●リプレイ本文
稲玉の指示で、振動や音を出すものは全て停止させられ、外に降り積もる銀雪が更に音を吸収して、闇より深い静寂に包まれていた。時刻は5時。冬の日差しは短く、天候の悪化もあって、周辺は早々に青い闇が差し迫ってきている。
外で物音がした。音を立てないよう慎重に、少年はカーテンの隙間から外の様子を覗く。稲玉が言っていた『能力者』が、助けに来てくれたのだと、彼は思った。寒さが支配するフロアの上、数時間も息を潜め、恐怖に耐えてきたが、『これで、助かる』という安堵感が緊張感を緩めたのだろう。だから、ほんの少し好奇心がそれに勝ってしまったのだ。
しかし、見える光があまり多くない。2つか、3つか。目を凝らして見るも、確証を得るシルエットは見えず。それで更に鼻を窓に押し付け、時々、パンパンッと、弾け飛ぶ雪飛沫と、ガラスに爪を立てたような奇怪な鳴き声が響き渡る白銀の世界を、じっと見ていた。
不意に光が弾け、辺りに甲高く、少し長めの破裂音が轟く。
そこで初めて、少年は保護色と暗さで、窓を挟んだほんの10歩くらいの距離に、奴が居たことに気が付いた。
――ギイッ。
思わず一歩引き、踵を沈ませたフローリングの床が、軋む。静寂が支配するその場所で、その小さな音はあまりにも大きく響き、少年は、自分の血の気が引いていくのを感じていた。
***
時は僅かに遡る。
深々と降り注いでくる降雪の中、8人の傭兵は、周囲を警戒しながら、救助者が待つペンションに向かっていた。
「マジで巻き込まれ体質なんだな、茉苗。相変わらず無茶しているようだし‥‥。早いとこ、キメラをぶっ倒さないと危ないな」
宵藍(
gb4961)が苦笑いを浮かべる。曲りくねった道を黙々と進み、間も無くペンションが見えてくる頃か。同じように彼女の不遇を知る祈宮 沙紅良(
gc6714)が、コクリと頷いた。
「‥‥そうですね。今も茉苗さん御一人で頑張っていらっしゃるかと思うと、心配で早く駆けつけとう御座います」
「ああ。ペンションに篭ってる奴らも安全とは言えないし、急ごう」
その二人とは少々違った思いで意気込んでいるのは、南 日向(
gc0526)だ。小さい頃、雪山に遭難した経験から、寒さの中、取り残される人の気持ちが良く分かる。
「絶対に‥‥助け出してみせます!!」
ふつふつと湧き上がる気持ちを抑えるように胸に手を当て、一呼吸。彼女にとっては、過去の自分を救いに行く意味も持つ。春夏秋冬 立花(
gc3009)が七島から聞き込んだ情報と、ルノア・アラバスター(
gb5133)が集めてきた周辺情報で、彼女の大体の所在にアタリがついている。逸る気持ちが抑えきれない。
日向の言葉に、「わん! みせますです!」と同調したのは、シルヴィーナ(
gc5551)。わんこ気質を持つ彼女は、銀世界を前に、別方向のテンションを上げながらも、その目は正義の炎に燃えている。
「寒い。ちゃっちゃと片付けて平和に紅茶でも飲みましょ」
先頭を行く神楽 菖蒲(
gb8448)が、少し身震いをして、コートの襟を立てた。少しずつではあるが、先程より雪の勢いが増してきている。そういえば、天候が回復するのは明け方になると、オペレーターが言っていた。キメラさえ倒してしまえば、急ぐことも無い。今日はそのペンションに宿泊することになりそうだ。
「‥‥見え、ました」
暗視スコープを起動させてルノアが言った。腰に括った懐中電灯を直しながら、未名月 璃々(
gb9751)が、バイブレーションセンサーを発動させる。ペンションの周辺に、動いている人型の物体は5体。想定していたより、少々数が少ない。センサーは『範囲外』『動かないもの』には効果が無い。もっと奥に行ってみなければ、全ての数を把握するのは難しいのか。
『ギッ、ギギギッ』
こちらの接近に気が付いたのか、近くの2体が移動を開始した。雪を巻き上げ、物凄い勢いで雪を掻き分けて突き進んでくるキメラ。
その姿は、まさにエイリアンと呼ぶに相応しい、グロテスクな形状をしていた。少し、ワラスボに似ている。
「素晴らしい被写体ですねー。気持ち悪さ、気味の悪さ、素敵です」
夜間撮影にも対応したカメラで、璃々がその禍々しい姿を、のほほんと撮影を始めたその脇を抜け、シルヴィーナが、雪上を駆ける。一歩遅れて、宵藍も駆け出した。一応、視認性を高めるという理由で、ペイント弾を用意してきたが、こう、ド派手に動き回るようなら必要は無いだろうか。
ペイント弾の派手な蛍光色がキメラを染める。それは彼らにとっての死に化粧。辺りに雪を噴き飛ばしながら、飛び出すキメラに、しかし菖蒲は冷静に距離を見極め、相手の攻撃、リーチの懐に一気に飛び込み、横一線に獅子牡丹を振り抜いた。
「悪趣味だってのよ」
横に抜け、地を蹴り叩く。既に意識は二体目のキメラにシフトしている。彼女の背中を、グリンッと、キメラの頭部が追ったが、その手が伸びるより早く、菖蒲の背を預かる立花が一撃を深く叩き込む。まるで電電太鼓のように、両腕が明後日方向に降り抜かれたそのタイミングで、最大まで引き絞られた日向の弓が解放され、僅かに繋ぎ止めていた上半身を、根元から引き千切り、天高く、吹き飛ばし――
「ごめんね。悪いけど、ここで終わってもらうよ」
――それが地面に降りてくるより早く、立花の機械刀の光がその頭部を削ぎ落とした。
「何つーか、気持ち悪いとしか言いようがないわ」
ペンションから離れた拓けた場所に移動しながら、宵藍は閃光手榴弾のピンを抜き、発動数秒前に遠投した。
パッと眩い光が飽和し、クラッカーを鳴らしたような派手な音が、銀雪の世界を包む。視力や聴力を持たないキメラに、その特殊効果は無かったが、何事かと、弾けた光の方角に、一斉に振り向いた。
光をやり過ごした後、沙紅良がバイブレーションセンサーを発動させた。残ったキメラの数は全部で6体。1体は菖蒲達の前に、残りは宵藍達の方に集まってきている。行くならば、今が良いタイミングであろうか。
「神楽さんっ、よろしくおねがいします!」
日向の弓の援護と言葉に頷き、菖蒲がキメラの死角に回り込んだ。滑り易い足場で、あまり派手に動き回ることは難しかったが、距離を詰めてしまえば楽なものだ。
「ふん。結局のところ、自分から近付いて来るんでしょ?」
振り向くよりも早く、袈裟切りに一刀を加える菖蒲。しかし、悶絶したキメラは、雄叫びを上げながら、派手に毒液を撒き散らす。
「菖蒲さん!」
レジストを発動させた立花が彼女と入れ替わるように立ち、踊り狂う放水ホースのようになったキメラの喉元に、機械刀をスッと突き立てた。ビクビクと痙攣しながら、グラリと倒れるキメラ。
「‥‥大丈夫?」
「はい、かすり傷程度です!」
菖蒲が気遣いを見せたが、ぺかっと笑顔を見せた立花に、安心の吐息を漏らす。そしてそれから、日向に視線を移した。彼女は決意の篭った瞳で、静かに頷く。菖蒲はそんな彼女達の前に立ち、歩き出した。
「‥‥いいわ。貴女の正義に乗っかるだけよ」
***
「三日月狼の名の下に‥‥貴様らを殲滅する」
魂を刈取る大鎌を構え、狼のような鋭い殺気を放ちながら、シルヴィーナはキメラを睨み付けた。対するキメラも、能力者の力を把握したようで、少しずつ警戒し、じりじりとその距離を詰めるように動くようになっている。
「結構吹雪いてきたか。風音が邪魔だな‥‥」
バサバサ横殴りの雪が、宵藍の頬を叩いた。装備する暗視ゴーグルに水滴が付着していく。
「布瑠部由良由良如此祈所為婆――」
膠着した状態を打開するべく、沙紅良がほしくずの唄を響かせると、彼らを囲っていた一体が、耳障りな悲鳴を高く上げ、頭を抱え、その場に蹲った。
「‥‥どうやら、キメラは、互いの、状態を、共有して、いるよう、です」
混乱の効果を受けたキメラに連動するように、他のキメラが僅かに反応を示したのを、ルノアが気付いた。恐らく、動物や昆虫レベルのコミュニケーション術だが、ある程度の連携が行えることを示唆している。
バサッッ!!
ペンションの方角で、大きな雪飛沫が上がった。カメラを構えた璃々が、ペンションの中へ呼びかけながら、窓を叩いた、その瞬間であった。
「‥‥!」
カメラではなく、弓を構えていれば結果が変わっていただろうか。ハーモナーの歌は、高い支援効果を持つが、それは誰かの庇護を受けて、初めて意味を成すものだと、彼女は身を持って知ることとなる。
呪歌の効果は一瞬、キメラの動きを鈍らせたが、振られた腕は勢いを失わず、鞭のようにうねり、彼女の脇腹を強く払い飛ばした。呪歌は中断され、キメラは続けざまに彼女の両腕を掴んだ。いや、掴むなどという生易しいものではない。彼女の華奢な腕を、握り潰さん力で締め付けてきたのだ。鈍く軋む音が、無表情の顔を徐々に濁らせていく。キメラの口がゆっくりと開き、どろどろの唾液が、彼女の肌に触れる度に煙を吐き、激しい痛みを呼んだ。
ズタタタンッッッ! プシャッ!!
今まさに、キメラが璃々の頭部を飲み込もうとしたその瞬間。正確無比の3発の弾丸が、キメラの頭部を弾き、続けて放った弾丸が、執拗に頭部にクリーンヒットした。唾液と血液が周囲に撒き散らされ、キメラは断末魔を上げながら、ぐにゃりと腰から折れるように、雪の中に沈む。
「‥‥リロード」
オープンサイトがルノアの視線を外れ、漆黒の銃身が降りる。流れる動作で、弾倉は数秒の内に入れ替わった。
意識も朦朧にその場に倒れ込んだ璃々を、ペンションの裏口から引き摺っていく男性。彼女を安全な室内に移そうというのだろうか。ルノアが、彼に話しかけようとした瞬間、殺気が周囲に散らばり、咄嗟に身を屈めた。
粉のような雪が吹き上がり、彼女の銀色の髪にキラキラと反射していく。スッと背面に向けられる逆さまの銃口が、背後の気配に発射される。手応えは浅いが、牽制としては十分だ。
「ルノア!」
宵藍が繰り出した衝撃波が、薄くキメラの背中を切った。キメラは雪の海へ沈み、急速に離れていく。足が重い。地形の優位は相手にあるようだ。
「シャオさん。未名月さんが、ペンションの、中へ、運ばれ、ました」
「ああ、俺も見ていた! くそっ!」
苦味潰した顔をした彼の、背面に迫る一撃をシルヴィーナの大鎌が払い上げ、沙紅良の超機械から放たれた電磁波が、その身体を焼き焦がした。だが、致命打には及ばず、不意打ちが失敗したと悟ると、すぐさまキメラはその場を離れた。
「存外、動きが早いな」
手応えを確かめるように、鎌を持ち替えたシルヴィーナが、ペンション周辺に集まりつつキメラ達を、ぐるりと見回した。ここに残っているのは4人。ペンションの中に人が居ることを察知されてしまった今、この人数で機動力に優れる4体のキメラから、ペンションへの侵入を防がなければいけない。
「一人一体、面倒を見るしかないな。菖蒲達が早く戻ってきてくれれば良いのだが」
今、手段は選べない。3人は顔を見合わせ頷くと、先に駆け出していったシルヴィーナの後を追って、ペンション周辺に散開した。
***
雪で薄れつつあったスノーモービルと、キメラと思しきモノが通った後を行くと、大声で呼ぶまでも無く、稲玉は直ぐに発見された。携帯電話の電飾が定期的にチカチカと光を放っていて、それが目印になったのだ。近付くと、勢いよくシートが舞い上がり、身を屈めていた稲玉が、のっそりと立ち上がった。
「茉苗さん、無事でしたか!」
パアッと、輝いた顔で彼女に近付く日向に、しかし稲玉の顔は、鬼のような剣幕で、思わず日向は途中で足を止めた。
「まだ戦闘は続いているでしょう! なんでこっちに来た! 私は慣れているからいいけど、彼らはそうでないの! 直ぐにペンションに戻って!!」
「で、でも‥‥」
「私の足と、貴方達の足、どっちが速いと思ってるの! 私を足手まといにする気!?」
その様子を菖蒲は顎に指を当て、そしてその背中に隠れるように、立花が見ていた。黙り俯いてしまった日向に変わって、菖蒲が口を開く。
「‥‥分かった。でも、ここに一人にするわけにはいかない。日向を護衛に付ける。ナイムネ、行くわよ」
「な、ナイムネ言うなー!」
ムギャーと、吠えた立花を引き連れ、すっかり闇に落ちた雪の中を、走り去っていく菖蒲。その場には、稲玉と、日向が残された。
「‥‥」
しゅんとした日向に、稲玉は小さく溜息を漏らし、こう告げる。
「‥‥昔、自分が案内した依頼で、弟を失ってね。一番怖いのは、何も出来ないまま、自分でない誰かが傷付く事だって、私は知っているの」
そして少し悲しそうな顔をして、優しく日向の頭を撫でた。
「私のトラウマを、呼び起こさないで‥‥」
***
「ご無事で宜しゅう御座いました‥‥」
子供に囲まれ、優しい歌を聞かせていた沙紅良が、鼻水を垂らし、入り口に突っ立っていた稲玉に、微笑みながら言った。暖炉の前には、トランプを切る立花の姿。灯りと暖房が満ちたペンションの中、人々の笑顔が心までを温めている。それを見て、ようやく緊張の糸が切れたのか、稲玉は近くのソファーに、ドサっと座り込んだ。
――あの後、菖蒲と立花がペンションに戻り、数的優位が戻った傭兵達は、防戦から一気に反撃に移り、瞬く間にキメラを殲滅した。いやらしく、隙あらばペンションへの侵入を試みるキメラに手を焼いたが、一体一体を丁寧に囲んでしまえば、さほど苦労はしなかった。
「心配したぜ? 無事みたいで良かったが‥‥。しかし、こんな時まで酒か?」
のそっと宵藍を見上げる稲玉の手には、小さなワインボトル。中身はもう、僅かにしか残っていない。
「ん。オーナーにお願いしてね。体温を保つのが、サバイバルの鉄則よ」
「へぇ、いいワインじゃんそれ、俺も飲みたい。あと、温かいもん食いたい」
稲玉の持つボトルの銘柄を眺めながら宵藍が言うと、沙紅良がふわふわニコリと、桜色の微笑を零していた。
「では、僭越ながら私が――」
「あ、オーナー。夕飯、夕飯出るよな?」
沙紅良の言葉に、宵藍が被せ気味に言う。‥‥まだ、根に持っているのか。
携帯を握り締め、安堵の表情で眠る日向に、稲玉は彼女を起こさないよう、毛布を掛けた。そして次に、横たわっている璃々に近付いた。彼女は、相変わらずの無表情で、ボーっと天井を見詰めている。一つ咳を払い、業務用フェイスに切り替え、稲玉は言った。
「幸い、民間人に負傷者も無かったので、今回は報酬減額に処分を留めますが、今後は不用意な行動は控えるように。いいわね?」
璃々の視線が、僅かに稲玉へ向く。何を思っているのか稲玉には分からないが、ぽんと、額に手を乗せて、子を叱った後の母親のような表情で、言葉を続けた。
「うん。怪我も深くなくて良かったわ。ゆっくり休みなさい」