紫色の空
マスター名:朝臣 あむ
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/11/15 12:09



■オープニング本文

●開拓者ギルド下宿所
 居間に通されたギルド職員の山本・善次郎は、脇に腰を据える少女を示して告げた。
「志摩。ギルドから正式な要請が出た」
「あー……まあ、そうなるだろうな」
 やれやれと言った様子で志摩 軍事(iz0129)が視線を向けるのは紫(ゆかり)と言う名の少女だ。
 その視線に彼女の視線が落ちる。それを見止めて志摩は改めて山本を見た。
「とは言え、義貞の時とは事情が違え、紫に関しちゃ一から鍛えていく必要がある。その間、紫紺は如何するつもりだ」
 志体持ちとは言え、開拓者としての修業を積んでいない彼女はそこらの一般人よりも少し腕が立つ程度だ。
 闘い方の基礎から、開拓者としての心構え、その他、一般常識なども教える必要があるだろう。
「紫紺は俺の知り合いが見てくれることになったよ。紫も一緒に見ると言ってくれたけど、この子は生きる為にも力の使い方を知る必要があるだろうから」
 山本の声に「まあな」と零して、志摩は息を吐く。
「で、紫はそれで良いのか?」
 先程から黙ったままの少女に目を向け、緑の瞳を見詰める。それに彼女の視線が上がった。
「オレは、受けた恩を仇で返すような真似はしねえ。アンタたちはオレだけじゃなくて、紫紺も助けてくれた。寝床も、飯も、生きる為に必要なもんもくれた」
 だから。と頷く彼女に志摩も頷きを向ける。
「わかった。本人にやる気があるなら、紫は俺が見よう」
「助かる。それで紫の面倒を見るとなると、義貞の事を如何するかなんだけど」
「アイツはもう俺の手を離れてるだろうがよ。ギルドが義貞の監視をする必要ももうない……違うか?」
 単身で開拓者になる為にやって来た義貞を導いたのは開拓者と志摩だ。そしてその義貞は既に護ってくれる者達の手を離れ始めている。
「わかった。義貞の事は本人に任せるよ。志摩は紫を頼むな」
 山本はそう言うと、紫の頭に手を置いた。

●新たな養い子
 紫の為の部屋を下宿所に整えながら、志摩は部屋の入り口で立ち竦んでいる少女を振り返った。
「こういう時は一緒に手伝う方が良いぞ」
「……わかった」
 ぎこちなく頷いて中に入ってくる紫を見て思う。
 この少女はどれだけ前に両親が亡くなったのだろう。一般常識の欠如が明るみに出始めたのは、ギルドに預けられて直ぐだった。
 風呂に入れと言われてその場で服を脱ぎ出した事から始まるのだが、その後、食事を与えたら手掴みで食べ始め、文字の読み書きも全く駄目。
「紫。答えたくねえなら答えなくて良いんだが……お前、いつから1人だ?」
 心の傷に手を伸ばすかもしれない。
 そんな危惧もあったが案外紫はケロリとして応えてくれた。
「知らねえ。気付いた時には1人だったし」
「何?」
 予想外の言葉に志摩の手が止まる。
「……お前、まさか」
 そう呟いた志摩に紫はハッとなって視線を落とす。
 紫紺の話を聞く限り、紫と彼女は最近まで両親と一緒に居たはずだ。だが紫は「気付いた時には1人だった」と答えた。
 この矛盾は何処から生じる?
 志摩は思案気に紫を見詰めると、言われるがままにゴミを拾い始めた少女に目を細めた。

●開拓者ギルド
「山本。紫と紫紺は血が繋がってねえかもな」
 所用でギルドを訪れた志摩の言葉に山本の目が瞬かれる。
「何でそう思うんだ?」
「詳しい事情は分からねえが、紫は2度親を失ってる可能性がある」
 孤児が新しい家族に出会うこと自体なくはない。そしてその家族が再び消えることも。
「紫紺は箸の使い方を教える人が少なくとも傍に居たんだろう。けどな、紫がそれを出来ないのは如何にも腑に落ちねえ。姉弟ならこんだけ教育に差が出るのはおかしいだろ」
 確かに紫と紫紺には大きな差がある。
 それは紫紺が文字を少しは読めることも関係するのだが、流石にその差は一目瞭然。
 だが今はその謎を解くべき時ではない。
 志摩は一度浮かんだ疑問を奥に押しやると、改めて山本の顔を見た。
「……なあ、山本。頼みがあるんだが、聞いてくれるか」
 志摩はそう言うと、彼にある案を話し始めた。


■参加者一覧
千見寺 葎(ia5851
20歳・女・シ
和奏(ia8807
17歳・男・志
玄間 北斗(ib0342
25歳・男・シ
ワイズ・ナルター(ib0991
30歳・女・魔
笹倉 靖(ib6125
23歳・男・巫
ケイウス=アルカーム(ib7387
23歳・男・吟
刃兼(ib7876
18歳・男・サ
宮坂義乃(ib9942
23歳・女・志


■リプレイ本文

 神楽の都の港。幾つもの飛空船が発着するその場所に、駿龍や甲龍、炎龍などと言った種類も様々な龍が繋留されている。
 その一角に、自らの龍を連れた開拓者が集まっていた。その目的は虹色の手編みのセーターを着込んだ少女――紫。
 彼女は集められた龍に目を瞬き、若干臆したように眉を潜めている。そんな彼女にフッと頬を緩めて刃兼(ib7876)が言う。
「龍を見る事自体、初めてだったか……何、怖くはない。触ってみるか?」
 首を傾げて手を添えた龍の種類は空龍。元々は駿龍であった相棒が、経験を積んで進化した龍だ。
「トモエマルと言って、少々食い意地は張っているが穏やかで優しい龍だぞ」
 そう言って漆黒の鱗に覆われた首を撫でる。その仕草に水色の瞳が細められると、紫は僅かに緊張を解いてトモエマルを見詰めた。
 其処に大きな手が伸びる。
「その服、良く似合ってるのだ。これも着けるともっと良くなると思うのだ」
 言葉と共に被せられたゴーグルは微かに温かい。それもその筈、今紫が装着させられているゴーグルは、つい先程まで玄間 北斗(ib0342)が着けていた物なのだ。
「お洋服は『娘のお古で申し訳ないけど、良かったら使って』って人から預かって来たのだ。折角だから使わせて貰ったのだが……やっぱりよく似合ってるのだ」
 にっこり笑って紫の頭を撫でる。
 そんな北斗が紫に用意してくれたのは今着ているもふらの毛で作ったセーターの他、見習の靴や服、手袋など、彼女の装備を整える殆どの物だ。
 その中に木製の苦無が含まれているのだが、それを見下ろして紫の眉根が下がる。
「……武器は見慣れないか?」
 紫が武器を嫌ったと思ったのだろう。不器用ながらも心配するような声音が降ってくる。
 それに顔を上げると宮坂 玄人(ib9942)と目が合った。
「そうじゃねえよ……ただ、使い方がわからねえから」
 ポツリ、零された声に「ああ」と納得する。
 そう言えば紫は開拓者のイロハを学ぶ意味も込めて此処に居るのだった。
「これから覚えれば良い事だ。義助もそう思うだろう?」
 玄人が連れているのは駿龍。先程のトモエマルの進化前の姿だ。
 義助は玄人の声に首を動かすと、小さく唸るようにして吼えた後、銀の瞳を眇めて紫を見詰めた。
 誰にでも初心はある。そう語る様に見詰めてくる瞳に、紫がギュッと苦無を握り締める。それを見遣って、ワイズ・ナルター(ib0991)が彼女の傍で膝を折った。
「此処に居る人たちも龍も、みんな紫ちゃんの味方です。勿論、私も、私の龍も……」
 ふわっと微笑んで首を傾げたナルターに、紫の目が瞬かれる。そして何かを言おうとした彼女の手を掬い上げ静かに告げた。
「申し遅れました……初めまして。魔術師のナルターと申します。本日は宜しくお願いしますね」
「あ……ああ。オレは、紫……よろしく」
 若干戸惑い気味に発せられた声を、ナルターは微笑を崩さずに受け止める。その上で言う。
「紫ちゃんは可愛いけど、『私』といったほうがもっと可愛く見えるよ」
「へ?」
 突然の言葉に紫の動きが止まった。
「これからは『私』と言えるように努力して貰えると、嬉しいな」
 そう言って一層深まった笑みに、紫の視線が外される。そうして口中で何かをゴモつかせていると、賑やかな声が響いてきた。
「初めまして、紫ちゃん!」
 笑顔全開で顔を覗かせたのは吟遊詩人のケイウス=アルカーム(ib7387)だ。彼は人懐っこい笑みを浮かべると、何事かを確認するかのように紫を見て「うんうん」と頷いた。
 その視線に紫の表情が曇る。
「……ジロジロ見るんじゃねえ」
 ボソッと零した声。これにケイウスの目が微かに見開かれる。と、その瞬間、彼の頭を押すようにして押し退ける者があった。
「ケイウスまずは自己紹介からだろ。よう、嬢ちゃん。身の周りは落ち着いたかい?」
「アンタは……」
 ハッとしたように上がった目が捉えたのは笹倉 靖(ib6125)の姿だ。
 弟共に自らを救ってくれた開拓者の1人。そんな彼を見た瞬間、紫の目が見開かれる。
 けれど靖はその変化に気付きつつ、敢えて其処には触れずに言った。
「こっちは俺の友達でな。仲良くして貰えると嬉しいんだが……」
 如何だ? そう視線を向けられてチラリと紫の目が動く。そうして改めてケイウスを見止めると、彼女の首が縦に振れた。
「ありがとう。改めて、俺はケイウス=アルカームって言うんだ。よろしくね!」
 そう言って一際明るく差し出された手に、紫は驚いた様に目を見開く。この様子から察するに、どうやらこうして初対面の人間に懐っこく接されるのは初めての様だ。
「こういう時は『よろしくお願いします』と言うのが良いんですよ」
「!」
 突然背後から掛けられた声に飛び上がらん勢いで振り返った。これに声を掛けた本人も驚いた様に目を瞬く。
「……驚かせてしまいましたか?」
 ごめんなさい。そう言葉を添えた千見寺 葎(ia5851)に紫の目が寄せられる。そして何事かを思案するように視線を動かし、ふるりとだけ首が横に揺れた。
「大丈夫だ。ただ、後ろからいきなりは……怖い」
「え」
 極々小さく零された声に、思わず聞き返す。と、其処に大きな声が響いた。
「おーい、皆扱ってるかー?」
 大声を上げて港を歩いてくる志摩 軍事(iz0129)の手には、1頭の甲龍の手綱が握られていた。どうやらギルドから紫の為に借りてきた龍の様だ。
「ほれ、紫。お前さんの為に連れて来たぞ」
 志摩は紫の前で足を止めると、手にしていた手綱を差出した。これに綺麗な指先が伸びる。
「まだ少し早いかと」
 差し出した手綱を下げる様に促しながら、和奏(ia8807)が紫にふわふわの毛布を差出す。
「まずはこれを乗せてあげて下さい。お天気は良いですが、風がちょっと冷たいので風邪をお召しにならないよう」
 紫さんも。そう言葉を添えて彼女の背を龍に押す。その仕草に一歩を踏み出すと、紫は伺うように志摩を見上げた。
「やってみろ。手綱は俺が持っててやる」
 促すように顎を上げた志摩。そして紫を見守る温かな視線に彼女の足が再び動いた。
 そして甲龍の背にふわふわの毛布を乗せると、彼女の瞳が何とも言えない表情で輝いた。


 よたよたと港を歩く龍。その背に強張った表情で跨るのは紫だ。彼女の首には白き羽毛の宝珠と呼ばれる首飾りがある。
 これは北斗が紫の為に用意し、彼女に貸し出してくれたものだ。これで万が一の時、紫の身が護られる確率は高くなる。
「意外と筋が良いのだ。それにしても紫ちゃんも紫紺くんも、2人とも落ち着いたようで良かったのだぁ〜」
 ニコニコと笑顔で紫を見守る北斗に、志摩が無精髭を摩って苦笑する。
「まだまだこれからだ。アイツは義貞以上に骨が折れるぜ」
 志摩が到着する前の状況を聞いて、やれやれと思ったのは事実。人付き合いも戦闘方法も、全てこれから学ぶのだ。大変なのは確かだろう。
 けれどそのぼやきを聞いて、葎がクスリと笑みを零した。
「何、笑ってやがる」
「いえ、元気そうで良かった」
 ふふっと笑みを含ませて囁く彼女に、苦笑が深まる。そしてこうした遣り取りの間も、紫の初騎乗への挑戦は続いていた。
「鞍に座り込むのではなく、体重は両方の鐙に均等にかけて立つくらいの感覚で……そう。視線は前です」
 甲龍の手綱を引く和奏の声に、紫の瞳が再び輝きだす。その表情を見る限り、龍に乗る事を楽しいと感じているのがわかる。
「凄いな。開拓者になりたての頃の俺よりよっぽど上手だ」
「ケイウスは暫く苦手意識を持ってて駄目だっただけだろ。あの子の場合には苦手になる理由がない」
 そう。少なからずこの場に居る開拓者の全てが騎乗経験のある者達だ。そうした者達の目があるからこそ、紫は安心して騎乗する事が出来る。
 それはつまり、靖が言うように苦手になる理由が起き辛いと言う事にも繋がるのだ。
「甲龍を選んだと言う点も、安心して騎乗できる理由だな。もちろん、あの龍の性格もあるのだろうが」
「甲龍を推してくれたのはお前さんだろ。確かに甲龍は比較的温厚な龍だ。初めての騎乗に間違った選択じゃねえ」
 有難うな。
 言って、刃兼の頭を撫でる志摩に、彼の首が竦められる。その仕草に笑ってから、志摩は出来るだけ龍を刺激させない声を放った。
「そろそろ目的地に行くとするか。紫、このまま1人で乗るか、誰かと一緒に乗るか。どっちが良い?」
「! 幾らなんでもいきなり1人は危険過ぎる。誰かと共に騎乗した方が――」
「やる!」
 志摩の提案に思わず声を上げた刃兼の言葉を遮り、紫はキッパリと告げた。その真剣な表情に刃兼の眉が僅かに上がる。
「これは、なかなかに負けん気の強い性格だな」
 ふむ。と口元に苦笑を浮かべた玄人に、刃兼も同意するように頷く。こうして紫1人で騎乗する事になったのだが、そんな彼女の手を取りながらナルターが言う。
「危険だと感じたら必ず声を掛けて下さいね。紫ちゃんには頼れる仲間がいるんですから」
 ナルターはそう優しく告げると、追加で刃兼が掛けさせた白き羽毛の宝珠を見て微笑む。
 幾重もの優しさが彼女を包んでいる。それは騎乗方法を教えてくれた和奏は勿論、それを見守っていた開拓者の姿を見れば一目瞭然だ。
「んじゃあ、出発だ。紫、ちゃんとついて来いよ!」
 志摩はそう言って自らの龍の手綱を引くと、多く空へと舞い上がった。


 何処までも続く青い空。
 地平線までも臨める景色を前に、紫は事前に教えられた騎乗方法を護って、前を見ながら龍の手綱を引いていた。
 そんな彼女の下の方では、万が一に備えて葎が待機。周囲には同じく緊急に備えて他の開拓者も控えている。
「凄いですね。初めてでこれだけ乗れれば問題ないですよ」
 そう言って紫の騎乗を褒めるのはナルターだ。彼女は穏やかな眼差しで紫を見詰めながら、相棒のプファイルの手綱を握っている。その騎乗は安定しており、緊張と言うよりは空を飛ぶ事を楽しんでいる様にも見える。
 そしてそれは何も彼女だけではなく、ケイウスもまた、久し振りに友と飛ぶ空に心を弾ませていた。
「そういえば、靖と飛ぶのは久しぶりだね!」
「そう言やぁそうか」
 ふむと目を細めた靖に、ケイウスが笑い掛ける。その表情にニッと口角を上げると、靖の手が龍の手綱を引いた。
「なら、いっちょやるかね。息は合うかな?」
「え、え?」
 突然上空を目指して飛び出した靖の龍にケイウスの目が瞬かれる。けれど直ぐに彼の意図を理解し、彼もまた相棒の龍と共に空へ飛び出す。
 その動きに紫の目が輝きを増して空を見上げた。
「すげぇ」
 ポツリと呟き出された感嘆の声。それを超越聴覚で拾い上げた北斗が、彼女と同じように空を見上げた。
「龍の演舞なのだぁ〜♪」
 くるくると踊る様に空を舞う2匹の龍。息を合わせて自由に羽ばたくその姿に紫の目は釘付けだ。
 それに気付いた和奏が近付いて、彼女の手元や足元に目と落とす。その上で騎乗に乱れがないことを確認すると、彼もまた空を舞う龍に目を向けた。
「紫さんも、あの様に飛んでみたいですか?」
「そりゃ……飛べるなら……けど、今のオレじゃ無理だ」
 自らの力量を心得、その上で発せられた言葉に和奏は目を瞬く。
 乱暴な言葉遣いは気になるものの、実は紫の受け答えが的確で流暢だった事に違和感を覚えていたのだ。それが今また形になって胸の中に違和感として湧き上がってくる。
「……誰かが一方的に喋っているのを聞いて覚えたレベルではなさそうですね」
 誰かと喋って覚えない限り、こうした受け答えは無理だ。となれば、志摩から聞いた「気付いた時には1人だった」と紫が言った言葉に疑問が生じる。
 それに口を開こうとした瞬間、別の方面から声が飛んで来た。
「だいぶ肩に力が入ってるな。もう少し肩の力を抜くと良い」
 初めての騎乗だ。力が入るのは致し方ない。けれどずっと力を入れっぱなしでは、紫は勿論、彼女を乗せている龍も疲れてしまうだろう。
「龍も相手の指示が頼りだからな。リラックスして行こう」
 玄人はそう言葉を添え、紫に頷きを向ける。
 それを受けて彼女の肩から僅かながら力が抜けると、目の前が一気に明るくなった。
「わあ!」
 思わず上がった紫の声につられて、皆の目も前を向く。そうして飛び込んで来たのは季節外れの綿毛が大地を埋める平原だ。
 見渡すばかりに広がった白。其処に舞い上がる雪の様な綿毛は、紫だけではなく開拓者等の目も奪ってゆく。
「志摩さん、ここは……」
「あ? ああ、この季節だとこれくらいしか見せられねえからな。取り敢えず、もう少し飛んだ場所に綿毛の切れる場所がある。其処で休憩するぞ」
 ニッと笑って告げた志摩に目を瞬き、葎は上空を飛ぶ紫を見上げると相棒の手綱を引いて空を駆けた。


 綿毛が穏やかに空を舞う平原。其処に茣蓙を敷いて腰を据えた開拓者等は、一時の休憩にと持ち寄った弁当や菓子を広げていた。
「……白嬰、もう大丈夫」
 茣蓙の隅を抑えてくれていた龍に一言添え、葎は自身で用意した重箱を広げると、紫が手を伸ばしやすい場所にそれを置いた。
「栗ご飯のおにぎりです。あと、お肉も」
 見せられた見るからに美味しそうなご飯に、紫の喉がゴクリと揺れる。
「……食べて、良いのか?」
 伺うように見上げる視線に頷きを返す。
 それを受けて手を伸ばそうとするのだが、ふと何かに気付いた様に彼女の動きが止まった。
「え、と……イタダキマス」
 消え入りそうな声で言っておにぎりを掴む。そして口に運ぶと、彼女の顔に満面の笑みが乗った。
「紫殿は敬語が使えるのか?」
「ふぐ?」
 何? 玄人の問いにそう首を傾げる紫に、志摩が首を横に振る。
「今のは敬語じゃねえ。食う前には言うもんだって俺が教えただけだ」
 志摩の話によると、紫は教えた事は覚えるものの、如何にも敬語が苦手らしい。その割には弟の紫紺の方は確りした言葉遣いをしていた気もするのだが……。
「……一人称は、僕がこうですから、なんとも。ただ敬語は学んでおいていいかな……。ですます、だけでも」
 お茶を皆に振る舞いながら告げる葎の言葉に、紫の目がゆっくり動く。そして口の中の食べ物を呑み込むと、今の言葉を繰り返すようにこう言った。
「ですます、付ければ敬語なのか?」
「それだけでは足りない気も……ただ、少なくとも口調は和らぐ、かも?」
 カクリと首を傾げた和奏に釣られて紫の首も傾げられる。それを見ていた靖は、クスリと笑んで煙管を口に運んだ。
「そう言やぁ、お嬢ちゃんはどんな開拓者になりたいんだ?」
 紫の目指す開拓者像。少なくとも如何ありたい。何になりたい。など理想はある筈。
 けれど紫は言う。
「食いっぱぐれなければ何でもいい……ます」
「あ?」
 ちょっと待て。
 返答は良いとして、語尾に妙なものが付いていたような……。
「あー……えっと、な?」
 思わぬ返答に困惑して言葉が続かない靖に続いて、刃兼が口を開く。
「そもそも、紫は開拓者の仕事の流れを知っているだろうか。精霊門を使って現地に飛び、各地の困った出来事を解決するのが主な仕事なんだが」
「精霊門は知ってるぜ……ます」
 やはり何かがオカシイ。
 それでも精霊門を知っているという事は、色々説明がしやすい。刃兼は彼女の口調に戸惑いつつも簡単な仕事の流れを説明し、ふとある事に気付いた。
「紫はどの職に就きたいのだろう? 巫女職で、率先して前に出て敵を殴りに行く戦い方をする者もいたりするからなァ……」
 大事なのは紫がどの様にして戦いたいか、だ。しかし紫はそれに対して首を横に振った。
「おれ――」
 オレは。そう言おうとした所でナタリーの視線に気付いた。笑顔で此方を見詰める視線にふと先程の言葉を思い出す。
――これからは『私』と言えるように努力して貰えると、嬉しいな。
 思い出して何故か頬に朱が差した。
 そして視線を逸らすと一人称を省いて話し出す。
「別に希望はない……ます。だいたい……何があってるかなんて、わかんねえもん……ます」
「紫ちゃん。敬語はあとでじっくり教えるのだ。なので今は置いておいて、紫ちゃんにあった職を探すなら、身軽さを活かしてシノビも一つなのだぁ〜」
 シノビ? そう視線を向けられ、北斗が身軽な動作で後方に飛び退く。その上で手裏剣を放つと、空中に舞っていた綿毛を幾筋か叩き落とした。
「こんな感じなのだぁ〜」
「すげぇ!」
 巨体を身軽に動かして放たれた手裏剣に、紫の目が輝く。そうして先程渡された手裏剣を取り出すと、何事かを考える様に彼女の目が落ちた。
 其処に穏やかな声が届く。
「まあ、どの職に就いても仲間に頼る事は忘れるなよ」
 声に視線を向けると、其処には穏やかながら確かな力を携えた靖の目がある。それを見止めて紫の唇が引き結ばれる。
「開拓者は綺麗な仕事ばかりじゃねぇし、危険なこともある。けど横を見れば相棒もいるし、親友もいる。俺なんかは将来有望な後輩までできて恵まれてるよなー」
「将来有望な、後輩……?」
 擦れた声で反芻した彼女にクスリと笑う。それにボッと頬を紅く染めると、紫はその顔を隠すように膝を抱える。
「……そんな、有望とか、ねぇ…し」
「……紫さん。貴方は勇敢です。咄嗟の判断も出来て。……頑張ってきましたね。笹倉さんも言っていましたが、これからは僕らも一緒です」
 優しく囁きかける葎の声に紫の肩が小さく揺れる。
「貴方は自信を持って、歩んでいいんです。見て、聴いて。学んで、知って。謝って、お礼を言って。時には休んで……焦らなくていい。僕も勉強中なので……一緒に勉強してくれると、嬉しいです」
「……でも」
 開拓者に助けられた時も、そして今も、誰かに頼ると言うのは苦手だ。それは彼女の今の様子を見ても分かる。
 けれど、それでも何とか差し出された手を取る努力をしようとしているのは、志摩の元で開拓者となろうとした事からも伺える。
 葎は彼女の髪に手を伸ばすと、紫陽花の花手毬の髪飾りを彼女の髪に挿した。
「元気な女性の、幸福への祈りを込めて……これから、よろしくお願いしますね」
 優しく響く声に、下げていた紫の顔が上がる。そして何とも言い難い情けない表情で葎を見ると、ほんの僅かだけ頷きを返す。
 それを見て、ケイウスの手が紫の背をバンッと叩いた。この勢いで彼女の目が思い切り見開かれ、瞬きを落す。
「靖の言う通り、仲間に頼るって大事だと思う。一人じゃ無理な事でも仲間と一緒なら結構なんとかなるものだから!」
 そう言って彼はふと声を潜めて、彼女にだけ聞こえる様に囁く。
「実は俺さ。前は龍に乗るのが少し苦手で全然上手く乗れなくてさ。靖に練習付き合ってもらったりして、今ちゃんと乗れるようになったんだ」
 だから、と彼は言う。
「この先何か困った事があったら、誰かを頼ってみるのも良いんじゃないかな」
 恥ずかしい事じゃない。そう言って笑うと、彼は改めて紫の頭を撫でた。
「何はともあれ、先程の敬語を直さねばな。勿論、無理はしなくて良い。ゆっくり変えて行けば良いんだ」
「ゆっくり……」
「そう、ゆっくりだ」
 玄人の言葉を繰り返す紫の表情は穏やかだ。それを見つつ、ナルターは少し残念なような、それでも安心したようなそんな気持ちで笑みを零す。
「一人称はもう少しお預けでしょうか……頑張ってくださいね、紫ちゃん」
 そう囁いた声が聞こえたのだろうか。
 紫は気恥ずかしそうな笑みを浮かべると、その感情を隠すように残ったおにぎりを口に頬張ったのだった。