●リプレイ本文
●自然こそ人類の最大の敵であり、最高の味方である。
打ち寄せる波。心地よい潮騒。夏の終わりを告げるツクツクホーシの鳴き声。
そして、射撃演習場から聞こえる銃声と、教官たちの怒声。
『鬼が島遠泳大会に出場する者は、至急南海岸へ集合しろ!』
拡声器いらずの大声で山崎軍曹が叫ぶ。
砂浜に並ぶ屈強な兵士たちにとって、夏はまだ終わっていなかった。
この大会で優勝すれば休みがもらえるのだ。娯楽の少ない訓練場には半日の休暇も兵士たちには金では買えない幸福だ。
さらに原則私服ということになっているが、殆ど水着の者ばかりだ。馬鹿な男たちはこぞって参加した。
ここでいいところを見せれば、同期の女性兵士を口説けるかも、とか、水着姿が見れるだけでもいい、という考えが彼らの小さい頭の中にぎっしりと詰まっていた。
そんな中、飛び入り参加した傭兵が6人。訓練生たちの好奇の的にならないはずがない。
「結構集まってるわね。これくらいじゃないと張り合いがないわ」
水着の上にUPC軍服を着込んだ鯨井昼寝(
ga0488)が砂浜へやってきた。芸術品とも言える、美しい紅い髪を泳ぎやすいように後ろにまとめ、
「おい、あの女の人って‥‥」「ああ、この前の映画にでてた」「勝ったらデートに誘えるかな」
外野の声に心煩わすことなく、入念に準備運動をする。出るからにはもちろん優勝を狙うつもりだったが、例え勝てなかったとしても、自らの限界を知ることは無意味なことではないということを、彼女は知っていた。
「鯨井の姓は伊達じゃないってところ、見せてやらないとね」
「それなら私も‥‥。TACネームでナーガを名乗っている以上、水中で遅れをとるわけには行きませんね」
黒い上下のスーツを身に付けて現れたのはみづほ(
ga6115)だ。立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
大和撫子とはかくやという優美さを備えた彼女に振り向かない男はいない。しかしその薬指に輝く光を見て、ため息をつくのだった。
そんな中、一番の歓声で迎えられたのは、巨乳グラビアアイドルのハルカ(
ga0640)だ。
「よろしくお願いしま〜す」
白ビキニにごついブーツという、なんとも目のやりどころに困る格好でお辞儀をするハルカ。
彼女のファンも含まれる男の訓練生たちはその体に釘付けになった。
「馬鹿どもが。小娘の視線誘導術にまんまと乗せられやがって‥‥」
山崎軍曹は頭を抱え、女子訓練生たちは敵意をむき出しにして自分たちも軍服を脱ぎ、水着姿になっていく。
「よろしくお願いします‥‥なっ!? いきなり何が‥‥」
お辞儀して頭を上げた途端、周囲の異常な行動を目の当たりにして、イスル・イェーガー(
gb0925)は思わず視線を逸らして頬を染めた。
大人ぶってはいるが、中身は歳相応の少年だ。水着の女性たちに赤面するのも仕方がない。
「‥‥さて。泳ごう」
対してホアキン・デ・ラ・ロサ(
ga2416)は、全く動揺を見せずに咥えていた煙草の火を消し、携帯灰皿に収めた。
夏の海が似合う端整な顔と、微かな憂いを秘めた緑色の瞳、錆を含んだ低い響きのある声。女子訓練生が心奪われるのに5秒もいらないだろう。
「すいかんキメラに勝った泳ぎで優勝を狙うかな」
カルマ・シュタット(
ga6302)は水中で足を攣らぬように、入念に柔軟とストレッチをしていた。
以前の依頼で水棲キメラと泳ぎで勝った後も、泳ぎの訓練は怠っていなかった。着衣遠泳を事前に試み、衣服にフォームが乱されぬよう、研究をしたのだ。
迷彩服の上からでもわかる鍛え抜かれた筋肉と研ぎ澄まされた表情に、目を奪われない女性はいなかった。
訓練生たちが砂浜に集まった理由を忘れる前に、山崎軍曹の怒声が響く。
すぐさま砂浜におざなりに刻まれたスタートラインに、参加者が集まった。
「位置について! よーい‥‥」
銃声とは違う、気の抜けた空砲と共に、百人近い参加者が海へとなだれ込んだ。
●第一関門〜××クラゲ〜
スタートと共に、ホアキンは腕につけたSASウォッチのスイッチを入れた。ついでに、ポケットから何かを取り出し、砂浜へ撒く。
「あ。折角のグラビアが‥‥っ!」
やや芝居がかった悲痛な叫びと共にひらひらと舞い落ちたのは、アイドルのグラビア写真だ。思わず視線を落としてしまった訓練生は、後ろから来た訓練生に押しつぶされてあえなくリタイア。
内心、舌をだしてその間をすり抜け、海へと入る。カルマ、みづほと共に先頭集団へ。
「わわ。もう水も結構冷たいわねコレ!」
着水すると鯨井の言葉通り、9月のやや冷たい海水と、水分を吸収して重くなった服が、急速に選手たちの自由を奪った。
「寒さで動きを鈍らせるな! 真冬の海を泳いで敵地に侵入しなくてはならないときだってあるんだぞ!」
山崎軍曹の檄が飛ぶ。しかしそれは耐寒性の高い水泳スーツと不凍薬を使っての話だ。まだ9月とはいえ体温の半分以下の水に入れば、誰でも動きが鈍る。
鯨井は気を引き締めて大海原に体をゆだね、第二集団へ。
「うーん、ブーツは失敗だったかな?」
ハルカは取り巻きとブーツに足を取られて、スタートダッシュに失敗していた。
だが元々完走が目標であり、急ぐつもりはなかった。ゆったりと自分のペースで泳げばいいのだから。
「‥‥人が多すぎて泳ぎづらい」
余り泳ぎが得意でないイスルも、あえてスタートダッシュはせずに後方から出発した。わざわざ広い海を、狭い人塊の中で泳ぐのも勿体無い。
水を切って泳ぐカルマの泳ぎを見習いつつ、自分もゆっくり泳ぎだした。
最初の関門は××クラゲだった。
水面に浮かぶ半透明の生物。触手についた毒針で刺されたら、医者を探すハメになるだろう。
軍服を脱いで泳いでいた者たちは、露出した肌をしこたま刺されて次々と脱落していく。
そんな中、カルマは美しいフォームで、クロールを三分の一呼吸で泳いでいた。左右を警戒し、クラゲや他の選手へ注意を払うのも忘れない。
「喰らえ!」
並んで泳いでいた訓練生が投げつけてきた××クラゲを難なく避ける。クラゲはカルマを飛び越して反対側にいた訓練生へ直撃した。
「てめぇ、やりやがったな!」
クラゲの投げ合いの間を何食わぬ顔で通り過ぎ、他の選手を引き離した。
鯨井は冷静にクラゲに対処していた。露出している顔や手をクラゲに刺されないように、腕と身体でガードする。
(正直、触りたくないわね‥‥)
その思いを知ってか知らずか、訓練生が鯨井の目の前にクラゲを投げつけてきた。腕の上に気色の悪いぐにゃっとした感触が。
(‥‥後で覚えていなさい)
敵意に満ちた目で威嚇すると、訓練生は竦みあがって冷や汗をかいた。
(落ち着いて行きましょう)
みづほは水面に顔をつけ、水中を観察しながら泳いでいた。波の流れを計算すれば、漂うクラゲを回避するのは難しいことではない。訓練生たちの攻防の間を、潜水してやり過ごす。
イスルもクラゲを巻き込まないよう、他の選手たちの流れを読み、それに逆らわぬように進路を決める。
(わざわざクラゲを引き寄せることもないよな‥‥おっと)
水面で固まった数匹のクラゲが、波で流されてきたのを上手く潜水して回避した。
(用意しておいて正解だったな)
ホアキンは立ち泳ぎで顔だけ水面からだし、クラゲの密度が薄い場所を見極める。
不思議なポッケからゴミ袋を取り出すと、レザーグローブの上に重ねて装備した。平泳ぎでクラゲを掻き分けながら進み、訓練生から投げつけられたクラゲをそのまま投げ返してやったりする。完全に楽しんでいた。
今だ熱狂的なファンに囲まれていたハルカが、急に水の中に消えた。
「あぶ‥‥うぶぅ‥‥クラゲに‥‥ごぼごぼ‥‥」
「ハルカちゃん! 今助けるよ!」
身体に触れられるチャンスを逃すまいと、訓練生たちが近づいてきた。
しかしその手に伝わってきたのは、男なら誰もが狂う柔らかい感触ではなく、ゼリー状のぬとりとしたクラゲの身体。
「ごめんね〜」
せめて幸せな夢を、と願いながら痺れている男たちをかわして進みだした。
第一関門を突破時で、カルマは先頭集団の上位へ食い込んだ。続いてホアキン、みづほ、鯨井が、イスル、ハルカはやや遅れて後にいた。
●第二関門〜狙撃手〜
クラゲの攻撃を潜り抜け、波を乗り越えて泳いでいくと、前方に角島が見えてきた。
海の中から大きな岩が突き出した形の島だ。天辺には木々が茂り、その間から狙撃手候補の訓練生が、M16アサルトライフルのスコープごしに、選手たちを狙っていた。
先頭集団は彼らの格好の標的となった。カルマの目の前に、小さく水柱が立った。
(狙撃か‥‥潜水してかわすほうがいいな)
クロールから平泳ぎへとフォームを換え、息継ぎすると狙われぬように潜水して進む。
狙撃手は水柱の位置から、着弾点と標準のずれを修正する。数の少ない先頭集団は体力がなくなって動きを鈍らせた者から、ペイント弾の餌食になる。
ホアキンは狙撃手の射程範囲前で立ち泳ぎし、相手の位置を確認した。
まだ狙撃のいろはを教えられていないのか、5つのSの法則を無視して姿を現している狙撃手。
不思議のポケットから今度はシグナルミラーを取り出すと、光を反射させて狙撃手の目を狙う。
だが、その行為は錬度の低い狙撃訓練生の怒りを買うのに十分だった。当てるつもりのない連射がホアキンの前方を襲った。
(しまった‥‥泳ぎを変えるか)
ホアキンは平泳ぎから背泳ぎに。両手を前に伸ばし、ドルフィンキックで潜行する、バサロ泳法で連射を潜り抜けた。
みづほは立ち泳ぎと平泳ぎを組み合わせて、余り水面から顔を出さないように、飛沫を上げて注意を引かないように気をつけながら、ゆっくりと進んでいた。
体力の回復を狙っていたが、身体の浮力は服の重みでみづほが予想したほど強くなかった。
すぐ側で弾丸が通る風切り音が聞こえた。すぐさま潜水し、沖のほうへ。他の選手たちの下をくぐって注意を逸らしてやりすごした。
(狙撃手を警戒し過ぎて、深く潜って体力を消耗しないようにしなきゃ)
逆に鯨井は、水面付近をフェイスアップしながら普通に泳いでいた。
紅髪は狙撃手の注意を引いたが、彼女には戦場で培った勘があった。狙撃手の殺気と視線をチリチリと感じ、紙一重で顔を沈めてやり過ごす。
この緊張感が彼女をより一層楽しませた。
(下手な狙撃だなぁ。フィールドクラフトも全然なってない。父さんなら1分もかからずに対狙撃できるよ。‥‥ライフルが欲しいな)
幼い頃から名狙撃手である父を見てきたイスルには、訓練生のお粗末な狙撃など屁でもなかった。射線を予測しかわしながら、順位を上げていく。
最も狙撃手の注目を集めていたのはハルカだ。といっても、一発も弾丸は飛んでこない。
狙いが定められないように、斜めに泳いでいたりしたが、全く銃弾が飛んでこなかった。
(‥‥狙われない。なんでだろ?)
狙撃手たちはスコープの中に映る、ハルカの刺激的な水着姿に興奮していた。ペイント弾を当ててこの至福の時間を終わらせようとする者はいなかった。
「あの●●●●野郎どもが‥‥」
サボっていた狙撃手たちは、救助船の上から山崎軍曹に逆狙撃されたことを追記しておこう。
先頭は以前カルマ。続いて上位に上ってきたのは鯨井とホアキン、みづほ。ハルカとイスルもそれに続いた。
●第三関門〜心臓破りの引き潮
引き潮、特に南海岸は遠浅で、強い引き潮――離岸流が発生する。
この流れに巻き込まれると、オリンピック選手でも逆らって泳ぎきるのは難しいと言われている。夏場の海の水難事故原因の一つだ。
しかし、この流れを超えて砂浜へ辿り着かなければ、勝利はない。
(この流れの速さ‥‥離岸流か! 避けたほうがいいな)
カルマは進路を変えて流れに直角に泳ぎ、離岸流に乗ることを避けた。
(引き潮などに負けるか! ここは真っ向勝負だ!)
ここまでのゆるさを払拭するような気合で、覚醒と豪力発現を使ったホアキンがクロールで突き進む。
(余力を残しておいたのは全てこの時のため‥‥。全力でいくわよ!)
鯨井も覚醒して離岸流へ向った。燃えるように紅く染まった髪を翻しながら、クロールで波を掻き分けていく。まさしく海を制する鯨のごとく、豪快に。
(自分の能力を信じて、ひたすら泳ぐしかない‥‥!)
みづほの顔に痣が赤く浮かび上がり、右腕が黒く染まった。白い波飛沫を、黒い右腕が掻き分けていく。その姿はナーガというより、鯱だ。
(これ、カレントだよね‥‥。直進は無理だ。流れから離れよっと)
イスルは遠回りになるのも気にせず、流れから離れていく。泳ぎの苦手な彼は、素手に体力も限界に近かった。賢明な判断だろう。
他の訓練生もその後に続こうとしたが、その目の前を白いビキニが横切っていった。
「あ〜ん、水着が〜っ」
ハルカが胸元を押さえて悲鳴を上げた。訓練生たちに戦慄が走る。水着。胸。裸。
青い水面が赤く染まった。ある者は鼻血を流しながら水着を追い、ある者はハルカに少しでも近づこうと離岸流を乗り越えようと試みる。
「残念、それはスペアでした〜」
ペロっといたずらっ子のように舌をだすと、流れを避けて前へと進んでいく。
首位を狙うのはカルマ、ホアキン、そして鯨井だ。その後にみづきが続く。
浜が近づいたときには、皆疲労困憊していた。衣服が重い。水からでた身体が重い。
こんなところに筋肉があったのか、そう思わせるほど、全身の筋肉が悲鳴をあげていた。
ふらふらになった足を前へだしながら、砂浜のゴールを目指して走り出す。
体力もなく、技術も関係ない。残るは、気力のみ。
3人は走り出した。誰が勝ってもおかしくない。一直線に並んだが、少し鯨井が遅れる。
(ここが私の‥‥限界?)
意識が朦朧としてきた。足元が引き潮ですくわれそうになる。
(‥‥まだ、いけるわ!)
力強く、足を踏み出した。鯨井が砂浜を飛んだ。胸を突き出し、少しでも前へ。
三人が並んでロープを切った。そのままその場に倒れこむ。すぐさま救護班が他の選手に踏まれないように、3人を横に運んだ。
「よくやった。1位は僅差で鯨井、2位がカルマ、3位はホアキンだな」
全身で息をしながら、鯨井が拳を空へ突き上げた。横に並ぶカルマとホアキンも、負けたよという表情で笑う。
「完走‥‥です」
みづほも遅れて3人の横に倒れこんだ。黒いスーツが砂にまみれるのを気にする余裕もない。
「完走できた‥‥な」
「イスル君捕まえたー! あー楽しかったね♪」
後からハルカに抱きしめられ、赤面したイスルもやってきた。
「全員完走するとは思わなかったな。よくやった」
山崎軍曹は労いの言葉と、リンゴとスポーツ飲料を手渡した。
波の音と風が、火照った筋肉に心地いい。
傭兵たちの夏の一日はこうして幕を落ろした。