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■オープニング本文 ●貫いた思いの後、ささやかな幸せ 壁に貼り付けたようにびっしりと並べられた小さな沢山の棚。薬の入った薬棚を一つ一つ引き出して、中身を確認する。 「沙紀(さき)、十二番と二十七番、三十五番が残り少ない」 「はい」 棚の中身を順に覗いている青年の声に応えて、彼の傍で帳面と筆を手にした女性が筆を動かす。次に仕入れる薬をひかえているのだ。 「四番と二十一番を調合すると、九番と十五番、三十一番と四十番、も無くなる」 「はい」 薬棚に向かいつつ言葉を紡ぐ青年を一瞬見上げ、沙紀と呼ばれた女性は一度嬉しそうに微笑んで、そして再び帳面へと視線を落とした。 「沙紀」 「はい?」 「休憩しようか」 沙紀が帳面から顔を上げると、目の前にしゃがんだ青年の顔があった。 青年の顔にもまた彼女と同じように、嬉しそうな笑顔が浮かんでいた。 ●この男はやっぱり鈍いのか? 煉矢(れんや)は幼い頃にアヤカシによって両親を失い、同じくアヤカシによって子供を失った薬師に奉公するという形で引き取られた。跡継ぎとして一人前になったら、店を任せるといわれている。だが十八になった今も、煉矢はまだ見習いのままだ。 それでも彼と共にいる、そう決意したのは幼馴染の沙紀である。彼女は煉矢が生まれた村の村長の娘であり、連絡が途絶えても彼を待ち続けていた健気な娘だ。彼を連れてきてくれた開拓者達のおかげでこうして数日おきに町に出てきて煉矢の手伝いをし、そしてこの家に泊めて貰う。そして数日経ったらまた村に戻る、を繰り返している。それには理由があった。 「村長は、やっぱり許してくれないんだな」 「‥‥許せない、というのとは少し違うと思うけどね」 縁側に腰をかけて青空を見上げた煉矢の隣で、正座した沙紀は冷茶の入った湯飲みを載せた盆に、軽く触れた。 「だって、この間煉矢が戻ってきたとき‥‥私の次に喜んだのは、お父さんだと思うし」 一時期実の息子の様に思っていた青年が戻ってきたのだ。喜びは大きい。だが音信不通という不義理をした期間が、村長の胸の中にはまだあるようで。 「やっぱり俺がまだ一人前じゃないからかなー」 煉矢を育てた薬師、義理の父であり師匠でもあるその人は、未だ彼を一人前と認めてはくれない。仕事は色々とやらせてもらっているが、一度も店を任せてもいいとかお前はもう一人前だとか言われた事が無かった――そういう、言葉でもってして確証を与えてはくれていなかった。 「前より重要な仕事を任せてくれる機会は多くなったけど」 「煉矢は頑張ってるよ。私に『普通の』手紙をくれる暇も無いくらいに、ね」 沙紀が悪戯っぽく強調したのは、彼が数年ぶりに書いた彼女宛の手紙が普通じゃなかったからで。開拓者の手によって破られた手紙――後からその手紙の事を聞いた沙紀は、めをまるくしたものだ。自分はずっと待っていたのに、と。 「いっそのこと、私‥‥村に帰らずにこのままここに住むのもいいかなって」 「えぇっ!?」 「村の人達は、私がずっと煉矢の事を思って結婚しないで居たことを知っているし。勿論、お母さんもわかってくれると――」 「まて!」 次々と紡がれる沙紀の言葉に、煉矢は縁側に下ろしていた脚を板張りの上で胡坐に組み、そして真正面から沙紀の肩をしっかり掴んだ。 「早まるな。沙紀の気持ちは解る。俺だって沙紀とずっと一緒にいれたら幸せだ。けど、これまで不義理をしてしまった分、やっぱりしっかり村長には認めてもらいたい、俺の誠意を見せて」 「――うん‥‥」 真剣な煉矢の瞳に気おされるようにして沙紀は頷いた。 男としてしっかりけじめをつけたいという気持ちはわかる。 けれども彼はわかっているのだろうか。 沙紀はもう、八年間待ち続けたのだ。これ以上待つということが、彼女にとってどんな意味であるのかを。彼女が、どんな気持ちで家出まがいの事をしようなどと口に出したのかを。 ●花婿の試練 「うがー」 すぱこーんっ! 数日後。開拓者ギルドの机に突っ伏して奇声を上げている煉矢の姿を見た顔なじみの受付員が、丸めた紙束で彼の頭を叩いた。いい音だ。 「念願叶って沙紀ちゃんと半同棲状態の煉矢君は一体ここで何をしているのかしら?」 仕事の邪魔をしているなら追い出すわよ、そんな気迫を放ちながら受付員は彼を見下ろした。 「実は‥‥沙紀の父ちゃんに、沙紀を嫁にくれって言った」 「あらまあ‥‥。ついこの間までうじうじしてた煉矢君にしては上出来じゃない?」 「本当は師匠に一人前って認められてからにしたかったんだが‥‥沙紀がどうしても一緒に帰ってくれって言うんでついてったら、酒を勧められて‥‥で、気がついたらそういうことになってた」 「‥‥‥」 子供が出来たとかじゃ無くてよかったわよ、と心の中で呟きつつ、受付員はそれで、と話を促す。 「村長は、俺が試練を乗り越えられたら沙紀を嫁にくれるって言った。言ったんだけど‥‥うがー!!」 「だから叫ぶのはやめなさい。迷惑。で、その試練って?」 「村はずれにある祠に精霊様が祀ってあるんだ。その祠に入って、一番奥の部屋から子供の頃俺が自分で書いて奉納した札を取って来るようにって」 「なら、とってくれば?」 「簡単に出来るならもう行ってる」 確かに煉矢の言う通りだ。出来ないから彼はここにいるわけで。そういえば沙紀の姿が見えない。試練が済むまで自宅待機でも言い渡されたのだろう。 「祠の入り口に、大量の蛾のアヤカシが沸いてるらしくて、開拓者にその退治をお願いしつつ――退治を見届けろと」 「それなら依頼を出すわよ?」 受付員が筆を取ると、煉矢は青い顔をして、髪をぐしゃぐしゃと掻いた。 「俺は蝶とか蛾が怖いんだー!! 子供の頃な、その蛾の好きな植物の汁かなんかをべったりつけて遊んでたせいで、全身蛾に覆われてからもう‥‥うがー、あの親父め、それを知ってやがるからっ!!」 「花嫁の父、ねぇ‥‥」 憎くない相手でも、すんなり娘をやりたくない、そんなところなのだろう。受付員は紙に筆を走らせながら小さくため息をついた。 |
■参加者一覧
朝比奈 空(ia0086)
21歳・女・魔
六道 乖征(ia0271)
15歳・男・陰
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
虚祁 祀(ia0870)
17歳・女・志
相馬 玄蕃助(ia0925)
20歳・男・志
睡蓮(ia1156)
22歳・女・サ
嵩山 薫(ia1747)
33歳・女・泰
煉(ia1931)
14歳・男・志
吉田伊也(ia2045)
24歳・女・巫
橘 楓子(ia4243)
24歳・女・陰 |
■リプレイ本文 ● 集まった開拓者達は、煉矢を連れて問題の村外れにある祠へと向かった。燐粉対策として手ぬぐいを岩清水に湿らせて口元を覆ったり、蛾の数が多いために纏めて捕獲する投網を手にしたりと準備は万端だ。 「父親は娘が可愛い物ですからね‥‥ちょっとした意地悪でしょうか」 「悪戯にしてはキツ過ぎる‥‥」 「情けない男だねぇ‥‥その股についてるモノは飾りかい?」 呟いた朝比奈空(ia0086)の言葉を拾った煉矢をじろりと睨みつけ、橘楓子(ia4243)がキツい言葉を投げつけた。自分が情けないという自覚があるのかないのか、煉矢はぐぅ、と押し黙ってしまう。 「他人の恋路に口出しする趣味はありませんが‥‥待つ女というのは、他の男性から見れば健気で一層美しいもの。とっても庇護欲を誘うものなのです」 何か思うところがあるのか、吉田伊也(ia2045) はふ、と遠い目をして見せた。 「確かに沙紀は可愛い」 一気に元気になった煉矢は、なんだか論点がずれてる。 「はっきりと分かる形で誠意を示さないと、いつか奪われてしまいますよ」 「大丈夫だ、沙紀は八年待ってくれたんだ。他の男の元になんかいかないよ」 伊也の言葉にすっぱりはっきり言い切る煉矢。この自信はどこから来ているのか。何となく生暖かい空気が流れた。 「‥‥ん、気にしなくて良い‥‥見てるだけ‥‥」 視線を感じて振り返った煉矢に、六道乖征(ia0271)はこくりと頷いて。 「若いって本当に素敵なことよね。私も昔を想い出すわ」 ある意味煉矢のこの鈍感というかへたれた所も若さなのだろう、既婚者である嵩山薫(ia1747)は『色々な意味』をこめてそんな言葉を吐息と共に吐いた。 「‥‥あにうえ、からきいてたけど‥‥ここまで、じこちゅーなんて、おもわなかった、ね‥‥人のこと、かんがえてみて、ね?」 ぐさっ。 饅頭をはむはむしながら睡蓮(ia1156)が告げた言葉はちっとも甘くなかった。ちなみに彼女の兄は、以前煉矢が自分勝手に沙紀との決着をつけようとした時に彼を村までつれて行ったという経緯がある。 「けじめは悪くない事だし、そう思うからこそ沙紀も自分が待ったことを前面に出していわないんだと思う‥‥」 「『けじめをつけたい』気持ちは確かに同じ男子として分かりまする。が、そいつは沙紀殿にとっては酷に酷を重ねる事になる‥‥と言うのも、痛いほどに分かりまする」 虚祁祀(ia0870)と相馬玄蕃助(ia0925)の言葉を聞いた煉矢は、小さく首を傾げて「沙紀がどうしたって?」と一言。 「妻を娶った事はござらぬ故、分かり申さぬが‥‥やはり互いに相手の心を慮ってこその夫婦にござろう」 「俺は煉矢さんが最後まで逃げずに目的を果たすだろうと信じる‥‥が」 玄蕃助の言葉をいまいち理解していないような彼の姿を見て、羅喉丸(ia0347)の自信が少しだけ揺らぐ。 「俺に居場所をくれた大切な人達を守りたい。その為の力が欲しい。そう思い、俺は開拓者になった。‥‥あんたはどうなんだ?」 自分にも身寄りがなく、独りの時期があった。その部分は少し似ているかもしれないが、この鈍感さとへたれ具合までは似ているとは思いたくない――煉(ia1931)が尋ねる。 とりあえず今すぐに煉矢を正座させて説教したい者も居るに違いない。だがその気持ちを堪えて、一同は彼の答えを待った。 「俺はしっかりと手に技術をつけて認められる事、安定した収入を得ることが沙紀を幸せにする事だと思う。だから、一人前として認められるまで――」 言いたいことはわからないでもない。彼女を幸せにしたい、その気持ちはあるようだ。だが。 「それを自己満足って言うんだよ。彼女を愛しているなら、多少の危険を背負ってでも彼女の気持ちを察して男気を見せるとかしたらどうだい」 楓子の言葉に同意するかのようにいくつかのため息が聞こえる。だが当の煉矢は何故怒られるのか良くわかっていないようだった。 ● 「草はこれでいいのですね?」 「ああ、それをすりつぶして汁を出せば、蛾が寄ってくる筈だが‥‥アヤカシの蛾に効くのかは解らないぜ?」 煉矢が子供の頃に蛾を引き付けてしまった草の汁を使おうと考えた一行は、祠に向かう道すがらその草とやらを摘んでいた。空や薫らが煉矢と共に摘み取る。 「嫌な思い出のある草かもしれないが、蛾を引き寄せる為に必要なんだ」 「倒してもらう‥‥じゃ無くて、一緒に倒す‥‥」 羅喉丸と乖征にも草を渡されて、煉矢は眉根を寄せてそれを受け取った。 「蛾を誘引する事は作戦の必須事項ゆえ、重大な仕事にござる。薬師として腕の見せ所、実績にも成るのでは無いかな?」 作戦を手伝わせる事で自信をつけてもらおうと考えた一行。玄蕃助の一言に、煉矢は少し唸りつつも覚悟を決めたのか、荷物から取り出した乳鉢と乳棒で草をすりつぶし始めた。草独特の匂い混じって、何処かつーんとした匂いが辺りに広まる。 「普通の蛾も寄ってくるんだぜー。あー、もうっ」 「アヤカシよりはましだよ。少しは役に立ってもらわなきゃねぇ」 泣き出しそうな彼の姿を見て心底情けないと思いながら、楓子は布切れに汁を染み込ませていく。伊也は枝や草を丸めた物に染み込ませ、玄蕃助は投網に塗りつける。 「‥‥あ、アヤカシ‥‥よりさきにふつうの、がが‥‥」 「ぎやぁぁぁぁぁぁっ!」 投網に塗りつけるのを手伝っていた睡蓮の声を聞いて、煉矢が叫んで乳鉢と乳棒を落す。祀がそれを拾い、煉が「落ち着け」と多少イライラを含んだ声で彼を座らせた。 子供の頃の嫌な思い出は引きずるものだというが、あまりの酷さになんともいえぬ視線が開拓者達から注がれたのであった。 ● 視線の先には木々が開けた場所がある。だが開けたように感じないのは五十匹近い蛾がその空間を浮遊しているからだろう。一面、ふよふよとなんともいえぬ色の蛾が飛び回っている。じっと見ていると、蛾が嫌いでなくても辟易しそうだった。 楓子や伊也が草の汁を染み込ませた球体を投げる。蛾達は突然投げ込まれたその物体に多少は興味を示したものの、それよりもその物体の飛んできた先に居る極上の餌――人間達に目をつけるものが多かった。何匹かは球に群がっているが、こちらに向かってくるものが多いのも事実。 「やはり、アヤカシにとって一番の餌は人間だという事でしょうか」 伊也が下がり、投網を持った玄蕃助と睡蓮が十匹程ずつ蛾を捕らえる。羅喉丸が燐粉対策として蛾に水をかけ、そのまま前衛へと立って飛手を振るう。 「拳の道は剣にも通ず。嵩山の剣舞、見せてあげるわ」 薫も前に出て、投網に捕まらなかった蝶を二刀の剣で切り裂いていく。 「‥‥虫は群れてさえいなかったら怖くない‥‥細切れにする‥‥」 後方から勢いつけて飛んでくる敵には乖征が霊魂砲を放ち、空が力の歪みに巻き込む。「歪みの力よ‥‥敵を滅せ」 「数が多いのが厄介だけれど‥‥」 祀は一匹一匹突くようにして攻撃をし、確実に数を減らしていく事を選んだ。 一匹一匹の攻撃力は弱く、それほど深刻な傷を負う事は少なかったが、傷を負えば空と伊也が順に癒していく。 「あみからは、でられないみたい‥‥いくよ‥‥」 蛾が投網から出られずにばたばたともがいているのを確認し、睡蓮は囮として最前衛へと出る。 「人に寄ってくるならば、血にも寄ってくるだろう」 玄蕃助は何を思ったのか前衛で剣を振るう薫の傍に移動し、そしてその豊満な肢体を視界に捕らえると―― 「人妻? 子持ち!? お若く見えるが‥‥しかし、それはそれで。いや、むしろそれが良い!!」 ぶがっと鼻から盛大に血を吹き出し、顔面を朱に染める。鼻血の貯蔵量には自信がある‥‥らしい。 「蛾がいっぱい‥‥いっぱい‥‥ってあの人大丈夫なのか?」 大量の蛾を見て頭を抱えていた煉矢が、思わず問い返すほどである。 「あんたよりは大丈夫なんじゃないかい? ほら、来たよ」 楓子がふよふよと後衛の彼女達を狙って飛んできた蛾に砕魂符を放つ。 「ぎゃぁぁぁぁ、きたぁぁぁぁ!」 頭を抱えてしゃがみこんだ煉矢の声を聞いて、睡蓮を狙っていた蛾を斬り捨てた煉がイラっとしたように振り返った。 「‥‥縛っといていいか?」 それは冗談なのか本気なのか、だが誰も不可とは言わないところがなんとも。 「行きましょう」 「ああ」 薫は自身のせいで(?)鼻血を出した玄蕃助に、なんともいえぬ笑みを浮かべて近づき、羅喉丸と共に群がる蛾を一匹ずつ滅していく。玄蕃助は盾役兼引き付け役となりつつ、仲間の邪魔にならないように注意して槍を振るう。 同じく睡蓮も防御に徹しながら蛾を引き付けていた。祀と煉が協力して睡蓮に纏わりつく蛾を退治していく。 とにかく、数が多い。網からも囮からも逃れた蛾は乖征や空、楓子が術で落としていった。伊也は襲い来る蛾を避けつつ、飛手を叩き込む。段々と数は減っているのだが、それでも相手は多い。攻撃力がそれほど高くないのが幸いしてか、回復役の伊也や空も合間に攻撃する事が出来た。 「これで、おわり‥‥?」 睡蓮が踏み込んで二刀の元に蛾を斬り捨てる。振り返れば玄蕃助に群がっていた蛾達も薫と羅喉丸の手によって滅せられていた。 「‥‥後は‥‥網の中と‥‥」 「洞窟の中ですね」 乖征が網の中に居る蛾達を見下ろし、祀がゆっくりと二つの投網へと近づいてくる。 「さて、退治と行きましょうか。これなら手も汚れませんね」 伊也がどこから持ってきたのか、木の棒をすっと取り出して網の中の蛾を滅多打ちにし始めた。うっすら笑いながら――。 「‥‥蛾より、怖いかもしれねぇ‥‥」 煉矢がぽつり、呟いた。そんな彼に近づいてきたのは煉。煉矢の手を取り、そして刀を握らせてもう一つの投網に連れて行く。薫や羅喉丸、乖征や楓子が網の中の蛾を一匹一匹退治しているところだった。 伊也が手をかけている投網の方は玄蕃助や睡蓮、空や祀が投網の中の蛾を減らし、そして最後に伊也が火をつけて燃やしていた。ふふ、と笑いながら。 投網で捕らえた生き物をいたぶっている様は普通に考えれば弱いものいじめだが、相手はアヤカシ。容赦はいらない。 「‥‥どうした? あんたは自分可愛さに、この程度の事も出来ないのか?」 煉に刀を握らされ、投網の近くに連れて行かれた煉矢の目の前には、網の下で片羽根をなくしてピクピクと動いている一匹の蛾が。あえて一匹残しておいたのだ。 「自分可愛さって‥‥」 「言い訳はいらないよ」 何か言おうとした煉矢の言葉を、楓子がぴしゃりと遮る。覚悟を決めたのか、煉矢は柄を両手で握り、目を閉じてそのまま突きおろした。 ぐしゃっ。 刃は蛾の身体を捕らえ、そしてそれは息絶えた。 ● 玄蕃助や煉、祀の心眼で祠内に数匹の生命反応を察知できたため、注意して祠へと進入。羅喉丸と伊也の松明を頼りに進む中、奥の部屋に辿り着く前に残りの蛾を全て退治することが出来た。十人の開拓者が祠内で獲物を振るうのは少し狭くて大変な部分もあったが、そこは小回りの効く者達が率先して蛾の相手をし、長物を持つ者達は仲間の動きを阻害しないようにと気を配る。それで事足りる。 「これだ」 煉矢が子供の頃奉納したお札というのはお札というより願い事を書いただけの板切れだった。けれどもそこに書かれていた言葉には、色あせぬ想いが感じられた。 『さきとずっといっしょにいられますように』 ● 治療を終え、一同は札を持った煉矢と共に村へと向かった。道すがら、歩く速度を落とした煉が煉矢に並ぶ。 「‥‥酔った勢いで交わした約束に、どれ程の価値がある? 一生懸命なのは良いが‥‥周りも見るべきじゃないか?」 煉矢にとって肝心なのは恐らく、自分の為ではなく沙紀の為を考え行動する力と周りを見る力だと煉は思う。 「相手の為に気持ちを貫くのは恋。互いの為に気持ちを支え合うことが、愛と呼べるのではなくて?」 自分の気持ちにばかり目を奪われずに、肝心の彼女自身の気持ち見失ってはならないと薫も諭す。 「それに酒の勢いだけで事を進めると後悔‥‥とまではいかずとも、後々色んな無理が生じて頭を抱える羽目になるわよ?」 こちらは経験談‥‥というか、過去に色々在ったようだ。 「沙紀さんのお父さんも、酔った勢いで結婚の申し込みまでさせるつもりはなかったんじゃないですかね」 「ただ煉矢殿にもう少し沙紀殿のことを考えてもらいたかっただけかもしれぬな」 先を行く伊也と玄蕃助が振り返り。 「‥‥家族もって、養って頑張るのも一人前には必要‥‥言葉じゃなくて、行動で‥‥今回一緒に仕事やって、実感できたと思う‥‥」 「覚悟を決めるべきではないかな。あなたの思いは、誓った言葉は、この程度のことに揺らぐほど軽いものだったのかな」 後ろから声をかけてきた乖征と羅喉丸の言葉を受けて、煉矢はぎゅっと拳を握った。 「俺‥‥また間違ってたのかな」 「漸く気づいたのかい、遅いよ」 「きづいただけ、ましだとおもう‥‥」 楓子の言葉を睡蓮がフォロー‥‥フォローになってない気もするけれど。 「アンタみたいな男を好きになってくれる女は貴重だよ? 精々幸せにしてあげるんだねぇ」 どんっ、と楓子が煉矢の背中を押し出した。その先には、村の入り口で心配そうに待っている沙紀の姿がある。 「沙紀」 「煉矢! 無事だったのね‥‥よかった。結婚なんて、いいの、煉矢が無事なら‥‥」 言いかけた沙紀の言葉を封じたのは祀。沙紀は八年、迎えに来るか解らない彼を待った。彼を失う位なら結婚なんてしなくてもと思っているに違いない。だからお節介かもしれないけどあえて。 「‥‥待つのも、尊重するのも大事だけど。言わないとわからない人には、きちんと言葉で伝えなきゃいけない。言えば分かるぐらいの甲斐性は、多分煉矢にもあるだろうから」 「!」 彼女の鋭い言葉に、沙紀は胸を突かれたように顔を上げて、そして覗うように煉矢の顔を見つめた。 「本当は、不安だったの。煉矢の傍に居られるだけで幸せなはずなのに、確固とした居場所がないことが不安で‥‥でも、私が欲張りになっているだけで、煉矢の重荷にはなりたくなくて」 「俺、沙紀ならいつまでも待っててくれると思ってた。ごめん、気づかなくて‥‥これからは、どんどん言って欲しい」 揺らぐ瞳で自分を見つめる沙紀の手を、煉矢はきゅっと握って。 「随分大きく出ましたけれど‥‥大丈夫でしょうか」 くす、口元に笑みを浮かべて空が言う。 「こんな世の中です‥‥彼らには幸せになってもらいたい物ですね」 「ん、勉強になった‥‥花婿‥‥んー、僕はまだ良く解んないけど、幸せそうなのは良いこと‥‥」 これから沙紀が言うようになったら煉矢は言われっぱなしだろうなぁと思いつつ乖征はこくり、頷く。 二人の前途は多難かもしれないけれど、それでも全ては睡蓮のこの言葉に集約される。 「お二人の、先に、幸あらんことを‥‥ね」 |