●リプレイ本文
●てん太くんと傭兵
清々しい程に綺麗に晴れ渡った青空。白い半夏生が碧く香り、これから夏本番かという程に気温は高くなってはいたが、そよ風に青藍の波が揺れ、穏やかに流れていく時間が、暑さなど、ニャーニャーと鳴くウミネコの声と共に、どこかへ攫っていってしまいそうだ。
連絡を受け、イカキメラの討伐にやってきた能力者一行は、一先ず周囲を見渡した。遠くに見える向こう岸から伸びていく山岳がうっすら浮かび、反対側には緩やかなカーブを描いてうねって行く道。
ここまで見れば、長閑で、欠伸が出そうな光景ではあったが、そっと正面に視界を動かすと、転覆した漁船や、瓦解したコンクリートの屑。
「こんなB級映画があったわね。巨大イカが暴れるの」
「‥‥でも、なんだかんだで、一番怖いのは人間だと思うけどな、俺は」
巨大生物が暴れ回ったような痕を眺め、智久 百合歌(
ga4980)が苦笑いを浮かべながら呟き、それに、身体にすっぽりタオルを被り、セピア色の遠い目をした宵藍(
gb4961)が、答えた。タオルの下には、紺地に紫のチェック柄をしたトランクス型の水着を穿いているが、華奢な体型にコンプレックスがあって、なるべくならば素肌を他人に晒すのは嫌なのだが‥‥。
いや、問題はそんなことよりも、だ。
「‥‥ていうか、俺を囮にする気満々の視線しか感じない、このどアウェー感は何だ! ‥‥いや、やるけどな! やるけど、さぁ!?」
宵藍の叫びに、百合歌は生暖かい微笑を浮かべた。
「生憎と水着は苦手なの。水中はお任せするわ、宵藍さん」
「‥‥くっ! だが俺も男だ、やってやろうじゃないか!」
グッと拳を握り締め、遠く海面を見詰める宵藍の横を、小さなカグヤ(
gc4333)と、その倍近い身長のアリーチェ・ガスコ(
gc7453)が、はいちょっと通りますよーと、通り過ぎ、放置されたままのクレーン車と、波にゆらゆら揺れるテンタクルスを眺めた。
「はー。これがテンタクルスですか‥‥。KVには搭乗したことないのでよくわかりませんが、こうして人工物が自然に回帰していく姿は、なんともいえない趣がありますね」
フジツボがみっしりと生え、ブルーの塗装も所々剥げ、錆びたフレーム。消波ブロックの一部になりかけたその機体に、アリーチェは感慨深く頷き、息を洩らした。どんなに人類が進化し、英知を得ようとも、きっと、この巨大な地球のサイクルの前ではちっぽけでしかないのだろうなと、地中海に浮かぶシチリア島で育った、褐色の乙女は思う。
「イカキメラの姿は見えないの」
カグヤは顔を上げ、海面から隣に並ぶアリーチェへと視線を移した。キメラはこちらに気付いていないのか、海面は穏やかで、その兆候も見られない。キメラが現れたのが、クレーン車が来た直後ということを考えると、海中からの探知能力はそう高く無さそうだ。
「‥‥それでは、今のうちにササッと済ませてしまいましょう。カグヤさんはテンタクルスを。私はニードルガンを見て来ます」
「わかったの。てん太くんは任せて」
カグヤがひょいひょいと、消波ブロックを渡り、テンタクルスの外観から調べ始めた。KVは多様性に富み、爆発的な進化を遂げたが、続々販売する新型KVは、生粋の熟練整備士でさえ、頭を悩ませるメカニックだ。そんな複雑なマシンを、カグヤはエレクトロリンカーとしての知識と、多くのKVに触れてきた経験を活かし、素早くチェックしていく。
これがもし、最新鋭機であったのならば、起動すら難しかっただろうか。だが幸か不幸か、初期型の機体で、更に余計な特殊能力を持たない簡易構造。その為、意外とタフに出来ている。新鋭機をエアコンに喩えるならば、この機体は扇風機だ。また、性質上、水中機は頑丈に作られる傾向にあり、そのまま漁礁になりそうな外観に反し、強固な装甲とフレームが、重要な部位をしっかりと保護している。
キャノピーを慎重に開き、コックピットへ持ってきた工具セットを放り込んだ後、カグヤは、もそもそと中へと入り込んだ。機体が倒れこんでいる為、シートの背に膝をつき、上下逆転した状態で、操作レバー下のパネルを開く。戦闘ダメージの影響で、ショートし、いくつかの回線が黒く煤け、千切れているが、これくらいなら問題無さそうだ。
『どう? 動きそうかしら』
外で海面を見ていた百合歌の声が、無線機から聞こえてきた。
「動かすくらいなら、できそうなの。少し時間が欲しいの」
『了解したわ。‥‥それじゃあ私は、プランBの準備を進めておくわね」
『プランBって何だ、プランBって‥‥。俺、聞いてないぞ』
無線機から返ってくる百合歌の声の後ろで、宵藍の不安な声がする。
一方、武装を見に行ったアリーチェは、ニードルガンの弾装を覗いていた。この武器は火薬を使わない構造なので、長く海水に浸かっていたとしても使用に差し支えはなさそうだが、所々に詰まった海草やらフジツボやらがニードルに挟まり、このまま使用していたら、不発に終った可能性も高い。
「機械って、意外と汚れが故障の原因だったりもするんですよね」
のんびり呟き、取り出した工具で、ゴリゴリと頑固にこびり付いたモノを削ぎ落としていくアリーチェ。危ないので銃口は覗かなかったが、その部分は恐らく、初弾で削ぎ落ちるだろう。
アリーチェは一通り掃除を終えると無線機を取り出し、百合歌達へと連絡を入れた。
「ニードルガンの掃除終りました」
『こっちも、今丁度終ったの』
続けてカグヤの声。百合歌と宵藍は顔を見合わせ、小さく頷いた。
●てん太くんとイカ釣り
「初めてのKVでの実戦が、こんな形になるとは」
フレームが歪み、キャノピーがしっかりと閉まらない。亀裂もあったので、中と外からテープと残骸で補修した。当然応急なので、長時間の潜水は難しそうだ。
アリーチェはAUKVのフェイスガードを閉じ、クレーン車を操作する百合歌へと手を振る。ワイヤーで釣られたKVが宙に浮き、クレーンがグィームと横へ動き出した。そのワイヤーに更に、宵藍が水着姿でぶら下がっている。水中にテンタクルスを落とした後、宵藍が泳いでワイヤーを引くという流れだ。
「一本釣りってこんな気分かしら」
左右のレバーを操り、百合歌がボヤいた。少しお肉は足りないけど鮮度は十分だから、きっとイカもかかってくれる‥‥とか、信じてやまない彼女の内心を知ってか知らずか、宵藍はビンビンに嫌な予感しかしなかった。
「某映画の被害者っぽくて嫌な気分‥‥。これじゃ、生餌じゃなくて、生贄だよ」
ガックシと肩を落とした宵藍が1人ごちる。クレーンの横移動が終わり、今度は水面へ向け、垂直にワイヤーが伸びていく。
『水面が動いたの! 急ぐの!』
突然、無線機からカグヤの声が響いた。穏やかだった水面に巨大なウネリが生まれ、何か巨大なものが急速に水中を突き進んできた。‥‥想定していたよりも早く気付かれたか。いや、これだけ大きいものを海上にブラブラさせていたら、流石に相手も気付くだろう。
百合歌はレバーをガクンと落とした。ウインチが勢いよく回り、ワイヤーが急激に伸びていく――
「ち、ちょっ!? 思ったより早っ!??」
「先にKVを落としてから巻き上げるわ! 舌を噛まないように、口閉じてて!」
――必死にワイヤーにしがみ付く宵藍の絶叫を置き去りに。
『宵藍さん、ワイヤーを外してください! 相手が射程内に飛び込んできている、今がチャンスです!』
「えっ?! ‥‥わっ、わかった!」
迷っている時間はなかった。KVを水中に落としてワイヤーを外していたのでは、KVも宵藍も、それを引くクレーン車も巻き込んで、海の藻屑になりかねない。宵藍はKVに掛かっていたフックを水陸両用のライフルで吹き飛ばし、テンタクルスは重力に引かれ、水中へと落ちていった。
巨大な水飛沫が上がり、宵藍が頭から海水を被る。その影響で海面の様子はよくわからないが、一先ずKVが落ちたことを確認して、今度はワイヤーを巻き取り、宵藍を引き戻した。ウインチの巻き上げとKVを離した勢いで、まるでバンジージャンプで帰っていくかのようにワイヤーが反動で跳ね上がり、宵藍は大空へ。
「あ」
「あ」
ぴゅーんと、放物線を描き飛んでいく宵藍の姿を、百合歌とカグヤはボンヤリと見送った。
(――水の中にいると、故郷シチリアの海を思い出します。とても美しくて暖かい‥‥、あの母のような海を)
応急処置を施した部分から水がチョロチョロと流れ出し、浸水するコックピットでアリーチェは思う。ゆっくりと沈んでいくテンタクルスを捕捉したのか、イカは進路を僅かに変え、一直線にこちら向かってきた。コックピット内の電子機器は殆どが機能しない。辛うじて動く腕部も、装備したニードルガンを二度発射するだけ、耐えられるだろうか。
太陽のように明るいイエローのアスタロトを纏ったアリーチェが、ひび割れたキャノピーから、目測を立てた。ドラグーンである彼女には、モニタを通して狙いをつけるより、此方の方が向いている。弾数は2。無駄弾は撃てない。
(もっと‥‥もっと引き寄せて、撃つ)
ググ‥‥グ、と、軋みながらニードルガンの銃口が、イカキメラへと向く。それはアリーチェの勘か、マシンに残された戦いの本能か。放たれたニードルは、突撃してくるイカの胴へと、見事に突き刺さった。
『グオオオオオオオオン!』
巨大イカは苦しみもがき、続けて二発目を撃ち込もうとしていたテンタクルスに、イカ墨の塊を噴出す。それは動く事が叶わないテンタクルスの胴体へと直撃し、そのまま海面、空中へとテンタクルスを押し飛ばした。黒い雨が大地を濡らして視界を覆う。
イカキメラは自らへ向けられた強い戦意を感じ、動きを止めた。百合歌とカグヤが待つ海岸まではまだ距離がある。そこへ――‥‥
ドバッ!!
KVに注意が向いた隙に、潜り接近していた宵藍が手にした水中剣に豪破斬撃を付与し、イカの胴へと深く刃を突き立てた。水中での機動性は相手に分があるが、取り付いてしまえばこちらのものだ。
手応えを感じた宵藍は再度刃を振るい、イカの肉を深くえぐった。イカが再び苦痛の悲鳴を上げる。
「宵藍さん、掴まって!」
百合歌はクレーンを回し、宵藍へとワイヤーを伸ばした。先程は、武器を持ち込み過ぎた為に、うっかり手を離してしまったが、今度は足も絡めてしっかりと掴む。ぐいーんと巻き上がっていくワイヤーの先に下がる宵藍へ向かって、怒り狂ったイカが海面を掻き分けて突進してきた。
「危ないっ!!」
「っ!?」
海岸間近、想像以上に速いスピードで突進してきたイカのタックルを、宵藍は宙にぶら下った身動きの取れない状態で、真正面から受けてしまった。ブロックにぶつかる寸前でと、タイミングを計っていたのが裏目に出たか。不幸中の幸いに、イカが宵藍を全力で狙った為、クレーン車への直撃は避けられた。
「被害者が、これ以上でないようにがんばりますの」
カグヤが篭手型の超機械を翳し、イカへ練成弱体。それを見越して、百合歌が消波ブロックを駆け、水中へ戻ろうとするイカへ向かって、獣突を繰り出した。イカは翻筋斗打って陸地へと押し出され、そこに畳み掛けるように傭兵達はイカをタコ殴り‥‥いや、イカ殴りするべく躍り出た。宵藍も起き上がり、銃を構える。
カグヤの先見の目が傭兵達を支援し、宵藍が胴へ銃撃、うねうね動くイカの足を百合歌の斬撃が切り裂いて。
「さぁ! イカ刺しにして、オリーブ油でイタリア風に食べてあげます!」
そして、その間にテンタクルスから飛び出し、距離を詰めていたアリーチェが、イカの眉間目掛けて、渾身の一撃を繰り出した。
「スパゲッティ‥‥アルネーロ・ディセッピア!!」
ズドムッ!!
イカ墨のスパゲッティと名付けられた、イタリアン魂溢れる雷属性の拳がイカの脳天へガツンと響き、そそり立っていたイカはぐにゃりと地に伏して、絶命してもなお、足はうねうねと動き続けていたが、やがてそれも停止した。
●てん太くんとイカ料理
深海性のイカは、浮力調整の為に塩化アンモニウムを体内に多く保持しているのだが、多少独特の臭いはしたものの、鼻を突くような異臭は感じられなかった。
百合歌は早速、巨大イカをナイフ一本でスルスルと捌き、切り分けた身をアルコールストーブでパチパチと焼き始める。それを隣で見ていたカグヤが、お腹をきゅるると鳴らせた。
「‥‥イカさんおいしそう‥‥お腹すいたの」
「うん。もうちょっと、待っていてね」
唇に人差し指を当て、焼けるイカを恨めしそうに眺めるカグヤに、百合歌が柔らかい物腰で言う。
「あら、宵藍さん。着替えられたのですか?」
鮮やかな黄色に塗装されたアスタロトをせっせと掃除しながら、釣竿を肩に担いで海岸へ歩いていた宵藍へ、アリーチェは訊ねた。どうやら、テントに、着替えを予め用意していたようだ。
「いつまでも水着でいられるかっ」
「それは残念です。‥‥可愛かったのに」
顎に手を当て、じー‥‥と、見詰めてくる190cm近い年下の女の子に、頭一つ分は身長を開けられた宵藍は、一歩後ろにたじろぐ。神様は本当に意地悪だと、宵藍は思った。
ふと漂ってきた、イカの焼ける芳しい香り。
「美味しそうな匂いですね」
「そういえば、ヨーロッパって、イカとかタコとかあまり食べないけど、アリーチェは大丈夫なのか?」
宵藍の問いに、アリーチェは小さく頷いた。
「ええ。私の故郷の南イタリア、スペインやギリシャなどでは食べられていますよ」
「ふーん」
「でも、イカだけでは寂しいですから、大漁を期待していますね」
「ん。ああ」
特別得意というわけでもないが、長閑な時間を過ごすには、釣りが一番良い。宵藍はアリーチェとの会話を切り上げ、のんびりと釣りポイントへと向かった。
少し日が傾き、表情を柔らかい茜色に変えた空へ、百合歌がバイオリンの音を添える。イカキメラはタコキメラに負けず劣らず美味で、気が付けば身の殆どを平らげてしまっていた。イカキメラが暴れたせいか、宵藍の釣りの成果はイマイチではあったが、それでも緩やかな時間を過ごせて、イカの餌にされかけたストレスも、幾許か和らいでいる。
キメラは兵器である‥‥が、こうして食べられることで、自然の循環の中へと回帰していくのならば、それはそれで良い事かもしれない。そんなことを思いながら、アリーチェは陸地に転がるテンタクルスの頬を優しく撫でた。役目を終えたこの物言わぬ兵器もまた、そうして還っていくものなのだろう。
「おやすみなさい。素敵な夢を‥‥」
子供を寝かしつけるような、優しい表情を浮かべたアリーチェの傍に寄り、カグヤもテンタクルスを見上げた。海に生まれ、海に沈み、最期の最期まで、みんなの為に戦ってくれた彼へ、精一杯の感謝を。
――ありがとう。