●リプレイ本文
●猫を求めて
空は明るく晴れているというのに、鬱蒼とした森は昼間でもどこか薄暗い。
揃って足を踏み入れた7人の傭兵たちは、程なくして目標の小屋を発見すると、事前の打ち合わせ通りメンバーを3つの班に分ける。森を探索する2班、小屋に待機する1班という内訳だ。
任務は、鈴虫の羽根を生やした猫型キメラの殲滅。加えて『可能な限り依頼人の飼い猫を保護する』という条件もついている。
「外見が全長3メートル程の猫で、背に鈴虫に似た羽根‥‥なんかヘン!」
事前に言い渡されたキメラの情報を復唱しつつ、高岡・みなと(
gb2800)が口を開く。それに頷きを返しながら、黒崎 夜宵(
gb2736)も呟いた。
「猫を飼っている身として、こんなふざけたキメラは放っておけないわね」
普段なら淡々と仕事をこなすはずの夜宵だが、今回は一味違う。依頼人の猫の危機を救ってやりたいと思う一方で、形だけ半端に猫の姿を模したキメラに、強い嫌悪を抱いていた。
「ふむ。羽音が鈴の音と同じとは厄介な。間違えない様にしないとな」
「だとしたら‥‥猫ちゃんの鈴と区別できないじゃない!」
漸 王零(
ga2930)が低く発した言葉に、みなとが思わず大声を上げる。依頼人の猫は、鈴つきの首輪をしていると聞いた。
「しっ――静かに」
口の前に指を一本立て、翡焔・東雲(
gb2615)が制止する。既に、ここはキメラのテリトリーだ。警戒するに越した事はない。
「まあ、高岡さんの危惧もわかりますがね」
周防 誠(
ga7131)が飄々とした口調で言うと、朔月(
gb1440)は、持参したエマージェンシーキットから洗濯用のネットを2枚引っ張り出しつつ、全員へ向けて声を放った。
「猫の鈴と、鈴虫の羽根じゃ鳴る間隔が違う。周囲の草木が発する音も違うから、そこに気をつければまず間違わない」
至って落ち着いた様子で、取り出した洗濯用ネットの1枚を夜宵に手渡す。これこそ、彼女が依頼人の猫を安全に保護すべく用意した秘密兵器だった。
「――捕まえたら、くれぐれもそいつから出すなよ」
「了解よ。使わせてもらうわ」
念を押す朔月に、夜宵が大きく頷く。
その後、7人の傭兵たちは、3方に向かって散った。
●追憶
さほど広くない小屋の中は静かで、鈴虫に似たキメラの羽音も、猫の首輪に揺れる鈴の音も、今はどちらも聞こえない。
慣れた手付きで猫の餌と水を用意する真田 音夢(
ga8265)が放つ小さな物音と、僅かな衣擦れだけが、この場にある音の全てだった。時折、そこに誠が持つトランシーバーのノイズが混じる。探索に向かった仲間からの報告は、まだ無い。
猫は家につく生き物だという。キメラと化してもなお、その習性が残っているかどうかはわからないが‥‥依頼人の猫、あるいはキメラが、この小屋へと戻る可能性は充分に考えられた。油断することなく、誠は窓際で双眼鏡を手に外を警戒する。
餌と水の準備を終え、音夢もまた、そっと耳を澄ませた。
鈴。どこか懐かしい音色。――それは、幼い日に飼っていた白猫を思い出す。
音夢がこの依頼を受けた理由は一つ。『猫が好き』、ただそれだけだ。彼女にとっては、キメラ退治すら二の次に過ぎない。
――りん。
もうすぐ、会えるだろうか。あの、懐かしい音色に。
そう、音夢が想いをはせた時。
静寂を破り、誠のトランシーバーから、急を告げる声が聞こえてきた。
森を探索していた班の片方がキメラと遭遇し、しかも、それは小屋を目指して移動中だという。
軽い溜め息とともに、誠が立ち上がる。
「あんまり小屋を荒らすのも気がひけます。外に出ましょう」
振り返りざまの言葉に、音夢は黙って頷いた。
●大きな鈴
時間は、少し遡る。
2人で探索を進めていた東雲と朔月の鼓膜を、僅かに震わせる音があった。
軽く転がすような鈴の音。そして、風も無いのに揺れる木々の音。
――りり、りん。
「鈴の音が‥‥いや、この響きは」
朔月の助言通りに、東雲は自らの聴覚を研ぎ澄ませた。
音の間隔。周囲の物音や気配。あらゆる要素は、『それ』が、守るべき小さな生き物では『ない』ことを告げている。
「‥‥キメラか!」
「そのようだね」
冷静に応じる朔月の視線が、鈴の音が響く方へと向けられる。目を凝らした先、木々の隙間から、巨大な猫のシルエットが見えた。
咄嗟に弓に矢をつがえようとした朔月よりも速く、猫キメラが昆虫の羽根を広げる。それは瞬く間に宙を舞い、武器を手に身構えた東雲の脇をすり抜けるように、木々の合間をぬって駆けていった。
朔月が、内心で舌打ちしながらトランシーバーを手に取る。
「キメラだ。小屋に向かってる」
既に、足は猫キメラを追って走り出していた。東雲も、その後を追う。
「逃がすわけには、いかないんだよ‥‥!」
●小さな鈴
一方、王零たち3人は、キメラ発見の報を受けて朔月らに合流すべく動いていた。
戦いの張り詰めた空気が支配する森。木々を避けて走りながら、みなとは、ふと、AU−KVを纏った己の全身に目を向ける。
(「ドラグーン、ボクだけだから恥ずかしいなぁ‥‥」)
ドラグーンの無二の武器であるAU−KVだが、外見は無骨な全身アーマーそのものだ。傍らを行く二人に比べると、それはいかにも重たく思える。
――りん。
突如、耳に届いた鈴の音に、王零と夜宵が足を止めた。
「どうしたの?」
「今、鈴の音が‥‥」
キメラが現れたと報告を受けたポイントは、まだもう少し先だ。――ならば、これは。
探査の眼で高められた感覚を頼りに、夜宵が慎重に歩を進める。
木の根元、ちらりと覗いた小さな影を見て、みなとが思わず声を上げた。
「――あ」
声に驚いたのか、すぐに姿を隠そうとした影を、回り込んだ王零が捕まえる。
茶色の虎縞に、小さな鈴のついた青い首輪――捜していた猫に間違いない。
確認した後、夜宵が持つ洗濯用ネットに猫を押し込む。
「少し乱暴だけど許してね」
夜宵がすまなそうに声をかけると、それまでじたばたと暴れていた猫は、抵抗をやめる代わり、どこか不満げに「みゃあ」と鳴いた。
●戦場に響く音色
夜宵たちが猫を保護したという報せは、キメラを追う東雲たちを幾許か安堵させた。これで、守るべき猫が巻き込まれる心配は、ほぼ無くなったはずである。あとは、目の前の猫もどきを倒すのみだ。
「あいつらが来るまで、大人しくあたし達の相手してな!」
これ以上小屋へ近付けまいと、東雲が必死にキメラに追いすがる。その叫びを聞き、キメラはようやく彼女らを敵と認識した様子で、大きな猫の瞳を向けた。
――りり、りん。
どういう羽根の構造をしているのか、飛行中であっても、猫キメラから発せられる鈴の音は止まない。
東雲が素早く側面へと回り込み、宙に浮かぶキメラの羽根目掛けて斬りかかるも、刃は敵を捉えることなく、僅かにずれた方向へと逸れた。
ほぼ同時に、朔月も狙いを定めて矢を放ったが、羽根の根元に当たると思われた射撃は、微かに羽根の先を掠めたのみで有効打とならない。
対するキメラは、東雲に向けて鋭い爪を振り上げた。受け止めようと咄嗟に構えた防御姿勢の上から、やすやすと彼女の皮膚を抉る。
――りり、りりん。りりん。
再び、朔月は内心で舌打ちした。キメラの羽根から発せられる鈴の音。それが、自分たちの感覚を阻害していることに気付いたからだ。可能性として考えられなくはなかったが、厄介なことには違いはない。
「予想通りとは‥‥まいったね」
トランシーバーの通信から、その事実を知らされた誠が独りごちる。既に、彼はスナイパーライフルを手に、狙撃ポイントへと陣取っていた。有効射程ギリギリのこの場所なら、おそらく鈴の音も効くまい。
勢い良く放たれた弾丸は、狙いを過たずキメラの羽根へと突き刺さった。
猫の鳴き声そのままの悲鳴が、キメラの喉を震わせる。
誠の狙撃は、羽根を破壊するには至らなかったものの、確かに打撃を与えたようだ。発する鈴の音が濁り、乱れている。朔月が矢を射ってその傷を拡げると、袴姿で駆けてきた音夢がワイズマンクロックを放ち後に続いた。
「闇よ。我が意に従い我が求める形をなせ‥‥形成『狂王の仮面』」
合流を果たした王零が、覚醒によって生じたエネルギーで半透明の仮面を纏う。鳴り続ける鈴の音をものともせずに接近すると、キメラの側面から、ショットガンの零距離射撃が火を噴いた。
「先に羽根を狙え!」
猫キメラの動きが鈍ったのを好機と見て朔月が叫ぶ。それに応えた誠の狙撃は、今度は根元から羽根を奪い去った。
「猫ちゃんを可愛がっているおじさんを襲ったこと、後悔させてあげるよ!!」
地に落ちたキメラを目掛け、竜の瞳を発動したみなとが弾頭矢を放つ。眉間を狙った一撃は外れたものの、猫キメラを一瞬怯ませるには充分だった。鈴の音から解放された東雲が鬱憤を晴らすように刀を振るい、朔月も敵を逃がさぬよう、矢を浴びせていく。気勢は、完全に傭兵たちへと傾いた。
「猫を貶めた罪、その身で償いなさい」
保護した猫を小屋に運び終え、遅れて戦場へ辿り着いた夜宵が、構えた小銃からキメラに弾丸を叩き込む。
「汝が悪しき業、全て我が貰い受ける」
炎と見紛うばかりの紅いオーラが、王零の全身を包む。両手に構えた二刀が、彼の力を受けて強く輝いた。
「‥‥流派奥義『無明』‥‥我に断てぬモノなし!!」
――にゃあ。
斃れる瞬間。キメラは、最期に一声だけ鳴いた。
●君の名は
「よしよし、大人しくしててくれたね」
小屋に戻った後、猫はようやく洗濯ネットから解放された。
乱暴に押し込められたことを根に持っているのか、猫はいたく不満げではあるものの、夜宵が頭を撫でようと伸ばした手を拒むことはない。
「あとは、報告に行くだけか」
先の戦闘で負った傷の手当てを行いつつ、東雲が呟く。本来ならば、飼い主に猫を会わせてやりたいところだが、依頼人が病院にいる以上、そこに連れて行くわけにもいかない。
「この子の名前だけど、トラオってのはどうかなぁ? 漢字だと『虎雄』って書くんだけど‥‥。ダメ?」
猫を眺めるみなとが、こんな提案を口にする。
AU−KVで猫を刺激するのを避け、保護した直後は決して猫に近寄ろうとしなかった彼女だが、装着を解いた今は屈託なく猫に接していた。
「飼い主に訊いてみたらどうでしょうね」
誠の言葉に頷きながら、みなとは心の中で猫の幸せを願う。
「さて、そろそろ出るか‥‥」
朔月がそう言って腰を上げた時、猫キメラの埋葬を終えた音夢が、戸口から猫に駆け寄り「茶太郎」と小さく口にした。どうやら、彼女にとってこの猫はそういう名であるらしい。死ねばキメラも同じ骸だと言い、それを埋葬した少女には独自の信念があった。
「大丈夫‥‥。心配しなくていいよ。おじいさん‥‥すぐに戻ってくるからね‥‥」
無表情の中に、ほのかに優しげな色が加わる。
――りん。
返事をするように、小さな鈴が一度、懐かしい音色で響いた。