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■オープニング本文 ●鳩塾陥落 相応の準備はしていた筈だった。 危機は予測されており、開拓者達からは最大限の警告を受けていた。 来たるべき時の為に、あらゆる準備は行われて来た。 それでも‥‥ まるで掬った水が手から零れ落ちる様に、その禍いもまた必然と言わんばかり、彼等に降り掛かってきたのだった。 「敵襲! 敵襲だーッ!」 始めに気づいたのは、辺りを見回っていた年少弟子の大地とツグミだった。時は夕暮れ、鳴らずに済めばいいと思っていた警笛が東房は飛鳥原の、そしてそこに居を構える泰拳士道場・鳩塾の空に響き渡った。 「先生、アヤカシが‥‥と、とんでもねえ数だ!」 弟子達を引き連れ、鳩塾の師範・三剣鳩座は遥か遠く目を凝らす。落日の闇に沈む地平線の上を、無数の、数十数百という影が蠢いていた。 「まずいな、数が多い‥‥一体どこからあんなに!?」 一番弟子の鷹一郎が、眉を顰め唸った。これだけのアヤカシが一度に現れるなど、だれが想像し得ようか。 ‥‥アヤカシの中に、鮮やかな花を掲げる影が見える。 (「禍輪公主‥‥!」) これまで行く度も東房を襲撃した、怪の花姫。植物のアヤカシを用いて大地に瘴気を送り、魔の森の拡大を目論む者。 その狙いがこの地・飛鳥原に定められていると、開拓者達から警告を受けて数ヶ月‥‥来るべき時が、来たということか。 「皆、すぐに避難の用意を」 既にアヤカシの大群は飛鳥原を包囲しようとしている。一刻の猶予もない。 鳩座の号令ですぐさま村人達は避難の体制を整え、鳩塾の泰拳士達はその誘導に乗り出した。 「年少組は、南の崇和寺まで村人の避難誘導を。残る年長組と私が殿軍となります‥‥ウズラ、あなたはギルドへ連絡を」 「‥‥はい!」 一人指示を受けた少女拳士が、馬に飛び乗り駆けていく。誰もがその背を、不安と焦燥の視線で見送った。 こういう時の為に、ギルドからはいつでも援軍が出して貰えるよう話をつけている。そしてこの地に根ざす、天輪宗にも。鳩座はまず村人たちを南の崇和寺まで撤退させ、体勢を整えた後、ギルドと天輪宗の加勢を待つつもりだった。 「審判の時ですなァ」 誰にも聞かれぬよう、小さく漏らす鳩座。 開拓者に伝えられた危機に対して、考えられる備えは全て行なってきた。 だが果たしてそれは万全だったのか‥‥整然たるアヤカシの隊列を眼にして、鳩座は些か自信を失わざるを得なかった。 ●殿軍〜鳩座と年長組 避難していく村人と年少弟子達を背に、アヤカシの大群に立ちはだかる鳩座と鳩塾年長組、計七人。 「この数を相手に俺らだけで殿とは。生き残るつもりなら、中々の苦行ですね」 鳩座のすぐ横で鷹一郎が呟く。 正確な数さえ把握できず、だがそんなことに意味が無いと思えるほど、圧倒的な戦力差。 しかし師の鳩座は、そんな敵の大群を前にして尚、落ち着いていた。 「無理に食い止めずともいい。逃げ周りながら後退し、少しでも進撃を遅らせる。必ずギルドが救援に来ます、今は死なないことを第一に。皆、いいですね?」 その言葉に弟子たちが頷き、アヤカシを迎え撃つ。彼等の眼に、一片足りとも達観は無く。 『我、禍輪が配下・金角将蟲――人間共、いざ勝負』 『我、禍輪が配下・銀顎将蟲――人間共、さあ勝負』 先頭に現れたのは、二体の巨大な甲虫‥‥カブトムシとクワガタのアヤカシ。それぞれが無数の蟲アヤカシを引き連れて右翼と左翼に展開し、鳩座達をコの字に包囲した。 「優秀な子達でしょう? カブトムシが金角で、クワガタが銀顎ですのよ。覚えて下さいましね」 そして中央には、満面の笑みを浮かべる忌まわしき怪の花姫。数多の蟲アヤカシを侍らせ、禍輪公主が悠々と姿を現す。 「これだけの同朋をお誘いするのに、思いのほか時間がかかりましたの。お待たせしてしまいましたかしら」 嫌味なまでに美しく微笑み、禍輪は鳩座に語りかける。鳩座も、飄々と答えた。 「や、待ちぼうけの方が、私達は嬉しかったのですがね」 「そうは参りませんわ。私、この地が、飛鳥原が欲しいんですもの。もうお分かりでしょう、三剣鳩座様?」 「‥‥さあ。アヤカシの腹積もりなど、知る由もありませんで、ええ」 「ずっと、この地を見ていた。私達、似ていますわ。きっと同じ未来を見ている。でもだからこそ‥‥」 交錯する視線と、互いの意思。人とアヤカシなればもとより相容れない関係だが、改めて互いが互いを拒絶し‥‥ 「貴方は邪魔。ここで、死ね」 禍輪から最大級の憎悪と侮辱の言葉が放たれると、アヤカシ達が一斉に鳩座達に襲いかかった。 ●遁走〜村人達と年少組 鳩座達がアヤカシを引きつける一方、鳩塾の年少弟子達は村人たちを誘導し、飛鳥原を南へ移動していた。 目指すは天輪宗の拠点・崇和寺(そうわじ)。アヤカシの攻撃に対する防衛拠点として築かれた、寺とは名ばかりの砦である。何かあった時には村人は一時そこへ非難し、ギルドの救助を待つという取り決めになっていた。 「急げ! 鳩先生や師兄達が敵を食い止めてる内に、早くだ!」 「これで村の人は全員‥‥あとは、なんとか崇和寺まで‥‥!」 年少組の弟子たちは皆幼いが、それでも有事のための訓練は積み重ねてきた。 彼等は周囲を警戒しつつ、村人たちと共に割合落ち着いて行動できていた‥‥途中までは。 ぶぶぶぶぶ‥‥ 飛鳥原と崇和寺を結ぶ渓谷に差し掛かった時、蟲の羽音の様な振動音があたりに響く。谷間に大きく反響するその羽音に、まず村人達が動揺しはじめた。 「なんだ!? アヤカシか!?」 「隊列を乱しちゃ駄目‥‥兎に角落ち着いて確実に‥‥!」 発生源のつかめないその音に鳩塾の拳士達もどよめくが、彼等は必死に平静を保ち、なお村人達を誘導しようとした。だが‥‥ 「大丈夫、何かがあっても俺た‥‥がッ」 さく、という軽い音と共に、先頭に立っていた少年の胸が貫かれる。貫いたのは、高空から雷鳴の様に降り立った、蜂型のアヤカシだった。 「‥‥大地くんッ!」 鮮血を散らして倒れる仲間に、悲鳴を上げる拳士達。つられて村人たちがパニックに陥り、一団の足が止まってしまう。 絶叫飛び交う混乱の中、蜂アヤカシが言葉を発したのを、果たして何人が聞き取れたか。 『我、禍輪が配下・白槍将蟲――人間共、我らが糧となって、死ぬがよい』 ●思惑 「ふっ、ふっ、くすっ‥‥」 甲虫の群れに追われ、逃げ廻る泰拳士達を眺めながら、禍輪公主は愉悦の笑みを浮かべていた。 「もうすぐよ、すぐ。すぐに飛鳥原は私達の物になる‥‥そうすれば‥‥」 その全てを、魔の森に。私達の、明日の香りを運ぶ、楽園に。 「だから‥‥ふふ、くすっ‥‥死ね‥‥死ねっ‥‥」 少女の赤い瞳に映るのは、もうすぐ肉塊になる獲物が7つ。 さらにその先には、繁栄を約束する魔の森。人間を食らう事への渇望。 狂気に身を委ねる悦びを感じながら、禍輪は自ら、7つの獲物を追い始めた。 |
■参加者一覧
朝比奈 空(ia0086)
21歳・女・魔
霧崎 灯華(ia1054)
18歳・女・陰
キース・グレイン(ia1248)
25歳・女・シ
只木 岑(ia6834)
19歳・男・弓
霧咲 水奏(ia9145)
28歳・女・弓
シャンテ・ラインハルト(ib0069)
16歳・女・吟
十 宗軒(ib3472)
48歳・男・シ
蓮 蒼馬(ib5707)
30歳・男・泰 |
■リプレイ本文 ●風雲、急を告げ 飛鳥原襲撃さる。 その報を受け、開拓者ギルドは慌ただしく、対応に追われていた。 「‥‥では谷上殿は、私達とは来られぬと?」 飛鳥原への増援先遣隊として集った開拓者達が出発の準備を進める中、霧咲 水奏(ia9145)に問われた伝令の少女は、苦しげな表情で頷いた。 後詰となる援軍本隊の編成と案内を、師より頼まれているのだと言う。 「必ず、私も後から向かいます。だから‥‥皆を」 お願いします、と‥‥縋る様な視線。八人の顔を、代わる代わる見つめて。 「無論。罪なき命、アヤカシなどに散らされる訳には参りませぬ。必ずや、お救い致しましょう‥‥っ」 水奏は強く頷き、自らの馬に跨った。 「では、私たちは現地に向かいます。ウズラさんも、後の事はお任せします」 職員と手短に打ち合わせをしていた十 宗軒(ib3472)が最後に馬に跨り、出発の準備が整う。少女は龍人の琥珀の眼を見据え、力いっぱい頷いた。 そして、八頭の馬影が一斉に駆け出す。 目指すは戦場。禍輪公主の狙う、飛鳥原へ。 ●幼き戦士と、護る者 戦況を聞かされていた開拓者達はすぐに二手に別れ、それぞれ鳩座ら殿軍と、避難する飛鳥原住民の元へとに向かった。 飛鳥原の民と鳩塾年少組の為に、崇和寺へ繋がる渓谷へ向かったのは只木 岑(ia6834)、シャンテ・ラインハルト(ib0069)、水奏、宗軒の四人。 道沿いに渓谷へ近づくとすぐに、吹き抜ける風と共に大勢の悲鳴が聞こえてくる。 「どうやら、良くない状況の様ですね」 宗軒が渓谷の上方を見やると、無数の蜂アヤカシが絶え間なく降下と上昇を繰り返しており、中には鷲掴みにされた人間らしき影も混じっていた。 「好きにはさせない‥‥!」 その光景を見た岑は、背中の弓を構え、強く握り締める。岑と同じく水奏も弓を構え、シャンテは横笛を取り出した。 四人が渓谷に入ると、案の定そこは阿鼻叫喚の地獄と化していた。上空から襲いかかるアヤカシに対し村人は逃げ惑い、鳩塾門下生はおよそ反撃とは言えぬ及び腰で武器を振り回している。 「只木殿!」 「ええ!」 岑と水奏が視線を交わし、合図する。馬を飛び降り弓を構えた水奏の横を、岑が騎乗のまま駆け抜けていった。 水奏は一呼吸で矢を番え、最も低い位置の蜂を狙い、即射。 怯んだところへ、馬上の岑が即座に二の矢を放ち、射落とす。直ぐ様、次に低い位置の蜂へ狙いを変え、少しでも敵の攻撃を阻む。 『‥‥‥‥♪』 シャンテは、全隊が混乱状態に陥っていると判断すると、迷わずに安らぎの子守唄を奏でた。黄銀の横笛から紡がれる澄んだ旋律が、まずは鳩塾の子供達を鎮静する。 「‥‥開拓者?」 「落ち着いて‥‥今はただ、なすべきことを」 未熟とはいえ、鳩塾の生徒も開拓者の端くれ。駆け寄ったシャンテの姿に援軍の到来を悟り、落ち着きを取り戻した。 すぐ後に続く宗軒は手裏剣でアヤカシ牽制しつつ、状況を確認する。村人は未だに混乱し、アヤカシに攻撃され続けていた。蜂に刺された子供は重傷だが、毒が回っているような様子は無い。 「大地くんと、他に二人、さ、刺されて‥‥!」 「まずは、落ち着いて止血を。アヤカシは私達が抑えます」 伏し目がちの少女が搾り出した報告を受け、宗軒は諭すように彼女達に告げた。少女は涙をこらえて頷き、傷ついた仲間の手当を始める。 「手が開いている者は加勢をお願い致しまする。拙者らも付いていますれば、目に見えることを為して下さいっ!」 符水と包帯を手渡し、水奏が激を飛ばす。子供達も身を奮い立たせ、持てる限りの力でアヤカシを迎撃し始めた。 『来たか開拓者。その手並みをば拝見しよう』 戦況が動いたことに気づいたか、現れたのは一回り大きな蜂――白槍将蟲。 狙いを志体持ちに定め、配下と共に密集降下で襲い掛かってくる。 「アヤカシ共、ここまでしておいて、無事に帰れるなどと思わないで下さいね」 宗軒の言葉は、冷たく、重く。放たれた手裏剣は、子供達を狙った蜂の頭を、鋭く二つに裂いた。 「‥‥やはり、空中に相手が居ては不利、ですね。落とせるか、試してみます」 シャンテが手短に合図し、蜂の集団に対して重力の爆音を放つ。 轟音が低く響き、固まった三体の蜂がふらつくような動きを見せた。落とすには至らない、だが、攻めの切欠としては十分。 「乱射を仕掛ます、皆伏せて!」 岑が叫ぶや否や、矢の雨を空へ射ち上げた。無数の蜂が錐揉みを起こしながら、堕ちていく。 『さかしいッ!』 「御前の相手は、私にございまする!」 白槍将蟲は、水奏がガトリングボウで迎撃する。放たれた三矢の内二つを躱した白槍は、水奏の二の腕を傷つけ交差。互いの視線が、火花を散らした。 アヤカシ達は、よく統制されていた。白槍は開拓者達が広範囲攻撃を狙ったと見るや隊を散開させ、全方位からの波状攻撃に方針を切り替えた。 「それなら‥‥」 シャンテは相手の動きを見つつ演奏を切り替え、精霊の狂想曲を激しく奏でた。 蜂の動きが乱れた瞬間を見逃さず、岑が射かける。 「逃さない‥‥そこだ!」 安息流騎射術――馬上から全方位に放たれる矢が蜂の羽を射ぬいて、飛行能力を奪う。 その迎撃をくぐり抜けてくる蜂は、宗軒と鳩塾の生徒が近接戦で対応した。 「これ以上、好き勝手はさせませんよ」 子供を連れ去ろうとした蜂へ早駆けし、首元へ短刀を突き立てる宗軒。隣では見習い泰拳士達がそれぞれの得物を構え、村人を守っている。 一つでも多くの命を救う、それがそこで戦っている者たちの共通の願いだった。 蜂達は執拗に一団を追い続けたが、やがて日も暮れ、渓谷を吹き抜ける風が冷え始めた頃‥‥戦局に変化が訪れた。 「角笛‥‥?」 シャンテは自らの演奏に、遠くから呼応するような音色が混じるのを聞きとった。程無くして渓谷の向こうから山伏のような姿の一団が現れ、次々と矢を浴びせ蜂アヤカシに打撃を加えた。 「崇和寺の連中だ!」 村人達が沸き立つ。 同時に白槍は劣勢を感じ取ったか、手下と共に矢の届かぬ高空へ退いた。 『これ以上付き合う義理も無し。また会おうぞ』 飛び去った蜂の数は、当初の半分程。こちらの受けた被害も、大きかった。 「できるだけ、背を低くしててください」 岑は重傷を負った鳩塾の門下生を馬に乗せながら、周囲を見渡す。 全滅の恐れもあったことを考えれば、上等かもしれないが‥‥渓谷に横たわる骸を見れば、到底喜べる状況ではない。 「‥‥逃げる理由なんてないのに。アヤカシさえいなければ」 思わず零れた岑の呟きは、渓谷の風音に紛れて、微かに響くだけだった。 そして生存者を崇和寺に引き渡した開拓者達はすぐに反転し、飛鳥原へ向かった。 まだ救援するべき者は居る。闘いは、始まったばかりだった。 ●殿 殿軍を救出するために朝比奈 空(ia0086)、霧崎 灯華(ia1054)、キース・グレイン(ia1248)、蓮 蒼馬(ib5707)の四人は、飛鳥原に近い草原へと向かう。 戦場についた彼等の眼にまず映ったのは、一面に蠢く、黒いアヤカシの群れ。 「これはまた、厄介な状況ですね。機はまだ熟していませんし、どれほど凌げる事やら」 空が眉を顰めつつも、あくまで冷静な態度で呟いた。 手練の開拓者達であれば、怖気づく様子は微塵も無く。 「今はあの鳩塾の拳士達を救出するのが先か、全力で奴らを押し止めてみせよう!」 と、禍輪の存在を脳裏に浮かべつつ、蒼馬。馬を安全な場所に繋ぎ、撤退時に備えた。 「禍輪は面白そうだから一回殺りあってみたかったのよね。撤退戦とかあんま好きじゃないけど、いつも通り暴れるわ」 灯華はこの状況でもただ一人、余裕の笑みを浮かべている。 戦場を見渡しながら、突入の切り口を見繕う。 よくよく見れば、アヤカシ達は何かを取り囲むように動き回っていた。 その中心に殿軍が居る、とも推測できるが‥‥とすれば、あまり時間に余裕はない。 「無事を願うには、厳しすぎる状況かも知れないが。頼む、もう少し持ってくれ‥‥!」 祈るような表情でキースは長柄斧を握りしめ、突撃の準備を整える。そう、これからあの群れへと飛び込み、殿軍を一人でも多く救わねばならない。 「まずは注意を逸らします。遅かれ早かれこちらは瓦解するでしょう、引き際は見誤らないように」 空が仲間に注意を呼びかけ、メテオストライクの詠唱に入る。白い光輝を纏った空の頭上から、巨大な火球が風を裂いて降り立ち、アヤカシの陣へ降り注いだ。 爆炎が、無数のアヤカシを空高くへ吹き飛ばす。誤って殿軍に当たらぬよう、アヤカシの輪の外縁を狙ったつもりだ。 「突撃するぞ!」 隊列の崩れた場所から開拓者達は斬り込むと、それに気づいた禍輪軍は、素早く動きを変えて開拓者達を迎え撃った。 「まずは奇襲成功、なんてね」 死神の鎌を振るって斬撃符を放ち、手近の甲虫を両断する灯華。兎角、派手に動いて敵の注意を惹きつける必要がある。 「‥‥退けッ!」 群がる小型の個体はキースが斧を横薙ぎに打ち倒し、死地に進路を拓く。 暫く突き進むと、やがて三人の拳士と、それに対峙する二体の巨大な甲虫に遭遇した。 「ギルドから救援に来た! 鳩塾の門下生だな、無事か!?」 瞬脚で駆け寄った蒼馬の問いに、傷だらけの拳士達は頷いて答える。 甲虫――カブトムシとクワガタの二体は増援を確認するや陣形を変え、鶴翼型に開拓者と拳士達を取り囲んだ。 『行くぞ、金角将蟲』 『任せよ、銀顎将蟲』 「気を付けろ‥‥奴ら、キッチリ連携して攻めてくる。俺達は、それで分断された」 鳩塾の拳士が、開拓者達に注意を促す。どうやら他の弟子や師範とは、逸れてしまった後らしい。 「想定するより、状況が悪いですが‥‥如何しましょう」 空が閃癒で全員の傷を治療しながら、周囲の状況を確認する。後方を囲まれれば終わりだ。治療の合間にも魔法で敵を散らし、退路を維持する必要があった。 「全員を助けたいが、他の四人がどこに居るのか判らないのでは‥‥」 「戦いながら探すしか無いか? 俺が金角に当たろう」 キースと蒼馬は焦りを見せつつもそれぞれ銀顎・金角と対峙。その後ろで空が支援を行いつつ、鳩塾の生徒達が他のアヤカシ群を防ぐ形になった。 灯華だけは不敵な笑みを浮かべ、一人敵中に飛び込んで行く。 「ま、適当に暴れてれば、こっちの位置も判るんじゃない? あたしはさっき打ち合わせた通りにやるわよ」 鳩塾の生徒の言った通り、金角と銀顎は完璧な連携で開拓者達を追い詰めた。 速度に優れる金角の隊が錐形陣で突撃し、体勢を崩した所を銀顎の隊が追い打ちする、騎兵と重歩兵の様な戦法。 「カブト虫風情が金角などと大層な名をつけているが、名前負けしてるんじゃないか?」 『その身で確かめろ』 蒼馬の挑発を受けながらも、金角はあくまで開拓者の陣を崩す為に動いた。蒼馬の暗勁掌を避けもせず突撃すると、今度は孤立した蒼馬に容赦無くクワガタの群が殺到する。 一方で遊撃するつもりだったキースは、ノーマークの銀顎に距離を詰められ、闘いを押し付けられる形になった。 密着した銀顎の大顎が、キースの両腕に食い込む。 「‥‥この程度で‥‥ッ!」 痛みをこらえ、銀顎の顔面に斧を叩きつけると、ようやく相手の顎が緩んだ。予め不動を発現していなければ、体が両断されていたかもしれない。 『堅いな、楽しませてくれる』 傷を負った銀顎は、寧ろ嬉しそうに声を震わせる。キースは冷や汗を拭い、斧の柄を握り直した。 その頃、単身突撃した灯華は本隊から孤立し、アヤカシの群に包囲されていた。 傷だらけだが、しかし本人は不敵に笑ったまま。 「さあ、楽しい狩りを始めましょ♪」 味方を巻き込まない距離を確認し、悲恋姫を発現する。けたたましい悲鳴が空に響き、甲虫がのたうち周ってバタバタと倒れた。 整然としたアヤカシの陣に大穴が開く打撃。そしてその空間の向こうには、二つの人影。 「あれは、禍輪と‥‥鳩先生!」 鳩塾の生徒が叫ぶ。 「‥‥もう一仕事できそうね」 禍輪に追い回される鳩座を見て、最寄りの灯華は迷わず斬撃符を放った。 禍輪の蔓の鞭の一本が斬り落とされ、その隙をついて鳩座が灯華に合流する。 「や、助かりました」 血で真っ赤に染まった鳩座を見て灯華は肩を竦め、彼を開拓者達の元へ誘導した。 「大事なお仕事ですのに、邪魔をしないで頂けます?」 機嫌を損ねた禍輪は、今度は開拓者達を狙い始めた。 金角・銀顎らと戦う開拓者達に、鞭と毒を飛ばして横槍を入れる。 すぐに治療が追いつかなくなり、空は冷静に限界を告げた。 「これ以上は、退路が絶たれます。引き際かと」 丁度その時、遠方から風に乗った角笛の音‥‥崇和寺からの住民撤退完了の合図が響く。 そして遠くから駆けてくる四人の人影。矢と手裏剣が飛来し、開拓者の退路を確保する。 「救援か、あっちは上手く行ったようだな‥‥!」 キースは地断撃で銀顎を引き離し、殿となって味方の後退を促す。 直ぐ様金角と禍輪はそれぞれ一隊を率い、開拓者達に追いすがった。 「どうした、走り回るしか能が無いか?」 『小癪な』 回りこむ金角は蒼馬が空波掌で牽制しつつ抑えるが、その反対側からは禍輪が迫る。 「逃がしませんことよ?」 「やはり追ってきますか。ブリザーストームには違う反応を示したとの事ですが‥‥」 引き際に放つ、空のアイシスケイラル。氷の矢が強烈な冷気を放って炸裂すると、一瞬の間を置いて禍輪は体を震わせ、動きを鈍らせた。 「きィッ‥‥!?」 伸びる蔓さえ遅く、開拓者に届かない。 同時に蟲アヤカシの統制が乱れて包囲が崩れ、その隙をついて開拓者達はどうにか撤退に成功した。 ●日は暮れて 開拓者からの救援によって、一先ず撤退は成功したが‥‥払った犠牲も大きかった。 殿軍の内、四名は無事救出されたが、乱戦で逸れていた三名は、とうとう見つけ出されることはなかった。 飛鳥原住民100余名の内、死者約40名、重傷約10名 鳩塾泰拳士16名の内、行方不明3名、重傷4名 それが、撤退戦での総被害となった。 飛鳥原の南、天輪宗崇和寺。 アヤカシから逃げ果せた開拓者と、飛鳥原の人々が続々と逃げ込み、天輪宗側はその受け入れに追われていた。 「今は、完敗しないことだけで精一杯‥‥」 シャンテは傷ついた人々の行列を前に、ぎゅっと掌を握り、囁く。 今、できることは何か。自分自身に問いかけながら。 「次は、どう動く?」 子供達の横顔を見やりながら、蒼馬が問う。鳩座は表情を動かさず答えた。 「機を待ちます。目下‥‥あれを凌ぐのが課題でしょうな」 そう言って、自分たちが通ってきた渓谷を見やる。 渓谷には日没時の冷たい風が吹き抜け‥‥その奥には、じっと動かぬまま待機する、禍輪軍。 それがまもなく動き出すであろうことは、誰の目にも明らかであった。 |