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■オープニング本文 朱藩の首都、安州。 海岸線に面するこの街には飛空船の駐屯基地がある。 開国と同時期に飛空船駐屯地が建設された事により、国外との往来が爆発的に増えた。それはまだ留まる事を知らず、日々多くの旅人が安州を訪れる。 そんな安州に、一階が飯処、二階が宿屋になっている『満腹屋』はあった。 バレンタインデーとは女性から男性へと好意を込めてチョコレートを手渡す催しである。 ジルベリア発祥なのだが、少しずつ天儀各国でも広まり始めている。とはいえチョコレートの入手難もあってか誰もが知るものとはなっていない。 満腹屋の娘、智塚光奈は今日も姉の鏡子と一緒に飯処を手伝っていた。 (「チョコをあげるなんて‥‥もったいないのです〜」) 食いしん坊の光奈にとってなかなか手に入らない美味しいチョコレートは自分で食べるべきもの。贈り物にするなんてとんでもないと心に秘める。光奈も乙女のお年頃なのだが。 女友達に喋ったらおそらく非難囂々であろう。チョコレートで意中の相手の心を射止められたのなら安いものだと口にするに違いない。 (「きっと、お姉ちゃんも理解してくれないのですよ」) 入手したチョコレートを身内にすら内緒にするつもりはなかったが、話したら何かいわれそうだと光奈は口を噤んでいた。しかし休憩時、ふとしたことで棚に隠しておいたチョコレートを鏡子に見つけられてしまう。 鏡子に問いただされて本心を話す光奈。怒られると感じて目を瞑ったが、しばらく待っても何事も起こらなかった。 光奈が恐る恐る瞼を開けてみる。 「わかるわ、光奈さんのその気持ち、よーくわかるわ」 「へ?」 両親と姉用にチョコレートを小分けしておいたおかげで誤解されることはなかった。鏡子はジルベリア風の料理が好物。チョコレートも当然大好きだ。 「とってもいいものあげるアル」 数日後、そんな智塚姉妹にお誘いがかかった。満腹屋常連の交易商人・旅泰の呂からある木札をもらったのである。 それは秘密結社『蜂蜜の清流』への招待状。世に隠された社交場であり、甘党にとっては桃源郷らしい。ロッジと呼ばれる隠れ家は神楽の都のどこかにあるという。 「うむ〜。なんだか怖いのですよ」 「そうね。呂さんの推薦だから大丈夫とは思うのだけど‥‥」 悩んだ末、智塚姉妹は開拓者達に同行してもらおうと考える。木札には一枚で十名まで入場が可能だと記されてあったからだ。 あくまで今回限りの立ち入り許可であり、正式会員になるには試験を通過しなければならないらしい。 ちなみに今月の基本食材はバレンタインデーにちなんだせいかチョコレート。用意される料理、お菓子はチョコレート尽くしになるだろうと呂はいっていた。 集会の日は一週間後。光奈はさっそく開拓者ギルドで手続きを済ませるのだった。 |
■参加者一覧
Kyrie(ib5916)
23歳・男・陰
日依朶 美織(ib8043)
13歳・男・シ
八塚 小萩(ib9778)
10歳・女・武
アリエル・プレスコット(ib9825)
12歳・女・魔 |
■リプレイ本文 ●行き先は (「今はどの辺りを走っているのでしょうか。それにしても‥‥ああ、早く食べたい!」) Kyrie(ib5916)は馬車に揺られながら心の中で叫んだ。 つけられた眼帯と耳当てのせいで辺りを正確に窺い知ることは出来ない状態。腹時計ではそろそろ一時間が過ぎようとしていた。 待ち合わせ時、路地裏で智塚姉妹と一緒にいるとどこからか声が聞こえきて、近くに隠してあった目隠しと耳栓を身につけるよう指示される。言うとおりにすると誰かに後ろから背中を押された。そしてこの馬車に乗せられたのである。 (「先生‥‥」) 日依朶 美織(ib8043)は乗車前に発動させていた超越聴覚が切れて不安を募らせていた。 白粉の匂いでKyrieが座る位置は手に取るようにわかった。そっと手を伸ばすとたまたまKyrieの手を重なり合う。引っ込めようとしたものの、今日ばかりはと元に戻す。不安なのを察してくれたようでKyrieの手もそのまま。おかげで日依朶は安心を取り戻した。 (「このままうっかりバランスを崩した事にして‥先生に抱き付いて‥その、キスしたら‥‥」) 心にゆとりが出来ると人は想像力を働かせるものである。日依朶も例外ではない。 (「あああ! そんないけません! ふしだらです!」) 妄想で顔を真っ赤にして、いやいやと身悶える日依朶であった。 ちなみに待ち合わせ場所前に満腹屋へと集合した際、Kyrieが日依朶を全員に紹介している。『彼』は日依朶美織という名であり、自分の家に住み込みで巫女の修業をしているのだと。 別の座席でも様々なやり取りがある。 「何かあれば守る故、心配はいらぬぞ」 右に身体を傾けた八塚 小萩(ib9778)が呟いた。そして今度は左に傾けて同じように囁く。相手が栓をしていても耳元まで近づけば声は届くものである。 八塚小萩の向かい席にはアリエル・プレスコット(ib9825)が腰掛けていた。 (「小萩ちゃん、いるの‥? ‥‥怖くなってきちゃった‥。小萩ちゃあん‥‥」) アリエルは見えない聞こえない状態に我慢しきれなくなってきた。すると突然、隣りに気配を感じる。 (「あ‥小萩ちゃんだ‥っ」) 恐る恐る手探りで確かめると八塚小萩だとわかった。親友が怖がっているのを察して見えない状態だというのに席を移動してくれたようだ。思わず抱きついてすりすりしていると落ち着いてくる。 (「そういえば昨日から何も食べてなかったです‥。折角だしチョコ沢山食べたいです‥‥」) 安心したのかアリエルは眠くなってくる。八塚小萩に頭を撫でられているうちに、やがて夢の中へ。 アリエルが目覚めたとき、馬車は秘密結社『蜂蜜の清流』のロッジへと到着していた。 ●チョコレート尽くし 一行は仮面をした黒ずくめの案内によって地下らしき狭い石組通路を進んだ。頼りは案内人が持つランタンの灯りのみ。 「今って昼間のはずなのです‥‥」 「光奈さん、足下に気をつけて」 智塚姉妹は寄り添いながら歩く。日依朶はKyrieと。アリエルは八塚小萩と一緒に。 装飾華美な扉の前には二名の番人が立っていた。案内人の指示で扉が開かれると目映いばかりの光に溢れた広間が現れる。 「こちらで御座います。どうぞごゆるりと」 案内人のいわれるがままに広間へと足を踏み入れた一行は、しばらく無言で立ち尽くした。 宴は立食式で行われており、チョコレートを中心にした料理が多数並んでいる。集まっている人々は様々な格好だ。特に金持ちの集まりといった印象はなかったが、礼儀正しさは感じられる。 (「そういうことなのね‥‥」) 鏡子は気づいた。 光と音を遮断されて馬車に乗せられ、真っ暗な通路を通ってきたのは演出。現実から切り離されて夢の世界に辿り着くための儀式なのだと。 「きたアルね〜」 智塚姉妹を見つけた呂が声をかけてきた。 「呂さん、お招きありがとなのです☆」 「楽しませて頂きますわ」 智塚姉妹は礼をいう。そして一緒に訪れた開拓者達を呂に紹介する。 少しお喋りしたあとで呂が商談相手を見つけて去ってゆく。さすがは交易商人の旅泰。どんなときにでも商いを忘れない。おそらく蜂蜜の清流に入った理由も算盤を弾いた結果であろう。 「それでは美味しく頂くのですよ〜♪ 実は今朝、ご飯を抜いてきたのです☆」 「恥ずかしながら私も」 智塚姉妹はチョコレートをお腹一杯食べるつもりで朝食を抜いてきたという。 「私なぞ三日前から何も食べていません! チョコを鱈腹食べる為に絶食を‥‥あっ‥‥」 「ああ、先生しっかり!」 くらくらと立ちくらみを起こしたKyrieを小柄な日依朶が両腕を伸ばして懸命に支える。 「もう‥だから少しは食べないといけないって言ったじゃないですか‥」 「すまない。もう大丈夫ですから。それでは‥‥いざ出陣です」 Kyrieは小言に構わず日依朶の手を引き、チョコレートを求めて円卓へと近寄るのであった。入れ替わりになるように八塚小萩とアリエルが智塚姉妹へと近づく。 「聞いておったぞ。鏡子と光奈も腹を空かせてきたようじゃが、我も一昨日から何も喰わずに来たからの。アリエルも飯を抜いたと聞いておるが」 八塚小萩はぐぅ〜と腹の虫を鳴らす。 「わ、私も昨日から何も食べてないです‥折角だし、沢山食べたいですから‥」 アリエルは赤くした顔をさらに真っ赤にしながら吐露する。 「うっ! みんなすごいのですよ。わたしももっとペコペコにしてくればよかったのです〜」 「光奈さんなら、それでちょうどよいかも知れなくてよ。‥‥元々食いしん坊だし」 四人は笑ったあとでKyrieと日依朶が待つ円卓へと移動する。 「おおおお‥大きなチョコケーキに‥‥チョコチップクッキー‥まさにチョコパラダイ‥‥こっちはナッツ入りチョコレートですね‥‥。まだまだ色々ありますね! 素晴らしい!」 Kyrieが瞳を潤ませて感動している横で、日依朶は一生懸命に大皿から小皿へとチョコレート菓子を取り分ける。 「これは以前先生に作り方を教えて頂いたチーズフォンデュに似ています。いえ、チョコですからチョコレートフォンデュというべきでしょうか?」 「そうですね。この賽の目のパンをフォークに刺してチョコを絡めて頂くとよいはずです」 幸せそうにチョコレート菓子を食べるKyrieのすぐ側で日依朶はフォンデュに挑戦した。溶けたチョコレートの海へとパンを潜らせてパクっと頂く。 日依朶のとろけそうな表情を見て、ケーキを一つ食べ終わったばかりのKyrieもフォンデュに挑んだ。 「これは‥‥喩えようもなく贅沢です‥‥。ああ、ずっとこうしていたい‥‥」 「私もそうです‥」 二人並んで喜びの表情を浮かべるKyrieと日依朶。 「このクッキーをフォンデュしたのも美味しいですよ、食べてみてください♪」 日依朶がKyrieの口元までフォークを持ち上げると食べてくれた。 (「やっちゃったやっちゃった、あーんして食べてもらっちゃった♪」) 日依朶は満面の笑みを浮かべる。 「次はどれを‥‥これは!」 Kyrieはさりげなく置かれてあった皿に目を留めた。 「どうかしたのです?」 チョコレートフォンデュを堪能していた光奈が気がつく。Kyrieはわなわなと震えていた。 「これはバクラヴァと呼ばれるアル・カマルのお菓子です。フィロ生地にバターを塗り、胡桃やナッツを挟み焼き上げ濃厚なシロップをかけたものです。生地は何層にもなり、大変手間のかかるスイーツです。強烈な甘さが特徴で‥私の大好物です! チョコ味のバクラヴァを食べられるなんて‥‥幸せです! 夢の様です! ああ!」 バクラヴァを語る時のKyrieは非常に饒舌である。 「どれどれ? おお、層のおかげでさくさくした食感ですよ!」 「ああっ‥‥!」 光奈に先を越されてKyrieは涙目に。だがすぐに皿にとって一口食べるとそんなこともすぐに忘れる。 (「ひたすら食べ続けて全て腹に収めます!」) Kyrieも完全にチョコレートパラダイスの住人といえた。 八塚小萩とアリエルもチョコレートの虜となっていた。しかしその様はとても対照的である。 「うみゃい! うみゃいのじゃあああ! うまうま! いぇええええい!」 食べ続ける八塚小萩の両頬の膨らみがしぼむことはない。 「ああ‥美味しいですねっ。名前がチョコの文字で書いてあります‥。ざ、ザッ‥ハトルテ?」 アリエルは厳かに小さな口でチョコレートケーキを行儀良く頂いた。 智塚姉妹の様子もそのような感じだ。光奈は大胆に、鏡子はゆっくりと味わいながらチョコレートを口元へ運ぶ。 「光奈、これは汁粉かの?」 「似てるのですよ〜。でも香りが違うのです」 八塚小萩は給仕によって運ばれてきたジルベリア製のお椀の中身を覗き込む。光奈は思いっきり顔を近づけてみた。 さっそく食べてみた八塚小萩は頬を抑えてぷるぷると震えた。 「‥‥おおお! 餡子の代わりにチョコが使ってある! それどころか、餅の中にも溶けたチョコが入っておるぞ! 最高じゃ! アリエルも食え!」 八塚小萩に勧められてアリエルも椀を手に。 「美味しいです‥‥。ちょうどよい甘さ加減で‥」 アリエルは八塚小萩としばらく談笑した後で隣にいた鏡子にも話しかける。 「これ、お店で作ってみてはいかがですか? チョコ汁粉なんていいですよね」 「本当、美味しいわ〜♪ お餅とチョコレートって合うのね」 引っ込み思案のアリエルだがチョコレートの美味しさに高揚したのか、光奈や鏡子と気軽に歓談する。やがて新たに運ばれてきたチョコレートの香りが気になって一粒頂いた。 「これ、オリーブオイルチョコですね‥。私、依頼でオリーブオイルの販売や生産に関わった事があるんです‥‥。もしかして、希儀産かな?」 アリエルはこの香りと味はまさしくオリーブオイルチョコレートだと断言する。それを聞いてKyrieも一口。 「興味深い味ですね。これは‥‥!」 Kyrieが両腕を広げて感動を表す。Kyrieの上機嫌は留まるところを知らない。 次々とチョコレートのお菓子が運ばれてくる。甘すぎず、かといって物足りなくならない素晴らしい味加減に光奈は感嘆する。その感想は誰もが思っていたことだろう。 「んっ、中のクリームは珈琲風味です」 「へぇ、どれどれ」 アリエルと八塚小萩はエクレアに頂いた。 「チョコとのハーモニーが絶妙です♪ ‥‥小萩ちゃん、口の周りが凄い事になってるよ」 微笑むアリエルに八塚小萩は口の周りをハンカチで拭いてもらう。 「まだじゃ! まだ満足せぬ! もっとチョコを食べるのじゃあああ!! ドリンクも甘くて最高じゃ!」 何かをきっかけにして塚小萩は覚悟を決めたようだ。胃袋がはち切れんばかりに食べてやろうと。チョコレートドリンクを片手に吠える。 「チョコレートドリンク、暖かいのも冷たいのも両方用意してあるんですね♪ 美味しい‥。小萩ちゃん、飲み過ぎるとまた夜中にやっちゃうよ?」 アリエルは言葉を選んで八塚小萩に注意を促す。 「‥飲み過ぎて夜中に粗相? 構わん! 今は甘味を味わうのが先決じゃ! ふはははは!」 せっかくの八塚小萩の心遣いもアリエルには効かなかった。『あはは‥』と乾いた笑いをあげたあとでアリエルはチョコレートドリンクをストローで啜る。 食べても食べてもチョコレートは沸き上がる。絶えることなく常にテーブルに並び続けた。 (「秘密結社『蜂蜜の清流』、恐るべしなのです〜。これほどのチョコレートをどこから仕入れているのやら‥‥」) 光奈はその経済力に驚きを禁じ得なかった。 一見しただけではジルベリアの趣が感じられるものの、泰国も深く関わっているのだろう。泰国はチョコレートの原料となるカカオ豆の産地でもある。 とはいえ呂から今月の主題がチョコレートだとは聞かされている。蜂蜜の清流の謎は闇の奥深くだ。 「あと一個ぐらいは‥‥‥‥グッ」 「せ、先生!」 幸せ気分の日依朶が突如青ざめる。隣でチョコレートを食べ続けていたKyrieが突然動かなくなったのだ。 理由は簡単。食べ過ぎ。喉を詰まらせてはいないので命に別状はなさそうである。日依朶が付き添って横になれる別室へと運ばれた。 「うっ!」 「小萩ちゃん‥?」 次に倒れたのは八塚小萩。アリエルが付き添って同じく別室へ。 「これぐらい平気‥‥なので‥‥す‥‥」 「み、光奈さん?」 Kyrieと八塚小萩に続いて光奈もダウン。鏡子が肩を貸して別室へと向かう。 全員が別室に入ってしばらくすると給仕が珈琲と紅茶を運んできてくれた。それを飲みながら介抱しているとやがて瞼が落ちる。 「ここは‥‥どこなのです?」 光奈が波音で目覚めたとき、そこは見知らぬ小屋の中だった。一緒にチョコレートを食べた仲間も近くの藁の上で寝ている。 外に出てみると砂浜と海。後ろを振り返れば安州の街並みが広がっていた。 ●夢幻の如く 夢の中に引き込まれ、そして目が覚めるが如くの秘密結社『蜂蜜の清流』への訪問は終わりを告げた。 数日後に再会した呂に智塚姉妹が訊ねてみたところ、まったく身に覚えがないという。 彼が嘘をついているのか、それとも偽者だったのかはわからない。ただ智塚姉妹はこれ以上の追求をやめた。そういうことにした方がよいのだと勘が働いたのである。 置き去りにされた小屋からは場違いなオリーブオイルが発見される。そこで土産として全員で分配することに。チョコレートでないのは何かを暗示しているのだろう。 「なんだか不思議な体験でしたが‥‥あのチョコレート菓子の美味しさは本物でしたわ」 「お姉ちゃん、同感なのですよ」 ふとした時、智塚姉妹は何度も蜂蜜の清流を話題にするのであった。 |