【砂輝】黒い塊
マスター名:有坂参八
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/05/15 00:12



■オープニング本文

●砂漠の戦士たち
 神託は正しかったな――
 調度品の整えられた白い部屋の中、男は逞しい腕を組み、居並ぶ戦士たちを前に問いかける。男が多いが、女性も少なくは無い。
「さて、神託の続きはかの者らと共に道を歩めということだが‥‥」
 皆が顔を見合わせてざわつく。俺は構わないぜと誰かが言ったかと思えば、例え神託と言えども――と否定的な態度を見せる者も居た。お互いに意見を述べ合ううち、議論は加速する。諍いとは言わないが、各々プライドがあるのか納得する素振りが見えない。
 と、ここで先ほどの男が手を叩く。
「よし。皆の意見は解った。要は、彼らが信頼に足る戦士たちかどうか。そういうことだな?」
 一度反対した者はそう簡単には引かない、彼らも彼らなりに考えがあってのこと。であれば。
「ならば、信頼に足る証を見せれば良い‥‥そうだろう?」
 だったら話は早いと言わんばかり、戦士たちは口々に賛意を示した。男はそれを受けて立ち上がり、剣の鞘を取り上げて合議終了を宣言する。男の名はメヒ・ジェフゥティ。砂漠に生きる戦士たちの頭目だ。

●でかいアレ
 砂塵の巻きあがる大地。見渡すかぎりの、白い、灼熱の砂漠。
 キャラバン(行商隊)の長カシムはそんな景色の中を、西へ向けて進んでいた。砂漠を抜けた先のオアシスにて近々開かれる、大規模な市に店を並べる為だ。
「父上、少し休憩しましょう。このままじゃ歩いてるうちに、ひからびてミイラになっちまいます」
 先頭で駱駝の手綱を握る、彼の息子のアシュラフが駱駝を止めて振り返った。
 体を貫くような熱い日差しと、体に叩きつけられる砂つぶてで、キャラバンの隊員も、それを乗せる駱駝達もだいぶ参っているようだった。
「うむ、そうするか」
 それを悟ったカシムが快く首を縦に振ると、隊員達は安堵した表情で一度駱駝を降り、水筒袋に入っている水を飲み始めた。

 カシムはそんな隊員達の様子を見ながら、来週の市についての思案を巡らせていた。
 聞いたところでは先日テンギなる国から異邦人が訪れ、このアル=シャムスの各地で既に交流が始まっているという。
 彼らがどんな人種であるかはまだ分からないが、カシムが商人として彼らについて思う事はただ一つだった。
 すなわち、新たな商談の予感。違う文化を持つ者同士、上手く話を運べば、かならずひと儲けできるはず‥‥その為にチャンスは逃してはならない。今回の行商には、その為の情報を集める目的もあったのだ。

 そんなことを考えていると、ふと、足元で一匹のスカラベが、いつからそこにあったかもわからぬ駱駝の糞をころころと転がし運んでいた。
「ふむ」
 スカラベ、フンコロガシとも呼ばれるその虫は、一部の氏族からは創造や再生を司る太陽神の化身として神聖視される。カシムはその氏族ではなかったが、あるいは新たな商談に向かう最中にこの虫に出会ったのは、縁起の良い事かもしれない。そんなことを、思った。
 フンコロガシは小さな体で、自分よりも大きい黒い塊を、懸命に運んでいる。
 ころころ、と。
 ころころ、と。
 ゴロゴロ、と‥‥。
「‥‥?」
 ふと、どこからか本当にゴロゴロゴロ‥‥という、地鳴りのような音が聞こえた。
 首をあげて辺りを見渡そうとする前に、息子の叫び声が耳に入ってくる。
「父上ーッ! 大変だ! スカラベが‥‥いや、でかい、黒くてでかいのが!」
 息子が指差す先の地平線から、巨大な黒い塊が転がってくるのが見える。
 地鳴りの正体は、通常では絶対にありえないほど巨大なスカラベであった。それがアヤカシであることは、まず疑いようがない。
 巨大スカラベは謎の『黒くて巨大でなんだか匂ってくる塊』を、ゴロゴロゴロというおぞましい轟音と共に運びながら、カシムのキャラバンへむけて一直線に突撃してきていた。
 その事実に気づいたカシムの、いや、キャラバン全員の顔が真っ青に染まる。
「うぉぉぉぉぉ! いかん、逃げろ! アレにつぶされるのはあらゆる意味でマズイ!」
 言わずもがな、である。カシムが指示を出す前に、隊員達はみな、駱駝に乗って一目散に駆けていた。
「父上ッ! どうすんです、アイツずっと追いかけてきますよ!」
「何としてでも逃げろッ! あんなのにつぶされて死んだら、我が氏族末代までの恥ぞ!」
 潰される訳にはいかない。彼らには大事な商品があり、それ以上に人としての尊厳があった。
 巨大なスカラベ‥‥に運ばれる、黒くて巨大な塊に追われ、カシム達行商隊は死に物狂いで逃げ惑う。

 新大陸のオアシスに向かおうとした開拓者達が、旅の途中に目にしたのは‥‥そういう異様な光景だった。


■参加者一覧
御凪 祥(ia5285
23歳・男・志
オラース・カノーヴァ(ib0141
29歳・男・魔
レイス(ib1763
18歳・男・泰
マルカ・アルフォレスタ(ib4596
15歳・女・騎
郭 雪華(ib5506
20歳・女・砲
セシリア=L=モルゲン(ib5665
24歳・女・ジ
フランヴェル・ギーベリ(ib5897
20歳・女・サ
椿鬼 蜜鈴(ib6311
21歳・女・魔


■リプレイ本文

●砂の大地に
照りつける太陽と、乾いた風に舞う砂つぶて。
目に映る一面の砂っ原は、それだけで開拓者達の目には新鮮で、ここがまさしく彼等にとっての『新大陸』なのだと実感させるのだが‥‥
「うぉぉーッ、こっちに来るなァッー!」
 極めつけとでもいうべきか、その砂っ原で逃げまどう八頭の駱駝とそれに乗る商人、それを追いかけるバカでかいスカラベ、そして黒い塊‥‥アル=カマルの住民でなくとも、それが異常であるということは一目で理解できる光景である。
「あらら、大きなスカラベですねぇ」
「いや、流石に目を疑うんだが」
 感嘆の声を上げたレイス(ib1763)の横で、御凪 祥(ia5285)がつっこんだ。
「砂漠にも何回かきてるけどォ‥‥まだまだ知らない敵もいるのねェ。ンフフ」
 新大陸は初めてではないセシリア=L=モルゲン(ib5665)でさえ、これは全くの予想外。尤も、手には鞭を弄ぶ彼女の言葉には驚嘆というより、新しい遊び相手を見つけたかのような歓喜の響きが含まれている。
「脚の多い生物は好かぬのじゃが、何と、まぁ‥‥早う助けてやらねばの?」
 椿鬼 蜜鈴(ib6311)は煙管を口元から遠ざけ、ふぃ、と一息ついた後、皆に呼びかける。
「やれやれ‥‥市場をみて‥‥郭商会と取り引きしてくれる商人を探そうと思っていたのに‥‥」
 商家の娘である郭 雪華(ib5506)が厄介ごとに溜息をついた所に、隣のオラース・カノーヴァ(ib0141)が口を挟んだ。
「いや、追われているのは行商隊だろう。恩を売れば上手くことを運べるかもしれないぜ」
 国は違えど、アヤカシの被害に苦しむのは同じこと。ならば、今スカラベに追われる彼らを助けない理由もあるまい。
「事態は急を要するね。眺めている分には楽しい相手なんだが‥‥このまま見殺しにするわけにもいかないしね!」
 サムライ、フランヴェル・ギーベリ(ib5897)は爛々とした表情で駆け出した。
「なんだかよくわかりませんが、あの黒い塊に押し潰されるのだけは、我がアルフォレスタ家の銘と誇りにかけて回避しなければならないようですわね‥‥」
 マルカ・アルフォレスタ(ib4596)も、戸惑いながらもすぐあとに続く。黒い塊の本質を口に出すのはなんとなーく躊躇われるが、どのみちろくでもないものは確かだろう。気を引き締めねばならない。
 とにかく、時間はなかった。開拓者達は手早くそれぞれの役割を確認すると、すぐに行動に移る。

●塊
 行商隊はよく頑張っていたが、それでも彼らの跨る駱駝の体力はそろそろ限界を迎えていた。唯でさえ、主人と重い商品を乗せたままなのだ、それほど長い距離を走れる訳もない。
「‥‥父上! あっちに人影が!」
 アシュラフが叫ぶ。視線の先には、八つの人影。
 見慣れない格好だった。その中の一人が鞭を振り回すと、どす黒い霧が這い出るようにして現れて、瞬く間にその場にいる全員を包み込んだ。
 その姿にカシムは、一目で天恵を悟る。
「あれは、テンギのジンか!」

「さあ、悪い子にはお仕置きが必要ねェ‥‥ンフフッ!」
 自らの放った瘴気の霧が敵を捉えたことを確認すると、セシリアは頬を紅潮させ、陶酔した笑みをその顔に浮かべた。既に周りに地縛霊も仕込み終え、あとは‥‥獲物を罠にかけるだけだ。
 一方で祥達は、逃げ惑う行商隊を誘導すべく、彼等のもとへと駆ける。
「一旦、注意を逸らすか」
 祥が手にした十字槍を振るうと、その先端には雷光が走り、やがてスカラベに向けて襲いかかる様に飛翔する。雷鳴剣を受けてスカラベは、一瞬ガクンと痙攣すると、わずかにその進路を逸らした。その隙に、行商隊も開拓者たちへと近づいてくる。
「ここはわたくし達が引き付けますから、早くお逃げくださいまし!」
 行商隊と相対して、マルカは黒い塊の転がる地鳴りの音に負けじと声を張り上げた。
 その言葉に歓喜の声を上げた駱駝の騎手達は、一斉にスカラベから遠ざかる。
「安全と言える所は少ないが、極力離れ居れよ?」
 軽く手を上げ、愛想のいい笑顔を浮かべる蜜鈴。行商隊も安心したか、いくらか落ち着いた様子であった。
 一方追いかけて来るスカラベを阻む為、フランヴェルはその眼前に立ちはだかる。
 一度息を深く吸い込むと、渾身の大声でスカラベに咆哮した。
「やあ糞虫君! ご機嫌如何かな? ご飯の邪魔をして悪いのだが、ボクと鬼ごっこしないかい? 勝てば極上のランチが手に入るよ! さあ追っておいで!」
 セシリアの瘴気の霧で抵抗力を削がれた所に、この誘い文句である。
 直ぐ様、その狙いはフランヴェルへと定められた。同時にそれは、彼女に取っては地獄の逃避行の始まりを意味する。
「はははっ、捕まえてごら〜ん!」
 自分に向かってくる巨大な黒塊を確認すると、フランヴェルは反転し一目散に逃げ出した。
 非常に危険な状態なのだが、本人は何故かとっても楽しそうである。
「彼女がスカラベを引きつけます、皆さんはあちらへ」
 行商隊の面々を、レイスがフランヴェルの進路とは反対の方向に誘導した。

●悪夢
「さて、さすがのボクも黒くて大きいのの直撃は御免蒙るね!」
 フランヴェルは黒い塊を背にして、時に急角度で方向転換しつつ、少しずつ味方の包囲の中へと近づいていく。
 スカラベは余り小回りが効かないらしく、隼人を使うフランヴェルの動きに翻弄されていたが、兎角しつこく彼女を追いかけた。
「足場が悪い、転げて轢かれんようにな」
 祥がそう声をかけつつ、斜陽の光を浴びせながらアヤカシの勢いを削いだが、どれほどの効果があるかは未知数。あるいは永遠にその効果が分からないほうが幸せか‥‥とは、思っても口には出さない。
 まずはスカラベの動きを止めるのが先決と、オラースはスカラベが目の前を通り過ぎるタイミングに合わせて、その進路上にアイアンウォールを召喚した。
 壁と塊が真っ向からぶつかると、ガァン、という耳障りな音と共に、鉄壁は粉々に砕け散る。スカラベは、止まらない。
「これでは止まらんか」
 次いで雪華は鳥銃を構えると、スカラベに転がされている黒い塊に狙いを付けた。
「吉と出るか凶と出るか‥‥」
 物は試し、塊さえ破壊すれば攻撃力はそげるのだから‥‥と、引き金に指をかける。細かい狙いは必要なかった。
 煙と轟音。撃ち出された弾丸で、黒い塊に穴があく。穴からは謎の黒い液体が、どばどばと流出し、撒き散らされた。
液体は地面に落ちると、酸の様な煙を吹きながら、周囲の砂を溶かす。
「熱ッ! なんか背中にアツい汁が!」
 逃げ回るフランヴェルの背中にも、液体が掛かったらしい。なにやら叫んでいる。
「‥‥」
 雪華は黙って銃をおろし、暫時考え込んだのちスカラベ本体に狙いを定めなおした。
「脚の節を狙うとよかろ。如何な巨体と言えど、脚が落ちれば動けまいて」
 雪華の横で蜜鈴は魔剣を振りかざし、虚空に輝く矢‥‥ホーリーアローを描いた。そのままスカラベの脚へと向けて飛翔した矢は、確かに、わずかながら敵の勢いを削ぐ。

 巻き上がる砂塵。飛び散る汗。そして何故か頑なに維持されるフランのまばゆい笑顔。
 追う者と追われる者の速度は拮抗していたが、その距離は遠くも近くもならないまま。
 だが慣れない砂上で全力疾走を繰り返せば、起こりうる過ちもいずれ起こるというもので。
「ほらほら、どうしたんだい、ボクはこっち‥‥あっ!」
 突如、柔らかな砂に足を取られ、フランヴェルが体を崩した。
「フランヴェルさん‥‥まずいっ!」
 すかさず打ち合わせたとおり、レイスが泰拳士の軽い身の上を活かして救出に入る。
 そこまでは、よかった。
「駿脚を使います、しっかり掴まって‥‥うっ!」
 それは、失念していたのか、それとも彼の知り及ばぬことであったか。踏み出しかけた前足を、レイスはピタリと止めた。
 『瞬脚は他人や重荷を抱えた状態では機能しない』‥‥気づいた時には、もう遅かった。
 レイスとフランヴェルの眼前には、一面の黒。改めて駆け出そうとするも、最大まで加速しきったスカラベの速度は、彼等の早さを上回っている。
 誰かの叫ぶ声が聞こえた気もするが、転がる黒の地鳴りのような音にかき消され‥‥



 ぶちっ



 と、二人は黒い塊に呑まれた。
「あっ‥‥」
 その光景を見ていた全員が、思わず声を揃える。コトの重大さを受け入れるには、若干の時間を要した。
「アレ、ちょっとマズイんじゃないかしらァ」
 セシリアが、ぽろりと呟いた。二人の安否は‥‥!?
「生きてるよ‥‥とりあえず」
 鳥銃に取り付けられたスコープを覗きつつ、雪華が二人を確認した。謎の黒い物塗れになって砂に埋もれているが、息はある。レイスは震えながらもゆらりと立ち上がったが、フランヴェルの方は直撃だったらしく、砂に顔面を埋めてひくひくと体を痙攣させていた。
「まあ、生きてるなら大丈夫だろう。さっさとアレを始末するぞ」
 雪華の報告を聞いたオラースは眉ひとつ動かさずに、攻撃の体制に移る。淡々と言うか、冷静というか。
 しかしレイスとフランの尊い犠牲の成果というべきか、スカラベは丁度、開拓者達の包囲に誘い込まれていた。
 そここそはアヤカシにとっての死地であり、セシリアが地縛霊によって罠を仕掛けたポイントである。勝負を決めるならば、確かに今。
 地面から砂煙と共に異形の腕が現れ、その上を通過したスカラベの脚の一本を引き裂く。
「ンフフッ‥‥おいたが過ぎたわねェ‥‥!」
 アヤカシが姿勢を崩すと、他の面々も一気に動いた。
 手始めにオラースのアークブラストが、眩い閃光を放ってスカラベへと走る。怯んだ一瞬を逃さず追撃するのは、雪華。
「動きが鈍った‥‥狙い撃つ‥‥」
 単動作で弾丸を銃身に運ぶと、ターゲットスコープでスカラベの脚を視界に捉え、発砲。放たれた弾丸はスカラベの脚の付け根の当たりの甲を貫いた。
 セシリアは鞭と爆式拳で、蜜鈴はサンダーで、集中的にスカラベの脚を攻めた。スカラベの足取りが次第に重くなり、何度目かの攻撃で二本目の脚がもぎ取られると、その進路は右へ左へと歪な軌道を描きはじめる。

「二人とも大丈夫か?」
 一方、スカラベの進路に注意しつつ祥とマルカの二人は、レイスとフランヴェルに駆け寄る。黒く染まった二人からは、得も言われぬ芳しい臭いが漂ってくるのが哀愁を誘う。
「僕はなんとか‥‥ですが、フランヴェルさんが」
 と、体についた黒い塊の欠片を払いつつ、レイス。一応、いつもの穏やかな笑みは絶やしていない。
 隣でフランヴェルは、あのまばゆい笑顔を張り付かせたまま気絶していた。
「‥‥名誉の負傷、ということにしておくか」
 残念ながら、即座に治癒してやれるような術も無い。即刻スカラベを撃破して街に運ぶ他ないだろう。
 祥は心中で素早くその結論を出すと、再び突撃を仕掛けてくるスカラベを見据えた。どうやらこのアヤカシ、攻撃といえば突撃しか頭に無いらしい。
「我がアルフォレスタ家の銘と誇りにかけて、あなたを粉砕致します!」
 漆黒柄の槍グラーシーザを掲げるは高らかに、マルカが叫ぶ。騎士の誓約に精霊が応えて四肢に力を宿すと、マルカは次の一撃に必殺を期す。
 その間に祥とレイスの二人は先じて動き、スカラベの側面より仕掛けた。
「さて、こんなばっちい目に合わせてくれたお返しは、しなくてはいけませんね」
 攻撃の瞬間、レイスの表情からは笑顔が消え、氷のような無の表情を写す。
 残るスカラベの脚関節に向かって飛翔し、貫手の形にした引手を一気に突き出した。
「‥‥貫く」
 関節の隙間に、的確に割り込む一撃。ボキリ、と鈍い音を立ててスカラベの下脚が外れた。
 続けて、祥の雷鳴剣。反対側の脚を焼ききる。スカラベがぐらりと体を傾けた。
「隙あり‥‥やぁぁぁぁーッ!」
 六本あった脚の三本が失われて、スカラベの頭の下がった所にマルカが飛び乗る。
 そのまま槍を逆さに、彼女の立つ足元‥‥敵の頭蓋に深々と突き立てた。急所に渾身のポイントアタックを受けたスカラベは、しばらく暴れまわったあとにようやくその動きを止め、息絶えた。
「やりましたわ!」
 ‥‥とマルカが安堵すると同時に、

 ドン!

 という大砲のような轟音とともに、主を失った黒い塊が、自ら爆ぜる。
 もとより、塊はそういう習性をもつ、スカラベとは別の一個のアヤカシであったらしい。
 黒い飛沫が辺り一面に飛び散って、しばし周囲には、阿鼻叫喚の叫び声が響き渡った。

●帰還
「‥‥なんとか、全員無事か」
 行商隊の長カシムが、どっと疲れた表情で呟いた。
 彼だけではない、その場の全員が疲労感漂う表情を浮かべている。
 こびりついた黒い塊の臭いは、アヤカシが瘴気に還ると共に、少しずつ消えて無くなった。だが、精神に著しい苦痛を与えられた記憶についてはキレイさっぱりと消えるものではない。
「それで、おんしら何ぞタマオシコガネの好む物でも持って居ったのかえ?」
 蜜鈴が、多少気だるそうな声色で行商隊に問うたが、彼等も心当たりはないという。人間を見つけては無差別にあの塊で潰して食らう、そんな傍迷惑な存在というのが、あのアヤカシの正体のようだ。
「終わったことはいいだろう。大事なのはこれからだぜ」
 そう言いながら、オラースは雪華に目配せした。郭商会の娘の瞳が、開拓者としてのそれとはまた違った輝きを放っていた。
「そう‥‥これからは、取引の話‥‥郭商会が扱うのは泰国、天儀はもちろん‥‥ジルベリアの物だって扱ってる‥‥どうかな‥‥まずは試しでも良いからね‥‥」
「そうか、貴方はテンギの商人か。よかろう、まずはオアシスの市に着いてからになるが‥‥ぜひとも、商談を」
 対するカシムも、期待に満ちた視線を雪華と合わせる。互いに商人であれば、この先は熱い駆け引きの予感がした。
「私も天儀の簪‥‥髪飾りを持ってきたのですが、引換にアル=カマルのことを教えて頂けませんか?」
 と、マルカはカシムの息子アシュラフに声をかけている。なにぶん不慣れなもので‥‥と口では言いつつも、その裏はジルベリア皇帝への手土産になるような情報が得られれば、という強かな思惑が潜んでいた。
「そうじゃのう、現地の事は現地の者に訊くのが一番じゃて‥‥で、この地で美味い酒とは何が有りおる?」
 蜜鈴が、にい、と笑って極めつけの質問を投げる。行商隊は苦笑しつつも、酒といえばアラクか‥‥などと、律儀に答えを返していた。

 結果的にほぼ無傷のまま救われた行商隊は、異邦の助け人に深く感謝し、のちオアシスについてからも彼等を手厚くもてなした。
 傷が思いの外深かったフランヴェルについても、行商隊の応急手当を受けた後、オアシスの医者のもとへと搬送されて事無きを得た。ただし、本人はずっと譫言のように、スカラベを誘う台詞を繰り返し呟いていたという‥‥
「うふふ‥‥黒い塊‥‥捕まえて‥‥ごら〜ん‥‥」