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■開拓者活動絵巻 |
■オープニング本文 ●決断 飛鳥原は、揺れていた。 一晩禍輪軍の攻撃を凌いだ天輪宗崇和寺に、援軍は未だ来ず。 しかし眼前には未だアヤカシの軍団が、人間を一息に攻め滅ぼさんと機を伺っていた。 崇和寺本堂の隅の小部屋では、今後の行動を決める為の話し合いが、行なわれていた。 顔を並べるのは崇和寺代表の三宝院道慧と、開拓者の三剣鳩座とその弟子三名……そして十名前後の開拓者。 他の者達には不安を広げる事が無いよう、部屋の戸は全て閉め切られていた。 「……鳩座、今なんと言った?」 住職の道慧が皺だらけの顔を更に歪ませ、相対する開拓者に問うた。 対する鳩座は落ち着いた態度で、今放ったばかりの言葉を繰り返す。 「この冷風に乗じて打って出、禍輪軍に奇襲を仕掛ましょう。先の戦いの結果を見るに、押し返す望みはあります」 これまで何度も禍輪公主と交戦した開拓者達からの情報や、一晩の間戦って眼にした、禍輪軍の動き。 それらを統合して得られた情報は、『飛鳥原を吹き抜ける冷風が禍輪の力を妨げている』という、微かな希望だった。 しかし、その話を聞いた道慧の答えは、頑なに否。 「ならん。言った筈だ、鳩よ。朝になっても援軍が来なければ、我らは不動寺へ退くと」 「今退けば、取り返しは付きません。みすみす飛鳥原を失するより、守れる可能性に賭けるべきです。今一度、お力添えを」 鳩座は、食い下がる。 魔の森の拡大を目論む禍輪公主は、その為に人喰花を用いて、飛鳥原の地に瘴気を送り込んできた。 ならば、今ここで後退しこの地を譲れば、飛鳥原は魔の森に沈むだろう。確実に。 だが、その事実を承知していて尚、住職は首を縦には振らない。 「はっきりと言う、最早開拓者ギルドをは信用できぬ。我らは既に、約束を違えられた。 そも本来、我ら崇和寺がここまでして開拓者に加担することは、天輪王の思惑からは外れたこと。飛鳥原の事を思えばこそ、一度は例外としてギルドと手を結んだが……儂とて崇和寺を預かる身。これ以上、不確かな希望の為に、崇和寺の者達を危険には晒せぬ」 先の防衛戦では、崇和寺の拳士にも多数の負傷者が出た。まだ戦える者達とて、浅からぬ傷を負っている。住職の言葉と、ギルドの援軍を信じ、皆が勇敢に戦った結果だった。 鳩座とてそれを十分に知っているが、しかし引き下がることはない。 道慧と鳩座の間には、緊張した空気が流れていた。 「……また、奪われることを甘んじて受け入れろと? 家族と故郷を奪われ飛鳥原に来たあの子達や、飛鳥原の人々に」 「鳩座、不動寺で体勢を立て直し、敵を迎え撃とう。ここは耐えて、退け」 「我らが目指したのはそんなやり方でしたか。あの子達に力を与え、共に飛鳥原を、東房を守るのだと……我らは決めたではありませんか、住職殿」 「状況が変わった。これ以上戦いを長引かせれば、我らは逃げる力さえ失うぞ。鳩塾も、飛鳥原も、開拓者も、皆死んでしまってなんの意味がある」 「今退いて飛鳥原を明け渡し……それでどうなるのです。飛鳥原はアヤカシの楽園となり、不動寺を攻める絶好の拠点となるでしょう。 そうして不動寺が攻められれば、次はいかがなさる。安積寺へ退きますか? ならばその次は? 北面に躄って助けを乞いますか。それではこれまで蹂躙された東房の村々と、何も変わらないではありませんか」 「落ち着け、鳩座。頭を冷やせ。いずれ反撃の機が必ず来る、今は忍べ」 「違う。今がその機であると、ここで命を懸けて戦わずして、明日の先など来よう筈も無いと、何故お判りにならない。活路は、前に進む道しか無いというのに!」 言い合いの末に、鳩座が強く言葉を放ち、席を立った。 「半時の後、我ら鳩塾は敵陣に奇襲を仕掛けます。例え、誰の協力を得られずとも」 「……お前たちも同じ気持か」 達観したような道慧の問いかけに、鳩座の隣に座っていた弟子達も、頷く。 「俺たち年長組は、常に覚悟を決めています。互いに命を預け、守るべき物を守ると」 その言に、一遍も迷いなく……鳩座と三人の弟子は共に席を達ち、部屋を出ていく。 後には渋い顔で大きなため息をつく住職と、それまでは話し合い静観していた、開拓者達だけが残った。 ●それぞれの 「決死隊を募る。出撃は半時の後。共に来る者は、俺に申し出ろ」 年長組の兄弟子から作戦を聞かされた鳩塾年少組の子供達は、まず息をのみ、それから互いの顔を見合わせた。 「決死隊って……」 「あ、あのアヤカシの群に、突っ込むのかよ!」 「そんな、勝てるわけ……」 戸惑い迷う子供達に対し、兄弟子の方は凪のごとく落ち着き払っていた。 「強制はしない。逃げたい者はすぐにでも、民や負傷者と共に不動寺へ移動しろ。いずれにせよこれが最後のチャンスだ。各自後悔しないよう、自分で考えて決断すること」 努めて落ち着いた声色で、しかし毅然とした言葉を掛け、兄弟子は子供達に背を向けた。 後には、如実に恐怖を浮かべる表情の幼子が、残される。 決断までは、残り半時。 それぞれの小さな体に、運命が重くのしかかっていた。 ●思惑 崇和寺を前にして、禍輪公主は焦っていた。 夜が、明けてしまった。自分たちの優位を、最大限に活かせる夜が。 一体何の為に、これほどの頭数を揃えたというのか。 一晩あれば十分な筈だった、それなのに、どうして。 どうしてあの矮小な人間共をあと一歩、踏み潰すことができぬと―― 『黒鎌将蟲が討たれたようです』 低空を飛んでやってきた大蜂……白槍将蟲の報告に、禍輪は小さく舌打ちした。 危険な時は退けと命じたのに、変態蟷螂は詰まらない意地で捨身になったに違いない。 生きていればまだ十分に役立つだろうに、やはり一人で行かせたのは失策だったか。 やがて開拓者の援軍が、やってくるだろう。 そして空には今、最も避けるべき危険が、渦巻いている。 やはりここは…… 『公主、あと一息だ! あと一息であの砦を落とせる! 攻撃命令を!』 『なぜ足を止める! こんな所で休んでいる場合ではない!』 考えこむ禍輪に、金角と銀顎ががなり立てる。 猪武者どもめ。禍輪はこめかみを抑え、うんざりした顔で口を開いた。 『今動いても、あなた達以外の子はろくたま兵隊の体にならないの。後少し、お待ち』 それを聞いた蟲共が何か喚いたが、耳に入るものか。 ……言葉を口にしてから、ふと思い立つ。 もし今、開拓者が動くとしたら―― いや。 何を恐れている。 あと一息。 黒鎌を破った援軍が来るまでにあの寺を落とせばいいだけの、話。 そう、全ては、私達の楽園……私達の、明日の為に。 禍輪は心の奥でそう結論付け、冷風からから身を守る様に、自分の肩を抱いた。 |
■参加者一覧
朝比奈 空(ia0086)
21歳・女・魔
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
霧崎 灯華(ia1054)
18歳・女・陰
霧咲 水奏(ia9145)
28歳・女・弓
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
シャンテ・ラインハルト(ib0069)
16歳・女・吟
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰
十 宗軒(ib3472)
48歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●決戦前 「……して、ぬしらはどうする。あれと共に往くか?」 鳩座が部屋を出たのを見送り、道慧は開拓者達に問う。 「ついて来てとは言わないわ、無理について来て足引っ張られても困るし」 さらりと答えて立ち上がったのは、霧崎 灯華(ia1054)。死線こそを求める彼女に、退く理由など無い。 「ただ、戦わなくて後で後悔しないか……よく考えてね」 それだけ告げると瘴気回収を行う時間が惜しいと、早々に部屋を出ていく。 「私達は、戦います。でも……もしも、迷いがあるならば……避難民の方々を護衛して、脱出して下さい。仰る通り、この機を逃せば、逃げることさえできなくなります」 シャンテ・ラインハルト(ib0069)の言葉は柔らかく、それでいて揺れない想いが宿る。相応の覚悟を背負えば背負う程、彼女は相手に無理強いをする事は、できなかった。 「住職殿……拙者は理穴の生まれに御座いまする。先祖の血肉眠る地を魔の森に飲まれ、穢され──魔の森縮小しているとはいえ、それは今も変わりませぬ」 霧咲 水奏(ia9145)の言葉は、俯く老僧に向けた物か……あるいはそれは、自分自身の心を、確かめているかの様でもあって。 「この想いを次代の子らが抱かぬ為に、この先の道を、明日切り開くことを選びまする……如何なる選択でも、どうか互いに武運を祈りましょう」 「次代の子ら……か」 老人が拳を握るのは、その言葉が心に刺さった故か。 「立場の違い、ってのはある。住職の判断が間違ってるとも、思わねえ。だが……あんたは知ってるんだろ。鳩座が決死隊まで決意する理由をさ」 劫光(ia9510)の言葉に、道慧は顔を上げた。 「事情を知らない俺達でさえ、意地に命かける奴を放っちゃおけない。迷いがあるなら……馬鹿やってみないか?」 相対する道慧の目は、迷いに揺れている……少なくとも、劫光の目にはそう見えた。 後は彼の、決断次第か。そう判断し、開拓者達は部屋を後にした。 一方、部屋の外、崇和寺の境内では。 「神音さんは……戦うん、ですか」 座禅する石動 神音(ib2662)の背を見つめていた鳩塾の少女が、不安を堪え切れず、問いかける。 「ウズラちゃんは、神音達がここを守ってくれるって信じてるはずだから」 穏やかに答える神音。ウズラという単語に少女は、はっとなって顔を上げた。 神音の友であり、鳩塾の師姉。援軍を呼ぶ為、互いに信じ別れた、鳩塾の拳士の名。 「でも、これは神音の気持ちだから。どちらを選ぶかは、あなた達で考えて」 そう微笑むと、神音は瞑想に戻る。 少女は口をつぐみ、神音の背をじっと見つめていた。 ●決断 そのやり取りの僅か数分後、決死隊は崇和寺の正門前に集結していた。 崇和寺の戦力は居ない。開拓者達の意見に揺れた彼らはやり切れぬ表情で、脱出する飛鳥原の人々の護衛についていた。 だが一方で鳩塾の子供達は、戦闘可能な全員が決死隊へと志願し、この場へやってきた。 「無理に参加する事は無いのですよ。決死隊に参加しない事は、決して逃げる事ではありません。避難者が安全に逃げられる様に守る。それもとても重要な仕事です」 時に厳しく、時に優しくこの子供達を導いてきた龍人……十 宗軒(ib3472)の言葉。 その宗軒に対し、伏し目がちだった少女は強く、はっきりと答えた。 「私達も、ウズラ師姉を信じたいから。だから、背中だけでも……守らせて、下さい」 鳩塾の気持ちは一つと言わんばかり、琥珀色の瞳を見つめ返し。 ……宗軒は、一瞬の沈黙を挟み、再び口を開いた。 「そうですか。では、死ぬ気で生き残りなさい。死んでは何も出来ないのですから。貴方達も、それに、鳩座さん達も。いいですね?」 「はい!」 「承知しておりますとも」 鳩塾の一同が、宗軒の言葉に頷き、それが準備完了の合図となった。 出撃前に巫女の春日 美咲が傷の手当を、灯華は瘴気回収で練力の回復を行い、開拓者達は可能な限り力を蓄えていた。 だがその間にも、背を押す風は少しずつ力を弱め、残された時間が少ない事を報せていた。 「戦力差は圧倒的ですが……ここまで来たら覚悟を決めるしかありませんか」 朝比奈 空(ia0086)はアヤカシの群を見据えながら千早の襟元を正し……誰にともなく呟く。 覚悟とは即ち、生きて帰るという想い。 隣の羅喉丸(ia0347)も、空の言葉に応えて力強く足を踏み出した。 「青山骨を埋ずくべし。覚悟はとうに済ませてある」 例え死すとも悔いなしと――しかしそうまでして戦うは、未来を掴む為に。 無論、言わずもがなその意思は、空にも伝わっていた。 そして開拓者達はやがて…… アヤカシ達の壁の先、禍輪公主へと走り出す。 ●アヤカシ 俄に、配下のアヤカシ達が、ざわめいた。 その原因が忌々しい冷風の風上に有る事を、怪の花姫は悟っていた。 『敵襲』 白槍の短い報告に、禍輪の顔色が深く曇る。 『開拓者め、愈々打って出たか!』 『上等! 迎え撃つぞ銀顎!』 我先に先陣を切らんとする、金角と銀顎。 『お止め貴方達、後退おし!』 禍輪が叫ぶが、言葉はこれまで彼らを服従させた特別な意味を持たない。 突き刺さる冷気が、禍輪の蟲を操る力を、弱めていた。 金角と銀顎は手勢の半数程を連れ、正面から開拓者に向かってしまう。 無傷で済んでいる手下は最早、十も居ないというのに。 『……あの馬鹿蟲共!』 『私が連れ戻します。最悪は、貴方だけでも後退を』 禍輪の激昂を制しながら、白槍も前線へと飛翔する。 引き止める事さえ叶わぬまま、禍輪は陣の最奥に取り残されてしまった。 「……金角、銀顎が突出して来ます。禍輪の命令は……無視、している様です」 アヤカシ達の会話は、超越聴覚を通してシャンテに筒抜けになっていた。 賭けは当たった。シャンテは心中に確信を抱きながら、仲間達に禍輪と三将の動きを告げる。 「今なら禍輪は裸同然、攻撃を集中すれば或いは……!」 上空の蜂達の動きにも気を配りつつ、水奏は戦場を見渡した。 蟲達の大多数はこちらへ向かってきているが、動きはこれまでと比較にならない程鈍く散漫だった。これを突破する事は決して不可能では無いと、そう思える程に。 「我らは蟲共を撹乱します。その間に皆さんは禍輪を!」 黒猫白猫を奏で終わったシャンテに帽子を取って一礼すると、鳩座と三人の弟子は瞬脚で先行し、敵中で崩身脚を乱打、撹乱する。 しばらくは黒猫白猫の幻影が彼らを守るが、それも長くはもたないだろう。 「時間が無いわね、とっとと禍輪を仕留めるわよ!」 灯華が先んじて駆け、蟲達を避けて禍輪を目指す。 数に差がある以上、早急に大将首を取るほかに勝機は無い。 「まずは先手で道を作る! 派手に行くぜえ!」 劫光は狼煙銃を打ち上げると即座に印を切り、五行呪星符を天高く翳した。 掲げた符は眩い光を生み、光は氷龍を、龍は凍てつく息吹を形作り、怪の軍勢を薙ぎ倒す。 「五行朱雀寮・劫光、ここに有り!」 高らかに名乗り、これ見よがしに瘴気回収してみせる。自分に課した役割――囮としては、十分な効果だ。 「雷の槍よ眼前の者達を撃ち滅ぼせ……!」 劫光の吹雪を、後に続く空は閃電で撃ち貫く。魔術師の言霊が生み出したサンダーヘヴンレイは、冷気に怯むアヤカシ五体を、纏めて焼き払う。 『まだまだァッ! これしき!』 氷雷の嵐を切り裂くように金角隊が現れ、開拓者達に向かってくる。 真っ先に反応したのは宗軒。放つ手裏剣の刃は、甲虫の体の一番脆い部位――即ち目を、深く、抉った。 『……小癪なっ!』 「こちらも、余り余力は無いんですよ」 その言葉が終わる頃には、宗軒の姿は金角の視界から消えていた。 早駆で金角を抜き、一直線に禍輪へと向かう。片目が塞がれた金角を、続く開拓者達も易々と突破した。 『くそ、銀顎!』 『任せろ、金角!』 金角の脇を抜けた直ぐ先に、銀顎。 数体の甲虫と共に、正面から開拓者にぶつかってくる。 「くっ……皆、先にいって!」 進路をアヤカシの大顎に塞がれた神音は、身を低くして銀顎に肉薄する。 「どけぇぇぇッ!」 後ろ足で地を蹴り、破軍の発剄と共に繰り出した正拳を、まっすぐに叩きこむ。 負けじと銀顎も神音を顎で捕まえようとするが、その攻撃は横合いから現れた空に、阻まれた。 「近付けば勝てるとでも? それは油断や驕り……というものですよ」 霞に乗る微かな梅の香りを、果たして大鍬型は感じ取れたかどうか。 身に纏う千早そのものに白梅香の力を宿し、空は銀顎に手を伸ばす。 柔らかに閃いた掌が、しかし銀顎の甲と肉とを、薄紙の様に引き裂いた。 『ガァァァァァァッ!』 「蟲の相手は引き受けます。今の内に」 手を引きぬいて、空は神音に叫ぶ。 神音は強く頷き……振り返らずに、禍輪へと走った。 先んじてアヤカシの包囲を突破できたのは神音、羅喉丸、宗軒、灯華の四人。 後続の者達も突破を試みているが、彼らを突破させるだけで手一杯だった。 金角ら甲虫達は、開拓者達を一息に押し潰さんと、只管に纏わりついてくる。 その状況は隊列の最後尾につく、シャンテや鳩塾の子供達も同じだった。 (守られている訳には行かない……!) 蟲達をぎりぎり自分の近くへ引きつけてから、シャンテは唇を笛に乗せ、精霊の狂想曲を奏でた。 『――――――♪』 殆どのアヤカシは、彼女の演奏に抵抗出来るだけの力を持ってはいない。 旋律に呼応した精霊は蟲達の精神を蝕み、忽ち大混乱へと陥れる。 「すっげえや。笛一本で一発逆転だ」 「……さあ、今のうちに」 自分の周りで蟲達を追い払っていた鳩塾の子供達を促し、前へ、進む。 その数歩前を行く空や劫光、水奏は、群がるアヤカシの露払いに追われていた。 禍輪の指揮を欠いて隙を晒す個体が多いとはいえ数の差は大きく、開拓者達は徐々に傷つき、疲弊してきている。 必死に守り、牽制し、時に反撃し。 時間は随分と稼いだがそれでも限界が近づくのを、誰もが感じ始めた時。 『反転しろ、金、銀! 公主を見殺す気か!』 突如飛来した白槍が、金角と銀顎に呼びかける。 敵では無く味方に注意を向け、低空で無防備を晒した手負いの蜂。 戦場広く眼を配っていた弓師は、その好機を見逃さなかった。 「お前にこれ以上の邪魔立ては、させませぬ……!」 水奏が矢を番え、弦を引き、呼吸を止めるまで僅かに一瞬。 狙い定めて射られた極北の矢は風を裂いて飛び……白槍の顔面を貫いた。 『お……ォ!?』 ぶち、と大蜂の頭と胴とが千切れ、地に墜ちる。 『おおッ、白槍ォォォッ!?』 金角の絶叫を聞いて水奏は、白槍を仕留めた事を確信した。 白槍の最期の報せでようやく戦況を悟った地上の蟲達は、禍輪を守ろうと身を翻すが、追って飛び出したのは劫光。 「逃がすかよ、お前らの相手は俺達だろう!」 深手で足の鈍った銀顎の背に、すかさず吸心符を打ち込む。 『ぬぉぉ、行け金角、公主を……グォォォッ!』 金角は銀顎の咆哮に応えるかの様に禍輪へ向けて駆けたが、当の銀顎は……微かに残った精魂を吸われ果て、声を止めたきり動かなくなった。 ●運命の別れ目 後退する禍輪に追いつく事、それ自体は簡単だった。 冷風の影響なのだろう、その駆ける速度は、いまや並の開拓者にさえ劣っている。 「ばかかりん、頭の花が萎れてるよ! もう降参したらいいのに、このペチャパイ!」 『キィィィ、好き放題を!』 禍輪の背に投げた挑発とは裏腹、神音の心臓ははち切れんばかりに高鳴っていたが、兎に角、相手の注意は引けた。 ここで逃すわけには、行かないのだ。なんとしても。 「時間をかければ勝機は無い。決めるぞ!」 羅喉丸が踏み出すと共に、禍輪直近の四人は一斉に突撃する。 「逃がすと思って? 塵は塵に帰りなさい!」 灯華が禍輪の背を睨んで印を結んだ。彼女の使役しうる最強の式――姿持たぬ『黄泉より這い出る者』が、音もなく禍輪を抉る。 『ガッ――このっ』 「これならいけ……ッ!?」 次の瞬間、灯華の体が宙に舞う。禍輪から伸びた鞭が自身の胸元を叩き、空高く打ち上げられたと把握するのに、数瞬の時間を要した。 『舐めるな人間ッ……!』 冷風によって、確かに禍輪はその敏捷性と指揮能力を減じた。だが。 「(他の力はまだ健在かっ……)」 灯華は自身の術の手応えを思い返し、舌打ちした。 確実に効いてはいる。だが致命傷には至っていない。 禍輪は無数の鞭で開拓者に猛打を浴びせながら、逃げる機会を伺っている。 宗軒はその合間を縫うように禍輪本体へ手裏剣を投げ、相手の注意を引きつけた。 『五月蝿いッ!』 「……っ!」 苛立った禍輪の鞭が宗軒目掛けて飛び、筋肉質の躯を軽々と吹っ飛ばすが、代償に本体は無防備となる。 それこそが、狙い。気づいた時には、羅喉丸と神音が、右と左から禍輪に肉薄していた。 『ぁ……!』 「落ちろ、禍輪公主……ッ!」 瞬脚で距離を詰めた羅喉丸の手には、アイスソード。ダメ押しの冷気に禍輪が身を震わせるが、もう遅い。 破軍と共に、禍輪を討つ一心を宿した乱剣舞……剣閃六つが連なって、花姫の体を切り刻む! ――――! 高く、禍輪が悲鳴を上げる。羅喉丸は、確かな手応えを感じた。 「ちゃんすっ……て、きゃぁっ!」 追い打ちをかけようと神音が更に踏み込んだが、突如背後から猛進してきた金角に突き飛ばされた。不意打ちを背に受けて、神音の骨が鈍い音を立てる。 『遅い、この、脳筋ッ……!』 『すまぬ公主、直ちに退くぞ』 金角はひゅうひゅう息を切らす禍輪を拾い上げ、戦場を離脱しようとする。 「逃がすか!」 羅喉丸が追いすがるも、いつかのように、金角は高速で飛び上がってしまう。 ここまできて……! そう、思った時。 しかし轟音が金角の羽を撃ち貫き、飛翔を妨げた。 『なぬっ!?』 金角の体が禍輪ごと、地に叩きつけられる。 狙撃したのは、戦場の西から現れた一団の、先頭に立つ少女――郭 雪華だった。 「……来たか」 羅喉丸は、目にする光景に思わず呟く。 そこにあるのは約束されていた、ギルドからの援軍の姿だった。 「すまない、急ぎはしたんだが……!」 開拓者達へと駆け寄ってくるのは、キース・グレイン。 傍らには、崇和寺の者達の姿もある。アヤカシの妨害で進軍に遅れが出た事情を道慧に説明し、連れ戻して来たのだ。 そして援軍は、開拓者達が禍輪軍と交戦していると見るや、即座に禍輪の退路を塞ぐ位置へと回り込んでいた。 禍輪は金角と共に立ち往生する形となって、恨めしげに唸っている。 『おのれ……どうしてっ、どうしてッ……!?』 副将二体を討ち、禍輪公主は袋の鼠。 明暗を分けたのは、禍輪の指揮を欠いた僅かな時間だった。 だが、その僅かな時間が戦の流れが変えたのを、その場の誰しもが感じていた。 ……気がつけば飛鳥原に吹き付けた冷たい風は、ぴたりと止んでいた。 |