●リプレイ本文
●かくれんぼの鬼
寂れた廃病院に人の気配はなく、建物の中は不気味なまでに静まり返っていた。
足を踏み入れたロビーの床は、一面に泥を擦ったように汚れている。おそらくは、標的である『汚泥のようなスライム』が這った跡だろう。これを殲滅し、今もここに取り残されているらしい男児を保護することが今回の任務だった。
「廃病院でかくれんぼ‥‥子供らしいとも言えますが、さて」
フェイス(
gb2501)が、ロビーの片隅に残されていた病院の案内図を眺め、主な施設と階段の位置を記憶に刻む。
地上2階・地下1階の合計3フロア。1階に受付とロビー、外来診察室、入院患者の食事を作る厨房があり、2階のほとんどは病棟で占められている。階段は入口近くの東階段と、奥側の西階段の二箇所で、地下にはレントゲン室。表記のない箇所は、霊安室か機械室だと思われた。
「ここに、件の男の子が隠れているのね。‥‥先に急がないと」
白雪(
gb2228)――いや、今は姉の『真白』と呼ぶべきだろうか――が、銀の髪を不安げに揺らした。覚醒した時、彼女の人格は死した姉のそれが表に出る。
(「‥‥落ち着いて。大丈夫、無事に助けられるよ」)
内から聞こえる妹の声が、逸る気持ちを少し落ち着かせた。
「きっと怖くて心細い思いをしてるやろうし、急いで助けたらんとあかんね」
たった一人で取り残された子供の心情を気遣い、桐生 水面(
gb0679)が人懐こい顔を僅かに歪める。続いて、アズメリア・カンス(
ga8233)も口を開いた。
「子供かスライムのどちらかを早めに発見できれば、それだけ子供の安全を確保しやすいものね」
「――先にキメラを倒す方が良いね」
高村・綺羅(
ga2052)の言葉に、時枝・悠(
ga8810)が同意するように軽く頷く。敵は一体きり。それさえ排除してしまえば、隠れている子供の安全が脅かされることはないだろう。
「助けに着たわ。もう少しよ‥‥頑張って!」
ケイ・リヒャルト(
ga0598)の声が、マイクを通して反響し、病院の中へと響き渡る。乾電池式のマイクといえ、肉声よりは確実に遠くまで聞こえるはずだ。この声が子供に届けば、少しは安心させられるかもしれない――願いを込めてマイクの電源を切り、同行する仲間たちを振り返る。
「‥‥急ぎましょう」
「ああ」
冷静な表情を崩さず、南雲 莞爾(
ga4272)が頷く。
任務に集った傭兵たちは8名。3つのフロアをくまなく捜索するなら、階ごとに手分けするのが最も確実だ。事前に取り決めた班分けの通り、彼らはそれぞれの担当するフロアへと急いだ。
●どちらが先か
進んだ先は、ロビーと同様に泥の這った跡で埋め尽くされていた。
「キメラより先に見つけないといけませんね」
スライム型のキメラはそう素早くはないが、確実に病院内を動き回っている。それだけ、子供に近付く危険も増えるということだ。
「かくれんぼはおしまいですよー。迎えに来ましたー」
診察室のカーテンをめくりながら、どこかに隠れているであろう子供に対して呼びかける。見取り図の記憶をもとに、フェイスは効率良く捜索を進めていた。
「助けに来たで〜。どこにいるんや〜」
『探査の眼』でくまなく周囲を観察しつつ、水面が子供の名を呼ぶ。続けてアズメリアが、近くにスライムが居るなら決して声を出さないように、と付け加えた。
「‥‥こちらの声でスライムを呼び寄せたなら、それはそれで良しという事で」
とにかく、子供とスライムの接触だけは避けねばならない。子供を見つけて保護するか、スライムを引き寄せて倒すか。仮に同時に発見した場合であっても、対策は考えてある。今は、全力で捜すだけだ。
●静と動
2階の捜索を担当する綺羅と悠が、勢い良く東階段を駆け上がった時。彼女らが見た光景は、1階のそれと大差はなかった。やはりここも、黒い泥の汚れが目に付く。
「天井とか、壁にも注意しておかないとね」
相手がスライムなら、壁や天井に張り付いて潜んでいる可能性もある。綺羅の言葉に、悠も油断なく視線を巡らせていた。
口々に子供に呼びかけつつ、捜索にあたる。スライムを引き付けるべく派手に物音を立てる綺羅に対して、子供の名を呼びながらも、どこか黙々とした様子で順に部屋を見て回る悠の姿が対照的だった。
●一筋の光明
暗闇の中、少年はただ黙って息を潜めていた。
明りも無い場所を必死に逃げ回ったおかげで、手足のあちこちが擦り剥けて痛い。空腹と、喉の渇きと、死への恐怖。泣き叫ぼうにも、大声を上げたら最後、あの泥のような怪物がやってきて自分を食べてしまうかと思うと、それも出来なかった。
もう、どれくらいの時間ここにいるのだろう。誰にも見つけてもらえず、このまま死んでしまうのだろうか――ゆるゆると襲い来る絶望を胸に、少年が膝を抱えた、その時。誰かの声が響いた。
知らない人たちの声。でも、確かに自分を呼んでいる。瞬間、少年は声を限りに叫んだ。
「返事して! 助けに来たわ!」
電気は無く、陽光も届かない地下。暗視スコープの視界を頼りに、白雪は子供の姿を懸命に捜す。ケイもまた、メガホンを手に子供に呼びかけつつ、注意深く進んでいた。
敵の外見と性質を考えれば、この地下では不意打ちの危険はより大きくなる。莞爾は子供を捜しながらも、いつでも戦えるように周囲への警戒を怠らない。
やがて、声が聞こえた。耳を澄ませて確かめるまでもなく、それは子供が助けを求める声に間違いない。
「レントゲン室――ここか。待ってろ、今行く」
莞爾が金属製の扉を開いた先。皆が無事を祈った命が、そこにあった。
レントゲン室の外で警戒にあたる莞爾を残し、彼から懐中電灯を借り受けたケイと白雪が部屋の中へと入る。一筋の光は、恐怖に凍った子供の心を、僅かに溶かしたようだった。
「‥‥怖かったでしょ? 大丈夫、もう安心して良いからね」
子供を抱き締めた後、救急セットを取り出し傷の手当てを行う。あちこち擦り剥いてはいるものの、深刻な怪我が無いのが幸いだった。
「一人で良く頑張ったわね‥‥さすが男の子」
ケイが微笑み、果物ジュースを差し出す。子供はどこか照れたように頷くと、大事そうにジュースの瓶を抱えて飲み始めた。
「地上では、まだスライムは発見されていないらしい。ここも、近くにそれらしい気配はないな」
トランシーバーで地上の仲間と連絡と取っていた莞爾が、部屋の中へ声をかける。
「‥‥まずは安全な場所に連れて行くべきね」
ケイの言葉に頷き、莞爾は地上階の仲間に、子供を病院の外へ連れ出す旨を告げた。
●もう一つのかくれんぼ
子供を無事に保護したという報告は、地上を捜索する2班を安堵させたものの、これで任務が終ったわけではない。倒すべきスライムは、未だ発見に至っていなかった。
「‥‥まったく、どこにいるんだろうね」
綺羅が、院長室らしき部屋の扉を大袈裟に叩く。この部屋を最後に、未探索の部屋は2階に残っていない。
「1階も、ほぼ同じ状況らしいな。残るは地下か‥‥」
壁や床に残された汚泥の痕を睨むように、悠も口を開く。その時、1階の水面からトランシーバーに通信が入った。
「――スライム見つけたで。西階段の踊り場や!」
「踊り場‥‥! わかった、すぐ行く」
確かに、建物の最奥に位置する西階段はまだ行っていなかった。敵の行動範囲が全エリアに及ぶ以上、そこを繋ぐ階段もまた、重要なポイントになりうる。そこに気付いたのはフェイスであり、スライムを発見したのは水面だった。
西階段は、綺羅と悠の現在位置からも近い。通信を終え、二人は駆け出した。
●泥より生まれ‥‥
階段の踊り場を埋め尽くすように、泥のようなスライムが蠢いている。目を凝らした先、酸に半ば溶かされた小鳥が、階段の途中に横たわるのが見えた。踊り場の割れた窓から飛び込み、餌食とされたのだろう。一歩間違えれば、捜していた子供も同じ運命を辿っていたに違いない。
「犠牲者が出ていない内に倒させてもらうわよ」
アズメリアが、踊り場の手前から銃を構えてスライムを撃つ。不用意な接近は危険と判断し、中距離からダメージを与えようという作戦だ。
「でかい分、当てるのはいいんですが‥‥まったく」
軽くぼやきつつ、フェイスが二丁の銃で後に続く。勢い良く吐き出された弾丸はスライムに深く突き刺さったものの、泥に埋もれるように衝撃を殺され、飲み込まれた。
「‥‥属性は持っていないようですね」
異なる属性の銃を両方試すことで、スライム本体の属性を見極めようとしたのだが、いずれの銃撃も威力に差は見られない。となれば、物理攻撃はいよいよ効果が薄いということになる。
「子供を怖がらせるなんて許さんで。うちが成敗したる!」
やはり若干の距離を置きつつ、銃で牽制を試みる水面に向けて、スライムが粘液を飛ばしてきた。剣で払い除けようとするも敵わず、全身を絡め取られる。
行動を封じられた水面に向けて、スライムが緩慢に動き始めた時、駆けつけた綺羅が階上からエネルギーガンを発射した。
「‥‥派手に行くとしよう」
悠も両手に構えた刀から衝撃波を繰り出して攻撃に加わり、その間に、水面が粘液を振りほどいて戦線復帰を果たす。
「くっ、やってくれるやないの。お返しはきっちりしたるからね」
これで、スライムは踊り場の上下から完全に挟まれる形となった。包囲されたことを悟ったのか、次々に酸を帯びた粘液を吐き出してくる。階段の手すりや曲がり角の遮蔽を利用しつつ、アズメリアは巧みに直撃を避けていたが、こちらの射撃もいまいち効果が薄い。すえたような臭いと、酸の刺激臭が鼻につく。
「‥‥待たせたな」
風を切るように、『瞬天速』で廊下を駆けてきた莞爾が前に躍り出た。目にもとまらぬ速さで刀を振るい、同時に逆手の小銃を発射する。衝撃で泥が派手に飛び散った時、莞爾は既に距離を取り、武器を超機械へと持ち替えようとしていた。
「ぶよぶよと気持ち悪いわね‥‥さぁ、おネンネの時間よ」
少し遅れて到着したケイが、銃をスライムへ向ける。蠢き、必死に形を戻そうとする泥の塊目掛けて、貫通弾が火を噴いた。
ケイの援護を受け、白雪も機械剣を携え接近する。
「八葉流参の太刀‥‥乱れ夏草」
流れるような三連撃。レーザーが閃き、スライムの体表を焼く。
「仕留めにいかせてもらうわ」
好機と見て、アズメリアが利き腕の刀を構えた。悠の放ったソニックブームにタイミングを合わせ、自らのソニックブームでスライムを挟撃する。
「――そろそろ泥に還りなさい」
フェイスの一言は、そのまま処刑宣告となり。電磁波と衝撃波、弾丸の嵐の前に、汚泥のスライムはとうとう活動を止めた。
●おうちに帰ろう
戦いを終えた後、傭兵たちは急いで子供のもとへ戻った。
キメラから遠ざけたといえ、人気のない廃病院を前に、ただ一人残されるのはやはり心細かろう。
「よく頑張ったね。もう平気だから‥‥」
「‥‥でも、もうご両親に心配はかけないようにね」
綺羅と白雪が、代わる代わる子供に声をかけ、頭を撫でる。その後ろから、救急セットを携えた水面が「怪我してる人はおらん?」と人好きのする笑顔を覗かせた。
「無事で良かったです。本当に」
その様子を、少し離れた場所から眺めつつ、フェイスが紫煙をくゆらせる。今回の任務も、無事に終えることが出来た。心地よい疲労が、体を包んでいる。
そろそろ日も暮れる。子供は、もう家に戻る時間だ。
陽が傾いた空の下、かくれんぼを終えた子供は傭兵たちに手を引かれ、両親のもとへ帰っていった。