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■オープニング本文 空にぽっかり浮かぶ白い月。 それを、天元 征四郎は僅かに冷え込む縁側に座り眺めていた。 その胸中にあるのは、遠い地で新大陸を目指し戦う同胞のこと。 聞いた話によれば、キキリニシオクを撃破し、次なる難関に挑むと言うではないか。 「‥‥完治していると言うのに」 呟き、自由に動く手を握り締める。 キキリニシオクの放った瘴気を浴びて行動に制限を受けて数日、もう何処にも瘴気の影響はない。 だが彼を担当する巫女は、未だ征四郎に安静を命じる。 「戦えない事が、こんなにも歯痒いとは‥‥」 呟き、顔に陰りを落とす。 幾ら気持ちは逸れど、如何する事も出来ない。それがまた新たな逸りを生み、悪循環に胸の内を燻った。 そんな折、彼の耳に聞き慣れない声が響く。 「おー‥‥良い月だなぁ!」 ザカザカと草を踏みやってきた男に、顔が弾かれたように上がる。 いつの間にこのような場所まで来たのか。 征四郎と微妙な距離を取って立ち止った大男は、地上を見下ろす月を見上げると、ニッと笑った。 「‥‥何者だ」 訝しむように眇めた瞳。 それに対して男は笑みを浮かべたまま視線を寄こすと、ヒラリと手を振って見せた。 「そんな警戒しなさんな、俺も開拓者だ。しかもアンタと同じように暇を持て余す、な?」 男は右目を覆う包帯を示し、征四郎に近づいてきた。 そして彼の顔を覗き込む。 その際に香った薬品の香りに眉が寄るがそれは関係ない。 幾ら開拓者と言えど、他人の家に勝手に入って良い道理はない。境遇が同じでも、それは同じだ。 「‥‥出て行って貰おう」 得体の知れない人物を傍に置くつもりはない。 そんな思いで言葉を紡ぐと、男は楽しそうに目を細めて彼の隣に腰を据えた。 「俺はサムライの志摩・軍事ってもんだ。アンタの名前は知ってるぜ。天元流のお坊ちゃん?」 「志摩、軍事? ‥‥聞いたことがある。一度は道を逸れた開拓者、今は新人開拓者の育成及び指南に当たっている、とか‥‥」 志摩は僅かに警戒の解いた征四郎を見止め、持ってきた酒瓶を置くとその蓋を開けた。 「んな立派な仕事はしてねえよ。けどまあ、俺を知ってるなら話は早い。どうだ、俺と暇つぶししないか?」 「暇つぶし‥‥だと?」 僅かに目を見開いた征四郎に笑って、志摩は盃を差し出す。そしてそこに酒を注ぐと、月を仰ぎ見た。 「この空の先で、開拓者らが新しい大陸を目指してる。そこは真夏だってのに、雪が降るらしいぞ?」 クツリと笑い紡がれた言葉に、征四郎の首が緩やかに傾げられた。 真夏なのに雪が降る。 その言葉に征四郎の目が盃に落ちる。 「‥‥信憑性の、薄い話だ」 「まあそう言いなさんな。真実かどうか‥‥暇つぶしに調べるってのも面白いと思わないか?」 言って、志摩は盃の中身を飲み干した。 その上で再び酒を注ぐと、征四郎を覗き見る。 「真夏の暑い時に雪が降る――夢でも見てる気持ちになりそうじゃねえか。もし本当なら見てみたくないか?」 確かに、もしそのような現象があるのなら見てみたい。 だが物理的に考えて無理な話だ。 勿論、志摩もそれは心得ているが、新しく誰も見たことのない大陸では何があってもおかしくない。 それを思えば完全に嘘とも斬り捨てられない。 「それに‥‥新大陸の情報は殆どねぇ。ここでバーンっと何が出りゃあ、皆のやる気も増すんじゃねえか?」 「‥‥もし、調べるとして」 征四郎は言うと、盃から視線を上げた。 志摩が暇を持て余すのは、彼の右目を覆う包帯が理由だろう。彼も征四郎と同じく巫女に安静を言い渡されているのかもしれない。 「‥‥宛ては、あるのか?」 「ああ、勿論あるぜぇ」 ニヤリと笑って、筆記用具を取りだす。 そこに書かれているのは、お世辞にもきれいとは言い難い文字だ。 「どうも噂を広めた奴がいるらしてな。そいつが捕まえられりゃあ、真偽を確かめるのは簡単って訳だ」 噂を広めた人物は小柄で白髪、白い着物を纏い、ある一定の場所で目的されているらしい。 だがそれが何処とまでは書かれていない。 「詳しい場所は、わからないのか?」 「‥‥生憎、そこまで自由が効かなくてな。俺じゃあ、調べらんねえんだわ」 志摩が言うには、彼は巫女では無く専門の医師に怪我を見て貰っているらしい。 そのため、その医師が目の届く場所、医師が把握できる場所でしか行動が出来ないと言う。 「もう時期、治療も終わるんだが、それまでが暇でな。良ければ、俺の代わりに都の中で噂解明に動いてくれないか?」 「‥‥何故、俺に頼む」 そう、今動けない事にヤキモキしている開拓者は何も征四郎だけではない。それでも話を振ってくると言うことは何かあると言うことだ。 しかし、志摩はその声にカラリと笑うと、彼の頭を撫でた。 「他の開拓者も一緒だ。ちったぁ、年相応の事もしとけ。今から老け込んだって良いことないぞ」 「なっ‥‥」 征四郎は目を見開くと、満足そうに笑う志摩の横顔を見つめた。 そして僅かに苦笑を浮かべて、盃を口に運ぶ。 「‥‥今回、だけだ」 ポツリ。 その言葉に、志摩は笑みを深めると、空になった彼の盃に新たな酒を注いだのだった。 |
■参加者一覧
華御院 鬨(ia0351)
22歳・男・志
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
天宮 蓮華(ia0992)
20歳・女・巫
染井 吉野(ia8620)
25歳・女・志
朱鳳院 龍影(ib3148)
25歳・女・弓
繊月 朔(ib3416)
15歳・女・巫 |
■リプレイ本文 季節は夏。 じっとしているだけでも汗が溢れてくる中で、柚乃(ia0638)は表情を変えることなく足を止めると周囲を見回した。 ここは神楽の都の大通り、人の往来が激しいその場所に、数名の開拓者が集まっている。 「夏の雪とはなんとも神秘的でええどすな」 微笑み言葉を零すのは華御院 鬨(ia0351)だ。 穏やかな物腰に艶やかな振る舞い。女性そのものの鬨の性別は男。彼は一、芸術家として今回の噂を神秘的と称する。 「もし噂が本当なら一目見てみたいかも」 「そうですね。夏に降る雪‥‥にわかには信じられませんが、本当であれば見てみたいですね」 鬨の声を聞き止めた柚乃が言えば、繊月 朔(ib3416)も同意して頷いた。 そこに天宮 蓮華(ia0992)も加わり、 「‥‥さぞ、幻想的な光景なのでしょうね」 「柚乃が思うには、夏でも雪が降るほど寒いところなのか、ユキのように見えるナニカなのか」 「本当のお話ならば、朔様の仰るように拝見してみたいですわ」 語尾を弾ませ微笑む蓮華に、他の2人も頷いて笑う。 今回の噂は女性にとって魅力的な何かがあるようだ。その証拠に、調査に向かう皆の表情が明るい。 そしてその僅か後方を、染井 吉野(ia8620)が思案気に歩いていた。 「斯様な暑さでも雪が‥‥? 志摩様はどこからこの噂話を聞いたのでしょう。もしやこれは、何かの謎掛けでは‥‥」 つぶぶつ呟き、予測を立てて行く。 「調べればわかることじゃ。憶測よりも真実を突きとめようではないか」 朱鳳院 龍影(ib3148)はカラカラ笑って、吉野の肩を叩いた。 その上で今度は征四郎を見ると、彼の肩も叩く。 「では私はあちらで聞きこんでくるでの。暫し離れるぞ」 「それじゃあ、柚乃はこっちに行くの」 皆、調べたい場所があるようで、集合場所を取り決め、一度解散することとなった。 征四郎はと言えば、どうもこの依頼自体が乗り気でないようで、終始無言のまま皆の話を聞いている。 そこに柚乃が近づいてくる。 「‥‥戦うだけが依頼じゃない‥‥ということよね」 ポツリと零された声に征四郎の目が向かう。 「受けた以上は、きちんとしなければ駄目だと思うの‥‥それが、仕事だもの」 言って歩き出した柚乃に目を瞬く。 確かにどんなに乗り気でなくとも、受けた以上は依頼をこなすのが礼儀だ。 その事を柚乃に指摘され、若干バツが悪くなる。 「ほな、うちも行きます」 鬨は人混みに消える柚乃を見て踵を返した。 ヒラリと舞う着物が鮮やかで、道行く人の目を惹く。そんな中、鬨も思い出したように動きを止めて征四郎を振り返った。 「戦闘よりも、こないな依頼の方がうちは好きどす」 穏やかに微笑み、鬨も人混みにまぎれて行った。 「ふむ‥‥鬨は人の役に立つことが開拓と言うか」 龍影は征四郎に聞こえるように呟き、踵を返す。こうして彼女もまた、調査に向かう。 そうして殆どの開拓者が調査に向かうと、蓮華が征四郎に声を掛けた。 「お久しぶりですわ。今回もよろしくお願いしますね」 微笑みながら小首を傾げる仕草に、征四郎は頷きを返す。 その姿に蓮華の目が瞬かれた。 「暫くお会いしない内に随分と‥‥」 言いかけて口を噤む。そして緩く首を横に振ると、不思議そうに此方を見る彼に笑みを向けた。 「何でもありませんわ。それよりも、私はこれから志摩様かかりつけのお医者様にお話を伺ってみようと思っています。天元様、よろしければご一緒して下さいませんか?」 蓮華は志摩が噂話を聞くとしたら志摩の医師かギルドと踏んでいる。 征四郎は僅かに考える間をとると、彼女に向かって頷いて見せた。 「‥‥構わない」 返された言葉にホッと息を吐く。 本人には口が裂けても言えないのだが、どうにも今の彼は1人にしておくのが不安だった。 だから余計にホッとする。 「では参りましょう」 蓮華はそう言うと、征四郎と共に調査に向かった。 ●調査 鬨は目についた診療所で、得ていた情報を元に聞き込みを行っていた。 「知っているお医者さんはいまへんどすか‥‥あんたはんは、どないですやろ」 医師に怪我して掛かっていた人物は、声を掛け、目の前で膝を折った鬨に驚いたように目を見開く。 だが鬨は構わず言葉を紡いでゆく。 「小柄で白髪、白い着物を着た人どす」 如何でしゃろ? そう首を傾げた彼に、男は思案気に首を巡らす。 「白い着物ならここの医者も着てたが‥‥筋肉隆々の医者だった、ぞ」 「‥‥筋肉隆々」 想像して表情が曇る。だが、直ぐにその考えを振り払うと、柔らかな動作で立ちあがった。 「おおきに‥‥怪我、早ぅ良くなるとええどすな」 言って微笑んで見せる鬨に、男の頬が赤く染まる。それに対して更に微笑んで見せると、彼はこの診療所を出た。 そこに聞き覚えのある声が響いてくる。 「そう、なの‥‥ありがとう」 診療所を出て直ぐの所で、柚乃が聞き込みをしているのが見えた。 彼女も鬨と同様に、医師の目の届く範囲に絞って聞き込みをしていたようだ。 「如何どす。何かわかりましたどすえ?」 声を掛けた鬨に、柚乃の紫に澄んだ瞳が向かう。そしてその目が彼を捉えると、柚乃は首を横に振って見せた。 「ちいさいお爺さんは沢山いるの‥‥でも、白い着物は‥‥」 「うちもどす。条件に一致するお医者さんはなかなか‥‥」 互いに条件に合う人物の情報はない。 その事でとある結論が頭を霞めるのだが‥‥。 「‥‥嘘‥‥デマだったら‥‥かき氷を口に放り込みの刑‥‥」 誰に言うでもなく、ぽつりと口から洩れた声に、鬨の目が向かう。 可愛い顔をして何を言うか‥‥そんな気持ちだが、言いたい事はわからなくもない。 「お医者さんを当たるから駄目なんどすかね‥‥」 鬨の呟きに柚乃が首を傾げる。 「例えば、学者や何かしらの開発者、アヤカシ、獣人なども考慮した方がええどすな」 「‥‥柚乃は、老人とか医師とか‥‥人妖が思い浮かぶの。でも‥‥」 言葉を切り、今まで集めた情報を書きとめたメモに視線を落とす。 「‥‥思い込みは注意‥‥もう少し、詳しい情報を集める」 「そうどすな。ほな、一緒に行きましょか」 ここで一緒になったのも何かの縁。 探す場所が似ているのなら一緒に探すのも一興だ。 その声に、柚乃はすんなり頷くと、鬨と共に調査を再開した。 一方、酒場で情報を集めていた龍影は、集まった情報を元に眉を寄せていた。 「聞いたことがある者は、少数‥‥それも開拓者のみじゃな」 口にし、酒場を出て行く。 そして思案気に歩き出した所で、何かとぶつかった。 豊満な胸に受けた衝撃は然程痛くない。それよりも、ぶつかった相手の方が心配だ。 「すまんかったのぉ。大丈夫じゃろうか」 言って手を差し伸べた所で、龍影は苦笑いを零した。 「おぬしか‥‥」 「申し訳ありません、集めた情報を確認していたら、前を見るのを忘れてしまって‥‥」 筆記用具に視線を落として頭を下げるのは朔だ。 丁寧に記された文字は、彼女の真面目な性格を表している。 それを見止めた上で、龍影は問いを向けた。 「どうじゃ、何か有益な情報は集まったかの?」 「伝承や昔話に詳しい人はいないかと聞き込みをしてみたんですが、新しい大陸についての情報は得られませんでした」 「まあ、新大陸の情報は流出しておらんからのぉ。情報が少なくとも致し方あるまい」 龍影はそう言うと辺りを見回した。 人の往来は少なくない、だがその中で特徴に合う人物を探すとなると、案外見つからないものだ。 「ふむ‥‥して、次は何処を調べるつもりじゃ」 「ギルドに行こうかと思っています」 「ならば、私と同じじゃな。共に行くかの?」 龍影の言葉に、朔は考える間もなく頷いた。 「ギルドが開拓者のやる気を出すために、話を作ったという線が捨てきれないので」 「そう言えば、その様な事も言っておったのぉ。ならば行くか」 言って2人は仲良く歩きだした。 「そうですか‥‥では、そのお噂は耳にしたことがあるのですね」 志摩を診ている医師を訪ねた蓮華は、目的の人物へ話を聞くことに成功していた。 「ここの患者は大抵、その話を知っているよ。たぶん、開拓者が多く集まる診療所とかなら、この噂は多いと思うが」 「そうですか。開拓者の方々が‥‥」 医師の話を真剣に聞く蓮華とは対照的に、征四郎は表情なくその場に立っているだけだ。 その様子に医師が気付いた。 「そこの方も、この噂話を耳にしたことがあるのではないですかな?」 「え?」 蓮華の目が征四郎に向かう。 「‥‥何故そう思う」 逆に問い返した彼に、医師はカラコロ笑う。 「いや、どこかの診療所で見かけた気がしましてな。開拓者で医師に掛かっておれば、聞いていてもおかしくないかと思ったのですわ」 確かに、巫女の治療を受ける間、何度か診療所に足を運んだ。 その際に目撃されていても問題は無いのだが、それと噂話がどう繋がるのか。 「天元様、お噂を聞いたことがおありですか?」 「‥‥ない」 返された言葉に、蓮華は目を瞬いた。 億劫そうな、面倒そうな、そんな雰囲気を醸し出す彼に首が傾げられる。 「そうか、それは申し訳なかった。まあ、あれですわ‥‥開拓者で医師にかかったことがある者であれば、大抵知っておりますぞ」 言って、医師は笑って見せた。 こうして志摩を担当する医師の話が終わったのだが、誰がどうやってその噂を流したかまでは聞く事が出来なかった。 「仕方ありません、他を当たってみましょう」 そう言って蓮華が歩きだそうとした時だ。 「おい、アンタら夏雪の話を集めてるのか?」 唐突に掛けられた声に足が止まった。 「はい、お噂を広めた方を探しておりますが‥‥あの、貴方は?」 見止めたのは、開拓者らしき人物。 負傷した腕を庇い笑って見せる相手に、蓮華が首を傾げる。 「俺はここの患者。夏雪の話なら都の外れに詳しい爺さんがいるぜ。行ってみろよ」 言い終えると、彼は診療所の中に入って行った。 その姿を見送り、2人は顔を見合わせると、その情報を元に都の外れに向かった。 吉野は志摩を担当する医師の診療所付近から聞き込みを開始し、そこから辿れる所まで噂を辿りやってきた。 それがこの都の外れである。 「‥‥志摩様の手が届かぬ範囲となれば、その噂を流す者の居場所は診療所より離れた場所‥‥そう思い、来てみたのですが」 辺りに人の姿は少ない。 しかも長屋が並ぶだけで、店らしきものも見当たらない。 「ハズレ、ですかな‥‥」 言って歩き出そうとした彼女の足が止まった。 「‥‥あれは」 吉野は1つの長屋を目に止める。 そこは他の長屋と変わらず質素な作りで何の変哲もない。 だがよく見ると暖簾が掛けてある。しかも濃紺の布に、黒い墨で「薬」と書かれているではないか。 「‥‥これでは文字が目立たないでしょうに」 思うことを呟き暖簾を上げる。 そして中に入ろうとしたところで、目の前の戸が開いた。 「何だ、客か?」 顔を覗かせたのは、白髪で小柄な人物。 その身に纏うのは白衣らしき羽織だ。 「客、と言いますか‥‥とあることの情報を集めており、話を聞ければと‥‥」 あまりに情報とぴったりくる人物に、戸惑いながら言葉を紡ぐ。 その声を聞いた彼は皺くしゃの顔に笑みを乗せると、大きく戸を開き彼女を中に招いた。 「丁度、休み時間だ。話くらいは聞こう」 中は長屋に変わりないが、清潔感に満ちている。 吉野はその中に香る薬品の匂いを軽く吸い込むと、頭を下げて中に入って行った。 ●夏雪は‥‥ 吉野に呼ばれた一行は、長屋の一室に集まると、目の前の老人をじっと見た。 「あの、新大陸では夏の雪が降るそうですが‥‥ご存知でしょうか?」 付いて直ぐに口を開いたのは朔だ。 金の尻尾がゆらゆらと落ち着きなく揺らして問いかける。 その様子に、老人はすんなり頷きを返した。 「そ、それは、実際に見たものですか? 聞いた話でしょうか?」 思わず身を乗り出した朔に、吉野の手が触れる。 「噂は全て嘘だそうです」 静かに紡がれた言葉に、朔は勿論、他の皆も目を見開いた。 「それじゃあ、標高の高い山の頂は凄く寒いから‥‥夏とは言え雪が降っていてもおかしくないけど‥‥それとは違うのね」 残念そうに呟いた柚乃は、噂話を半信半疑で聞いていた。それでも噂が本当ではないと聞けば、ガッカリしてしまう。 「志摩はんも、演技してる風でもありませんでしたし、噂話を流した訳でもありませんどすな‥‥」 鬨は柚乃と共に志摩に話を聞きに行った。 だが得られる情報は、噂の域を出ず、ましてや志摩がその噂を流している可能性もなかった。 そこに吉野からの連絡が入り、ここに来たのだが、まさか嘘とは。 「噂は、そこの方が作りだした話だそうです。けれど、ただの嘘ではありません」 吉野は嘘ではないと言い切った。 それは先に聞いていた話を聞き、悪意のあるものではないとわかったからだ。 「では、真実は如何様の物なのじゃ」 龍影は吉野に先の言葉を促した。 「話は、怪我をする開拓者の士気を上げるために作られた物です」 「初めは、怪我をした者、怪我に絶望する者へ、元気になる薬として使った。だが、いつの間にか噂が独り歩きしてな、お陰で噂が真実だ‥‥とか」 すまない。そう言って頭を下げる医師に、蓮華が手を差し伸べる。 「顔をおあげ下さい。よろしければ、その雪の話を私たちにもして頂けませんか? ゆっくりと、甘味など頂きながら」 微笑んだ蓮華は、用意しておいたお萩を皆の前に置いた。 それに医師が苦笑いを零す。 「面白くもない話だぞ」 「是非、聞いてみたいです」 朔はそう言うとぐっと身を乗り出した。 「そうどすな。実際に見れないのでしたら、どんな物なのかを聞いて想像するのも悪くはないどす」 鬨も言って、ゆっくり腰を据える。 他の皆も医師の話を聞く気満々だ。 その様子に医師がカラリと笑うと、楽しげに話し始めた。 ○ 全ての話が終わるころには、外はほんのり紅く染まっていた。 その中を皆で歩いて志摩に報告に向かう。 「天元様」 医師の話を聞く間も後も、終始無言だった征四郎に蓮華が声を掛けた。 「先ほど言いかけたことですが‥‥天元様、随分と精悍になられましたね。ですが焦りは禁物、短気は損気ですわ」 くすり、そう笑って見せる蓮華に征四郎は目を瞬いた。 自分ではその様なつもりはなかったのだろう。 だが思い返せば焦っていたのは事実。 「ご自分の歩幅で歩んで下さいませね?」 蓮華はそう言うと、皆の輪に入って行った。 それを見ながら仲間に加わるか迷う。 そもそも、征四郎が治療場に足を運びながらこの噂を知らなかったのは、こうして話に加わるのが苦手だったからだ。 「‥‥年相応、か」 ふと苦笑を浮かべ、志摩の言った言葉を思い出す。 そうして息を吐くと、彼は開拓者の輪に加わり報告に向かったのだった。 |