褌の鬼
マスター名:有坂参八
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/07/05 02:02



■オープニング本文

●怒る男
「ぬおおおおおおおおおーッ! あのアヤカシ共ッ! 絶対に、許さん!」
 男、八坂源六は怒り狂っていた。怒髪天を衝くとは正にこの様子か、激情のままに周囲のモノに当り散らしている。彼の舎弟達が必死に押さえ込もうとするが、源六は軽々彼らの手を振り払い、なおも暴れまわった。
 無理もない。彼の誇りが傷つけられているのだ。男の誇りが、踏みにじられているのだ。源六はその犯人である不躾な怪物達を憎み、しかし相手が相手であるために手も出せず、悔しさの極まる思いをしているのだ。
 自らの誇りを害する者達への、激しくも純然たる怒りが、叫びとなって街の蜥ハりに響き渡る。
「俺のふんどし! 俺の! ふんどしを! 返せぇぇぇーッ!」


●ことの起こり
 八坂源六は、褌(ふんどし)職人である。男が下着として使用する、褌‥‥その最高級品をこしらえる職人として、源六はその筋では一目置かれた存在だった。非常に怒りっぽいという欠点はあったものの、平時の気さくで面倒身のいい人柄と、何よりもその仕事ぶりから、周囲の信頼は厚かった。
 そんな彼が、、褌を卸しに隣町の問屋へと向かった道中、事件は起きた。

「ア‥‥アヤカシだ!」
 後ろについてきていた、数人の舎弟の内の、誰かが叫んだ。彼らが進んでいた街道の脇にある茂みから、大小入り交じった数匹の鬼の群れが、飛び出してきたのである。
 舎弟達はすぐに逃げ出した‥‥だが、源六はそうしなかった。彼は、これから問屋に納めに行く、大事な商品の褌を抱えている。大柄な源六の胸板と同じくらいの大きさのつづらにギッシリ詰め込まれた褌は、逃げる妨げとなる程度の重さはあった。
「源六の兄貴! そのつづらは置いていかないと、とても逃げ切れねぇ!」
「バカヤロウ、褌だぞ! こいつは俺の大事な商品だ! 置いて逃げるなんてこたァ‥‥」
「アヤカシが褌なんかどうにかしますかい!? 命あっての物種です、後でまた取りに来りゃいい!」
 ‥‥そんなやり取りがあって、源六はしぶしぶ、つづらをその場に置いて駆け出した。しばらく全力で走って、その場は逃げ延びた。問題は、その後である。
「ああっ! あああ〜〜〜っ!」
 今はすっかり遠くなった褌のつづらを振り返って、源六が悲嘆の叫びをあげた。鬼達が、源六の置いていった褌に群がっていたのだ。はじめ、鬼たちは褌をひっぱったり、振り回したりして弄んでいた。しかし、次第にソレを自分の体に巻き付けたりするようになり‥‥あろうことか、しまいには身につけ始めたのである!
 鬼達はぴっちりと褌を身につけると、互いの褌姿をを見せ合い、満足げに笑った‥‥ように見えた。

 源六は半狂乱になりながら褌を取り戻そうとしたが、舎弟たちが必死になって引き止め、ひとまずはその場を離れた。源六は志体など持たぬ一般人、いかに彼が大柄で勇猛果敢であっても、アヤカシ相手では分が悪い。そして源六は舎弟達に引きずられるようにして自分の家に戻り、現在に至る。
「クソッ、クソッ、あのアヤカシ共、よりによって俺の褌を!」
 しかし源六の怒りは収まらない。褌は、褌職人の源六にとって大事な商品であるだけでなく、彼にとっての生きがいそのものである。その褌をアヤカシに奪われた挙句、身につけられる事で、源六はかつてない屈辱を味わっていた。


●依頼
 そんな源六の様子を見て、これでは埒が明かないと、舎弟達は開拓者ギルドに駆け込んだ。早い所どうにかしなければ源六は、褌を取り戻そうとアヤカシの群れに突っ込んで行ってしまいかねない。
「隣町に行く途中、アヤカシに襲われまして‥‥ええ、それを退治してもらいたいのは勿論なんですが。それはとは別に、取り戻してもらいたいものがあって。鬼共に‥‥その、褌を、とられちまいまして。アイツら、何が気に入ったのか知りませんが、俺らが運んでた褌を履いちまってるんでさぁ‥‥できれば、それを無傷で取り返して貰いてえんです。俺らの兄貴分の大事な商品ですから、どうか、よろしく頼んます」
 褌、という単語に一瞬固まったギルドの受付係は、だが、まぁアヤカシが絡んだとなれば放っておくわけにも行くまいと、その依頼を受諾した。

 鬼達は今も、源六達を襲った小道に居座って、餌となる人間を探しているという。職人、源六の誇りたる褌を身に付け、ひらひらと風にはためかせながら‥‥。


■参加者一覧
紅鶸(ia0006
22歳・男・サ
犬神・彼方(ia0218
25歳・女・陰
相川・勝一(ia0675
12歳・男・サ
熊蔵醍醐(ia2422
30歳・男・志
 鈴 (ia2835
13歳・男・志
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
ベイル・アーレンス(ib2727
17歳・男・陰
朱鳳院 龍影(ib3148
25歳・女・弓


■リプレイ本文

●出発前
「ふむ、ふんどしをはいた鬼のう‥‥変わり者もいるもんじゃ」
 事情を聞いた朱鳳院 龍影(ib3148)は、その赤い瞳を、鬼のような形相の源六に向けてそう呟いた。今も源六の怒りは納まらぬものの、助けとなる開拓者達が来てくれたことで、多少は落ち着いているようだ。
「褌‥‥ねぇ。興味があるのはアヤカシだけだから如何でも良いと言えば如何でも良いが‥‥そうもいっていられないか」
 ベイル・アーレンス(ib2727)が、冷静な様子でそう語る。彼の興味は、褌よりもこれから繰り広げられる戦闘に向いていた。
「貴方がそうであるように、人にはそれぞれ己の心血を注ぐ物があるはず。例えそれが褌であっても不思議ではないですよ」
 ベイルにそう言ったのは紅鶸(ia0006)だ。態度は穏やかなれど、その瞳には、職人・源六とある意味でよく似た、熱い輝きがあった。
「分かっているさ、褌には気をつける」
 ベイルとて無分別に戦闘を望む訳ではない。それを聞いて紅鶸は、静かに頷く。
「源六さんの大切な物‥‥きっと取り返して見せましょう」

 紅鶸の言葉にそぉのとぉり、と声が続いて、犬神・彼方(ia0218)が源六に声をかける。
「ったく、人の生き甲斐とぉもいえるもんを穢すたぁ相変わらず腐った奴らじゃねぇか。‥‥必ずあの鬼共かぁら、大事な褌を取り戻してきてぇやるよ」
 独特の余裕を持った口ぶりで彼女がそう言うと、横に連れられた二人の少年が続いて頷く。その一人は相川・勝一(ia0675)だが、しかし彼の、少女の様に端正な顔は、複雑に歪んでいた。
「褌奪還と聞いて参加しましたけど、アヤカシは何故褌を‥‥というか何で参加したんだろう、僕‥‥」
 なにやら彼は、褌という言葉に不思議な引力を感じてやってきたようだ。ちょっと遠い目をして呆けたあと、はっと気づいて彼方と、 鈴 (ia2835)に声をかける。
「あ、お二人とも今回は頑張りましょうねっ」
 その言葉に、それまで大人しくしていた伏し目がちの少年、鈴は顔を上げ、勝一に言葉に頷いた。
「うん、頑張ろうね‥‥一緒に‥‥」
 そう述べる彼の表情には、義によって結ばれた家族達への、しかし子どもらしい絶対の信頼が現れている。勝一と彼方が一緒なら、きっと大丈夫。そんな感じだ。

 一方、源六を中心とした取り巻きから少し離れた場所で、ジークリンデ(ib0258)が、恥じらいに少しばかり目を伏せながら、呟いた。
「アヤカシは瘴気の塊ですのに、何故こんなところばかり生々しいのでしょうか‥‥いえ、褌に罪はないのですけれども」
 ジルベリアの令嬢である彼女が『褌』という単語を口にするだけで、強烈な違和感が場に生じる。
「鬼が褌、上等じゃねェか。ただ倒すだけじゃァつまらんてモンよ!」
 そうフォローするのは、ジークリンデとは対照的に褌がよく似合いそうな筋骨隆々の志士、熊蔵醍醐(ia2422)だ。
「鬼って言やァ、虎柄の腰布って相場が決まってる事だし、一つなかった事にしときますかァ!」
 これからの戦いに備え、醍醐は獲物の槍を手入れしながら、そう叫んだ。彼は鬼が褌を履いたという今回の話を、どちらかというと面白がっているようだった。

 各々、事件に対する反応は様々だったが、顔合わせと作戦会議も終わり、その方針は一つに固まったようだ。そして誰からともなく、出発の準備を始める。
 その一連の様子を見てふと何かに思い当たった源六は、出発の間際、開拓者達にこう告げた。
「‥‥餅は餅屋。褌は褌屋。そんならアヤカシ退治も本職に任せらぁ。俺の褌を、頼む」

●鬼の褌
 源六が褌を置き去りにした現場に、今も鬼達は徘徊していた。ギャッ、ギャッと笑い声らしき鳴き声をあげながら、愉快そうに駆け回っている。風になびく褌の白が、目に、眩しい。
「あれが鬼ですね‥‥本当に褌履いてますし」
「物好きなアヤカシもいたものだ、本当に」
 勝一が若干引いた顔をしている。逆にベイルは冷静に鬼達を観察していた。どうやら鬼達は、本当に全員が褌を着用しているようだ。それも、結び目こそ適当だが、概ね正しい方法で。
「アヤカシ共も、よほどアレを気に入ったんだろうかのう」
 龍影が鬼達の様子を眺めて、呑気にそんなコトを呟いた。

 遠目に鬼達と、褌のつづらの位置を確認した後、開拓者達は出発前に決めた手はずを確認しあった。褌を確実に回収するために、戦闘を行う殲滅班と、褌の回収を行う回収班に別れる。乱戦の中で褌を傷つけぬ様に、という開拓者達の配慮だった。
 まず殲滅班を彼方、勝一、醍醐、ジークリンデ、ベイルの五人。そして褌の回収班が紅鶸、鈴、龍影の三人という具合だ。

 殲滅班は回収班と別れ、鬼達からやや離れた位置に陣取った。
「職人にとってぇ作るものは命と同じぐらい大事さぁね‥‥それを横取りするなんざぁ言語道断、きっちりやらかした事の償ってもらわないとぉな」
 そう気合をいれた彼方も醍醐同様、槍を構えている。これも、鬼達が身に付けた褌を傷つけないための配慮だ。上半身を狙うのは勿論として、斬るよりは突いた方が、余計な傷をつけにくい。
 各々が準備を整えると、囮役の勝一が仮面をつけ、一団の先頭に立った。そして、大喝一声、咆哮する。
「相川・勝一、参る! 鬼ども! この俺が来た限りはもう好きにはさせん!」
 それを聞いた鬼達は、殲滅班のいる方角に目をやった。視線の先には、仁王立ちする勝一と、釣竿にくくりつけて掲げた『もふんどし』。鬼達をおびき寄せられないかとジークリンデが作った褌の旗だが、しかしこの構図だと勝一の旗印に見えかねない‥‥とは、あえて誰も言わなかった。
 だがそれが功を奏したか、鬼達は猛烈な勢いで殲滅班に向かって突進してきた。同時に、彼方、醍醐、ベイルが鬼達を阻む様に前に出る。戦闘が、始まった。

●回収班
「‥‥よし、行きましょう」
 鬼達がうまく陽動されたのを確認してから、紅鶸、鈴、龍影の回収班も駈け出した。紅鶸を先頭に、鬼達を避けて回りこむ様にして、つづらへと近づいていく。
 先に聞いていた通り、源六が置いていった褌のつづらの周りには、いくつかの褌が散乱している。三人はその回収を始めた。
「さっさと褌を回収して、父様の元へ‥‥」
 鈴は周囲を警戒しながら、手際よく褌を拾っていく。むこうからは、父と慕う彼方を始め、殲滅班が戦う音が聞こえてくる。いち早く褌を回収し、彼方達の援護に向かいたいようだ。
「ふむ、それほど酷く汚れておるわけでもないの」
 龍影の方は、褌を回収しながらその状態を確認していた。ぽんぽんと土を払い、褌が元あった、つづらの中に入れていく。
 布が限界まで詰め込まれたつづらはかなりの重さがあったため、最も力のある紅鶸がそれを抱えた。鈴と龍影は、褌を回収しながら、次々紅鶸の抱えるつづらに入れていく。十数枚の褌を拾って、一通りの回収は終わった。
「あとは、つづらを安全な場所に置けば‥‥」
「‥‥紅鶸さん」
 そのまま、つづらを戦場から遠ざけるつもりだった。しかし、鈴がはっとした表情で、紅鶸の裾を引っ張った。
 真っ赤な鬼が一匹、回収班の方へと駆け戻ってきたのである。その体に映える、白の褌をはためかせて。

●殲滅班
 一方、こちらは殲滅班。
 猛然と襲いかかってくる鬼を相手に、ベイルは少々柄悪く呟いた。
「あー、お楽しみの所ワリィんだけどよ。少し此方と遊んで貰おうか」
 そのまま一番手近な小鬼に、砕魂符を叩き込む。
「その身に宿る四十八神‥‥砕けろ‥‥!」
 小鬼は悲鳴をあげながら消え、あとには褌だけが残った。褌に傷がつかない、魂への直接攻撃‥‥だがそれは、褌への配慮というよりは、純粋に彼が持つ必殺の一手としての意味合いが強い。
「確かに、それならば褌は無事で済みますわね。では、私も‥‥」
 ベイルの戦う様子を見ながら、ジークリンデが後方で魔法を唱える。光り輝く矢が現れ、空を切り裂いて別の鬼へと突き刺さった。ホーリーアローと呼ばれる魔法である。
「アヤカシにのみ効果がある術ですので、褌に影響は無いものと存じますが‥‥一応、鬼の顔を狙うように致しましょう」
 そう言って、ジークリンデは鬼達を狙撃していく。輝く矢は、過たず鬼達の頭を貫いていった。

 一方、槍を携えた彼方と醍醐の二人は、並び立って前衛に壁を作っていた。鬼達は叫びを上げた勝一目指して突撃してくるので、それを迎え撃つ形となる。
「うぉりゃァッ!」
 醍醐が、雄叫びと共に槍を突き出し、手近の鬼の胸に突き刺す。
「褌の身につけ方なんて誰に教わったんだァ? ちょいと生意気だったりするんじゃないのかねェ!」
 槍を得意の獲物とする醍醐は、群がる大小の鬼達に相対して尚、正確に彼らの上半身だけを突いていった。褌は、傷ついていないはずだ。
 彼方の方は、勝一と連携を密にして戦う。親子とまで認め合う関係なだけあって、その息はピタリと合っている。
 咆哮を使って囮役となった勝一が、結果的に鬼達の集中攻撃を受け、敵から少し距離を取った。一度息をつき、額の汗を拭う。
「褌に当たらないように戦うのもなかなか大変だな、まったく」
「まぁ、守りつつ、守られつつ、やるこぉとだぁね」
 彼方がぽんと勝一の背中を叩いて、代わりに前に出る。勝一を追って踏み出て来た小鬼の顎を、式を宿した槍が、貫いた。
「術で強化されぇた一撃なぁら、少しは痛いだぁろ?」

 褌を傷つけないという制約はあったものの、開拓者達は各々の工夫で、比較的優勢に戦闘を進めていた。
 だが開拓者達は、鬼達の中に親分格とも言える、比較的賢い鬼が居た事には気づかなかった。陽動後の乱戦の中、鬼の細かい見分けなどつけがたい。
 その親分格の鬼は、戦いの中ふと我に帰って後ろを振り返り、自分たちの褌を持ち去ろうとする存在に気がついた。
 人も食べたいが褌も惜しい、そんな気持ちがあるかは判らないが、その鬼は怒りの声を上げ、回収班の方へと駈け出してしまった。

●決着
 周囲の警戒を怠らなかった鈴が、いち早く駆け寄る鬼を察知した。鬼は褌のつづらを抱えている紅鶸を狙って飛び掛ってくるが、紅鶸はかろうじてかわした。
「させない‥‥」
 鈴が斬りかかるも、鬼はすばしっこくそれをかわし、紅鶸につきまとった。
「ええい、小癪なっ!」
 龍影も弩を用いて援護しようとするものの、むしろ紅鶸と褌に誤射しそうで、中々狙いがつけられない。
「避けてんな!」
 埒が開かぬと足を止めた紅鶸は、つづらを抱えたまま、そう叫んだ。猿叫と呼ばれるその強烈な発声に驚き、鬼は一時的に動きを止める。その隙をついて、鈴と龍影が同時に攻撃をしかけて、ようやく致命打が当たる。
 その鬼の断末魔を最後に、辺りは静かになった。

 回収班が鬼を仕留めて、冷や汗を拭うと、殲滅班が駆け寄ってくる。どうやら、あちらも終わったようだ。
「‥‥父様っ」
「よぉくやった、ご苦労ぉさん」
 彼方が、駆け寄ってきた鈴を、勝一と共に労う。鈴は回収班をかってでながらも、彼方と離れるのが寂しかったようで、彼女にすりよっている。
「思ったより鬼も褌も多かったですが‥‥どうにか完遂できましたねぇ」
 紅鶸が、そんな三人を横目に軽く息をついた。まだ、鬼達が身に付けていた褌の回収が残っているものの、障害となる要素はもう無い。あとは全員が手分けをして、鬼が身に着けていた褌も回収した。
「‥‥既に使用済みということを考えると、なんともいえない気持ちじゃの」
 龍影がそう呟くと皆の動きが、ぴくりと、一瞬止まる。しかし、拾わぬ訳にもいかないので、皆すぐに、微妙な表情のままに作業を再開した。
「アヤカシの履いた褌‥‥触りたくない、です」
 ジークリンデは、眉を潜めながらも手は動かしている。結局アヤカシは死ねば消滅するだけなので、地面に落ちて付いた土以外にナニかあるわけでは無いのだが‥‥それで割り切れというのも、年頃の娘には酷な話であろう。
 醍醐の方はそんなことなど意に介さず、拾った褌をまじまじと見つめていた。
「これ、瘴気の塊とはいえ鬼が身につけたんだよなァ‥‥大丈夫なのかね‥‥?」
 売り物になるのか、ということを気にしていたが、とりあえず土の汚れの他に目立った汚れはない。中には、鬼に弄ばれて綻びができてしまった褌もあったが、それは不可抗力というものだろう。
 かくして、全ての褌が無事に回収された。皆、土汚れを軽く手で払ってはいたが、それでも汚れの残った褌の山をじっと見て、ジークリンデが最後に言った。
「‥‥私、汚れた褌を返すのは忍びないから、きちんと洗って褌職人様にお返ししたいと思います」

●帰還
「まぁ、多少の傷は勘弁してくれ。アヤカシが身に付けていたと言うのもあるしな」
 褌を源六に返しながらベイルがそう告げたが、源六は第一声、耳にビリビリと来る大声で叫んだ。
「勘弁だなんてとんでもねェ! これだけの褌が無事に帰ってきただけでも僥倖よ!」
 憎きアヤカシ共も退治してくれたし、その上わざわざ洗って届けてくれるとは‥‥と、源六は続けて礼を述べた。傷ついた褌も、彼の手にかかれば造作なく直せるという。
 源六が満足した様子をみて、紅鶸が目を細める。
「これからも、素晴らしい褌を創り続けてくださいね」
「おうよ! 任しとけ!」
 ジークリンデも、源六の反応にほっと胸を撫で下ろした。
「よかった、喜んで頂けた様で」
「まあ、褌を洗ったのも無駄ではなかったようじゃの」
 ジークリンデに褌を洗うのを手伝わされた龍影は、褌だらけの一日に若干気だるそうな顔をしている。だが、子供のようにはしゃいで喜ぶ源六を見れば、悪い気はしなかった。
 そんな会話の折を見て、あ、あの‥‥と、勝一が源六の前に歩み出る。
「‥‥この褌って売ってもらえますか?」
 その言葉に、横にいた鈴が目を丸くした。
「勝一君、あの褌、欲しいんだ‥‥?」
「や、アヤカシの履いたやつじゃなくて、これと同じものって意味だけどっ」
 なぜか少し慌てる勝一に鈴はくすりと笑って、わかってるよ、と短く言葉を続けた。
 勝一の申し出に源六は一瞬、意外そうな顔をするも、すぐに笑顔で‥‥ずい、と彼に褌を差し出した。
「今回は、特別だぜ」
 代金はいらない、ということらしい。勝一は素直にその褌を受け取った。手にとった褌は、しっとりとした優しい肌触りで‥‥
「なるほど、履き心地はよさそうだな‥‥流石、職人ってか」
 同じく源六の褌が気になっていたらしい醍醐が、褌に少し触れて、そう呟いた。
「あったりめぇよ、こちとらコレに人生捧げてンだぜ」
 醍醐の言葉に、源六が威勢よくそう言い放った。その表情は明るく、出発前までの怒りの形相からは考えられない、純粋な笑顔だった。
(「‥‥鬼ぃが笑ったってぇ、とこぉかぁね」)
 彼方はふとそう思ったが、それを口には出さなかった。せっかく笑ったこの男に、再び鬼に戻られては堪らないと思ったから。