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■オープニング本文 天元流道場の裏手。其処にある竹藪で胡坐を掻いて物思いに耽る五十鈴の姿があった。 その脇に鎮座するのは追い払った筈の猫。その頭を撫でつつ赤の髪が傾げられる。 「セイ、今日も御前様なのかな……」 御前様――この言葉は巳三郎兄から聞いた。 何でも明け方帰宅する者を指すらしく、ここ数日の天元 征四郎(iz0001)にはピッタリの言葉だ。 「挨拶回りに出稽古、近所のおばちゃんやおっちゃんの宴席にも出てるし……流石にそろそろ死ぬんじゃないか?」 ぼんやり口にしているが状況はかなり深刻だ。 巳三郎や五十鈴も道場の手伝いとして征四郎の代わりに出かける事もあるが、それでも主になるのは征四郎で、彼無しでは動かない事象も多い。とは言え、働き過ぎなのも確か。 「最近は開拓者の仕事もあんまだし……このままじゃダメだよな!」 よしっ、と立ち上がった五十鈴に、傍で腰を下ろしていた猫が立ち上がる。その姿を見下ろしてニッと笑むと、彼女は大きく伸びをした。 「あたしが一肌脱ぐかっ!」 五十鈴はそう叫ぶと、竹藪の中を颯爽と駆け出した。 ●開拓者ギルド 「――と言う訳で、何か良い案ないかな」 ギルドの受付に陣取り、堂々と問いかける五十鈴に、職員の山本善次郎が苦笑を零す。 「いや、案を求める相手が間違ってるって。何でここに来るの」 「善ちゃんこういうの詳しいじゃん。だから何か知恵が貰えるかと思ってさ!」 そりゃ、困りごとには詳しいだろう。 何せここはそう言った事案を多く扱う場所だから。だからと言って、山本の頭が回る訳ではない。 彼が出来るのはせいぜい開拓者の斡旋くらいだ。 「だいたい征四郎君が忙しいのは仕方ないでしょ。今は道場が開講して間もないし、もう少しすれば落ち着くよ」 大丈夫、大丈夫。そう返す山本に、五十鈴の頬が大きく膨れ上がった。 「じゃあ何か! 善ちゃんはセイが倒れても良いんだな? うーんうーん魘されて寝込んでも良いって言うんだな!」 「いや、そうは言わないけど……」 「言ってるのも同じじゃんか!」 バンッと机を叩く音に周囲の目が向かう。それを知ってか知らずか五十鈴は言う。 「ほんの少しでも良いんだ。セイの癒しになるような事がしたいんだよ。セイにしか出来ない仕事があるのはわかってるし、アイツの仕事量が減らせないのは仕方ないにしても……」 年若い道場主の苦労は近くで見ている者が一番理解している。 山本は唇を噛んで俯く五十鈴に息を吐くと、近くのた布袋から何かを取り出した。 「五十鈴ちゃん、あーん」 「ん?」 何? そう言って目を向けた視界に金平糖がある。山本はそれを五十鈴の口に放り込むと、にっこり笑んで見せた。 「君のお兄さんから貰った物だよ。これでも食べて落ち着いて」 金平糖を誰かに贈る兄と言ったら一人しかいない。これを山本にあげたのは長兄の恭一郎だ。 「金平糖……恭兄……」 五十鈴は金平糖を口の中で転がしながら視線を揺らす。そして勢い良く身を乗り出すと、山本の顔を覗き込んだ。 「良いこと思い付いた! 善ちゃん、至急開拓者を集めてくれ! 報酬はあたしが出すから!」 五十鈴はそう言うと、悪だくみを思い付いた子供のようにニッと笑った。 後日、開拓者ギルドに張り紙がされる。その内容はこうだ。 『天元流道場開講記念と称し、道場主・天元征四郎を労うべく宴席を執り行う。 参加は自由。但し参加者には条件を貸すものとする。 条件は「菓子を持参する」こと。 菓子の種類は不問。国・内外問わず多種多様な菓子を集め、疲労を労うのが目的である。 場所は新生天元流道場。 皆の参加を心待ちにしている』 |
■参加者一覧 / 北條 黯羽(ia0072) / 志藤 久遠(ia0597) / 柚乃(ia0638) / 尾鷲 アスマ(ia0892) / 礼野 真夢紀(ia1144) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / リンカ・ティニーブルー(ib0345) / 明王院 未楡(ib0349) / 志姫(ib1520) / ヘルゥ・アル=マリキ(ib6684) / レト(ib6904) / 六車 焔迅(ib7427) / エルレーン(ib7455) |
■リプレイ本文 庭の木が薄らと染まる天元流道場。 其処を訪れた尾鷲 アスマ(ia0892)は、隣に立つ恭一郎を「ふむ」と見遣ると微かに唇を歪めた。 「まだ不服そうだが、此処まで来た以上は顔を出さねば勿体なかろう」 そう言って笑みを浮かべるが、言葉を向けられた恭一郎の表情に変化はない。彼は真っ直ぐに道場へ足を向けると、道場へ続く門を潜った。 此処に来る前、アスマは恭一郎を道場に誘っている。その時に恭一郎が返した言葉はこうだ。 『呼ばれても居ない者が参加して喜ばれるとは思いませんが?』 「妹に自ら呼ばれなかった事を拗ねるとは……案外、可愛らしいところもあるのだな」 ポツリ、零した声に恭一郎の足が止まる。 「貴方に言われたくありませんね。女性ばかりだろうから肩身が狭くて来て欲しい……そう言っていませんでしたか?」 振り返った彼の顔に笑顔が張り付いている。それを見ながらアスマの口角が上がる。 「私は貴方が顔を出すと喜ぶだろう。と、言った筈だが」 「貴方がそうした言い方をする場合、絶対に何かあるんですよ」 「買い被り過ぎだな。勘が鈍ったのではないか? 恭一郎殿」 ああ言えばこう言う。 パッと見は穏やかな筈なのに、妙な緊張感が漂っている。 五十鈴は少し離れた道場の玄関先に腰を据え、2人の遣り取りを見ていた。その表情は微妙。 「……恭兄が、何か怒ってる」 取り敢えずこれだけはわかるのだが、その理由は不明。まさか自分が声を掛けなかった事が原因とは露も思わない。 「よぉ……って、なんてェ顔してるさね」 言い合うアスマと恭一郎の脇を通り過ぎ、先に道場に到達した北條 黯羽(ia0072)が目を瞬く。 「黯羽! 来てくれたんだな!」 素のまま声を上げる五十鈴に、黯羽がニッと笑んで頭を撫でる。その上で彼女の顔を覗き込むと、彼女は手にしていた包みを差出した。 「征四郎の息抜きってェ案を出したのは、五十鈴さね?」 玄関に彼女が居る様子を見る限り、そう考えて間違いないだろう。 問いかけに頷く五十鈴を見て唇に刻んだ笑みが深まる。 「良い案だと思うぜ」 「本当か!」 まさか褒められるとは思っていなかったのだろう。嬉しそうに目を輝かせる五十鈴に、黯羽の手が更に頭を撫でる。 其処に五十鈴にも負けないほど元気な声が響く。 「五十鈴姉ぇに、黯羽姉ぇ! 久しぶりなのじゃ!」 目を向けるとヘルゥ・アル=マリキ(ib6684)が駆け込んでくるのが見える。 「ヘルゥも来てくれたんだな! いらっしゃい!」 「勿論なのじゃ! これが私の菓子じゃ」 「へへ、ありがとな♪ って、その手、如何したんだ?」 菓子の包みを差出すヘルゥに目を瞬きながら、彼女の手をまじまじと見る。 最近気温が下がって来たが、手袋を嵌めるには時期が早い。だから問いかけたのだが、これにヘルゥは慌てて手を下げた。 「うむ? 手袋か……せ、戦士のたしなみじゃ」 ぎこちなく向けられた笑みに首を傾げる。其処へもう1人、見慣れた姿が飛び込んできた。 「あそこにいるの……」 アスマと恭一郎の遣り取りに足を止められているのはエルレーン(ib7455)だ。彼女は辺りを見回して2人の脇を通り過ぎようとしているのだが、どうにも邪魔だ。 「恭兄! いい加減にしろよ!」 思わず叫んだ五十鈴に、恭一郎とアスマが顔を見合わせる。その隙にエルレーンは逃げるように駆け込んできた。 「ありがとー! 五十鈴ちゃん、みんな、こんにちはだよ♪」 笑顔で片手を上げて見せるエルレーンに、思い思いの返事が返る。それを受け止めてから、彼女は改めて五十鈴を見た。 「依頼文見たけど、征四郎くんも大変そうだねぇ」 慰労会が開かれるほどに天元 征四郎(iz0001)の疲労が蓄積されているなら相当苦労していると言う事になる。心配そうに表情を落す彼女に五十鈴が小さく苦笑する。 「セイは元々真面目だからな。手を抜くって事をまず知らないし」 確かに。とこの場の全員が頷く。 「たまには息抜きしなきゃ、つぶれちゃうんだよっ」 「だな」 やれやれと五十鈴が呟いた時だ。 「何でお前が付いて来るんだよっ!」 「私も招かれての登場ですぞ! 招かれての登場ですぞっ!」 「2回も言うな!」 「大事なことなので2回――」 騒がしい男2人の声に続き、ガンッと鈍い音が響く。そうして次に響いてきたドサッと言う音に、全員の目が動いた。 「……何だいありゃァ」 呆れた黯羽の声に続き、「あらあら」と言う声が響いてくる。 「こんな場所で寝てると風邪を引きますよ?」 キョトンと目を瞬き入って来たアルーシュ・リトナ(ib0119)に、五十鈴が「あ!」と声を上げる。 そうして駆け寄ると、彼女の手を取って嬉しそうに微笑んだ。 「アルーシュも来てくれたのか!」 「はい。五十鈴さん、皆さんも、お久しぶりです」 にこっと笑みながら取られた手を握り返す。 その傍らで地面に転がった白馬王司を担ぎ上げた志摩 軍事(iz0129)が息を吐いた。 「誰がコイツを呼んだんだ……」 冬場でも何処でも衣を剥ぎ取る芸当(?)を持つ白馬はハッキリ言ってこの場に不釣り合いだ。 早々に連れ帰りたい所だが、先程の言葉が気になって強制的に帰すのも憚られる。と、其処に思わぬ人物が顔を覗かせた。 「私です」 そう言って志摩の顔を覗き込んだのは柚乃(ia0638)だ。 予想外の人物が名乗り出た事で志摩は言葉を失ってしまう。けれどそんな事を他所に柚乃は言った。 「折角ですし、多い方が楽しいかと……それに、お2人は周囲が羨むほど仲良しですし」 コックリ頷きながら告げられた声に、志摩の顔が引き攣る。 「いや、仲良くねえし」 そう言って逸らした視線が、一緒に道場を訪れた陶 義貞(iz0159)と重なる。 彼は志摩と白馬の双方を見比べると、ニッと笑んで志摩の肩を叩いた。その仕草に嫌な予感が過る。 「おっちゃん……良かったな?」 「良いわけあるかッ!」 思わず叫んだ志摩に、周囲から笑い声が上がる。 こうして賑やかな宴会が開始されたのだが、勿論他にも参加者はいる。 「あらあら……随分と賑やかですね」 くすくす笑いながら道場に足を踏み入れた明王院 未楡(ib0349)は、共に訪れた礼野 真夢紀(ia1144)を振り返る。 「まゆちゃん、大丈夫ですか?」 自身の荷物もかなりだが、真夢紀の荷物もかなり大きい。 未楡はそっと手を伸ばすと彼女の荷物を持とうとしたのだが、これに真夢紀の声が上がる。 「大丈夫ですよ。これくらいは持てないと一人前になる事は出来ませんから」 よいしょっと荷物を抱え直した彼女に「あらあら」と穏やかな笑みが零れる。 そうして道場への門を潜ると、ちょうど同じように門を潜るリンカ・ティニーブルー(ib0345)と鉢合わせた。 どうやら彼女は1人で来ているようだが……。 「あ、リンカさんも征四郎さんの慰労会に来たんですか?」 「ああ、こんにちは。そうだね……義貞さんを誘って来たのだけど、彼は先に来ちゃったみたいだね」 そう言って苦笑を滲ませる彼女に、真夢紀と未楡が顔を見合わせる。 「良かったら一緒に中へ行きませんか?」 連れ人が先に来ているなら、其処までは問題ないだろう。そう提案する真夢紀にリンカの頬に笑みが乗る。 「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな」 義貞が先に来ている事は間違いない。 出来る事なら一刻も早く会いたいと思う気持ちはあるが、此処は堪えるべきだ。 リンカは笑みを浮かべたまま頷くと、真夢紀と未楡と共に道場に足を踏み入れた。 この頃、道場に入る入口よりも更に外、天元家の敷地の外で入ろうか如何しようか迷う人物がいた。 「ここで良いのでしょうか……」 ポツリ、零した声に心許なさが伺える。と、背後から声が掛かった。 「この様な場所で立ち止まって如何されましたか? もしや征四郎殿の慰労会への参加者の方でしょうか」 振り返ると志藤 久遠(ia0597)が心配げな表情を向けている。これに向き直ると、志姫(ib1520)は慌てて頭を下げた。 「は、初めまして。あの、征四郎様とはあまりお会いになった事はありませんが、色々大変だとお伺いしまして……征四郎様がゆっくり休める様に頑張ります」 緊張しながら告げられた言葉に、久遠の目が瞬かれる。けれど直ぐに表情を緩めると、彼女は志姫の頭を上げさせる。 「その挨拶は征四郎殿へ是非。私は貴女と同じで征四郎殿の慰労に訪れただけです」 そう言いながら彼女を促して天元家の敷地内へ足を踏み入れる。そうして志姫を見ると改める様に口を開いた。 「私は志藤久遠と言います。貴女は?」 「弓術師の志姫です」 よろしくお願いします。そう言って再び頭を下げた彼女に、久遠の手が伸びる。 「こちらこそ、よろしくお願いします」 そうして2つの手が重なると、彼女等の耳に賑やかな声が響いてきた。 ● 「……これは」 五十鈴に道場へ連れて来られた征四郎は、その場に集まった面々を見て目を瞬いた。 「如何した? 五十鈴嬢に始まり……華のある面々に言葉もないか?」 クスリと笑う声に目を向けると、アスマが伺うように征四郎を見ている。 言われてみればこの場の殆どが女性だ。その事実に成程と頷きながらも、未だに掴めない状況に眉を潜める。 「征四郎さん。おめでとうございます。そしてお疲れさまです」 にっこり笑顔で小首を傾げたアルーシュに続き、エルレーンも彼に向かって笑みを浮かべる。 「さあさあ……まいにちおつかれさまっ、なの!」 そう言って彼の腕を引くと、エルレーンは道場の中央へと彼を招いた。 其処に置かれた菓子の数々に征四郎の目が瞬かれる。 「これは……?」 「忙しく駆けずり回るお兄さんに、一時の癒しを……だなんて、何ともお兄さん思いの優しい子ですね」 微笑みながら優しく告げられた未楡の声に征四郎が五十鈴を捉える。 「セイ、最近忙しそうだからさ……息抜きにでもなればと思って」 もごもご口籠る五十鈴の頭を、黯羽が撫でる。 「と言う訳だなァ。今日1日はゆっくり休んで、明日からまた頑張れば良いと思うぜ」 ほら座んな。そう言って征四郎を座らせると、彼の前に湯呑が置かれた。其処に注がれているのは、みかんの果実水。 「たまには甘い飲み物でも……良ければ、ですが」 久遠はそう言って微かに笑むと、五十鈴の前にも同じ飲み物を置いてゆく。そうして未だに呆然としている征四郎の元に元気な声が響いた。 「征兄ぃも来たことじゃし、皆で乾杯するのじゃ! 征兄ぃと道場の益々の発展を祈って――」 ――乾杯! 全員の声が重なり宴会が開始される。 すると征四郎の前には次々と菓子が差し出されるのだが、その種類は彼もこの会を提案した五十鈴も驚くほど。 「征四郎様、こうしてお会いするのは初めてだと思いますが、その……疲労回復に良いと言うおからで作ったクッキーです。宜しければどうぞ」 そう言って志姫が差し出したのは、レモンで作ったクッキーと南瓜を使ったプリン。それにケーキだ。 最近でこそ良く目にするようになった洋菓子だが、征四郎自身が口にした回数は少ない。 「感謝する」 礼を口にしながらクッキーを口に運ぶ。そしてひと口食べた所で「ほう」と彼の目が細められた。 「今まで食べた事のある物とは違う味だ」 「征四郎くん、これも食べてっ、なの!」 言ってエルレーンが差し出したのはチョコレートのクッキーだろうか。黒く香ばしい香りを漂わせながら差し出されたクッキーに五十鈴が覗き込む。 「これって、手作りか?」 「そうだよ! 征四郎くんがよろこんでくれるように、ふんぱつしたんだからっ」 ふんっと鼻を鳴らして胸を張る彼女に、五十鈴が1つ摘まむ。と、次の瞬間。 「まっず!」 「!」 眉間に皺を刻みながら、それでも手にした分を食べきる五十鈴に、エルレーンの顔が引きつる。 「せ、征四郎くんは食べない方が……あ」 「……ん。食べれる」 問題ない。そう零して五十鈴同様に食べきった彼に、エルレーンの胸が撫で下ろされる。 「やっぱり、征四郎くんは優しいねぇ」 不味くても怒らないだろうという思いはあったが、それでも不安は不安だった。 エルレーンは自身の分も摘まむと、口に運ぶ。 「食べきれるってことは、いうほど失敗はしてない――うぐっ!?」 みるみる顔が蒼くなる彼女に、志姫が慌てた様に飲み物を差出す。そしてこの頃、別の箇所でお菓子を摘まんでいたアスマは傍らで同じように菓子を摘まむ恭一郎を見た。 「この栗饅頭は如何だろう」 「……悪くはないですね」 そうだろうそうだろう。 そう頷くと、アスマは開けていない包みを恭一郎に差し出した。 「局長殿に土産として如何だろう」 元より全部を食べるつもりはない。 予め用意しておいた菓子に恭一郎の目が瞬かれる。そして僅かに苦笑するように彼を見ると「いただきます」と零して受け取った。 「それにしても……開講後、これほどまでに賑わう事に成ろうとは」 噂には聞いているが、天元流道場の評判は上々だ。何でも入門者も順調に増えているとかで、征四郎の負担もまだまだ増えると考えて良いだろう。 「開講の波さえ越えれば落ち着くだろうが……」 落ち着いた所で、今度は入門者の数を減らさない努力が必要になる。「ふむ」と零した彼の耳に、征四郎の声が近付いて来た。 「兄上までいらっしゃるとは……仕事の方は大丈夫なのですか」 「問題ない」 そっけなく返された言葉に征四郎はただ頷きを返す。その様子を見止め、アスマは今思った事を口にする。 「征四郎殿。任せられる腹心に見当はついているか……?」 唐突な問いに征四郎の目が瞬かれる。 だが直ぐに苦笑を浮かべると「いや」と言う声だけが返ってきた。 「そうか……ん? この林檎のタルトは絶品だな」 思わず手を伸ばしたタルトを口に運び、アスマが声を零す。それにちょうどサンドイッチを運んで来たアルーシュが微笑む。 「喜んで頂けて良かったです。甘いお菓子に飽きたらこちらもどうぞ」 そう言って置かれた皿に征四郎の目が向かう。 「征四郎さん」 呼ぶ名に目を向けた彼へ言う。 「征四郎さんにはちゃんと休める場所があります。私達も五十鈴さんもいますから……頼ってあげて下さい」 決して1人ではない。そう語る彼女に征四郎の目が伏せられる。 「征四郎は少し生真面目過ぎるさね。もっと肩の力を抜いて行けば良いンじゃないかね?」 いつの間に来たのだろう。 征四郎の肩に手を回して引き寄せる黯羽に苦笑を零す。そうして耳元で囁かれた声に、征四郎の目が泳いだ。 「何か道場で猫を見掛けた気がしたンだが……犬を飼うなら早めに飼った方が良いンじゃねェか?」 「……五十鈴が許してくれないんだ」 重い溜息と共に発せられた言葉。 それに成程と頷くと、黯羽は困ったように笑って五十鈴を見た。 当の五十鈴はと言えば、真夢紀の持って来た重箱に興味津々で、次から次へ摘まんで食べている。 「これも美味い! あ、こっちは何だ?」 「それは南瓜の蒸しパンです。そっちはオリーブオイルチョコと月見団子ですよ」 真夢紀はそう言いながら道場の外にある庭で七輪に火を灯していた。これからホットケーキを焼くつもりらしく、その準備も万端に整っている。 「五十鈴さん。暖かいお飲み物は如何かしら? 桜の花湯もありますよ」 柔らかな微笑みを湛えながら差し出された湯呑に、五十鈴の頬がポッと赤く染まった。 「あ、ありがとう……ございます」 囁き、ぎこちない手つきで湯呑を受け取る。そうしてひと口飲むと、彼女の顔に笑顔が乗った。 「五十鈴様は如何されたのでしょう?」 様子がおかしいような……。 そう零したのは給仕の為に動き回っていた志姫だ。彼女は何かを口にしているのか、不自然に口をもごもご動かすと、征四郎や恭一郎を見た。 「五十鈴は母と言うものを良く知らない……だからだろう」 欲しても得れる事の無かった存在。それに未楡が重なって見えたのだろう。 「時に、志姫は何を食べているんだ?」 誰かの菓子を摘まんでいる様子も伺えるが、時折別の何かで口が動いているように見える。 この問いにドキリと胸を弾ませると、志姫は慌てた様に微笑んで空いた皿を抱えた。 「な、何でもないです。皆さんのお菓子、美味しいですね」 そう言葉を紡ぐと志姫は去って行った。その姿に目を瞬いていると、傍に寄って来たらしいヘルゥが呟く。 「チョコレートのような物を口に運んでおったのじゃ。何か秘蔵の食べ物じゃろうか?」 鋭い。 志姫が食べていたのはウイスキーボンボン。天儀では14歳以上が成人として認められるので特に問題ないのだが、何故隠れて食べていたかは不明だ。 「そうじゃ。征兄ぃも食べてくれい♪」 ヘルゥは笑顔で菓子の乗った皿を差出した。 「見た事の無い菓子だな……」 「私の故郷の菓子じゃな。バクラワと言うんじゃが、美味しいのじゃぞ!」 皿の上に乗っているのはパイのような食べ物。ナッツやシナモンなどをパイに包んで焼き上げ、その上にシロップを掛けた菓子なのだが、実はこの菓子、2種類用意されている。 1つ目は完璧な形のパイ。そしてもう1つは型崩れしたパイ。 征四郎はしばらくそれを見詰めると、型崩れのしたパイに手を伸ばした。 「ど、どうじゃ?」 妙に緊張した声がヘルゥから漏れる。 それを聞き止めながら口を動かすと、征四郎の口元に微かな笑みが浮かんだ。 「かなり甘い」 クスリと笑った彼にヘルゥの目が瞬かれる。 そうして自分も1つと口に運んだ所で、幼い瞳が思い切り見開かれた。 「あ、甘すぎじゃ!」 思った以上の激甘具合に彼女の体が小刻みに震える。 「征兄ぃ、それ以上食べたら駄目なのじゃ!」 慌てて征四郎を止めるが彼の手は止まらない。最後の欠片まで丁寧に口に運ぶと、穏やかな笑みを浮かべてヘルゥの頭に手を伸ばした。 「折角作ったのだろう? 食べないで如何する」 ぽふぽふと叩かれる頭に、ヘルゥの頬が紅く染まった。それに笑みを零して今度は完璧な形のパイに手を伸ばす。 「征兄ぃ、あまり食べると……」 「ヘルゥが持って来たと言う事は、何か意味があるのだろう? ならば、食べないとな」 征四郎はそう告げると、新たに手に取ったパイを口に運んだ。 「ふふ。皆さん仲が良くて羨ましいです」 柚乃は菓子の詰まった籠を持って近付くと、征四郎や皆の前で膝を折った。 「手作りでもうしわけないのですが……良ければ、食べて下さい」 遠慮気味に差し出された籠の中には、紫芋と南瓜のクッキー、それに栗のマドレーヌが乗っている。 その中の1つ、クッキーに手を伸ばしながら、ふと征四郎が問うた。 「そう言えば、柚乃は占いが出来るのだったか?」 かなりうろ覚えだが、そんな記憶がある。 「出来ますよ……?」 「なら、この場で道場の未来を占ってみては貰えないだろうか……無理にとは、言わないが」 占いを信じる性質ではない。 けれどどの様な未来をこの少女が見るのかは興味がある。 その声に僅かに思案した後、柚乃は籠を置いてタロットを取り出す。そうして道場の床にそれを広げると、丁寧に混ぜ始めた。 「道場の未来を……行く末に、幸あらん事を願い……」 祈りを込め、願いを込め、祈るように未来を手繰り寄せる。そして1枚のカードを手に取ると、それを征四郎の前に差し出した。 そのカードは『皇帝』と呼ばれる物。 「カードは征四郎くんが道場の主であると理解してるみたいです……だから、しきかりと管理していくように、と」 その為に必要な事も教えてくれている、と柚乃は言う。 「もう1度、周囲をよく見て下さい。今まで気付かなかったところに思いがけない出会いや絆が隠されている筈です……ひとつの方角ばかりを見るのではなく、広く目を配るようにしてください」 そうすれば、未来は開ける筈です。 彼女はそう言うと、皇帝のカードを征四郎に握らせ、ゆったりと微笑んで見せた。 この頃、オータムクッキーとキャンディーを大皿に乗せ、その他に手作りのタルトを切り分けて置いたリンカが、密かに忍ばせていたタルトを手に義貞へ声を掛けていた。 「義貞さん。まだ、お腹いっぱいにはなってないかな?」 見た所、先程からかなりの量の菓子を食べている。 本当はもっと早く声を掛けたかったのだが、機会を伺っている内に遅くなってしまったのだ。 「おう、まだ大丈夫だぞ!」 ニコッと笑った彼に、リンカの頬が僅かに染まる。そうして忍ばせていたタルトを差出すと、彼の目の前で切り分け始めた。 「……これって、リンカさんの手作り?」 目を瞬く彼に頷きを返す。 作ったタルトは2種類。どちらもチョコレートタルトなのだが、中に入っているチョコが少しだけ違う。 「はい。これで食べやすくなったはずだよ」 皿に乗せられたタルトに目を落し、義貞が感心したように「凄いな」と声を零す。 それに笑みを零すと、食べられるその様をジッと見詰めた。 「――ん、美味い♪」 満面の笑みでリンカを見た義貞に、安堵の息が漏れる。それと同時に暖かくなる胸に笑みを零すと、リンカは彼の口元に手を伸ばした。 「喜んで貰えて良かったよ」 そう言って微笑んだリンカの指が零れたチョコレートを拭う。それに義貞の頬が紅くなると、彼はそれを隠すように残ったタルトを頬張った。 その様子を離れた位置から眺めていた志摩が苦笑を滲ませる。 「完全な子離れも、そろそろかね」 しみじみとした気持ちと、僅かな寂しさと。 そんな志摩の肩を白馬が叩く。 「子はいつか親元を離れるものですぞ」 「まあ、な」 まさか白馬に慰められる事になろうとは。 志摩は苦笑を深めると、柚乃が持って来たと言うマドレーヌを口に運んだ。 ● 虫の音が響く庭を眺めながら、征四郎は縁側に腰を据えていた。其処へ賑やかな会場を抜け出したヘルゥが遣って来る。 「征兄ぃ、何をしておるのじゃ?」 ちょこんっと腰を下ろして首を傾げる彼女に、征四郎が少しだけ笑んで頷く。 「俺は恵まれている……そう考えていた所だ」 「ふむ。そうじゃな……征兄ぃの周りには征兄ぃを想ってくれる人が沢山いるのじゃ。それは征兄ぃの人望でもあり、これまでの行いの賜物でもあるのじゃ」 そう言ってヘルゥはその場に寝転がると、頭を征四郎の膝に乗せて気持ち良さそうに目を細めた。 「うむ、やはりいい場所じゃな」 大きく伸びと欠伸を零して微笑む彼女に表情が緩む。そうして再び庭を眺めていると、下の方から穏やかな寝息が響いてきた。 「……俺に人望があるかどうかは、定かではないが、こうして近くに人が居ると言うのは悪くない……」 ヘルゥの頭を撫で、再び目を庭に伸ばす。と、足音が響いてきた。 目を向けると、其処に久遠の姿が見える。 「志藤も息抜きに来たのか?」 「……いえ、私は征四郎殿を探しに……」 「俺を……?」 首を傾げた彼に久遠の目が落ちる。そうして征四郎の隣に腰を下ろすと、彼女の目が膝で眠るヘルゥを捉えた。 「……道場は軌道に乗り始めたでしょうか……その、忙しくなればなるほど、征四郎殿の疲労は溜まる一方。負担を分担できる人間が居れば……そう、考えて……」 伺うように視線を向けた彼女に、征四郎の唇に笑みが乗った。 「確かに忙しいが、それを負担と思ったことはない。寧ろ、忙しいからこそ頑張れるものもある」 「そう、ですか……ではその忙しさを軽減する為に、その……」 今日はいつものような覇気のある話し方ではない。戸惑うような歯切れの悪い話し方をする彼女に征四郎の手が伸びる。 「具合でも悪いのだろうか……ならば横に成れる部屋を用意するが……」 そう言って額に触れると、一瞬にして久遠の頬が染まった。そして意を決したように口が開かれる。 「あの、征四郎、殿!」 「ん?」 「その……妻、がいれば……楽に、なりますか?」 妻――その言葉に征四郎の目が瞬く。 「女としての修業はまだまだで、その、盛りも過ぎた身ですけど、あの……」 「まだ過ぎてはいないだろう。いや、世間知らずな俺が言う事でもないが……まだ問題ないと思うぞ」 真顔で返された言葉に久遠の目が僅かに見開かれる。そして何かを言おうとした所で「バンッ!」と大きな音が響いた。 「だあっ! 鈍すぎるっ!!」 ダンダンッと床を鳴らして近付いて来たのは五十鈴だ。その後ろにはと視線を泳がせる恭一郎の姿もある。 いったい何時から話を聞いていたのか。 「その鈍感すぎる耳をかっぽじってよぉーく聞け! 今のは結婚の申し――んぐぐっ!!」 「五十鈴、気持ちは良くわかりますが、こういうのは当人たちの問題です。僕も征四郎の鈍さには正直驚き以外の何物でもないですが……」 大仰な溜息を零して五十鈴の口を押えた恭一郎が、何事かと目を覚ましたヘルゥに目を留める。 「お嬢さんもこっちへ」 「む、ぅ?」 眠い目を擦って首を傾げるヘルゥの頭を手招き、恭一郎がニッコリ笑って久遠と征四郎を見た。 「では後は若い方々でお話を」 彼はそう言い置くと、五十鈴とヘルゥを連れて去って行った。 残された久遠はと言うと、顔を真っ赤にして俯き、征四郎は妹や兄の言葉を理解する為に頭を全回転させているらしい。 その証拠に、彼の目が徐々に見開かれ―― 「っ!!!!」 物凄い勢いで立ち上がった征四郎が、顔を真っ赤にさせて久遠を見下ろす。 「も、もしや、今のは……その……っ」 「……突然、申し訳ありません。ご迷惑でしたら――」 「そう言う訳ではっ!」 慌てて久遠の言葉を制した彼を、青の瞳が見詰める。それに目を泳がせると、彼は喉を小さく上下させて口を開いた。 「……迷惑では、ない。その……次会う時まで、考えさせてくれないだろうか……今は突然の事で、頭が回らない」 狼狽えている様子は彼の顔を見れば一目瞭然。 久遠は静かに頷くと、彼の顔を見て「わかりました」と告げた。 |