●リプレイ本文
●開会の前に
今回のオクトーバーフェスト(オクフェス)に参加する企業は、以下の三社である。
度数、苦味共に標準的なビールを提供するスクリュー社。
度も苦味も強い黒ビールのマスト社。
比較的薄く、初心者に優しいラダー社。
度数などが高いほど値段も高いという、非常に分かりやすい構図である。それを理解出来るかどうかはまた別問題ではあるが。
会場の敷地は二百平米程度と、祭りをやるには非常に狭い。というのも、実はこの祭り、あまり周知されていないのだ。
ただ、「予算なんてないけど、この時期だし、楽しめるようなことをやりたいよね」という発想から企画が提案され、三社協力の下とはいえ、細々と行われるのに過ぎないのである。
とはいえ、だ。耳の早い人間というのはいるもので、開場前から会場に踏み入っている者もいた。
「だいたい準備は‥‥出来たかな」
終夜・無月(
ga3084)は、店を出すための準備に訪れていた。ほとんど関係者にしか周知されていなかったこの祭りだが、どこかでその話を聞きつけた彼は、主催者にかけあってつまみを提供する許可を得ていたのである。
テントなど必要なものはひとまず整えた。もう間もなく開場である。そろそろ調理を始めておかねばなるまい。
調理器具を手に取る。そこではたと、彼は気づいた。
「‥‥自前の調理器具、持ってくるのを忘れていましたね‥‥」
どこかでぼんやりしていたらしい。愛用の調理器具を持ってくるつもりだったが、それを持ってくることを忘れてしまっていたのである。これに関しては、主催者側が調理器具を貸与してくれたので何の問題もないのだが。
他に忘れていることはないか。人は、一つ失敗するとそんな不安に駆られるものである。
そして、思い当たった。
「エミタを弄るのも‥‥忘れていましたか」
スキルを用いた調理ショーを披露するつもりであったが、肝心のスキルを用意してくるのも、忘れていたのであった。
●第一部
噂を聞きつけた人々が、開場を待っていた。
一般の参加者も歓迎してはいるが、今日という日を迎えてもなお開催の告知は行わなかった。それにしては人が集まったものである。会場が狭くなるのは必至だろう。
静かにジャズの音が漏れだす。心地よいサックスの響きに心をくすぐられた人々は、ほんの一瞬だけであるが、言葉を発することが出来なくなっていた。しんとした空気に、音が乗る。
会場が開け放たれたのは、まさにそんな時であった。
真っ先に入り込んだのは、レーゲン・シュナイダー(
ga4458)である。ビールの本場ドイツ出身の彼女は、オクフェスをLHでもやると知って歓喜したのだ。そして当然のように参加。それも、一番乗りである。
何よりも大事なのは、席の確保だ。これが万全でなければ、おちおちビールを買いに行けない。
目星をつけた席にハンカチを置き、確保。ビール購入の列には若干乗り遅れてしまったが、大丈夫だ、問題ない。
彼女が最初に並んだのは、ラダー社のテントだった。
「別にここのビールを飲み干してしまっても構わないわよねー?」
「流石に‥‥無理でしょう‥‥」
「なによぅ、お姉ちゃんは、これでも結構イける口なのよ?」
レーゲンの並ぶ少し先でそんな会話をするのは、樹・籐子(
gc0214)とベアことBEATRICE(
gc6758)の二人だ。
会場で待ち合わせしたというこの二人。樹のテンションは既にぶっちぎりだ。‥‥いや、これが素なのだろう。恐らく。少なくとも、飲む前から酔っているわけでは、なさそうだ。
それに付き合うベアも、無機質な声ながらも嫌々というわけでもなく、むしろ好んでこの場にいるようだ。
ここで注釈を入れておかねばなるまい。樹のいう一人称お姉ちゃんとは、飽く迄一人称である。別にベアと姉妹というわけではないのだ。
概ねの人にビールが行き渡った。
オクトーバーフェストといえば、これをやらずには始まらない。乾杯の歌こと、Ein Prositの唱和である。とはいえ、ドイツの出でない者も多いため、この曲をスピーカーから流すだけであるが。
「Ein Prosit Ein Prosit der Gemutlichkeit! Prost! Prost! Prost!」
そんな中、大声でこの曲を歌ったのは、レーゲンを始めとする一部のドイツ出身者やオクフェス経験者らである。ここには企業を含む主催者側も加わっている。
初めてこの祭りに参加した者は、なんだかポカーンとしていた。だが、これが乾杯の儀式だと知ると、それもすぐに笑みへと変わった。
あちこちでグラスの重なり合う音が響く。
そんな中、ランク・ドールは一人だった。仕事の上司に誘われて祭りへ参加したものの、肝心の上司には置き去りをくらってしまったのである。要するにぼっち。共に飲む相手がいないオクフェスほど、つまらない祭りはない。そう考えたランクは、周囲をキョロキョロと見まわしていた。同じように、一人の人間がいないものか、と。
案外すぐに見つかった。先ほど乾杯の歌を歌っていたレーゲンである。
「やあお嬢ちゃん、飲んでるかい?」
ここでは見知らぬ人とも楽しく飲むのも醍醐味の一つ。話せそうな相手には気軽に声をかけたっていい。ここは、そういう場なのだ。
「あなた‥‥オペレーターさん?」
「ああ、ランク・ドールだ」
「レーゲン・シュナイダー。よろしくね」
名乗ったところで乾杯。談笑。
その中で、互いにドイツ人であることを知った。きっかけは、至極単純。
「故郷を思い出す」
この言葉が、どちらからともなく飛び出したことである。オクフェスは最早ドイツ人にとっては国民的祭典。祭りに参加して、故郷を思い出さずにいられないのであった。
「私達にとっては、ビールは人生のガソリンですよ。そう思いません?」
「同感だ。それに、飲まなきゃやってられねえ時だってあったりもするし」
そんな言葉をきっかけに、レーゲンはランクがここへ来るまでの経歴を聞かされるのであった。あの、減俸の話である。
‥‥実に、ドンマイ。
「軽くてフルーティーな口当たりだね。誰でも飲めるってところがいい感じかな」
会話よりはまず、提供されるビールを飲んで回ろうという人間もいる。
平野 等(
gb4090)も、そんな一人だ。
彼がまず最初に向かったのは、ラダー社のテント。最も飲みやすいと評価されるところだ。
その感想は、先ほど彼が言った通りである。
隣では‥‥。
「むぅ‥‥私にはちょっと物足りないか‥‥」
鷹代 由稀(
ga1601)のように、こう評する者もいる。強い酒を好む人には、確かに物足りないのだろう。
この発言から既にお分かりだろう。彼女は酒豪である。とはいえ――。
「これって個人で直接通販出来るのかな?」
彼女の身内までもがそうだとは限らない。取り寄せが可能ならば、贈り物としては最適だ。
「社に電話していただければ可能ですよ。缶になりますけども」
「いいわ。じゃあその内お願いね」
そうして電話番号をメモし、彼女は次のテントへと移動してゆくのだった。
●第二部
時刻は午後六時を迎える。ここからは夜の‥‥大人達の時間である。
などと言えば多少格好はつくが、実際は羽目を外せる時間と言った方が正しいだろう。
要するに、ここから会場に流れる音楽が変わるのである。落ち着きのある曲から、LHで流行りのポップスへ。ちょっとした変化であるが、BGMというものは、聞く人の気分を操作する力がある。話も弾めば、酒も進むようになる、というわけだ。
そこを狙って、というのかどうかは分からないが、この時間になってから会場を訪れる者もいる。
「無月か。頑張っているようだな」
榊 兵衛(
ga0388)も、そんな一人だ。
ひとまずスタンダードなスクリュー社のビールを手に、つまみを専門に出しているテントへと顔を出す。そこで出会ったのが、戦友である終夜であった。
「まあね‥‥。サラダ、いかがですか‥‥?」
「もらおう」
紙皿に盛られたサラダを受け取り、近くのベンチに座る。ちょっと振り返れば、互いに声が届く距離である。
サラダに手をつける前に、まずはビールを一口。
「まさしくビールらしいビールだな。こういうビールは飲んでいて安心する」
「流石に、広く親しまれているだけありますね‥‥」
「サラダもよく合っている。相変わらず、いい腕をしているな」
「どうも‥‥」
言葉は短い。
そうした楽しみ方も、ある。
飲むことを楽しむ。食べることを楽しむ。
後は、友人の声が添えられれば、それで良い。
喧騒の中にあって、静かに飲むのも一興だ。
「あーんもう最っ高! お姉ちゃんのテンションがクライマックスだわ」
「のっけからクライマックスのようでしたが‥‥」
一方、樹とベアはハイテンション(?)だった。
彼女らの前にはソーセージやらジャーマンポテトやら、どっさりとつまみが並んでいる。ここにあるビールを全て飲み干す、などと冗談を飛ばしていたが、勢いだけは本物だと認めざるを得ないような状況である。
「そーゆーこと言わない。それに、お楽しみはまだまだこれからよぉ」
「クライマックスを通り越しましたね‥‥」
実に的確なツッコミである。
そしてクライマックスの先に待つものを、ベアは予見していた。だからこそ、溜め息が出る。
「うふふ、だって、まだ最高のおつまみを堪能していないもの」
樹のこの発言の後、ベアがどんな目に遭ったのかは、お察しください。筆者も無闇やたらと報告書を伏字だらけにしたくはないんです。
え、ちょっとだけでも教えてほしい? ならば仕方ない。
樹はベアの(検閲削除)
「やあ、飲んでる? 飲んでる? 息できる?」
減俸の話をしてしまったためにテンションが下がるという、見事な自爆を果たしたランク。そしてその話を聞かされて同様に溜め息の出るレーゲン。
そんな二人のところへ、上機嫌な平野が訪れた。祭りだというのに暗い雰囲気の二人を盛り上げてやろう、という算段である。
「俺? 俺ちょー飲んでる。へへっ、二人とも暗いくらーい。ほらほら飲んで飲んで」
‥‥やっぱり酔ってるだけかもしれない。
「お前さんも傭兵かい? ま、言う通りだな。くっそぉ、飲んでやる!」
「それじゃあ乾杯しましょう、乾杯!」
そうしてグラスをがっつんがっつん。互いのビールが零れて混ざっても気にしない。むしろ、それがいい。
ランクの減俸話はともかく、三人は様々な過去を語り、笑った。
こんな依頼があった、こんな人がいた、こんなキメラがいた、などなど。傭兵、そしてオペレーターでなければなかなか出来ない会話である。
そして、それを肴にしても楽しく酒を飲めるのがまた彼らであった。
音楽に釣られ、踊り出す人々が現れ出した。ただでさえ狭いスペースでの祭りだというのに、これではますます窮屈になって仕方がない。
だが、それがいい!
押し合い圧し合いのダンスパーティー。実に活気があってよろしい。全員がそれを良しとするかはともかくとして。
中には決して達者とは言えなくとも、大声で歌い出す者も現れる始末。実に酔っている。
その様子をぼんやり眺めるのは鷹代。三社のビールを渡り、最も気に入ったマスト社のビールを、つまみもなく飲み続ける。
音楽。歌。踊り。‥‥懐かしい。
何故、そう感じるのか。
「あ、あの、鷹代さんですよねっ?」
ビールを口に含む彼女へ声をかけてきた、この青年が証明してくれるであろう。
「ファンでした! あ、いえ、今でもファンです! あの、よろしければ、さ、サインを!」
「よしてよ、もうアイドルじゃないんだから」
元某巨大アイドルグループ所属の鷹代。今や引退した身ではあれど、その人気は未だに根強い。
だからプライベートであっても、稀にこうしてサインや握手をせがまれることもあるわけだ。
しかしそうおいそれと応えてやるわけにはいかない。サインは希少価値がなくてはならない。ほいほいと与えてやっては、名前の安売りとなってしまう。
「じゃあ、せめて一曲! ほ、ほらこの曲、今前奏入ったこの曲、持ち歌でしたよね?」
大興奮の青年。せっかく出会ったのだから、何か得たいという思いが強いのだろう。丁度鷹代の歌っていた曲がかかり始めたのをこれ幸いにと、歌ってもらおうというのである。
‥‥まあ、それならば、良いだろう。
「‥‥しょうがないね。いいわ」
急がねば、歌に入ってしまう。彼女は席を立つと、ダッシュで主催のテントへと向かった。
そして交渉する。
「鷹代です、この曲を歌った‥‥。マイク、ある?」
それだけで、主催の人間は全てを察した。そして快くマイクを差し出したのである。
受け取った鷹代は他人の邪魔にならないよう人の波の薄い場所へと移動する。
そして腕を大きく振り上げ、声を張った。
「本人登場! 歌うわよ」
スピーカーを通して歌に被さる彼女の声。それに振り返った大衆(特に男性)は、一様に歓喜した。
「うおー! 姐さーん!」
「ちょ、それはやめて。あたしはかたぎの人間なんだから‥‥」
そんなやりとりにデジャヴを感じながら、キリの良いところから歌に入る彼女であった。
「随分賑やかになったものだ」
終夜の作ったつまみをつつきつつ、各社のビールを飲み比べる榊。
鷹代が立ったことにより一層の盛り上がりを見せる会場。自らその渦中に飛び込もう、とは思わないものの、そういった様子を見ているのも楽しいものである。
その隣に、終夜が座った。
「店はいいのか?」
「食材が切れてしまいました‥‥」
「なるほど。繁盛したようだな」
小さく笑み、ビールを口に含む。
「でも、儲けはないんですよ‥‥。完売すれば、丁度スペース代と食材費が賄えるように、値段を合わせましたから‥‥」
「らしいな」
「どうも‥‥」
休息は、各々の形で収束してゆく。
夜が明ければ、また元の生活に戻ってゆくのだろう。
だからこそ、今を楽しむのだ。だからこそ、騒ぐのだ。
LHのオクフェスは、盛況の内に幕を閉じてゆくのであった。