●リプレイ本文
コーディレフスキー雲に接近した叢雲調査艦隊は、これの正体を探るべくKVを発進させていた。
当然、何が起こるかも分からない。ただハッキリしていることは、雲は確かにそこにあって、これには必ず何かがあるということだ。
それは、ここへ至るまでの途上に大型封鎖衛星デメテルが立ち塞がったことからも明らかである。バグア側に、この雲に近づかれては困る理由があるはずなのだ。
「よもやコーディレフスキー雲を実際にこの目で見る日がこようとはのう」
美具・ザム・ツバイ(
gc0857)は呟く。本来、コーディレフスキー雲はバグアが襲来するずっと以前に観測され、しかしその存在自体は怪しまれていたものである。
「『コーディレフスキー雲』自体は、別の気象現象の見間違いだと思うけどね〜」
暗に、今目の前にある雲は過去に観測されたコーディレフスキー雲とは全く異質なものだ、と推測を含ませてドクター・ウェスト(
ga0241)は笑う。
そもそも、気象現象なのか‥‥?
何者かに作り出された何か、である可能性は非常に高い。何者か、とは、バグアであろうことはまず間違いなさそうだ。
彼らの憶測が正しければ、だが。
だからこそ、こんな考え方もあった。
「バグアですらも手を出せない何か、という可能性もあるな。何せ正体不明だ。祖国の言葉に石橋を叩いて割って鋼鉄の橋を架けろ。と言う諺がある。慎重にやるべきだな」
「それを言うなら‥‥」
「分かってる、冗談だ」
緊張を解き、気を引き締めるために夜十字・信人(
ga8235)は軽口を交える。
吐息で笑った月見里 由香里(
gc6651)のツッコミに、なるべく雰囲気を堅くしないよう、夜十字は答えた。
懸念すべきことは確かに多い。不安もある。
だからこそ、心持ちを軽く保つことが大事なのだ。
「しかし宇宙の調査‥‥と言われても、しっくりこないですね。どうします?」
ただ調べろ、と言われても、どう調べれば良いか分からないのも道理。抹竹(
gb1405)の漏らした呟きは尤もだ。
だが、それもそのはず。どのように調査するか、ということに関しては全く指示されなかった。何をするか、など決まっていない。とにかく、やれそうなことは片っ端からやるのが今回の調査だった。
「まずは外部から観察してみましょう。それから、内部に入ってみたりしてはどうでしょうか。環境を知ることも大事です」
と、ハミル・ジャウザール(
gb4773)は提案する。
「我輩は電子戦機ではないから精度は悪いが、やらないよりはましだろう〜」
これに、ウェストが同意。他の者も反対はしなかった。
いったいこの雲はどういったものなのか。外枠を掴むことが第一歩だ。
「まさかほんとに来るとは思ってなかったな、あの頃は」
学生時代から宇宙への憧れが強かった氷室美優(
gc8537)。人類が本格的に宇宙へ乗り出すようになったのもつい数ヶ月前の話。いずれはここまで来なくてはバグアを追い払えないだろうとの言葉も過去には多く、だが、何だか現実味のないものであった。
今は違う。こうして宇宙にいる。真っ暗な世界、星に抱かれる感覚。プラネタリウムなんかとはまるで違う、本物の宇宙。これは、現実なのだ。
「仮にこれがバグアの手によって作られたものだとしたら、奇襲もあり得そうね。何人も観察する必要はないでしょうから、私は警戒に当たるわ」
彼女、レイミア(
gb4209)は言う。
全員が観察に回ったって仕方のないことではある。それに、この宙域には軍のKVも多数展開していることもあり、いざという時に備えることも重要と言えた。
「しかし、塵の割には、意外におっきなもんやなぁ」
愛機禄存のカメラで雲の様子を見ていた月見里はそう漏らす。
塵にしては大きいが、目で見る分には小さい。そんなものが無数にふよふよと浮いているのだ。
だが、これが密に重なり、視界を遮る。コーディレフスキー雲内部の様子をカメラで捉えることは難しかった。
この石のようなものが雲の正体なのか‥‥?
「えいっ」
偶然近くまで流れてきた一欠片の塵に向かい、氷室は武器を振ってみた。
壊してみれば何か分かるかもしれない、と。
しかし――。
「あ、あれ?」
「どうかしたんですか?」
疑問符を頭に浮かべた氷室。
何だか間の抜けたような声に、レイミアが反応する。
「今、塵が勝手に動いたような‥‥」
振り下ろした剣は、塵を捉えてはいなかった。
確かにあまり狙いに集中してはいなかったし、緩慢な動作で剣を振ったが、そういう問題ではない。彼女の目には、塵に避けられたように見えたのだ。
ただ無重力を漂うだけの塵に、そんなことが出来るわけもない。
「勝手に? 妙ですね‥‥」
報告を耳に、ハミルは顎に手を当てて考える。
「どなたか、知覚銃器をお持ちの方はいらっしゃいますか? 雲の内部に、射撃をしてみます。何か効果があるかもしれません」
「では私が」
少なくとも、塵は攻撃に対して反応を示した。ならば攻撃を重ねることで何かしらの収穫が得られるかもしれない、というのがハミルの判断であった。
これに乗ったのが抹竹。何をすれば良いか見当がつかずにぼんやりしているよりは良いだろう。
まず、ハミルが雲の内部へ向かってガトリング砲を放つ。弾き出された弾丸が暗闇を飛ぶ‥‥が、特にこれといった反応はない。塵も大きく動いた様子はなかった。
続いて、抹竹が粒子砲の照準を雲の方へと向けた。
先ほど何も起こらなかったのだ。物理、非物理でも攻撃であることには変わりないし、きっとただ光の線が吸い込まれていくだけだろう。
そんな予測を立てて放たれた一撃。
しかし、その時不思議なことが起こった!
粒子の束が塵にぶつかると、光がバチリと弾けて乱反射しながら吸い込まれていったのである。
「非物理に反応する鏡の塵? 何かの防衛機構か、こういう特殊な気象現象か‥‥」
夜十字が呟く。
これは一つの前進だ。この雲の塵には、やはり普通でない何かがある。
そう思った矢先だった。
「待つのじゃ。あれは!」
乱反射していた光が、一カ所に収束する。直後、光は、放った時とは比べものにならない程の眩しさを以て、こちらに跳ね返ってきたのである。
美具が悲鳴のように回避を叫ぶ。
「ぬぅ〜っ」
KVが展開していた宙域を光の束が通過する。射線軸のすぐ脇にいたウェストは、間一髪、装甲を脱ぎ棄てて身代わりにすることで、危機を脱した。そしてそれは、後方にあったエクスカリバー級の一隻に着弾。
音はない。だが振り向いてみれば、被弾したエクスカリバー級の被害は甚大であった。左舷の装甲は弾き飛ばされ、上手く姿勢を制御出来ずにいる。辛うじて轟沈は免れたものの、今のものと同じ光線を再び浴びれば完全に消滅してしまうだろう。
「嘘‥‥、あ、あんな威力なんてっ」
当然だが、抹竹が直接エクスカリバー級を撃ったとしても、一撃ではあそこまでの被害を出すことは非常に難しいだろう。あの雲によって、異常なまでに威力が増幅されたのだ。
その様子を目の当たりにし、氷室がガクガクと震える。
「これで決まりだね〜。あの雲はバグアの兵器だろう〜」
「そうやなければ、うちらを狙って跳ね返せへんもんなぁ」
ウェストと月見里は冷静だった。
ただの気象現象、にしては出来すぎている。仮に光線や粒子砲などを乱反射するような環境があったとしても、それを収束させて射出するなんて考えられない。
先に夜十字が述べた、バグアでも手出しを出来ない何か、という可能性もある。バグアの襲来により、バグアはもちろんその他の異星人の存在も証明された現在、地球以外のバグアに対抗する何者かが作り出した、と考えられなくもないのだ。
『調査を切り上げる。これより態勢を立て直すため、離脱する。展開中の各機は撤退支援に当たれ』
「やっぱり、か」
入った通信に、す、と氷室は目を細める。
「ついでですし、もう少しだけ、データを取りますよ。雲に侵入します!」
まさか侵入しただけで行動不能になるほどのことも起こるまい。そう判断したハミルを先頭に、美具が続いて雲の内部へ入っていく。
すると――。
「なっ、何じゃこれは! 計器が‥‥!」
あらゆる計器が異常な数値を弾き出していた。
雲の内部だからか、塵がそういった力を備えているからか。正常な計測が出来なくなっている。
「ハミル、そっちはどうじゃ、ハミル!」
「――は、なん――ましょ――」
通信機に呼びかけるも、返ってくる言葉はノイズが酷くとてもではないが聞き取れない。
いや、それだけではない。
「くっ、ぅ、これは‥‥」
不快感が彼女を襲う。この感覚、バグア製のジャミングによく似ている。
きっとハミルも同じ状況に置かれているはずだ。このまま雲の内部にいたのではいずれ自滅を迎えるだろう。
だから離脱を考えているはずだ。
雲を飛び出せば、一呼吸の間を置いてハミルも無事に脱出していた。
残っていた面々はどうしていたかというと、ただ引き返しているだけではなかった。
「これは‥‥」
徐々にクリアになってゆく通信機から、夜十字の声が漏れる。
彼はせめてこの塵をサンプルとして持ち帰ることが出来ないかと考えていたのだ。
塵には移動能力がある――。これは、先ほど氷室の行動で発見されたことだ。だから、捕えるには少々手間がかかった。
伸ばした手は何度も宙を切り、ようやく捕まえた、塵。
「微弱な、ジャミング能力か。それに――」
触れた瞬間、KV内部の計器が僅かに狂い出す。だが恐らく、触れたものにのみ作用するというわけではない。そのことは、後にハミルや美具の証言で明らかとなる。
夜十字の発見で重要なことは、別にあった。
「フォースフィールドだな」
「疑う余地もないですね。この雲、確実にバグアのものです」
手の中の塵は、僅かに赤い発光。バグア製のほぼ全てのものに備わっているフォースフィールドの反応だった。
最早他の可能性を探る必要もあるまい。コーディレフスキー雲の正体は、バグアの兵器だ。レイミアがそう判断して、誰も異を唱えることもなかった。
この雲の用途や目的など、詳しいことはハッキリしない。それを探ることが調査の目的というわけでもない。
だがもう一つ、判明したことがある。
コーディレフスキー雲の存在は、消さねばならないということだ。
「‥‥流石にここまででしょう。後退しますよ」
抹竹が声をかける。
既に撤退の指示は出ているのだ。あまり調査に気を取られていても、置いてけぼりを食らうだけだろう。
しかし妙だ。
雲がバグアの兵器だとして、こうも調査を許すものだろうか。確かに、被害は出た。これによって怪我をした者、下手をしたら死者も出たかもしれない。だが、相手がバグアなら調査するにしてもこんなものでは済まないはずだ。
わざわざデメテルが出向いてきたくらいであるから、もっと激しい抵抗があっても良いはず。
防衛戦力が不足しているのか? それとも‥‥。
「いえ、これを考えるのは、我々の仕事ではない」
つい深く考え込みそうになり、ハミルは頭を振った。
「僕らが乗っていた船は――」
瞬間。
バチリと視界が弾けた。
何事かと振り向く。
見れば‥‥。
「いっ、たたたた。何、何があったの?」
氷室の乗るKVリヴァティの左足が、膝から取れかかっていた。
搭乗者本人も、今起きたことが理解出来なかったらしい。きょろきょろと周囲を見まわす。
攻撃を受けたことは、理解出来る。だが、どこから?
ワームらしきものは見当たらない。
「ぬ――ッ!」
今度は夜十字の機体に光が走った。腕を掠めたそれに一瞬KVは力を失い、せっかく捕まえた塵にまんまと逃げられてしまった。
だが、今ので分かった。
「雲の内部からの攻撃だね〜。秘密を知ったからには帰さない、というところだろう〜」
今まで何も手出しをしてこなかったが、コーディレフスキー雲自体が攻撃手段を持っていることがハッキリした。今の光線は、雲の内部から放たれたものであることを、ウェストはその目でしっかりと確認したのである。
だが、何故今になって反撃を?
「挑発か、挑戦か。どちらかやろなぁ」
月見里が呟く。
わざと調査を許し、ある程度成果を与えたところでちょっかいを出す。
あの雲を操る者が存在するならば、恐らく、高慢で自信家な性格なのだろう。よほど余裕があると見える。
だが。
今、それに乗ってやるわけにはいかない。
「まともに取り合うのはまた今度じゃ。今は撤退が最優先じゃの」
「そうですね。早く逃げましょう」
コーディレフスキー雲に挑むにしても、まず作戦を立てなくては話にならない。
美具の言葉にレイミアは撤退を急いだ。
これ以上の追撃はない。舐められたものである。
舌打ちでもしたくなる感情。
上げた成果は大きい。このまま何も知らずに雲に突入していたら、全員が宇宙の塵になっていたことだろう。
これをどう攻略するか。それは、軍の人間が考えることだ。
今は調査結果を持ち帰ること。これが何よりも優先すべきことである。
「お楽しみは、次の機会ね。せっかくのオモチャだもの、出来るだけ長く使ってあげなきゃ」
人類が後退してゆく。
八つの足を持つ紫の女性は、ニタリと笑みを浮かべていた。
これまでは、ただの挨拶。本番はこれからだ。
彼女はカサカサと足を鳴らして、無限に広がる暗がりへ目を泳がせる。
ここは、今や私の城だ。全てが、私のオモチャだ。どうやって遊ぼうかしら‥‥。
胸を突き破るような高揚感。
堪え切れず、彼女は大腕を広げた。
「いらっしゃい、私の巣へ。雲の巣へ」
笑みは絶えない。
彼女――シバリメの瞳は、星と見まごうばかりに光を焚いて去ってゆく人類を映していた。