タイトル:【AG】そして日は沈みマスター:夕陽 紅

シナリオ形態: ショート
難易度: やや難
参加人数: 7 人
サポート人数: 0 人
リプレイ完成日時:
2013/03/04 23:18

●オープニング本文



 ざりざりざりざりざりざりぐりぎりぎりぎりと軋る音が響き渡る。
 人間どころか能力者にすら、この音は聞こえない。人間という生物の埒外にある音だ。
 そしてこれは、ワタシの孤独の音でもある。
 いかにバグアたるワタシとて、ヨリシロの記憶は人格に多大な影響を与えるのだ。否、そうでなければならない。
 バグアは、自力の進化が不可能である。
 それは、バグアが情報生命体であるからだ。
 皮肉かな。受肉したこの宇宙において、生命体の情報とはデオキシリボースと塩基とリン酸の組み合わせであり、0と1は概念上の存在に他ならなかった。
 生物の形質は突然変異と自然淘汰の気の遠くなるような繰り返しの果てに変容して行く。それを一般的にはシンポとかシンカと呼ぶ。
 それをワタシは自力で出来ない。なぜなら変化を定着させるために必要な、とある機能がワタシには欠けているからだ。
 生殖。
 他者の遺伝情報と、そして一代限りの変容と進歩を、知的生命体は限定的に言語という概念を用いて育む。それは彼らにとって進歩だが、ワタシにとっては即ち生殖の代替に他ならない。
 バグアは己の構成概念を変容させるのに、自身の変化そのものを用いる。
 
 だからだろうか。
 ワタシは/バグアは、■■を知らない。
 それは何故かと人は言う。
 なぜだろう。ワタシはなぜか、それがわかる。
 ワタシは、一人なのだ。
 どこまでも一人。
 ワタシは生殖を必要としないから、何かを育てるということを知らない。
 育成は知っている。
 しかしそれは手間隙をこさえて工業製品を量産することと何も変わらない。
 ワタシに親がいない。
 子供もいない。
 兄弟もいない。
 だから知らないのだ。
 無償の■■というものを、知らない。
 利害の物差しなしにものを考えることが出来ない。
 知性を持たないみじんこのようなモノにすら存在する、自己保存の法則は、しかしワタシにとっては意味がない。
 どれだけヨリシロを得ても同じことだった。
 同胞はいるだろう。
 彼らに対し、私を滅して奉ずる気持ちがあるのは確かだ。
 しかし、それは違う。自分の手足を、目玉を、耳を、鼻を、なくてはないものだからと大事にする。
 それは■■と言えるのだろうか?
 結局のところ、ワタシは/バグアは、完全な個人主義であり、究極の全体主義でもある。
 そんなワタシは、いくつもの星を渡っていろいろなものを得てきた。
 いろいろな■■を。いろいろな感情を。
 集団にして個である、とある星の昆虫型の知的生命体を得たとしても同じだった。
 ワタシは一人だった。このワタシの端末を生み出したとしても、それはワタシでしかない。
 全てがワタシに奉ずる。しかし、ワタシが彼らに奉ずるものなど何もない。
 この星にも、さして興味はなかった。
 ありふれた四肢と顔を持つ、二足の自立によって余ったキャパシティを知能に転化した生物。
 しかし、ワタシは今、彼らにひどく嫉妬している。
 あれほど同じなのに/あれほど同一性に満ちているのに/彼らは絶対にひとつにはならない。
 果てることのない同胞同士の無益な争いと、そして同じだけ無限の■■を内包する地球――人間――そして。
 執着とか、感情は存在する。偏執、それも存在する。
 でも、ワタシのこれは、何かが違う。

 ■■が欲しかった。
 ■■を知りたかった。
 そうすれば、なにかが解るような気がしたのだ。

 そして彼が現れた。
 彼も観察対象のひとつだった。
 どうだろう。彼がそれほどまでに、その身を投げ出してまでに護りたいと願う妹を知れば。
 たとえ、既に人間という種そのものが滅んでしまってもいいと思えるほどの絶望を抱いていても、それでも妹の為に人間を救う選択をする彼を知れば。
 だから、彼を端末にすることなく、ほんのちょっと。ワタシと同種の電磁波を脳から発せる程度の道具を与えた。
 それから、ワタシとそれ以外だった世界は、ワタシと彼とそれ以外になった。
 そして、ワタシの今のヨリシロである少女のかつて抱いていた想いの一端に触れることも出来た。
 この娘は、残酷に、何の感慨もなく同胞を殺すことが出来る。そして、その後死ぬほど悲しむ。
 そんな居場所のない世界でも、彼女は護りたかった。
 それを奪ったのはワタシだ。
 後悔はない。
 大丈夫、この地球をワタシで満たしてあげる。
 ワタシはワタシを傷つけない。
 そして最後に、ワタシは彼と一緒になる。手を取り合って、どこか綺麗なところで、彼はワタシの隣にいる。
 綺麗だよ、とか、ワタシの唇を指でなぞって、そして彼はワタシに呟く。『■■してるよ』。
 そして、ワタシは、彼と――
 あれ?
 ワタシは、何をしたかったんだっけ。
「待っててね、ソール――すぐに迎えにいくから。そうしたら、おまえは私とひとつになるの」
 ただひとつ、思うことがある。
 彼に会いたい。
 そのために。
「ダミーなんてしかけちゃって。小賢しいなぁ。人間め」
 だいじょうぶ。
 釣られた“ふり”をする――“私”の目を、ごまかせるわけがない。
 彼のことは絶対にわかる。
 なぜなら、彼は私の端末ではないが、しかし子ではあるからだ。
 私の端末/私の手足/私の“軍隊”は、ルーナ・パックスとメアリ・アダムス‥‥彼と“私”の大事な人間をすり潰すのに使おう。
 そうすれば、私と彼の間には、何一つの障害も
「‥‥‥‥傭兵」
 あった。
 どれだけ痛めつけても、どれだけ虐げても、どこまでも、どこまでも、喰らい付いてくる。
 あいつらは何なのか。
 どう考えても脆そうな奴らなのに。
 それでもあいつらは、どうしても、立ってくる。どうしてか。
 まあいい。
 邪魔をするなら、アレも全てすり潰す。
 依然として何の問題もない。
 ワタシの心の中にひとつ、挟雑物が増えるだけのことだ。
 ワタシと、彼と、その他。それと‥‥傭兵。
 もはやただの一つの誤謬も許さない。
 ひとつ、ひとつ、情報と情報の間に挟まった雑音を取り除いて行く。
 顔に水気が当たるのに、ふと気付いた。
「‥‥フ」
 そうだ、これを利用してしまおう。
 私の身体の一匹一匹の生死に、雨は直結する。だからこそこういう感覚には敏感だ。
「これを人間は、ツリと言うのだったっけ。
 上手くいけば拍手喝采。上手くいかなかったら‥‥うーん、あいつらの悲鳴でとんとんってことで」
 餌は?
「もちろん私」
 獲物は?
「もちろん‥‥彼」
 私は彼を■■してる。
 たぶんきっとそう。

 たぶんきっとそうなんだろう?
 ファラージャ、あるいはエリザ・アダムス。
 拘束具と猿轡はなかなか屈辱的だけど、イイセンスしてる。
 だから、僕はわりと不安がない。
 さあ、早くここまでおいで。
 そして早くお行き、マイシスター。
 僕のするべきことは、ひとつだけだ。
 山羊。あるいはイサク。
 そしてカインとアベル。
 僕と妹。
 だからこそだ。
 その為の道具は、ここにすでにあるのだから。

●参加者一覧

不破 梓(ga3236
28歳・♀・PN
UNKNOWN(ga4276
35歳・♂・ER
夜十字・信人(ga8235
25歳・♂・GD
芹架・セロリ(ga8801
15歳・♀・AA
御沙霧 茉静(gb4448
19歳・♀・FC
天野 天魔(gc4365
23歳・♂・ER
海星梨(gc5567
25歳・♂・FC

●リプレイ本文

●????:????
 ノイズが鳴り響く。
 雨の音が耳につく。
「カリメラ、見知らぬ街。あなたにとって、世界はどんな色?」
 誰に言うと、自分でもよく判別がつかなかったけれど、呟いておきたかった。
 これが最後だから。
「みんなにとって、平和な世界はどんな色?」
 ぼんやりと虚空を見つめる。
 薄い音と共に、銀色の光が舞い上がる。
 起動してあげられなくても、エミタはずっとそばにいた。
 だからきっと、私の気持ちだってお見通しなのだ。
 みんなの気持ちだって、きっと。
 だから、最後くらいは素直でいよう。
「アディオ。‥‥最後に、本音を言うね」
 ほんとうのことを言おう。
「だから、アディオ」
 聞いて欲しいから。
 今ならまだ、届くはずだから。
「聞いて、みんな」
 距離も時間も雨も関係ない。
 ありったけの気持ちで叫ぼう。
 心の底から。
「私は、この世界が‥‥‥‥大っ嫌い」

●Pest:0935
 ばしゃり水音。
 飛び散った音が飛沫いて壁に模様を描く。
「しゃあっ!!」
 見るなと言った。
 かつての復讐の鬼が、再び修羅に立ち戻ることを決めたのだから。大太刀は翻り、僅かの間も空に留まらず飛沫を上げる。
 赤いばしゃあぐちゃり、紅色はパテだかペーストだかを塗りたくるような濃さ。およそ子供三人分。
 不破 梓(ga3236)の全身の赤は最早返り血なのだか自分の赤なのだかよくわからなかった。
 跳弾する鉛のように影。一つ掴み取る。振り回して互いにぶつけるとトマトのようにくしゃり。
 Ru、と唸った。
 鬼の形相の梓は血振りをすると、一つ息を吐く。
「‥‥見てないだろうな。ルーナは」
 正直、自分の決めたことだとしても見られたくなかった。
 鬼の形相とは言うが、それは真実そうなのではなく、覚醒による現象の為だ。
 或いはそれは、戦う為の決意が現れたのだろうか。
 エミタと能力者の関係性とは、『彼ら』に似ているのかも知れない。
 もうひとつ、べしゃり。
 それにしても、いやに蒸す。雨垂れはしとどに窓を濡らして容赦がない。赤い。
 咽るような生臭さがリノリウムの床を濡らしている。
 それにしても。
「こっちは静かだな。厭に‥‥
 ‥‥襲撃は散発的だし、どうにもきなくさい。流した情報の裏になるくらいの人員は配置されているはずなのに。」
 あるいは未だ。
 そして、最早既に。
「‥‥遠慮がねえな。まあ、後腐れが無くて良いがよ」
 ぐちゃり、と肉を踏み潰す音と共に男の声が思考を中断させる。
 彼らは梓のような傭兵とも違う、研究所自身が雇用する警備員だ。寡兵とはいえ能力者である。とはいえ、今の鬼神の如き戦いぶりの前ではその存在もやや霞んでいた。
 うえ、と原型を留めない子供の屍を見て舌を出す男に、軽く吐息を吐いて梓が向き直る。
「ミンチにでもしなければ、こっちが危ないんだ。こいつらは。
 それに、こんな生き物にされて弄ばれて。死なせてやらなけりゃ浮かばれない」
 ‥‥大丈夫なのだろうか。
 その骸を見て、梓は密かに不安を抱いた。

●Buda:0935
「クリア。周辺敵影」
「無し。否、全天警戒を」
 旧市街。
 かつてこの街は、ブダとペストという別々の街だった。
 それが統一されたのが1873年。
 かつてのオーストリア=ハンガリー帝国。
 そして現在のハンガリー。
 国は変われど、かつて別々だった頃から脈々と存在し続けている市街を、4人の少年少女が走る。
「維持。行動阻害ファクター認識は」
「11時方向。制圧射撃を」
「おっと」
 帽子を片手で押さえ、カルブンクルスの炎を撒き散らしながら壁に駆け込み、UNKNOWN(ga4276)は一息を吐く。
「やれやれ、変わらず彼らは‥‥いや。少し、変わったかな?」
 まるで機械のような以前と、少し違うような気がした。
 ぶれのない瞳は変わらない。しかし、その奥に何かが――
「いや、考え過ぎるのもいけないね。
 怪物と闘う者は、自らが怪物と化さぬよう心せよ。長く深淵を覗く者は、深淵もまた等しくおまえを見返すのだから」
 深く、静かに、意識を鎮める。
「ニーチェと言っても、君らにはわからないだろうね」
 UNKNOWNは、他の護送班とは別行動を取っていた。
 予想されるルートから敵の動向を割り出し、炎の弾丸を叩き込んで行く。
 次の集団。
「回避、有効な遮蔽物をリストアップし」
「全端末のダメージ・チェック――リポート」
「51番の右腕部消失により」
「最終手段を行使します。さようなら」
「さようなら、51番」
「さようなら」
 奔る。
 深い褐色の少女が弾丸を受けるのも構わず前方の遮蔽物へ走り寄る。
 少女の跳躍。閃光。じう、と肉の焼ける臭いが街に立ち込める。
「――やれやれ、折角の一張羅を」
 爆裂は、彼のボルサリーノや露出した肌を焦がしても、致命傷には至らない。
 防護力に加えて、傷を治す手段がUNKNOWNにはある。
「最終手段は敵性無力化が不能であると」
「判断します。ならば」
「足を止めます。かあさん、みなさん、さようなら」
「さようなら」
 閃光は、絶えず響く。
 彼らは皆、年端も行かぬ子供だった。
 彼らは一糸乱れず、彼から彼方へ、彼方から彼女へ、全てが一つの生き物の如く言葉を紡ぐ。UNKNOWNまで辿り着く前に、生命を断たれる者が絶えないというのに尚。
 かつてのような『軍団』の姿。違うのは、少しの差。
 私たちは、小指の爪が欠けたくらいでは生きることを辞めない。

●Pest:0934
「そもそも、よ。
 あなた達はどうしたかったの?
 個の同一性を突き詰めて、それを一体どうしたかったの?」
「嫌いです、無駄口は」
 ルーナ・パックスの低い声の問いにメアリ・アダムスは煌々と輝く画面を見つめながら冷厳と車椅子を揺らした。
「そこ。ifと2行下のwhile。間違っています、条件式が。無駄口を叩く暇があるならなりなさい、目と指だけの生き物に」
「‥‥BGMでもあった方が、作業効率は上がるでしょう?」
 忙しなくルーナの瞳が動く、指が打鍵する。多少の知識があるルーナから見てもはっきり言って、メアリの口述するソースは無駄がなく、理路整然としていて、数学的な美しさにすら満ちていた。
 自分以外を凡人と蔑むその心も、これならまあわかる気がする。黄金比、という言葉が頭に浮かんだ。
「信じますか? 世界平和と言ったら」
 かた、とルーナが一瞬滞る。
「指。」
「‥‥正気? あなたとあなたの姉の発明は、今も人間を殺しているわよ」
「ソレを知っている大人たちは、人命を捧げてすら‥‥子供の命すら。求めていましたよ。ならば、明らかでしょう。その天秤の傾きは。
 私たちの知らない平和というのは、そういうものなのでしょう、きっと」
「‥‥聖書の時代っていうのは、それじゃあ」
「“違う”ということは、何かを生みます。美しいものも、おぞましいものも、等分に」
「冗談じゃないわ。また私たちから、いちじくの葉を奪おうって?」
「しかし、無くなりますか? それ以外で、争いとは」
「バグアの脅威も消えた。‥‥地球は、次のステップに進んだわ」
「異星人の存在を知り、宇宙へ進出する術を得て、そして、地球には能力者が居る。あります、争いの火種は未だこの星に」
「‥‥だからって、あなたの言うのは人間の考えることじゃない。
“何もかもひとつなら争いなんてない”。‥‥そんなの、死んでるのと同じだわ」
「良いです、何とでもお言いになれば。‥‥無駄口は終わりです。さあ、動かしなさい。指を。私にはありません、愚か者に割く脳など」
「どっちが愚かなんだか。‥‥でも、確かにね。無駄口だったわ。
 私は私、あなたはあなた。お互いの目的の為には、お互いの思想なんて“どうでもいい”」
「最初から断定なさい、そうであると」
「そう断定するのも言葉を交わしたからよ」

●Buda:0945
「俺の望みは月と太陽を合わせる事だ。それまでは逃がさんし死なせん。引き合わせた後は自殺なりなんなり好きにしていいから今は大人しく諦めて言い訳の一つでも考えておくといい」
 天野 天魔(gc4365)がそう声をかけたのは、どこか少年の態度が捨て鉢に見えたからだ。
 否、捨て鉢と言うのも違う。
 では何だ?
 判らないが、満ち足りたような顔が、逆に危うく思えた。


「ホンッと、テメエは退屈しねえな」
 海星梨(gc5567)の嘲笑いは、雨のせいで周りには聞こえなかった。
「妹の為に、報いの為に。
 ‥‥イイぜソール。徹頭徹尾テメエしか幸せにならねえやり方だ。その自己愛、マジで楽しいぜ」
 雨は止みそうに無い。
 流れ落ちる水滴は、滑り落ち、他の流れと合流し、次第に大きくなり、風に吹き晒されて消えた。
 海星梨の言葉に、少年は目だけを向ける。
「だが、それじゃ足りねえだろ。
 その自己愛、もっと極めろ。もっと自分をアイして見せろ。この世はテメエの物だってぐらい、言ってみな」
 声はない。当然だ。口に噛まされた自殺防止の轡は、言葉も奪っている。
 それを差し置いても、ソールは呻き声一つ立てない。暫く凝視して、やれやれと首を捻ると、茫洋と外を眺めている少女の頭上あたりの壁を拳でとんとん叩いた。
「ふぁ?」
「ダメだ。奴さん、何考えてんのかわかったもんじゃねェ」
「あぁ‥‥じゃ、俺、ちょっと後ろ行きますね」
 言われて頷くと、緑髪の少女は後部の座席へのそのそ移った。
 どの道、強化ガラスの窓は、彼女芹架・セロリ(ga8801)の視界も奪っている。外の様子はよくわからないので、いっそ見張る為に外に出てしまいたいかも知れない。
 それでも彼のことを、しっかりと見ておきたかった。
「隣、失礼しますね‥‥うわ、すごい恰好」
 胸の前で交差させた腕は、革のベルトで拘束服自身に繋ぎ止められている。
「もう少しで安全な場所に‥‥うん、別に行きたくないって顔しないで下さい」
 友人と瓜二つの顔。髪の色だけが違う彼は、ろくに身じろぎも出来ないような状況だが、無理矢理にでも肩を竦めたようだった。
 会話のために轡くらい外してあげたいとは思うけど、外したら外したで舌を噛みそうな‥‥それくらいやりそうだと、以前の姿を見てセロリは思う。
「ソールさん。その‥‥もう一度だけ、俺たちを信じて‥‥頼ってもらえないでしょうか?」
 だから、声も自然に恐る恐る、といった感じになってしまった。
「ルーナさんを託してくれてありがとうございます。
 でも、ソールさんの力にもなりたいんです。辛いことを、一人で背負わないで欲しいんです。
 ‥‥勝手なことばかりいってごめんなさい‥‥本当はソールさんがどんな選択をしても、見届けるべきなのに。信じるべきなのに。でも、でも‥‥本当、ごめ」
 ひぐ、としゃくりあげる声。慌てて止めようと手首だのでごしごしと目を擦るのに、自分が泣いているという事実が何かを思い出させるようで、余計に止まらなくなってしまった。
 決意を踏み躙って、酷い奴だと自分でも思う。それでも。そう思うと、涙がちょちょ切れて止まらなかかった。
 それを見て、肩をゆすると、少年が軽く手を招いた。傍のコンソールを指しているらしい。ただの端末であることを確認して、セロリが渡す。
『ごめんね。泣かせちゃって』
『でもね。僕が生きてたって、だめだよ。
 これ以上、したいことなんてないんだから。』
『それにルーナだってさ。今更、僕に会って嬉しいわけないだろ?』
「そんなわけ、あるに決まっているだろう。兄妹だぞ」
 夜十字・信人(ga8235)が、眉を寄せて言う。
「それにな。お前もルーナも、俺にとっては弟と妹みたいなもんだ。弟がそう卑屈になるのは‥‥あれだ、辛い」
「ブラシスコン」
「その恩恵に預かってる緑色は一体誰だったっけな」
 べー、とセロリが信人に舌を出した。それを見て、微かに笑っている少年の顔を少女がぼうっと見る。
「‥‥髪、もう伸ばさないんですかね?」
『もう必要ないからね』
 ソールの視線は外へ逸らされた。
 相変わらず、灰色の街並みと雨以外に何も見えない。
 否。
『約束も、もう終わりなのさ』
 けたたましいブレーキ音。
 暗転。

●Pest:0940
『だからね、あいつが髪を伸ばしてたのは‥‥私と見た目の区別を付ける為だったのよ。色もそう。彼は髪を伸ばして、私は髪を染めたの。
 二人の約束。いっしょじゃつまらないからって。‥‥今思えば、しょうもない話だけどね』
 そんな会話を、戦いに出る前に、御沙霧 茉静(gb4448)はルーナから聞いた。
 弾丸が跳ねる。雨の中で探査も酷く難しい。しっちゃかめっちゃか、味方の弾なのか敵の弾なのか判らない。
「あークソが! 残り滓共が随分威勢がいいな!!」
「んでもこっちだって、こんな雨でどうしろって‥‥」
 弾丸を潜り抜け、ダメージも厭わないまま飛び込む『軍団』の少女。身を翻し、山道を拓くような鉈をそのまま大きくしたような高周波ブレードが振り下ろされる。研究所子飼いの能力者は、反応し切れずその首を落とされ――
 空中の少女は、横合いからのエアスマッシュの衝撃にもんどりうった。
 助けが無ければ首と胴が生き別れていたであろう男の眼前に、茉静の刀が飛び込む。空中で姿勢を崩した少女に、峰打ちを叩き込もうとする。
 先刻助けられた男が、数瞬も置かずその頭に弾丸を叩き込んだ。体勢を崩された少女は、速やかにその生命活動を停止する。
「何を‥‥!!」
「『即死以外は自爆』だ! 報告書にあったろう!」
 憤りを吐き出す前に、胸倉を掴まれ、傷まみれの顔で怒鳴られて、茉静はぐっと息を詰める。
「意識を断てばいいってか? そりゃもっともだ。だがよ、ぶん殴りゃ気絶するって確証がどこにある。てめえ一人死ぬのは勝手だが、俺達を巻き込むんじゃねえ! ‥‥あのガキ共もだ! これ以上バケモノの手先にされる不幸を背負わすな!」
「だからって‥‥」
 笑顔を取り戻すと約束したのに。これじゃ、あんまりじゃないか。
 赤い雨は、少年のものか。
 少女のものか。
 隣の男達の者なのか。
 それとも、自分の瞳から流れているのだろうか。
「こんな‥‥なぜ、こんな残酷な‥‥自分で戦えば、いいのに」
「だから来た」
 雨音の中、はっきりとした足音。
 砕く音。
 バリケードを破壊し、能力者達の身体をミンチにする。黒い奔流と、それごと焼き尽くす水蒸気とベンゾキノンの爆炎が素早く飛び下がった茉静の視界を埋め尽くす。
「ファラージャ様の仰せだ。甚だ感情的なあの方の‥‥何とも変わられたがな。命令に変わりはないし、私の上位者であることに代わりもない。従うまでだ」
 豪雨にも関わらず、中年の男の表情は変わらない。
「アレの心残りを消す。その為に、私はここにいる」
 だから邪魔だと。そう顔に書いてあった。
 何の感慨もない顔。
 生物なのかも判らない。久方ぶりに‥‥実に、茉静にとっても久方ぶりの感覚だ。とてもバグアらしいバグアの面構え。
 命など、スイッチのオンオフにしか思っていない敵の瞳。
「‥‥丁度、良かったです」
 雨に濡れそぼる男の、螻蛄のような前腕など茉静の目には入っていない。
「敵が人間では、戦い辛いところでしたから」
 言いながら、両手の刀に力を籠める。
 赤いのは、彼女の視界だった。

●Buda:0952
 耳を劈くようなけたたましい笑い声。甲高く鈴のように可憐でおぞましい少女の声。
「ただの偶然かそれともダミーに引っかからなかったのか。どちらにしろ停戦中に仕掛けてくるか!!」
 止まることなく走り切るつもりだった運転手の天魔が思い切りブレーキを踏んだのは、上から飛び降りて来た影に進行方向を塞がれたからだ。両腕に黒い霧を纏う金髪の美少女。このまま突っ込めば、車ごと何をされるかわからない。
 狂ったような笑い声。彼ら全員の耳に焼き付いた記憶。
 バグア――ファラージャ。
 長時間の雨の為に濡れ切った路面によって制動距離の伸びた車を、ファラージャは巨大な前腕を霧によって形成し横合いから張り飛ばした。止まり切ることの叶わない車の向かう先は荘厳な扉。突っ込み、盛大に椅子を蹴散らしながら護送車は滑り込む。
 マーチャーシュ聖堂。
 初めからここと決めていたのか。
 何かしらの非難をして然るべきであるが、この聖なる地を利用する人間達は、最早物言わぬ塊となっていた。中に予め陣取っていた『軍団』の少年達が周囲を取り囲むが、護送車の扉ごと飛んできた大経口の弾丸に食い潰され、一人が吹き飛ぶ。その隙に飛び出したセロリの斬撃は心臓を穿ち、海星梨の蹴りは首を叩き折り、天魔の超機械は生命活動を停止させた。
「‥‥もう怯まないんだぁ? つまんないんだね」
「ファラージャ‥‥」
 扉の前に立つ少女。
 油断無くガトリングの砲口を向けながら、信人は物言わぬ骸に十字を切り、正面を睨み据えた。
「バグアと人類の戦争は終わった。UPCは決して悪いようには扱わん。俺たちも便宜を図る! 投降しろ!!」
「‥‥」
 苦しそうに叫ぶ信人の声を、目を閉じて聞く。
 一向に応える様子を見せない少女に業を煮やし、天魔も追い打つように口を開いた。
「貴様もバグアだろう。ファラージャ。
 今は次の演目の為の準備期間、停戦中なのだ。上位者の命に従い退け!」
「‥‥‥‥」
「答えろ、ファラージャ」
 問う信人の声に、身を揺らす。
 ふう、と一つ息を吐くと、少女は、腕に纏った黒い霧――彼女の武器であり、道具であり、彼女自身である無数の甲虫を蝶の羽の如く背中に纏い直した。
「‥‥で」
 次の瞬間、二人は思い知る。
 バグアは最早、一枚岩ではないということを、改めて。
「ソールは私にくれるの?」
「それは」
「無理でしょ? 無理なんだよ。わかってるんでしょ? おまえたちと私の断絶はバグアだとか人間だとか、“そんなちっぽけなモノ”じゃあ、最早ない」
 僅かに身を浮かせ
「――返せ!!」
 ざらり、と突進した。
「ハッ、もォ戦略を巡らす頭もねえってか」
 正面に海星梨が飛び込む。低空へのカウンターの膝を、少女の細腕がふわりと受け止めた。
「違う違う。あのさ‥‥私が本気になれば、お前らなんかに殺されないからね!」
 轟音。
 暗転。

●Pest:0940
 空気の破裂するような音と共に飛び込んできた影にすわ敵かと身構えた梓だが、受け身を取るその姿を茉静と認めると、改めて破砕音の元である壁に目を向ける。
「正しい判断だ。一人で私に勝とうというのは戦力判断を誤っている」
 悠然と歩を進める。そもそも非合理なことなど一つたりともしたくないとその顔に書いてあった。
 ソムニウム。バグアであり、ファラージャの下位存在。
 だからと言って、容易い相手では決してない。
 歩を進めると、ぐちゃりと血溜まりを踏んだ。それは梓の行いの結果であり、原型を留めている死骸の方が少ない。それを茉静は見て
「‥‥まず、私から行きます。追撃を」
「承った」
 梓と僅かに言葉を交わして、一瞬で突進した。
「‥‥解せないな」
 迅雷。一足で飛び込む。後ろ脚で弾くのではなく、前脚の膝を“抜く”ことで前兆無しに長距離を移動する。日本の武術独特の歩法で接近すると、一瞬手出しの遅れた男の腕を短刀で押さえ、利き手の刀で一閃。その体が無数の霧へ飛散したところへ梓の猿叫、逆袈裟の振り下ろしから一瞬で手の内を翻す。
「さすがに、一撃では見切れないか‥‥!」
「何を狙っているのかは想像がつくが、核など存在しない。
 でなくては、何の為の超個体か」
「‥‥気色悪いな」
「私からすれば」
 男の両腕が砲口のように変形する。ベンゾキノンの爆裂、視界を塞がれることを恐れて二人は回避するが、逃げた先の梓をカウンターで迎え撃つように螻蛄の大腕が迫った。
 咄嗟に腕を差し込む。衝撃は腕に留まらず、あばらを折り砕く。後ろに吹き飛ばされた。血反吐を吐いて膝を突く。
「貴様らの方が余程理解不能だ。
 そちらの個体は生命活動の停止を是とせず、そちらの個体は躊躇なくそれを行う。我らの如く一つの意志に従うのではなく、かと言って同じ志を持つのでもない」
 追撃を止めるように茉静が飛び込み、太刀を囮に小太刀を暗器として突くが、効果が出ているのか知れない。
「だというのに、何故歩みを共にする? むしろ敵に近しいと言うのに」
「それが判らないから‥‥ソムニウムさん」
 手首を翻して一撃、言葉の途中で腕に吹き飛ばされる。茉静を受止めて、梓が言葉を繋ぐ。
「届かないんだ、お前らは決して!」
 打つ。打つ。打つ。焼き払い、また打つ。打つ。一打一打が身体や建物を爆砕し、ダメージの程は互いに知れぬ――片やその負傷の多さ故に――片や吹き散らされる霧の為に。
 それでも、そんなことは、止まる理由になり得るはずがない。
「私たちは‥‥確かに、同じなのに違いすぎる生き物です。
 妬みも、恨みも、嫉みもあります。相容れないと思う時もあります。怒りを覚える時もあります――でも!」
 茉静の突き。流れ作業のように霧散しようとした男は、次の瞬間、その瞳に疑問を抱く。
「‥‥ん?」
 後ろに回り込んだ茉静の、振る手さえ見せぬ一閃は、確かにその腹に食い込んでいた。
 驚いて思わず刀を引き抜く茉静――血は零れない。淡い銀色の光。靴音。車輪の音。床を軋む。微かな駆動音。紛れも無いSESの吸気。
 一瞬の居付きを、逃がさなかった。自身の力を確かめるように腕を振り切って茉静を吹き飛ばしたソムニウムは、再び自身の身体にぞぐんという衝撃を感じる。
 逆袈裟からの振り下ろし。もたもたと形を成そうとする蟲共のおぞましさを目に留め。
 燕返し。
 寸分違わぬ精緻な豪剣によって、数匹の蟲が切り捨てられる。瞬間、全ては崩れ落ちた。
「‥‥もう聞こえないとは思うがな。私たちは、“違う”ことを知っている。だからこそ、それを許容できるんだ――簡単で、シンプルな理由だよ。お前らにはわからないさ」
 言うと、刀を納める。二人の身体は、これ以上動いてくれそうにもない。倒れ込むと、慌しくスタッフが駆け寄り治療を施そうとする。
「見るなと言ったのに、聞いてくれないんだな」
「鬼だって何だって、アズサがアズサなのに変わりはないわ。
 ‥‥二人は休んでて。それと」
 両腕に持った装備を、腰に収める。僅かに笑った。
「ありがと、守ってくれて。
 それに‥‥私も、あなたとは“違う”わ」
 そうだな、と梓は笑う。
「なら、ルーナ。“私とは違う”お前は、何をするんだ?」
「あなたとは違う私は、“あなたには出来ないこと”をするわ」
「そうだな」
「持ち堪えてくれて、ありがと。‥‥後は、みんなに任せましょう」
 そう言って、少女は再び腰から二本の剣を抜く。
 銀の光。
 触れえぬ美しさ。

●Buda:0950
 轟音。
 海星梨の首を狩ろうとした少女は、後ろからの炎弾を受けてその身を飛散させる。脳幹、心臓、脊椎、生物ならば間違いなく致命傷――見た目どおりならば。
「間一髪‥‥というところかな。少し付き合って貰おう、か」
「‥‥そう。そういうことね。端末がやけに少なかったのは、おまえのせい?」
「さてね」
 UNKNOWNが肩を竦める。その横を信人が駆け寄る。ガトリングを蹴たぐると、盾を構えて飛び込んだ。盾をブラインドに、死角から刀を奔らせる。首を巡らせた少女の、反対側からセロリが突進する。標準的なサイズの太刀であっても、振り回すセロリにかかれば相変わらず持て余しているようにすら映るが、思わぬ鋭さを以ってファラージャの顔を縦に切り裂いた――瞬間、曰くおぞましい光景。
 例えるなら、集った小蠅の群れを掻き散らしたような、その光景にセロリが小さくうめき声を上げる。羽音が重なって少女の嗤い声に聞こえるのが余計におぞましい。
『何故邪魔をするノ!』
 ばぐん、と衝撃波が傭兵達を襲う。喋り辛そうに口を整える。
 愛らしい顔立ちであることが、逆に異物感を感じさせられた。
「わたしは、ただ彼が欲しいだけ。彼を自分のものにしたいだけ。
 これって、■■でしょ?
 人間も知っているんでしょ? ならわかるでしょ?」
「笑わせンな」
 海星梨の蹴り。滑るような肘打ち。腕をがりがりと蟲に蝕まれて、しかし嗤っている。
「俺たちにテメェ、どいつもこいつも人外だ。
 『人で無し』なンだよ。それを判ってねェテメェは一層な!」
「何を!」
 万力のような力で腕がめちゃくちゃに解体され始め、咄嗟に下がる。その隙を埋めるように、天魔が攻撃した。
「‥‥違うぞ、少女。それは違う。
 お前の言葉は、聞こえないよ。俺には」
「違わない! これは、■■だよ!」
 ぶずぶずと、その単語だけが聞こえない。
 そこだけ羽音のように聞こえてしまう。耳を塞ぐように飛び込んで、腕を突き出す。漆黒の腕の掌からは杭が飛び出るし、その爪は僅かな凹凸を引っ掛けて引き剥がしてしまう。乱戦の中、ダメージを定かに負っているのかも判らない。
「■■してるから、ひとつになるんだよ!!
 そうしたら、わたしは、わたしは――!!」
 狂乱。振り回す腕。薙ぎ倒す。聖堂を血で汚す。
 銀色の光が、視界に舞った気がした。
 轟音。

 ソムニウムCEOの語ったことは、間違ってはいないが、正確でもない。
 通常の細胞に相当する昆虫が構築するネットワークのうち、特にその“群生そのものの結合”を担う個体はやはり特殊なのだ。
 しかし、彼ら個体はその死に瀕して、その力を他の個体に譲渡出来る。引継ぎの送信野は通常閉じており譲渡の際にのみ開放されるが、受信自体は結合にかかわる為に常に開いている。
 “それのみ”をジャミングすることが出来るとしたら。
 “それ”を知る為に、自身も“それ”を受信出来るようになる必要があったとしたら。

 目を大きく見開いて、ファラージャが自分の肩を見た。
 うぞうぞ、と断面の蟲が戸惑ったように指を肩から直接生やしている。
 本来起こるべき蟲の危機に際した反応が起きずに、肩の再生が一時的に阻害されたのだ。
「――ふぅ。これで倒せるというわけかな?」
 炎弾。カルブンクルスが溶解させたのを見て、UNKNOWNはやや安堵したように銃をくるりと回転させた。
 彼がもたらし、彼女が作り、彼女が使う。
 そしてその完成の全てを守り、今その支援を受けているのは“彼ら”。
 この生物にだけ使える、再生封じの超機械。
 名を冠してアルテミス。
「お‥‥な」
「お兄ちゃん!」
 残った腕を反射的に動かすファラージャに、セロリの声を受けた信人が走る。
「お前のそれは、違うぞファラージャ! 一緒に居たいから同じ存在になるのでは、いつまでも孤独だろう!」
「黙れ!!」
 盾に叩き込まれる杭。生じた亀裂に引っ掛けられた爪がばらばらに破砕する。
「黙らん。俺は、あいつらの代わりに血反吐を吐くんだ! 未来を守る為に! ――セロリ!!」
 翻して逆手に持った刀を突き刺す。
 動きの止まったファラージャへ、一直線に緑の閃光が飛び込んだ。
 ばしゃり。
 小さな粒を、いくつも潰すような音。黒い水。
「‥‥ごめん。でも、負けるわけにはいかないんです」
 上半身が、べちゃりと下に落ちた。もぞもぞと、ファラージャは蠢く。この期に及んで尚、まだ息の根は絶えていない。
 行く先は横倒しになった護送車。そこには、芋虫のように這う少年が居た。瓦礫で轡を切って、這い蹲る少女をその目で見ている。
「‥‥皆、僕には優しくてさ」
 最早、ファラージャに何かする余力があるようには見えない。
 それでもソールに近寄ろうとする少女に、万一のことがあってはならないと彼らは走り寄る。
 違うから。
 彼らと彼女は。
 だから、大事にするものを、選ばなくてはならない。
「でも、僕にはね。ダメだよ。この復讐を終えて、生きるだけの欲がもうないんだ。僕はもう、自分の為に生きたくないんだよ。
 だから‥‥最後に、僕の為じゃなくて。自分の為に僕を欲してくれる君の為に、一緒に死んであげたかったんだ。僕の幸せの為じゃなくて、自分の幸せの為に僕を欲してくれる君になら、命をあげてもよかった。
 だけど‥‥無理みたい」
 誰かの攻撃を受けて、ファラージャは腕を宙に泳がせて。
 何も掴めずに、腕を落とした。
「さようなら。――アイしていたよ。ファラージャ」

 雨が上がる。曇り空は、未だ晴れない。
 仲間の身を案じながらアルテミスを駆動させるルーナの目の前で、蝶が一羽、雨に濡れて地に落ちた。