●リプレイ本文
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カプリ島。
代々のローマ皇帝が別荘を築いたこの島は、なるほどそれにふさわしい美しさが遍く存在していた。
「ええい、ソールめ」
そこにある青の洞窟。地中海の真珠と呼ばれる美しい島の中でも、とりわけその洞窟は有名だ。幾重にも折り重なった日光が差し込む紺碧の鏡は、訪れる者全てに言い知れぬ感動を与える。
敵は、何とも罰当たりなことに、そんな自然の宝石に横穴をぶち抜いて排水溝としたらしい。とはいえ、夜十字・信人(
ga8235)が毒付くのはそれが原因ではなかった。
「自分の十代の頃を思い出して微妙な気分になるぞ」
「つまり、今のよっちーともそっくりと。はいはい中二、中二」
「お前、明日飯抜きな」
ぎりりっと芹架・セロリ(
ga8801)の歯軋りが聞こえて来るのを無視し、盾を構えて通路を歩く。
空気は妙に冷ややかで、湿度が低いが故にダイレクトに温度の下がっていく空間。梯子を昇り、足音が聞こえないのを確認してから跳ね上げ式の扉を慎重に開けた。
進む。
傭兵達の足取りは、確かでありながら重い。
ここまでの道のりで、八人殺した。
どれもこれも悲鳴を上げて死んでいった。
勿論、それらの全てが強化人間であったのかも知れない。
が、そうでなかった可能性がいくらかあっても不思議ではないのだ。
爆弾の有無はともかく、探査の目では、強化人間か否かまでは判らない。
ただの自爆では生温いと言わんばかりに、誰も彼もが涙を流して死んでいった。
「あの、大丈夫?」
春夏秋冬 立花(
gc3009)が恐る恐る尋ねる。少年や少女の悲鳴を思い出したカズキ・S・玖珂(
gc5095)が、たまらず嘔吐して口元を拭っていた。
「‥‥問題ない」
「でも」
「大丈夫だと言っているッ!」
「その様で死なれちゃ、こっちも困るぜ?」
格別の罪悪感を肴に酸味を口の中に抱えて唸るカズキに、信人が言い放つ。
「少し強く言いすぎじゃないかね?」
天野 天魔(
gc4365)が、一応のフォローを入れる。しかし、判っている。カズキも、天魔も、信人のその言葉が何の重みもなく放たれた言葉ではない、ということが判るから、何も言えなかった。
きっと、忘れていた者もいるかも知れない。忘れずにいた者もいたかもしれない。しかし最早、同じ想いを、皆は抱えていた。
「ま、今さらだがォ‥‥」
海星梨(
gc5567)が肩を竦める。自分にとっては些細なことでも、それが社会一般にとってどういうことかは十分理解しているのだ。
命は重い。命は大事。それは確かだ。でも、引き鉄はあまりに軽い。命なんて大事なものは、一山いくらのリンゴを市場で買うのと大して変わらない手間隙でくしゃりと潰してしまえるのだ。そういうことを、改めて認識する。
武器を持つこと。今更ながらの認識。傭兵としてのレゾンデートル。血と硝煙。臓物と腐臭。右手にロリポップ、左手にジグソー。
「でも、なんだろう? 感情っぽいのを見せることで余計に人形みたい」
「そうですかね」
立花が指を立てて首を傾げる。心は痛むけど。セロリは、青い顔をしていた。
「心がないとは分かっていても、慣れないな」
ファラージャに自分の力を見せつけるのにも、自分たちの恨みを買うのにも適したものではあるんだろうけど、躊躇わずに切れてしまう自分共々少し、嫌になる。
「俺は、でも‥‥」
「まあ」
引き鉄と心を切り離すと言う事。顔で泣いて、心で泣いて、血管には氷を流す。鉄火場に立つ為の基本で奥義。そんなものを身に付けてしまっているということを自覚させるより前に、信人は妹の頭をぽんと叩いて、そのままぐしゃぐしゃに掻き回した。
「わ、あ、おいテメェ!」
「うるさい、緑色‥‥行こう。俺達には、やるべきことがある筈だ」
普段なら恥ずかしがりもしないような所作なのに、タイミングのせいで見透かされているような気がして、セロリが少し赤くなる。少しだけ、皆の空気も和らいだ。
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そっと開いた扉の向こうに、彼は居た。
「何で‥‥なんで、来ちゃうかなあ。ああ、もう。早いんだよ。もう少し後って言ったはずだろ?」
実に簡素な手術着を身に纏い、頭をがしがしと掻いている。
少なくとも、こんな風な顔を、この中の誰も見たことはない。顔はいつもの笑顔なのに、泣いているような気がした。頭をくしゃくしゃして、ふるふると首を振る。すっかり髪を短く整えてしまったその顔は、嫌になりそうなほどに、どこかの少女に似ていた。
「お願いだよ。見逃してよ。何なんだよ、もう」
「ソールちゃんの気持ちは理解できるけど、ダメ」
立花があかんべえをする。
「私も自分の目的に必要なら同じこと出来るし。だけど、友達が同じ事をして見過ごせるほど人間出来てないんだよね☆」
「ああもう、わかるからなんかムカツく。‥‥でもさ、まだ、まだなんだよ」
「仇は黒幕を除いて討った。君が伝えた黒幕を討つ剣も君の妹が完成させる」
ソールの韜晦に、口を挟む。説き伏せる以上に、天魔の声は懐疑的だった。
「これ以上何の不満があると言う。ファラージャの弱化か? それなら不要だ」
「そんなの、おまけだよ。おまけ。あぁ、もう」
がしがし、と髪を掻く。いやだな、いやだなあ。そんな風に言っているように見えてならない。
「ソール、そろそろ学芸会は止めよう。命を差し出す覚悟ってのは立派なものだが」
「何さ」
苛々。苛々。苛々苛苛。苛々。
「残念だが、お前の腸では100分の1も償えんぞ。不毛なことは止めておけ、お前は無駄死に、俺たちは無駄足、UPCは人件費の無駄遣い。良いことがない。だから生きろ」
信人の一言に。
「‥‥無駄じゃない」
初めて。思えば初めてかも知れない。
「無駄じゃない!」
思い切り、机を叩いた。
「ふざけるな。対価として等価かどうかなんてどうでもいい。復讐を果たした今、僕が居れば“起こらなくても良い戦いが起こるかも知れない”んだぞ! 復讐を果たしたのなら、僕は復讐されなければいけないんだ!」
思えば、初めてかも知れない。彼が、自身の思いを曝け出すというのは。
「そうでなければ、終わらない。終わらないんだよ。誰かを憎んで、代わりに憎まれて、そんなのは沢山なんだよ。僕が最後になるんだよ。それを、無駄なんて言わせるものか!」
「ソール、だからと言って、お前が死んでは‥‥ルーナはどうなる」
「だから、君達に託したんだ」
カズキの問いに、吐き捨てるように言葉を叩き付ける。
明確に、確実に。ソール・パックスは、苛立っていた。
「君達なら、そう思って、なのにどうにもこうにも、ねえ。どうしたら、いいんだよ。僕は」
「あー、感情を表に表すお前は見てて面白ェけど‥‥そいや、ソールよ」
頭をがしがしと掻いて溜息を吐く。答えてやろう、と言わんばかりに、しかし内容は一見その問いに外れて。がたり、と寄りかかっていた扉から背中を離し、ようやく海星梨が口を開いた。
「この間は俺らの潜入チクってくれてアリガトウよ。おかげでよォやくお前を信じない決心ができたよ‥‥何て言うと思ったか?」
やっぱり、と口が動いた気がした。
「前も言ったとォり俺はお前を信じてるぜ。なにせお前は自分を信じて欲しくないんだろ?
だから俺は『信じる』ぜ、お前はそォして欲しくなさそうだからなァ。つまりお前が必死に嫌われよォとして裏切ったりガキ差し向けたりだのしてたのなァ。全部無駄だったってこった」
「そう。そう、かい」
伏せた目は影になって、よく映らない。
「ルーナさん‥‥ソールさんのことよくお話してました。ソールさんのこと大好きなんでしょうね」
「そ。僕は嫌いだ」
「嘘」
セロリは、ふるふる、と首を振る。
「そう、どうしてそう思う?」
「寂しくて、辛そうだから」
思えば、長い縁だ。
それくらいのことは、直ぐにわかるのだ。
「一人でいるのは寂しくないですか? せっかく帰るところがあるのに‥‥」
「‥‥あぁ、もう。どうしても、君は。君達は決断を鈍らせてくれるなあ」
肩を竦めて、笑う。セロリの優しい言葉は、どうしても陽だまりの心地よさを思い出させられてしまうのだ。ソール・パックスは、けたけたと笑う。一通り哄笑して、ぴたりと声が止んだ。くつくつと肩を揺らして、笑い涙を拭い、正面を向く。
ひどく虚ろな目だった。
「なら、僕は、それを断ち切るよ」
座っていたベッド。その枕の下から、黒塗りのナイフを取り出した。何か、ひどく嫌な予感がする。
「ソールさ‥‥!」
びしゃり。
飛沫の音は、少年の腹から響いていた。無骨なナイフの刃は少年の腹を抉り、ざくざくと裂いている。
即死には至らないが、予断を許さない傷に、変わりはなかった。
「うぐ、ぎ、い、いた‥‥ははっ」
びしゃびしゃ、と口から血を吐く。一刻も早く止血をしなければと、傭兵達が駆け寄る前に、大きく飛び下がる。じくじくと、傷口が血を流していた。
「あの、さ。ふ、だから、素直になんて、なると思ったのかい? 強情っぱりはおたが、お互い様だよ。ふ、ふ‥‥」
「この――!!」
信人は、心底から怒りを覚えた顔をしていた。それは、何に対してか。自分に対してならいいなあ、と、ソールはそんな風に思っていた。
「だ、から、君達は、僕が死ぬ前に‥‥あ」
唇から血を流し。
そんな悲壮で、崇高で、幼く、達観した決意すらも。
「そん、な‥‥」
許してくれない。
天魔の子守唄は、問答無用にソールの瞼を落とし始める。
「‥‥ゆる、さない。許さない。ぎ、ぐ‥‥」
「許してもらえずとも結構」
「“死なせてもくれないのか!!”」
赤い血液のルージュを引いた唇から血を流し、興ざめな結末と罵られようとも、傭兵達は、彼を生かす道を選んだのだ。意志も決意も踏みにじり、全力で助けることを望んだのだ。
「等と口で言っても信じられまい。だから、ソール。後は俺達に任せ舞台から降り観客として君の妹が主演の最終幕を観ていろ」
ようやく眠りに就く身体に応急処置を施し、ロープで縛り上げながら天魔は呟いた。
復路での戦闘は、実にお粗末だった。敵の数に任せた戦術は一定のダメージを積み重ねたものの、撃滅には程遠い。
それは迅速な行動の結果ではあったが、同時に、ソールに冷静に指令を出させる暇を与えなかったが故でもある。
間違いなく、それは対話の結果である。そして、それは間違いなく成果を挙げた。
しかし、それは融和ではない。まして説得でもない。どこまでも深い断絶と、垣間見えた絶望の為だった。
太陽は眩しい。闇を照らし、希望を与え、恵みの息吹をもたらす。
しかし、その眩しさ故に、太陽自身を正面から直視出来る者など、居るのかどうかも定かではない。ファラージャが居ない隙を狙ってようやく少年を取り戻したと言うのに、皆の心はどこか倦んでいた。殺して、殺されて、また殺す。望んだ死と望んだ生によって、望んでも居ない死が生まれる。恙無く作戦を完遂し海へ漕ぎ出しながら、傭兵達はこうも思う。永遠の袋小路。ソールはどこかで、この光景を見たのだろうか、とも。
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『ナンデ‥‥』
血痕が運河を作る無機質な部屋に、ソレはいた。
黒い黒い人のような形をした何かは、風で吹いた砂の山のように崩れそうになり、再び形を取り戻し、そして声をぽつりと漏らす。その声は、どうにも、蟲の羽音に似ていた。
『そ、そーる!! イヤ!! ワタシノ身体ァ!!』
脱ぎ捨てたら、薄皮一枚の下には本性が宿る。
実に、実に、嫌な音だった。
羽音は次第に高まり、うねり、ぎんぎんと壁を揺るがす。それは叫び声にも似ている。準備の為に席を外した、その間の出来事だ。化け物は泣き叫ぶ。失われた半身を求めるように。おぞましく、知識への果てない欲求と生存本能をむしゃぶり尽くす権化としてソレは泣く。
『一緒ニ、一緒ニイテクレルッテ!!』
ヨリシロの記憶を基にした、いびつで冒涜的な形ではあっても。それはあるいは愛なのだろうか。
『許サナイ‥‥人間ナンカガ、ワタシノそーるヲ』
根拠などどうでも良い。大事なのは結果で、きっと傭兵達が選んだのはそういう道だ。道に置き去りにされた石塀が自分の行く手を阻むものだと、ようやく、今、ようやく初めて、そのバケモノは認識した。
雨が、降りそうだ。