●リプレイ本文
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ヴェネツィアは、水の街だ。アドリア海の女王とも呼ばれるその美しい街並みは、人々の心を惹き付けてやまない。
だが、光が差せば必ず影は生まれる。ましてや、ヴェネツィアはその昔から独立独歩の気風が強い街である。法治国家であれど拭いきれぬ闇から伸びる手に絡め取られぬように、根回しを行うのは必然と言えた。
「キア・ブロッサム傭兵伍長と申します」
ヴェネツィア・メストレ駅のすぐ傍にある警察署に赴き、キア・ブロッサム(
gb1240)が凛然と名乗る。署長室のそれなりに整った調度品に囲まれながらも、銀紗の帳はそれに負ける事がない。
「ふん、UPC絡みか‥‥で、私に話を持ってきた理由は何だ? 勝手にやればいいだろう」
署長は鼻を鳴らすと、ぴんと伸びた背筋を神経質に揺らした。この街で騒ぎが起きることを明らかに快く思っていない調子である。
「死体処理と、犯人捜索の打ち切り‥‥。この便宜を、お願いしたく思います。責任の如何は‥‥UPCが負うことと手筈は整っていますし」
丁寧な口調でありながら、ただ一方的な、それは命令に近い内容の文言。続いてキアが取り出した、警察に対する責任追及を回避するに足る書類に目を通すと、それを机の上に投げ出した警察署長は、ぎょっと目を開く。いつの間にか、キアの斜め後ろに禿頭の巨漢――梶原 暁彦(
ga5332)が不動の姿勢で立っていた。
「確認出来たのなら、サインを頼む。それで面倒はかけん」
黒い帳の裏に視線を隠し、唇を真一文字に引き結んだ彼は、続けて巌のような声を絞り出す。
「このままでは、バグアによってヴェネツィアは火の海にされる」
「そんなことは解っている」
鼻を鳴らすと、やせぎすの男は改めて足と指を組んで二人をにらみつけた。神経質そうな仕草ながら、2人の能力者を向こうにまわしてこれだけの態度を取り続けられるだけの何かが彼にはあるのかもしれない。
「いいか、これだけは言っておく。貴様等も奴等クズ共も、私の街にとって疫病神だ。厄介者同士さっさと喰い合ってこの街から往ね」
「よしなに‥‥」
「それでは、任務を開始する」
キアは嫣然と笑い、暁彦は厳然と首肯し、踵を返す。罵られたことに感慨もなく、ただ仕事の為に。小さく、署長が舌打ちを零した。
――同時刻
「美しい街ですね」
重そうなトランクを引きずりながら、セレスタ・レネンティア(
gb1731)がそっとため息を漏らした。観光客のおのぼりさんはあくまでも方便だが、そうした建前を抜きにしても、やはり美しい街だ。素直にそう思う。パンフレットを手に街をうろうろすること数十分。街角の屋台でクォーターのピッツァをぱく付く男を目にして、少しだけ足を止める。額の汗を拭うとトランクに腰掛けて、疲れた、ああちょっと休憩、そんな感じに息を吐く。屋台の婦人と一言二言交わすと、男は歩き出す。
「おばさん、私にもひとつ」
はいよ、と応えて4分の1のピザを切り出すのを視界の端に、セレスタの視界は確実に男を捕らえていた。
「目標の一人を発見。これより、追跡します」
――それよりも後の時刻。
「あ〜‥‥イタリア語は苦手なんですが…英語でも良いですか?」
秋月 九蔵(
gb1711)は、強面のイタリア男達に囲まれていた。一人でヤサに乗り込むとは調子に乗った野郎だ、という視線が突き刺さるが、その身に埋め込まれたエミタの恐ろしさは知っているのか具体的にどうこうしようという意思は感じられない。
「おたくの流儀なんざ知らんな。俺は母なる言葉で喋る。お前は好きにしろ‥‥で、何が言いてぇ」
「ええと‥‥」
もくりもくりと顔にまとわりつく葉巻の煙に顔をしかめながら、九蔵は目を白黒させて早口かつひどいヴェネツィア訛りにに耳を傾け、要求を伝えた。このままでは商売がやりにくくなること、バグアの襲撃の危険性。紫煙が輪を描いて空を舞った。
「うちとしても面倒は避けたい‥‥が、坊主。ちとハッタリが足りねえぜ。荒事好きの連中と交渉したいなら、それなりの魅せ方ってのもある」
「そりゃ、どうも」
顔を顰めてぶつくさ言う禿頭の親父に、肩をすくめて少年は返す。そのまま立ち上がりきびすを返すと、通信機を取り出した。
「首尾は上々じゃないかな。有難い諫言も貰ったしね、このまま“紳士的”に行くよ」
狩りとは迂遠な作業である。野を駆ける獣の足は迅速にして的確。それを逃さぬ為には、後ろから馬鹿正直に追いかけるのではない。
次第に次第に、そっと息を潜めて輪を狭めていく。毒蛇の牙。傭兵達は各々の職分を果たし、次第にその牙の射程に野兎を捕らえつつある。
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市内の探索を始めてから、初日を含め2日が経った。
各々、市街に紛れ込む者とあくまで隠密を通す者、二つの方面から。仮宿を取り、標的をマークし、根城を絞る。行動範囲を絞る。野の兎は知らず追い立てられる。毒蛇の牙が伸びる。地道な作業であれども、小さな漣は街に言い知れぬざわめきをもたらす。兎は本能に敏感だ。隠密行動には必ず痕跡が残る。しかし、“何かが潜んでいる”痕跡はあっても、“それが何か”を特定出来ない。時間がない。情報が足りない。狩人達の迂遠な仕込みは、野兎達の一番の武器である情報を奪っていた。じわりじわりと蔓延する毒。一本の牙が、ついに突き立った。
‥‥あれ、ここどこだっけ?
目を覚ました男が頭を振る。確か、銃を突き付けられて、それで‥‥そこまで考えたところで、脳が急激に覚醒した。慌てて体を揺するが、手足は動かない。どういうことだ。隣を見ると、黒い袋が横たえられている。あれは何だ。血が流れている。急速に頭が回転する。
「お目覚めですか?」
キアが声をかける。何か口を開こうとする、それを制するように魔津度 狂津輝(
gc0914)が男達に負けず劣らずの凶相をぎぃぃっと近づけ、その唇の端を吊り上げる。その表情と、目線で示される黒い袋の末路。その傍には暁彦が控え、押し黙ったまま男を凝視していた。
「何も言わなくていい。わかってるな。豚の餌になるか、吐くか、ふたつにひとつだ」
男はごくりと喉を鳴らす。反対側を見ると、猿轡を噛まされた仲間の姿が見えた。未だにぐったりしているが、それで状況は把握出来た。
「てめぇら、どこのファミリーのもんだ。俺たちに対してこんな‥‥」
「余計な口は、開かなくていい」
ひたり、と喉に冷たい刃が押し付けられる。思わず言葉を飲み込む、男の後ろには全身をすっぽりと覆う装束で身を闇に隠した、滝沢タキトゥス(
gc4659)が立つ。ひたひた、喉を叩き、少し笑ったような気配を男は感じた。
「なぁに、タダで吐けとは言わないさ」
「‥‥御代は何だい」
「あんたの命と、治療費の前払いだな。ああはなりたくないだろ?」
ガントレットダガーの切っ先が喉を離れ、ついっとゴミ袋を指す。何だ、そんなことか。多少の恐怖を感じながらも、男は鼻で笑った。
「俺たちの武器は情報だ。それと信用だ。簡単にてめぇの武器を横流したら、商売あがっ」
なおも軽口を叩こうとする男の眼前、その床をがつん! と掛矢の柄が穿つ。およそ人間とは呼べぬ膂力で突かれた石畳は無残に砕け散り、その飛沫が男の顔を打った。狂津輝が再度顔を近づけて、顔を歪める。言葉は要らなかった。何より雄弁に末路を想像させられ、しかし逆に、始末されるとしても一瞬で済みそうだ、と安堵した。心が浮き上がりかける、その頬を再びひやりとした刃が撫でる。今度はより明確に傷付けられ、びくりと体が強張った。
「能力者ってのは適性さえあれば誰でもなれるんだ。ボクみたいな狂人に分類される人間もねぇ」
唐突に脈絡の無い話を始めたのか、そう男は思った。レインウォーカー(
gc2524)は引っさげた刀をゆらゆらとさせると、胸を押さえてくつくつと笑う。ジャンキーか。そう思ったところで、銀の光が閃く。
「がッ――?!」」
斬られた、一瞬そう思った。だがレインウォーカーの刀が切り裂いたのは隣に転がるずた袋だ。その断面から見えるものは、肌色をしていなかった。赤くて黒い。丁度、皮膚でも剥がしたらあんな色に――
瞬間、男の肌が総毛立った。
「自主的に話してくれると助かるなぁ。何、ボクとしてはさぁ、喋ってくれないことを期待しているんだけどね? 何せもう一人いるから、キミをちょっとどうこうしたところで構わないんだ。ねぇ、ねぇ、彼の断末魔はどんなだったと思う? 何をされたと思う? キミは“何枚まで耐えられる”?」
覚悟した精神は強固である。
それは、逆を言えば、覚悟を一度崩してやれば他の人間とそう変わらないということだ。体面も何もなく、アジトを吐いた。地元民でさえ把握し切れない小さな水路、通常のやり方で入るにはその道を知らなければ入れない。地図の構造と照らし合わせても、嘘は言っていないようだ。
「それでは、迅速に制圧しよう。捕虜の監視は――」
そう言いかけた暁彦。その声を遮るように、高々と銃声が響き渡った。各々、生け捕りに出来た構成員の傷害を沙汰の外にしていた傭兵達が驚き振り返る。振り返った少女は、銀髪を揺らして酷薄に笑う。
「監視役‥‥これで不要、かな‥‥さ‥‥御仕事‥‥皆で、ね」
キア・ブロッサム。
独断で捕虜の頭蓋に穴を開けたその笑みは、虚無的なように。或いはどこか強がる子供のようにも見えた。
蛇の牙が、行動を開始する。
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「アーアー。ちっとすんませんねェ。火ぃ貸してくれませんか」
男は、道端で煙草を吸っていた。美観に関してはことさらうるさいはずの観光都市でそのような振る舞いをするのは、馬鹿か意図的にか、そのどちらか。この男は果たしてどちらか。どちらにしても間違いなく人相は悪いこの男に、銀髪の男が唐突に話しかけた。顔立ちからして東洋人か? 観光にしろ、こういう面倒な男はよくいるものだ。軽薄な伊達男。人相の悪い男にとってはかなり嫌いなタイプだった。
「火ィついでですんませんけど、道も教えてくれねェですかね。いや不慣れなもんで」
杜若 トガ(
gc4987)は尚も男に話しかける。鬱陶しい。
「‥‥ちぃと、裏で話そうや」
肩をぐい、と強引に掴んで引きずり込む。やけに演技くさく慌てる銀髪の男。引きずり込んだところで、唐突に肩にかけていた腕が強引に剥がされる。
「てめ‥‥!!」
振り向こうとした。それは叶わなかった。膝裏を蹴り付けられ体勢を崩す、その首にしゅるりと腕が巻きついた。ご丁寧に口まで塞ぎ。ごきゃり、と鈍い音が水の都の裏路地に響き渡った。
またソラに関する仕事か。縁があるねぇ。手早く死体の処理をしながら、トガは思う。仕事であり、それ以上に人を殺せる。暗い愉悦が心を満たした。
「さぁて、腐った水はさっさと浄化しねぇとな」
手が空いたら、制圧を手伝ってやってもいいだろう。
気配を感じた、そんな気がした。
スーツを着た男は後ろを振り返る。視線? いや、馬鹿な。そう思い返したところで、2人の組員の連絡が遅い。そんなことにふと思い至った。何故今そんなことが気になる? もしや‥‥
気配を感じた。振り返った。やはり人間はいない。その筈だった。
「逝け。せめて安らかに‥‥」
どっ、と衝撃が首を襲った。熱い。声を出そうとするが、その口は掌で覆い隠されている。唸り、暴れようとする。その首筋を抉ったダガーが捻られると、刃は延髄をめちゃくちゃにかき乱した。意識が途絶える。ぐるりと白目を向いた男が、最期に何を考えていたのか。知る由はない。
「安らかに、眠れ。敬意は払ったつもりだ」
最期まで男に気配を悟らせることなく近付き、その命を絶った。タキトゥスはそれを確認すると、恩師へ思いを馳せる。
そろそろあちらも、チェックメイトの時間だ。
暁彦、九蔵、トガ、セレスタ、レインウォーカー。アジトへの突入を宣言したのはこの5人だ。それぞれ標的に片をつけ、そして迅速に情報通りの場所に向かう。ドアノブに手を掛けるのはセレスタだ。
無用な殺人を厭った彼女にとって、キアの行動は許容出来るものではなかっただろう。しかし、今はプロフェッショナルに徹する。心を沈めて、指を三本立てた。
「3、2、1、突入!」
声と共に扉を蹴破り、同時に閃光手榴弾を投げ込んだ。鋭い誰何の声が響く、それを待たずに身を乗り出し暁彦が散弾を部屋にばら撒く。目を押さえてうめいていた若者2人が体中をずたずたに裂かれて倒れた。いち早く体勢を立て直した3名、それが強化人間だろう。やくざ者らしい粗暴な、しかし異様な速度で飛び掛ってくる男の顔を、レインウォーカーの蹴りが正面から迎え撃った。そのまま斬りつける。もんどりうった男を、掛矢で叩き潰す筋肉質な男。
「天国に逝っちまいな、ヒャッハァ!!」
狂津輝がけたたましく笑い、暴虐を振るう。横から肉厚のナイフを持って飛び掛ってきた男の攻撃を、セレスタが小銃で迎え撃つ。弾幕に後ずさり、窓際に立った。その横面を靴底が捕らえる。ラペリングで降下してきた九蔵が、窓から突入したのだ。予測していなかった攻撃、その身の下敷きにした強化人間の顔に弾丸をばら撒いて沈黙させた。
「さて、トリガーハッピーに行こうか」
薄ぅく笑う。上等だぜ、そんな風な笑みで屍を踏み越え、トガが電磁波の嵐を部屋に撒き散らした。
3人の強化人間の屍を踏み越えて、傭兵達は事務所の最奥の扉を開く。そこには、穴だらけになり火花が飛び散る通信機と閉鎖独立された端末、そして床に横たわった、拳銃を握る大柄な男の死体だった。
「‥‥誰か、こいつを撃ったか?」
「いえ、私は‥‥」
暁彦の問いに、セレスタは答えを濁した。チッ、と舌打ちすると、未だどろりと濁った液体を漏らす男の頭を爪先でトガが小突く。
「自害かよ、面白くもねェ」
終わってみれば、敵は目立つ形での情報を残さなかった。漏洩の阻止が主眼であった以上痛手ではないものの、多くの謎がヴェネツィアに残されたままだ。
その情報をどうして知りえたのか、誰に流していたのか。
恐らくそれは、作戦に参加していた傭兵達にとっては沙汰の外だったのだ。
迅速に行動し、迅速に制圧する。
狩人達の宴は、誰にも知られることなく始まり、そして終わった。