタトゥ。
「あ! あいつはっ」
そのタトゥを見て、2・3名反応した声が現れた。
その方向に、素早くクラウは目を走らせる。
チェックマークのついていた組織の人間だ。
エスティは口元を微かに上げると、深々とお辞儀をしてステージから降りていく。
同時に男達もまた後を追う様についていく。
クラウはそっと確認するように周りに注意を向けると、見失わないようにと足を向けていた。
カバンに入れておいた無線機に、そっと合図を送る。
――囮は成功
第一段階終了である。
◇
周防はビルの向かいにあるアパートの一室を借りていた。
見張りのためである。
カーテンの隙から双眼鏡を使い様子をチェックしつつ、出入りの顔をリストと照らし合わせていた。
出て行く者、入っていく者。
緊張が常に付き纏っていた。
足元にはもしもの時のライフルを用意し、もう片方の手には無線をすぐに使えるようにと握っている。
さきほど、クラウからの連絡でエスティが連行されていったとの情報が入った。
予定では、このビルへと到着するはずである。
――そこからが‥‥
彼女が本当に彼らへと頼ってきた場面へとなるのだろう。
握り締められた掌に、薄らと血が滲んでいた。
『来ました』
周防が放った無線への合図は他の仲間へと直ちに伝わる。
裏口で待機していた夕姫と慈海。そしてアンドレアスと長郎である。
合図と共に夕姫と慈海が待機していた裏口から潜入を試みた。
続いてアンドレアスと長郎も入り、二手に別れる。
慈海・夕姫はそのまま部屋へと突入。入り口に2人ほどいたものの、同時に当身を食らわせると複雑な表情で倒れこむ。
素早く慈海が取り出したロープで手足を纏め上げると、長郎は念のためにと口に猿轡もセットする。
アンドレアスは突入と同時に長く伸びた髪を掻き揚げると、にやりと長郎を見つめ、全身が熱くなってくるのを感じ取っていた。
長郎は素早く眼鏡を正すと促すように視点を裏口の横へと向ける。
そして、当初の予定通りアンドレアスと共に上の階へと目指し走り出した。
「あ、夕姫ちゃんちょっと待ってね?」
慈海は夕姫の足蹴りによって倒れた者をクルクルと縛り上げていた。きっちりと縛り上げ、解けないように念入りにである。
「‥‥いくぞ」
姿勢を低くし、扉の前で夕姫は剣を身構えつつ様子を見計らう。
裏口から入ったとはいえ、既に3人ほど当身や蹴りで眠らせた。
もしかしたら、性質の悪い強化人間が居ると聞いている。
油断は禁物だった。
剣の切っ先で中の様子を見ようと、刃を少し傾けてみる。
突入前に聞こえた音の様子だと、ドカドカと連れたてて行った音の後、数人の足音が消えていった。うまくいけばこのフロアには人が居なくなっている可能性も高い。
傾けた先に映し出された室内に、人影は見受けられない。耳を澄ませても物音が聞こえないことを確かめると夕姫は出発を促す視線を慈海へと送った。
「周防、今のところどうだ?」
階段を走り上がりながらアンドレアスは周防へと無線連絡をする。
真向かいから観察を続けている周防は、電気がついた階をアンドレアスへと告げつつ変わりも無いようだと応えていた。窓際に立つ人影の様子を見つめ、立ち位置で人数を割り出そうと頭を廻らせる。
クラウはエスティが連れてこられて遅れること5分くらいでビルへと着いていた。
追跡へと使ったタクシーには、
「お姉ちゃんが悪い人に連れて行かれるの。追いかけて!」
などといいつつ、相手へとわからない距離を空け走らせたことによるロスタイムだった。
ビルの前へと着くと微かながら金属音が響いている。
既に始まっているであろう光景を思い浮かべると、クラウはきっと顔を上げ前へと進んでいった。
自然と伸びた手で、首に提げられた星のペンダントを握り締めながら。
「はっ!」
風間は短い掛け声と共に剣を振り落とす。
重さが乗ったその一振りは痛い一撃となりて相手の肉へと食い込んでいった。
その反動で腕に痺れが走るも、風間は鋭い視線で目の前の人物に睨みをつける。
にやりと笑い返され、思わず鳥肌が立っていた。
今風間の目の前に現れているのは、間違いなく要注意人物の一人であった。
そして、この強さを考えると『強化人間』なのかもしれない。
先程まで当身を食らわせて気絶させていた者達と比べ、明らかな違いがそこには存在していた。風間の額に、キラリと汗が光った。
「待たせたなっ」
扉を蹴り破って入ってきたのは長郎とアンドレアスだった。
その姿を見て、エスティは大人しげな表情の仮面を捨て、瞳が紅から金色へと変化する。
「招待状、届いたようね」
薄く笑う女の表情を見て、両端で捕らえていた男達の顔色が変化した。
どうやら油断をしていたらしく入ってきたと同時に入り口付近に居た者達に足払いを掛けた2人の様子を見て、エスティもまた手刀で彼女を掴んでいた男達の手首を叩き落す。
普段と違い、裾の長いスカートを身につけていたが、素早く足を上げながら男の顔面へと蹴りを入れると捲くりあがった布の影から数本のダガーが足へと括りつけられていた。
長郎はそれを流石だと見やりつつ彼自身もアーミーナイフにて追撃を開始しようとしていた。
もう一人のほうに、そうダガーに手を伸ばしつつ回し蹴りを放った時、感触が違うことにエスティは眉を寄せる。その様子を素早く拾い見たアンドレアスは、ほのかな光と共に その男に向けて超機械を向けた。また、素早く叩き伏せた者達を足でどけつつ、長郎も身構えながらそばへと近寄る。
奇しくも風間達と同じタイミングでの遭遇であった。
「エスティさんっ!」
階段を駆け上がってきたのか、息をきらせたクラウが入り口のところで声を張り上げた。
絶妙のタイミング。
後ろから延びてきた手をすんででかわすことが出来た。
クラウの胸には星のペンダントが厳かな光を放っていた。
躱したところを長郎は相手の隙を見つけ身を捻りいれる。
手に持つは強化を施したデヴァス。
相手の腕へと突き刺さる。
そこに、クラウが投げよこしたアーミーナイフを更に突き立てる。
低い唸りを上げながら、吹き出した血を止めることなく手が、宙を泳いだ。
◇
実際に手を施したのは3人。あの後階下へと降りる途中で他の階から出てきた者であった。
血が噴出すのも構わず、彼らはひたすら命令されているのであろう、エスティを、女性を捕えるような動きを見せていた。
弱体化によって僅かにできた隙を旨く利用しつつ、ナイフたちが身体を刻み込む。
一件普通の人間と変わらないものの、脅威で行けば格段の差が目に見えていた。
それも何とか抑えることができたのだ。床を染め上げた血は、彼らのものだけである。
逃げようとした者達は、風間・慈海によって阻まれていた。
事前に車で塞いであったルートも、そこへと駆けつけた者達は周防によってにこやかに気絶・縛り上げられる事となった。
「あなた方はもう終わりでしょうが、あなた方の後ろに居る人間は未だ健在です。それって‥‥不公平だと思いませんか?」
爽やかな笑みを浮かべつつ、周防は捕らえた者達に語りかけた。
組織へと渡される、その前に何か情報が得られないだろうか。一つの賭けであった。
「どうです?」
周防の怪しい囁きにごくりと生唾を飲み込む。
確かに不公平、しかし‥‥。この誘惑に耐えられたものが居たのかは、周防だけが知っていることとなった。
組織に犯人を渡した後、そのまま消えようとしたエスティの肩をアンドレアスは掴んで引き止めていた。
「俺は真実が知りたいんだ」
真っ直ぐ見つめてくる青い瞳に、赤い瞳が揺らぐ。
「‥‥あの男を追うんだろ?」
鋭い言葉に乗せられていたのは一体なんだったのだろうか。
知りたい、それは彼にとってはどうして。
――俺は空っぽなんだよ。
人に対して熱くなるのね‥‥そう皮肉を言った言葉に対して帰ってきた言葉は、音にはならなかった。ただ、悲しく表情だけが物語る。
「ここから先は‥‥」
「今更引き返せねぇし、その気も無いね」
エスティの言葉にアンドレアスは強く言い放つ。
カノンの姉だから、その言葉がやけにエスティには苛立ちを覚えさせているのに気付かずに、この海賊はのうのうと言ってのけるのだ。
「この血に誓って‥‥」
何故だろうか、この男のなす事一つ一つが身体の中の血を暴れさせる。
「お前ら、2人とも解放してやる‥‥絶対にな」
真剣に向けられた瞳を、エスティは真っ直ぐに受け止められなかった。
何処かから沸き起こる、なぞの敗北感に、ただただ唇を噛み締めるだけであった。
◇
血が滲みた封筒をそっと開けたエスティは、懐かしむような、悲しむような不思議な表情を見せていた。
取り出した一枚の写真には、幸せそうに写る2人の姉弟と一人の男性。
そこにぽつり、ぽつりと透明な雫が落ちる。
「‥‥ジュダ」
唇が作ったのはその音だけ。
海から来る風は、塩の匂いと共に悲しい音色を立て、彼女の身を取り巻いていく。
風に揺らめく写真を握り締めたまま、静かに瞼を閉じていた。
慈海はエスティの背中を見ていた。
真っ直ぐに伸びた背筋にふわりと笑いかける。
彼女は既に決めた歩みに迷いはないのだろう。しかし、いつか迷う時があったのなら‥‥。
――助けが欲しい時は、呼んでくれればいくからね。
それは彼女の弟カノンに対しても思っていること。
彼のこのスタイルは誰に対しても変わらないのかもしれない。