●リプレイ本文
「順調だな」
事件開始から三十分、紫電(
gb9545)は諷(
gc3235)の運転するジーザリオの後部座席から広場を一望していた。用意しておいたペイント弾は愛用するフォルトゥナ・マヨールーに装填したまま、いつ来るか分からない自分の出番を待っている。来なければいい、どこか頭の片隅でそんな言葉が過ぎり始めていた。
「紫電さん」
諷の声だった。
「そろそろ日も暮れますので、隙を見て接近します。準備をお願いします」
「了解しました」
「ヨハンさんもそれでいいですか?」
「‥‥大丈夫だ」
運転席とは反対の助手席側から擦れた男の声が聞こえる。ヨハンの声だった。事件開始から操縦者であるミハイルに対し説得を続けている。喉が潰れているのもそのためだった。当初は説得と言う方法に懐疑の声を上げたヨハンではあったが、今では一番声を張り上げているのもヨハンだった。
姿勢を元に戻す。既に避難活動は済んでいるのだろう、先程までちらほらと見かけた軍人の姿が無くなっている。
「ノブレス・オブリージュ、か」
再びフォルトゥナ・マヨールーを構えながら、紫電はそんな言葉を口にしていた。権力や地位の保有には責任が伴う、時代の流れと共に少しずつ解釈が変化している言葉だが、根本となる精神は今も生き続けている。だが自分の中にもあるのか、強大な力を持つ自分達能力者も同じではないか、思考を内に向けると疑問が浮かぶ。だがその思考はすぐに霧散する事になった。車体が大きく揺れたからである。
「どうしました?」
思わず声が荒くなる。左手を車体の側面に当て体を支え、諷に問いただす。
「どうやら噴水が破壊されたようです。しばらく水しぶきが舞ってますので、運転が荒くなるかと思います」
言い終わると同時に諷は再び大きくハンドルを切った。隣ではヨハンが無言で車体に手を当てている。
「何かにタイヤが絡まったようです」
「水ですか?」
「どうでしょうね。これからちょっと急ブレーキが増えると思うので、気をつけてください」
「了解」
心に沸いた不安を飲み下すために、紫電は後方に向き直り銃の点検を開始する。弾丸を取り出し、ペイント弾である事を確認して再び装填する
「よし」
気合を入れると共に、紫電は再び銃を構える。ロングボウは丁度眼前にいた。距離はおよそ百メートル、こちらの存在に気付いているのか迫ってきている。
銃を打ち込む場所を探る。距離はあるが標的が大きいため外す気にはならないが、できるだけ効果的な場所に打ち込みたいという気持ちがあった。問題はディッツァー・ライ(
gb2224)と白鐘剣一郎(
ga0184)、そして二人を乗せたSE−445Rに誤射しないこと、それだけである。現在足元を通過中、攻撃を仕掛けているのだろう。
紫電が狙いを定めたのはカメラアイだった。KVが直線で迫ってきているおかげで狙いを定めるのが比較的容易だったこともある。だが射程を見極めていると聞きなれない音が耳に届く。ロングボウが体勢を崩したのか左肩を落とし、右脚を前に出している。そしてバイクが姿を消していた。
「白鐘さん、ディッツァーさん」
銃を置き、周囲を探す。ロングボウの足は浮いている。踏み潰されている可能性は低かった。周囲を見渡す。バイクがあったのは上空だった。
「動けない人は運びます。救急ブースは向こうにありますよ!」
広場から一本道を挟んだ裏通り、臨時で展開された救急ブースが展開されていた。ブルーシートにより仕切られ、ストレッチャーの上では五名程の住民が横になっている。それに対し医療班は一名、そしてクロスフィールド(
ga7029)に任されていた。十分に手が足りているとは言えない。だが患者の数は増え続けていた。
「慌てないで。ブースは逃げません。皆さんは私達が守ります」
ファリス・フレイシア(
gc0517)の声だった。両手剣であるセベクを右手に取り、左手では住民の誘導を行っている。軍の予定通りおよそ三十分の間に八割強の住民の避難は完了、フェイス(
gb2501)の提案でもあった学校や行政施設、ホテル等に集まってもらっている。おかげで軍は第二段階である道路封鎖へと移行しているが、医療部隊の数はまだ十分ではない。フェイス、ファリス両名の声はブースにまで届いていた。だが肝心の広場の救助は大幅な進展を見せていない。原因は大きく四つ、散乱したプラカードやたすきの山、既に息を引き取った死体、妨害するかのごとく疾走するロングボウ、そして住人達の能力者に対する拒絶だった。
「あんた達もあのKVの仲間なんじゃろ。わしは悪魔に手を借りるほど老いぼれちゃおらん。手を離しておくれ」
手足を負傷している男性、腰を抜けしている老婆、泣き叫ぶ子供、様々な人が群れている。
行政地区高所からはセグウェイ(
gb6012)が探査の眼で監視。両手にスナイパーライフルを構え、軍から貸与された通信機を顔と肩に挟み、逐一に情報を伝えていく。
「KVは現在工場地区へと向かっている。役所の方に運ぶなら今だ」
セグウェイの言葉をファリスはフェイスに伝える。腰を抜かした老婆に肩を貸すフェイス、だが老婆は彼の手を払う。
「あんた達もあのKVの仲間なんじゃろ。わしは悪魔に手を借りるほど老いぼれちゃおらん。手を離しておくれ」
「ですが置いていくわけには行きませんよ」
老婆の攻撃に耐えながら、フェイスは答える。
「能力者も人間、人間はミスをするものです。一度のミスで悪魔呼ばわりするのは言い過ぎだとは思いませんか?」
「お前さんはあの操縦者の知り合いかね?」
「残念ながら。話したことも顔を見たこともありません」
「それじゃ何故肩を持つ。アイツは犯罪者じゃ、百人殺せば英雄などという馬鹿げた戦争の理論は通用せん。普通に考えれば生きて二度と日の目は見られんはずだぞ」
「確かにそうですね」
しばしフェイスは考えた。そして選びながら言葉を紡ぐ。
「戦争なんて確かにおばあさんの言う通り馬鹿なことです。でも自分を信じるために、守るために人は時に武器を手にする。それだけです。彼は今自分自身と戦っているんですよ」
「さっきから聞いてりゃよ…確かにあいつはあんたらから色んなもん奪っていったんだろうよ、だけどな、それ以上にあいつが戦ってたのは何の為か考えたことあんのか? あいつが背負ってる重みを考えた事あんのかよ! 俺達は全知全能でも必ず勝利する御伽話の英雄でもない、一人の人間だ、それだけは考えてあげて欲しいんだ‥‥」
通信機越しにセグウェイも語る。
「随分馬鹿げた話だね」
老婆は小さく息を吐いた。
「連れて行っておくれ。子供のわがままで死ぬ気にはなれん」
「わかりました」
「ロングボウ向きを変えた。今度は行政区、学校の方が安全だ」
「学校の収容状況はどうでしょう?」
「現在八割、まだ大丈夫だ」
「了解、そちらに何名か向かいますので、準備をお願いします」
ファリスが大手を振るう。夕闇の中、照明はあるがロングボウのマズルフラッシュが視界を妨げる。視界確保と合図を兼ねて照明銃を使用するフェイス、そしてファリスの影で動き出す。
「足元に気をつけて」
「了解」
ファリスの言う足元は水だけではない。既に事切れた死体も含まれていた。女性の方が多かったが、男性のものもある。誰も口にはしない。死んだものは助からない。通行の邪魔になるという言葉を必死に飲み込んでいた。
「そちらも気をつけて」
それだけが精一杯の言葉だった。
白鐘が意識を取り戻したのは、空中での事だった。胸が痛みを感じている。呼吸が上手くできず、。肺にダメージが入ったのだろう。肋骨が折れたという妙な確信があった。しかし耳元にKVの駆動音が聞こえてくる。立たなければならない、使命感が全身を巡った。顔を右に向けると、レーザーガトリング砲の銃口を向けるロングボウの姿があった。
「天都神影流、虚空閃・徹っ」
体を捻りながらに気合を入れる。言葉を発する度に胸に痛みが走った。口の中にも血の味が広がる。無理な体勢のためか肩と手首からも軋むような音が聞こえる。だがここで動かないわけには行かなかった。止まっていれば撃たれる、それは同時に死を意味した。
突如視界が眩しくなった。視界が奪われる中、追い討ちするかのように銃の音も聞こえてくる。状況に理解が追いつかないまま白鐘は地面に叩きつけられる事になった。
「大丈夫か」
やがて視界が復活する。白鐘の傍には額から血を流しているディッツァー、そして疾風迅雷で駆けつけたファリスの姿があった。
「大丈夫だ、まだ動ける」
「フェイスさんの照明銃が効いている間にセグウェイさんがメインモニターを狙撃してくれたようです」
「バイクは拾っておいたよ。おかげでおいらのジーザリオはサスペンション逝っちゃったけど」
紫電と諷がSE−445Rを押しながら駆けつける。
「まだ動くみたいですよ」
「本当か」
エンジンをかければ確かに手ごたえはある。たまに変な音が入ったが、それでもメーターは動いてくれている。
「‥‥参ったな、KVってのはこんなにも危険な代物だったのかよッ!」
「今更だな。それとも居座り続けて、結果、被害を広げる事になっても良いと?」
「断固反対する。ここまで来て逃げられないぜ」
ロングボウはまだ動きを見せていない。メインモニターの復旧を試みているのか、それでも能力者達にはありがたい猶予時間だった。
「悠長に相談している暇は無いぞ。やる事は始めから決まってる、諷達はもう一度囮頼めるか」
「動かす事ぐらいはできるでしょう」
「私も隙があれば動力パイプ切断を狙いましょう」
「俺もまだ動ける。バイク頼めるか」
月詠を杖代わりにしていた白鐘も両の足で立ち上がる。
「かなりスリルのあるツーリングだな、ソイツは。出来れば二度は御免だが」
「二度目は無い。ここで決める」
「そうだな。さて、帰ったら洗車してやるからもう少し付き合ってくれよ相棒ッ!」
ディッツァーが再びSE−445Rに跨り、白鐘がその後ろに付く。諷と紫電はジーザリオへと戻り、ファリスは再び疾風迅雷で間合いを外した。
「準備はいいか?」
「大丈夫だ。そちらこそ血は大丈夫か?」
「こんなものは唾付けとけば治る」
「頼もしい限りだ」
いつの間にかロングボウは立ち上がっている。モニターを諦めたのか有らぬ方向を向いているが、手にはレーザーガトリング砲が握られている。
SE−445Rが再び走り出す。ロングボウが倒れたのはその三分後、天都神影流『奥義』断空牙が放たれた直後の事だった。
「やはり、ある程度の被害は致し方ありませんか」
セグウェイと紫電がコックピット乗り込む傍らでファリスは広場を一望していた。レーザーガトリング砲とロングボウ自体の自重でアスファルトの大半にはヒビが入っている。中央にあった噴水も見る影も無い。現在判明しているだけで死者は八名、負傷者は五十余名に上る。ファリスは「このくらいで済むなら」と喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。 死者は戻らない。それを理解しているのか、諷は動けないディッツアーに代わり学校と行政区の救急ブースへと向かった。ヨハンと同じ能力者の一人として責任を果たすと共に、遺族と手を取って泣いてくるらしい。それに対し付いて行くとも言えなかった。弱いという言葉しか出てこなかった。そんなファリスを気にかけたのか、フェイスが話しかけてくる。
「何とか、なりましたね‥‥どうにも市街戦はやりきれません」
「何とかなったんでしょうか」
「やる気なら、被害はもっと‥‥何てね。甘いですが」
「確かにそうかもしれませんね」
懸念事項にしていたヨハンの逃亡だったが、結局彼は一切逃げる素振りは見せなかった。それが能力者にとっても軍にとっても幸運な計算違いだったと言える。同時に救いでもあった。
やがてセグウェイと紫電が見知らぬ男性に肩を貸し姿を現す。年齢は三十後半ぐらいだろうか、頬がこけ骨が浮いて見える程の痩せた男だった。気を失っているのか、観念しているのか抵抗する様子は無い。
「自害させないように白鐘に頼まれたんだが、これなら大丈夫だろ。ちょっとマックスのおやっさんに身柄引き渡してくる。今後の処分、気になるしな」
「後はジーザリオとSE−445Rの修理を頼んできます。特に445Rは半壊してますからね」
「その辺りは必要経費にしてもらいましょう」
数日後、フェイスの言葉通りジーザリオとSE−445Rは元の姿のままラストホープへと届けられる。そして依頼していたロングボウの鑑定結果も一緒に添えられていた。それによると元々異常の見られた操縦系の回路に未知のリミッターらしき装置が設置されていたということだった。