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■オープニング本文 ひらひらと牡丹の花弁のように舞い落ちる雪。それが大地を埋め尽くす中、黒髪の美しい女性が1人の幼子を連れて歩いていた。 女性の名は紫苑・雪華(しえん せつか)と言い、東房国にある霜蓮寺で統括の補佐にあたっている。 雪華は街道の先にある山を見据えると、大きな雪を踏み締めて足を止めた。 「まだ引き返す事が出来ますよ」 そう言って視線を落とした先に、真っ直ぐな眼差しが飛び込んでくる。 年は数えにして7つだが、僧兵として修行を始めてから3年が経つ。本来であればまだ寺社の中で基本的な修行を積む段階だが、この幼子は他の子供と違った。 「貴女は将来霜蓮寺の僧としてその身を賭すべく立場にあります。ですが貴女が望むのはそれとは違う道……もし今後も今胸に抱く道を望むと言うのであれば、それ相応の力を付けねばなりません」 幼子は霜蓮寺の僧兵となるべく寺社に預けられた。しかしその胸に抱くのは僧兵としての未来ではない。 幼子は雪華を見上げると、確りとした口調でこう告げた。 「私は雪華さんの様になりたいのです。私が望むのは僧兵としての道では無く、サムライとしての道……雪華さんと同じ道です」 雪華は東房国にある一寺社に身を置きながら、サムライと言う立場を担っている。その上で彼女は異例の扱いで統括の補佐にも納まっている。 幼子からしてみれば、自らの師がサムライである事は誇りであり憧れだった。いずれは自分も雪華のようなサムライになりたい、と。 けれど真っ直ぐな言葉を向けられても、雪華には簡単に認める訳にはいかない理由があった。 この幼子はただの僧兵候補ではない。ゆくゆくは霜蓮寺を背負うべく上へと向かう者。 だからこそ誤った道は此処で正さなければならない。 雪華は幼子の覚悟を試すよう、自らの刀を鞘ごと抜き取ると幼子の前に差し出した。 「これから私が貴女に命じる修行は、貴女の命を奪う事になるかもしれません。それでも受けると言うのであればこれを……」 漆黒の鞘に納まるのは雪華が大事に使って来た刀。これを受け取ると言う事は、彼女の意思を継ぐと言う意味だ。 それは今口にした修行を受けると言う意味でもある。 「……貴女の未来を想えば、私は貴女の師になるべきでは無かったのかもしれませんね」 躊躇いもなく差し出された両の掌に、自嘲気味な笑みが零れる。その上で幼子の手に刀を置くと、柔らかに膝を折って目の前の顔を覗き込んだ。 「では、嘉栄に新たな修行を命じます。今より三日間、アヤカシの巣食う餓鬼山で生き延びて下さい。これを成した暁には、私の方から統括に貴女の意思を伝えましょう」 月宵 嘉栄(iz0097)、七つの時の話である。 この三日後、瘴気と血に塗れた嘉栄が餓鬼山の入り口で発見される。そしてそれを期に、彼女は東房国のサムライとしての道を歩み始めた。 ●開拓者下宿所 夏も終わり秋も深まる午後。 庭に降り注ぐ枯葉を見詰めながら、嘉栄は1人縁側に腰を下ろしていた。その手に握り締めるのは、師から託された刀――雪峰だ。 「……もう、20年以上も前になりますか」 あれから幾度となくアヤカシと闘い、雪峰はすっかり嘉栄の一部となった。 戦場に赴く時は雪峰と共に。それは亡くなった師と共に闘っている、そんな気持ちにもさせてくれるから必要な事だった。 しかし今になって気になる事がある。 「今思えばあの修行は無謀以外の何物でもなかった……となれば、他に理由があった筈……」 7つの子供にさせる修行にしては常軌を逸していた。 嘉栄は無事帰還したから良いものの、他の者だったら如何なっていたか。 それにあの修行がその後行われたと言う記述はない。 「やはり――」 「お? 嘉栄が縁側で老け込んでるなんざ珍しいな。何かあったか?」 唐突な声に目が上がる。 其処に居たのは志摩 軍事(iz0129)だ。この開拓者下宿所の管理人にして、元霜蓮寺の僧兵……そして雪華の元婚約者でもある。 彼は嘉栄が手にする刀に目を留めると、僅かに目を細めて彼女の隣に腰を下ろした。 「もう直ぐお前さんも三十路だなぁ。とっくに雪華の年を過ぎちまった」 雪華が亡くなったのは20代半ば。 とある事件の最中に命を落とし、最後まで霜蓮寺のサムライとして自らの使命を全うした、嘉栄にとっては誇れる師だ。 「志摩殿は、私が雪峰を頂いた時の事を覚えていますか?」 「あ? ああ。霜徳の奴が嘉栄を僧兵にしたいが為に無茶振りしたアレか」 「え」 思わず聞き返した嘉栄に、志摩が「しまった」と口を噤む。けれど口にした言葉は消せない。 「統括が、私を僧兵に……?」 初めて耳にした願いに色々と疑問に思っていた事が繋がる。 当時、霜蓮寺の統括に就任したばかりの霜徳は、時期統括候補である嘉栄を如何しても僧兵にしたかった。 だが嘉栄は自らの師である雪華と同じサムライの道を望んだのだ。それは霜徳の望む所では無かった。 「俺や雪華は反対したんだ。嘉栄の性格上、無理な修行を与えれば与えるほどやる気を出しちまうって……結果、お前さんは修行を受けただろ?」 確かに。 どれだけ無理な修行であろうと、己が望みを叶える手段があるのであれば嘉栄は何でもしただろう。 それは今でも変わらない。 頷く嘉栄を見て、志摩は苦笑すると、その当時を懐かしむように目を細めた。 「嘉栄が本当に修行を受けたって聞いた時の霜徳はマジで凄かったぞ。今すぐ連れ帰すとか、誰か見に行けとか無茶言ってな。まあ結局、あまりに煩いってんで雪華が刀向けて黙らせたんだが……よくよく考えると、お前さんら良く似てるよな」 「それは……」 当然だろう。雪華は文武全てにおいての師であり、嘉栄の母親のような役割も担っていた。 それこそ衣食住を共にしていたのだから、性格が多少移っても致し方ない。 「……で、昔の話なんてして如何した」 嘉栄が過去を振り返る事は少ない。と言うか、彼女の場合、過去を振り返るだけの時間がない。 いつも何かしらの騒動に首を突っ込み、何もない時は寺社の方で騒動が起きる。 こうして自分の為に時間を使う事など殆どなかった。 志摩の言葉に嘉栄の視線が雪峰に落ちる。 「雪華さんの墓を参ろうかと……今まで一度も墓参りをした事の無い不義理な弟子ですから、怒られるかもしれませんが」 そう語る脳裏にあるのは雪峰を託した時の雪華の顔。そして無謀とも言える修行を与えた統括の本心。 「地図なら書いてやるぜ。今なら紅葉も見事だろうし、遠出ついでに弁当でも持ってったら如何だ?」 「お弁当……ですか?」 きょとんと目を瞬いた嘉栄に、志摩はグッと親指を立てて見せた。 |
■参加者一覧
礼野 真夢紀(ia1144)
10歳・女・巫
珠樹(ia8689)
18歳・女・シ
ティア・ユスティース(ib0353)
18歳・女・吟
コリナ(ic1272)
14歳・女・サ |
■リプレイ本文 ●開拓者ギルド下宿所 嘉栄の師匠の墓参りに。そんな言葉で集まった開拓者等は、目の前で繰り広げられる光景に呆然と立ち竦んでいた。 「だいぶ細かくなりましたね。後は魚の骨を完膚なきまでに砕けば――」 「か、嘉栄……」 包丁を手に炊事場で格闘する月宵 嘉栄(iz0097)に珠樹(ia8689)が恐る恐る声を掛ける。それに振り返った彼女の手は、魚の血と内臓で汚れているのだが、ハッキリ言ってその汚れ具合が半端ではない。 「如何かされましたか?」 「如何かされましたか、って……あんた本気で花嫁修業した方がいいんじゃないの……」 嘉栄の前にあるまな板には、既に原形を留めていない魚がある。しかも内臓を取らずに切り刻んだせいで、細切れにした身に内臓が混じって、見ている方が「うぇ」っと顔を歪めるほど。 お蔭で先程から初見であるコリナ(ic1272)が怯えたように珠樹の後ろに隠れているではないか。 「……珠樹さん。嘉栄さんは、何を作ろうと……」 表情が乏しく伺いきれないが、尋ねる声音が若干戸惑い気味なので困惑しているのは確かだろう。 何せ彼女は『東房国のサムライ』と言う名に惹かれて来たのであって、こんな光景を見るために来たのではないのだから。 「ちなみに……嘉栄、何を作ってるの?」 あそこまで魚を細かくする料理と言うのは覚えがない。 問いかける珠樹に嘉栄が言う。 「魚を煮ようかと思いまして」 「……これ、煮るんですか?」 嘉栄の口振りから察するに、彼女はこのままの状態で魚を煮るつもりだろう。つまり内臓と細切れ魚を一緒に……何で煮るかはもう聞かない。 「珠樹さん……っ」 コリナは自身にも振る舞われるであろうお弁当を想像して珠樹の服裾を掴んだ。それを受けて珠樹の首が緩く横に触れる。 「嘉栄……掃除や洗濯に裁縫なんかはどうでもいいわ。とりあえず料理を覚えなさい」 「? 今しておりますが」 キョトンと目を瞬く彼女に、珠樹の目が見開かれる。そしてコリナの手を離させると、彼女の足が動いた。 「それは料理じゃないわ……良く聞きなさい」 目の前で足を止めた嘉栄の目を見て言う。 「あんた嫁入りした時に暗殺者に勘違いされかねないわよ。もしくは未亡人まっしぐらなんてあんただって嫌でしょ」 迫真の勢いで紡がれる言葉に嘉栄は目を瞬くばかり。つまり当の本人は自分の料理の腕がどれだけ悲惨か理解していないのだ。 「……管理人さん……月宵さんの料理の腕知っていて『弁当持って行って』なんて言ったんですか!?」 この様子を小刻みに震えながら見ていた礼野 真夢紀(ia1144)が、たまらず声を上げる。その肩をティア・ユスティース(ib0353)が叩くと「だって!」と言う。 「人参と唐辛子を間違える人なんですよ!」 「何、あんた……そんな間違えまでするの?」 ビシッと指差された嘉栄を、珠樹が驚愕の表情で見詰める。そしてコリナの顔にも僅かな恐怖の表情が……。 パンパンッ。 「はい、そこまで」 両の手を叩いたティアが皆の間に割って入る。そうして嘉栄の手元を覗き込むと、無残に刻まれた魚に目を向けた。 「うーん、確かに凄い状況ですが……まゆちゃん」 ティアは微笑みながら真夢紀を振り返ると、彼女に見えるように首を傾げた。 「まゆちゃんなら、このお魚さんも美味しく料理出来ますよね?」 この声に真夢紀の足が動く。そして無残な魚を見ると、コクリと頷いた。 「少し手間は掛かりますが、食べれないことはないと思います。でもこれはここで食べた方が良いかもですね」 「それは、鮮度の問題ですか?」 問いかける嘉栄に真夢紀が首を横に振る。 「お墓参りのお弁当ですから、お肉は省いて卵程度にとどめましょう。お魚は出発前に皆で食べれば良いと思います」 そう言ってテキパキと魚の内臓を省いてゆく少女に、珠樹が感心したように息を吐く。 「……出来た子ね」 「私の自慢のお友達です」 ティアはそう囁くと、ニッコリ笑って見せた。 そこに真夢紀の張り切った声が響く。 「まずはこの無茶苦茶になった炊事場を片付けないとですね! 終わったら、卵を割りましょう。嘉栄さんも一緒に!」 きっとそれなら出来る筈。そう思って提案したのだが、何故だろう。 素直に頷いた嘉栄を見ていると、何だか不安な気持ちが湧き上がってくる。 そして数分後。炊事場は再び戦場と化す。それは嘉栄の卵の割り方にあるのだが、其処は追々触れていくことにしよう。 ●道中 真っ赤に染まった山を歩きながら、珠樹は嘉栄の師匠――雪華の話を聞いていた。 「なるほど、あの統括の娘がなんでサムライなんかにと思ってたけどそういうことだったのね」 嘉栄が統括の娘であるとわかったのはつい最近の事。それを抜きにしても霜蓮寺と言う寺社で統括を支える存在が僧兵でない事は疑問の1つだった。 珠樹は漸く疑問が解けたと言わんばかりに呟いているが、ふと思う。 「統括のあんたに対する愛情が何だか面倒くさいのはその頃から変わってないのね」 「面倒くさい、ですか?」 目を瞬く嘉栄に、珠樹は口元に僅かな苦笑を抱く。その上で小さく息を吐くと「何でもないわ」と続けた。 自覚がないのは統括だけでなく、その愛情を向けられている嘉栄もなのだろう。何とも面倒な父子だ。 「あの、嘉栄さん」 今まで嘉栄の話に耳を傾けていたコリナが伺うように視線を向けてくる。それに合わせて嘉栄の足が彼女の隣に来ると、コリナは真っ直ぐに嘉栄を問うた。 「私もサムライをしているのですが、嘉栄さんの師匠が示したであろう、サムライの道とは何だったのでしょうか」 コリナ自身は剣士としての経験を積みたくてサムライの道を選んだ。 けれど決して中途半端な気持ちで刃を振るっている訳ではない。今進んでいる道は経験を積む為には必要だから。 その為には今進む道に真摯であるべきだと思う。だからこそ嘉栄が師から学んだ事には興味があった。 「未熟なままの私では、道は見えないのでしょうか……嘉栄さんには、サムライの道が見えますか?」 「サムライの道……難しい事を問いますね」 そう囁いて嘉栄の目が細められる。 今まで幾度となく死線を越えて来たが、その度に彼女の傍にあったものがある。 「師が私に示したサムライの道は、新たな絆を紡ぐ為の礎となる。でしょうか」 「絆を繋ぐ為の礎? 強さではなく?」 思わず問い返したコリナに嘉栄の足が止まる。そしてコリナとしっかり目を合わせると告げた。 「私がこうして今も存命しているのは、私の力ではありません。私を助けてくれた方々の力があってこそ。強さも勿論必要ですが、その強さは刀を振るう為の力ではありません。仲間を信じる強さ、弱さを認め頼る強さ……心の強さが必要だと、私は思います」 雪華が嘉栄を餓鬼山に修行へ行かせた際、彼女に迷いがなかった訳ではないだろう。きっと心配で仕方がなかったに違いない。 それでも雪華は嘉栄の帰りを待った。 それもまた信じる強さ――心の強さに繋がるのだろう。 「あの、上手く言えませんが……大変なことだと思います……苛酷な道を選ぶのも、それを見守るのも」 如何言葉を紡ぐべきか。そう思案して放たれた言葉に柔らかな笑みを湛えると、嘉栄は彼女の前に手を差出した。 「ええ、私もそう思います」 行きましょう。そう言って促される手にコリナの目が落ちる。そうしてなんとなく重ねた手が握られると、2人は再び山頂を目指し歩き出した。 ●雪見の山頂で 「用意が良いのですね」 感心したように嘉栄が零す声を聞きながら、ティアはマキリを手に墓の前にある雑草を狩っていた。その隣では嘉栄や珠樹、真夢紀にコリナも雑草を取る手伝いをしている。 「ティアさん。お水貸して下さい」 「はい。岩清水で良いわね」 手際よく墓石を洗う2人に、コリナが呟く。 「ティアさんは、皮の水筒も持ってましたよね? 何で岩清水を使うんですか?」 貴重な飲料水を使う事にもった単純な疑問。これにティアがクスリと笑んで答えてくれる。 「皮水筒は、殺生したモノに納めた水なので、清めに使うには……と」 彼女の言うように皮の水筒は羊の皮を使って作られた水筒だ。 「完璧な配慮ね。嘉栄、あんたもちゃんと見習いなさいよ。ああいう気遣いの出来る人が出来た女性なの。花嫁修業の為に覚えておきなさい」 まるで母親のように告げられる言葉に嘉栄の口元に笑みが乗る。そうして掃除を終えると、墓の周りは雑草が1つもない綺麗な状態になった。 「綺麗になりましたね。では、後はお酒を供えて――」 「あ、それでしたら甘酒を持ってきました」 天儀酒を取り出そうとしたティアに、真夢紀が透かさず甘酒を差出す。これに首を傾げていると、嘉栄が苦笑しながら捕捉する。 「雪華さんは飲めるのですが、色々と問題が……」 「管理人さんが、故人は酒癖が悪かったと言ってました」 コクリと頷く真夢紀に、ティアがクスリと笑って頷く。そうして甘酒を備えると、全員で墓前に立ち、両の手を合わせた。 「話を聞く限り、嘉栄の無茶する性格の一旦はこの師匠の性格もありそうよね」 お参りを終えた珠樹の声に、嘉栄の視線が揺らぐ。その辺に関して、多少の自覚はあるようだ。 「取り敢えず、もう少し如何にかならなかったのかとは言ったけど……嘉栄の性格上、難しそうな気もするわ」 育った感情も大きいだろうが、本人の生まれ持った資質も少なからず影響しているだろう。それを考えると、妥協はすべきなのかもしれない。 ぼやく様に零す珠樹の言葉を聞いていると、不意に竪琴の柔らかな調べが聞こえて来た。 目を向けると、ティアが演奏の準備を進めているのが見える。 「お弁当の準備の時間も使って、精霊の聖歌を捧げさせて頂けたら、と」 「精霊の聖歌……良いのですか?」 嘉栄の問い掛けにティアは「勿論」と頷く。 「亡き恩師のお墓参りに来たのですから、少しでも故人が心穏やかに、安らかに眠り続けるお手伝いをさせて欲しいのです。精霊達の加護がいつまでも故人と共に在り、いとし子を見守り続けられるように……」 そう囁いて、ティアの指が竪琴を弾く。 紅葉の美しい頂きで響く清く優しい曲。その曲を耳に、嘉栄は雪華と過ごした日々を思い出すように瞼を伏せた。 ●賑わいを ティアの竪琴が音を紡ぎ終える頃、コリナは昼食の為にと用意されたお弁当を見て唾を呑み込んでいた。 「ご飯が沢山……これがさっき作っていたお弁当ですか?」 思わず垂れそうになる涎を押し留めて問う。 これに最後の仕上げにと果物を切っていた真夢紀が頷いた。 「はい。あまり手の込んだ物は作れませんでしたが、さっき作ったもので間違いありませんよ」 手の込んだ物は作れなかったと言うが、白菜を牛乳で煮てとろみをつけたと言う料理は明らかに手が込んでいる。 「ティア殿。師の為に楽を奏でて下さって、有難うございました。あの方も心穏やかに聞いていたに違いありません」 嘉栄はそう告げて微笑むと、彼女を用意された昼食の前に招いた。 これで全員が食卓に着いた事になる。 「では、頂きましょう」 「「「「「いただきます」」」」」 真夢紀の声に続き、全員の声が綺麗に重なる。そうして思い思いの食べ物へと手を伸ばすのだが、その中の1つ、鶉卵と茸と薩摩芋の煮物に箸を伸ばしながら珠樹が呟く。 「私にも師匠と呼べる人はいたし、技術を教えてくれた恩こそあるけれど、ここまでの繋がりはなかったわね」 思い出すように呟いて目を細めた彼女に、真夢紀が頷く。その手には栗ごはんで作ったおにぎりがある。 「確か、お母さんのような存在でもあったんですよね?」 「ええ。私の人生に無くてはならない方でした」 優しくも厳しかった女性。 彼女の教えがなければ、嘉栄は此処まで強くなれなかったかもしれない。そして開拓者と共に闘う事も無かったかもしれない。 「今は亡き恩師……それも母親とも言える方ですか」 ティアは大根と柿の酢の物を口に運びながら墓石に目を向ける。その前には真夢紀の作ったおはぎが置かれており、彼女なりの気遣いが伺える。 「まゆちゃん程ではないですが、少しでもお手伝いをする事は出来たでしょうか……」 楽を奏でている間の記憶はない。それでも想いを篭めて奏でたのは確か。 少しでも亡き恩師が心穏やかに眠り続けられるように、そう願って楽を奏で続けた。 それが楽師としての自分が出来る、ささやかな事だから。 「少しだなんてとんでもありません。十分すぎるほど良くして頂きました。師も喜んでいると思います」 嘉栄はそう言って微笑むとティアと視線を合わせた。其処にコリナの声が響く。 「私も食べ物を持って来たんです。良かったら食べて下さい」 コリナは皆の前にオータムクッキーと林檎のタルトを置くと、食べやすい様に切り分けて差出した。 これに嘉栄の目が瞬かれる。 「これは、何と言う食べ物ですか?」 「林檎タルトです……嘉栄さんは、タルトを食べた事がないんですか?」 思わぬ反応に首を傾げたコリナに嘉栄が頷く。そしてその様子を捉えた珠樹がポツリ。 「これだから男所帯は……」 嘉栄の家事全般が駄目な理由も、こうした菓子類の知識に乏しいのも、彼女の周囲に男しかいなかったからだろう。少なくとも珠樹はそう思っている。 それでも霜蓮寺は良い場所だと思う。少なくとも嘉栄にとっては良い場所で、与えられた物、其処での人間関係はあって困るものではない。 ただ、少し思うのは―― 「珠樹殿、如何されました?」 「……別に、羨ましくなんてないんだから」 そう零してそっぽを向く珠樹に嘉栄が不思議そうに目を瞬く。 すると傍でティアのお茶を用意したと言う声が響いてきた。 まだ日は高い。故人を偲び、故人と共に楽しむ食事はまだまだ続きそうだった。 |