タイトル:罪人の歌 夜来香 説得マスター:有天

シナリオ形態: ショート
難易度: 難しい
参加人数: 8 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2008/07/18 18:53

●オープニング本文


 床を赤い薔薇で埋め尽したその部屋にタンゴのリズムに乗り絶望の歌が流れる。
「‥‥‥タンゴって踊りだけかと思っていたが歌もあるんだな」
「‥‥みたい‥ですね‥‥‥どちらにしても‥Impeachmentの‥楽屋と‥‥‥ずいぶん‥‥違います‥‥」
 一目で判る高級なブランド品で埋めつくされたその楽屋は、足下に倒れている男の血の匂いを隠す程の薔薇香りが立ちこめている。
 メイク用の大きな鏡の周りには、その楽屋の持ち主の私物であろうブランド品のメイク道具や宝飾類が置かれたままである。
「取る物を取らずか‥‥‥よっぽど急いでいたんだな」
 楽屋の主のファンと言うには幼い10代後半の外見をした2人。
 上海を拠点とするV系バンドImpeachmentのキースとユリアである。
 夜来香と名乗るこの楽屋の主が、待ち合わせ場所に現れなかったのでリスクを犯して見にやって来た所、死体を発見したのである。

 キースが男の傷を調べる。
「一撃か‥‥さすが獅子の仕込んだ人と言うべきなんだろうけど‥‥彼女、この男とは長かったんだろう?」
「たしか‥前‥‥夜来香は‥‥もう‥8年だと‥‥」
 人類がエミタやSESを発見し、対バグアとして能力者やナイトフォーゲルという対抗手段を見つけるより前の事である。
 中国国内では早い時期に中国軍を見限り、反バグアを掲げる組織が多く存在する。
 その1つであるCriminal。
 キースとユリアもそのCriminalの工作員であり、夜来香はCriminalのベテラン女スパイであった。
 杖をつく赤毛の少女、ユリアが壁に張られたポスターを見る。
 顔の右半分を被う仮面をつけた40代の女性が少女を見下ろす。
 話術、歌手として知名度を利用して済南の最大新バグア組織のナンバー3として名高い男 岱の情人の座に納まっていたと聞いている。夜来香は親バグアの中でも特別な者しか接触を許されない天津や春日にいるユダと呼ばれる人物に謁見した事がある程深く男と繋がる事に成功している。
 だが、そのほころびが何時来るかは判らなかった。

 男の微妙な変化に夜来香も身の危険を感じたのだろう。
 最後の大仕事をした後は、男の情人として尽して蔑まれて死ぬだけ‥‥と顔を歪めて笑う夜来香を思い出すユリア。
 だがそれは夜来香の予想より早かったようである。
 夜来香は男を刺して逃げたのである。
「手帳がないな‥‥彼女が持って行ったのか‥‥?」
 死体の側に広がる血溜りに着いた複数の足跡。
 岱はメモ魔とも知られていた。
 密輸品や人の売買取り引きからバグアの攻撃目標等が書かれていると言う噂の手帳である。
 外へと点々と続く血の跡──。
「表に‥出ては‥‥不味い手帳です‥‥組織も‥‥彼女を‥‥追っているはずです」
 3人のボディガードの内、1人がサディストの能力者崩れだったと言うユリア。
「キース‥‥追うべきです」
「確かに表に出せれば奴らに大打撃を与えるチャンスだ。だが‥‥ユリアはこの前の後遺症が残っているだろう?」
 元々体が弱く特異体質のユリアは、覚醒すると反動で何日も寝込む事が多い。
「それに俺らは『バグア様のご好意』で泰山観光の最中だ。上海にいるのがバレると不味い」
 怒ったようにキースを見つめるユリア。
『何時、裏切られるかも知れない』
 Impeachmentのリーダーであり乍らもキース自身もいづれ別れる一時的な仲間に親しく手の内を見せる必要がないとメンバーと一線を引き、彼自身が能力者である事を隠している。
「‥‥判ったよ。お前を行かせる位なら俺が行くよ。全く‥‥」
 ブツブツと文句を言い乍らも「ユリアならこんな時どうする?」と尋ねるキース。
「ユリアなら‥‥前‥‥砦と‥獅子‥‥が言っていた‥‥‥運送会社に‥‥行きます‥‥‥人の為‥なら‥‥‥親バグアでも‥反バグア‥‥でも‥‥関係ないで‥運んでくれます‥‥‥‥‥ユリアは‥‥自分を‥‥‥‥運んでもらいます‥‥」
「手帳を砦や獅子に届けるのではなく?」
 意外だとキースはユリアの顔を見つめる。
「‥‥最後の時は‥キースの‥‥側で死にたい‥‥です」
 ユリアの視線に困ったようにキースは自分の頭を掻いた後、優しくユリアの頭を撫でる。
「‥‥困った奴だな」

「困りましたね。済南党で落とすなら岱だったんですが‥‥」
「痴情のもつれか何か知らんが‥‥困った事をしてくれたぜ」
 UPCの憲兵隊の男達は、形ばかりの鑑識が指紋を採取しているのを横目で見る。
「しかしここの奴らは全く親切で困るぜ‥‥」
 通報があって警察隊が到着した時、岱の死体がある楽屋はひっちゃかめっちゃかであった。化粧をする鏡台の電球は全て取り外され、鏡は強力な接着剤で止められているのを引っ剥がそうとしたのだろう、無惨に割れている。夜来香の衣装や服は持ち出され、死んでいる岱もランニングにズボンを半分脱いだ「風呂に入る途中で死んだのか?」という姿で発見されている。
「ここの奴らは死人の靴下迄持って行くのか‥‥」
「治安が良いって聞いていましたが、北部の競合地区と変わりませんねぇ‥‥」
 鑑識が採取した靴跡や指紋は役に立たないだろう。
 壮年の班長 江は溜息を吐き、警備室に向かう。
「防犯カメラはどうだ?」
 通路の防犯カメラが捕らえたVTR、楽屋を荒らした人物らを写し出される。
 彼等は後で纏めて窃盗罪で警察が処理してくれるだろう。
 江は部下にVTRを早巻き戻しするように言う。
 慌てた様子で夜来香が出て行くのが写る。
「ゆっくりコマで戻せ」
 夜来香の手に大きな手帳というよりは、小降りのノートに近いかもしれないモノが握られている。
「まさか本当に噂の『手帳』があるとはな‥‥だが、こいつさえあれば‥女を緊急手配しろ‥‥」
 若い憲兵が心配そうな顔をして同僚が走って行くのを見つめる。
「どうした?」
「失礼乍ら噂通りの『岱の手帳』ならば狙って来る者も多いのではないでしょうか? あの手帳は人民の為に大いに役立つ物ですが、その他にも‥‥」
「判っている。あれは諸刃の剣だ。それに上手く女を抑えたとしてもだ‥‥」
「なんですか?」
「あの女が大人しく渡すかだ」

●参加者一覧

リディス(ga0022
28歳・♀・PN
赤霧・連(ga0668
21歳・♀・SN
愛紗・ブランネル(ga1001
13歳・♀・GP
ホアキン・デ・ラ・ロサ(ga2416
20歳・♂・FT
夏 炎西(ga4178
30歳・♂・EL
UNKNOWN(ga4276
35歳・♂・ER
レールズ(ga5293
22歳・♂・AA
カルマ・シュタット(ga6302
24歳・♂・AA

●リプレイ本文

 夜来香の写真が能力者達に配られる。
「現在、現在逃亡中のこの女もまた親バグア派の歌手としても名高い女である。済南党の会計・動向、構成員名簿及び我々が追っているバグアによる大量難民殺虐殺について記録していると目される『岱の手帳』を所有、逃亡している可能性が高い。君らには夜来香の身柄確保と共に手帳の入手に協力して貰う事になる」と江班長はLHから派遣されて来た能力者達を見回して言う。
「重要な手帳ですね。間違っても、バグアの手に手帳は渡せませんね‥‥」と夏 炎西(ga4178)が緊張した面持ちで言う隣で、
「‥‥はっちー、けんぺーのおじちゃんが言っている言葉が難しくて愛紗にはよく判らないよー」と 愛紗・ブランネル(ga1001)が困った顔をする。
「えっと‥‥簡単に言うと逃げている夜来香さんと夜来香さんが持っている大事な手帳を探してくださいってことですネ」と赤霧・連(ga0668)。
「ねぇねぇ、大事な手帳なら悪い人が一杯狙っているんだよね? ダミーの手帳を用意していこうかな。本物と区別が付きやすいよう、隅っこにぱんだマークをつければわかりやすいよね」と愛紗が言う。
「それは良いアイデアだな」
 UNKNOWN(ga4276)に誉められてにこぱーと笑う愛紗。
「でも、夜来香さんは歌手さんなのですネ。ほむ、依頼が成功したら夜来香さんとディエットするのです!」
 現役音大生の連にとってはプロに接する大事な機会である。
「このおばちゃんも歌が好きなの? 愛紗はピアノ演奏が好きー」
 にこーっと愛紗が笑う。
「それはちょっ難しいんじゃないか? 親バグアだよ?」
「ほむ、音楽を愛する人に悪い人はいないですよ」と力説する連。
「人を疑わないのが赤霧さんの良い所だからな。‥‥だが、音楽性に当人の性格が出るのは確かだろう」
 江班長に頼んで夜来香のデータをメディアに落として貰ったホアキン・デ・ラ・ロサ(ga2416)。
 ボリビア生まれのホアキンにとって馴染み深いタンゴのリズムがプレイヤーから再生される。
(「‥‥月夜に咲く白い花か‥‥」)

 夜来香の写真をじーっと見つめる炎西。
「どうした?」
「10年くらい前にブレイクした姉妹デュオのお姉さん、威・雛林に似ているような気がします‥‥」
「ちょっと待ってくれ。威姉妹の妹、威・春露は、有名な反バグアの活動家だぞ。もし、この夜来香が威・雛林だとすると敵味方に分かれていた事になるぞ?」
「春露の為に岱に取り入ったとも考えられますよ?」
「シュンロおばちゃんのお姉さん? じゃあ頑固なのかなぁ‥‥?」
 春露の護衛をした事がある愛紗が言う。
「困った時は親族に頼る可能性が高いですが‥春露は今何処に?」とレールズ(ga5293)。
「確か明日武漢でコンサートのはずだ。あたってみる価値はあるか‥‥」

 能力者達が要望した検問の強化や憲兵への臨時指揮権の許可はその場ですぐに貰えたが、ヘリの使用は断られた。
「長江周辺は激選区でね。ヘリはどうしても移動スピードが遅く、装甲が薄い為にHWのカモだ。飛ばすのであればKVの護衛が必要になる訳だが‥‥今回の一件は外部に漏れたらパニックを引き起こす可能性がある為、軍内でも極少数しか知らん事項だ」
 ホアキンが江班長に言う。
「この女性の身柄ですが、手帳を渡す事を条件に見のがす事は出来ませんか?」
「司法取り引きか‥‥難しい条件だな。彼女は殺人の第一容疑者だ。現状ではなんとも言えない状態だが、何にせよ手帳を手に入れてからの話だな」
 ミーティングルームを出て行く能力者達。

「確かに身の安全が保証されれば彼女も手帳を渡しやすいでしょうね」
 今の中国の現状を考えると軍も憲兵もあまり信用ならないというカルマ・シュタット(ga6302)。
「なんか良く判らなかったけど、夜来香は逃がしていいって事?」
「最悪手帳が手にはいれば良い。そういう事だろう。江班長とて色々立場があるようだからな。大っぴらに容疑者を逃がすとは言えないのだろう‥‥」
「一つハッキリしているのは、今の彼女は身の置き場もない。手帳を渡すよう説得したいね」
 UNKNOWNが紫煙を吐き出した後、長くなった煙草の灰をアルミの灰皿に落とす。
「私の知人に1人、女好きで酒飲がいる。適当に力もある男なので彼女を逃がす手伝いをするかもしれない」
「誰です?」
「MSIのS・シャルベーシャ(gz0003)だ」

●愛紗&UNKNOWN
「ゆ、揺れる」
 助手席に愛紗を乗せ、UNKNOWNのランオーバーが山道を走って行く。

 出発前、UNKNOWNがMSIに電話をかけるとサルヴァは中国にいるという答えが帰って来た。
 教えてもらった番号にかけるとサルヴァが出た。
「‥‥久しぶりだな。酒の約束はなかなか果たせんな‥‥」
『どうした、珍しく愚痴でも言いたくなったか?』
「いや、気分転換でもどうだ? と思っただけの事だ‥‥」
『‥‥ほぅ?』
「そうは言っても私も実の所忙しい──美人を送ろう。私の代わりにな」
 電話の主は笑っているようである。
『裏がありそうだが‥‥まあ、よかろう。尤も俺の所に無事着ければ、だが』
「処でお前は今どこにいる?」
『今、重慶だ。くくっ‥‥良かったらお前も来るが良い。長江三峡は見ておいて損はないぞ』
 長江三峡は武漢と重慶の丁度中間辺りにある西陵峡、巫峡、瞿塘峡の事である。

(「確か‥‥武漢からも重慶行きの観光船が出ていたな。偶然か?」)
 幾ら考えた所でサルヴァの思惑等は測り知れない。
 ダッシュボードから煙草を取り出し、火を着けるUNKNOWN。

●レールズ&カルマ
 列車の出発時官を逆算して、南京迄新幹線で先回りしたレールズとカルマ。
 夜行列車に乗り込むと1車輌ずつ車掌に協力して貰い乍らチェックをして行く。
「俺も親バグア派との追いかけっこはそれなりにやってますが‥‥」
「‥‥俺は国外に逃がしてあげたいな、その後は彼女の好きにさせてあげたいですね」
 なるべく穏便に手帳を渡して欲しいと言うカルマ。
「俺も武器は使いたくないですね。‥‥シュタットさん、夜来香って花を知っていますか?」
「いいえ? どんな花なんですか?」
「一夜だけ咲いて翌朝散ってしまう花なんです」
 停車駅で乗り込む客を1人づつ確認する2人であったが、夜来香は発見出来なかった。

●連&ホアキン
 上海のフェリーターミナルを訪れた連とホアキン。
 借りた分厚い乗船名簿を捲っている。
 煙草をいつもの癖でひょいと銜えたホアキンを見て、慌てて連が注意する。
「ほむ、ホアキンさん、ここは禁煙なのですよ?」
 連の指差す方に「禁煙」と掛れた文字がある。
「俺は中国語は読めないのだが‥‥禁煙なのか?」
 コクコクと頭を上下させる連。
「次は、水鉄砲で攻撃です」

 他のメンバーと連絡を取り乍ら巡視艇で西に向かう連とホアキン。
(「いい加減中国茶にも飽きたな‥‥珈琲やマテ茶が飲みたい」)
 各港湾事務所に訪れる度に地元の名産だとホアキンと連には茶が薦められた。
 決して茶は嫌いではないし、珍しい各地の珍しいお茶を薦めてくれる気持ちは嬉しいが、これでもか状況で薦められると流石に飽きて来る。

 同行していた憲兵がホアキン達を呼ぶ。
「監督官によると未明にキメラに襲われたボートが1艇あるんですが、それが怪しいようです」
「どんな風に?」
「改造ボートなのもそうですが、こちらに救援信号を出さずにキメラを振り切った様です」
「ほむ、キメラは親バグアを襲わないんじゃないでしょうか?」
「一概には言えないと‥仮にも党からも追われている人ですし‥勿論、決める付けるのは早いですが‥‥」
 憲兵が声を潜める。
「入電! 安慶付近で船舶同士の銃撃戦。目撃情報が多数、各事務所に寄せられているそうです」
「船体番号は?!」
 監督官が目撃された船体番号を告げる。
「ますます大当たりっぽいですね」
 憲兵の男は楽しそうに言った。

●九江
『中国軍憲兵隊です。そのまま停船して下さい』
 憲兵隊の旗を揚げた巡視艇で安慶付近で戦闘をしていたというボートに近付いて行く。
 親バグアだけではなく河賊の可能性もあるので油断はならないと憲兵が教えてくれた。
「ほむ、山賊さんではなく河賊さんですか。凄いのが出るんですネ」
 感心したように連が言う。
「出来れば河賊じゃなくて『当り』の方だといいがな」
 現在迄、夜来香を確保もしくは手帳を入手したと言う連絡は、何処からも寄せられていない。
 ボートは逃亡する様子もなくこちらの指示に従って停船している。
 デッキに板を渡し、ボートへと移る。
「責任者の方はいますか?」
 太った男が出て来る。
「呉運送の呉 大人アル。武漢まで急ぎのお届けアルよ」
 大人と憲兵のやり取りを見ていたホアキンに警備にあたっていた男の1人が声をかける。
「なんでこんなトコに居るんだよッ!」
 同じ小隊に属している友であった。
 暫くホアキンは考え友に言う。
「‥‥‥ある女性を探している。とても重要な情報を握っている女性で親バグアから狙われている可能性がある。その情報が貰えれば、こちらとしては彼女の安全を保証する用意があるんだが知らないか?」

 護衛の少女が入ってきたホアキンの喉に蛍火を突きつける。
「大丈夫だ、彼は俺の友達だ。ちょっと彼女と話したいそうだ‥‥話、聞いてやってくれねぇかな」
 女がホアキンと連を見る。
「いいわよ‥」
 ふっ‥と笑うと女は、顔の半分を覆い隠していたサングラスを取る。
 暴漢に襲われた際に刻まれたという噂の傷が右目の目尻から頬骨に掛かる。
 傷すら、この女の美しさを際立たせるアクセサリーに過ぎないのだろう。
「済南党の夜来香よ」
 どうやら護衛達には何も知らされず、大人だけが正確な彼女の身元を知っていたのであろう。
 親バグア派の党員と言う言葉に動揺が走る。
「党から追われているのよ。ある男を殺して‥‥手帳を奪ったのよ。一部の人には、とても価値がある手帳」
「ソレにはあなた以外に多くの命がかかっている。持っていてはあなたも殺される。渡してくれ。追われぬようこちらはあなたの足取りを消す事もできる」
「残念だけど‥‥信用出来ないわ。これは春露に渡す事になっているのよ」
 ホアキン達に渡せぬと言う夜来香。
「春露‥‥あなたはやっぱり‥‥活動家の威・春露の姉の雛林なんだな」
「そこ迄調べたの。あの人だって私がスパイかも知れないって疑うだけだったけど」
 夜来香が暗く笑う。

●闇より
 武漢のホテルの一室──
 南京からの便で武漢入りした江班長にくっついて来た炎西。
 各地の憲兵隊から江班長の元に寄せられている情報の1つ1つを確認し、仲間に配信すると同時に江班長を監視する為でもある。
 部屋がノックされ、ドアの外から声が掛かる。
「中国政府からの特使です。憲兵隊の江班長を御願いします」
 ドアについたスコープの向う側で黒髪の少年が笑った。

 ボートが武漢に到着し、他の傭兵達もやって来て説得を試みる。
 カルマは入り口に立って、憲兵らを牽制する。
「私を説得しようとしても無駄よ」
「彼らは自分達の依頼に熱心なだけ、だ」
 UNKNOWNが静かに言う。
「じゃあ、あなたは私の好きにさせてくれるの?」
「どうだろうな? 少なくとも手帳は君の保険だ‥‥人類と、君が思った者を守る為にもな」
「なら無理ね。あなたは私を知らないもの」
「確かに私は‥‥まだ君の香りを知らんからな。だが君が手帳を渡してくれればここから後はある男が君を引き受ける。美人好きな男だ」
「あなたの想い、あなたの命が詰まったその手帳‥‥俺達に託してくれませんか? 絶対に救って見せます‥‥あなたもね。一夜しか咲けないのはやはり寂しいです‥‥」
 レールズが優しく微笑む。
「‥‥‥私を説得したいなら春露か、あの人をここに連れて来る事ね」
 頑と首を縦に振らない夜来香。
「あの人?」
「私を地獄に引き込んでくれた悪魔よ。もっともそれが私の望みでもあったんだけど‥‥」
 口を歪めて笑う夜来香の顔も悪魔のようであった。

●一夜の花
 能力者達の言葉に夜来香は多少心を動かされたようであったが、最終的に手帳を渡す事をOKしなかった。
 ならば少なくともちゃんと春露に手帳が手渡されるのを確認したいとその場への同席を要望し、嫌がる夜来香に無理矢理着いていく。

 だが夜来香が約束した場所にいたのは、黒い服の少年と江班長、武装した憲兵隊だった。
「ここには『春露』は来ないよ」
「春露が来ないって‥‥どう言う事?」
 夜来香が震える声で質問する。
「あんたの目的が、あんたを殺した殺人罪で逮捕させるだと言ったらここの場所を教えてくれたよ」
「それは本当なのか?」
 夜来香が春露を逮捕させるのが目的だったと聞いて動揺が走る。
「会うだけなら手帳を持ち歩く必要無いからね」
 少年が冷ややかに言う。

「でもなんでここにキースと憲兵隊がいるんだよ」
「俺らと夜来香のバックについては不問にする。そういう約束で手帳と夜来香を渡す事になった」
 キースと呼ばれた少年と夜来香は同じ組織のスパイであった。
「俺達はあんたらの手の上で踊らされていたのか?」
「んー‥‥違うな。こっちは被害者だよ。夜来香は俺らを裏切って逃げたんで予定が変更になった」
 おかげで俺も重慶でのデートがおジャンだ。と苦笑いをするキース。

「あんたが何をしようと関係ない。と言いたいだけど‥‥困った事にあんたはユリアやあの人を裏切った」
「彼が来ているの?」
 夜来香が驚いたように目を見開く。
「いいや。俺らにとって名を受けるのが何れだけ特別なのかを忘れる程、あんたは嫉妬に狂って本当に普通の女になったんだなぁ」
 キースの言葉にハッとする夜来香。

「俺はあんたを殺しちまおうかと思ったけど、そんな必要がなかったな」
 キースは夜来香に近付くとブラウスのボタンを力任せに引きちぎる。
「血の匂いがすると思ったら‥‥超笑えるよ、あんた。つまらないプライドの為に春露と本気で心中するつもりだったんだ」
 腹に撒かれたコルセットから血が滲んでいる。
「馬鹿野郎! 死ぬ為の護衛なんざ御免だね。寝覚めが悪いんだよ!」
 護衛の1人がキースを突き飛ばし、夜来香を手当てする。
 何事もなかったかのようにキースは落ちた手帳を拾うとそのまま江班長に手帳を投げ渡す。
「契約成立ってね」

「彼女はどうなる?」
「取り調べは傷が回復してからになる‥‥邪魔はしないでくれ、君らを公務執行妨害で逮捕したく無い」と渋い顔をする江班長。
 江班長が夜来香に手錠をかけている間にキースは何処かへ消えていた。
 夜来香が泣きそうな顔をした連と愛紗を見る。
「貴女達のように純粋に音楽を愛していた私は遠い昔に死んだのよ。期待を裏切ってゴメンなさいね‥‥」

 中国に覆う闇は、深く暗く──
 傭兵達の心に一つのシミを残して夜来香は逮捕された。